教育社会学研究
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94 巻
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特集
  • 加藤 隆雄
    94 巻 (2014) p. 5-24
    公開日: 2015/06/03
    ジャーナル フリー
     「ポストモダン」論によって影響を受けた1980年代後半の日本の教育社会学を「ポストモダン教育社会学」と呼ぶことにする。それは,「モダン」としての教育・学校制度の異化に向かったが,アリエス,ブルデューと並んでインスピレーションの供給源となったのが,『監獄の誕生』におけるフーコーの「規律訓練」の視点であった。しかし,1990年代以降の教育システムの変動によって,異化の手法で捉えられた教育・学校制度の理解は不十分なものとなり,ポストモダン教育社会学の訴求力も低下していく。他方,フーコー研究においては,2000年代以降,規律訓練の概念が「生政治」論の一部であることが明らかになるのだが,1990年代以降の教育システムは,まさにこの生政治論的視点からよりよく捉えうることをフーコー理論を概略しながら論じた。
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  • 保田 卓
    94 巻 (2014) p. 25-43
    公開日: 2015/06/03
    ジャーナル フリー
     本稿の目的は,ヨッヘン・カーデがルーマン教育システム理論をどのように批判的に継承しつつ発展させてきたかを跡づけ,それを踏まえて理論的考察を行うことである。カーデによれば,現代の教育システムは学校という組織の枠を越えて普遍化した機能システムであり,全体社会に流通する知識から[媒介可能]としてフィルタリングした《知識》を,成人を含む被教育者に媒介することで知識の習得に寄与し,ライフコース形成を促す教育コミュニケーションのネットワーク型システムである。教育システムは心理システムにおける個人の習得に,これをコミュニケーション上の習得と関係づけることで間接的にアクセスしうる。また教育システムは全体社会のメディアとしての【ライフコース】の存在を前提とし,〈媒介〉と〈選抜〉の二つのコードをもち,それによって全体社会において存続・安定化する。ルーマンが教育システムの一体性を象徴するとしてきた「教育意図」もこれらのコードとの関連で理解でき,またこの両コードをそれぞれ【ライフコース】メディアの事象次元・社会次元における具体化と捉えた場合,時間次元のコードとして[展望的/回顧的]を想定できる。一方カーデは【知識】と【修了証】を教育システムのコミュニケーション・メディアとしているが,これについては疑問が残る。
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  • 中村 高康
    94 巻 (2014) p. 45-64
    公開日: 2015/06/03
    ジャーナル フリー
     本稿の目的は,ポストモダン論とは一線を画し,現代を近代社会の延長線上にあるものとして考える「後期近代の理論」が近年注目されてきたことを受け,その理論が教育社会学において持つ意味と可能性を検討することにある。特に,本稿ではギデンズのハイ・モダニティ論を,単なる現代社会論としてではなく,理論としての発展可能性の観点から考察を加える。
     具体的には,①現代社会論と社会学理論の区別を明確にした場合,ギデンズの一連の著作をヒントに,両者をリンクさせる視点が重要であること,②そうはいえどもギデンズ社会学の限界も十分踏まえておく必要があること,③ギデンズの理論的著作においては,他の多くの理論社会学者と異なり,教育についてあまり言及がないが,そのことはむしろ教育社会学にとっては理論の更新可能性をもたらしていること,④これまでは十分に活用されていないが,ハイ・モダニティ論に内在されている空間論的視点が発展可能性を秘めていること,の4つの視点を提起した。
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  • 高野 良一
    94 巻 (2014) p. 65-89
    公開日: 2015/06/03
    ジャーナル フリー
     日本でも学際的に社会関係資本の研究が進み,研究は中間総括期に入っている。本稿もささやかな知的企てを通して,この中間総括の一端を担いたい。その企てとは,社会関係資本の理論的な原型といえる言説を取り上げて,その理論装置を分解し組み立て直すことだ。パットナム,ブルデュー,コールマンの言説を理論的原型と見なすことに,異議は出ないだろう。だが,彼らの理論装置を比較し,その交錯(共通点と対立点)を整理する知的作業は皆無に近い。小論では,資本の性格付け(捉え方・扱い方),社会関係資本の位置付け(外延),構成要素(内包)の諸点からその装置を解析し,彼らの理論的特質の抽出を図った。その結果,コールマンを物象的親ネットワーク論と,ブルデューをハビトゥス「再生産」ゲーム論,パットナムを参加・互酬・信頼「三位一体」論であると総括した。加えて,ヒューリスティックな言説分析の中から,エートス,ハビトゥスや心の習慣という一群の理論的・思想的カテゴリーを再発見した。エートスの社会存在論は,教育目的,教育実践や教育改革の根幹である主体像を問い直し再構築を迫る。ハビトゥスは教育分野でも旧知に属するイシューであるが,エートス論と交差させれば脱構築への道も開ける。社会関係資本とエートスは,教育の社会理論を進化させる「可能性の中心」となる光源に他ならない。
