映像学
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96 巻
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論文
  • 幻灯『せんぷりせんじが笑った!』(1956)をめぐる「工作者」たちのゆきかい
    鷲谷 花
    2016 年 96 巻 p. 5-26
    発行日: 2016/07/25
    公開日: 2016/08/19
    ジャーナル フリー

    【要旨】

    日本炭鉱労働組合(炭労)は、1950 年代を中心とする労働組合による幻灯の自主製作・自主上映運動において、主導的な役割を担ってきた。炭労は傘下の組合による労働争議を記録・宣伝する一連の幻灯のほか、炭鉱労働者の文化サークル運動の中で創作された上野英信文・千田梅二画の「えばなし」2 作を幻灯化している。本稿は、炭労が製作した上野・千田の「えばなし」を原作とする幻灯のうち、1956 年の『せんぷりせんじが笑った!』に注目し、炭労の機関紙『炭労新聞』の調査及び、幻灯の撮影を担当した菊池利夫、美術を担当した勢満雄のそれぞれの遺族に対する聞き取り調査を通じて、従来ほとんど知られてこなかった本作の成立プロセスを解明する。菊池、勢は、いずれも満洲映画協会(満映)から東北電影公司・東北電影製片廠(東影)に至るキャリアを経て、1953 年に中国大陸から日本に引き揚げ、その後日本映画界に迎え入れられることのなかった元映画技術者だった。幻灯版『せんぷりせんじが笑った!』は、精巧に造型されたミニチュアセットと人形を撮影することで、原作の苛酷な坑内労働の情景をリアルに映像化しつつ、当時の炭労が求めた「大衆闘争」への能動的参加を観客に促すナラティヴを、原作とはまた異なる形で実現している。そうしたイメージとナラティヴは、作り手たちの中国大陸における創作及び生活体験を通じて形成されたものでもあり、本作は1950 年代の中国-日本の映像文化交流の知られざる重要な成果といえる。

  • 『実録阿部定』が示す親和性
    鳩飼 未緒
    2016 年 96 巻 p. 27-47
    発行日: 2016/07/25
    公開日: 2016/08/19
    ジャーナル フリー

    【要旨】

    本稿は日活ロマンポルノの田中登監督作、『実録阿部定』(1975 年)を論じる。異性愛者の男性観客をターゲットに製作され、同時代的にはほぼ男性のみに受容された本作が、想定されていなかった女性観客との親和性を持ち、家父長主義的なジェンダー規範を再考させる転覆的な要素を内包することを説き明かす。背景にあるのは、ロマンポルノに関する既存の言説が男性の手による批評ばかりで学術的見地からの評価が進んでおらず、同時代的にも少数ではあれ存在し、昨今その数を確実に増やしている女性観客の受容の問題が論じられていない現状に対する問題意識である。そこで第1 節ではロマンポルノにおける女性の観客性を考察するうえでの古典的なフェミニスト映画理論の限界を明らかにしつつ、ジェンダーの固定観念を逸脱する表象の豊富さによって、ロマンポルノが異性装のパフォーマンスと呼べるような流動的な観客経験をもたらしうることを論じる。続く第2 節では『実録阿部定』の視聴覚的・物語的要素を仔細に検討し、とりわけヒロイン定の表象が保守的なジェンダー観に背くものであることを確認する。最終的には、第2 節で考察した特徴によって『実録 阿部定』が女性観客に異性装的な観客経験による映画的快楽をもたらすことを示し、さらには女性の主体的な性的快楽の追求を肯定させる仕組みがテクストに内在することを明らかにしたい。

  • ヴィンセント・ミネリ『ボヴァリー夫人』のニューロティック・ワルツ
    玉田 健太
    2016 年 96 巻 p. 48-67
    発行日: 2016/07/25
    公開日: 2016/08/19
    ジャーナル フリー

    【要旨】

    本論文はヴィンセント・ミネリ監督による1949 年公開のハリウッド映画『ボヴァリー夫人』について論じる。本作は先行研究において、ヒロインであるエマの欲望とその抑圧を中心に論じられてきた。それに対して本論文は、フローベールによる原作小説と異なり良き夫として造形されているチャールズについて、ミネリの作家論的特質も踏まえた上でテクスト分析を中心に考察を加え、さらに同時代のハリウッド映画との比較を通じて本作の意義を明らかにすることを目標としている。そこで重要なのは、チャールズもエマと同じような行動をしているということだ。舞踏会ではエマがメロドラマ的な過剰さの下で熱狂的に踊り続ける一方で、チャールズも泥酔により放縦な行動をしている。これは精神分析の影響を受けた同年代の女性映画から本作を隔てる特徴となっている。それらの映画はヒステリックなヒロインの傍らに、正常さ=社会(家庭)=真実を体現する夫ないし男性医師を登場させているのだが、本作は舞踏会のシーンで、エマだけでなく医師であり夫であるチャールズも、自らの挫折した欲望から生じる一種のヒステリー的な異常状態に陥ることで、その原則が一時的であれ崩れているのである。ミネリによる『ボヴァリー夫人』は40 年代最後の年の映画に相応しく、複数の人物が各々の欲望と夢を持っているために至るべき結末とそこへの道筋が所与のものではない、50 年代以降のハリウッドにおけるミネリやダグラス・サークなどのメロドラマ映画の萌芽としても捉えることが出来る。

