ドイツ文學
Online ISSN : 2187-0020
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26 巻
選択された号の論文の9件中1~9を表示しています
  • Kinji Kimura
    1961 年 26 巻 p. 1-11
    発行日: 1961年
    公開日: 2008/03/28
    ジャーナル フリー
  • ヴーテノー R
    1961 年 26 巻 p. 12-26
    発行日: 1961年
    公開日: 2008/03/28
    ジャーナル フリー
    ショーペンハウアーは偉大な知的勇気の持主であった。しかし, 最高の勇気とは, 彼においては, 善と超克との勇気である。偉大なる心の勇気である。
    世界の根源を説明し, 予言を立てることをショーペンハウアーは断念する。彼の目的は,「世界において現象するものとの関連のうちに世界を解明すること」である。認識論的にもまた, 彼はだから本来, 断念レジグナチォンを説く。彼の認識は世界の超克に向けられている。此世では苦痛は偉大なる教師である。ショーペンハウアーは世界の征服者を賞賛しない。彼は世界の超克者を賛えるのである。自然科学の19世紀がもった傾向とは顕著な対照をなして……。
    哲学者としてのショーペンハウアーは, カントによりもむしろヴォルテールに近い。モラリスト, 思想家, あるいは心理家としては, 彼はラ・ブリュイエール, スタンダールなどの系列に属する。そして, その輝しい文体が彼を偉大な文章家たらしめていると云う点において, 彼はニーチェに似ている。
  • 会津 伸
    1961 年 26 巻 p. 27-39
    発行日: 1961年
    公開日: 2008/03/28
    ジャーナル フリー
    第1部の書斎の情景で Faust は, 長い独白ののち, 死を望んでいる。毒杯を仰ごうとして, 復活祭の歌と鐘により, やがてまた, 生死を賭けた契約の相手 Mephisto の活動により, 死には至らない。これに反して Gretchen は, 素朴な歌と信心ぶかい祈りを重ねるたびに, 死へと近づき, 哀切を極める。しかも死を経て神の安息に達せんとする Gretchen に対して, Faust は死を遠ざけ, 生の活動に終始せんとする。
    第2部の壮麗で雄大な場面が, 幻想と仮面の世界であることを忘れるわけにゆかない。そこで Euphorion の痛ましい墜死も一応うなずけるし, Helena も羽衣の天女のように消える。Faust 自身も, いわば天寿を全うして仆れる。しかもいずれも, 美しい音楽と合唱を伴って, 死の刺が和らげられているようにみえる。Faust が死に臨んではじめて生の真義を知るとすれば, まさに‘tragische Ironie’であろう。それはともかく, 生と光の詩人 Goethe の作品において, 死の契機や情景が, 深い奥行を与えていると云えそうである。
  • 小説の形式を中心として
    高木 久雄
    1961 年 26 巻 p. 39-52
    発行日: 1961年
    公開日: 2008/03/28
    ジャーナル フリー
    ゲーテの小説の事件と人間とは, 実際はその背後にあって, 読者に感ぜられる話者によって運ばれる物語である。ゲーテはこの「物語」というものの木来の形式に従うことによって, 文体に対する, より純粋な感覚と, より深い理解とをもって, 人間の深い魂の動きを見事に捉えている。
    ゲーテが自然の中に見た「極性」と「高昇」の二原理がこの小説の構成原理となっている。生成と消滅, 創造と破壊, 生誕と死亡, 歓喜と苦痛, この極から極へと揺れ動く緊張の中を, 始めは微かに現われ, だんだんに明らかになって行くこの小説のライトモチーフが, 赤い糸のように作品の中を縫い, 罪業を背負える者の当然の帰着点としての結末へと急テンポで到達する。そこには内容と形式との緊密な協力が見られるのであり, 詩人が晩年になって持つようになったと思われる叡智的空間の中で, 自由に而も図式的に人物達を登場させ, 科学者がレトルトの中で行なうように, それらの人物達を組み合わせては親和力の実験を行ない, 人間の情熱と倫理との関係を調査し, 一なる自然の中に文配している運命と法則とを発見し, それを示そうと意図しているかに見える。
