教育社会学研究
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96 巻
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特集
  • 酒井 朗
    2015 年 96 巻 p. 5-24
    発行日: 2015/05/29
    公開日: 2016/07/19
    ジャーナル フリー
     本論文は社会的排除と社会的包摂の観点から,現代日本における社会と教育の関係や教育の各領域で見られる課題について検討する。多くの先進産業諸国では,さまざまなセクターが相互の連関に問題を生じさせており,十分な社会的統合が達成されなくなっている。J. ヤングは,こうした社会体制の全体的な変貌を排除型社会の到来だと指摘した。排除型社会において教育は,社会問題に対処するための人生前半期の社会保障の1つとして注目されているが,その一方で,そのような社会の到来は,実際の学校教育や子どもの生活や学習に大きな影響を及ぼしている。すなわち,今日,学校は労働市場と円滑に接続することができず,一群の人々は社会に対して十分な参加を得られずに大きなリスクを負っている。
     また,学校教育は,そのシステム内部に累積的な排除の初期段階のプロセスを抱えている。本論文では不就学や高校中退,長期欠席などの「学校に行かない子ども」の問題について,それらが社会的排除の初期段階になりうるという問題関心から,その実態について検討した。
     社会的包摂にとりくむ上で学校教育がなし得ることは,リスクの高い子どもに対して関心を高め,関係機関が連携していくことや,社会的排除の観点から教育制度を精査して改革を図ることである。質保証が叫ばれている高校教育についても,社会的包摂の観点から具体的な提案をなすことが求められている。
  • 長谷川 裕
    2015 年 96 巻 p. 25-45
    発行日: 2015/05/29
    公開日: 2016/07/19
    ジャーナル フリー
     本稿の課題は,新自由主義時代へと社会のあり方が変容する中で,生活困難層の子育て・教育,生活にいかなる変化が生じているかを検討することである。生活困難層の子育て・教育,生活の実態は,私たち共同研究グループが,北日本の大都市B市のある大規模公営団地の居住者を対象として,1990年前後及び2010年前後の2回にわたって実施した調査によって得られたデータに基づいて把握した。その際,社会哲学者の後藤道夫の大衆社会論に依拠し,大衆社会統合と新自由主義的諸施策によるその再収縮という観点から社会の変容を捉えた上で,生活困難層の子育て・教育,生活の実態の変化の性格を掴もうと試みた。
     大衆社会統合は,全体社会の既存秩序に適合的な一定の生活様式を,大衆に自明視させることによって成立する。日本の大衆社会統合の場合,個別家族ごとに,その諸局面で競争的関係に組み込まれつつ働き暮らすという社会標準の示すところが,その自明視された生活様式であった。
     1990年前後の調査時には, A団地居住の生活困難層にもこの社会標準の自明性がかなりの程度浸透しており,そのことによる統合がかれらにも及んでいた。2010年前後の調査時には,従来の社会標準は揺らぎを見せるようになっていたが,それに基づく働き方・暮らし方に代わって現実的に広範に存立可能な新たなものが見出されているわけではなかった。生活困難層は,個々の個人・世帯で日々の生活やその困難にやりくりをつけようとして,結局のところ依然として統合の下にあるというのが,この時点の実相だった。
  • ―中退後の進路選択とその要因に関する調査から
    古賀 正義
    2015 年 96 巻 p. 47-67
    発行日: 2015/05/29
    公開日: 2016/07/19
    ジャーナル フリー
     高校中退者がワーキングプアになりやすいことは,多くの研究が実証するところである。排除型社会が進展する今日の日本社会では,中退者が社会参加していく包摂の道筋は容易でなく,将来への「液状不安」を訴える事例さえ存在する。そこで,都立高校中退者の退学後の移行に焦点化した悉皆調査を実施した。
