人文地理学会大会 研究発表要旨
2007年 人文地理学会大会
選択された号の論文の28件中1~28を表示しています
特別研究発表
一般研究発表
第1会場
  • 飯塚 修三
    セッションID: 101
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
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    天保十四年(1843)、赤鹿歓貞は家塾生教育のために地球儀を製作した。家塾は「孝徳舎」という心学塾であった。歓貞は和算(中西流)にも造詣が深かった。 地球儀は16.5cm X 15.5cmのナツメ形で、重量は1.78kgである。軸受けのある箱の中に収納されている。竹管製の地軸にて箱の中で回転し観察することができる。 地球儀は粘土製で、表面に胡粉が塗られその上から彩色されている。世界図はマテオ・リッチ系のものが描かれている。 1994年、土浦市立博物館「地球儀の世界展」の図録の「現在和製古地球儀所在目録」(海野一隆作製)で第22番目に古い地球儀として報告された。 参考文献: 飯塚修三「天保十四年製箱一体型地球儀」古地図研究、312,2005年
  • 三好 唯義
    セッションID: 102
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
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    吉田初三郎(1884~1955年)は京都に生まれ、友禅の図案工などを経たのち、洋画家を志して関西美術院長鹿子木孟郎(1874~1941年)に弟子入りする。大塚隆氏によると、鹿子木は大正2年の夏にフランスより持ち帰ったパリ市街図を吉田に見せ、新地図の創作を促し、それによってできた京阪電鉄沿線図が時の皇太子(昭和天皇)から「キレイデワカリヨイ」と褒められたことが、彼の地図制作を決定づけたとされる。あわせて、大正後期から昭和にかけて、鉄道網の発達に伴う国内観光ブームの中で、各地を調査して観光案内地図を数多く作成した。 初三郎が描く絵のような地図に対する関心は、鉄道や古地図のマニアだけでなく、かつての都市景観を懐かしむ人々の間でも高いものがある。今回の報告では、昭和5年刊行の神戸市鳥瞰図上にある高架鉄道線や建物など人為的構造物の姿を当時の写真等と比較し、初三郎の図がどれほど実態を伝えているかを検討する。 また報告者は、幕末から明治時代初期にかけて活躍した五雲亭貞秀と吉田初三郎を、その作品ならびに世上の評価における両者の類似性を認めるものである。画面上に煩わしいばかりに地名等の地理情報を配置すること、描画の手法としての俯瞰図、また雲や雨など叙情的要素は一切描かず、人物もはっきり描かないなど、これらの特徴は五雲亭貞秀が描くところの地図的風景画に極めて近い。わが国の地図作成史、とりわけ刊行地図史の中で、両者の関係を考察できるのではないかと考えている。 初三郎の神戸市鳥瞰図は昭和5年8月に作成されたが、その図中には当時の神戸市域に存在した建物等の構造物が見事に描き込まれている。これら構造物の姿は、通常の地形図には表現されないもので、当時の写真や絵葉書等と比較するとき、その姿や色彩を正確に活写していることが指摘できる。原図ではさらに克明に描写されていたはずだが、昭和5年(1930)の神戸の都市景観をこれほど広範かつ克明に記録するものは他にはなかろう。 吉田初三郎が残した都市鳥瞰図は出版物であることによって、原図の多くが失われた現在でも数多くの沿線名所や都市景観を見ることができる。他都市にも同様の調査をあてはめ、都市景観の復元材料とすることが可能だと考えられる。
  • 南出 眞助
    セッションID: 105
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
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    14世紀末に成立した港湾都市マラッカの空間構造に焦点をあて、続いて、その空間構造が1511年のポルトガル領有以後、1643年のオランダ領有以後、1795年のイギリス領有以後にどう変化するのかを、それぞれ論じた。
  • 渡邉 英明
    セッションID: 107
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
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    本研究では定期市の変遷を把握する手段として村明細帳に注目する。17世紀末期から各地で作成され始める村明細帳には、自村での市開催や周辺市町の利用状況が記されることがある。そして、これらの記事をもとに村明細帳から近世の定期市が分析できる可能性は戦前から指摘されてきた。だが、当時は史料整理が進んでおらず、村明細帳を広範に収集することは困難だった。だが、武蔵国に関しては『武蔵国村明細帳集成』が1977年に刊行され、近年では村明細帳だけで資料集を刊行する自治体も増えてきた。村明細帳を広範に収集できる条件が整ってきたのである。発表者はこの点に注目し、村明細帳を広域的に収集して定期市に関する項目を分析した。本発表ではそこから得られた知見を報告したい。なお、本発表の対象地域は武蔵国のうち多摩郡以北(以下、北武蔵)とする。江戸府内やその南方では定期市場網の展開が確認できず、官撰地誌を用いた先行研究でも検討の対象外とされているからである。 村明細帳は、江戸時代の領主が村柄を把握するために村々から提出させた帳簿である。村明細帳における定期市関係の記事は、主に自村市場と近隣市場の2種類に整理できる。自村市場の記事は、その村での定期市開催の有無を記したもので、定期市が休止・廃絶している場合はその旨が記される。また、近隣市場の記事は、その村の近隣にある定期市について記し、当該村からの距離が合わせて記載されることが多い。ただし、これらは必ず記される訳ではなく、村明細帳によって、自村市場・近隣市場の両方が記載されるもの、片方だけ記されるものなど区々である。これは、村明細帳はその時々の徴収目的によって記載内容は一定でなかったためだろう。さて、発表者は現在までに、自治体史や埼玉県立文書館での調査から、近世北武蔵の村明細帳624点(310村)を収集した。