聴覚障害や言語障害のある当事者が直面してきた「流暢な音声日本語話者像」をめぐる問題の諸相について,二つの次元から捉えたことを概説する。一つは意思疎通の次元であり,もう一つは意思疎通を行う者同士を取り囲む,歴史的,政治的,社会的な次元である。これら問題の整理を踏まえて,「流暢な音声日本語話者像」を超えるために必要なことは何かを多角的な視点で論じる。
日本において圧倒的なマジョリティである音声日本語母語話者は,そうでない人々の声を聞いた時に違和感を持ち,自分ではなく相手が逸脱している(変だ)と感じる。「ろう者」というアイデンティティを持つ人たちのように音声日本語を使うことを止めてしまう人たちもいる。しかし,日本語学習者であれば,もっとうまくなって差別されないようになりたいと望むだろう。私たちはかつて喧伝されていたような単一民族,単一言語,単一文化の社会には生きていない。人口は高齢化し,さまざまな障害を持った人や,日本語非母語話者とともに生きている。そのような中では,非流暢な日本語に慣れ,受け入れ,ともに心地よく生きていくことが肝要であると考える。それがインクルーシブな社会への道であろう。
本稿では,ディスアビリティを抱えるろう者の両親を持つ筆者の自己エスノグラフィーをもとに,社会カテゴリーの交差上に浮かび上がる社会的アイデンティティとしての音声日本語話者像を描き出すとともに,そこで規定される音声日本語の流暢性について検討した。その結果,音声日本語話者像は,音声日本語ネイティブという資本の正当性を確立し,権力を維持するための闘争が繰り広げられる人間関係の中で生み出されるものであり,その流暢性は社会に潜む権力関係に基づく社会的不平等と結びつく形で規定されていることが明らかになった。そのため,流暢性を巡って抑圧されるマイノリティのアイデンティティポリティクスを取り戻すには,マイノリティを取り巻く社会カテゴリーを洗い出し,音声日本語話者像を新たなカテゴリーの交差に位置づけることに加え,この構造的不正義を支えるサイレントマジョリティを社会カテゴリーの交差から可視化していくことが重要であると考えられる。
本論文では,ろう教育分野で広がっている「共籍教育(co-enrollment education)」における言語実践の分析を通じて,ろう/難聴/聴という境界について考える。共籍教育は,ろう教育を特別支援教育ではなく手話バイリンガル教育の視点から実践する。共籍教育の先行研究では,言語/非言語とろう/難聴/聴の境界が「ろう者=手話」,「聴者=音声言語」という結びつけに繋がり,境界を越えた多様な言語実践が着目されていない。そこで本論文では,共籍教育における言語実践を「セミオティック資源(semiotic resource)」と「場所のレパートリー(spatial repertoire)」に着目して,分析した。その結果,ろう/難聴/聴というカテゴリーを越えたモダリティ・セミオティック資源の混合使用が日常的に起こっていた。境界の曖昧性を理解することは,ディスアビリティ・インクルージョンにありがちな「健常者が障害者を受け入れる」という前提の批判的再考を示唆する点で重要であると主張する。
コーダとは聞こえない親を持つ聞こえる子どもの呼称である。本論文では,コーダ当事者である筆者が行ったコーダ4名へのインタビュー調査の結果をもとにコーダの手話継承の実態について述べ,コーダの手話継承に影響する要因について分析した。その結果,手話を継承したくてもできなかったコーダの存在やその背景に手話言語の社会的地位やオーディズムが影響していることがわかった。継承語教育の観点では手話の標準を揃えるべきかなど,他の継承語教育の課題と重複する点もある。一方で,コーダは成人までに手話を学習できる場が限られていたり,手話に福祉的要素があり「継承語」として見られにくかったりするなど,他の継承語とは異質の問題も抱えている。また,手話を学習したいと思うコーダは親の文化や言語の継承を目的としているわけではなく,親子間コミュニケーションの不全感を取り除くことを目的としていることも考察された。
推理作家・西村京太郎の長編推理小説のデビュー作の『四つの終止符』(1964年)は,ろう者を事件の容疑者とした作品である。そして,『四つの終止符』から30年が経過した1994年に,西村は再びろう者を重要な登場人物とした『十津川警部,沈黙の壁に挑む』という作品を発表している。この2作品は,同じ作者が 30年という長い時間を経たうえでろう者やろう者を取り巻く状況を描いたフィクション作品(推理小説)という点で,(おそらくは)他に類を見ない特徴を持つ作品群といえる。本稿では,この両作品を読み比べることで,その時代を生きた西村に,さらには日本社会に生じた,ろう者やろう者を取り巻く状況の「見方」の変化が読み取れるのではないかという問題意識のもと,現代日本語の動態に関心を抱く筆者の関心,観点から,両作品におけるろう者とろう者を取り巻く状況の描かれ方の相違を素描したうえで,その相違が意味する点や日本社会における両作品の受容のされ方について,小考を試みる。
