日本ハンセン病学会雑誌
Online ISSN : 1884-314X
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86 巻 , 3 号
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原著
  • 並里 まさ子
    2018 年 86 巻 3 号 p. 175-179
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/08/29
    ジャーナル フリー

     35歳のハンセン病LL型 (subpolar type) 患者にWHO/MDT/MBを24カ月投与し、続いてディアフェニールスルフォンとミノサイクリン (MINO) よりなる化学療法を行った。後者の治療を開始して10カ月後に、顔面神経麻痺の形で境界反応を発症した。さらに1カ月後、以前より認めた母斑細胞性母斑の周囲に後天性遠心性白斑 (halo nevus) が出現し、さらに他の色素脱失斑も出現した。病理検査にて、母斑細胞の集塊に泡沫状のマクロファージが混在し、さらにリンパ球侵入が加わり、母斑細胞の一部は構築が崩れて離散していた。マクロファージの胞体は、らい菌特異的抗PGL-I抗体で陽性に染色された。境界反応の経過中に、マクロファージと混在していた母斑細胞が同時に破壊されたことが引き金となってHalo現象が出現したのか、あるいは境界反応によって破壊された神経組織から、色素形成細胞との共通抗原性を持つ物質が放出され、色素脱失斑の形成に繋がった可能性も考えられる。MINOが自己免疫反応に関与した可能性については、臨床経過等より否定的であると思われる。

ミニレビュー
  • 並里 まさ子, 藤原 剛
    2018 年 86 巻 3 号 p. 181-187
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/08/29
    ジャーナル フリー

     ジアフェニルスルフォン、リファンピシン、ニューキノロン (NQ) の3剤に耐性変異が確認された、ハンセン病の再発例2例について報告する。症例1は、過去に目的不明で処方されたNQが耐性獲得につながり、症例2は、有効な薬剤使用が無いままに、10年以上高い菌負荷が続いて多剤耐性につながった。両者とも新たな障害を残さずに治癒したが、3剤耐性例に対する治療指針はなく、治療レジメンについてはさらなる論議が望まれる。症例1では、抗PGL-I抗体価の低下と境界反応の出現がよく相関した。

     上記2例の既往歴は、多剤併用療法が普及してハンセン病医学が十分進歩していた時代に、一部の療養所ではその恩恵が受けられなかったことを示しており、「らい予防法」の下、治療自体が隔離状態にあったことを改めて考えさせる。2例とも、長期間の休職なく外来診療で治療を完了した。ハンセン病は、本来一般地域医療の中でこそ治療されるべき疾患であった。

  • 森 修一
    2018 年 86 巻 3 号 p. 189-211
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/08/29
    ジャーナル フリー

     ハワイでは19世紀半ばからハンセン病の蔓延が始まった。これに対してハワイ王国政府は1865年に公衆衛生政策としての隔離を決定、モロカイ島のカラワオを療養地とし、患者移送を始めた。患者の発見は密告と逮捕により行われ、容赦なくモロカイ島に送られた。政府は当初、カラワオで患者が自給自足する農業コロニーを目指したが、地理的特性や予算不足などが要因となり、農業コロニー構想は失敗し、カラワオは無法地帯となり、多くの混乱が生じた。1873年にはダミアン神父がカラワオに赴き、患者の救済を開始、政府との交渉にも務め、混乱は収拾された。その後、ハンセン病対策費の増加、治安システムの整備などによりカラワオには治安が確保され、療養地は近接するカラウパパへ拡がり、その拡充と制度の整備の過程とアメリカ合衆国の関与の中でハワイでは隔離政策が進展していった。

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