これは、天保郷帳の村数(2611)の12%に相当する。  以下では、村明細帳における自村市場・近隣市場の記事のそれぞれに注目して検討を進めたい。まず、自村市場の記事は、245点(120村)の村明細帳(全体の約4割)で確認できた。自村市場の記事は、市町が提出した村明細帳とそれ以外とで記載内容が大きく異なる。すなわち、市町の明細帳には定期市の開催とともに、その市日も併せて記されることが多い。それに対し、市町以外の一般農村では、「当村市場ニ而無之候」など定期市が存在しない旨が記されるのみである。当該村がその時点で市町でないことが確認できるのだが、一般農村が市町でないことは、言わば当然のことであり、さして重要な情報とは言い難い。従って、自村市場の記事は、市町の明細帳において特に注目される。市町が提出した明細帳は61点あり、うち51点で自村市場の記事が確認できる。市町の明細帳は、市場争論で定期市開催の証拠として採用された例が確認でき、また、市町として重要な事柄であることからも、その情報はかなり正確に記されたと思われる。記事の内容として最も多いのは市日に関する記載で、ある時期の市日を確認できることは、市場網の変遷を把握する際に意義が大きい。また、休止中の定期市や、以前に定期市が存在した古市場の記事は、個々の定期市の消長を示す記録として重要である。また、官撰地誌には表れない定期市の存在が、村明細帳から明らかになる場合がある。  近隣市場の記事は、172点(117村)の村明細帳(全体の約3割)で確認できた。そこでは、近隣市町名と提出村からの距離が記されることが多く、明細帳を提出した村々がどの定期市を利用したのかを示すデータとして価値が高い。『新編武蔵国風土記稿』にはこうした記事はなく、江戸時代の武蔵国における定期市の商圏は、今まで不明な点が多かった。これを鑑みると、個々の定期市の商圏について、江戸時代の同時代データを提供する村明細帳の価値は大きい。近隣市場のデータは西部山麓地帯や東部地域で多く確認でき、熊谷・川越・秩父大宮郷など近代に高い中心性を呈する町は、近世においても相対的に広い商圏を有した。なお、官撰地誌に表れない定期市や、個々の定期市の消長が読み取れる点は、自村市場の記事と同様である。近隣市場としてあがる市町は、古市場と明記される例が確認できず、基本的にその時点で存在したとみなされる。だが、個々の市町の厳密な消長の時期について、近隣市場の記事を証拠として画定するには留保が必要だろう。村明細帳は、先年の提出分をそのまま写すことも多く、近隣市場の細かい動向を逐一反映するとは限らないからである。なお、31点の村明細帳において、近隣市場での取引商品に関する記事が確認でき、西部山麓地帯では織物、平野部では穀物があがることが多い。こうした定期市の取引品目に関する地域的特徴は、民俗調査などで明らかにされている近代のあり方と共通点が大きい。
  • 戸祭 由美夫, 出田 和久, 平井 松午, 小野寺 淳, 中尾 千明
    セッションID: 108
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
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    [研究の目的とこれまでの研究進展状況]  江戸時代の後半に幕府は、欧米列強の近海への進出に対抗して箱館奉行を新置するとともに、東北諸藩に対して蝦夷地沿岸部の防備を命じた。それに応じて建設された幕府の箱館奉行所や各藩の陣屋に関する詳細な設計図や完成図、あるいは警備担当の沿岸図が作成された。現在もそれら多種・多様な絵地図が、箱館奉行所の所在地たる函館市や東北諸藩所在地の図書館・博物館などに(一部未整理のままで)保存されている。そこで、6名のメンバーで共同研究「北海道・東北各地所蔵の幕末蝦夷地陣屋・囲郭に関する絵地図の調査・研究」を企画し、科研費(17320132、代表者:戸祭)を得て、各地の所蔵機関のご協力のもとに絵地図の実物を閲覧し、必要に応じてデジタル画像化して整理し、それらの来歴・系統と相互の関係を、地図学的かつ歴史地理学的に明らかにすることを目指している。 [津軽弘前藩作成・書写の幕末蝦夷地関係絵地図]  津軽弘前藩が作成・所蔵した近世資料の過半は、現在、弘前市立弘前図書館に保管されており、ほかに弘前市立博物館にも一部保管されている。それら資料の中で、青森県内を描画対象とした絵地図類に関しては、青森県立郷土館による近世海岸絵図を中心とした調査によって概要が明らかにされているが*)、本来の対象とする幕末蝦夷地関係の絵地図については触れられていない。 そこで、2006年8月に戸祭・出田・平井・小野寺の4名で弘前市立弘前図書館に、同年10月13日に戸祭・米家[山田]志乃布の2名で弘前市立博物館に、翌2007年6月7日に戸祭・中尾の2名で再び弘前市立弘前図書館に、館蔵の幕末蝦夷地関係絵地図の調査に赴き、多様な絵地図を閲覧・デジタル撮影させていただくことができた。 [弘前市立弘前図書館蔵の箱館千代ヶ台陣屋関係絵地図] 弘前市立弘前図書館では14種の絵地図を閲覧・撮影することができたが、なかでも、「箱館千代ヶ台御陣屋取建立之図」(GK526-15)と総称される全42枚(館の目録では35枚と記されている)の絵地図類は、伊達仙台藩が1805年に当時の箱館市街地北方に建設した元陣屋をもとに、1855年の幕命に依って津軽弘前藩が改築した陣屋の状況を極めて明瞭かつ詳細に示している。この通称「津軽陣屋」ないし、現在の函館市千代が岱町にあったことから「千代が岱陣屋」と呼ばれる陣屋に関しては、従来資料皆無で具体的なプランは不明とされていた。この絵地図群は、内容の点から大きく次のように区分できる。 _丸1_陣屋全体の位置・規模を示す図…16,29 _丸2_陣屋囲郭及びその内部の建物群の建築プランの変化を明瞭に示す図…5,28,31~34,42 _丸3_上記の建物群(一陣~七陣)の建物ごとの間取りの変化を詳しく示した図…2~4,6,8,10~14,22~25,30,36~41 _丸4_表門・裏門・物見櫓の立面図…20,21,26 _丸5_矢場・星場の平面図と立面図…18,27 _丸6_その他…1,7,9,15,17,19,35 [本発表の方法と内容] 以上の_丸1_~_丸6_の6群はそれぞれ興味深い内容をもっており、本年3月の日本地理学会春季大会では_丸2_の5枚の絵図を取り上げでポスター発表したので、今回は_丸1_~_丸6_の6群の全容をOHPでお示しし、幕末の蝦夷地陣屋のひとつの典型を具体的に理解いただけるようにしたい。