フランスの地方都市の大学で日本語を専攻する大学2年生を対象にした日本語応用会話の授業で,アクティブラーニングの技法が異なる一回完結型の活動を行った。どの活動がおもしろかったかを学習者が評価したところ,2017年度(A群)と2018年度(B群)でおもしろかったと評価する活動が異なった。また,A群は活動のおもしろさの平均値が徐々に下がるが,B群のおもしろさの平均値は,最初から最後までほぼ同じ水準だった。日本語学習に関する学習スタイル調査の結果,B群はたくさんの人と話しながら学ぶことを好む傾向があった。B群は活動形態にかかわらず,周囲のクラスメイトに助けてもらうことが期待できるため,活動のおもしろさの平均値が下がらなかったと考察される。学習内容の難易度が順次上がる科目では,多くの人と関わる活動に肯定的な態度を示す学習者のほうが,他者の支援を得るという学習ストラテジーが使え,活動のおもしろさが減少しないことが示唆された。
本論文は,ある公立昼間定時制高校において,外国につながる生徒が教師役となり,彼らの「つながる言語」を教師に直接法で教えるという協働的ワークショップによる相互の学びと双方の関係性の変化を描き,このワークショップの意義と有効性を解明することを目的とする。外国につながる生徒は様々な背景を抱え,過去の学校経験の中で多くの時間を「やり過ごす」ことに専念してきた。ワークショップを通じて彼らは主体性を持ち,教える立場に立つことを経験する。一方で,外国につながる生徒を理解したいと思いつつも,彼らの「何が分からないか分からないまま」教科を教えている教員や,外国につながる生徒と初めて関わりを持つことになった教員が生徒役を経験する。役割を逆転することで,お互いの困難や喜びについて理解を深めていく。本論文ではこのワークショップでの学びあいを経て,言葉の壁や文化の壁を越えた「密着型教師-生徒関係」をどのように築けていくかを明らかにする。
本稿は移民第二世代が人生の中でどのように自らの位置取りをするのかを明らかにし,そこから示唆されることについて報告するものである。日本ルーツ,アメリカ生まれの2名の第二世代の高齢の方にライフストーリーインタビューを行った。その語りをもとに自分の生きる場でどのような困難に遭いどう対峙してきたかを記述して,ステュアート・ホールの「あるもの」と「なるもの」を手掛かりに読みとき,語り手の位置取りがどのように行われていたかを考察した。その結果,語りから,それ以前に位置付けられていた立場はねじれやパラドクスの中にあって,自己物語の分断を生む大きなストラグルを抱えており,そこから脱するために,位置取りは長時間かけてなされていたことがわかった。続いて,このストラグルには周囲の権力性を帯びた放念化という現象が大きく関与していたことを論じ,その上で,移民第二世代を取り巻く環境として何が求められるかを主張する。
本研究の目的は,継承語教育の背景を有するコロンビア日本人移住地の日本語学校が外国語教育の特徴を強めていく中で,日本語を教えることにどのような意義を見出していったのかを捉えることである。目的を達成するため日本語学校創設者ハナさんのライフストーリーを記述・分析した。ハナさんは現地社会の状況やそこで生きる人々との関わりを通して「Ⅰ.日本とコロンビアの連帯に貢献する人材の教育」「Ⅱ.学習者のキャリア形成支援としての日本語教育」の意義を新たに構築し,継承語教育としての「Ⅲ.道徳教育としての日本語教育」の意義を現地社会の状況と関連づけ,外国語教育の意義として保持していた。考察ではⅠとⅢの意義を,人材育成を志向しているという共通点から「人材育成としての日本語教育」と概念化した。また,コロンビア政府の言語教育指針とその実現状況を参照の上,現地社会で移住地の日本語学校に期待される役割についての試論を示した。