  • 宮下 健三
    1961 年 26 巻 p. 52-73
    発行日: 1961年
    公開日: 2008/03/28
    ジャーナル フリー
    メーリケ文学の内的運命の問題を取上げている。「画家ノルテン」に於ける詩人の運命観は, 摂理を否認した悲劇的なものである。此の小説は畢竟彼のペレグリーナ体験の総決算だったが, 運命の魔神デモーニツシユ的なものを中心とするこの作品の圧倒的感銘は, 若きメーリケの悲劇性の深さと同体験の彼の生涯に対する本質的意義を証している。この悲劇的運命との対決と超克が彼を詩人にし其文学の方向を決定した。
    愛は彼の生活と芸術の核心だった。彼の愛には宗教的宇宙的な帰依の感情が顕われている。完全不変の愛の充足を求める彼の愛の絶対主義と現実の愛の間には断絶が生じ, 茲に愛のフモールが生れる。最後に彼の愛は神に於いて全き不変の充足を見出す。
    クレーフェルズルツバッハ時代に彼独自の世界の酵母を成したのはフモールだった。其は地上的なものを愛に包摂する精神であり, 存在の不完全さ寄方なさを愛すべきものに変える心情の自由である。メーリケのフモールは, その純粋性が豊かな人間性を獲得する不可避にして必然的な道程だった。「モーツァルト」には悲劇の深みに根ざした明るさが横溢している。彼は悲劇的な美が人間的深淵の上に奇蹟のように揺らめく芸術家性の悲劇を創造した。晩年の生の内に常住する死にも拘らず大胆な生の肯定に於いて, 詩人は創造の否定面をも包摂した全体的生の高らかな讃歌たるモーツァルトと同じ境地に達した。熾烈な真理愛と竪琴の感受性のこの詩人は,ノルテンからモーツァルトへの果しなき苦難の道を唯愛により生を確かめフモールにより愛を豊かにしつつ歩むことが許されていた。後者やエリンナのような作品が生れるには絶えざる遥かな生長が必要だった。此の内生の歴史, 文学の発展には, 唯そのようにのみ変転せざるを得ない内的必然性が認められる。ヘッセの言う「最も高価にして最も高貴な」彼の文学の運命は, その文学の内的運命の厳しさと深さに由来しており, 彼の文学の独自な慰めと喜びは又此処から立昇る光なのである。
  • 新妻 篤
    1961 年 26 巻 p. 73-86
    発行日: 1961年
    公開日: 2008/03/28
    ジャーナル フリー
    ケラーに於いて, 認識とは, 空間的事象に於いてであれ歴史的事象に関してであれ, 現実の繊維と織地を直接に知ることに基いている。そして彼にあって進歩とは, 個人が現実に対して醇化された絶対の認識をもつことである。しかし, その為には, 個人は意識を清め, 客観的に自己を観察し見抜かねばならぬ。そして, この観照の土台となるものは, 如何なるものによっても曇らされぬ精神の自由である。それ故, この小説の決定稿の結末で, ハインリヒとユーディットの, 愛し合いながらも結婚しないという愛の形に, 単に諦観のみを見るのは, 不充分というものであろう。むしろ, こうして自由を保つことによって, ケラーは, 絶対の認識への, つまり, 徐々にしかし確実に生長してくる進歩への, 彼の信頼を表わしているのだと云えないだろうか。
  • 序説
    藤田 賢
    1961 年 26 巻 p. 86-94
    発行日: 1961年
    公開日: 2008/03/28
    ジャーナル フリー
    1848年以後のドイツにおける政治的・社会的変動を微妙に反映し, また, 同時代の「詩的写実主義」の作家達と一線を劃するフォンターネの作家活動の特異性は, 彼の世界観の複雑な形成過程と密接な関連をもっている。
    本稿は, つぎのような観点から, 彼の独特な世界観およびその形成過程を解明する方法に考察を加え, フォンターネ研究への一指針を探りだそうと試みたものである。