  • 林 哲志
    セッションID: 111
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
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     愛知県の最南端、渥美半島の先端に位置する伊良湖岬は、古より多くの旅人が訪れる風光明媚な景勝地である。そして、岬の近くの伊良湖の村は、20世紀の初頭、1905(明治38)年に全戸(114戸)をあげて集落移転した。  移転に至った経緯は、1901年に建設された大砲の実射試験を行うための施設、「陸軍技術研究所伊良湖試験場」が拡張されたことに起因する。日露戦争の教訓から、より高性能な大砲や砲弾が必要となり、その試射のため、射程が従前の6,000mから10,000mに延伸された。よって、砲弾が集落付近に着地・着水することになったため、伊良湖の村は山ひとつ隔てた東側の現在地に移転した。  本発表の研究目的は次のとおりである。 1.20世紀初頭の集落景観を復原する 屋敷内の建物から集落景観を復原する 建物の種類、面積、附属物件から考える 2.生業に関する人々のくらしを考察する 農業主体なのか、漁業が主体なのか 3.住生活の観点から人々のくらしを考える  考察の方法は、集落移転時に作成された『明治37年 買収地及附属物件調書綴 渥美郡伊良湖村控』(以下、『調書綴』と記す)をデータベース化し、内容の分析をすることである。また、他の文献などの資料でそれを補完し、聞き取り調査の内容もあわせて裏付けとすることである。  『調書綴』は伊良湖自治会が所蔵している資料で、その性格は集落移転をするにあたり、「所有者」ごとに、村内のどこに、どのような地目で、どれだけの土地があり、その買上代金はいくらか。また、移転料の対象となる、建物の種類はどのようなものがあり、その面積はどれだけか。建物以外の附属物件として何があるかを調べたものである。体裁は罫紙を綴じた帳簿である。  詳細は、「買収地及附属物件調書」という様式に、「所有者」ごとにまとめられ、「合計金額」が計算されている。「所有者」は、当主の氏名もしくは家名で、「地名番地」の欄には「愛知県渥美郡伊良湖村大字伊良湖字」までが印刷してあり、それ以下の字名と番地が1筆ずつ書込まれ、「地目名称」(田、畑、山林、原野、雑種地、郡村宅地)の別が記され、「価格(買上代金)」が示してある。  建物の種類についても、「建物 居宅」(以下、建物の文字を略す)「物置」「肥料小屋」「厠(便所)」「土蔵」「網納屋」「座敷」「養蚕室(蚕室)」「門長屋」「炭置場」「牛部屋」と分類してある。そして、それぞれに面積を示す「反別(坪数)」と「価格(移転料)」が記されている。  それ以外には、移転料の対象となる附属物件(石垣、生垣、植木、井戸、甕、肥料溜、肥料瓶、門、墓)が、その数量もしくは面積とそれぞれの「価格(移転料)」といっしょに列挙されている。  宅地面積の平均は180.3坪であり、そのなかにある建物は、居宅(平均25.1坪)、物置(平均12.8坪)、肥料小屋(平均5.2坪)が中心であった。そして、厠(平均2.2坪)、土蔵(平均7.1坪)、網納屋(平均3.9坪)がある屋敷もあった。建物の種類をみると、農業と漁業に関するものがあるので、半農半漁のくらしが類推される。  附属物件は、植木と肥料溜のある屋敷は、集落内に一様に多くみられ、石垣と生垣はそれぞれ1/3程度の屋敷内にしかみられない。また、井戸と甕は排他的であり、流水を甕に貯水できない場所で井戸を利用したことが、集落内の分布状況から推測できる。  その他、屋敷内には「おもて」とか「にわ」と呼ばれる空間があり、農業や漁業の作業スペースとして利用されていた。宅地面積の広狭と宅地内の空地面積との間には正比例の関係があることもわかった。  本発表の結論は次のとおりである。(順不同) 1.海岸に位置し、海に向いた村である 2.屋敷内には、作業スペースが十分にある 3.居宅・物置・肥料小屋から、屋敷が成り立つ 4.農業に関連する肥料小屋は、集落全体にある 5.漁業に関連する網納屋は、海岸近くにある 6.肥料溜は、肥料小屋と同様に全体にある 7.屋敷内には、農業と漁業のための施設がある 8.農村景観を呈しているが、漁村の要素もある
  • 山根 拓
    セッションID: 112
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
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     報告者は,近代日本の国土空間の形成過程を新たな視点から説明することを目指している。近代国土空間の形態と構成,それをもたらす公権力主体の政策構想と施策,さらにその背後にある公権力主体の空間的経験。この三者の関係を想定し,その基本にあるものを把握する試みとして,本研究では明治初期の公権力主体であった大久保利通の空間的経験を跡付ける。この関係の立証は,「空間の生産」という構造的現実を人間主体の営為に関連付けて説明することになる。なお空間的経験とは,人間主体の生涯における場所経験であり,居住,生活,就業,旅行等の滞留と移動を伴う行為行動において生じる直接的な空間・場所経験と,他者との対話や書状の遣り取りによる知識獲得としての間接的な空間・場所経験とがある。それらは,その空間・場所への主観的な空間認識を主体に獲得させ,その空間的実践にも結びつく。「空間履歴」とは,ある人間主体が生涯に連続的に経験する場所経験の履歴を意味する。  大久保利通は1830年,下級武士の子として鹿児島で誕生し,30歳代半ばまでそこに居住した。15~16歳時に薩摩藩記録所の書役助(かきやくすけ)として出仕し,その後,下級武士出身ながら徐々に藩内で頭角を現したが、30歳代初期まで彼の空間履歴は概ねローカルであった。しかし,島津久光公の命で初めて京都に赴いた1862(文久2)年以降,大久保の空間的移動は機会も距離も増大した。それは薩摩藩の政治工作活動の活発化によるもので,長距離移動の主要目的地として,京都・江戸・大坂(大阪)といった地名が挙がり,九州・瀬戸内海路・東海道等の沿線地に滞在の記録が多い。幕末に大久保の居所は京都に移動し、明治期には東京へ移る。