     その結果によると,①中退理由の中心には,学校ハビトゥスとしての「生活リズム」の乱れがあげられ,自己の未達成による中退という理解が強い。②ひとり親家庭が多く,かつ就学の相談・援助的行動や文化資本が欠如している者が多い。③中退後に何らかの学習・就学活動に向かう者は半数におよび,学校に復帰した者も3割に達する。他方,非正規の単純労働となりやすい就労行動を8割以上の者が経験している。移行を模索する期間が2年ほどを経て平均6か月もある。④しかしながら,高校タイプによって違いがあるが,概して学習指向が減退し就労指向が急速に強まる。⑤リスクへの一定の不安はあるものの,全体に支援機関の利用度は非常に低く,直接的な経済的援助・無償による学習や職能開発などの支援を求めている。
     以上,在学した高校や家庭等の資源や経験知に依拠した中退者の進路選択が行われやすいものの,それを活動に移すための「ケイパビリティ」(将来的な移行可能性への媒介となる環境)が重要になるとみられる。相談・支援できる他者との関係づくりを介して選択のチャンスを活かせる環境作りが求められる。
  • 大内 裕和
    2015 年 96 巻 p. 69-86
    発行日: 2015/05/29
    公開日: 2016/07/19
    ジャーナル フリー
     この論文の目的は,大学生の奨学金問題を検討することである。
     奨学金利用者の数は,1990年代後半以降に急増した。1990年代半ばまで,奨学金利用者の比率は全大学生の20%ほどであった。その後,2012年には全大学生の52.5%に達した。
     奨学金利用者の増加は,1990年代以降の4 年制大学への進学率の上昇を背景としている。女性の短大進学者が減り,高卒の就職者数も減少した。民間企業労働者の平均年収と世帯所得は,2000年~2010年にかけて急激に減少した。
     近年の奨学金制度の変化も,奨学金をめぐる社会状況に大きな影響をもたらした。1984年の日本育英会法の改定によって,有利子の貸与型奨学金が創設された。有利子の貸与型奨学金の増加に拍車をかけたのが,1999年4 月の「きぼう21プラン」であった。2004年に日本育英会は廃止され,日本学生支援機構への組織改編が行われた。日本学生支援機構は,奨学金制度を「金融事業」と位置づけ,その中身をさらに変えていった。
     この奨学金制度は,1990年代後半からの4 年制大学進学率の上昇に貢献したことは間違いない。しかし,この有利子を中心とする奨学金制度の拡充は,奨学金返済の困難という問題をもたらしている。
     現在の奨学金制度には改善すべき課題が存在している。第一に奨学金返還の困難を解決することである。第二に貸与型中心の制度から給付型中心の制度へと変えることである。
  • 上間 陽子
    2015 年 96 巻 p. 87-108
    発行日: 2015/05/29
    公開日: 2016/07/19
    ジャーナル フリー
     本稿は,風俗業界で働く若年女性たちの生活・仕事の中で直面する種々のリスクへの対処の仕方,その対処において果たす彼女たちの人間関係ネットワークの機能,そのネットワークの形成の背景,特にネットワーク形成において学校体験のもつ意味を捉えることを課題とした。
     本稿は,筆者らが取り組んでいる,沖縄の風俗業界とその界隈で働く若者への調査の対象者の中から特に2人の女性(真奈さん・京香さん)を取り上げ,それらの比較対照を通じて上記の課題を追究した。2人は,中学校卒業時点で学校社会のメインストリームから外れ,地元地域からも排除されていた点で共通する。だが,真奈さんは中学校時代不登校であり,同世代・同性集団に所属した経験をもたず,多少とも継続的な人間関係は恋人とのそれに限られていたのに対して,京香さんは中学時代地元で有名なヤンキー女子グループに属し,その関係は卒業後も続き,困難を乗り切り情緒的安定を維持する上での支えとなってきた。そして京香さんが仕事場面でのリスクに対処する戦術も,そのグループに所属する中で身につけた非行女子文化の行動スタイルを流用するものだった。
     2人のケースの比較検討から浮かび上がってきたのは,学校時代に保護された環境の下で人間関係を取り結ぶ機会としてその場を経験できることは,移行期に多くのリスクに直面せざるを得ない層の若者にとって,相対的な安全を確保する上で不可欠なネットワークを形成する基盤となりうるものであり,その意味は決して小さくないという点であった。
  • ―戦後日本の「排除型社会」への帰結の象徴として―
    韓 東賢
