Geographical review of Japan, Series B
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61 巻, 2 号
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  • マレーシア,カメロンハイランドの事例
    白坂 蕃
    1988 年 61 巻 2 号 p. 191-211
    発行日: 1988/12/31
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
    東南アジアの熱帯や亜熱帯に属する地域には,一般にhill stationと呼ぼれる山地集落がある。これらは, 19世紀に植民地活動をしたイギリス人やオランダ人が熱帯の暑い気候環境から逃れるために開発した集落であり,元来,地元の人々が開発したものではない。日本でも6-9月は暑さの厳しい気候であるが,かってのイギリス領マラヤやオランダ領東インドなどでは,1年を通してそのような気候の下にある。
    マレーシアでは,このような植民地起源のhill stationとしてカメロンハイランド (the Cameron Highlands) が最も良く知られている。カメロンハイランドは,マレーシア半島中部の中央山地にあり,標高は1,000~1,500mに広がる高原である。今日では, summer resortであると同時に,その冷涼な気候を利用して,一大温帯蔬菜生産地域となっている。筆者はカメロンハイランドにおける農業的土地利用や温帯蔬菜栽培の特色を分析し,熱帯アジアにおけるhill stationのもつ今日的意義を考える。
    カメロンハイランドは, 1885年William CAMERONによって発見されたが, hill resortとしての開発は1926年以降のことである。カメロンハイランドではhill resortとしての開発と同時に,華人による温帯蔬菜の栽培が始まった。また第二次大戦後の疏菜栽培発展に伴い,新しい集落が形成されている。
    カメロンハイランドにおける人口 (24,068人, 1894年)の約50パーセントは華人(中国系マレーシア人)で,彼らが蔬菜栽培の中心となっている。カメロンハイランドにおける温帯蔬菜の栽培は,標高1,000m以上の地域にみられる。この地域では,こんにち,約25種にのぼる温帯蔬菜が栽培されているが,白菜,キャベツ,そしてトマトが三大蔬菜となっている。これら蔬菜の種子は,その殆どが日本から供給されている。
    蔬菜栽培農家における労働力は,殆どが家族のみである。また蔬菜栽培には大量の鶏糞が使用されており,耕作はきわめて労働集約的である。また,ほうれんそう,ピーマン,セルリなどの蔬菜には,雨除け栽培がおこなわれている。どのような蔬菜を栽培するかは,市場価格を念頭において,個々の農家が選択するために,明確な輪作体系は存在しない。
    こんにち,カメロンハイランドで生産される蔬菜は,マレーシア半島の主要都市に大型のトラックで輸送されているが,総生産量の25~30パーセントは,シンガポールに輸出されている。
  • 最近隣店舗選択の場合
    高橋 重雄
    1988 年 61 巻 2 号 p. 212-224
    発行日: 1988/12/31
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
    消費者が食料品の購入のため最寄りの店を訪れる場合とそうでない場合とがある。本研究では,消費者が最も近いスーパーマーケットを利用する確率を説明するための目的地選択モデルの構築を行った。モデルは,目的地を訪れることから得られる効用,外出に伴う制約条件, 1回の外出で複数の目的地を訪れることが,どのように目的地の選択に影響を及ぼすのかを説明できるように構築された。カナダのオンタリオ州にあるハミルトン市内の3ケ所にこのモデルを適用した結果によると,消費者の居住地によって,これらの説明変数の目的地選択に及ぼす影響に相違が生ずることが認められた。この結果の一因として,近くに店舗があるのか遠くまで出かけなくてはならないのかというように,消費者からみた店舗の分布が関係しているものと考えられる。
  • ナウファル A.S.M.
    1988 年 61 巻 2 号 p. 225-247
    発行日: 1988/12/31
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
    スリランカ最大の内陸都市キャンディは,16世紀末から19世紀始めまで,シンハラ王国の首都であった。しかし, 1815年に同王国がイギリスの植民地の支配に降って首府が島の西海岸の主要港湾都市コロンボに移されたため,キャンディは旧王宮,仏歯寺,要塞などを残すだけの古都となった。後に,茶プランテーションの隆盛と共にその生産物集散地としての機能が付け加わる。 1948年の独立以降は,伝来の宗教・文化的機能の外に,地方行政,教育,商業,サービス関係の中心地として,活況をとり戻している。
    この歴史過程で,キャンディはシンハラ人の外に幾つもの民族集団が市内で同居するようになった。これら異なった民族間の居住パターン,つまり「住みわけ」問題を分析するのがこの論文の目的である。その場合,分析の対象とする民族としてはシンハラ,タミル,ムスリムに限定し,また,その分析の基準としては特化係数 (Representation Ratio), 相違指数 (Index of Dissimilarity), 住みわけ指数 (Index of Segregation), 集中化指数 (Index of Centralization) を採用し, 1985年に行ったフィールド調査にもとついて分析した。
    その結果明らかになったのは, (1) 市内全域でみた場合,優勢民族集団であるシンハラ人は,特定の集中居住地区を持つのではなく, 23区に分散して居住が見られるのに対して,少数民族集団であるタミル人及びイスラム教徒のムスリムの場合は都心の商業地区ないしそれに近い地区に集中居住するパターンが確認されたこと, (2) 居住地の空間分布は社会,経済的レベルによってそのパターンを異にすること,つまり高所得者層の居住地区では居住も生活の様式も非常に均質であり,また低所得者層の居住地区でも民族集団は混在し,明瞭な住みわけが確認できないのに対し,中間の所得者層の居住地区では相互に異質性,相違性が高く,住みわけが起こりやすいこと, (3) 客観的に観察できる相違度はシンハラとタミルの間で最も高く,次にシンハラとムスリムの間であり,タミルとムスリムの間では相違度が最も小さいことなどである。また, (4) 集中化指数を見た場合も,ムスリムとタミルが都心により近い地区に集中していることが明らかになった。
  • 1988 年 61 巻 2 号 p. 248-253
    発行日: 1988/12/31
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
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