彼にとって各場所は藩士・官吏としての日常的活動の場であり,政治活動の舞台でもあると同時に,長距離移動の基点でもあった。明治以降,彼の行動圏は国内のみならず海外へも拡大したが,国内では江戸以西の西日本が主たる活動空間であった。彼の本格的な東日本巡回は,天皇行幸に先行・同行した東北巡察であったが,それは人生の晩年の出来事となった。一方,彼の海外活動には,1872~74年頃の岩倉使節団での米欧視察や台湾問題に関する清国出張がある。  大久保の生涯空間履歴において,初上洛までの前期約30数年とその後の後期20年弱との間では,行動内容は対照的である。政治の表舞台に登場した彼の後期空間移動は藩命官命に従った移動が主であったが,公権力中枢に座って以後の彼の空間行動には自身の主体的な政治意志が反映されていた。  最後に,大久保利通の空間履歴・空間認識・空間構想の関係を考える。ここでは本報告最初の部分で触れた公権力者・大久保の国土空間編成構想に関係する空間認識を取り上げる。大久保は,1874年5月に「殖産興業に関する建議書」を,1878年3月に「一般殖産及華士族授産ノ儀ニ付伺」を提出した。そこに大久保の国土空間形成の構想が現れている。これらの中で,報告者はイギリス型の産業開発の称揚と,「7大プロジェクト」に注目したい。これらの文書を提示する前に,大久保は岩倉使節団で海外を経験した。その米英仏独各国で受けた強い印象が上記2文書には反映されている。その海外の空間的経験が,彼の空間認識を形成し,具体的な空間構想に現れている。上記2文書間には時間差があり,前者が「我邦(日本)の地形及天然の利は英国と相類似する」とイギリス型国土空間構造の存在を強調した後,上記東北巡幸後に具体化したのが,後者の東北・関東地方中心の7大プロジェクトであったと考えられる。この東日本開発で実現を目指した空間構造は,大久保が経験したイギリスの空間構造に範を得た国土の英国化構想であったと考えられる。  
第2会場
  • 泉谷 洋平
    セッションID: 206
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
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    本研究では、地名を固有名と見なすわれわれの感性が何に由来するのかを哲学的に考察する。大平(2002)によれば、地名は一般名同様あくまで現実世界のカテゴリー化に関わるものであり、「地名が単一の場所を指示するという意味で固有名である」(命題1)、という認識は否定される。本研究はこの主張を基本的に承認した上で、「地名が固有名である」ということの根拠を、命題1とは別の考えに求める。大平がカテゴリー化という概念を用いて地名の持つ一般名的な性格を明らかにした以上、本稿で求められるべきはカテゴリー化されえないものと関わる概念であろう。そこで、「私/世界の独在性」から地名の固有名的な性格を説明する議論の提示を試みることにしたい。
    私はこの世界にただ一人しかいない。これはごく当前の言明に見えて、実は「そのように主張できる主体が、この世界には無数にいる」という相反する事実に常につきまとわれている。だが、たとえ「私」を名乗ることができる者が複数いることが事実だとしても、そうした複数の「私」は所詮、「この私」の世界に現れる登場人物にすぎず、そうした登場人物と「この私」の存在のありさまは、まるっきり異なっている。この水準においては、「この私」がそのまま「世界」を開く視点や原点そのものである。つまり、「『この私』が世界内の一存在者であるにとどまらず『世界』を開くただ一つの視点でもあるという点にこそ、『この私』の特異性がある」(命題2)。独在性とは、「私/世界」のこうした特異な存在の仕方を表現したものである。
    ここでの「この私」は、世界内で特定の動作の主体となるような存在者ではない。たとえば、今私は山下達郎の歌声を耳にしながら、ドーナツを頬張り、この文章を書いている。だがこれは、「山下達郎の…」、「ドーナツを…」、「この文章を…」などの事態が偶然「今」「ここ」という同じ位置で生じている、ということにすぎない。「この私」というのは、あえて言えばその「同じ位置」に与えられた名前であり、西田幾多郎の言葉を借りるならば、それは「(絶対無としての)場所」とも一致する(永井2006: 18-19)。さらに「ここ」は世界を開く原点であると同時に「世界」そのものでもあり、世界を開く原点と世界の区別もこの水準では生じていない。つまり、「独在性を帯びた存在としての『この私』は、世界を開く原点としての『ここ』、あるいは開かれた『世界』そのものとも未分化であり、一致している」(命題3)。
    さて、大平(2002: 133)は、「地名が固有名として、つまりあたかも固有の対象に直接対応する名辞であるかのように理解されることも、それぞれの地名が認知地図上に特定の位置を占めることが理由であるように思われる」と述べている。しかし、「都島」と「北緯34度42分31秒、東経135度31分32秒」はともに認知地図上の同じ位置を占めるにもかかわらず、われわれはおそらく前者のみを地名であり固有名と見なすだろう。この違いはなぜ生じるのだろうか。 今都島にいる人物が「都島に行こう」と言ったならば、われわれは「その人は都島がどこなのか分かっていない」と考えるだろう。「都島」という語を適切に使うには、使用者自身にとっての「この私」が存在する「ここ」(つまり「この私」と区別しえないような「ここ」)がその「都島」にあたるかどうかが理解できている必要がある。これに対して、経緯度を用いた表現は、そのような意味での「ここ」がその場所か否かの判断が語の使用上問題となる状況が日常的にほとんど存在しないし、そのことでこうした表現の使用に大きな問題が生じることもない。このことから、「『A』が『この私』と一致するような『ここ』に対して与えられた名前であるとき、『A』は空間内の位置を示す名辞であるとともに、固有名的な性格を帯びることになる」(命題4)と結論づけることができる。この「ここ」とは、認知された空間や認知地図の中に書き込まれる点ではなく、空間の認知そのものがそこから開ける点に他ならない。こうした特異な点「ここ」との関係において特定された位置の名前が、固有名としての地名の資格を充たすと考えられる。
    大平晃久 2002.カテゴリー化の能力と地名.地理学評論75: 121-138.
