教育社会学研究
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108 巻
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特集
  • ──特集にあたって──
    片山 悠樹, 中村 高康
    2021 年 108 巻 p. 7-17
    発行日: 2021/07/07
    公開日: 2023/04/08
    ジャーナル フリー

     アジアへの研究関心が高まりつつあるなか,日本の教育社会学はアジアの教育に対してどのように向き合えばよいのだろうか。欧米との比較を通して発展してきた日本の教育社会学は,アジアとの関係のなかで自らの課題や立ち位置を問い直す時期に差しかかっているのはないか。本稿の目的は,各論稿の要約を行ない,アジアから教育を見る可能性を提示することである。
     論文の要約を通じて,次の2つの視点が浮かび上がった。
     ひとつ目は,対象との距離感である。欧米との比較で浮上する異質性は,歴史的文脈や社会的価値・規範の違いから,目につきやすいかたちとなりやすいが,アジアという類似性の高い社会との比較では,異質性は目につきにくい可能性がある。そうした微妙な異質性に対してセンシティブになるためには,それぞれの研究者が「類似性」をいかに設定するのかという対象との距離感は重要となると思われる。
     ふたつ目は,理論との距離感である。理論の多くは欧米の現実から生れたものであり,欧米の理論を無自覚に内面化することには注意しなければならない。アジア社会の現実を欧米とは異なる視座で適切に理解する作業は欠かせず,そのためにも欧米産の理論に対していっそう自覚的になる必要があろう。

  • ──目的・プロセス・意義──
    有田 伸
    2021 年 108 巻 p. 19-38
    発行日: 2021/07/07
    公開日: 2023/04/08
    ジャーナル フリー

     本稿は,計量的な社会学研究を事例として,日本と他のアジア社会との比較研究はいったい何をなし得るのか,またそのさらなる可能性を追求するためには,どのような点に留意しながら研究を進めていけばよいのかを,いわば研究の舞台裏に当たる部分にも積極的に触れながら検討していく。本稿ではまず,コーン(Kohn)の分類に基づき,比較社会研究の類型を確認した後,具体的な研究事例に即して,アジア比較社会研究が何を目的としており,具体的に何を行っているのかを,知見の導出プロセスにまで踏み込みながら考察する。さらに計量的な比較社会研究には,調査票の翻訳過程にも,社会間の微細な差異を見出し,それぞれの社会の特徴に関して新しい研究を進めるための契機が存在していることを,筆者が経験した2005年SSM調査プロジェクトの韓国調査を事例に論じる。また比較社会研究の契機は,さまざまな媒体を通じた社会間接触や社会間関係に着目することによっても得られることが示される。これらを通じ,大枠では類似しながら細部は微妙に異なる日本と他のアジア社会との比較研究は,私たちが自明視してしまっている想定や価値観の相対化を通じて,新たな研究を進めていくための契機をもたらしてくれるのみならず,理論的な貢献や,日本社会研究の国際発信への寄与など,多くの大きな意義を持つものと結論付けられる。

  • ──教育システム,「地位降下防衛機能」,不安──
    黄 順姫
    2021 年 108 巻 p. 39-65
    発行日: 2021/07/07
    公開日: 2023/04/08
    ジャーナル フリー

     本論文は,個人が取得した学歴を投資の視点からとらえ,日本と韓国において学歴を社会の構造と個人の実践の文脈で相対的に比較分析を行った。本研究の結果は,社会構造的,文化的,心理学的な時限において学歴の機能が両方の社会で重要な類似性と相違を表している。研究の結果,以下の知見が得られた。第一に,学歴インフレ,デジタル社会で,学歴は両方の社会で,取得者の社会経済的な地位が降下する可能性を最小化し防いでくれることである。学歴のこのような作用を,社会的「地位降下防衛機能」と称することにする。
     第二に,日本と韓国の教育制度・システムはそれぞれ固有の特徴がある。その社会的背景には,日本と韓国の社会で社会階層,不平等,教育機会の関係について固有の文化が存在しているのである。日本の高校教育では,偏差値の格差による学校別トラックシステムが存在し,同じ学校には学力の類似した生徒たちがいる。そのため,日本の高校は学校別トラックがあり,また,庇護移動,敗者復活の困難,集団主義の特性がある。韓国の高校教育では,日本のような偏差値によるトラックシステムがなく,同じ学校には学力の分布で明確な差異を見せる多様な生徒がいる。そのため,韓国の高校は,生徒の偏差値の多様性,トーナメントの競争移動,敗者復活,個人主義の特性がある。
     第三に,日本と韓国の社会的,文化的特性が女子生徒の大学進学率,及び4年制か2年制の高等教育機関への進学パターンに影響を及ぼしている。
     第四に,日本と韓国の高校では,将来について不安を抱いている生徒が約7割で多いのが共通している。日本では,生徒は格差トラックの同じ学校のなかで学歴の分布が類似しているので大学入試への激しい競争は低く,学業への不安を感じることは低い。むしろ,学内での人間関係における不安のほうが相対的に大きい。韓国では,学校別トラックがなく,ほとんどの生徒が大学進学を目指すため,大学入試による激しい競争による不安が相対的に高い。
     日本と韓国の教育社会学者は,投資としての学歴の視点から多様で持続的な研究と政策提言が必要であろう。

