教育社会学研究
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86 巻
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特集
  • 加野 芳正
    2010 年 86 巻 p. 5-22
    発行日: 2010/06/30
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー

     この論文では,新自由主義=市場化の政策によって,教師の世界がどのように変わっていったのかを,4つの観点から述べている。
     第1は,教職の専門職性についてである。市場化の進行とともに,教職の脱専門職化が進行し,教職のサービス化が進行していった。そのために,教師の権威が失墜していった。他方で,教職大学院の設置にみられるように,教職の専門性を高めようという動きもある。したがって,近年の教員政策の特徴として,専門職化と脱専門職化というアンビバレントな動向がみられる。
     第2は,成果主義と教員評価についてである。2000年から東京都においては,教員に対する人事考課制度が導入された。教師の意欲や努力が報われ,評価される体制をつくることを目的としてのものだが,教える仕事を外形的に評価することには困難が伴う。逆に,教師の意欲が減退してしまう危険性もある。
     第3は,教職のサービス化と多忙化である。市場化によって,保護者や児童・生徒,企業などの発言力が高まり,その声をくみ取る形で,教員の仕事が忙しくなってきた。こうした教師の多忙さは,学校教育の質にも連動していくものであり,これへの対処が新たな課題として登場してきた。
     第4は,同僚性の衰退である。教員の同僚性は,学校での日常的なコミュニケーションを活発化させ,教員としての力量形成を向上させていくことに役立つ。しかし,一方では学校組織における官僚制の進行,他方では,教員世界におけるプライバタイゼーションの進行が,教員世界の同僚性を浸食していった。

  • ──教育労働論の構築に向けて──
    油布 佐和子
    2010 年 86 巻 p. 23-38
    発行日: 2010/06/30
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー

     教職における病気休職者増加を説明する理論が見当たらない理由の一一つは,教職を公務労働(教育公務員)として認識する視点が欠落していることによる。
     本論文では,第一に,感情労働論・ケアワーク論を手がかりに,共同体で営まれていた〈人を育てる〉という活動が職業となることについての問題を,クライアントとの関係という点から検討する。そこでは,教育的な関係や言説において,絶えず情緒や感情が重視されることの理由が示される。第二に,そうした子どもとの教育的関係が,公務員として雇われて働く「労働過程」のなかにおかれていることに起因する問題を,感情労働論の議論を借りて考察する。そして第三に,現在の新自由主義的な改革の中で,公務員改革の一貫として進められている教職の様々な改革が,教師の教育活動を変容させていること,しかしながら第四に,こうした趨勢に対応する抵抗主体としての教員集団が存在していないことの問題を指摘する。
     病める教師の増加は,教育という活動を共同体的な「教師一子ども関係」の認識にとどめ,「教育労働」に無自覚であることや,「小さな国家」への移行によって教育労働が変容しているという現状を認識できないことのなかで,自らに過重に責務を負わせたことから生じているといえる。
     教育社会学における教師研究は,教師がこうした状況や構造を俯瞰する視点を提供するという点で,他の教師研究と差異化して展開されるべきだろう。

  • 山田 哲也, 長谷川 裕
    2010 年 86 巻 p. 39-58
    発行日: 2010/06/30
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー

     学校への不信を背景に導入された近年の教員政策は,⑴教員の権威のゆらぎと,⑵職場同僚関係の変化を促す方向で展開してきた。本論文は,教員文化論の視角から質問紙調査データを分析し,⑴⑵を含む教員世界の変化の中で,教員の職業上のアイデンティティ(教職アイデンティティ)とその確保戦略としての教員文化がどうあるのかの把握を試みた。分析で明らかになった知見は以下の3点である。
     第一に,国際比較データを分析すると,いずれの国でも教職アイデンティティに教員としての成功感覚に裏打ちされた「安定」層と,教職上の困難による教育行為・教職観の揺らぎを意味する「攪乱」層の二層があることが明らかになった。
     第二に,他国とは異なり,日本の教員は上記の二層のそれぞれと結びつくことがらを相対的に切り離されたものと捉え,教職上の諸困難に直面する際にその一定部分を自分自身では対処不可能と見なすことで「安定」の動揺を回避する「二元化戦略」によって教職アイデンティティを維持していた。
     第三に,異なる時期に実施した調査結果を比較したところ,上記の教員世界の変化が,献身的教師像と求心的な関係構造が結びつくことで教職アイデンティティを維持していた従来の教員文化が衰退するなかで生じていることが示唆された。
     これらの知見を踏まえ,論文の末尾では,教員世界の個別化・自閉化や現状追認志向を回避するためには教員世界の外部に学校を開くことが重要であり,そのためにも不信を基調とした教員政策を再考する必要があると結論づけた。