  • 占領期における原節子のスターペルソナ
    北村 匡平
    2016 年 96 巻 p. 68-88
    発行日: 2016/07/25
    公開日: 2016/08/19
    ジャーナル フリー

    【要旨】

     本稿の目的は、占領期のスターダムのなかでなぜ原節子の価値が最も高まり、どのような大衆の欲望によって彼女のペルソナが構築されたのかを、敗戦後の社会・文化的条件に即して実証的に明らかにすることにある。これまでスターを対象とする研究は映画の表象に傾斜した分析が多かったが、スター研究の視座から、スターを取り巻く言説、とりわけファン雑誌におけるイメージやテクストと映画との関係を重視し、複数のメディア・テクストにおける原節子の個性的アイデンティティ構築が、占領期のジェンダー・セクシュアリティ規範のなかでいかなる価値を形成していたのかを探究する。

     原節子は、敗戦後に求められる理想的な女性像としての「理知的」で「意志」の強い主体的なイメージを戦中から準備し、戦前と戦後の連続性を引き受けることで、占領期に最も人気の高いスターとなった。彼女の映画のパフォーマンスと、雑誌のパーソナリティに通底する他者の身体から「離れている」ペルソナは、日本女性の身体をめぐるアメリカと日本の占領の言説において、文化的価値を高めることになった。彼女は戦後に現れた敗戦の歴史的トラウマを喚起するパンパンなどの「敗者の身体」とは決して重なることない〈離接的身体〉としての理想的ペルソナを言説によって構築していたのである。本稿では、占領期という歴史的コンテクストのなかで原節子がいかに価値づけされ、欲望されているのかを分析し、アメリカへの抵抗を可能にする原節子のスターペルソナを通して大衆の戦後意識を解明する。

  • 『アイ・ラブ・ルーシー』における「乗り物ギャグ」と物語形式の関係
    高木 ゆかり
    2016 年 96 巻 p. 89-109
    発行日: 2016/07/25
    公開日: 2016/08/19
    ジャーナル フリー

    【要旨】

     1950 年代のアメリカのテレビ放送を支えたシチュエーション・コメディについては、これまで多くの社会的・文化的背景からの研究がなされてきた。しかし、本論では作品の内実に即した分析を試みるため、このジャンルの代表作である『アイ・ラブ・ルーシー』(CBS 1951-1957)で使用される「乗り物ギャグ」を取り上げ、シチュエーション・コメディというジャンルの形式とギャグの物語論的機能の関係を考察した。

     一般に、ドラマはシリーズとシリアルという二つのタイプに大きく分類される。シチュエーション・コメディはシリーズ形式に属すジャンルであるが、6シーズン続いた『アイ・ラブ・ルーシー』にはシリアルの特徴を持ったエピソード群が存在する。そこでは、主人公であるルーシーたちが、目的地へと「移動」する様子が描かれており、本来シリーズであるはずの『アイ・ラブ・ルーシー』の標準形に即していない。また、そこで展開される乗り物を使ったギャグも、それまでのシーズンでは見られなかったダイナミックな特徴を持っている。しかし、一見すると標準形から逸脱したこれらの要素は、逆にこのジャンルに特有の「基本的な状況に立ち返る」という「円環的物語構造」の強制力をダイナミックに視覚化するという機能を持つことが明らかになった。

  • コンテクストに対する有機的関わりの点から
    江本 紫織
    2016 年 96 巻 p. 110-129
    発行日: 2016/07/25
    公開日: 2016/08/19
    ジャーナル フリー

    【要旨】

     これまで写真は、コンテクストやプロセスに対して受動的な位置付けを与えられてきた。その要因となってきたのは、撮影・呈示におけるコード化、観賞でのコンテクストによる意味の規定である。しかし誰もが写真の撮影者・呈示者・観者になり、それぞれの段階に能動的に関与する現在の状況は、従来の議論のみでは説明できない。そこで本論文は写真とコンテクスト、撮影から観賞までの写真プロセスの関係を改めて検討した。詳細な分析を行うために、コンテクストを作用の点で「直接的コンテクスト」(キャプション、呈示媒体など)と「間接的コンテクスト」(文化的・社会的背景、写真技術など)の二つに類型化した上で、コンテクスト・写真プロセス・撮影者や観者の作用関係とその変化を考察した結果は以下の通りである。第一に、従来観賞にのみ作用すると思われた直接的コンテクストは、撮影時にも意識されることが明らかとなった。第二に、デジタル化による写真プロセスと直接的コンテクストの変化は、加工・修正への関与を容易にしただけでなく、直接的コンテクストの変更や、呈示された写真の自由なグループ化など、観者による呈示への能動的な関与も可能にした。そして最後に、これらの写真とコンテクストは次々に増え、蓄積され、新たな写真や写真行為に作用する「一時的コンテクスト」として作用することが示された。以上のように写真とコンテクスト、写真プロセスは有機的な関係性を結ぶものであり、現在の写真は開かれた構造を持つ能動的なプロセスと見なすことができる。このように写真をイメージではなくプロセスと捉えることは、従来の議論の有効性を担保しつつ、現在の写真状況を踏まえた理論の発展につながるはずである。

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