竹中大工道具館研究紀要
Online ISSN : 2436-1453
Print ISSN : 0915-3683
21 巻
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  • 石社 修一, 阿保 昭則, 土田 昇
    2010 年 21 巻 p. 3-48
    発行日: 2010年
    公開日: 2021/03/22
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
    鉋の⌈切れ味⌉について、下記の知見を得た。 (1) 鍛え焼入れを同様に行って金属組織が合格品質のものでも、焼き戻しの設定で削り試験の結果に明確な差が生まれ、鉋の評価も差が付いた。 (2) 大工が鉋の切れ味を表現する際に用いる⌈甘切れ⌉という言葉について、杉や檜における削りの仕上がりと引きの感触に関係があることが確認された。 (3) 鉋刃に高炭素鋼を用いた場合は高硬度でも研ぎやすいと感じるものの、最終的な刃付けを安定して行うことが困難になることが確認された。
  • 船曳 悦子
    2010 年 21 巻 p. 49-59
    発行日: 2010年
    公開日: 2021/03/22
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
    本稿では、文献資料と古写真、及び実物資料の分析を通して、両刃鋸の発達の経緯について以下の内容を明らかにした。 1 明治10 年の時点では、東京において鋸の先が二つに割れた細工鋸の形状の両刃鋸を文献で確認できた。 2 明治前期には、出現していたと推定できる両刃鋸は、鋸用鋼材としての玉鋼を使用していることを実物で確認した。 3 両刃鋸は明治35 年には商店で購入可能であった。 4 明治期と推定される写真には両刃鋸の使用は見られない。 5 両刃鋸の普及の背景には、鋸用鋼材としての洋鋼( 東郷鋼) と製作技術として油焼入れの一般化、そして利便性への追求があった。
  • 渡邉 晶
    2010 年 21 巻 p. 61-88
    発行日: 2010年
    公開日: 2021/03/22
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
    ユーラシア大陸の西と東におけるうがつ道具に関して、実物をはじめとした諸資料を調査した結果、次の内容が明らかとなった。 1 ユーラシア大陸の西と東いずれにおいても、鑿と錐の材質は、銅、青銅、鉄の順に変化していた。 2 銅製の鑿は、西において約5000年前以降のものが出土し、その基本構造は茎式であった。銅製の錐は、西において約3800年前以降のものが、東において約4300年前以降のものが出土し、西における基本形式は複合(弓)形式であった。 3 青銅製の鑿は、西において約2800年前以降のものが、東において約3500年前以降のものが、それぞれ出土し、その基本構造は、いずれにおいても茎式と袋式であった。青銅製の錐は、東において約3700年前のものが出土している。 4 鉄製の鑿は、西において約2800年前以降のものが、東において約2500 年前以降のものが、それぞれ出土し、その基本構造は、いずれにおいても茎式と袋式であった。鉄製の錐は、西において約2800 年前以降のものが、東において約2300年前以降のものが出土し、西における基本形式は、複合(弓)形式と直柄直交(茎)形式であった。 5 建築構造材加工用のうがつ道具は、鉄製となった段階で、西において鑿と直柄直交(茎)形式の大型錐が、東において鑿が、それぞれ重要な役割を果たしたと推定される。
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