    2015 年 96 巻 p. 109-129
    発行日: 2015/05/29
    公開日: 2016/07/19
    ジャーナル フリー
     ヤング(Young 訳書,2007)は,欧米におけるポスト工業化社会への変化が,同化と結合を基調とする「包摂型社会」から分離と排除を基調とする「排除型社会」への移行でもあったと指摘する。一方,敗戦後,米軍の占領期を経て厳格なエスニック・ネイションとして再出発した日本では多文化主義的な社会統合政策が取られたことはなく,そのような意味での「包摂型社会」になったことはないと言えよう。にもかかわらず,日本でも1990年代から徐々に始まっていたヤングのいう意味での「排除型社会」化の進行は見られる。つまり,「包摂型社会」を中途半端にしか経由せず,そのためそこでの同化主義への処方箋である多文化主義も経由せずに,にもかかわらず「バックラッシュ」が来ている,というかたちで,だ。
     本稿ではこうした流れを,朝鮮学校の制度的位置づけ,処遇問題からあとづけていく。そこから見えてきたものは次の3 点であると言える。①仮に戦後の日本がヤングのいう意味での包摂型社会だったとしても,その基調は同化と結合ではなく,「排除/同化」――排除と同化の二者択一を迫るもの――であった。②2000年代には,このような「排除/同化」の基調を引き継ぎながら,にもかかわらず,「多文化主義へのバックラッシュ」としての排除を露骨化,先鋭化させた排除型社会になった。③そのような「排除/同化」,また2000年代以降の排除の露骨化,先鋭化において,朝鮮学校の処遇はつねにその先鞭,象徴だった。
  • 若槻 健
    2015 年 96 巻 p. 131-152
    発行日: 2015/05/29
    公開日: 2016/07/19
    ジャーナル フリー
     本稿では,排除の危機にある子どもたちを学校がいかに支え,育てようとしているのかを教育実践のレベルで論じていく。日本の学校教育は,総じて子どもたちの社会経済文化的背景から目をそらす傾向にある。しかし,関西の同和教育・人権教育では,排除の危機にある子どもたちを「特別扱い」し,かれらを中心にした集団づくり・仲間づくりと学力保障によって排除に対抗してきた。さらに,社会を生き抜くための実践的なスキルや知識の学習や社会を変えていくための学習が行われてきた。
     こうした排除に対抗する学校を,市民性教育によって概念化してみたい。市民性教育では,学校から排除されないために,共感的な学級集団(人権が大切にされた教育)が,社会から排除されないために「学力」(人権としての教育)と社会を生き抜くスキルや知識(人権についての教育)が構想される。そして,社会の方を変えていくためには,一人ひとりの小さな「声」を社会に届ける活動が求められる(人権をめざす教育)。その時,教師の役割は,パターナリズムを超え,子どもやマイノリティをはじめとした市民とともに学校を創り,社会を変えていく契機をつくっていくものになる。
  • ハヤシザキ カズヒコ
    2015 年 96 巻 p. 153-173
    発行日: 2015/05/29
    公開日: 2016/07/19
    ジャーナル フリー
     本稿は,学校エスノグラフィの手法をもちいながら,フルサービス・コミュニティ・スクールや拡張学校の特徴を,米,イングランド,スコットランドの比較からあきらかにしようとするものである。これらの3カ国では,財団の支援や国の政策によって,貧困削減や社会的包摂をめざす学校におおきな投資をしている。そして学校がマネジメントを拡大したり,あるいは,チャリティと協力したりして,子ども・家庭・コミュニティに多様なサービスを提供している。この貧困削減をめざすコミュニティ・スクールは90年代の米国のうごきが今世紀になって世界各国にひろまったものであるが,イングランド・スコットランドではそれが国全体へとひろげられた。サービスの一部には日本になじみのものもあるが,歯科医療,警察常駐,ギャング離脱など米や英に独特のものもある。さらに,親やコミュニティにたいするサービスとして,成人学習や親のエンパワメントがあり,本稿では3国3校の事例をつうじて,成人学習の内容やエンパワメントの手法をあきらかにしている。これらのコミュニティ・スクールは社会的包摂につながるあらゆるニーズにこたえようとするものである。貧困そのものをなくしたり,社会の構造自体を変革したりするものではないものの,貧困の帰結をかえて人びとの人生を変革することがあり,まなぶべき点はおおい。
