Geographical review of Japan, Series B
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59 巻 , 1 号
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  • 金田 章裕
    1986 年 59 巻 1 号 p. 1-20
    発行日: 1986/06/01
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
    条里プランの完成・変容・崩壊のプロセスやその古代・中世における機能について,絵図類における表現に注目しつつ,包括的な検討を進めた。
    条里プランは, 8世紀の中頃に,すでに存在していた条里地割に加えて条里呼称法が導入されることによって完成した.これは,三世一身法と墾田永年私財法の下での私領の増大と,それに伴う土地の記録・確認作業の急増に対応するものであったと考えられる.従って,条里プランは律令と共に中国から直輸入されたものでも,班田収授の開始と共に完成した形で存在したものでもなかった・また,唐代中国の一般的な土地表示法とも異なっており,古代日本の実情に合わせて次第に完成度を高めていったものであり,この点では都城プランにおける土地表示法とも同一軌道上にあった.
    このような条里プランは,一条一巻として作製された班田図に明示されて使用されたが,これには条ごとに里を連続して描いたものと,条ごとではあっても,里を一つ一つ個別に描いたものとがあったと考えられる.現存する絵図類には,この双方の様式を反映したものを確認することができる。
    このような条里プランは,班田制崩壊後もさまざまな土地関係の許可あるいは権利・義務などの単位として,中世に至るまで重要な役割を果し続けた.とくに坪の区画が果した意義は大きく,これが今日まで広範囲にわたって条里地割を存続させ,村落景観の基盤となっている大きな理由である.
    これに対して,里の区画の方は条里呼称の単位として以上の機能を本来は有していなかったが,荘園あるいは村の境界として使用された場合もあった. 条里プランは,定着度の高い地域では16世紀まで機能し続けたが,中世には必要:性や情報量の多寡によって,絵図類などの表現にさまざまな間違いを生じていることもあった.
    以上のような条里プランの完成・定着・崩壊のプロセスとともに,土地表示法は典型的には,古代的地名の条里地割に対応する分割ないし再編,条里呼称法と古代的小字地名の併用,条里呼称法のみによる表示,条里呼称法と小字地名の併用,といったプロセスをたどり,遅くとも16世紀末までに,現状のように小字地名のみによる表示法へと変化した.これらの各段階は歴史的な社会的・経済的段階と対応するものであり,同時に日本の村落景観の形成プロセスないし画期にかかわるものである.条里プランは,日本の歴史地理研究において,重要:かつ有効な手がかりとなるものである.
  • 特にトウモロコシの栽培に関連して
    千葉 徳爾
    1986 年 59 巻 1 号 p. 21-30
    発行日: 1986/06/01
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
    本研究で取扱う地域は,中国中南部の揚子江流域と南嶺以南の南海岸に至る流域を含む.これらの地域の河川の水は黄土色か赤茶色で,山腹や山麓にはほとんど緑の森林がみられない.これらの現象ははげしい土壌侵蝕によるものである.本論文ではこれら地域での侵蝕の過程について考察する.
    この地方の加速的土壌侵蝕のはじまりは,ほぼ16世紀ころにさかのぼる.それは耕地が丘陵の斜面へと拡大したことに起因する.侵蝕の原因と影響については中国方志に記録されかつ説明されている.
    耕地の加速的侵蝕の原因は,特に新しい作物として新大陸(アメリカ)から導入された玉蜀黍・落花生・甘藷・タバコなどの商品作物の作付である.これらの商品作物の耕作方法は,丘陵の斜面を伐採し,肥沃な土壌の侵蝕を防ぐことなく,これらの作物を植えつける。これら中耕作物の丘陵斜面への作付方式は,この地方の伝統的農法に存在しないものであった.はげしい雨は新しい農地の表土を容易に侵蝕してしまったのである.
