言語文化教育研究
Online ISSN : 2188-9600
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特集「ナラティブの可能性」
全体趣旨
シンポジウム
寄稿論文
  • 柳瀬 陽介
    2018 年 16 巻 p. 12-32
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    本論文は実践研究における物語の重要性(および危険性)を,物語概念を理論的に整理することで明らかにした。理論的整理は,心理学者ブルーナーの物語様式の理論を社会学者ルーマンと哲学者アレントの意味理論で補強しながら導入し,さらに歴史学者ホワイトの物語的歴史についての理論を重ね合わせることによって行った。その結果,形式・題材・素材・筋書・言語・基調・実在性の観点において物語を科学規範様式の論証と対比的に特徴づけた。その特徴づけの中で,世界の複合性と人間の複数性を扱いうる意味概念を提示した。さらに,実践的過去を描く歴史叙述と物語の共通性を指摘し,物語の重要性(「私たちは何をするべきか」という問いかけに答えること)と危険性(出来事を単純な教訓話やイデオロギーにしてしまうこと)を指摘した。このような物語は一般化可能性をもつが,それは,実践研究を実践的に読み解こうとする読者の想像力と思考力に応じて得られる読者・利用者による一般化可能性であることも示した。

  • 横田 雅弘
    2018 年 16 巻 p. 33-44
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    2000年にデンマークで始まり,あっという間に世界90か国以上で実施されるまでに広がったヒューマンライブラリー(「人を貸し出す図書館」)の実際を,筆者がおよそ10年にわたって実施してきた明治大学の事例を基に考察した。特に,文部科学省科学研究費を得て行った「読者」の偏見低減効果に関するアンケート調査の結果と「司書」となったゼミ学生にどのような教育効果があったかを中心に分析した。また,ヒューマンライブラリーの多様な効果と豊富な応用可能性については,このイベントが質の良いナラティブを生み出す構造をもっているためではないかと考え,これまでの筆者の経験から,その応用可能な領域をまとめた。

  • 小川 明子
    2018 年 16 巻 p. 45-54
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    現在,インターネット社会において,周縁化されがちな弱者の意見は,フィルター・バブルがひしめく中でかき消され,時に激しいヘイトスピーチの下に晒されがちである。そこで,彼らが声を上げることは難しい。本稿では,米国のストーリーテリング実践,日本の生活記録運動や臨床領域で展開されるナラティヴ・アプローチなど,ストーリーテリングの手法を活用して,他者理解や連帯,社会参画を目的に展開されてきた実践の系譜を辿りながら,周縁化されがちな人びとにとって,物語を協働的,対話的に生成し,共有することがエンパワメントにつながるという道筋を示す。またその視点から,デジタル・ストーリーテリングを再検討し,デジタル時代における協働的なストーリーテリングの利点について再検討する。

  • 嶋津 百代
    2018 年 16 巻 p. 55-62
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    本稿は,学際的なディスコース研究において考察されてきたナラティブの捉え方を例として,言語教育におけるナラティブ研究・実践の新たな方向性を探るものである。そして,「いま,ここ」の文脈において「わたしたちはナラティブを通して何をしているか」という問いが,言語教育におけるナラティブの可能性を見出す出発点となることを示す。まず,従来のナラティブの捉え方やナラティブ研究の視点を研究の認識論や方法論から整理し,それらを踏まえて,言語教育に求められているナラティブ研究・実践の課題を明らかにする。次に,筆者が担当している日本語教員養成で行っている 2つのナラティブ活動 ―教師候補生の探究・省察・成長を目指すための活動,およびアイデンティティの呈示・構築が見て取れる対話で成り立つ活動 ―を紹介する。最後に,これらの活動の目的や成果を通して,日本語教育・教師教育において「語ること」の意味と意義について,筆者の考えを述べる。

論文
  • 田村 直子
    2018 年 16 巻 p. 63-83
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    毎年,大学院の授業で被爆者の証言ビデオのスクリプトを翻訳しているが,学生は非常に熱心に授業活動に取り組む。この学生の熱意は証言に内在する共感を呼ぶ力に起因すると思われる。本稿では被爆者を「歴史の証人」の一種と位置づけ,次の三つの側面を踏まえ,被爆者証言を証言というよりは,語りと捉える。被爆者証言とは,歴史学上は原爆投下に関する社会的・歴史的出来事について述べたものである。心理学的には,原爆の記憶を再構築し新たな自己を形成するという個々の被爆者の心的過程の結果である。社会学的には,自分の存在意義に関わる語りであり,当人の社会行動の前提となるものである。語りについて文学分析で提案されているナラティブ共感論で指摘されている特徴を被爆者証言の構成要素と翻訳過程の内部に検証したところ,被爆者証言にも証言の受け取り手の共感を呼ぶ力があることが分かった。語りの共感力には大きな可能性があるが,限界もある。語りに傾聴し,語りを深く理解し,受けとめた語りを自分の語りとして語り継ぐサイクルを促すべきだ。