  • ―ワークフェア・人的資本・統治性
    仁平 典宏
    2015 年 96 巻 p. 175-196
    発行日: 2015/05/29
    公開日: 2016/07/19
    ジャーナル フリー
     20世紀後半から進行する福祉国家の再編にともない,社会保障制度は,教育や訓練を通じて雇用可能性を高めることを目指すワークフェアとしての性格を持つようになってきた。このワークフェアは社会的排除を改善するベクトルと悪化させるベクトルを孕む。本稿の目的は,その分岐の条件を,主にイギリスのニューレイバーの「第三の道」の社会政策の検討を通じて,導出することである。
     ニューレイバーは,人的資本への社会的投資を通じた社会的包摂政策を掲げ,子どもの貧困や若年失業の改善に取り組んできた。それらは一定の成果を上げたと評価される一方で,批判的社会政策論からは,むしろそれが貧困家庭や脆弱性のある若者に対する抑圧や排除を深刻化させたと批判されている。問題の所在は,第三の道のワークフェアが,社会構造の転換によってではなく,個人のハビトゥスの矯正によって社会的排除に対応するように仕向ける統治性として性格をもっていた点にある。
     以上を踏まえて,社会的排除を避ける方向性が,福祉国家レジーム論や生産レジーム論の知見も参照しつつ,教育の内部と外部においてそれぞれ示される。ワークフェアは――教育と同様――成功可能性が確率に委ねられるゲームとしての側面を幾重にも有している。よって社会的排除を回避する掛金は,ワークフェアへの参加/離脱の前提として,無条件で普遍主義的な社会権保障を論理的かつ制度的に先行させることにある。
論稿
  • ――SST 指導場面での葛藤状況をめぐって――
    仲野 由佳理
    2015 年 96 巻 p. 199-217
    発行日: 2015/05/29
    公開日: 2016/07/19
    ジャーナル フリー
     本稿の目的は,少年院におけるSSTの指導場面の分析から,矯正教育における「規範」を考察することである。調査は,「矯正施設における教育研究会」調査の一環として,(1)2009年に男女それぞれの少年院でSSTの参観,受講少年と指導者へのインタビューを,(2)2013年に女子少年院でSSTの参観,指導者へのインタビューを実施した。
     少年院では,再非行につながる場面への対処法を指導するが,「本当のことを言わない」という行為をめぐって,少年と指導者に「葛藤」が生じる。それは,再非行リスクを下げるための目的合理的行為を選択するか,全人格的変容に関わる価値合理的行為を選択するかである。どちらの行為選択も犯罪や非行の抑止につながるが,犯罪や非行を促進する場合もある。矯正教育の目指す更生は,出院後の社会生活において達成されるため,行為選択の是非を事前に知ることはできず,ここに葛藤が生じるのである。
     こうした行為選択をめぐる葛藤は,(1)行為に伴う価値の忘却を回避するための「行為をめぐる価値の意識化」,(2)自己の行為や選択に対する対話を前提とした「葛藤を保持し続けていく」ことによって,“矯正教育の「規範」”として更生のプロセスに位置づけられる。この葛藤は肥大化すれば,むしろ更生にとってマイナスに作用する可能性があるが,社会の側の「まなざし」や「期待」を問題化することで,緩和の可能性が見えてくる。
  • ―児童間の発話管理に着目して―
    松浦 加奈子
    2015 年 96 巻 p. 219-239
    発行日: 2015/05/29
    公開日: 2016/07/19
    ジャーナル フリー
     本稿の目的は,授業秩序がどのように組織されるのかということを教師による児童間の発話管理という観点から明らかにすることである。本稿ではこれらの目的に対して,授業場面の教師-児童間の実際の活動を記録した映像データを用いて会話分析を行っていく。
     本稿は授業秩序を維持するための教師の振る舞いに着目している点において,教師ストラテジー研究と問題関心を共有している。しかし教師ストラテジー研究では想定されてこなかった1対1と1対多のディメンジョンの並存状況を検討している。そして,会話分析を用いて,そこで生じている相互行為の特徴を再記述することで学級の成員が協調して振舞うようになる規則を理解可能な形で見出していく。
