映像学
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100 巻
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巻頭言
論文
  • 戦時期日本における「ドキュメンタリー」の方法論の実践
    森田 典子
    2018 年 100 巻 p. 10-31
    発行日: 2018/07/25
    公開日: 2019/03/05
    ジャーナル フリー

    【要旨】

     本稿は、戦時期日本の文化映画業界で活動した中堅プロダクション・芸術映画社の製作者らが、ポール・ローサの「ドキュメンタリー」の概念を方法論として取り入れることで製作現場を変容させ、結果として文化映画の映像表現を刷新したということを明らかにする。具体的には、その方法論をはじめて本格的に模索した『雪国』(1939)と、それらの模索を経て新たな方法論を生み出した『或る保姆の記録』(1942)という特徴的な2作品の製作実践について論じる。さらに、これらの実践が芸術映画社にとって、日本における戦時体制の強化に対処する手立てとなっていたという点を示唆する。

     これまでの日本のドキュメンタリー映画研究は、戦争責任論を背景にして戦後に台頭した製作者らによる「ドキュメンタリー」の実践活動を重視し、その反面で戦前世代による文化映画業界での実践活動を看過してきた。これに対して本稿では、1930年代後半から1940年代初頭にかけてローサの「ドキュメンタリー」の概念を積極的に導入した芸術映画社の実践に着目する。カルチュラル・スタディーズの視座を用いて、作品映像と製作者らの言説の中から、当時の社会状況と製作活動とのせめぎ合いを探る。まず『雪国』のスタッフが社会問題をテーマとして掲げ、創造的な方法論を模索するなかで再現手法を試みたことを、次に『或る保姆の記録』のスタッフがテーマよりも撮影対象の追求を重視し、その方法論として対象との協同関係を構築したことを考察する。

  • 隠される/晒される「身体」
    紙屋 牧子
    2018 年 100 巻 p. 32-52
    発行日: 2018/07/25
    公開日: 2019/03/05
    ジャーナル フリー

    【要旨】

     本稿は最初期の皇室映画(天皇・皇族を被写体とした映画)に焦点をあてる。昭和天皇(当時は皇太子)が1921年に渡欧した際、国内外の映画会社・新聞社によって複数の「皇太子渡欧映画」が撮影され、それが画期的だったということは、これまで皇室研究またはジャーナリズム研究のアプローチから言及されてきた。それに対して、映画史・映画学のアプローチから初めて「皇太子渡欧映画」について検討したのが、拙論「“ 皇太子渡欧映画” と尾上松之助―NFC 所蔵フィルムにみる大正から昭和にかけての皇室をめぐるメディア戦略」(『東京国立近代美術館 研究紀要』20号、2016年、35-53頁)であった。この研究をさらに発展させ、「皇太子渡欧映画」(1921年)以前に遡ってリサーチした結果、「皇太子渡欧映画」に先行する映画として、有栖川宮威仁(1862-1913)が1905年に渡欧した際に海外の映画会社によって撮影された映画が存在すること、それらには複数のバージョンがあり、そのうちの1 本がイギリスのアーカイヴに所蔵されていることが判明した。本稿では、これらの映画がつくられた背景について明らかにすると同時に、この映画が皇室のイメージの変遷の中で持つ歴史的意味について考察した。その結果、「有栖川宮渡欧映画」は、「皇太子渡欧映画」への影響関係もうかがえるものであり、戦前期の「開かれた」皇室イメージの形成への歴史的流れを考えるうえで、きわめて重要な参照項となり得る映画であるという結論に至った。

  • イギリスの映画検閲と公衆道徳国民協議会
    吉村 いづみ
    2018 年 100 巻 p. 53-72
    発行日: 2018/07/25
    公開日: 2019/03/05
    ジャーナル フリー

    【要旨】

     1917年、イギリスにおいて映画に関する一つの調査報告書が発行された。発行したのは、社会浄化運動団体の一つであった公衆道徳国民協議会である。優生学に基づく人種の劣化に関心を抱いていたこの団体は、それまで苦情が寄せられていた映画の影響について調査をすべく、1916年に映画委員会を設置し、膨大な調査を実施した。 

