地理学評論
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46 巻, 10 号
選択された号の論文の7件中1~7を表示しています
  • 藤岡 謙二郎
    1973 年 46 巻 10 号 p. 633-642
    発行日: 1973/10/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    古代日向国は神話伝説の地として喜田貞吉等の古代史家に論じられ,西都原古墳群は大正年代にはやくも考古学的発掘の行なわれたところであり,宮崎県は九州では最も多く前方後円墳が分布する県として知られる.にもかかわらず古代の都市や交通路に関する歴史地理学的調査は極めて不備であった.筆者はかつて日向国府が一ツ瀬川溯航点の現西都市妻の地にあったこと,その方6町域を都市域の候補地として三宅部落東北方の地を推定したが,今般は「延喜式」にみる駅家と律令的古代における官道の調査を行なって,その復原を試みることにした1).その折に郡家の所在地にも注意したが,たまたま現西都市域にふくまれる三宅部落西南4kmの地点の段丘上に都於郡町なる地名があり,付近に高屋部落の現存することに気付いた.高屋は景行天皇熊襲征代時の行宮の名であり,古墳時代の豪族の館が,律令的古代の郡家として踏襲せられたものと推定した.一方「書紀」にみる天皇軍のコースが現在の国道268号線とも一部に合致すること,その他現国道10号線もまた「延喜式」の支路に大部分が合致することを確かめた.さらに当時の駅家や郡家が今もなお宮崎県の現代の市や町となって継承されていること,つまり交通路や地域的中心都市は,時代によってそのもつ機能を異にはするが,古代に計画設定された原位置を継承維持する場合の多いことを確認した.調査の方法は,いずれも現地の微地形や地割調査と各役場での地籍図からする小字名の摘出を第1とし,近世の絵図その他の資料を間接的なものとして援用する方法をとった.
  • 藤田 佳久
    1973 年 46 巻 10 号 p. 643-655
    発行日: 1973/10/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    育成林の地域的拡大を地域単位の集計量としてではなく,その広がり方を中心に把握する.そのために,かつて焼畑耕作が広く行なわれ,その後,急速に育成林化がすすんだ四国西南部山村における二つの部落の各々のテリトリーを対象地域とした.分析については育成林化の時期についての頻度分布をもとにして得られたいくつかの時期について,育成林の広がり方の観察を行ない,そのシミュレーションをモンテカルロ法によって行なった.今回は集落および既存の造林地からの距離の成分を中心にシミュレーションを行なった.その結果,部落の経済的基盤の差によって,そのあらわれ方に相違がみられるが,第一義的には距離の成分の有効性が認められた.また,このシミュレーションを通して,距離の成分以外に,特定所有者による所有地の分布がこれに作用する成分として浮かび上がった.
  • 岡田 真
    1973 年 46 巻 10 号 p. 656-667
    発行日: 1973/10/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    人口地方還流を,学会次元で報告したのは,日本社会学会1970年度大会における黒田俊夫の発表が最初であった.
    黒田の発表に対しては,日本人口学会の1971年度大会において,小野旭から批判が加えられた.しかし小野の加えた批判は,黒田の論理を正確にとらえた上でなされたものとは,いえないようであり,筆者が黒田の論理に忠実にモデルを作って,小野の批判を追証してみたところでは,小野の試みたかたちでの批判は,成立しないと判断してよさそうである.この時点までを,一応,論争の第一段階と呼ぶことができよう.
    論争の第二段階は, 1972年度に日本社会学会内部にあって,久枝和夫が行なった黒田批判にはじまるとしてよい.久枝は5点にわたって黒田を批判しているが,その論点のなかには,清水馨八郎,服部錐二郎,二神弘らの所説に関与する部分があるので,久枝の論旨を地理学界にも紹介したい.
    本稿は,久枝の5点にわたる論旨を吟味するとともに,久枝が(その自費出版物において)人口Uターン非実在論と密接不可分の関係にあるとのべているところの,「都市人口2段階増加論」に対し,一層の緻密化と発展のための私見を提供する.
    また, 1960年代を通じて,「人口Uターン」と「非大都市圏人口減少」という,二つの一見あい矛盾する現象が同時に進行したことについては,「人口移動」と「人口分布」の概念のちがいと,「人口Uターン」と「人口帰農」の概念のちがいを確認したうえで,解明を試みた.
  • 井出 策夫
    1973 年 46 巻 10 号 p. 668-674
    発行日: 1973/10/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
  • 玉井 建三
    1973 年 46 巻 10 号 p. 675-683
    発行日: 1973/10/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    The economic difference between cities and remote islands in Japan has been remarkably enlarged recently since the country entered the period of a high-degree economic growth. Incidentally, the agriculture in remote islands faced a very serious situation either of negligence of cultivation or of extensive agriculture. The author has investigated the peculier characteristics of the agriculture in such remote islands where a trend to shift into recreational places is going on, taking an example of Honson district in Niijima Island, Izu.
    As a result of his investigation, the author learned the fact as follows: the selfsustaining agriculture which was focused on the traditional cultivation of sweet potatoes and wheat has transferred itself to the growing of vegetables which were originally cultivated for the purpose of home consumption. This is primarily due to the increase of Minshuku or home-inns, largely caused by the shortage of labor force which has been absorbed into other industries.
    This can be said to be “self-support agriculture” from the fact that these vegetables are consumed within the island, and at the same time, it is regarded as “commercial agriculture” when we see the fact that they are mainly consumed by tourists. In general, we cannot overlook the devastation of the lands accelerated by the negligence of cultivation in the island as well.
  • 太田 勇
    1973 年 46 巻 10 号 p. 684-693
    発行日: 1973/10/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
  • 1973 年 46 巻 10 号 p. 694-706_2
    発行日: 1973/10/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
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