    玉蜀黍のある品種はコロンブスの時代以前から中国南西部雲南省には栽培されていた.ところが新らしい玉蜀黍栽培の方法は,伝統的な農法を無視し,加速的な土壌侵蝕の原因となった.このことは重大な文化的誤りの一例である。
  • 石川 義孝
    1986 年 59 巻 1 号 p. 31-42
    発行日: 1986/06/01
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
    空間的相互作用の概念は,今日では一般的に,人・物・情報といった多様な地表上の流れ全般をさすと考えられている.資金の空間的流動も当然その中に含まれるが,このデータを使った空間的相互作用モデルによる分析は従来皆無であった.ところで,無制約型・発生制約型・集中制約型・発生集中制約型の4つのモデルからなる空間的相互作用モデル族は,現在のバラエティに富む空間的相互作用モデルの基礎をかたちつくっている.しかし,既往の経験的研究は,このモデル族に含まれる諸モデルの一部のみを利用してきたにすぎず,当該モデル族の包括的な行動が,現段階で十分に明らかになっているとは言い難い.
    本稿は,1899(明治32)年の資料『全国要地為i換取組高地方別表』を利用して,わが国の57都市間送金額のこのモデル族による分析を通じて,上記の課題に答えることを意図している・まず,出発地・到着地の質量項や距離減衰関数の複数の種類を考慮した12のモデルを利用して, 3, 192(57×57.57) にわたる全体フローの分析を行なった.そして, (1)距離パラメータ推定値はモデルごとに一貫した変化を示さない, (2)適合度は無制約型→発生制約型→集中制約型→発生集中制約型モデルの順に高まる, (3)負の指数関数を持つモデルが負のパワー関数を持
    つものより適合度が良好である,といった知見を得た.既往の成果とのずれは,資金流動と人口流動の性格の違いから説明した.
    また,全体フローの分析は,対象とした都市群の平均的な姿を示すに過ぎず,都市間の差異を隠すことから,集中制約型モデルによる各都市への為替流入のみに着目した分析も試みた・距離パラメータ推定値は,一般的に・いわゆる六大都市や港湾都市が広い影響圏を持ち,一方,城下町起源の地方都市は狭い影響圏を持つことを物語っている.さらに,適合度の都市間変異は,東京・大阪という2大中心との結びつきの程度によって大きく規定されていることが判明した.
    最後に,これまでの空間的相互作用研究は,暗黙のうちに人口流動のみを念頭に置いてきたが,今後は各種のフロー現象の特殊な性格も留意されなければならないことを指摘した。
  • 江口 卓, 松本 淳, 北島 晴美, 岩崎 一孝, 篠田 雅人, 三上 岳彦, 増田 耕一
    1986 年 59 巻 1 号 p. 43-54
    発行日: 1986/06/01
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
    降水量は,世界の気候を明らかにする上で重要な気候要素であるが,全球の降水量分布の詳細な解析は,月より短い時間スケールではこれまで行なわれていない.著者らは, FGGE特別観測中の日降水量資料をもとに作成した旬降水量資料を用い,特に無降水域に着目し,全球の大陸上の降水量分布の季節内変動および季節間の相異を明らかにすることを試みた。そして,無降水域からみた世界の:気候区分図を提示し,大陸の西岸・東岸の気候区界について論.じた。
    無降水域の季節重ね合わせ図にもとついて3種類の無降水域,「極小無降水域」・「平均無降水域」・「極大無降水域」を定義した.北半球では, DJF季(12~2月)には,平均無降水域がアフリカ北部からチベット高原にかけて広く分布する.一方, JJA季 (6月中旬~8月中旬)には,それはアフリカ北部から西アジアにかけて分布する.南半球では, DJF季には,平均無降水域は各大陸の西岸に限られて分布するが, JJA季には各大陸に広く分布し,また,極小無降水域が南アメリカの北東部に出現する.無降水域の季節内での変動は, DJF季の北アメリカ北部とオーストラリアで特に大きい.
    以上2季節の無降水域の分布の解析結果から, 4つの季節無降水域を設定した。それらは,冬と夏の極小無降水域 (mNPA), 冬と夏の平均無降水域 (wsNPA), 冬のみの平均無降水域 (wNPA) と夏のみの平均無降水域 (sNPA) である.大陸の西部ではmNPAとwsNPAが広く分布し,かつすべての無降水域型が帯状に並列している.各大陸の西部では,各無降水域型がアリソフやヶッペンの気候型とよく対応している.しかし,大陸の東部には, wNPAが現われるか,または無降水域はまったく出現せず,アリソフやケッペンの各気候型との関連も良くない。無降水域の分布からみると,各大陸の東部と西部との境は,各大陸上でもっとも高い山脈の西側に位置することが明らかになった.
