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原稿種別: 表紙
2015 年 24 巻 p.
Cover1-
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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原稿種別: 付録等
2015 年 24 巻 p.
App1-
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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丸山 恭司
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
i-ii
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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原稿種別: 目次
2015 年 24 巻 p.
Toc1-
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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フリー
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北野 秋男
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
1-9
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
現代アメリカの学力向上政策は、1990年頃を境に「ハイステイクス・テスト」「タフ・テスト」と呼ばれる学力テストの結果に基づく教育アカウンタビリティ政策の具現化を特徴とする。M.フーコーは、「規律・訓練のすべての装置のなかでは試験が高度に儀式化される」(フーコー,1977: 188)として、試験が生徒を規格化し、資格付与し、分類し、処罰を可能とする監視装置となることを指摘したが、今や学力テストは児童・生徒を評価・監視するだけではない。学区・学校・教師をも評価・監視する装置へと変貌している。本論文で指摘する学力テストの「暴力性(violence)」とは、学力テストの実施と結果を利用した「抑圧」「統制」「管理」という「権力性(gewalt)」を意味するものであり、それは連邦政府や州政府によってもたらされた全ての児童・生徒、学区・学校・教員に対する脅威となるものである。
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山内 紀幸
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
10-13
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
北野会員の報告を受けた質疑応答を通じて、「学力テスト」およびその「暴力性」をめぐって6つの研究視点が生産された。(1)実施の主体(国家・州・財団)、(2)現場のポリティクス、(3)テスト自体の思想性、(4)排除・序列化の歴史、(5)評価とカリキュラム、(6)教育責任論。ここで生み出されたこうした視点によって、「学力テスト」を教育思想史としてさらに掘り下げる研究が生み出されることが期待される。
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宮本 健市郎
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
14-19
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
北野氏は、資本主義社会の発達段階に応じて、学力テストの暴力性が徐々に強まっていった過程を説明している。この説明は現状を理解するうえでは参考になるが、二つの弱点をもっている。ひとつは、どの段階の資本主義社会にも共通する学力テストの特質を却って曖昧にしたことである。教育能率を上げるための教員管理、学力テストの標準化と客観化、教育成果の競争という三点は資本主義社会の本質と分かちがたく結びついており、教員の専門家としての判断を排除していることを見逃してはならない。もうひとつは、学力テストに対する批判の歴史的意義をほとんど無視していることである。たとえば、教育評価の理論は学力テストへの批判として登場したものであるのに、学力テストと同一視され、その意義が正当に認められていない。そのため、学力テストの暴力性を打破するための視点や方策が提示されていない。
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江口 潔
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
20-25
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
本稿では、日本の歴史的文脈に即して、学力テストをめぐる国家の介入と地域の取り組みについて検討する。1960年代に行われた全国学力調査をめぐっては、職業の専門分化に対応させた職業教育をすすめようとした立場と、学習に普遍的性格を見いだして普通教育を重視した立場との対立があった。しかしながら、1960年代後半にもなると後者の立場を支えた地域や職場の学習は、農村からの人口の流出や、企業の人材育成の変化などもあって後退していく。1970年代以降、政治的な対立が不明確になっていく中で、教育は消費活動と関わりを強めていくこととなる。その後の教育政策では多様化をすすめていくものの、学校の選択にあたっては進学に特化した選択肢に関心が集中していくこととなる。こうした中で、選択肢にならない学校の役割をどのように評価するかが問われることになろう。
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生澤 繁樹
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
26-37
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
デモクラシーが「公衆」を形成する。けれども、デモクラシーは「公衆」をどの程度にまで必要とするといえるだろうか。本論文では、こうした「デモクラシー」と「公衆」をめぐる問題をリベラル・ジャーナリズムの時代のなかでのジョン・デューイに光を当てながら検討し、デモクラシーが「公衆」を形成するということのもつ意味を考察する。
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野平 慎二
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
38-41
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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尾崎 博美
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
42-49
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
「公衆」と「大衆」を分かつものは何か。「トランザクション」によって形成される「公衆性」を「知性」の一様式として捉えるとき、「公衆」とは実体ある集団の名前ではなく「個人」の一様態として特徴づけられる。「集団=協働」に基づく「行為」や「関係性」の観点から「公衆性」を形成する「教育」としてデューイの「デモクラシー」を描くことを試みる。
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岸本 智典
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
50-55
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
本コメント論文では、デモクラシーと「公衆」形成という主題に関わるこれまでの生澤繁樹氏の仕事を概観し諸先行研究の系譜のもとに位置づけ直すことで、今回の生澤氏の報告の内容とその意義を明らかにすることを試みる。「公衆」の形成をめぐってはこれまで多くの論争やそれらについての論評があったが、生澤氏は、デモクラシーと「公衆」形成という主題について教育学的な視点を打ち出すことで、教師が「公衆」と「専門家」という"二重の役割"を果たすことを明るみに出し、「公衆」形成の問題においては単に「公衆」対「専門家」の図式で捉える仕方に限界があることを示した。本稿ではそのような生澤氏の教育学的な視座を改めて強調した上で、今後の議論の方向性を展望する。
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貝塚 茂樹
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
56-64
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
日本教育史においては、教育勅語が近代教育における道徳教育の理念の中核であり、「源流」であることが自明のこととされてきた。しかし、教育勅語の評価は、近代教育を通じて決して「安定」していたわけではなく、国民道徳論や「日本的教育論」などの影響の中で、確固たる有効性を持ち得ていたわけではなかった。この点の歴史的分析を欠いた戦後の教育史研究は、教育勅語の歴史的定位を明確にすることに成功しておらず、同時にそれが道徳教育研究を妨げる要因ともなってきた。道徳教育をめぐる議論を学問的な研究対象とするためには、教育勅語を歴史研究の中に実証的に位置付ける努力が求められる。それは、道徳の「教科化」の本質的な意義と可能性を理解するためにも不可欠である。
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森田 伸子
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
