地理学評論
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33 巻, 5 号
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  • 深井 三郎
    1960 年 33 巻 5 号 p. 247-268
    発行日: 1960/05/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    飛騨山脈の山頂と山麓とを結ぶ鍵は,洪積世の火山活動および氷期の氷河の消長と段丘との関係にある.神通川流域における洪積世以降の河谷地形の発達とそれに対応する山麓の地形変化は,段丘の火山活動に伴う流水堆積層を追求することによって,明らかになった.飛騨山脈とその山麓の地形形成期は,神通川の下流域の段丘と常願寺川流域の段丘とを対比し,さらに,海侵期を考えて, PD期・Dl期・Dm期・Du期・A期に区分した.飛騨山脈の山頂付近の侵蝕面は, PD期までに形成された.飛騨山脈は, PD期末からDl期末までの幾度か行われた造構運動または断層運動によって,成長発達した.そして,山麓に最高位の扇状地が形成された.飛騨山脈は, Dm期のはじめから急速に隆起し,黒部川は,この隆起によって,峡谷を形成した.山麓においては,さらに扇状地が形成された.飛騨氷期直前頃の山形は,早壮年期の状態を示していた.このような時期に氷期が襲来した.氷河の最大拡張期の山麓対比層は,部分的な気候毅丘をのぞけば,白馬山麓北股の高位段丘層・粟巣野段丘層などである.河谷の低位段丘群上位の砂礫層の堆積層は,上位モレーン形成期に相当する可能性があり,その下位の岩石段丘および巨礫の堆積は,それ以後の氷河の後退期にあたる.この堆積と侵蝕は,気候変化と山地の隆起と相和して形成されたと考えた.この山麓における段丘・扇状地面の収斂状態は,増傾斜的地盤運動の結果である.
  • 関口 武, とその協力者
    1960 年 33 巻 5 号 p. 269-276
    発行日: 1960/05/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    1958年3月8~24日,東京都内の水平面日射量の地理的分布を測定した.観測は定点観測と移動観測を併用した.定点観測にはエプリー日射計4台,ゴルチンスキー目射計1台を使い,これ等を自記記録計に電接して,観測期間中の日射の連続記録をとつた.定点は都心部(気象庁,教育大),西部(高円寺),江東(向島),羽田空港に設けた.移動観測は2組ないし1組の観測班が.ゴルチンスキー日射計とmVメーターを携行し,あらかじめきめた観測ルートにたがつて,自動車または電車を使つて移動し,観測を実施した.観測開始は9時半,終了は16時で,太陽高度が高く,日射強度の変動が小さい時期で,この間に各班は15~17点で,日射観測を行つた.移動観測は8, 13, 17, 19, 24日の5回実施した.観測値は同時刻の近接定点の値と比較し, %で示し,これをさらに同時刻の教育大の値の%に換算して表示した. 1~10図はその例である.
    観測は必ずしも天気のよい日にだけ行われなかつたが, 5日とも,都内にいちじるしい日射強度の地域差が認められ,最大の地域差は50%以上に達した.一般に西北郊に日射は強く110%以上だが,江東・大森・川崎地区は40~50%という低い値を示す場合が多かつた.
  • 千葉県茂原市の例
    鈴木 富志郎
    1960 年 33 巻 5 号 p. 277-287
    発行日: 1960/05/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    茂原市は東京から2時間の位置にある地方小都市で,かつてはその中心機能を商業に求めていたが,戦時中から工場が立地し,現在ではむしろ工業都市としての機能が中心となつている.この時期には人口の急増をみたが,このうちには東京からの疎開人口もかなり含まれている.
    真空管製造業を主とする茂原の工業は,その単純な作業工程から安価かつ豊富な労働力を多く必要とし,周辺農村部から女子労働力を集めている.一方市内に適当な市場を見出しえない男子労働力は,東京または千葉市へ流出して行き,茂原市は農村部から労働力を集めながら,自市内からほぼ同数の労働力を他地域へ排出している.これは経済的要因がその最大の原因である.給与面で比較してみると,たしかに東京・千葉に職場を求めた方が高給を得られるが,通勤に要する費用・時間を見込むと両者の間には大差はない.結局経済的要因-労働市場の有無-を基礎としながらも,大都市側の住宅事情や両者間のaccessibilityの良さが通勤現象を支えている.
    また,商圏その他の日常生活圏においても大都市と密接に結ばれているが,この面でも旧茂原町と農村部では結びつきの強さに差が認められる.
    茂原市は農村の中心都市であるとともに,大都市に絶えずひかれている.工業機能を持つ衛星都市といわねばならない.それは茂原の工業が要求する労働力の質的相異によつて生ずるものであり,大都市東京の周辺に散在する他の衛星都市と同様に,東京の機能の分散を受持つ半面,大都市の拡大化を助長する役割をも果している.
  • 1960 年 33 巻 5 号 p. 288-296_2
    発行日: 1960/05/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
  • 1960 年 33 巻 5 号 p. 296a
    発行日: 1960年
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
  • 1960 年 33 巻 5 号 p. 296b
    発行日: 1960年
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
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