  • ──錯綜する教師へのまなざし──
    山田 浩之
    2010 年 86 巻 p. 59-74
    発行日: 2010/06/30
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー

     本稿は,小説,映画,マンガなどに描かれる教師像を「熱血教師」を手がかりとして分析することで,教師への錯綜するまなざしを明らかにすることにある。「熱血教師」は現在のテレビドラマなどに見られる画一的な教師像であるが,これは現在も教師への信頼が強いことを示す。その一方で,メディアでは教師への批判が数多く報道されている。本稿ではこうした教師への信頼と不信の錯綜したまなざしと教師像の変化を検討した。
     「熱血教師」は1960年代に石原慎太郎『青春とはなんだ』で提出された教師像であった。その特徴は,教育への情熱,教師らしさの無さ,理想的人間像の他,教師と生徒の関わりに物語の重点が置かれていること,さらに児童生徒の私的領域に押し入ってまでの問題解決であった。こうした教師像は,日本の現実の教師の行為を反映したものでもあった。
     その一方で,1980年以降,マンガの中では児童生徒の私的領域に関わらない不良教師が描かれるようになった。このことは,現実の社会でも教師が児童生徒の私的領域に関われなくなったことを示している。それにもかかわらず教師には「熱血教師」として,なおも児童生徒の私的領域に関わることが求められている。
     以上の議論をもとに,教師に対するまなざしを多様化し,個々の教師の多様性に着目することの重要性を指摘した。

  • ──「教職のメリトクラシー化」をめぐる教師の攻防に注目して──
    金子 真理子
    2010 年 86 巻 p. 75-96
    発行日: 2010/06/30
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー

     本稿は,東京都立高校をフィールドに,「教職のメリトクラシー化」の改革動向をめぐる教師の攻防に注目することによって,教職という仕事のアンビバレントな社会的特質を読み解く試みである。以下では,東京都の教員施策と管理職・主幹職選考の現状をおさえた上で,教師を対象としたインタビューデータを分析する。
     教職という仕事は,二重の意味において,アンビバレントな社会的特質を有している。第一に,この仕事は,変容しつつある社会的要請(「外の目」)と,教師が教職経験の中で積み上げてきた経験知(「内の目」)との間の綱引きの上に成り立っている。第二に,学校という場は,人材の選抜・配分機能を担う側面(機能)のみならず,教師と生徒のコミュニケーションによって成り立っているという側面をあわせ持っている。教師は,多かれ少なかれ,以上の特質に起因する綱引きの上に立って仕事をしてきている。
     しかし,近年の改革動向は,教職という仕事のアンビバレントな社会的特質の片方の側面(「外の目」/人材の選抜・配分機能を担う側面)にのみ光が当てられ,もう片方の側面が無視されていると,教師たちは感じ,抵抗感を抱いている。一方で,教職という仕事のアンビバレントな社会的特質に迫りくるこのような力関係の変容は,教師がこの綱引きの上に立ち続けることを難しくさせている。最後に,教師がそこに踏みとどまって立ち続けることの意味を分析した上で,それを保証するためのしくみについて検討を加える。

  • ──市場化と再統制化──
    佐久間 亜紀
    2010 年 86 巻 p. 97-112
    発行日: 2010/06/30
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー

     本稿では,90年代以降の教員養成カリキュラムの変容とその問題点を,高等教育全体の改革動向に位置づけて整理した。先行研究において,教員養成論と高等教育論は乖離しがちであり,近年の高等教育改革が教員養成カリキュラムに及ぼした影響は,充分に検討されてこなかった。
     高等教育全体に市場原理を導入する90年代以降の改革は,教員養成大学・学部と教育委員会の「連携」を「融合」ともいえる状態にまで至らしめ,大学教育の質を向上させるという本来の意図とは裏腹に,教員養成カリキュラムの「矮小化」や「非学間化」を進行させていた。また,90年代にいったんは規制緩和に向かった教免法の改革は,00年代以降「再統制化」の傾向を強め,教員養成カリキュラムの「規格化」を進行させていた。そして教員養成大学・学部は,学生の成長を支援し教員を「養成」する機関から,国や地方自治体の求める規格や要望にあわせて教員を「供給」する機関へと変質しつつあった。これらの変化から,改革の意図とは裏腹に,輩出される教員の「質」が低下している可能性を指摘した。
     最後に,大学とは何かという共通理解が失われた高等教育界の現状を踏まえれば,先行研究の鍵語とされてきた「大学における教員養成」「開放制」という二語では,もはや近年の教員養成の変容を捉えきれなくなっていることを指摘した。その上で,今後の教員養成研究は,高等教育論に充分根ざしつつ探究される必要があることを論じた。

  • ──教育社会学は変動期の教師をどう描いてきたのか──
    越智 康詞, 紅林 伸幸
    2010 年 86 巻 p. 113-136
    発行日: 2010/06/30
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー

     本稿は,1988年〜現在までの教師の社会学に関するレヴューである。
     本稿の前半部分では,この20年間における「教師の社会学」における全体的な傾向性と新たに登場してきた方法の特徴について概観した。三つの重要な変化がみられた。第一は,教師研究に関する普遍的視座が失われたこと。第二は,研究手法の多様化が進んだこと。第三は,他のさまざまな研究領域との境界が曖昧化したことである。新しいアプローチとしては以下が注目される。
    1.教師に「なる」方法の研究としてライフコースアプローチ。
    2.社会の中の教師を観察する方法としてディスコース研究。
    3.教師の日常へのアプローチとして,ワーク研究。
    4.日本の教師の特徴を解明する方法として,国際比較研究。
    5.問題としての教師へのまなざしとして,学校臨床社会学研究。
     本稿の後半部分では,教師の社会学において明らかにされてきた基本的な知見について概観した。特筆すべきは次の二点である。第一は,教師の教育行為と社会・制度・理念を媒介する厚みを持った「教員文化」を戦略的なターゲットとする研究の蓄積が著しいこと,第二は,教師が教育過程(教育者的・理念的文脈)と労働過程(職場の条件,職業集団としての生き残り,雇用関係など)の二重化された文脈の交点に置かれていることに着目し,そうした二重性・ジレンマに派生する問題を,日本の学校制度や社会構造の特質,あるいは社会変動や教育改革と連動させつつ,解明する関心を巡って展開してきたことである。

論稿
  • ──階層による方略の違いに着目して──
    須藤 康介
    2010 年 86 巻 p. 139-158
    発行日: 2010/06/30
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー

     本稿の目的は,高校生の数学の学習に注目して,学習方略と学力と階層の関係を明らかにすることである。その際,PISA2003のデータを分析に用いる。定着確認方略・応用関連方略・手順暗記方略という三つの学習方略について分析を行ったところ,以下の三つの知見が得られた。
     第一に,学習方略の使用には階層差が見られるが,学習時間の階層差ほど顕著ではない。すなわち,学習方略の使用はそれほど階層固定的ではない。第二に,定着確認方略と手順暗記方略は学力に正の効果であるが,応用関連方略は負の効果である。これは「応用」力としてのPISA型学力のイメージに反する。第三に,学習方略の効果にはかなりの階層差が見られる。具体的には,定着確認方略は階層下位の生徒に対して効果が大きく,応用関連方略は階層下位の生徒に対して大きな負の効果をもたらす。応用関連方略が学力向上につながらない理由は,これまでの学習経験から,方略を有効活用できていないからかもしれない。
     本研究の実践的インプリケーションとしては,学校教育や教育行政は,生徒の学習時間の確保を推進するだけでなく,生徒の学習方略(特に定着確認方略や手順暗記方略)の確立を推進する必要があることが挙げられる。学問的インプリケーションとしては,教育社会学において,これまで研究対象としてこなかった学習方略に注目する必要があることが挙げられる。

  • ──実践家の語りにみる医療化プロセス──
    木村 祐子
    2010 年 86 巻 p. 159-178
    発行日: 2010/06/30
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー

