映像学
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99 巻
選択された号の論文の7件中1~7を表示しています
論文
  • リチャード・フライシャー『絞殺魔』におけるカーティス/デサルヴォの身体
    早川 由真
    2018 年 99 巻 p. 5-24
    発行日: 2018/01/25
    公開日: 2018/06/11
    ジャーナル フリー

    【要旨】

    映画において画面上に映しだされる身体とは、どのような存在なのか。この問題を考えるにあたり、本論文はリチャード・フライシャー監督『絞殺魔』(1968)を取り上げる。トニー・カーティス演じるアルバート・デサルヴォという存在には、これまでの研究では指摘されてこなかった、画面上の身体としての在り方の特異性が表れているのだ。精神病的な観点からこの作品を論じた先行研究は、デサルヴォが〈第2 の人格が真犯人である分裂した存在〉であることを前提にしているが、本論文はそれを前提にしない。本論文の目的は、スティーヴン・ヒースが分類した物語映画における「人々の存在」の各項目を仮設的枠組みとして用いつつ、テクスト内外の諸要素を多角的な観点から分析し、それぞれの項目にはうまく収まらないデサルヴォの在り方の特異性を明らかにすることである。まず第1 節では、カーティスのスター・イメージ、およびメディア言説におけるデサルヴォ像を検証する。第2 節では、デサルヴォを真犯人に見せるプロセスを指摘し、不可視性や声を手掛かりにそのプロセスにおける綻びを見出す。第3 節では、デサルヴォを主体化しようとする可視化の暴力のメカニズムを示し、終盤の尋問の場面における身振りを論じる。最終的に、不可視の体制、可視化の暴力、別の不可視の領域、この3 つの段階をたどった後に〈白の存在〉へと至るその在り方が明らかになる。

  • 怪獣映画の「アトラクション」をめぐって
    真鍋 公希
    2018 年 99 巻 p. 25-45
    発行日: 2018/01/25
    公開日: 2018/06/11
    ジャーナル フリー

    【要旨】

     円谷英二が特技監督を務めた『空の大怪獣ラドン』(1956 年、以下『ラドン』)は、公開当時から高く評価されている作品である。しかし、特撮映画に関する先行研究は『ゴジラ』(1954 年)ばかり注目してきたため、本作はほとんど分析されてこなかった。本稿では、トム・ガニングの「アトラクション」概念を補助線とし、本作の特異性と映画史的・文化史的意義を明らかにすることを試みる。「アトラクション」とは、物語を伝達する機能と対照的で、ショックや驚きなどの直接的刺激によって特徴づけられる性質だと紹介されてきた。しかし、『ラドン』における「アトラクション」的側面は、ショックによる直接的な態度よりもむしろ、特撮に注意を払う反省的な態度によって特徴づけられる。この態度はその後のオタク的な観客心理につながるものであり、この点で『ラドン』は、特撮映画をめぐる観客性の転換点に位置づけられる作品なのである。

     これを示すために、第1 節では円谷の演出理念を検討する。円谷は特撮によって物語的な効果を引き出すことを第一に考えていたが、他方で特撮の痕跡が残ることを許容してもいた。ここに特撮が効果を逸脱し「アトラクション」として立ち現れる可能性を見ることができる。次に第2 節で、こうした円谷の演出理念が、『ラドン』ではどのように表出しているのかを考察する。円谷の演出理念は、ラドンが西海橋や福岡に現れる一連のシーンに色濃く反映しており、同時にこれらのシーンはテクスト全体の中でも自立的に機能している。最後に第3 節では、観客が『ラドン』の特撮に注意を払った反省的な態度で受容していたことを、当時広く普及していた「技術解説記事」を考察することで明らかにする。

  • 福島 可奈子
    2018 年 99 巻 p. 46-68
    発行日: 2018/01/25
    公開日: 2018/06/11
    ジャーナル フリー

    【要旨】

     大正から昭和初期にかけての子供による映画の齣フィルム蒐集とその文化について、従来見過ごされてきたメディア機器とその多様性を実証的に再考する「メディア考古学」の視座から考察する。齣フィルムとは、明治末から昭和初期にかけて映画館や玩具店等、様々な場所で販売されたワンフレームサイズの映画フィルム(18×35mm)のことで、大正期には子供による映画の齣フィルム蒐集が大流行を迎える。その事象についてはしばしば先行研究で言及されているものの、その実情については今までほとんど明らかにされてこなかった。そのため本稿では、当時の子供の齣フィルムコレクションや齣フィルム用の実体鏡や幻燈機等の実物史料を参照しつつ、明治末から昭和初期にかけて販売された齣フィルムについて、販売業者と購入者(蒐集者)双方の視点、あるいはその相互関係から詳細に検証し、当時の日本の映画の二次産業の一端を明らかにする。

     戦前日本の映画の大半は、このように劇場公開後に切り売りされたために散逸したが、断片化した無数の齣フィルムの集積は、戦前日本のメディア文化の多様性と裾野の広さを示している。二次利用されたフィルムは、映画や幻燈のメインストリームの映像史にはあらわれない、子供の玩具世界で多彩に混淆した存在を生み出し、派生的に拡散していく。まさにこの流れは、現在加速しているデジタル一元化の流れとは対照的なのである。

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