滋賀県高島市朽木地域に成立するトチノキ巨木林の立地環境を,自然環境と人為環境の双方に着目して明らかにした.調査谷には230個体のトチノキが生育し,そのうち47個体が巨木であった.トチノキの巨木は,下部谷壁斜面と上部谷壁斜面の境界をなす遷急線の直上,および谷頭凹地の斜面上部に多く分布し,小・中径木と比べて谷の上流側に分布が偏って樹林を形成していた.すなわち,トチノキ巨木は安定した地形面に生育していると考えられる.また,朽木地域のトチノキ巨木林は,炭焼きや刈敷の採集などの人為攪乱が頻繁に及ぶ山林の中に成立していた.トチノキは伐採が制限され選択的に保全されてきたが,巨木林の成立には個人の選択が強く関わり,巨木林が成立する谷としない谷が分かれてきた.以上により,本地域のトチノキ巨木林は,地形面の安定性と選択的な保全,他樹種に対する定期的な伐採が維持される環境下で成立したものと考えられる.
本稿の目的は,滋賀県高島市朽木における行商利用の変遷と現在の特徴を,利用者や利用する地域社会の視点から明らかにすることである.これを通じて,過疎・高齢化が深刻化する現代の山村において行商が果たす役割を考察する.若狭街道に位置する朽木は古くから行商人が行き交う地域であった.聞取り調査の結果,1950年代後半までには,行商人は物資の供給だけでなく,便利屋や機会の媒介者などのさまざまな役割を担い,朽木の地域社会を構成する一つの要素となっていたことが明らかになった.しかし,1960年代前半からの社会変化により,住民による行商の利用機会は減少し,行商人との関係性は希薄化した.一方,現在の行商は,高齢者にとっての補完的・代替的な買い物手段として機能している.また,利用者と行商人との関係性は雑談や相談のコミュニケーションの場として機能するほか,高齢者の自立した生活を豊かにする相互行為としての側面をもつと考えられる.
本研究は,視覚障害者を中心に設立されたNPO団体によるWebを用いた地図作製活動を事例にして,地理空間情報を活用した視覚障害者の外出を「可能にする空間」の創出方法を明らかにし,依存先の集中と分散という視点から地理空間情報技術による外出支援の可能性と課題について考察した.ICTの発達によって地理空間情報を可視化する動きが強まる中,この団体は「ことばの地図」というテキスト形式の地図を作製している.それは,触覚情報を中心に伝えるとともに,漠然とした空間の広がりを強調して利用者の探索的行動を喚起することで,依存先の分散化を促し,視覚障害者の外出を「可能にする空間」を創出している.ただし,その内容は道路の管轄にも左右されている.そのため,技術自体の機能性のみが強調される技術決定論的な外出支援策ではなく,地理空間情報技術が関与する物質的空間の設計方法も同時に考慮できる仕組みが必要である.
地域の精神科病院を核に,多様な主体が精神障がい者支援に関わる愛媛県南宇和郡愛南町を事例として,活動の地域社会への拡大と精神障がい者の受容過程を,主体間関係と「負のまなざし」の変容に着目して検討した.1962年の精神科病院開院後,病院職員と親交を深めていった地区住民は,社会復帰施設が開設された1970年代中頃から,地域の生業や伝統行事の闘牛を介して精神障がい者と関わり始めた.1980年代末には,専門職や企業経営者らの先導を背景として,ボランティア主体の精神障がい者支援組織が発足し,イベントの開催や就労支援の活動を精神障がい者と共に進めてきた.当初それぞれの主体が有していた精神障がい者への「負のまなざし」は,特定の精神障がい者と相互に顔の見える関係を築いていく中で,精神障がい者を受容する方向へと徐々に変容していった.しかしながら,近年は支援者間の意識のずれや,人口減少や高齢化に伴う活動の担い手不足も顕在化する.
『狙った恋の落とし方』は,中国人が北海道道東の存在と魅力を認知し,ひいては中国人の北海道道東観光が成立するきっかけとなった中国の映画である.本研究は,この映画によって初めて中国人の団体パッケージツアーに含まれるようになった道東におけるロケ地観光の成立過程,観光客の行動の特徴,受入れ地の対応を分析することにより,地方におけるフィルムツーリズムとインバウンド観光振興の実態を明らかにした.ロケ地ツアー商品の分析からみれば,これら道東のロケ地は道東ツアーの重要な構成部分をなし,ツアーのセールスポイントでもある.しかし,アクセス条件の悪さや中国人観光客の目的地としては後進地であるなどの要因から,実際のツアー訪問者数は多くはない.斜里町を事例に行った地方の受け入れ態勢に関する調査により,中国人ツアーが地方にもたらす経済的利益は限られており,国と地方,ゲストとホストの思惑には温度差があることが明らかになった.
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