地理学評論
Online ISSN : 2185-1719
Print ISSN : 0016-7444
ISSN-L : 0016-7444
33 巻, 3 号
選択された号の論文の14件中1~14を表示しています
  • 岩塚 守公
    1960 年 33 巻 3 号 p. 97-104
    発行日: 1960/03/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    Flood damages are brought frequently on the land of Japan by heavy rainfall in typhnon season (from middle August to late September) and the rainy season (from early June to middle July), and her communities suffer a large amount of loss by those damages.
    In 1958, from Sept. 26 to 27, a large scale typhoon (So called the Kanogawa Typhoon) attacked the eastern Japan (Fig, 1), and the followed heavy rainfall caused violent flood damages on several parts in these regions. The distribution of rainfall at that time was very complicateb (Fig. 2), and an extremely heavy rainfall were concentrated on the middle part of Izu Peninsula, Tokyo metropolitan area and another several regions. The characteristics of disasters, however, much differed in each regions, in accordance with their physio-and socio-characters.
    In Tokyo metropolitan area, the extensive alluvial plain develops to the east, and flood damages happened often there by overflowing from large rivers (the Arakawa, the Edogawa and Tamagawa etc.). But rainfall distribution brought by that typhoon was somewhat un usual and the rain did not concentrate on the upper part of these large river area but on the place near Tokyo Bay. So, by overflowing rlom small rivers, flood damages were more severe in and around the low upland and the hill to the west of city than on the extensive alluvial lowland along to these large rivers. The total amount of flooded houses reached to about 460 thousands at that time.
    Kanogawa is a small stream which runs in the nouthern part of Izu Paninsula. The disaster occured in the Kanogawa river basin was characterized by the violent inundation, covered almost whole lowland in this river basin, and the severe damage, caused by this inundation: for example, 1, 273 of people were killed and injured, the amount of flowed and destroyed houses exceeded the number of flooded houses and the amount of flowed and buried arable lands are much more than the quantity of flooded (Table 1).
    Chiefly from the physical points of view, we tried to make clear the causes which brought the disasters in this river basin. These causes may be briefly summarized as follows;
    1) The extremely heavy rainfall concentrated on the upper part of this river basin, and theextremely volumenous runoff took place very rapidly, because of the full saturation of the land surface by foregoing much rainfall and the steep gradient of the river and its branches.
    2) Moreover, bridges obstructed the flowing of runoff and temporarily reserved more volumenous water behind them. So, when these bridges were destroyed, the extremely volumenous runoff flowed suddenly downwards.
    3) Consequently, the volume of maximum discharge far exceeded the estimated hiqh waten dis charge flood and the bank was broken at everywhere. The bank on undercut slopes of meander course were especially destroyed than others.
    4) At the mountain region, many landslides and debris flows occurred, and the debris flows caused some damages on roads and horseradish (Wasabi) fields which are the important fields for the cash products in this region.
  • 河村 武
    1960 年 33 巻 3 号 p. 105-112
    発行日: 1960/03/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    昭和33年9月26日東日本を襲つた台風22号(狩野川台風)による伊豆半島付近の詳細な降水量分布を検討した.本報の目的は,従来ほとんど取扱われなかつたマイクロないしはメソスケールの降水量分布を現象面で捉えることにある.とくにこの程度の規模の現象は,地形の影響を大きくうけるので,現存の観測網では容易に実態を把握できないが,共軸相関図の作成その他の若干の作業を行うことにより,できる限り資料的制約を克服するように努めた.内容的には次の点に大別される.
    (1) 総降水量分布図の作成(分布図第3図). (2) 1時間降水量の時間的変化(第4図). (3) 面積雨量の時間的変化(第5図).
    なお狭い地域内の量の分布に対する地形の影響,風上斜面と風下斜面との雨量差および高さによる雨量差などが如何に大きいかが第2図から知られる.
  • 市川 正巳
    1960 年 33 巻 3 号 p. 112-121
    発行日: 1960/03/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    狩野川台風に伴う豪雨によつて,狩野川上流地域に多くの山地崩壊が発生した.その分布密度の高い地域は,総雨量550~700mmの地域,とくに9月26日20-23時の降雨量分布にきわめてよく一致し,同種の岩石で占められる地域においても,雨量の多い地域にとくに崩壊が密集している.このことから,今次の狩野川上流域の山地崩壊は全く雨量型崩壊といえる.従来の研究では,崩壊した物質が, 1度の出水では100mの短距離運搬されるに過ぎないことが知られている.しかし,大見川上流筏場の軽石質砂礫層の大崩壊では,崩壊物質の98%が1度の洪水で数10km下流に流出したことが,原土と下流の洪水堆積物との比較によつて知ることができた.