    永井均 2006.『西田幾多郎―<絶対無>とは何か』NHK出版
  • 井口 梓, 田林 明, ワルデチュック トム
    セッションID: 209
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
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     日本の農業と農村においては、1990年代に入って大きな構造的変化がおきた。それは、農業が引き起こす環境問題の深刻化や農業の担い手不足、米の生産調整の強化、輸入農産物との競合の激化、食料自給率の低下、農村自体の弱体化などに象徴されるが(田林・井口, 2005)、さらにはこれまで基本的に農業生産の場としてみなされてきた農村が、余暇や癒し、文化的・教育的価値、環境保全など、その他の機能をもつ場として捉えられるようになってきた(立川, 2005)。これは生産主義からポスト生産主義への変化と考えられ(Ilbery, B. and Bowler, I., 1998)、一般には農村空間の生産空間から消費空間への転換、あるいは「商品化する農村空間」として捉えることができる(Cloke, 1993;Perkins, 2006)。  静岡市増地区ではそれまでの半農半漁の生活から大正期にイチゴや野菜、果樹などの商品作物に依存する生活に転換した。そして1930年代には高級嗜好品である促成イチゴを中心にした生業になり、第2次世界大戦中の中断はあったが、この状況は1960年代まで続いた。ところが、ビニールハウスなどに代表される技術革新の結果、イチゴの促成栽培は首都圏を中心に広い範囲に拡大し、久能地域の石垣イチゴの優位性にかげりが出てきた。そこで、折からの高度経済成長にともなう観光ブームもあって、イチゴの観光農園経営を導入することになった。1960年代までの「生産空間としての農村空間」という状況から、農村空間そのものの価値を売り出すようになった。すなわち「農村空間の商品化」が進んだ。石垣イチゴ地域における農村空間の商品としてのセールスポイントとしては、古くからの自然環境の活用(環境的意義)と石垣イチゴという知名度(教育的意義)、ユニークな景観の中でのスローな雰囲気(余暇と癒しの意義)があげられ、それらは温暖な冬の気候、海に向かった南斜面という展望の良さ、長年の技術的蓄積に基づくイチゴの味の良さ、親しみのある接客姿勢、周辺観光地との組み合わせ、大都市や中小都市への近接性の高さなどの条件によって支えられている。
  • 吉田 国光, 淡野 寧彦, 大石 貴之, 永井 伸昌, 飯島 崇, 田林 明, ワルデチュック トム
    セッションID: 210
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
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    _I_ はじめに
     茨城県筑西市は,施設園芸による小玉スイカ生産の全国最大産地となっている。一般に施設園芸は,産地間競争の激化や農産物価格の低迷,また農業労働力の高齢化や農地の疲弊など,様々な問題にも直面し,産地の興亡が激しい。本報告は,筑西市における小玉スイカ産地の分析から,施設園芸による農業経営の維持システムについて考察することを目的とする。なお,調査対象集落は,耕地に占める施設園芸面積の割合が多く,主業農家のすべてが施設園芸に従事する下星谷集落とした。
    _II_ 筑西市における施設園芸の展開
    1.産地の発展過程
       対象集落においては,水田面積が少なく,畑地での麦類や陸稲を中心に小規模な商品作物栽培による不安定な農業経営が続いてきた。商品作物のなかには大玉スイカも含まれていたため,1957年より,小玉スイカの栽培が試験的に開始された。対象集落においても,1961年より小玉スイカ栽培が新たな商品作物として開始された。1960年代後半からは,パイプハウス型栽培方法が出現し,この方法が全農家に広まった。これとともに,小玉スイカ収穫後の7月に,後作として抑制トマトの栽培が導入され,小玉スイカ・トマトという作型が徐々に定着していった。また,1960年代半ば以降,陸田造成事業によって水稲作が拡大したが,米の生産調整が開始された1970年代以降は,陸田での施設園芸が拡大し,これが小玉スイカ生産発展の一因となった。とくに,1975年以降,糖度が高く食味の良い品種である「紅こだま」が導入されてからは,小玉スイカの市場価値が大きく向上し,栽培面積がさらに拡大した。そして1988年には,茨城県青果物銘柄産地の指定を受けるにいたった。しかし,小玉スイカによる収入は,バブル期の10aあたり100万円超をピークとして,現在は50~60万円程度にまで低下している。しかし,コスト削減など対応策が取り組まれることにより産地の維持が図られている。
    2.対象集落における農業経営
     集落内の土地利用は,集落の中央部に宅地が集まり,その周囲に施設園芸のビニルハウスと陸田が広がっている。また,集落東部の観音川沿いと南西部の低地に水田が存在する。ビニルハウスでの作物は,小玉スイカと後作の抑制トマトが主体で,ほかにキュウリやレタスなどもみられる。陸田や水田では水稲のほか,転作作物の大豆や小麦,大麦が栽培されている。
     対象集落における主業農家は,1戸あたり1ha前後の施設園芸を家族労働力によって経営している。多くの農家は,小玉スイカと抑制トマトを組み合わせる従来からの作型を続けている。これらの農家では,近年の農産物の価格低下傾向に対して,後述する小玉スイカの新品種の導入や,完熟トマトの出荷といった,商品の高品質化が進められている。一方,小玉スイカ生産を継続しつつも,キュウリやレタスなど,新たな作物を導入する農家もある。これには,農業収入の周年化やリスク分散,販路の多角化,連作障害対策などといった理由が挙げられる。また,水田と陸田は,全ての主業農家によって所有されているものの,施設園芸に労働力を集中させる傾向が強く,集落外の大規模借地農家に,全量または一部を作業委託している。
