話しことばには,言語学,音声科学,会話研究のいずれでもカバーされていない広大な空白領域が残されている。本稿はこのことを,現代日本語の9個の現象を通して具体的に例示したものである。さらに,それらに対する筆者の同時代母語研究を通して,現在の言語学において自明視されている前提を検証した。検証対象とされたのは,伝達型コミュニケーション観(コミュニケーションを情報の伝え合いとする考え),唯文主義(談話を文の集まりとする考え),脱現場的言語観(言語を本質的に脱現場的なものとする考え),切り分け型の記号観(記号を意味も音韻形式も切り分けられたものとする考え)という4つの前提である。空白領域に進んで音声や会話の研究者を呼び込む基本的なプラットフォームを構築するには,言語学者はこれらの前提が不当であり研究の障壁になっていないか,自覚的に検証し,必要があれば臆せず取り除いていくべきこと(そして実際その必要があること)を論じた。
トルコ語には名詞の重複で事象の複数性を表す構文がある。この構文を本稿では複数行為性名詞重複構文(PNR構文)と呼ぶ。先行研究でPNR構文は単なる名詞の重複として捉えられてきた。しかし,本稿では複数行為性を表す構文として捉え直し,参与者指向/事象指向PNR構文という二種類のPNR構文があると分析する。まず,前者は行為の参与者に行為を分配する機能を持ち,後者は時間と場所に行為を分配する機能を持つことを主張する。さらに,二種類のPNR構文は共通して動詞の付加詞であるものの,参与者指向PNR構文は描写述語,事象指向PNR構文は副詞と分析する。最後に,これらの記述・分析に基づき,本稿はトルコ語の複数行為性の構文とPNR構文を比べ,前者は限定的で単一機能しか持たない一方で,後者は包括的かつ多機能的な複数行為性構文であると特徴づける。
西日本各地の方言に『トル』で総称されるアスペクト形式が見られることは多くの先行研究が明らかにしているところである。本稿が対象とする福岡県の飯塚市方言にもアスペクトを表す『トル』が見られるわけだが,それに加えて,モダリティを表す『トル』がある。モダリティを表す『トル』は形容詞またはコピュラに後接して,過去の事態に対する断定的判断の意味を表す。そして,典型的なモダリティ形式の特徴を備えている。
本稿では,日本語と異なる体系を持つ日本手話の語彙に関し,身体性や経験基盤を重視した認知言語学の観点から,日本手話の「わかる」とその否定型について分析を行った。日本手話の「わからない」は,日本語のように形態素「ない」を後ろにつける生産的な形式ではなく,肯定型の「わかる」と異なる形式を持つ。「わかる」の肯定型と否定型の形式は,手型や位置を共有しており,反義語同士の形式と意味の関係は,Lakoff and Johnson(1980)の「知っていることは下,知らないことは上」という空間メタファーで体系的に説明できることを示した。さらに,理解に関する複数の日本手話語彙の背景には「理解することは掴むこと」「アイディアは対象物」「アイディアは食べ物」などの概念メタファーで説明される身体性がある。これらによって説明できる語の意味と形式は相互に関係があり,「理解」に関する語彙が意味と形式双方が関係し合う記号的なネットワークを成していることを示した。
英語における付加詞である疑問詞を残余句とする省略疑問節に関して,Hartman(2011)は興味深い観察及び分析を提示している。本論文は,中国語の当該省略節が英語とは若干異なる特徴を持つことを指摘し,その二言語間の相違を付加詞の基底位置,及び省略が適用可能な最大の領域に適用することを規定する条件であるMaxElideを用いて説明することを目的とする。理論的帰結として,Merchant(2008)において提案されたMaxElideの定義よりも,Takahashi and Fox(2005)及びHartman(2011)における定義の方が妥当であることを論じる。