    洪水によつてどこに河岸の侵蝕と河床の堆積が発生するかは,そこの地形的特徴によつて決定することができる.すなわち,侵蝕堆積の地点における川幅と谷幅との比と,河床勾配との関係は第6図のようで,川幅/谷幅の比が大であつても,河床勾配が小であれば,その地点の河床に堆積が生じ,両者の比が小であつても河床勾配が大きい地点には侵蝕が発生する.このことから,ある地点の河床勾配に対応した川幅/谷幅の比を求めることができるので,洪水対策に重要な示さを与えることができるであろう.
  • 市瀬 由自
    1960 年 33 巻 3 号 p. 122-129
    発行日: 1960/03/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    狩野川台風によつて発生した山崩れ,土石流は,中新世以降激しい火山活動が継続して来たグリン・タフ地域における山地崩壊の諸性質を示すものである.これは伊豆半島が (1) 地質岩石の構造や分布状態が複雑な地域であること, (2) 半島を構成する地質岩石の一部が激しく変質または風化を受け,軟弱となつていること, (3) しばしば大規模な火山活動や地震が発生して,火山体の破壊や地震断層の生成およびそれに伴なう地辷り,山崩れ,亀裂の発生などの地変が繰返されて来たために山地崩壊を起し易い素因を含んでいること,などによるものである.そしてこれらの素因と局地性豪雨の性質とが結びついて,つぎに述べる性質の山崩れや土石流が発生している.すなわち (A) 異種岩石の境界附近より発生する山崩れ(これは素因の第1と関聯をもつもので,上下の岩層の水に対する物理的性質の差異によるものである). (B) 風化土層の剥落による山崩れ(これは素因の第2と関聯をもつもので,生産される土砂も小礫,粗砂,粘土などの細粒のものが多くなつている.), (C) 古い時代の山崩れおよび土石流(これは素因の第1,第2,第3と深い関聯をもつもので,その構成物質,形成過程からみても土砂礫の結合が緩くなつている.そのためこれらの不安定な堆積物の一部が地たり性崩壊や再崩壊を起して多量の石礫を河床に供給している), (D) 漢岸侵蝕と土砂礫の流出(洪水流による側侵蝕や土石流の発生によつて多量の土砂礫が河床に供給されるとともに,下流域では上述した各種の崩壊によつて供給された火山性細粒噴出物が多量に堆積した.)
  • 三井 嘉都夫
    1960 年 33 巻 3 号 p. 130-138
    発行日: 1960/03/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    狩野川洪水の性格を知るために.修善寺橋下流部の河床変動と洪水の氾濫等について考察しつぎの結果を得た, 1) 狩野川は中.下流部の堆積平野を深くきざんでいるが,傾斜の急変する千才橋付近,黄瀬川合流点下流部などでは,河床がとくに深い. 2) 昭和26-33年間の河床横断実測値の比較によると,河床の低下している個所が多い.しかし, 3) 狩野川台風直前と直後の実測によると,大仁下流域に生じた堆積量 (50-60万m3) のうち,その大半は熊坂から天野堰付近に堆積した.その量は大仁から修善寺中学校付近までの侵蝕土砂量とほぼ対応する.しかし黄瀬川合流点下流部,大場川合流点と南条問までは侵蝕の傾向を示す. 4) 河床侵蝕のとくにいちじるしいのは河床傾斜の急変部,破堤ヶ所の上流部等である.これは平野部といつても堆積だけが行なわれている地域ではなく,侵蝕と堆積とがくりかえされる地域であることを示す. 5) 河床礫は今回の大洪水でも大した開きを示していない.
    6) 破堤は上流部の集中的降雨にともなう大出水のほか,修善寺橋峡搾部でダムアツプされた河水が橋の流失によつて鉄砲水化したためと考えられる. 7) 鉄砲水が堤内地に氾濫しても.河状,流域地形に支配され,湛水期間は短かかつた. 8) 氾濫にともなう堤内地の土砂堆積量(ほぼ20-100万m3と推定)は,破堤した堤防土量(30万m3)に破堤にともなう河床洗掘量,堤内地の侵蝕量を加えた量と大差がない. 9) 以上のことから,狩野川大洪水でも,山地の崩壊物質が一挙に下流部に流出して.それが平野部に堆積したものではなく,むしろ比較的付近から供給されたものと考えられる.
