地理学評論
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36 巻, 11 号
選択された号の論文の5件中1~5を表示しています
  • 竹内 常行
    1963 年 36 巻 11 号 p. 635-654
    発行日: 1963/11/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    高田平野の関川右岸部は頸城山地の地たり地帯を水源とする,関川の諸支流によって形成された扇状地,三角州である.ここの水田は江戸時代初期に開さくされた中江用水と初期から長期に亘つて完成した上江用水とによって,大部分灌漑されている.しかし古くは諸支流によって灌漑されていたのが,江戸時代初期の平野部の開田と,地たり地帯における開田の継続と灌漑施設の整備とによって,諸支流の用水では,水不足が著るしくなり,関川本流より引き水されることになった。その間の経緯を明らかにするとともに,上江,中江用水区域内の用水事情に著るしい差のある理由を考察した.次に関川に水力発電が開発されるにともない,農業用水とどのようにして調整されていったかの問題におよび,最後に現在の水利状況では,この地域の農業の生産性の向上は困難である事情に触れた.
  • 内藤 博夫
    1963 年 36 巻 11 号 p. 655-668
    発行日: 1963/11/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    若い造山帯の地形発達史研究の1つとして,グリーン・タフ地域の中から秋田県北部の鷹巣盆地を選び,その地形発達史を考察して次のような結果を得た.
    1) 上部鮮新統三木田層堆積後,地殼運動が活発になり,現在の鷹巣盆地の原形である古鷹巣湖盆が形成され,同時にその堆積盆の中に湯車層の堆積がすすんだ.造盆地運動は,西側では七座背斜を中心とする七座山地の隆起,東側では麻当山地西麓の略南北方向の断層の動きによる盆地側の相対的沈降として現れた.湖盆は南部に浅く,北部に深い形態をとり,沈降の中心は現在の鷹巣町付近と推定される.
    2) その後造盆地運動が衰え,地殻運動の休止期に入る.湖盆は湯車層により埋積しつくされ,その堆積面に連続して,盆地の周辺部に河川の側方侵蝕の進展による侵蝕面が形成された(K1面の形成).
    3) K1面形成後,再び地殼運動が活発化し,造盆地運動の傾向を受継ぎながら,地域全体が基準面に対し隆起する方向にむかう. K1面は開析され,その間の河床安定期に数段の侵蝕段丘面(上からK2面,大野台第1~第4,米内沢段丘面)が形成された.これらの段丘堆積物の厚さや段丘面の変位に造盆地運動の傾向が現れている. 4) 大野台第4段丘面を切る谷ができたのち,米内沢段丘面形成の前と後に少くとも2回の軽石流の流入があり,古期軽石層の堆積面として合川段丘面,新期軽石層の堆積面として鷹巣第4段丘面が形成された.
    5) この地域に分布する火山灰層は上部,中部,下部火山灰層に分けられる.下部は大野台第3段丘面以上に,中部は合川農丘面以上に,上部は米内沢段丘面以上にのつている.
  • 井口 正男
    1963 年 36 巻 11 号 p. 669-674
    発行日: 1963/11/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    昭和36年6月末の天竜川出水によつて飯田市川路付近では甚だしい氾濫とそれに伴う堆積をみた.氾濫は第2章で述べるように27日深夜から半日間にわたつてほぼstableな水位を保つたものと思われ,堆積物は第3章で述べるように多量の砂質物質,シルト質物質からなつており,非常に分級がよいという目立つた特徴をもつていた.
    そこで約50箇の試料を採取し,第4章で述べるように,各試料について粒度分布曲線の折れ点を図式方法から求め,細粒の方の折れ点に相当する粒径を限界粒径と呼び,その大きさをd0であらわす.d0の静水中での沈降速度 (W0) は乱流の鉛直方向の変動速度 (W'), ひいては流速と対応していると考え, W0の分布図(第5図)を画いた.
    以上のようにして川路付近の氾濫堆積物には, (1) 砂質,シルト質物質が大部分を占めること, (2) W0の値が特有な分布を示している,などの特徴が認められた.このような特徴を説明するには,上流から多量の細粒物質が供給され,一旦溜つた水が天竜峡から吸引されるような状態で流出したと考えるのが好都合であることがわかつた.
  • 高桑 糺
    1963 年 36 巻 11 号 p. 675-685
    発行日: 1963/11/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    In the northeastern Shikoku, the Asan Mountainland, whose southern boundary coincides with the Median Dislocation Line dividing southwestern Japan into the Outer and the Inner Geological Zones, is a recently elevated massif preserving several steps of relatively flat erosion surfaces on its foot.
    The writer tried to make clear the Plio-Pleistocene tectonic movement of this mountainland through the study of these erosion surfaces. He classified these surfaces into 3 grouper, where sedimentary remnants are classfied into 6 layers on the northern side and 9 on the southern side of the massif. Moreover, 6 types of the conditions of contact between each surface and other ones are identified. Analysing these geomor-phological factors and fault structures, the writer reaches the following conclusions.
    The Asan Mountainland is presumabjy a tilted block with some fresh fault scarps on its southern side as on the northwestern side, and has swollen up as a landwave of pitching with an axis upwarping at its central part linking Inohana with Sarusaka. Thus, the central part of the massif has been brought higher than its western or eastern ends. The movement mentioned above develops a system of radial faults with such depression areas as some parts of Takamatsu and Marugame Plain.
    Considering the fresh fault cutting the lowest terrace gravels seen on the southern side of the mountain, this orogenic movement may have continued to grow up to the recent time.
  • 1963 年 36 巻 11 号 p. 686-693_2
    発行日: 1963/11/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
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