65-73
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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ルソーの国家と教育の思想を、すべての人間が平等に生存を保証される社会はいかにして可能かという問いに取り組んだ近代自然法思想の中に位置づけてとらえ直すことによって、今日の国家と教育の関係を考えるための一つの枠組みを提示すること試みた。生存のための国家の論理、生存のための教育の論理とその限界を、それぞれ『社会契約論』に連なる著作と『エミール』の第一篇から第三篇までの分析を通して示した。この限界を克服するものとして『エミール』第四編以降の「弱さ」への教育に注目しその論理と限界を明らかにした。最後に、この二つの系譜を統合する可能性をルソーの存在論のうちに求めることを提案した。
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岩下 誠
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
74-83
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
経験的なデータから見る限り、現在の日本の子ども・若者が「道徳の危機」に陥っているという主張には根拠が全くない。しかし、実証的な根拠を欠いた「危機の言説」は、道徳教育推進派だけでなく、教育思想史学会に代表されるようなポストモダン教育学も共有する前提となっている。本稿では「危機の言説」を前提とするイデオロギーを「教育学的保守主義」と呼び、それが現在の教育を認識する際だけではなく、過去の教育思想を評価し再構成する際にも作用し、教育思想史の枠組みを規定していることを示す。併せて、こうした教育学的保守主義のイデオロギーが、過去と現在双方を解釈する際に、道徳教育推進派とポストモダン教育学双方に根本的な誤謬をもたらすこと、またそのことによって、両者こそが短慮な「教育改革」の推進に棹差し、むしろ「教育問題」を生み出す元凶になっていることを示す。
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松下 良平
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
84-87
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
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下司 晶
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
88-94
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
戦後教育学、特に国民の教育権論によって形成された国家/国民、知育/徳育、教育/政治経済の二分法は、道徳教育に関する私たちの思考枠組みを今なお規定している。フーコーの「統治性」概念によって教育を描き直すことによって、これらの二分法を克服し、批判の足場を構築する。
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藤井 佳世
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
95-101
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
道徳と教育をめぐる議論は、道徳の知をめぐる議論でもある。道徳の知をめぐっては、一方で道徳とは何かという議論があり、他方で道徳的な正しさを経験のなかで学ぶことについての議論がある。両方の議論の交差するところに、教育から見た道徳の知の領域が広がる。本稿では、討議倫理学が切り開く道徳の世界と個体の成長プロセスとの結びつきをコミュニケーションの観点から考察し、損なわれた生を表現する方法に着目する。平等な取り扱いと個別な文化への承認という緊張関係を含めつつ、規範の根拠でもあり越えていくものでもある複雑な生とのつきあい方にかかわる知を、道徳と倫理を架橋することで開かれる道徳の知として提案する。
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加賀 裕郎
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
102-110
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
日本は官学重視の伝統があるため、私学はともすると官学を補完する位置に置かれる場合が多く、私学の存在根拠を明示するために、殊更「建学の精神」が強調されてきた。しかしアメリカ合衆国では、日本とは逆に私学が言わば自生的に発生し、後に高等教育への進学需要を満たすために、州立大学が拡大した経緯がある。つまり官学と私学の関係には多様性がある。同志社の創立した新島襄は、アメリカの私学で十年間学んだ経験をもち、アメリカ教育における私学的伝統を知悉していた。しかし同時に明治期以降、次第に官学中心に傾く日本の動向も知っており、その動向を認めつつ、キリスト教主義私学に近代日本を切り開く可能性を見た。本報告では、私学同志社の教育思想を、自由主義、平民主義、キリスト教主義という三つの視角から理論的、歴史的に検討し、最終的に21世紀に望まれる、私学と官学の関係について考察する。
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松浦 良充
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
111-120
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
教育思想史のなかで、「私学」はどのような意味をもつのか。また近代教育の思想構造に「私学」はどのように位置づけられるのか。教育思想史研究に「私学」という概念装置や「私学の思想史」という問題領域を設定することにはどのような意義があるのか。本シンポジウムは、このような問題関心のもとに企画された。本報告では、まずシンポジウムの企画趣旨を確認した上で、「私学の思想史」という問題設定の意義と課題について考察する。それによって、本シンポジウムで展開される同志社と慶應義塾という二つの私学にかかわる思想の歴史的展開の事例報告を議論するための枠組みの提供をめざす。
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米山 光儀
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
121-129
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
日本においては、官・公・私立学校は、資金の出所によって分類されることが1874年の文部省達第22号によって定められたが、学制以前から慶應義塾を経営していた福澤諭吉は、それとは異なる見解を有していた。福澤は私塾での学習経験しかなく、自らも私塾の経営をするが、幕末の西洋体験で教育の重要性を認識し、教育税という公費によって経営される学校=公立学校を評価する。しかし、公立学校も経営を政府に任せるのではなく、その学校に関わる人々が当事者意識を持って経営していくことが求められ、志を同じくする人々が結社を創って経営していく私立学校と同様の「民間の学校」と考えられた。一方、官立学校は、学問と政治の分離原則から否定される。福澤は資金の出所に拘泥することなく、文部省の定めた官・公・私立学校の区分の組み換えを迫った。結局は、彼の試みは挫折するが、官・公・私立学校の別を組み替えようとする彼の試みは、再評価されてよいだろう。
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西村 拓生
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
130-133
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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山内 清郎
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
134-141
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
本シンポジウムでは「『公/私』枠組みの入れ籠的な二重構造」という課題設定のもと、同志社大学と新島襄、慶応義塾大学と福澤諭吉の事例が報告され、その解明のための論証がなされた。だが私学の「理念」という側面から見たとき、そこにはすでに先立って「神話化」と「世俗化」のせめぎ合いの場が存在し、『福翁自伝』ほかのテクスト・史料であっても、新島のエピソード・事件であっても、それらは、素朴に現実を表現する「開かれた窓」でもなく、また、歴史史料に対する懐疑派たちが言うような史実を反映しない「閉ざしてしまっている壁」でもなく、「ゆがんだガラス」としての「史料」「証拠」という意味合いをもっているのではないか。このように「証拠」「史料」を「ゆがんだガラス」と見立てる方法論にしたがえば、「『公/私』の枠組みの入れ籠的な二重構造」の複雑さにアプローチする別の方途がありうるのではないか。その方向性を模索した。
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山崎 洋子
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
142-148
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
本稿の目的は、日本の私学が近・現代の教育において果たした役割や意味の歴史的問い直しと近代教育の思惟構造の解明に挑戦したシンポジウム、「私学の思想史」において展開された3つの論稿を取り上げ、「私学の思想史」のための考慮点と課題を確認し、その方向を探ることにある。まず、「私学の思想史」の視角を'autonomy'の意味内容と関連づけて確認し、次に創設者・経営者のスタンスを'open to the public'の観点から探究することの意味を問い、その次に、「建学の精神」と国家の関係を'academic freedom'の観点から探究する必要性を論じる。そして、最後に、報告者が提起した「私学の思想史」の課題と展望を要約し、その上で、そこにトランスカルチュラルな視点を投入することを提言し、その意味と可能性について述べる。
