埼玉県の開拓地には,生産的な意味での等質地域の性格が強く存在していた.この性格は,画一的な開拓行政によって支えられてきたものである.
その後,農産物需要構造の変化と,都市化の進展は,土地利用方式の変更と農業生産要素の流出を通して,開拓地(農業)の等質性を大きく変えていった.
土地利用では,かつての陸稲,麦,雑穀の栽=培は,より一層労働節約的な粗放畑作経営と,技術的にも高度な集約経営とに分化している.経営類型も,今日では驚くほどの多様化と,地域的な特化傾向を示している.しかし,すぐれた土地基盤条件の存在にもかかわらず,大型農業機械の利用による生産活動の組織化は,殆んど成立していない.
開拓地の土地割と土地所有は,ミクロには大型圃場の集中所有として,また,マクロには整えられた区画形態と,空間的に限定された所有関係として把握される.これらは,開拓地において,多面積の一括取得を必要とする者に対し,これを容易にする条件となる.
上記の特徴をふまえて,開拓地の都市化・工業化の動向を見ると,不振開拓地における,工業団地造成を中心として,多分に行政ペースで進行していることが指摘できる.また,都市化の間接的影響としての農地移動では,経営交替入植や転居を前提とした多面積の一括取得を検出することができる.いずれも,開拓地特有の土地割と土地所有形態が,都市化に及ぼす機能を象徴する姿である.
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