ギリシャ悲劇とシェークスピア悲劇を融合して, 第三の新しい悲劇を創りあげようとする試みは, ゲーテ以後のドイツ劇作家がいちように抱いた, 一種の悲願であった。ヘッベルもまた, シェークスピアという偉大な模範から出発しながら, この運命悲劇にともなう偶然性•個別性にあきたらなかった。悲劇は個人間の意志の衝突から生まれながらも, そこには人間の存在そのものに内在する必然性•普遍性がなければならない。こうしてヘッベルの眼は, ギリシャ悲劇の運命観にむけられる。ヘッベルに従えば, 悲劇は葛藤の出発点となるべき罪過を,「ただ偶然的に生みだすのではなく, これを本質的に抱合し, 規定する, という永遠の真理を反復する」ものであり, 悲劇的罪過は「人間意志の方向から生ずるのではなく, 意志そのものから直接に-つまりは自我の執拗な我意的膨張から生まれなければならない。従って罪過は意志の方向にあるのではなく, 意志そのもの, いうなれば人間の存在そのものに内在する」という新しい「無罪過における罪過」の様式が生まれなければならないと考えた。
この小論文は, ヘッベル悲劇の中核である「悲劇的罪過」の成立を跡づけるために, 彼がギリシャ悲劇とシェークスピア悲劇の実態をどのように解釈し, このふたつの先例から, 彼流の新様式をどのように構成していったか, という過程を解明しようとした。序文と第一章の「ギリシャ悲劇における悲劇的罪過」は,「ドイツ文学」第21号(1958年10月) に発表されており, 本論文はその続篇である。なお,「悲劇的罪過」と並んで, ヘッベル悲劇のライトモティーフとなる「悲劇的和解」については, 同じ「ドイツ文学」第14号 (1955年4月) に,
"Die tragische Versöhnung bei Friedrich Hebbel“「フリードリッヒ•ヘッベルにおける悲劇的和解」の一文が掲載されている。筆者はつづいてヘッベル悲劇論の実証を, 彼の代表的作品
"Herodes und Mariamne“において跡づけようとする。従ってこの論文は, 前記体系の一部として読まれることを望みたい。
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