教育社会学研究
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100 巻
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論稿
  • ―公的支出の水準/配分の区別に焦点を当てて―
    小川 和孝
    2017 年 100 巻 p. 225-244
    発行日: 2017/07/28
    公開日: 2019/03/08
    ジャーナル フリー

     本論文では,日本の教育政策に対する人々の選好に関して,公的支出の水準と支出の配分を,それぞれ区別して分析する。これによって,日本の公教育におけるマクロな特徴を支えている,ミクロな意識構造を明らかにする。
     2011年に東京都内で行われた質問紙調査をデータとして,(1)税金を増やしてでも教育への公的支出を拡大すべきか,(2)異なる教育段階間ではどこに資源を配分すべきか,(3)同一教育段階内では,エリート的・非エリート的学校のどちらに資源を配分すべきか,という3つの次元を従属変数とする。独立変数としては,人々の持つ利害と,平等性規範が影響するという仮説を立てる。具体的には,性別,年齢,学歴,世帯年収,政党支持,高校生以下の子どもの有無,就業の有無を用いる。
     第一に,公的支出の水準に関しては,学歴や世帯収入による選好の違いは見られず,政党支持と高校以下の子どもの有無が影響している。第二に,異なる教育段階間における支出では,高学歴者は低次の教育段階への配分を望み,また左派的な人々は高次の教育段階への配分を望む傾向にある。第三に,同一教育段階内における支出では,高学歴者や富裕な人々はエリート的な教育機関への配分を,また左派的な人々は非エリート的な教育機関への配分を,それぞれ支持している。これらの理論的な示唆として,高等教育への公的支出に伴う逆進性と,意識の次元に見られる社会的な閉鎖性について考察する。

  • 胡中 孟徳
    2017 年 100 巻 p. 245-264
    発行日: 2017/07/28
    公開日: 2019/03/08
    ジャーナル フリー

     本研究の目的は,中学生の生活時間類型を取り出して個人の時間の使い方を捉えるとともに,各類型の規定要因を探ることである。1980年代までの学歴社会に関心を寄せる研究は,受験競争が子どもの生活時間に与える影響に注目してきた。他方,2000年代以降は,学習時間の階層差には着目するものの,生活時間全体への目配りを欠いた研究が増えている。しかし,1日が24時間であるという基本的な条件を踏まえれば,学習時間が増えるほどその他の時間が減ることには注意せねばならない。本稿では,生活時間のトレードオフに留意して「放課後の生活時間調査2008」の分析を行う。分析においては,系列データの分析手法として知られる最適マッチング法を使用して,行為の長さや順序を含む24時間の使い方全体の情報を用いて類型化を行い,得られた8類型をもとに類型の規定要因を探った。分析の結果,学習時間を長くする余地が残っていると考えられる生活時間の中学生は全体から見て少数であること,親の学歴が高いと学習時間が長くなりやすいという先行研究の知見を支持する結果とともに,母親の地位は子どもの生活時間を「規則正しい」ものにするような影響も与えていることも明らかになった。以上の結果から,階層的地位の影響の仕方が父親と母親で異なること,可処分時間に限界がある以上,学習時間を「努力」の指標とみる見方に限界があることが示唆された。

  • ―二つの席次への着目―
    武石 典史
    2017 年 100 巻 p. 265-284
    発行日: 2017/07/28
    公開日: 2019/03/08
    ジャーナル フリー

     本稿は,近代日本における官僚の選抜・配分構造を,東大席次・高文席次に着目しながら検討したうえで,昭和期の官僚機構について考察するものである。
     高文体制というべき官僚選抜システムが成立して以降,成績上位層を引きつけた内務省は就職先序列構造において頂点に位置したが,大正期以降になると人材が各省に分散し威信が低下していく。この動きと並行的に,各省の要職に占める内務出身者の割合が減少するという配分面での変化も生じ,人事の自律化が定着した。各省は「位負けしない」生え抜き官僚を有することになったのである。
     脱内務省化は非内務官僚の「専門性」意識を醸成した。これにより,各省の「専門性」と内務省の「総合行政」志向との間に葛藤関係が生じ,専門分業化の潮流のなかで専門官僚が主流となっていく。こうして内務省の優位性は選抜,配分,行政機能という三つの面で弱化し,同省を中心に安定が保たれてきた官僚機構の秩序(「内務省による平和」)は動揺した。各省割拠の時代が到来するのである。
     セクショナリズムにより官僚集団の一体性は解体へと向かい,軍部に対抗しうる勢力にはなりえなくなったと考えられる。これを敗戦にまでつながる流れとみるならば,両席次と密接に結びついた「官僚の選抜・配分構造」の変容は,それを不可逆的に加速化させる要因の一つとして作動していた,といえよう。

  • ―放課後児童クラブにおける相互行為に着目して―
    保坂 克洋
    2017 年 100 巻 p. 285-304
    発行日: 2017/07/28
    公開日: 2019/03/08
    ジャーナル フリー