  • 中川 康弘
    2018 年 16 巻 p. 84-95
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    語り手の多くが日本語非母語話者である日本語教育のナラティブ研究には,語り手に対する「虫のよさ」がつきまとう。本稿では好井裕明が『語りが拓く地平』(2013)において示した「虫のよさ」を再定義し,規範を批判的に問い直す運動過程を「生成変化」としたドゥルーズ/ガタリ(2010)の『千のプラトー』を手掛かりに,留学生 1名へのインタビューから聞き手である私の「構え」の省察を試みた。それにより,語り手に対峙する日本語教育研究者に,自らの立ち位置の再考の契機を与えるナラティブの可能性を示すことを目的とした。結果,留学生の語りに表れた葛藤をかわし,「構え」に固執することで,私自身が相手から気づきを得る生成変化の機会を逸していた。ここから,日本語教育研究者が陥りやすい「虫のよさ」の問題には,語り手の葛藤や疑問に自己を投影しながら共に解決に向かう過程に,生成変化をもたらす可能性を秘めていることがわかり,そこにナラティブ研究,実践の意義が導き出された。

Regular contents
論文
  • 牲川 波都季
    2018 年 16 巻 p. 96-114
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    本研究は,外国人のグリーン・ツーリズム受入を成功させてきた,秋田県仙北市の農家 A夫妻を対象に,インタビュー調査からその他者認識の特徴を明らかにしようとするものである。ここで導出される他者認識の特徴は, A夫妻の成功の理由を示すとともに,外国人との接触や外国語・外国文化を学ぶ機会が限られていながらも,間近に外国人との出会いが迫った多くの日本人にとって,参照できる事例になりうると想定された。分析の結果,自らとは異質な存在であるからこそ,その他者と伝え合い出会い続けたいと願うという,他者認識のあり方が描き出された。ただしこの他者認識において,外国人であることに特別な重みは付与されていない。未知の一人ひとりと関係を作っていこうとする意志は,特定のカテゴリーを重視することからは生まれてこない。ここに外国人といった捉え方でない他者認識のあり方を育てることが,新たな言語文化教育の課題として立ち上がってくる。

  • 竹口 智之
    2018 年 16 巻 p. 115-135
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    これまで海外初中等教育機関に関する研究は,日本語教師がどのように教科や教職を選択したかについての分析が不十分であった。本稿はサハリン州(ロシア)の初中等教育機関に勤務する 2名の日本語教師の「天職観」に至る過程を分析している。従来における教職アイデンティティ研究は,主に「自己概念」「自尊感情」を明らかにしたものであるが,本研究においては「ゆらぎ」を統合する過程に重きを置いて分析している。分析に際しては複線径路等至性アプローチを用いることで,それぞれの教員がどのような「教職アイデンティティ」を辿ったかが描写されている。一連の分析から,海外における日本語教師は,国家政策の影響を受けながらも,彼 /女らが政策によって受動的に影響を受けているだけの存在ではないことが明らかになった。さらに,海外における日本語教育は,今後どのような言語政策が求められているかが併せて提示されている。

  • 林 貴哉
    2018 年 16 巻 p. 136-156
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    本研究の目的は日本のベトナム人集住地域に暮らすベトナム難民にとって,ベトナム語や日本語といった複数の言語の使用や学習がどのような意味を持つのかを明らかにすることである。ベトナム人コミュニティでの参与観察と,ある中国系ベトナム難民を対象とした半構造化インタビューを実施し,インタビューに出てきた「夢」という言葉に着目してライフストーリーを作成した。日本での定住を開始した当初,彼は日本語の問題により夢を喪失したが,ベトナム人のネットワークを利用して生活を改善した。その後,日本語を学ぶことの価値を感じることのできる会社に勤めたことで,日本語学習の動機が高まった。ベトナム人集住地域では,希望の仕事ができないという問題もあるが,ベトナム仏教の寺院を設立したり,夜間中学に通うようになったりと夢を達成することができた。彼のストーリーから,日本語を使用し,学習することの意味や,ベトナム人集住地域に暮らすことの意味をベトナム難民の視点から問い直すことができた。