  • 荒巻 孚, 高山 茂美
    1960 年 33 巻 3 号 p. 139-150
    発行日: 1960/03/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    今次の氾濫の傾向を通観すると,修善寺橋付近を境にして,その様相はかなり異つている.修善寺橋から上流の地区は浸水流がほとんど河道に関係なく.河谷に沿つて最大傾斜面を流れ,河岸の土地の多くを洗堀流去させている.これに対し,修善寺橋から下流の地区は土砂の堆積もいちじるしく,堆積土量も4×106m3に及ぶ.この地区の浸水の傾向はおもに,水衝部にあたる攻撃斜面側の堤防が欠潰して氾濫したものであるが,概して右岸側の欠潰が激しい.南条地区では,浸水流が東側の旧河道に沿つて流れた形跡があつた.また,浸水・堆積の状態から今次の氾濫現象を類別すると,欠潰型浸水 (A・B・C型)と〓流型浸水 (D型)の4つの型に大別出来る.
    氾濫によつて堆積した土砂(洪水堆積土)の理化学的性質をみると,上流地区は粗砂土から細砂土の土性を有し,単位重量当りの土壌の表面積も小さい.しかるに,下流地区は細砂壌土から埴壌土の土性をもち,土壌の表面積も大きく,腐植含量および礬土・石灰・加里等の化学成分の含量がかなり多い.また,洪水堆積土の理化学的性質を在来原土のそれと比較すると,白山堂から上流の地区は堆積土のほうが在来原土よりも却つて粒径が粗く,単位重量当りの土壌の表面積が小さく,腐植含量も少ない.これに対し,白山堂よりも下流の地区では,堆積土は在来原土よりも,粒径が細かく,土壌の表面積も大きく,腐植含量や無機成分の含量が一般に多い.従つて,下流の一部地区において,氾濫による土砂の堆積が,土地改良的効果をもたらしたように考えられる.
  • 阪口 豊
    1960 年 33 巻 3 号 p. 151-155
    発行日: 1960/03/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    浸水域,流向,堆積物の分布と厚さ,強度に損害をうけた集落と水田等を記入した水害実態図ならびに地形断面図を作成した.観察の結果水害問題にとつて重要ないくつかの結果を得た.とくに人工的微地形,たとえば道路とか水路は地表形態の変化と損害の程度に重大な影響を及ぼす.
  • 大矢 雅彦
    1960 年 33 巻 3 号 p. 156-162
    発行日: 1960/03/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    狩野川中・下流域水害地形分類図および洪水状況図を空中写真,現地調査および大縮尺の等高線図を利用して作製した.その結果,狩野川台風による洪水の冠水範囲,たん水深の深・浅,たん水期間の長・短,洪水流の方向・速度,土砂の侵蝕・たい積など洪水の型は地形要素によつて決められていることが明らかとななつたので,この地域の洪水型を, (1) 谷底平野型, (2) 自然堤防・後背湿地型, (3) 閉塞盆地型, (4) 狭さく部型, (5) 三角洲型の5つに分類した.また沼津市の狭さく部を境として上流側と下流側では地形要素の組合せに大きな差異があるため,洪水型および規模にいちじるしい差が生じている.これら地形要素ならびにその組合せに対応した洪水型は今回の洪水だけでなく,過去の多くの洪水時においても見られたであろうし,将来破堤氾濫が発生する場合にも見られるはずである.破堤氾濫による洪水型を予測出来る水害地形分類図は治水対策の基礎資料の1つとなりうるであろう.
  • 赤峯 倫介
    1960 年 33 巻 3 号 p. 162-166
    発行日: 1960/03/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    台風22号による狩野川流域の豪雨およびそれにともなう洪水は,上流山地に非常に多くの崩壊地を発生せしめ,河岸を掃流し,中下流部の堤防を破壊し,流域に非常に大きな被害をもたらした.この水害の発生機構を明らかにするためには,狩野川の自然的性格の変化の過程と,その変化を促進した流域の社会的,経済発展のプロセスから明らかにしなければならない.狩野川では古来いく度となく大きな水害が繰り返えされ,一部常習的水害地域には堤防が構築されていたが,明治20年頃まではこの川は自然河川としての性格が強かつた.その後流域の治水対策はしだいに進展しとくに明治末期-大正期にかけて行われた高水方式による河川改修は,狩野川の自然的性格を著しく変化せしめた.他方この川の流域では日本資本主義の発展の中で社会的経済的の発展をみたが,その発展は無統制無秩序に進められた.この治水諸施説と流域社会経済の発展との不均衡が今次の大水害の要因をなした.
