猪苗代湖は奥羽山地の一部に生じたぼゞ南北の紡錘形の陷沒帶の一隅が磐梯火山の噴出物に堰き留められ,殘りの大部に水を湛へたものである。
陷沒帶は大體として東に傾斜してゐるため,その東側は烈しく沈下し,この陷沒の主因となつた大斷層の面に迫つて單調であり,西側は陷沒の程度低く,水は山地の谷々に溢れ,水平的にも垂直的にも變化に富む。その結果,山地の麓には斷崖を生じ,谷を充たした平地の前面には砂丘を生じた。
その後湖面は人工的に低下したため,これらの斷崖砂丘の麓に新たに數段の砂濱を生じ,沈下の烈しい東側では幅狹いが,その程度低い西側に於てはその幅が廣い。且つ東岸は冬期西風で浪荒く,西岸は概して平穩である。
砂鐵の主として集中したのは全體として遠淺で,浪の穩かな西岸であり,東岸は概ね礫濱である。
砂鐵の特に集中したのは長期に亘つて過古の湖面に直接臨んだ砂丘頂部の外斜面であるが,幅一般に狹ぐ,外側に向つて急に消失する。この外一部は現在の湖岸,汀線の兩側に集中するが,その量の未だ著るしくない。
砂鐵は白砂とよく分離し,一見黒色高品位であるが,常に多量の紫蘇輝石,若干のチタン鐵礦を伴なひ,磁鐵礦の量比較的少ない。
これらは白砂の主成分たる石英と共に,石英安山岩の斑晶が母岩を分離し,水の作用で集中したものである。但しそのうち石英の大部は, 28目篩以上の粗粒であり,磁鐵礦及び紫蘇輝石は, 28~100目篩の細粒であり,これが比重の相違と共に,石英の分離をば容易にしたが,磁鐵礦と紫蘇輝石の分離を困難ならしめた主因である。從つて,この兩群は水洗淘汰で分けられると同樣,篩別によつて一層有利に分けられるが,更にそのうちの紫蘇輝石と,磁鐵礦とを分離するには,磁選以外に方法がなく,自然のまゝではそれらが殆んど分離してゐない。これこの砂鐵が概して低品位の所以である。
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