     分析の中心となるのは,児童の発話に教師が応答することで,児童によって日常会話の順番交替の規則が志向され,授業における課題の組織化が困難になる場面である。その結果,授業進行が停滞し,授業の秩序が動揺していくことになる。それを克服するために,授業場面に適切な「形式」で応答できる者を次の話者として選択し,質問を開始することで,IRE 連鎖を3ターンで完了させ,授業秩序を組織していくのである。
  • ―縦断データによる社会関係資本研究―
    松岡 亮二
    2015 年 96 巻 p. 241-262
    発行日: 2015/05/29
    公開日: 2016/07/19
    ジャーナル フリー
     近年,国内データを用いた教育分野における社会関係資本研究は増えつつあるが,社会関係資本の可変性を考慮した上で教育不平等との関連を検討した実証研究は未だに行われていない。そこで本稿は,厚生労働省が収集する21世紀出生児縦断調査の個票データを使用し,(1)家庭の社会経済的地位,(2)父母の学校における社会関係資本,(3)子どもの社会関係資本を含む学校適応の関連を実証的に検討した。
     大規模な3時点の縦断データを用いたハイブリッド固定効果モデルによる分析の結果によると,世帯収入(経済資本)と父母学歴(文化資本)が,父母それぞれの学校行事出席・保護者活動参加で指標化された学校社会関係資本を分化していた。これらの学校社会関係資本の多寡は子ども間の学校適応差異を部分的に説明し,資本量の変化は観察されない異質性を統制しても子どもの社会関係資本を含む学校適応の変化と関連していた。世帯収入と親学歴の学校社会関係資本を介した学校適応への影響は強くはないものの,社会関係資本の差異を通した不平等の再生産という傾向は確認された。
     縦断データを用いた本稿の実証結果は,階層的基盤を有する父母の学校活動関与で示される社会関係資本が子どもの学校適応を促していることを示している。一方で,本稿の知見は,父母の学校関与という「つながり」の増加を通して対人関係を含む学校適応を促すことができる可能性も示唆している。
  • ―アイデンティティ・ワークの視点から―
    中村 瑛仁
    2015 年 96 巻 p. 263-282
    発行日: 2015/05/29
    公開日: 2016/07/19
    ジャーナル フリー
     教員研究では教職に付随する職業的困難に対して,自らの教職アイデンティティを安定化させる「確保戦略」が重要な主題となっている。本稿では先行研究を検討し,教員集団内における教職アイデンティティの確保戦略に着目した。
     従来の研究では主に教員集団の同質性と個人の「同調」を軸として,教員集団内における教職アイデンティティの確保戦略が説明されてきた。それに対して本稿は「同調」といった受動的な側面ではなく,教職アイデンティティの確保戦略の主体的な側面を明らかにするものである。分析では中学校教員のインタビューデータを用いて,アイデンティティ・ワークの視点から教員集団内における役割葛藤と,語りによる教職アイデンティティの確保戦略を検討した。
     事例では<つながる教員><しつける教員>という異なる教員役割が観察され,教員の役割葛藤は集団での指導体制のもと,異なる教員役割が要請される状況の中で生起していた。こうした役割葛藤に対して教員は「異化」「調整」「再定義」,以上三つのアイデンティティ・ワークを通じて,自らの教職アイデンティティを確保しようとしていた。
     本知見は先行研究に対して,職業的役割を単に社会化するといった教員の受動的な側面でなく,教員役割をめぐって自らの教職アイデンティティを交渉する,教員の主体的な側面に注目する必要性を示唆するものである。
  • ―東北地方の公立高校組織と教師を事例として―
    冨田 知世
    2015 年 96 巻 p. 283-302
    発行日: 2015/05/29
    公開日: 2016/07/19
    ジャーナル フリー
     本研究の目的は,東北地方に所在する公立高校組織をめぐる「進学校」制度の普及過程を事例とし,その過程における教師の行為を明らかにするとともに,制度の普及を担う教師というアクターを捉える概念を検討することである。「進学校」制度とは,「進学校」としての組織構造やアクターの行為を形成する認識枠組みを指す。この文化-認知的制度に着目するのはMeyer, Rowanを先駆とする新制度論の視座である。
