戦前から内務省技師として日本の国土計画に携わった北村徳太郎は,戦後,戦時中に学んだドイツ国土計画論を日本の集落状況に落とし込んだ,「中心部落–邑街地–小都市・町–中都市–大都市」から成る中心集落の階層的構成論を考えついた.そして,それを1953年に始まる「昭和の大合併」によって生まれた新都市の建設に活かそうとした.北村は持論をまとめていく過程において,ドイツ系アメリカ人建築・都市計画学者のLudwig HilberseimerのThe new regional pattern: Industries and gardens, workshops and farmsを読み,その中で紹介されているChristallerの中心地理論と,ドイツ国土計画論との間に関係があることを見抜いた.そのことを北村に最終的に確信させたのが,1956年に発表された村松繁樹の『都市問題研究』掲載論文であった.
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