     本稿は,放課後児童クラブにおける指導員と発達障害児の相互行為に着目し,支援がどのように行われているのかを明らかにすることを目的としている。特にドロシー・スミスの「切り離し手続き」という概念を分析枠組みとして,支援の実践における指導員と発達障害児の非対称的な関係について考察を行った。
     相互行為場面の検討から,発達障害児の行為が問題となる可能性の段階で指導員が介入する「予防的対応」という支援の特徴が明らかとなった。この対応は,ルールを破ることによって様々な社会的場面において排除されてしまうことを危惧していた指導員によって,発達障害児がその状況において適切に振る舞えることを目指しているものであった。
     一方,この対応のもとでは,指導員と発達障害児の間にリアリティ分離が生じた際に,発達障害児の状況定義が認められることはなく,発達障害児は現実の構成過程から排除されていた。つまり,発達障害児の包摂を志向した実践であっても,支援の実践が行われている現在時制において排除的に機能する場合があるという,単純に包摂の営みとして捉えられない支援の実践が明らかとなった。
     また,この予防的対応は,発達障害児に対する「衝動が強い」という理解に基づいていた。そのため,支援の実践において発達障害児を現実の構成過程から排除しないためにも,この認識枠組みを書き換えつつ発達障害児と関わる必要性を指摘した。

  • 宮田 りりぃ
    2017 年 100 巻 p. 305-324
    発行日: 2017/07/28
    公開日: 2019/03/08
    ジャーナル フリー

     本稿の目的は,トランスジェンダーの人々を調査対象に社会との相互作用を通した自己形成過程に着目し,性別越境を伴う生活史におけるジェンダー/セクシュアリティに関する意識を明らかにすることである。そのため,3名のトランスジェンダーに対して生活史調査を実施した。
     分析の結果は以下のとおりであった。第1に,調査対象者たちが直面した問題の源泉は,個人の側にではなく,固定的な性別役割モデルの体現を求める社会の側にあった。第2に,それゆえ,調査対象者たちは社会との相互作用を通した自己形成過程の中でジェンダー/セクシュアリティに関する違和感や抑圧的感覚を覚えるようになり,そのきっかけや時期は調査対象者によって多様であった。第3に,調査対象者たちは,「重要な他者」たちとの関わりを通して新たな準拠枠を獲得し,それを参照することで固定的な性別役割モデルの体現を求める社会のあり方に抵抗する可能性を見出し,上記のような違和感や抑圧的感覚から解放されていった。
     以上の知見をもとに,①「GID(性同一性障害)」支援の限界及び,②トランスジェンダーが直面する問題を医学概念にもとづいて捉える立場に留まることが含む,ポリティカルな問題について考察を行った。本稿が,今後教育における国のトランスジェンダー支援の見直しに役立てば幸いである。

  • ―男性性をめぐるダイナミクス―
    知念 渉
    2017 年 100 巻 p. 325-345
    発行日: 2017/07/28
    公開日: 2019/03/08
    ジャーナル フリー

     日本の「ジェンダーと教育」研究は,特にポスト構造主義が台頭した1990年代後半以降,男/女というジェンダー関係が構築される過程に焦点を当てる一方で,男性ないしは女性という一つの性の中の分化がどのように構築されているのかという点を看過してきた。それに対して本稿は,男子生徒の性内分化を描く試みである。高校におけるフィールドワーク調査のデータから,〈ヤンチャな子ら〉と呼ばれる男子生徒たちが用いる〈インキャラ〉という解釈枠組みとその運用場面を分析し,そこに男性性がどのように組み込まれているのかを明らかにする。
     本稿で明らかになった知見は以下の三点である。第一に,〈インキャラ〉とは,具体的な人物と対応する生徒類型というよりも,人々の言動や実践を解釈していく枠組みであった(4節)。第二に,〈インキャラ〉という解釈枠組みは,〈ヤンチャな子ら〉にとって自らにも他者にも適用されるものであり,適用対象や文脈に応じて様々な意味を帯び,人々のジェンダー実践を規制するものであった(5節)。そして第三に,学年が上がるにつれてそうした解釈枠組みに対して,異議申し立てが行われるようになった。そこには,彼らの中で理想とされる男性性が再定義されていく可能性や,そうした解釈枠組みの維持・変容と集団内の地位が関わっていることを見出すことができた(6節)。
     最後に,これらの分析から得られた知見が,「ジェンダーと教育」研究においてどのような意義をもつのかについて考察した。

  • ―「子ども理解」をめぐる小学校教師の解釈実践―
    伊勢本 大
    2017 年 100 巻 p. 347-366
    発行日: 2017/07/28
    公開日: 2019/03/08
    ジャーナル フリー

     本稿の主題は,教師を対象にしたインタビューの結果を用いて「教師は子どもを理解しなければならない」という「子ども理解」を理由に構成される教師批判言説を,教師がいかに語るのか描き出し,言説に対する教師個々の語りに着目する意義を示すことである。
     1970年代後半から噴出したと考えられる,いじめや不登校などの「教育問題」によって,日本社会の中で教師は批判の対象として捉えられてきた。教育社会学ではそうした教師へのまなざしの脱構築を目的とした,教育言説の研究を蓄積してきた。ところが,教師に対する批判言説を,教師自身がいかに語るのかといった議論はこれまで看過されてきた。それでは教師は世間の教師批判をいかに語るのか。教育言説の研究とは異なる視点から,そうした言説の脱構築を志向するために,また教師という立場・職業をより深く理解するために,教師批判に対する教師の語りに着目する必要がある。
     分析の結果,研究協力者は言説の中で想定される「子ども理解」を否定的に解釈しながらも,その一方では,自らが〈教師である〉ゆえに,そうした物語の正当性を認め,理解を示そうともしていた。こうした語りを詳細に読み解く本稿は,社会的な要請と,教職経験の中で積み上げられた経験知の間に生じるアンビバレントに対し,自ら折り合いをつけようとする動的な教師の姿を描き出す。そして最後に,そうした教師の語りをエンパワメントする研究の重要性を主張する。

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