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  • 田原 宏人
    94 巻 (2014) p. 91-112
    公開日: 2015/06/03
    ジャーナル フリー
     教育において平等をいかにして実現するか。数多の研究がこの課題に取り組んできた。だが,苅谷剛彦によれば,日本における教育の平等を求めるレトリックはきわめて特異であり,「能力主義的差別」という言い回しは,彼の見るところ,一種の範疇錯誤である。以来20年,平等主義者たちはこの批判にうまく対応しきれていない。本論文は,教育の内外における分配の正義に関する諸論点を論じる。そのさい,平等主義,優先主義,十分主義(適切性)という異なる三種の分配原理に着目する。平等が教育における正義の重要な価値であるとしても,それは一つの価値に過ぎない。いかなる原理に基礎を置くかに応じて,何をいかに分配すべきかに関する規範的な判断は変わってくる。よって,本稿は,各原理の相違点と,その含意を理解するために,それぞれを支持する論者たちによって繰り広げられている論争に多くの紙数を費やしている。結果,分配の正義に関する今日の知見に照らすならば,40年前の教育実践集に記録されたバナキュラーな声には,大方の予想に反して,平等だけではなく,十分性が,そして時として優先性が,教育における正義の要求であるとの実践感覚が,暗黙裏に反映されていた,ということが明らかになる。彼らには,望ましい教育を構築するために利用可能な言語的資源が欠けていたのである。
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  • 佐々木 宏
    94 巻 (2014) p. 113-136
    公開日: 2015/06/03
    ジャーナル フリー
     現代福祉国家を構成する生活関連の諸施策(本稿では一括して「社会福祉」と呼ぶ)とそれにまつわる知は,学校教育,医療,司法の営みと同じく,20世紀後半にモダニズム批判として登場したポストモダニズムの諸論から「近代の抑圧的統治の装置」として,しばしば批判されてきた。本稿では,ポストモダニズムからの批判に対し,社会福祉政策とソーシャルワークにかんする諸理論がどのように応答してきたのかを整理した。この作業のねらいの一つは,ポストモダン以降の社会理論の可能性を検討することである。と同時に,日本社会において近年ますますその存在感を増している社会福祉という営みの内省の試みでもある。このような目的をおき,まずは,ポストモダニズムによる社会福祉批判を概観した。次いで,社会福祉からの応答を,社会福祉学の中核の動向と社会福祉という営みを哲学的に下支えする規範理論の動向に分けて整理した。これらの作業を通じては,ポストモダニズムからの批判に対する様々な応答のなかで,民主的対話の実現によって社会福祉の営みと知を常にオープンエンドにし続けておくという,「参加」を鍵概念とする応答が最も建設的であることが浮き彫りとなった。この点を確認した上で,「参加」を鍵概念とする応答が示唆している,後期近代における人間と社会をめぐる思考が錨を下ろすべき場の所在を,ポストモダン以降の社会理論の可能性として指摘した。
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  • 吉田 文
    94 巻 (2014) p. 137-149
    公開日: 2015/06/03
    ジャーナル フリー
     本論文の目的は,第1に,本号の特集の趣旨説明を行い,第2に,特集論文の内容をまとめ,それらに共通する新たな方向性を模索し,第3に,近年の欧米の教育社会学研究の理論に対するスタンスについて概略を提示することにある。
     第1に,教育社会学研究におけるポストモダン理論の流行後,2000年代に入ると理論の拡散状況が生じている。そのなかで本特集では,教育社会学の理論の新たな可能性を,教育の近接領域にも拡大して検討することを意図した。
     第2に,具体的には,1.ポストモダン理論の現在,2.ギデンス,ルーマンの理論の可能性,3.社会哲学,社会福祉学などの近接領域の理論の,教育を分析する際の有効性の3点を検討することとした。6本の論文からは,1.教育の射程を生涯教育に拡張して理論化すること,2.ベックなどが提唱する「個人化」という視点が不可欠になっていること,3.市民という政治主体とその形成に関する教育の役割への着目が,3つの共通する新たな方向性であることが明らかになった。
