中川水系,とくに見沼代用水地域における,土地利用には,最近,いくつかの変化がみられた.このうち,用水需要に量的変化をもたらしたものは,陸田発達による水田用水の転用と,都市化や稲作調整による余剰水の発生である.また,質的変化を及ぼしたものは,水稲早期(早植)栽培の普及であった.余剰水の在り方には問題もあるが,ごく大まかな推定によれば5m
3/sとなっている.
土地利用の変化に対応した水利用の変化は,都市用水への転用はもちろん,農業水利面においても,さしたるものは認められない.
水利用上の変化が,表面化しないのは,水利関係の固定性,及び土地利用変化の主体である都市化と行政諸施策-具体的には稲作調整や新都市計画法-が,水利用に影響を及ぼすようになって,間もないことにもよるが,とくに余剰水の在り方や,余剰水の存在する地域の灌漑方式からくる制約等が,技術的ならびに経済的な障害となっているからである.
水利用上の変化が,まったくなかったわけではない.それは農業用水の余剰化に伴う問題としてではなく,陸田発達による用水不足や,農業用水合理化事業に伴う問題として,水田用水に対する農民の考え方の変化や,用水体系の部分的変更に機能している.
なお,農業用水の過不足の発生に際し,見沼代,葛西両用水は,若干,対応のしかたが異なっている.水利構造自体に用水不足が内包され,水利関係にも矛盾の多い葛西用水に対し,見沼代用水は,比較的用水事情に恵まれ,水利関係も安定していたことが,逆に水利関係の硬直性に転化しているためである.このような両用水の水利構造上の差は,成立当初の自然的,歴史的条件によって,多分に規定されたものである.
抄録全体を表示