  • ワッソン ロバートJ
    1986 年 59 巻 1 号 p. 55-67
    発行日: 1986/06/01
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
    本稿はオーストラリア乾燥・半乾燥地域における人間活動に伴なう環境変化に関する日濠共同研究の一環として,オーストラリア砂丘地帯の地学的背景や特徴ならびに,原住民およびヨーロッパ人と砂丘活動との関係について概説したものである。
    大陸の約40%は砂丘で覆われるが,バルハンを除く各種の砂丘が分布する (Figure 2). これらの砂丘はシンプソン砂漠のように広域にわたって,単純な線状砂丘が広がる場合から,グレートビクトリア砂漠西部のように基盤地形の複雑さを反映して,モザイク状に分布する場合まで,その分布状態は変化に富んでいる。また,砂丘砂の給源も,基盤岩石をはじめ,河成堆積物など多種にわたる。
    砂丘堆積物の性格は2つに類型化される.1つは石英砂を主としたもので,砂質河成堆積物を給源とする。他の1つは粘土と石英粒の混合したものである。後者の堆積物には粘土微粒子が含まれる.この粘土微粒子は比重が小さいため空中を長距離運搬されてきたものである.粘土微粒子の形成は地下水位の低下や日射による塩類晶出および藻類やバクテリア等の生物起源と考えられ,環境変化の指標になる。
    砂丘砂層の年代測定は14Cおよびサーモルミネッセンスによって行なった.オーストラリアの砂丘形成開始期はスターレット砂漠で20万年B.P.までさかのぼる.マリー地域(大陸南部の現在の半乾燥地域)では40万年B. P. より若いと推定され,古地磁気の検討からも, 70万年B. P。よりは新らしいと考えられる。したがって,オーストラリアの砂丘形成はナミビ砂漠やサハラ砂漠に比べて,きわめて新らしい時期に始まったと言える.最終氷期の砂丘形成は3万年B.P.前後から始まり, 2.5万年~1.4万年B. P. の最終氷期の極相期に最も活発であった (Figure 3). 完新世後期に砂丘形成は再び活発になり,半乾燥地域では1,000年B.P.まで,乾燥地域では現在まで活動が続いている.
    河成,風成,湖成堆積物および地形の検討からは,内陸地域の環境は5万年B. P.~3万年B. P. の湖沼が拡大していた時期と3万年B. P.以降の湖水位が変動する時期とに分けられる.後者の時期には砂丘が活発に形成された.現在の風向・風速,日射,蒸発量およびミランコヴィッチの曲線から推定される最終氷期の日射量等を考慮して,上記の地学現象を検討すると,次のような環境が復元される.すなわち,砂丘形成が活発であった最終氷期の極柑期には,夏には風速が強く,強い日射でもあったため,現在よりも蒸発が盛んで,乾燥していた・冬は低温で,植生の生育;期間は短縮される傾向にあり,雨水の流出は高まっていた.
    なお,氷期の砂丘の伸長方向と現在の風向との検討から,氷期には亜熱帯高圧帯は現在より50程度北上していたこと,大陸北部では,モンスーンが弱まっていたため南東貿易風が卓越していたことが推定される (Figure 1).
    アボリジニーズの砂丘形成に対する影響は火(野火)の使用によって引き起されると考えられる.しかし,砂丘形成の主たる原因は気候であることを示す証拠が多く,アボリジニーズの影響を示す証拠はほとんど知られていない.
    ヨーロッパ人入植後,土地の劣悪化が急速に進み1915~1945年の間に砂丘の活発な再活動もあった・この時期には,気候の乾燥化および風速の増加があり,ヨーロッパ人の入植に加え,気候悪化が生じたため,砂丘活動が発生したと言えよう.一方,1945年以降・オーストラリアの降水量は増加している。しかし,砂丘活動は引き続き継続している.それ故,少なくとも一部の地域では・農耕行ニ為が砂丘活動に大きな影響を与えているものと思われる.(文責・大森博雄)
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