     第3に,イギリスの教育社会学では,2000年代中頃まで主流であった文化的転回論から,近年では伝統的な「政治算術」が復活し,しかしそこに主体的行為を組み込んだ理論化が図られている。アメリカでは量的研究が主であり,理論不在の状況があることが指摘されており,英米における理論の扱い方は異なるようだ。
     こうしたなか日本の教育社会学研究が,理論をどのように扱っていくのか,それが問われている。
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論稿
  • 森 一平
    94 巻 (2014) p. 153-172
    公開日: 2015/06/03
    ジャーナル フリー
     本稿の目的は,授業会話における順番交替組織の一側面を明らかにすることである。小学校の授業会話においては,教師から児童たちへと発言の順番が移行するさい,主に一斉発話と挙手によってこれが成し遂げられる。しかし両者は,ともに同じく教師の質問によって児童たちに要求される。では,授業会話の参与者たちはいかにしてこの2種類の要求を区別し,またいかにしてそれに応えているのだろうか。本稿はこの問いを解くことを通して,上記の目的を果たそうとするものである。
     分析の結果明らかになったのは次のことである。第1に教師は,基本的にはsK+質問と sK+/K-質問という2種類の質問を使い分けることによって,一斉発話と挙手の要求をそれぞれ区別していた。第2に児童たちは,事前の発言をきちんと聞いていたことを示しうるような適切なタイミングで挙手を開始していた。第3に,教師の要求に対して児童たちが誤った,あるいは分散した反応を示してしまった場合には,これを事後的に適切な反応へと方向づける付加的な技法が用いられていた。
     一斉発話と挙手は授業会話において,その限られた発言の機会を児童たちへとなるべく公平に行き渡るよう分配するための,あるいは授業全体をより効果的なしかたで組織するための,有益な道具として用いることができる。本稿の知見は,この2つの道具を区別し使い分けるための,基礎的な技法を明らかにしたものである。
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  • 石岡 学
    94 巻 (2014) p. 173-193
    公開日: 2015/06/03
    ジャーナル フリー
     本研究の目的は,1920年代日本の中等学校入試改革論議における「抽籤」に関する言説に照準し,「抽籤」に対する賛否の対立軸の分析を通して,選抜の公正性がいかに捉えられていたのかを解明することである。
     1章では,公平性と正当性の二要素から構成されるものとして選抜の公正性を概念定義した。その上で,1920年代の中等学校入試に関する先行研究を検討し,これまで等閑視されてきた「抽籤」をめぐる議論を分析する意義について論じた。
     2章では,1920年代に中等学校入試が社会問題化した背景について論じた。入試改革には,準備教育の軽減・入学難の解消・的確な能力選抜という3つの問題の解決が期待されていたことを述べた。
     3章では,従来の入試にかわる入学者決定法としての「抽籤」に関する議論を分析した。賛成論の多数派であった条件付き賛成論は,先天的素質の差異は固定的・恒常的だとする能力観を基盤に,大多数の中位者に対する能力判定は困難とする認識に立脚していた。一方,反対論は能力の伸長可能性を前提としており,人為的選抜の技術的な限界に対する意識は希薄であった。
     4章では,1927年に行われた文部省の入試改革における「抽籤」の位置づけについて論じた。人為的選抜の困難性という認識が,実際の改革においても引き継がれていたことを明らかにした。
     5章では,選抜の公正性という問題に対して「抽籤」論が持つ含意について考察した。
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  • 小川 和孝
    94 巻 (2014) p. 195-215
    公開日: 2015/06/03
    ジャーナル フリー
     本研究の目的は,高卒者の初職への入職に関して,高卒者側と雇用主側の双方の意思決定を区別した分析を行うことである。特に,これまで高卒就職の重要なメカニズムとして指摘されてきた,学校推薦の仕組みについて,雇用主が高卒者を採用する上で重視しているのかどうかを,「2005年社会階層と社会移動全国調査」によって検証する。
     分析に際しては,個人データから高卒者と雇用主の潜在的な意思決定を同時にモデル化する,partial observability プロビットモデルと呼ばれる手法を用いて,高卒者側と雇用主側のそれぞれの振る舞いに影響する変数を区別する。
     分析の結果,初職が正規雇用と大企業・官公庁の場合において,学校推薦の入職であることは,雇用主の判断にプラスに影響していた。また,経済不況後に入職したサンプルに限定した分析では,初職が大企業・官公庁の場合には学校推薦は雇用主の評価に影響を持たなくなっていたが,正規雇用の場合には依然としてプラスの影響が見られた。これらの結果は,高校段階において形成される技能の特定性が低い日本では,学校推薦のように観察されやすい属性が,高卒者の能力評価の重要なシグナルとして実際に雇用主に対して働いていることを示唆する。