  • 栗林 沢一
    1960 年 33 巻 3 号 p. 166-173
    発行日: 1960/03/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    22号台風による狩野川流域の災害のうち,民家に関するものを調査して次のような類型の設定を試みた. a) 最上流部の小沢に立地する集落が被つた災害で,山崩れに基ずく土石流の押し出しによつて民家が埋まり,壊れ,あるいは流失した(沢の押し出しによる被害型). b) 上流部の低位段丘上の集落の一部が,そこに氾濫した水勢によつて流失した災害である(上流部の氾濫水勢による被害型).曲流部の河床堆積が主因となつて氾濫:を生じたものと思われる. c) 段丘地域の橋梁が洪水をダムアップし,その水圧によつて流失したために異常な洪水波を生じ,それによつて橋畔の民家が流失したもの(橋梁のダムアップ・流失による被害型). d) 修善寺橋下流部の沖積低地に発生した災害(破堤による集団流失被害型)多数の民家が流失し,人的被害も大きい.堤防決壊の直接的原因は,修善寺橋の流失に基因する異常洪水波にあると推測される. e) 千歳橋下流部の排水不良の低地帯に氾濫し,多数の民家の床上に浸水した(氾濫による浸水被害型).家屋の流失や人的被害はほとんどない. f) 最下流部に発生した災害で,狩野川の氾濫はほとんどなかつたが,本流に合流不能となつた小支流が堤内の市街地に盗れ,民家の床上に浸水した(内水による浸水被害型).これ等の災害のうち,橋梁のダムアップ・流失によつて生じた異常洪水波は,災害の規模をいつそう拡大したと思われる.屋敷林には顕著な防災効果が認められた.また家屋構造上,石造やアンカーボールト等も防災効果があつた.
  • 石井 素介
    1960 年 33 巻 3 号 p. 174-183
    発行日: 1960/03/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    日本の水害における農業被害の現われかたは.その地域の農業の生産力構造と不可分の関係をもつ.すなわち被害主体のもつ社会的性格は,そのおかれた地域的諸条件のもとで,洪水という自然力に対決し,これを克服する過程を媒介としつつ,被害の形態と深さを窮極的に規定するのであつて,被害の社会的本質は,このような具体的過程の中ではじめて構造的に把握される.ここでは商品生産の比較的発達した狩野川流域における農業被害の構造について,上中下流の標本4集落を対象とする実態調査資料によつて分析検討した.被害の主要な形態は耕地の流失埋没で,その量・質的程度は上下流で大きな地域差を示す.しかしそれが農業経営に及ぼす打撃は,小農経営層から賃労働兼業層への転落という形を中心に,各集落共通して一定の階層的傾向を示し,それがまた災害からの復興過程をも支配している.つまり被害は農業構造の弱点に集中し,階層差を拡大強化する方向に作用しているのであるが,その具体的な現われかたは地域によつて異り,商業的農業の発達,とくに農業生産力の担当者たる農民層の成長の如何が.被害構造の規定要因であることを示している.
  • 菊地 光秋
    1960 年 33 巻 3 号 p. 184-189
    発行日: 1960/03/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    狩野川台風による東京地方の水害地域は,水害型と地形の上から, (A) 東部および東南部のデルタ地帯, (B) 西部の武蔵野台地上の地域に2大別される. (B) 地域はさらに3分され, (1) 武蔵野台地上に水源を持つて,台地上を貫流している白子川・石神井川・妙正寺川・桃園川・善福寺川・旧神田上水など,荒川水系の谷とその沿岸地域, (2) 排水溝幹線として利用されている灌漑用水路および元灌漑用水路の沿岸地域, (3) 武蔵野台地上に点在する窪地の湛水による浸水地域で,水路に沿つていない地域とすることができる.東京地方西部の台地上の水害では,山岳部に雨量が少なく,平野部に豪雨が集中したために,中小河川の氾濫が目立つて多く,また窪地の浸水が多かつた.東京西部の市街地における家屋密度の増大と,西部の近郊農村の住宅地域化は,近年目立つて大きくなつている.この住宅地域の拡張と,下水溝および排水路としての中小河川対策が,平行して行われていないため,豪雨の影響をうけて被害が大きかつた.東京西部の台地上における多数の浸水家屋のうち,新築住宅の被つた水害の多いのもいちじるしい特色である.
  • 1960 年 33 巻 3 号 p. 190-191
    発行日: 1960/03/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
  • 1960 年 33 巻 3 号 p. 192
    発行日: 1960年
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
feedback
Top