     本論文は,少年非行がこれまでにはみられなかった診断で説明・解釈されつつあることに着目し,実践家(家庭裁判所調査官,法務技官,法務教官)が医療的・非医療的な解釈や実践を構成していく過程を明らかにした。研究方法は,実践家17名へのインタビュー調査である。
     第1節は,医療化と医療の不確実性に関する先行研究を概観し,非行の解釈や実践に医療と非医療が混在していることを示した。そして,諸障害が矯正の現場で普及した背景を整理した。非行の医療化は,医療の不確実性が実践家によって運用・管理されることで進行するため,それらを分析する必要があった。
     第2節は,インタビュー調査の概要を提示した。
     第3節では,矯正の現場に医療的な解釈が介入する過程を概観し,そこでみられる不確実性の特徴とそれらの運用・管理のされ方を検討した。第一に,非行少年は新しい診断で解釈されていたが,実践家は以前から少年を経験に基づいて医療的に解釈・対処しており,矯正における医療化はゆるやかに進んだ。第二に,非医療的な要素は,医療が介入した後も,医療の不確実性として表出した。それは,医学上の不確実性と組織上の不確実性に類型化できた。しかし,実践家はそれらを肯定的に意味づけたり,医療と非医療的な要素を戦略的に使い分け,医療的な解釈を実践の資源として用いていた。このように,不確実性が管理・運用される過程で構成されるものとして医療化現象を捉えていく必要がある。

  • ──学校区の階層的背景に着目して──
    伊佐 夏実
    2010 年 86 巻 p. 179-199
    発行日: 2010/06/30
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー

     本研究の目的は,異なる社会経済的背景をもつ2つの公立中学校を対象にした分析から,「現場の教授学」を形作る要因としての階層文化の影響に焦点をあて,それらと「学校のコンサマトリー化」の関係性について検討することである。
     対象となった北中と南中ではそれぞれ,生徒や保護者が異なる特徴をもつものとして理解され,こうした教師の解釈によって「現場の教授学」は構築されている。教師と生徒は互いにあまり立ち入らず一定の距離を保ちながら,教師による生徒への強制や命令的コントロールは極力避けられるべきものとして捉えられている北中に対して,南中では,教師が主導権を握り,生徒に対して体当たりで勝負することが求められる。ここから,北中では,「コンサマトリー化」と呼ばれる現象が進行しつつあるようにも見えるが,南中では,そうした図式は当てはまらないことがわかる。
     このような両校の違いについては,次のように理解することができる。まず,市場化や現代的な人間関係上の規範といったポストモダンな変容を学校にもたらしている社会的要因は,特に中産階級層において浸透してきており,そうした価値が学校に持ち込まれる際に生じる階層差によって,「学校のコンサマトリー化」の進行には違いが生じるということ。さらには,生徒の文化に歩み寄る形で構築される「現場の教授学」の性質が,「コンサマトリー化」を促進する働きをもっているということである。

  • ──実在と認知の乖離に注目して──
    内田 良
    2010 年 86 巻 p. 201-221
    発行日: 2010/06/30
    公開日: 2017/04/21
    ジャーナル フリー

     本稿の目的は,「リスク」の理論と分析手法を用いて,学校管理下における各種事故の「実在」,とくに事故の発生確率を比較することから,学校安全に関する今日的な「認知」のあり方を批判的に検討し,エビデンスにもとづいた学校安全施策を提唱することである。
     今日,学校安全の名のもと不審者対策に多くの資源が投入されている。いっぽう,学校における多種多様な事故を広く見渡して,事故の発生件数や確率を調べようとする試みは少ない。そこで本稿では多義的なリスク概念を手がかりに,次のように分析を進めた。
     まず社会学のリスク論から,リスクは社会的に構築されるという視点を得た。事故は「認知」に左右される。次に自然科学の方法から,事故の「実在」に注目して各種死亡事故の発生確率を算出した。その結果,不審者犯罪よりも発生確率が高い事故が多くあることが明らかとなった。
     学校事故の特殊性は,管理するという「決定」に,多くの主体(国,自治体,学校,保護者,地域住民)が容易に関与できる点である。このとき,「決定」はリスクをめぐるコミュニケーションを活性化させ,リスクに対する人びとの認知を敏感にさせていく。
     本稿が提唱したいのは,危機感が増幅し始めた早い段階においてエビデンスが参照されることである。事故を管理しようとする意志が多くの主体に増幅していく前に,「決定」の大きな権力を有する教育行政が,エビデンスにもとづいた「決定」をなすべきである。

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