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  • 齋藤 崇德
    94 巻 (2014) p. 217-236
    公開日: 2015/06/03
    ジャーナル フリー
     本論の目的は二つの制度的圧力下にあった戦後日本におけるキリスト教系大学の成立と適応のメカニズムを明らかにすることにある。まず,高等教育組織の成立と適応の意味を明らかにし,次に国際基督教大学の事例研究からそれら概念を実証する。国際基督教大学は,戦前に歴史を持たず,またキリスト教と高等教育という二つの制度下にあったという意味で特徴的な事例である。
     第一に,高等教育組織,その環境,そしてその適応という概念を明らかにする。高等教育組織とは制度化された公式組織であり制度的源泉に依存する。その環境とは集合的に制度的生活の認識された領域を構築する組織フィールドであると言える。そして,組織は文化・認知的概念,とくに制度的論理によってフィールドに適応する。
     第二に,戦後日本における国際基督教大学の成立と適応のプロセスについて論じる。国際基督教大学は,既存のキリスト教系大学と占領期という,二つの制度による環境の複雑性を抱えていた。国際基督教大学は,学問的卓越性と日本の「発展」という論理を使用して,この複雑性を処理した。
     国際基督教大学の成立と適応の分析を通じて,組織と環境間における文化・認知的概念を通じた制度的メカニズムの存在が示唆される。
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  • 神村 早織
    94 巻 (2014) p. 237-256
    公開日: 2015/06/03
    ジャーナル フリー
     近年,学校教育における社会経済的格差の存在が広く可視化され,格差克服をめざす学校改善など,課題意識を持った研究が広まっている。しかし,日本の教師教育研究の多くは未だに社会的文脈から遊離しており,学校における格差の存在も,それと格闘する教師の姿もみえないままである。
     本研究は,教師の役割認識と資質能力としての共感性について,校区の社会経済的格差(格差高位群・格差平均群)の差異に着目して質問紙調査を行い,格差高位群の教師の特徴を明らかにすることを目的としている。
     本研究により2点の知見が得られた。第1に,格差高位群の学校の教師は,「人間関係・生活背景サポート役割」も「授業力で学力向上役割」も高く,また,高度な「両向型」共感性を備えており,その特徴を【生活背景支援役割志向性の強い「全力型」教師】と名付けた。第2に,格差高位群の学校に配属された初任者は,初任前期から初任後期にかけて,「人間関係・生活背景サポート役割」の因子得点も,「両向型」共感性の出現率も有意に高くなっており,格差高位群の学校が教師の育成にとって重要な環境要因となっている可能性を示唆するものであった。
     今後は,これらの知見をもとに,若い教師たちが,教科指導に偏重した限定的役割志向に陥ることなく,生活背景に困難のある子どもを支援し,格差克服をめざす学校づくりの担い手となるような教師教育の在り方を研究する必要がある。
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  • 長谷川 哲也, 内田 良
    94 巻 (2014) p. 259-280
    公開日: 2015/06/03
    ジャーナル フリー
     本研究の目的は,大学図書館の図書資料費に関して,大学間の格差の実態とその推移を明らかにすることである。資料の電子化という地殻変動のなかで,大学間の格差はどう変容してきたのか。図書館研究と高等教育研究はいずれもこの問題を等閑視してきただけに,格差の全体像を丁寧に検証することが求められる。 とくに高等教育の資源格差は,各大学の機能の相異として是認されうるため,本研究では4つの視点──大学間の不均等度,大学階層間の開き,時間軸上の変化(縦断的視点),大学本体との比較(横断的視点)──を用いて多角的に分析をおこなう。分析には『日本の図書館』の個票データを用いた。国立大学法人化以降(2004-2011年度)の図書費,雑誌費,電子ジャーナル費に関して,「大学間格差」(個別大学間の不均等度)を算出し,さらに「大学階層間格差」(群間の開き)を明らかにした。
     主な知見は次のとおりである。第一に,電子ジャーナル費では大学間の不均等度は縮小しているものの,階層間格差はむしろ拡がっている。これまで電子ジャーナルの購読では階層間格差は小さくなると考えられてきただけに,重要な知見である。第二に,雑誌費では大学間の不均等度が高くなり,さらに階層間格差が拡大するという,深刻な事態が生じている。「電子化」の背後で進むこれら図書資料費の「格差化」にいかに向き合うかが,大学図書館の今後の課題である。