  • 李 頌雅
    2018 年 16 巻 p. 157-176
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    本稿は日本の大学におけるチューター学習活動に着目し,言語社会化の観点から考察したものである。約 15時間の学習活動の会話データをもとに,8組の留学生と日本人チューターの学習活動を観察し,特に言語使用や特定の行動に関する評価に着目した。結果として,まず,否定的な評価が肯定的な評価より多く使用されることが分かった。また,否定的な評価が行われた場面では,評価と理由説明,評価と反論などのターンと連鎖のデザインが観察される。一方,留学生は同意,質問や反論などの行動によって,チューターとともに学習活動を共同構築する場面が見られる。言語使用または言動に対する評価を通して,言語使用及び社会的慣習が伝えられることがわかった。本研究により,評価が Schieffelinと Ochsが述べた「言語使用への社会化」及び「言語使用を通した社会化」へ貢献し,日本社会における適切な言語使用及び言動を身につける学習の実践となっていることが示唆された。

  • 久次 優子
    2018 年 16 巻 p. 177-197
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    これまでピア・リーディングを含む様々なピア・ラーニング研究が行われているが,その多くはピア・ラーニングによる教育的成果に焦点が当たっており,その教育的成果を生む相互行為がどのようなやり方で構築されているのかという視点から研究されたものは少ない。本研究は,会話分析の手法を用い,他者と協働してクリティカルな読みを目指すピア・リーディングにおいて,学習者がどのように相互行為を構築し,そこでどのような相互行為能力を用いているのか,さらに,ピア・リーディングによる教育的成果は相互行為上にどのように表れるのかを検証するものである。分析の結果,学習者のうち片方が明確な意見を持たない,または両者が異なる意見を持つと考えられる学習者間の相互行為において,学習者が知識状態の均衡を目指して相互行為を構築する過程が観察された。また,その過程においてその意見が論理的に精緻化していくという教育的成果が見えた。

  • 中澤 英利子
    2018 年 16 巻 p. 198-218
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    本研究は,日本での就労を経験した親とともにブラジルに帰国した日系人の子どもたちが,ブラジルの日系コミュニティでどのような存在になっているのかについて検討するものである。これまで,帰国した子どもたちは教育的文脈の下で分析対象とされることが多かったが,本稿では,インタビュー調査と参与観察をもとに,成長した子どもたちが日本語学校の学習者として日系コミュニティに関与し,日本語を使用しながら活動する彼らの日常生活を質的に分析・考察する。インタビュー調査では,彼らの日本語学習の動機が日本への再移動であることが明らかになった。本稿では,その中の一人の日系人の大学生のライフストーリーを通して,移動の経験と日本語学習が家族の大きな物語のなかでつながり,それが日系コミュニティでの活動に至るまでの過程を考察する。

  • 田中 祐輔
    2018 年 16 巻 p. 219-239
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    中国における日本語の学習は,戦後複数回にわたってさまざまな緊張状態に置かれた日本と中国との関係を日本理解という形でつなぐ役割の一端を担うものであった。そして現在及び将来においても,日中関係を担う人材育成の重要な場であることは疑い得ない。また,突出した学習者数と,高度な日本語人材育成という量・質の両面から,中国における日本語教育は世界の日本語教育全体を牽引する立場にあるといえる。本研究は,これまで詳しく知られてこなかった国交正常化以前の中国で日本語による情報発信や交流に多大な貢献を果たした放送局・新聞社・雑誌社のアナウンサーや記者のオーラルヒストリー調査を通じて,中国の日本語教育において日本語メディアがどのような役割を果たし,それはいかにして実現したかについて考察し,両国の相互理解と文化交流の歴史の新たな側面に光を当てるものである。