     分析では,Y高校からX高校に異動した教師A・Bのインタビューデータを主軸に据えた。教師A・Bは部活動が盛んなX高校で新たな「進学指導」を確立したが,その「進学指導」は大学進学実績が県内「トップ」と称されるY高校の「進学指導」を反映したものだった。教師A・Bにとって「進学校」制度の下でルール化された実践こそがY高校の「進学指導」であり,この意味において彼らは「進学校」制度の運搬者といえる。以上のようなミクロレベル分析を踏まえ,制度の普及過程におけるアクターの2面性―制度の創造者であると同時に運搬者でもある―を捉える,制度的移植者概念を提示した。考察では,教師A・Bが制度的移植者となり得た要因として,(1)X高校が「進学校」制度に相対的に親和的な組織であったこと,(2)運搬者が同時期にX高校に複数名存在したこと,(3)「進学校」制度への埋没度合いが強かったことを仮説的に提示した。
  • ―「承認」をめぐる語りに着目して―
    志田 未来
    2015 年 96 巻 p. 303-323
    発行日: 2015/05/29
    公開日: 2016/07/19
    ジャーナル フリー
     本稿の目的は,子どもの視点からひとり親家庭研究に新たな理論的視角を提示することにある。これまでのひとり親家庭に関する研究は,彼らの生活を経済的な不利に収束しがちであったこと,子どもを主体として捉えることがなされてこなかったことなどの課題を残していた。そこで本稿はひとり親家庭の子どもに対する聞き取りから得られたデータを基に,ひとり親家庭という構造の中で子どもが主体としてどのように生き抜こうとしているのかについて検討した。
     調査より明らかにされたのは以下の二点である。第一に,彼らは自己の家庭経験にアンビバレントな感情を持ちながらも自己の家庭経験を肯定的に理解しようとしている。第二に,同居親との関わりには多様性があったが,同居親以外のつながりを豊富に持ち,それを活かしながらうまく生き抜こうとしている。
     このことから二つの次元における承認の重要性が導き出された。第一に,ひとり親の子どもたちにとって,自己の複雑な家庭経験を正当なものとして理解するために自己・他者からの承認を要している。そしてその役割を果たしているのが,同じひとり親の子どもであった。第二に,ひとり親家庭であることに対して周囲から承認を得ることによって,彼らは家庭外の豊富なつながりを持つ基盤を獲得している。
     以上より,本稿は従来から指摘されてきた経済的な再配分に加え,承認の観点が必要であることを提示した。
  • ――中高生の社会的勢力の構造に着目して――
    鈴木 翔
    2015 年 96 巻 p. 325-345
    発行日: 2015/05/29
    公開日: 2016/07/19
    ジャーナル フリー
     本稿の目的は,中高生の間でいじめの抑止力として機能する可能性をもつ生徒はどのような生徒なのか,そして,その生徒が実際にいじめの抑止力として機能していないならば,それはなぜなのかを明らかにすることである。本稿では,社会的勢力論を分析枠組みとして,中高生が持つ社会的勢力を「業績と思いやり」「外見と明朗性」に分けて検証を行ったところ,以下の2つの知見が得られた。
     第一に,「業績と思いやり」という「潜在的勢力」は,いじめに対する否定的な規範と連動しており,「外見と明朗性」という「潜在的勢力」は,いじめに対する規範と連動していない。第二に,「業績と思いやり」という「潜在的勢力」は,集団内の規範への影響力と安定的に結びついていないのに対し,「外見と明朗性」という「潜在的勢力」は,集団の支持を得て自己主張をすることを通じて集団内の規範に影響を与えやすい傾向をもつ。
     つまり,現状の中高生文化のもとでは,いじめに対する否定的な規範と正の関連をもつ「業績と思いやり」という「潜在的勢力」は,集団内で優勢となりにくい。そのため,いじめを拒絶する規範が,集団の中に広く受容される可能性は低くなり,その結果,いじめの抑止は機能しづらくなるという可能性が示された。
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