    _III_ 施設園芸農業を支える条件
     対象集落における施設園芸農業を支える条件として,_丸1_小玉スイカそのものがもつ優位性,_丸2_生産・出荷に有利な立地条件,_丸3_新品種の導入・新たな連作障害対策の実現,_丸4_多様な需要への対応による販路の拡大,_丸5_コミュニティ活動を通じた社会的な結びつきと農業経営への貢献が挙げられる。
     まず,_丸1_は,大玉スイカに先行して出荷されるために高価格での販売が可能となる。_丸2_は,大消費地に近接することに加えて,冬季の日照時間が長く,無加温ハウスで小玉スイカ栽培が可能であり,暖房経費を抑えることができる。_丸3_は,農協や地元農業資材会社を通じた新品種の導入や,農業改良普及センターの指導による,環境に配慮した太陽熱消毒による連作障害対策の実現がある。_丸4_は,農協部会を通した,契約出荷やギフト商品の拡充,イベントへの出展などによる販路開拓と,地元農業資材会社を介したPB「味良来」の契約出荷がある。_丸5_は,活発な社会的・宗教的行事が,農家間の社会関係の維持・強化をもたらすだけでなく,日常的な農業関係の情報交換の場を提供している。さらにこのことが,集落内の農家が集団で農地を他集落の大規模借地農家に作業委託し,それが不耕作農地発生の抑止力となることにつながっている。これらの施設園芸を支える諸条件が複合的に組み合わさることで,施設園芸農業が維持されていると考えられる。
  • 古関 喜之
    セッションID: 211
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
    会議録・要旨集 フリー
     亜熱帯地域に属する台湾では,これまで高度差を利用することによって,日本品種のナシ栽培が行われてきたが,1970年代後半に高接ぎによる栽培方法が確立すると,海抜高度の低い地域でも日本品種のナシの栽培が可能になった.本研究では,ナシ穂木の供給地として重要な日本との関係に着目しながら,高接ぎナシ栽培の発展過程と生産現場の実態を明らかにし,WTO加盟後の高接ぎナシ産業の影響について検討した.1980年以降,東勢を中心とする地域で商業的高接ぎナシ栽培が盛んに行われるようになり,生産された高接ぎナシは,高値で取引されていた.生産者の高接ぎナシ栽培への需要が高まると,高接ぎナシ栽培に必要なナシ穂木の入手が困難になり,1988年から日本のナシ穂木が輸入されるようになった.現在では,高接ぎナシ栽培に必要なナシ穂木の約半分を日本に依存している.生産面では,栽培に手間と人手を必要とするため,労働力確保や生産コストが高いといった問題を抱えている.WTO加盟後,日本や韓国から東洋ナシの輸入量が急増しているが,高接ぎナシの生産時期は,これらの国に比べ約2カ月早いため,国内市場において直接の影響は考えにくい.ただし,東洋ナシの輸入が集中する9月以降出荷されるナシは,輸入ナシとの競争を強いられるため,今後,高接ぎナシ栽培と生産者の販売戦略に変化が現れることも考えられる.
第3会場
  • シュルンツェ ロルフ
    セッションID: 303
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
    会議録・要旨集 フリー
    国際的マネジャーの集中と拡散 地理学においても経営の問題が取り上げられることが多くなってきている。Thrift (2000)によれば、"fast subjects"が知識の集積するビジネスコミュニティのあるグローバル都市ネットワークをつないでいる。国際的マネジャーの消費やライフスタイルはグローバル都市において明確なパターンを持っている(Sassen 2001)。Jones (2002)はSassenのグローバル都市の概念は認識論的範囲が狭すぎると批判し、多国籍間のビジネス活動における権力とコントロールはもっと空間的拡散の面から理解するべきだと述べている。 そのような視点で見ると、前述したネットワークにおける経営的コミュニケーションのつながりはビジネスの成功にとって大変重要であるといえる。誰が、どこで、異文化コミュニケーションのプロセスにおいてシナジーを創出できるのか。国際的ビジネスを行う立地の役割を考えるためには、国際的マネジャーの成功方式と立地選好を詳細に検証することが必要だと考える。 方法論 本研究のため、マネジャーの経営面でのパフォーマンスと立地選好を組み合わせる分析フレームワークを開発した。外国人マネジャー個人の立地選好がシナジー創出の可能性、ひいてはその立地における外資系企業のパフォーマンスにも直接関連している。ここでは分析方法として主体中心のアプローチを用いた。はじめに外国人マネジャーのワーキングスタイルとライフスタイルから多文化の職場におけるシナジー創出の可能性を評価した。次にコンジョイント分析を用いて立地選好を評価した。在日ドイツ商工会議所の名簿にある全141人の外国人マネジャーを対象に調査し、58人にインタビューを行うことができた。そのうち有効な43ケース(30%)を分析の対象とした。 結果 立地選好 東京・横浜という第一のグローバル都市では、外国人マネジャーの人的資源に対するニーズが明らかに高かった。適応能力が低い外国人マネジャーは適応能力が高いマネジャーに比べて優秀な人的資源へのアクセスを必要としている。一方、明確な戦略的意図を持つマネジャーは成功のために企業内での協力を好む。したがって、国際的マネジャーのタイプによってシナジーの可能性も異なると考えることができる。 . パフォーマンス 分析から、外国人マネジャーは2タイプに分類された。1つはグローバル経営のスキルを持っているが、現地の仕事環境や生活環境に埋め込まれているとは言えないタイプで、これを海外派遣マネジャーと呼ぶ。もうひとつは社会的に埋め込まれており現地、つまり日本の規範や価値観に対するセンシティビティを持つタイプで、こちらをハイブリッドマネジャーと呼ぶ。ハイブリッドマネジャーは文化適応のスキルが高く、現地のビジネス知識も十分持っている。