地理学評論
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52 巻, 12 号
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  • 川上 誠
    1979 年 52 巻 12 号 p. 661-674
    発行日: 1979/12/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    請負耕作(ヤミ小作)は全国各地で発生しているが,なかでも新潟県は多い.その新潟県内でも,大潟町は有数の請負耕作多発地である.本稿では,その多発理由,委託集落と受託集落の分化,委託形成における主婦の役割,委託への「段階的移行」を地域労働市場の展開と農業構造のかかわりから明らかにした.また,受託農家の性格と受託農家の規模拡大過程を調べ,さらに減反政策のもとで請負耕作が発生・展開する理由も考察した.
    工場進出にともなう地域労働市場の展開は,委託農家の創出条件である.それゆえ,請負耕作は今後も増加するとみられる.請負耕作は「戦後自作農」の崩壊であり,新しい経営形態の一つの形成でもある.
  • 規工川 宏輔
    1979 年 52 巻 12 号 p. 675-688
    発行日: 1979/12/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    集団栽培組織の崩壊後,1970年代の佐賀平野における稲作生産組織の再編成が兼業化・機械化を通して進行する有様を筑後川下流の佐賀郡諸富町を中心に,諸条件の異なる4市町を調査地域に設定して考察した.その結果,以下のことが明らかとなった. 1. 都市化現象の顕著な鳥栖市,かつて「新佐賀段階米づくり運動」のリーダーであった三日月町では,1970年以降,農協または受託グループによる組織的な請負耕作の萌芽がみられたが,これらは佐賀平野のごく一部に限られており,一般に生産組織の再編成は,機械・施設の共同利用を目的とした各種補助事業の導入を契機に,行政主導によって進行した. 2. これらの生産組織は安定兼業を助長する要因となり,中核的農家の経営拡大は主として裏作のための期間借地の形をとった.一方,相対による稲作の全面請負耕作では,高い土地生産力を基盤に標準小作料を大幅に上回る高額地代が成立し,諸富町ではこれが農用地利用増進事業に引き継がれた. 3. 借地による規模拡大を指向している上層の農家は,機械・施設の共同利用のための生産組織から次第に離れ,個別化する傾向にある.
  • 柳田 誠
    1979 年 52 巻 12 号 p. 689-705
    発行日: 1979/12/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    阿賀野川中流域における河成段丘の区分を行ない,会津盆地西部の河成低地と対比し,峡谷部から盆地部にかけての古地理を復元し,河成段丘の形成要因について考察した.
    調査地域の河成段丘は古いものから,西平面・柴崎面・徳沢面・野沢面・坂下面・沼沢面・三津合面・山都面群に区分される.一方,会津盆地西部の河成低地は6面に区分され,それぞれ野沢面・坂下面・沼沢面・三津合面・青木面(山都面群に相当)および現在の氾濫原となる.会津盆地西縁の丘陵は,鮮新世末期~更新世中期初めまで,隆起傾向にあったが,現在のように只見川の河谷と会津盆地とを分離してはいなかった.おそらく,会津盆地西縁の活構造の影響を受けて,この丘陵はさらに隆起を続け,只見川の河谷を分離した.会津盆地西縁の活構造を境として,会津盆地では更新世中期初め以降に,厚さ150~200mの地層が堆積し,峡谷部では段丘群を形成しながら,約100~140mの下刻が行なわれている.このような大きなオーダーの地層の堆積や下刻は,おもに地殻変動に由来すると考えられる.
    野沢面形成期には峡谷部・盆地部で共通して堆積作用が卓越した.野沢面の形成は約2.1~2.2万年前に終了し,その後は下刻作用が卓越した.約5,000年前の沼沢火砕流の流下に関連して,沼沢面・三津合面が形成され,その侵食過程で存在した局地的侵食基準面に対応して,何段かの山都面群と青木面が形成された.現在も河川は下刻傾向にある.
  • 1979 年 52 巻 12 号 p. 706-708,713
    発行日: 1979/12/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
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