  • ──地域研究の視点から見た教育社会学──
    伊藤 未帆
    2021 年 108 巻 p. 67-86
    発行日: 2021/07/07
    公開日: 2023/04/08
    ジャーナル フリー

     本稿は,筆者の専門分野である地域研究の立場から,日本の教育社会学が直面する「専門」と「対象」のあいだの相克(異質性のディレンマ)への解決に向けて,これまでの視点をいったんずらしてみることの必要性を説いた。地域研究とは,西洋近代社会が作り出した伝統的な「専門」の枠組みでは対応できないような「異質」な事象に遭遇したとき,その「専門」の舞台設定や理論をどのように修正すればその事例を取り込むことができるかを提案しうる学問分野,すなわち「想定外」を「想定内」へと位置づけるための方法を模索するためのアリーナである。こうした視点から,教育社会学という「専門」に対し,ベトナムの事例から見えてくる具体的な「想定外」の例として,今日のベトナム大卒労働者の学校から職業への移行の過程で,①すでに廃止された「制度的連結」が雇用慣行の中で実践され続けていること,②同時に,家族・親族ネットワークに代表される社会(個人)ネットワークが労働者の能力を示すシグナルとして活用されている可能性があること,という二点を指摘した。

  • ──比較教育学の視点から──
    南部 広孝
    2021 年 108 巻 p. 87-107
    発行日: 2021/07/07
    公開日: 2023/04/08
    ジャーナル フリー

     本稿は,日本における比較教育学研究の動向を手がかりとしつつ,アジアの教育に関する研究を展開する意義や可能性について考えようとするものである。アジア諸国は,それぞれ独自の歴史や伝統を有するとともに,国民国家を形成する過程で欧米由来の制度を外部から取り入れ,それを自らの社会にあうように調整してきたり,新たな制度を作りだしたりしてきた。そうしたアジアの国や社会における教育制度や教育現象を当該社会の文脈にそって全体的に把握するとともに,他の国や社会との比較やグローバルな視点からの検討を行うことを通じて,教育のあり方を考えるうえでより多くの,多様な手がかりが得られるようになる。その際,欧米社会を基礎にして組み立てられた理論を比較の作業に組み込んだり,一つの国や社会,地域の教育制度や教育現象を対象とした,当該国を含む複数国の研究者からなる国際共同研究を組織したりして,比較のための複数の視点を確保することで,教育事象をより総合的に理解することができるようになる。他方で,比較の前提として,対象とする国や社会と自らとの関係をどのように措定するのか,また国としての一体性やアジアとしての共通性(類似性)をどのように認識するのかについてはより自覚的であることが求められる。

  • シム チュン・キャット
    2021 年 108 巻 p. 109-122
    発行日: 2021/07/07
    公開日: 2023/04/08
    ジャーナル フリー

     本稿は,複線型教育を基盤とし国際学力調査で常に上位を占めてきたシンガポールから見た日本の教育のあり方について論じるものである。公的資料や先行研究だけでなく,メディアによる報道,シンガポール教育省のプレスリリースや教育相によるスピーチをもとに,日本の教育が同国でどのように語られているのかについて考察が行われた。
     まず,経済停滞している日本を,シンガポール人,とりわけ学力トップ層の高校卒業生が留学先として選ばなくなった現状と日本の大学が優秀な留学生を惹きつけるうえで直面する課題が検討された。次に,教育相によるスピーチで言及された,シンガポールが日本の教育から見習うべき良い取り組みと逆に教訓として学ぶべき失敗例が取り上げられた。最後に,PISAの生徒質問紙調査の結果から,多くの日本の生徒がシンガポールの生徒ほど数学を勉強することの楽しさも必要性も見出せずにいるだけでなく,生徒と教師の関係もそれほど良好でないことが示された。しかも,シンガポールの場合とは異なり,日本では学力による差が大きいことも明らかとなった。それにもかかわらず,日本がそれでもPISAで実績を残してきたことから,日本の生徒には相当の努力が求められることが推測された。
     以上を踏まえて本稿の結びでは,日本におけるスーパーグローバル大学の課題,学力格差に対する処方箋の欠如およびメリトクラシーの方程式に関する再考の必要性が指摘された。