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下司 晶, 青柳 宏幸, 本田 伊克, 香川 七海, 木村 元
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
149-155
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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今井 康雄, 山名 淳, 小松 佳代子, 池田 全之, 眞壁 宏幹
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
156-162
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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宇内 一文, 須川 公央, 河野 桃子, 田口 賢太郎, 高柳 充利
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
163-169
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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西村 拓生, 山田 真由美, 岡本 哲雄, 神戸 和佳子, 山内 清郎
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
170-176
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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フリー
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高橋 勝
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
177-180
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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小国 喜弘
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
181-183
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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森岡 次郎
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
184-187
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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眞壁 宏幹
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
188-191
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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菱刈 晃夫
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
192-
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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フリー
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藤井 佳世
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
193-
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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矢野 智司
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
194-
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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宮寺 晃夫
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
195-
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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古屋 恵太
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
196-
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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相馬 伸一
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
197-
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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藤川 信夫
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
198-
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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上野 正道
原稿種別: 本文
2015 年 24 巻 p.
199-
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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原稿種別: 付録等
2015 年 24 巻 p.
200-
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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原稿種別: 付録等
2015 年 24 巻 p.
201-
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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原稿種別: 付録等
2015 年 24 巻 p.
202-203
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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原稿種別: 付録等
2015 年 24 巻 p.
203-
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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原稿種別: 付録等
2015 年 24 巻 p.
203-204
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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フリー
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原稿種別: 付録等
2015 年 24 巻 p.
204-
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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原稿種別: 付録等
2015 年 24 巻 p.
205-
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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原稿種別: 付録等
2015 年 24 巻 p.
205-
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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原稿種別: 付録等
2015 年 24 巻 p.
206-
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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原稿種別: 付録等
2015 年 24 巻 p.
206-
発行日: 2015/09/12
公開日: 2017/08/10
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