2タイプは適応、発見、センシティビティの項目で明らかな違いが見られた(Phi 0.408 Sig. 0.008, Phi 0.675 Sig. 0.000, and Phi 0.476 Sig. 0.002)。ハイブリッドマネジャーは海外派遣マネジャーと比べて現地の職場環境やビジネス環境に適応している傾向が強く、彼らのライフスタイルは外国人マネジャーが作るコミュニティへの依存度が低い。何か発見したいという気持ちが強く、プライベートにおいても文化的問題に対するセンシティビティが強い。また、適切な異文化コミュニケーションのために必要な知識も持っている。これらにより、海外派遣マネジャーとハイブリッドマネジャーの文化変容の程度は明らかに違うということが検証された(Phi 0.659 Sig. 0.000)。 さらに、東京-横浜の外国人マネジャーと比較して大阪-神戸の外国人マネジャーの文化変容の程度はわずかながら強いことも検証できた(Phi 0.314 Sig. 0.039)。この結果から、大阪-神戸のビジネス環境の方が従来の日本的な面が多く残っていると考えられる。あるいは、東京-横浜の方がグローバル化プロセスの影響を強く受けているということもできる。海外派遣マネジャーは第一のグローバル都市、東京-横浜で働く方を好む。彼らは文化的には現地に埋め込まれないままであるが、外国人ビジネスコミュニティにある知識豊富なネットワークを利用することができる。多文化の職場におけるシナジー創出の可能性は、海外派遣マネジャーよりハイブリッドマネジャーの方が高い(Phi 0.579 Sig. 0.000)。ハイブリッドマネジャーは文化変容が比較的進んでいることにより、自らの戦略的意図をうまく実践することができている。 本研究報告は、平成17・18年度日本学術振興会科学研究費補助金による基盤研究(C)「外国人経営者の活動空間と意思決定に関する研究」(課題番号:17520548)に基づく研究成果の一部である。
  • 栗林 和子
    セッションID: 305
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
    会議録・要旨集 フリー
    市街地再開発事業の進行においては、しばしば地権者の間に激しい対立が生じ、事業が停滞するケースは少なくない。ではそのような対立がどのようにして生まれ、何をきっかけとして融和へと向かうのだろうか。対象事例である北千住駅西口地区第一種市街地再開発事業は、1979年の区によるパイロットプランの策定から2004年の再開発ビルの竣工、キーテナントのオープンまでおよそ四半世紀をかけて行われた。対象地区は東京都23区東北部において最大の乗降客数を持つ北千住駅に隣接していながらも、低層の木造家屋が密集しており、また区の商業中心地という地位は周辺の駅における駅前再開発事業によって相対的に低下傾向にあった。そこで区が主導し、再開発パイロットプランを策定、地元有志が中心となり準備組合が組織される。しかし一方で地権者の中には何としても事業を押し進めようとする区の強引な姿勢に反発を抱く人々もおり、彼らが1986年に区が都市計画決定を強引に進めたことを契機に「権利者協議会」を組織したことにより地元は大きく二分化する。また、区と、区に足並みを揃えていた準備組合との間にも対立が生まれ、事業は長らく停滞する。このような停滞状況が大きく変化するのは1992年、連合準備組合の組織化による。それまで対立関係にあった賛成派・反対派の地権者が互いの組織を解散させ、合併組織を立ち上げたのである。このような動きが生まれた理由として、地権者内部の要因としては賛成派・反対派の地権者間に「自分達のための再開発を自分たちの手で行う」という共通の目標が確立されたことが挙げられる。賛成派である準備組合の地権者の傾向としては広い土地を所有しいわゆる地元の名士であり、「まちが良くなるためなら多少の損は厭わない」という立場をとっていたことが挙げられるが、区のすることに間違いはないとする年配層と、区のやり方はエゴであると考える若手層との間に意見の相違が生まれていた。一方反対派の内部では土地を売却し転出する者が多く、このままでは自分たちの意見が少数派として無視されてしまうのではないかという焦りが生じていた。そのような中、両者のオピニオンリーダーが話し合いを重ね、目的の共有を確認したことが契機となる。また、外部の要因としては都市計画が決定されたことにより地区内での建造物の更新に規制がかかり地域の衰退につながるという危機感が生じていたこと、もう一点としてバブル期に高騰した地価が下落し始めたことが挙げられる。 以上のように地権者内部の要因、外部環境による要因によって合併組織が生まれ事業は再び動き出したのである。本発表では、以上の事例事業について地権者の属性の違いに着目し、オピニオンリーダーへのヒアリングを基に彼らの声を反映し、その経過を明らかにすることを試みる。
  • 山内 昌和, 江崎 雄治, 小口 高
    セッションID: 306
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
    会議録・要旨集 フリー
     戦後日本の地域人口の変化は,都市の規模や都市への近接性といった社会条件との関連で説明されることが多く,自然条件との関連をも含めた詳細な検討は,ミクロな地域スケールでの研究を除けば少なかった。近年のGISの利用環境の向上は,自然条件ならびに社会条件と人口現象との関連を広域的に検討することを容易にしつつある。
     こうした状況を踏まえ,本報告では,国勢調査の基準地域メッシュの男女5歳階級別人口のデータを,標高,都市圏,役所(場)からの距離を基準として地域ごとに区分し,1990~2000年の人口変化を自然増加と社会増加に区分して分析する。
     分析の結果、以下の点が明らかになった。人口の大部分が分布する標高0~100 mの地域では人口の社会減少が生じていたが,相対的にみれば流出の程度は小さく,自然増加となっていた。ただし,自然増加数,自然増加率ともに低下傾向にあった。一方,人口の少ない標高の高い地域,とくに標高300 m以上の地域では,社会減少が大きいことはもとより,それ以上に自然減少の方が大きくなっていた。これらの中間にある標高100~300 mの地域は,標高0~100 mの地域に近接しており,社会増加となる場合もみられたが,自然減少が生じていた。