    一方、この調査の実施は映画の検閲方針にも影響を与えた。当時、映画の検閲を実施していたのは、映画業界の主導の下に設立された民間組織、英国映画検閲委員会であった。調査の開始には内務省も関与しており、調査結果によっては、内務省が、英国映画検閲委員会とは別の公的な検閲組織を設立することも予想されていた。

     そこで委員会は、検閲の方針を強化し、それまで策定されなかった検閲方針を明文化した。それが、後に「T・P・オコンナーの削除のための根拠」と呼ばれるようになったものである。委員会がそれまで拒絶してきた根拠とT・P・オコンナーの根拠の比較、そしてその後の動きを見ていくと、根拠と公衆道徳国民協議会の関心が重なっていることがわかる。社会浄化運動とは、実際には性の浄化を目指した運動であった。T・P・オコンナーが映画から取り除きたかったもの、それらも性についての表現であった。 450頁を超える膨大な報告書には、当時の人々が抱いていた映画に対する不安や期待など、様々な思惑が収められている。それは、映画と行政、社会浄化運動が交差した瞬間を捉えた貴重な資料である。

  • もう一つのスピノザ-ドゥルーズ的な映画身体
    鈴木 啓文
    2018 年 100 巻 p. 73-91
    発行日: 2018/07/25
    公開日: 2019/03/05
    ジャーナル フリー

    【要旨】

     従来、映画のショック体験がしばしば論じられてきた。対して、本論は触発し変様する映画身体の体験を考える。そのためにまず、ショック体験やイメージの強度的体験を重視するドゥルーズの『シネマ』とドゥルーズ的な映画身体論を確認する。そのうえで本論は、ショックを体験する映画身体とは区別される、触発し変様する映画身体を論じるため、ドゥルーズの身体の映画論からスピノザ的な身体論を掘り起こし検討する。身体の映画論のカサヴェテス作品を論じた箇所などには、触発し変様するスピノザ的な身体を見出せる。だが、思考論が主題である同論では、身体の触発と変様の経験のあり方や可能性が映画身体論的な観点から十分に論じられていない。そこで本論は、身体の映画論に潜在する身体の触発と変様や情動の揺れ動きといったスピノザ的な諸論点を引き出し、ドゥルーズとスピノザの議論と共に吟味する。そして最後に、情動の揺れ動きの観点からカサヴェテス作品の身体の触発と変様を分析する。とりわけ同作品の身体の疲労における情動の揺れ動きに着目し、情動の複数的な触発がもたらす情動の感受の仕方、つまり身体の組成の根本的な変貌を論じることで、触発と変様という映画体験の可能性を示す。

  • 長谷部安春の作品群を例に
    鳩飼 未緒
    2018 年 100 巻 p. 92-111
    発行日: 2018/07/25
    公開日: 2019/03/05
    ジャーナル フリー

    【要旨】

     日活が成人映画のロマンポルノの製作・配給に転じた1971 年は、その戦後史における大きな転換点をなす。しかしながら、ロマンポルノ以前と以後の日活の間には連続性も見出すことができる。ロマンポルノの配給・興行形態は全盛期とほぼ同じであり、それを支える撮影所での製作の体制も引き継がれたものであった。日本映画全体の基盤としての撮影所システムが瓦解していくなか、1988年まで存続したロマンポルノは撮影所システムの延命策として機能したのである。本稿は、ニュー・アクションの担い手であり、1971年以降にはロマンポルノでも活躍した監督長谷部安春に着目する。具体的には、長谷部のロマンポルノ監督作9 本を取り上げ、長谷部のイメージを利用し観客にアピールしようとした日活側の戦略の変遷と、ロマンポルノという未知の映画の形態に挑戦し、適応していった長谷部の試行錯誤の過程とその限界について論じる。9本の映画は、売り手の日活、作り手の長谷部と、買い手として映画を受容する観客の思惑が絡み合った結果として生まれた。その経緯と、それぞれの映画のテクストに見出されるニュー・アクションとの連続性との関係を検討していき、最終的には、長谷部の9本のロマンポルノと長谷部の存在が、ロマンポルノによって撮影所システムを長らえさせていた日活にとって何を意味したのかが明らかになるはずである。

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