人口地方還流を,学会次元で報告したのは,日本社会学会1970年度大会における黒田俊夫の発表が最初であった.
黒田の発表に対しては,日本人口学会の1971年度大会において,小野旭から批判が加えられた.しかし小野の加えた批判は,黒田の論理を正確にとらえた上でなされたものとは,いえないようであり,筆者が黒田の論理に忠実にモデルを作って,小野の批判を追証してみたところでは,小野の試みたかたちでの批判は,成立しないと判断してよさそうである.この時点までを,一応,論争の第一段階と呼ぶことができよう.
論争の第二段階は, 1972年度に日本社会学会内部にあって,久枝和夫が行なった黒田批判にはじまるとしてよい.久枝は5点にわたって黒田を批判しているが,その論点のなかには,清水馨八郎,服部錐二郎,二神弘らの所説に関与する部分があるので,久枝の論旨を地理学界にも紹介したい.
本稿は,久枝の5点にわたる論旨を吟味するとともに,久枝が(その自費出版物において)人口Uターン非実在論と密接不可分の関係にあるとのべているところの,「都市人口2段階増加論」に対し,一層の緻密化と発展のための私見を提供する.
また, 1960年代を通じて,「人口Uターン」と「非大都市圏人口減少」という,二つの一見あい矛盾する現象が同時に進行したことについては,「人口移動」と「人口分布」の概念のちがいと,「人口Uターン」と「人口帰農」の概念のちがいを確認したうえで,解明を試みた.
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