公的支援を受けている地域日本語教室は自主性をどう保ち,理想の活動が行えるか。本研究では日本語と母語両方を重視する運営者兼実践者の語りに着目し,日本語教育の法令・施策に潜む動員モデルへの対応をアナキズムの観点から分析した。また母語支援の動機に迫り,多様性を理解し尊重する社会のあり方を検討した。結果,調査協力者は公の要求に応じつつ,手続き上のやりとりを通じて親子の母語の大切さを対話的に訴え,協同で最適解を探っていた。ここから国家と市民の関係を持続可能にするアナキズムが確認された。また活動の中で顔のみえる子供たちとの出会いが動機となり,それが調査協力者との互酬関係を形成していた。ここに各人が不足分をネットワークで支え合い,豊かさを分かち合うコンヴィヴィアリティが見出された。同時に日本語偏重の社会システムを変えるための環境作りや周囲への働きかけの必要性が,実践者,研究者の役割として示唆された。
日本語教育の推進・拡充のために2007年に文化庁に創設された文化審議会国語分科会日本語教育小委員会の議事録を分析対象として,「日本語学校の非常勤講師」が想定されるカテゴリー化の実践が議論においてどのように行われるかを成員カテゴリー化装置の概念を援用して分析し,公的な議論のメンバーに共有される「日本語学校の非常勤講師」についての文化的規範を描き出すことを試みた。分析の結果からは発言の理解に,「非常勤の献身的な貢献は労働条件に左右されない」,「有償でも提供している日本語指導を無償でも提供しうる」,「非常勤の指導経験は専任の指導経験とは異なる」といった文化的規範が用いられていることが明らかになった。そしてそれらが描かれ,同時に行為を達成する過程で「非常勤」は「日本語教員」や「日本語教師」といったカテゴリーの中で同一ものもとされ,そのことによって不可視化がなされていることが明らかになった。
未就学児の子育てをしながら日本語教育に携わる教師であるという共通点を持つ筆者の私たちは,仕事と子育ての経験に向き合うために,語り聴く場を設けた。そこで自身の経験を語り,他者の経験を聴くことを通して,経験の捉え直しや日本語教師である自分についての理解が促されていった。このプロセスは,日本語教師としての自身のあり方を見出すプロセスであった。本稿では,私たちのうち1名に焦点を当て,彼女が仕事と子育てに関わる経験の見つめ直しから,日本語教師としての自身のあり方を見出していったプロセスを明らかにした。彼女は,「子育て=大変」に反発する思い,同じように反発した20年前の出来事の捉え直しを経て,多様性が普通に存在する社会を作りたい,また学生が自分を理解するのをサポートしたいという思いから,日本語教育の実践において声の獲得を目指していることを見出していったのである。
日本の外国人住民の数は年々増加している。しかし,現在の日本が多文化共生社会であるとは言い難い。大学で日本語教師養成を担当している筆者のゼミでは多文化共生と日本語教育をテーマにしており,多文化共生の文脈において,他人事を自分事として捉えられるようになることを目指している。そこで多文化共生の入口となるような「複言語・複文化脱出ゲーム」の制作と小中学校での実践を試みた。ゼミ生へのインタビュー調査の結果から,脱出ゲーム開発はアクティブラーニングやサービスラーニングの要素も含まれており,学生の主体的な学びを促すものとなっていた。しかし,理論の部分の学習が足りず,理論と実践とのつながりが明確ではなかったことが反省点となった。また,脱出ゲームに参加した小中学生に対するアンケート調査の結果からは,中国語・中国文化を他者と協働して楽しみながら学んでいたことがわかった。複言語・複文化脱出ゲームが他の言語や文化に対する理解を促し関心を持たせるツール,異文化理解の入口となり得ると言えるだろう。
現在,遠隔教育は時間・空間の制約を超え,学びを保障する教育手法として注目されている。本稿は遠隔日本語プログラムの開発と教育実践で問題視されている発話・投稿が少ない消極的参加の現象に着目した。成人日本語のオンラインクラスにおける参与観察に基づき,発話・投稿の少ない学習者2名の事例を取り上げ,その学習過程を記述・分析した。その結果,産出のための言語技能の習得・向上を思い通りに進めることができない状況,学習活動や教師との学習スタイル・学習観の衝突,産出活動への不安やストレスなどの理由から,見ること・聞くこと中心の学習を主体的に選択していることが明らかになった。学習者が現実世界の社会的圧力から一時的に逃げられる居場所をバーチャル世界に見出したり,カリキュラムや教師の期待通りにではなく,自らが理想とする言語学習を遠隔環境でデザインしていることも窺われ,教える側からは消極的と捉えられがちな参加状況を学習者の視点から捉え直す必要性が示唆された。