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  • 山本 晃輔
    94 巻 (2014) p. 281-301
    公開日: 2015/06/03
    ジャーナル フリー
     グローバリゼーションを背景として,人の国際移動は質・量ともに大きく変容した。国際移動が多様な姿を見せるにつれて,我が国においても人の国際移動と教育に注目があつまるようになった。本稿では,ブラジルへ帰国した日系ブラジル人の子どもたちに焦点を当て,日本とブラジルを移動する彼らの将来展望の多様性を事例に,「移動の物語」という観点からグローバリゼーションと教育の問題についてアプローチすることを目指した。
     本稿では帰国した日系ブラジル人のうち,計画的に帰国した「デカセギ型」家族を抽出し,親の高い教育期待とその取り組みについて概観した。
     次に,親の教育と期待を受けてブラジルで大学進学していく子どもたちを見出した。ブラジルで大学へと進学した子どもたちは,日本での体験にピリオドをうつ「切断」の物語に特徴がある。他方で,親の期待や配慮とはうらはらにブラジルでの教育達成を目指さない・目指すことができなかった子どもたちがいる。なかでも再渡日を目指す子どもたちの特徴は,いまもなお日本との移動が継続し「接続」しているという語りにある。
     そして,子どもたちの帰国後の将来展望と進路選択が分岐する要因として,言語能力や学校適応などと並び,帰国後に構築される「移動の物語」が大きな影響を与えていることを明らかにした。
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  • 嶋内 佐絵
    94 巻 (2014) p. 303-324
    公開日: 2015/06/03
    ジャーナル フリー
     本研究の目的は,日本と韓国の高等教育における英語プログラムへの留学に関し,先行研究による国家的枠組や経済的視点を中心としたプッシュ・プル要因が提示できなかった留学動機を明らかにし,東アジア地域における新しい留学の形を留学生の視点から描き出すことである。研究方法として,日韓の名門国私立大学における9つの英語プログラムで,東アジア諸国からの正規留学生への質的調査を行い,その留学動機と留学の要因を多面的に探った。インタビュー分析の結果,留学に至るまでの要因は,既存の国家の枠組を基本にしたプッシュ・プル要因だけでなく,西洋英語圏における高等教育の優位性に基づくセカンドチャンス型やステッピングストーン型の要因など,分析枠組における「西洋英語圏」との比較軸の必要性が示唆された。また,国際化したキャンパスや事前の留学経験の中で生まれた人々とのつながりなど,ナショナルプッシュ・プル要因の多様化が見られた。さらに,これらの英語プログラムが「地域」という留学空間を含有していることでリージョナルなプル要因が生まれ,高等教育の地域化と「東アジア周遊」という新しい留学の形をもたらしていることも示唆された。このような留学生移動と多様化する留学動機を踏まえ,日韓の英語プログラムがどのようにしてその魅力を打ち出し,留学生を惹き付けて行くことができるのか,さらなる研究と議論が望まれる。
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  • 石田 賢示
    94 巻 (2014) p. 325-344
    公開日: 2015/06/03
    ジャーナル フリー
     本稿では,「制度的連結論」の理論的枠組みに関するこれまでの論点を整理したうえで,学校経由の就職が若年者の初職離職リスクに与えた影響の趨勢を分析した。日本における学校から職業への移行過程において,若年者と労働市場を媒介する役割を学校が果たし,制度的連結の仕組みが日本の若年労働市場の成功の重要な要因だと考えられてきた。一方,1990年代以降の労働市場の構造変動期に,制度的連結が機能不全をきたしたという議論がなされるようになった。
     制度的連結について対立する2つの立場はいずれも一般化されたものであるといえる。しかし,学校経由の就職とジョブ・マッチングの関係のトレンドを直接に明らかにした研究はそれほど多くない。そのため,本稿では1995,2005年SSM 調査の合併データを用いたイベントヒストリー分析によって,制度的連結効果の趨勢を検討した。
     分析の結果,高卒者については1990年代以降に初職を開始した場合,制度的連結論の仮説が支持された。また,学校経由の就職の利用にはメリトクラティックな基準が作用していることも明らかになった。労働市場全体が不安定である時期に制度的連結は高卒就職を保護するようになったが,学校経由の就職の規模の縮小も同時に進んでいる。制度的連結は,それを利用できない層を生み出しながらその機能を維持しているといえる。また,中卒,大卒就職では仮説が支持されず,制度的連結概念自体の検討も必要である。
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