  • ──日台比較教育研究の目的と意義──
    劉 語霏
    2021 年 108 巻 p. 123-138
    発行日: 2021/07/07
    公開日: 2023/04/08
    ジャーナル フリー

     国際比較が盛んなグローバル社会の中,台湾では,日本教育への研究関心は常に高い。これまでの教育改革では,アメリカを中心とした欧米圏の教育からの影響が高かったが,近年,「学びの共同体」をはじめとする日本の教育からの影響も無視できなくなっている。本稿では,比較教育学の視点から,日台比較教育研究の目的と意義を再吟味し,今後の可能性を明らかにすることを目的とする。分析の結果,比較教育学における方法論の論争の中で,地域的に限定され,文化的な類似性を前提にした「統制された比較法」による日台を含むアジア圏の国々との比較教育研究は,その解決の糸口になれると考えられる。さらに,先住民教育政策という事例分析を通じ,日台比較教育研究から見出せる両国の特徴から,相互の教育改革への一定の示唆を与えることも期待できる。

論稿
  • ──災害共済給付制度における運用上の変化に着目して──
    今井 聖
    2021 年 108 巻 p. 141-161
    発行日: 2021/07/07
    公開日: 2023/04/08
    ジャーナル フリー

     「学校の管理下の災害」に対する補償・救済のために,日本スポーツ振興センターの災害共済給付制度がある。児童・生徒が死亡した場合に,この災害共済給付制度にもとづいて遺族に支給されるのが死亡見舞金という給付金である。
     本稿では,〈子ども〉の自殺に対する死亡見舞金の給付はいかになされてきたのか,また,その制度はいかに変化してきたのかを問う。これらの点を問うことで,〈子ども〉の自殺をめぐる補償・救済の論理を検討し,〈子ども〉の自殺と学校の関係についての社会の認識を考察することが目的である。
     分析部では,「社会問題の構築主義」の立場から,制度の運用に関わる以下の変化を明らかにする。第1に,1970年代後期,〈小学生〉による学校での自殺事件を契機に,「学校の管理下の災害」としての〈子ども〉の自殺が成立したこと。第2に,〈中学生〉の「いじめ自殺」事件を契機に,「学校の管理下の災害」としての自殺の範囲が拡大したこと。第3に,〈高校生〉の自殺に意志を想定する規定が争点化した結果,〈高校生〉による「故意」による自殺でも例外的に補償・救済の範囲に含まれる場合が見られるようになったことである。
     以上の分析知見をもとに,〈子ども〉の自殺をめぐる社会の認識に変化が見られたこと,またそれが〈子ども〉の自殺という社会事象の「学校問題」化の具体的過程であることを論じる。

  • ──道徳教育特有の困難性に関するシステム論的考察──
    劉 博昊
    2021 年 108 巻 p. 163-183
    発行日: 2021/07/07
    公開日: 2023/04/08
    ジャーナル フリー

     本稿の目的は,Luhmannのシステム論の視座から教育システムと道徳との関係を分析することで,道徳教育特有の困難性がいかに形成されるかを考察することにある。
     Luhmannのシステム論の視点からすれば,道徳と教育システムの両方との関わりを通して成立しているのが道徳教育である。したがって道徳教育をより全面的に捉えるには,教育システムだけでなく,システムを形成できないとされた道徳も視野に収めた上で,両者の相互関係を検討する必要がある。しかし,道徳教育に関する従来の考察は議論の焦点をもっぱら教育システムの側に絞ってきたため,道徳ないし両者の相互関係にあまり注目してこなかった。そこで,なぜほかでもなく道徳教育が,「道徳とはそもそも何なのか」や「道徳は教えられるか」に代表されるような,方法論の水準を超えた根源的な定義づけや成立可能性を問い直そうとする疑問や批判にさらされてきたかが十分に答えられないままにとどまっている。本稿では,Luhmannの教育システム論と道徳論を手がかりに,こうした道徳教育特有の困難性が形成されるに至るその理路の析出を試みる。
     Luhmannのシステム論に依拠して分析した結果,道徳教育の知識編成と習得過程のどちらにおいても,教育システム固有の作動様式の恣意性を観察可能にするような道徳・教育間の拮抗関係が解消され難く随伴しているという,道徳教育の特殊な構造が浮かび上がった。このことによって,道徳教育特有の困難性だけでなく,その存立機制そのものをもより全面的に把握するための一つの有効な視座が提供された。最後に,本稿で得られた知見を踏まえて今後の道徳教育論の方向性を指摘し,残された課題を示した。

