教室における教師の権力性を告発する研究の多くがIRE連鎖(Initiation(教師の開始)-Reply(生徒の応答)-Evaluation(教師の評価))(Mehan, 1979)を議論の土台としてきた。とりわけ教師と生徒の間に存在する知識の非対称性に焦点をあて,教師がもつE部分の権限を権力ととらえてきた。
しかし,知識の非対称性にばかり注意がむけられ,教室における発言機会の非対称性については注意が向けられてこなかった。IRE連鎖において教師がもつ発言機会の分配という権限は,この非対称性に大きく関わる権限である。本稿では,教師が発言機会を分配する行為を分析することで,教室における教師の権力性を問い直すことを目的とする。
分析では,教師の権力を「正当的権威」ととらえ,教師が発言機会を分配する際にどのようにその権限の行使を正当化するのかに焦点をあてた。分析の結果,教師は発言機会の分配においてその分配が生徒との道徳的秩序に基づいて行われるものであることを演出することがわかった。教師が道徳的秩序を乱した事例では,本来の学習活動を遅らせても,教師の正当的権威の回復のための相互行為連鎖を展開する様子が観察された。
分析結果が示唆することは,教室における教師の権力の脆弱性である。本稿で分析した教師の権力は,先行研究がとらえてきたようなIRE連鎖に常備されたものではなく,正当的権威であることに志向する教師の不断の実践によって維持されていたからである。
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