フォーラム
  • 寅丸 真澄, 江森 悦子, 佐藤 正則, 重信 三和子, 松本 明香, 家根橋 伸子
    2018 年 16 巻 p. 240-248
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    本稿では,言語文化教育研究学会第 4回年次大会(2018年 3月)において筆者らが企画したパネル「留学生のキャリア意識とキャリア支援の『ずれ』を考える ―日本語学校・短大・大学(首都圏・地方)の留学生の語りから」における発表とディスカッションの内容を踏まえ,言語教育者の視点から,日本語学校,短期大学,四年制大学(首都圏・地方)における留学生のキャリア意識と現行のキャリア支援の「ずれ」のありようを報告し,その問題点を指摘する。まず,留学生の語りの事例から,各機関の留学生がどのようにキャリアを捉え行動しているのかを紹介し,言語教育の観点から留学生に必要とされるキャリア支援と実際に提供されているものとの「ずれ」を報告する。次に,「ずれ」の改善のため,言語教育者は留学生と教育機関の双方にどのように関わり,働きかけていけばよいのか,パネルで議論した内容を共有する。最後に,これらを踏まえ,「ずれ」を改善するための今後の課題を指摘する。

  • 森山 新
    2018 年 16 巻 p. 249-259
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    これまで「ことば」もしくは「ことばの教育」の研究者たちは,「ことばの意味」の客観性(三人称的観点)を重視するあまり,その主観性(二人称的観点)を極力排除しようとしてきた。その結果,本来ことばが持ち合わせているはずの「かかわる」側面もまた排除されがちであった。本書の編者,著者らはその点を疑問視し,ことばとその教育を扱う,発達心理学,教育学,社会人類学,国語教育学,英語教育学,日本語教育学などの分野では,ことばの「かかわる」側面を重視すべきであると述べている。グローバル時代を迎え,ことば,文化,そしてアイデンティティを異にする他者と日常的に接する今日,本書が提示する「ことば」及び「ことばの教育」に対する新たな転回は,この時代にともに生きるための「市民性」や,社会・コミュニティに積極的に参加する「クリティカルな存在( critical being)」を育むための「ことばの教育」や,その研究のあり方を考える上で,有意義な示唆を与えてくれる。

  • 田島 充士, 古屋 憲章
    2018 年 16 巻 p. 260-278
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    ロシアの文芸学者・M. M. バフチンのダイアローグ(対話)論を教育実践研究に応用するトレンドは,筆者が専門とする教育 ‐発達心理学において,すでに定着している。実際,バフチンは中等学校の教員として教鞭を執っていたこともあり,教育場面においてみられる具体的な諸現象に対する,彼の議論の解釈力・説明力はかなり高い。しかしバフチンのいう「ダイアローグ」は,慣れ親しんだ仲間同士の会話というよりもむしろ,異質な文化的背景を持つ他者同士のコミュニケーションを志向する概念である。このダイアローグ概念の特殊性を理解せずに,具体的な事象の説明に適用しては,バフチン理論が本来持つ,豊かなポテンシャルを活かしきることはできないように思う。本論では,異文化交流の可能性を拓くという視点から,バフチンの議論を読み解く。また関連する実践研究にも触れ,教育実践の豊かさを理解する上での,バフチン論の魅力について紹介する。

  • 竹田 青嗣, 細川 英雄, 西口 光一
    2018 年 16 巻 p. 279-300
    発行日: 2018/12/31
    公開日: 2019/05/12
    ジャーナル フリー

    本稿は2018年1月30日(火)に当学会の特別企画として開催された竹田青嗣氏の主著『欲望論』をめぐる本人による講演とパネルディスカッションの記録である。特別企画の前半は,竹田氏が「言語の本質とは何か」という問題から出発する言語ゲーム論を中心に,言語を用いて共通了解を生み出していくための原理としての『欲望論』の哲学原理について講演した。後半はそれを承け,細川英雄氏と西口光一氏が,『欲望論』を日本語教育の分野におけるそれぞれの問題意識に引き寄せつつ講演し,その後,竹田,細川,西口各氏によるパネルディスカッションを行った。その後,フロアとの質疑応答という形でオープンに議論が展開した。どのような社会を構想するべきなのか。それにはどのような哲学原理が必要なのか。そして,ことばの教育に携わる者は,そのような社会の構想に向けてどのような問題意識を持ち,どのように行動すべきなのか。方法論に先立つ「意味」と「価値」を問う「ことばの教育」の哲学原理について,会場では活発な議論が交わされた。本稿では,紙数の関係から竹田,細川,西口各氏の講演部分は要旨のまとめ,他の部分は談話体による記述とした。本稿によって当日の講演およびパネルディスカッションの内容が,臨場感を持って読者に伝われば幸いである。

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