  • ──小学校女性教員のライフヒストリーに注目して──
    佐藤 智美
    2021 年 108 巻 p. 185-206
    発行日: 2021/07/07
    公開日: 2023/04/08
    ジャーナル フリー

     学校女性管理職比率は,1990代に小学校を中心に本格的な上昇を示していたにも関わらず,2000年代半ば以降停滞・低下している。
     本稿の目的は,女性管理職比率の停滞・低下の要因について,「教育改革」下における女性教員の意識や経験の変容とそれらが管理職志向にもたらしている影響を明らかにすることである。
     調査対象とした大分県の小学校女性教員のライフヒストリー・インタビューを分析した結果,以下のような知見が得られた。
     ①「教育改革」下の多忙化は,男性教員より家庭責任の重い女性教員の方により多くの困難をもたらしていた。そのために,女性教員は,管理職試験の準備や昇任後の家庭との両立に危惧をもち,管理職志向を低下させていた。②女性教員は,「教育改革」下の管理職を,権威的な「管理者」「評価者」とみなし,それに対する親和性が低いため,管理職志向を低下させていた。③「教育改革」下の管理職の重責化に対して,女性教員は自らを力量不足と見なし,管理職志向を低下させていた。彼女たちは,男性教員の倍以上の努力や成果を示さなければ認められなかった経験を通して,女性管理職に対する厳しい視線を強く意識し,優秀な女性でなければ管理職は務まらないと見なしていた。
     これまで,「家庭との両立」「キャリアパスや登用過程」の側面から論じられてきた女性管理職の低比率や停滞の要因に,「教育改革」という政策の影響を付加することができたと言えよう。

  • ──貧困概念の運用と職業規範に着目して──
    栗原 和樹
    2021 年 108 巻 p. 207-226
    発行日: 2021/07/07
    公開日: 2023/04/08
    ジャーナル フリー

     本研究の目的は,小学校の教師へのインタビューデータから,教師が貧困概念をどのように用いているのか,その実践がどのような職業規範の運用のもとで可能になっているのかを明らかにすることである。
     「貧困と教育」研究は,貧困層の子どもが学校から排除される様相を明らかにしてきた。その中で,教師には貧困を認識することが求められる傾向にあるが,教師の視点から,「貧困」がどのような概念であるのかは看過されてきた。そこで本研究では「概念分析の社会学」の視角から,貧困概念の運用のあり方とそこで用いられている職業規範を検討した。
     分析結果は次の通りである。教師は,貧困を「遠く」のものとして説明することに加えて,貧困の要件を「貧」と「困」の重なりとし,「困」ではないと説明することで,スティグマを付与する貧困概念の使用を回避していた。そして,貧困概念は教師の実践と規範的な連関を持たず,その説明は教師の職業規範である「困」への焦点化規範の参照によりなされていた。さらに「困」への焦点化規範の参照により,貧困概念は教師にとって自身の職務の〈限定〉及び〈免責〉の機能を持つ概念として使用されていることを明らかにした。
     以上の結果から,本稿では教師に対して貧困を理解することを求めることが,貧困層の特別な処遇にはつながらないことを指摘した。また今後は貧困と他の概念の諸関係をより詳らかにしていくことの必要性を提示した。

  • ──療育の准専門家になることをめぐって──
    鶴田 真紀
    2021 年 108 巻 p. 227-247
    発行日: 2021/07/07
    公開日: 2023/04/08
    ジャーナル フリー

     本稿の目的は,自閉症と診断された子どもとその親に対する調査に基づき,療育を介して「自閉症児の親」が「療育を行う主体」として社会的に構成されていくあり様を描き出すことにある。
     まず,療育記録を分析し,親が「自閉症児の親」として社会化されていく際に,療育はどのような働きを担っているのかを検討した。その結果,療育記録における療育者のコメントが社会化機能を果たしていることを示し,療育を開始した当初は,療育者と親との関係は啓蒙受容関係が強くみられるが,その後親は「准専門家」としての特性を備えていくことを論じた。
     次に,成長した子どもにとって療育に期待する親の存在はいかなる意味をもつのかを,インタビューデータを通して検討した。幼児期を中心に「できなさ」に障害が帰属されていた子どもは,その後の学校生活においては「問題がない生徒」と捉えられていた。しかし親は,子どもに「障害」があるという認識を維持し,一方の子どもは,親の理解枠組から抜け出せる可能性を示しつつも,親が家庭における療育的志向を強化していくなかで,子どもの自己理解が親の解釈に回収される様子を描き出した。
     以上から,「療育の主体」として障害の克服可能性の観点から子どもをまなざし,家庭で療育を貫徹させる親のあり方を「小さな療育者」として提示した。

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