本稿は,介護の技能実習生と参加型アクションリサーチを行う過程で派生した振り返り記録を書く活動について,パウロ・フレイレによる「対話」と「意識化」の視座から報告するものである。外国人技能実習制度に介護職が追加されて5年目を迎えるが,実習生が書くことに関しては受入れ側と実習生双方が業務上の負担や困難を抱えている。筆者は,コロナ禍に介護現場で実習生と彼女らを支える人々とともに参加型アクションリサーチを開始した。本実践研究は,その過程において実習生の一人が提起して他の参加者と協働で創生された書く活動を指す。データを総合的に分析した結果,パウロ・フレイレによる「対話」と「意識化」の概念が浮かび上がった。本稿ではそれらの視座から本実践研究の成果と課題について論じ,得られた知見を示唆として考察を加えた。その上で,外国人介護人材への日本語教育における内容と言語の統合に向けて試論を提起した。
第二言語習得におけるアウトプットの役割の1つは,M. Swainが’80年代から主張しているように「気づき機能」であり,「言いたいことがあるのに言えない」「言いたいことと自分の言語能力で言えることにはズレがあるとい」という気づきが,その言語形式への選択的注意を促し,習得につながると考えられている。この検証に関わる従来の研究は,予めインプットすべき言語項目を想定しその項目の習得とアウトプット活動の有無の関係を見てきた。しかし本来,我々の発話は母語でも第二言語でも,メッセージ生成からはじまるものである。本研究ではこの種の気づきに注目し,日本語学習者が意見述べをする際に起こる気づきを収集し,分析した。その結果,気づきのうち半数以上が語彙項目に関するものであること,また,発話中の気づきのうち発話直後に具体的に想起できた項目は1割に満たないものの,日常的に繰り返し気づきが起こっている内容と近似した項目については,具体的ではなくとも包括的な記憶が残っていることが明らかになった。
本研究では,中国語を母語とする日本語学習者を対象に,教室外で日本語の映像作品を視聴する際の字幕言語選択について調査した。527名の協力者による質問紙の回答と199名の協力者による音声語彙サイズテストの回答を用いて,(1)選択される字幕タイプはどのような傾向があるか,(2)字幕の言語選択に影響を与える要因は何か,(3)日本語語彙知識の量によって字幕タイプの利用傾向及びその影響要因に変化があるか,(4)字幕タイプが語彙学習に与える影響について学習者はどのように認識しているかという4つの課題について分析を行った。その結果,(1)日本語よりも母語である中国語が入っている字幕が多用され,中国語と日本語以外の第三言語の字幕の利用が少ないこと,(2)映像作品の内容への興味の深さが字幕の言語選択に最も強い影響があり,日本語字幕の利用頻度は語彙学習意欲の強さによって変動しやすいこと,(3)語彙サイズによる字幕の言語選択およびその要因への影響が弱いこと,(4)語彙学習意識が高まると中国語字幕よりも日本語字幕の補助が求められることなどが示された。これらの知見を踏まえて映像作品の字幕利用について提案をした。
本稿の目的は,翻訳のプロではない研究者/言語教育実践者が英語で書かれた学術書を日本語に訳して出版するという行為にまつわる葛藤,そしてそこから見出し得る社会的貢献について考察することである。具体的には,これまでに訳書1冊を協働的に出版し,現在は別の翻訳プロジェクト2件に関わっている私がその過程で経験した葛藤を,「翻訳の非専門家が訳書を世に出すこと」「機械翻訳を使用すること」「翻訳が既存の尺度では業績として評価され難いこと」という3つの観点から詳述する。次に,そういった葛藤を抱きながらも,私自身が知り得た学識を「共有知」として他者と分かち合っていく試みが言語文化教育をはじめとする研究領域のみならず,一般社会にとっても,重要かつ必要不可欠であることを論じる。最後に,そのような取り組みが結果として地域間・文化間・言語間における学識上の格差を是正していくことに資するという点を主張して,結びとしたい。
本稿は,牛窪隆太著『日本語教育学の新潮流29―教師の主体性と日本語教育』(2021年,ココ出版)の書評である。しかし,本稿はその内容の紹介でもないし,解説でもない。本稿は,牛窪の議論や議論の流れを,サルトルにおける実存や主体性の議論と照らし合わせ,その共通点と相違点とを示すことで,牛窪による日本語教育における教師の主体性の議論を,より大きな枠組み,よりよい生のありかたと,よりよい社会のありかた,あるいは「人間存在としての存在論」と「場の存在論」とでも言うべき,より哲学的且つ社会的な議論の中に再置しようという試みである。牛窪が述べているように,言語は人を作り社会を作るものである。であれば,言語教育とは「人を作り社会を作るもの」の教育となる。本稿はそのような観点から,牛窪の著作を捉え直すものである。
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