    1) フォンターネの世界観形成の基盤となる時代背景と彼の作家活動の特異性
    2) 彼の作家活動開始の時期と作家的立場および作品の特色
    3) 彼の創作上の姿勢および作品の中心問題と世界観との関連
    4) 彼の世界観をめぐる諸問題と若きフォンターネとの関連
  • 後期ホーフマンスタールの場合
    菊池 武弘
    1961 年 26 巻 p. 94-108
    発行日: 1961年
    公開日: 2008/03/28
    ジャーナル フリー
    1. 第一次世界大戦はヨーロッパ社会に多大な影響をもたらしたが, ホーフマンスタールはこれを精神的衝撃として受けとり, 次第に現に目を向けた。彼は精神的な基盤喪失, 機械技術文明, マンモニズムに批判を加え, ヨーロッパの再興のために精神の復興を要請した。
    2. 彼は時の中の詩人の使命について自己の問題として考察した。前期の審美的な, また言語の機能に絶望した詩人は次第に孤独より社会への道を歩み, 詩人の使命は時代に精神的尺度を与えることだという見解に達した。後期の諸作がそれへの志向を示している。
    3. 大戦とそれ以後の時期にヒューマニストとして時代に関与したことの具体的表現は,「保守的革命」の概念と「探求者」の像である。これがまた詩人がみずからに与えた解答であったが, これは詩人の夢に終わったといわなければならない。だがとにかく, 彼は, 同時代者として保存すること•結合することを時代に対する責任として引き受けた「古いヨーロッパ最後の詩人」であった。
  • 川崎 芳隆
    1961 年 26 巻 p. 109-121
    発行日: 1961年
    公開日: 2008/03/28
    ジャーナル フリー
    ギリシャ悲劇とシェークスピア悲劇を融合して, 第三の新しい悲劇を創りあげようとする試みは, ゲーテ以後のドイツ劇作家がいちように抱いた, 一種の悲願であった。ヘッベルもまた, シェークスピアという偉大な模範から出発しながら, この運命悲劇にともなう偶然性•個別性にあきたらなかった。悲劇は個人間の意志の衝突から生まれながらも, そこには人間の存在そのものに内在する必然性•普遍性がなければならない。こうしてヘッベルの眼は, ギリシャ悲劇の運命観にむけられる。ヘッベルに従えば, 悲劇は葛藤の出発点となるべき罪過を,「ただ偶然的に生みだすのではなく, これを本質的に抱合し, 規定する, という永遠の真理を反復する」ものであり, 悲劇的罪過は「人間意志の方向から生ずるのではなく, 意志そのものから直接に-つまりは自我の執拗な我意的膨張から生まれなければならない。従って罪過は意志の方向にあるのではなく, 意志そのもの, いうなれば人間の存在そのものに内在する」という新しい「無罪過における罪過」の様式が生まれなければならないと考えた。
    この小論文は, ヘッベル悲劇の中核である「悲劇的罪過」の成立を跡づけるために, 彼がギリシャ悲劇とシェークスピア悲劇の実態をどのように解釈し, このふたつの先例から, 彼流の新様式をどのように構成していったか, という過程を解明しようとした。序文と第一章の「ギリシャ悲劇における悲劇的罪過」は,「ドイツ文学」第21号(1958年10月) に発表されており, 本論文はその続篇である。なお,「悲劇的罪過」と並んで, ヘッベル悲劇のライトモティーフとなる「悲劇的和解」については, 同じ「ドイツ文学」第14号 (1955年4月) に, "Die tragische Versöhnung bei Friedrich Hebbel“「フリードリッヒ•ヘッベルにおける悲劇的和解」の一文が掲載されている。筆者はつづいてヘッベル悲劇論の実証を, 彼の代表的作品"Herodes und Mariamne“において跡づけようとする。従ってこの論文は, 前記体系の一部として読まれることを望みたい。
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