本稿では,フィリピン北部の諸言語における存在文・所有文・所在文の名詞標示の多様性を比較・分析した。調査対象はバタン語群,北ルソン語群,および中部ルソン語群に属する20言語である。分析の結果,存在文・所有文に顕著な変異が確認された。具体的には,存在物名詞が,(i)主格で標示されるNOMTH型,(ii)斜格・属格等で標示するnon-NOMTH型,(iii)繋辞により述語と結合するLKTH型,(iv)述語に融合するPredicativizedTH型の四種である。これらの多様な変異は,3種類の機能的な動機付けが相互作用した結果として分析され,構文パターンの分布は,系統的・地理的分布とも密接に関連することを論じた。本研究は,存在・所有・所在構文の類型論的研究,フィリピン諸言語の記述研究に新たな事例を提供し,文法変異と機能的要因の相互作用を明らかにするものである。
文法的態に関してはそれぞれの語族・諸語において独自の研究方法が存在し,術語の種類や用法も様々で統一的な見解に至るのは難しい。本論ではまず文法的態についての従来の研究を振り返り術語の整理を試みる。次いで,オーストロネシア語族のsymmetrical voiceを示す諸語の文法的態の分析方法について議論する。これらの言語には同じ論理的意味を示す他動文が二種類以上存在し,動作の主体が主語のときと動作の対象が主語のときで動詞の形態的複雑さと文中に必要とされる名詞の項に変わりがない。また,非能動態が複数存在し,自動詞的意味を持つ動詞であっても非能動態を取ることができ,その意味が予測しづらい。本論ではこのような独自性を持つ西マラヨ・ポリネシア諸語のフィリピン型と呼ばれる文法的態について,項の意味的特徴や文法的態の形態的特徴を予測するため,動詞を形成するbaseの詳細な分類を提案する。
本稿は,述語化(=単独で述語になれない要素を述語として機能させる働き)に関する以下の3つの問いに答える。すなわち,(i)述語化をどう規定すべきか,述語化形式の「意味の空虚さ」とは何か,(ii)述語化形式と助動詞・補助動詞との関係はどのようなものか,(iii)助動詞構文における文法的意味を担うのは助動詞自体か,の3つである。「空虚さ」を主要部に情報を増やさない類的意味と再定義し,述語化を広義・狭義・最狭義の三段階で整理する。北豪CVCの屈折動詞,バスク語の助動詞,英語のbe/will,トホノ・オーダム語,アルゴンキン諸語を比較し,Croft/Andersonの分類の揺れを再分析する。さらに,項類>代名詞接辞,助動詞類>TAM接辞,補助動詞類>コピュラ・類別接辞という文法化の経路を示すとともに,「出来事語根のみがコピュラを要する言語は存在しない」という普遍性の理論的基盤を精緻化する。
日本語の指定文や潜伏疑問文に関して関数名詞を用いた分析を主張する立場と変項名詞句を用いた分析を主張する立場の間で近年論争が続いている。この論争においては,学術的内容に関わる問題と理論的仮定からの帰結などに関する方法論的な問題が複雑にもつれ合い,議論が噛み合わず論争が大きく紛糾している。本論文の目的は,この論争において最も問題含みである,関数名詞説における「過不足なく指定」の要件に焦点を絞って議論の整理を行うことである。まず,出版された論文の中で,著者自身によるこの要件の把握が矛盾と不明瞭さを含んでいる箇所を具体的に指摘する。さらに,これをふまえて今後の研究の進展のために,この要件を再解釈する予備的提案を行う。具体的には,この要件を,純粋に論理的な意味関係に関する要件としてではなく,文脈的知識を加味した,疑問文の適切性に関する語用論的制約として捉え直すことが有望であるということを主張する。
英語における単数定性記述名詞句には,よく知られている指示的,叙述的,量化的の3種の解釈に加え,不定性記述名詞句に相同する選択関数による解釈を持つことを提案する。統語的位置にかかわらず,原理的に4種の解釈は常に可能であり,繋辞文の主語 - 補語の組み合わせにおいて,論理的に可能な全ての組み合わせが確認できるが,全ての組み合わせに対する語用論的文脈の提示,並びにそれらを識別する診断方法の考案と検証は今後の課題として残る。
本稿は日本語非意図構文とヴォイス体系に関わる問題を4つのレベルで論じる――(i)個別言語/方言の個別構文の類型論,(ii)個別文法のヴォイス体系における位置づけ,(iii)通言語的類型論,(iv)一般言語理論。非意図構文とは,行為主の意図と実際の結果の不一致(がもたらす行為主性の低下に伴う事象タイプの変換)を文法的にコードする文の集合である。標準日本語の「私は開ボタンを押してしまった」や東日本の一部の方言の「開ボタンが押ささった」のような文はその例である。本稿はそれらを4分類し,各類型の意味・統語構造を記述しながら,それらの共通点と相違点を明らかにする。そして,日本語文法内でそれらが使役・受動・受益・逆使役等と共に適切に位置づけられるヴォイス体系を論証し,通言語レベルの類型論への道筋も示唆する。さらに,非意図と関連ヴォイス構文の適切な記述・説明にとって必要となる一般ヴォイス論も探究する。