     都市圏の影響については,標高の低い地域では都市圏の規模が大きい場合に自然増加ならびに社会増加により人口が増加したが,都市圏の規模が小さくなるにつれて自然減少ならびに社会減少が顕著になり,人口が減少した。標高の高い地域,とくに標高300 m以上の地域では都市圏の影響は複雑で,都市圏の規模が大きいほど自然減少や社会減少も小さいという単純な傾向はみられなかった。
     役所(場)の影響については,標高の低い地域では,都市圏の規模が大きい地域を中心に郊外化の影響がみられたのに対し,標高の高い地域では,役所(場)に近接する地域の方が人口減少が緩やかな傾向がみられた。
     本稿の結果から,標高の高い地域では人口の再生産が困難になっていたことが明らかになった。その背景にあるのは,出生力の低下のみならず,これまで続いてきた若年人口の流出である。とくに後者は、再生産年齢人口の性比の歪みや人口構造の高齢化に寄与し,年少人口の減少による社会減少の縮小と,滞留した人口規模の大きな世代の加齢による自然減少の拡大をもたらした。また,こうした地域では,ミクロにみれば,高齢者を中心とした人口規模の小さい集落が点在する状況もみられる。このため,人口減少のさらなる進展が人々の生活の脆弱性を高め,これまでモビリティの低かった人々の流出を促し,人口減少を加速させる可能性もある。他方,標高の低い地域においても,人口の再生産が困難な地域が生じていた。一部の地域では依然として自然増加となっていたが,親世代の減少や出生力の低下,人口規模の大きな世代の加齢という事態の進展によって自然減少に転じることはいずれ避けられないであろう。また,社会増加についても,モビリティの高い年齢層の人口規模が縮小していくため,自然減少を補うほどの社会増加が生じる地域はごく限られるであろう。以上を踏まえるならば,今後,居住域の縮小はより広範に発生する可能性がある。
  • 塩川 太郎
    セッションID: 308
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
    会議録・要旨集 フリー
     台湾では賃金の安い労働者を求め,1990年代前半から東南アジアを中心とした国々から外国人労働者が急増した.一方,女性の社会進出や教育改革による高学歴化等によって未婚化,晩婚化が進んだ.その結果,結婚したくても結婚できない男性が増え,海外へ配偶者を求めるようになった.このような外国籍配偶者(新移民)は,都市部だけでなく,過疎化が進み花嫁不足となっている農村や離島などでも,受け入れが盛んになっている.
     現在,外国籍配偶者(大陸出身者を含める)は,38万人(2006年)に達し,台湾の少数民族よりも多くなってきている.外国籍配偶者は,期限付きで台湾に来ている外国人労働者と異なり,永住を前提としているため,生活上,言語や習慣の違いなど様々な問題が生じ,社会問題化している.さらに,受け入れの家庭によっては,暴力を受けたり,差別を受けたりするなど人権上の問題も起こっている.そのため,外国籍配偶者が台湾で生活しやすいように支援する動きが各地で始まっている.
     そこで今回の発表では,台湾の新移民者である外国籍配偶者の諸問題とその支援に注目し,現状と課題について考察を行った.
  • 村中 亮夫, 中谷 友樹
    セッションID: 309
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
    会議録・要旨集 フリー
    I はじめに
     近年,市場調査や医療・疫学研究の分野では,インターネット調査の利用が急速に普及し始めている。インターネット調査には経済性や迅速性の利点がある一方で,被験者の設定問題や回答収集方法に関わる問題が指摘されている。これらインターネット調査の持つ利点と欠点について,市場調査においてはしばしば経済性と迅速性といった利点が強調されてきた。しかし,母集団の代表性の問題に関心を持つべき社会調査においては,従来型のデータ収集方法と比較してインターネット調査にどの様な問題が存在するのかを考える必要がある。そこで本研究では,歴史的景観復興に対する意識調査データを題材に,社会調査データの収集方法(郵送調査とWeb調査)が景観に対する意識,とりわけ景観復興に対する支払意思額(WTP)に与える影響を,被験者の社会経済属性や居住地属性を考慮しつつ検討することを目的とする。

    II 分析資料
    (1)分析データ
     本研究では,京都市における災害発生後の歴史的景観復興を想定し,歴史的景観の継承に関わる意識調査を,20歳以上の京都市内在住者に対してWeb調査および郵送調査で実施したデータを用いる。分析に利用するデータは (1)従属変数:歴史的景観復興に対するWTPを示すWTP,抵抗回答か否かを示すProtest,(2)データの収集方法を示すWeb,(3)被験者の社会経済的属性:性別を示すSex,年齢を示すAge,所得を示すIncome,(4)被験者の居住地属性:京都市内在住年数を示すYear,都心4区(上京,中京,下京,東山)に居住しているか否かを示すCitycentreである。
    (2)調査の概要
     本調査では,Web調査と郵送調査に基づき,京都市内に在住している個人に対してアンケート調査を実施した。Web調査では,Yahoo!リサーチの登録モニターを調査対象者とした。本研究における標本抽出では,性別,年齢階級を考慮した層化抽出法により698名を計画標本とし,有効配信数698(未達数0)に対して調査協力の依頼を行った。このうち,有効回答回収数は329(有効回答回収率=47.1%)である。一方,郵送調査では,京都市に住民票を届出ている者を調査対象者とした。サンプリング台帳としては住民基本台帳を利用し,系統抽出法により1,500名を計画標本とした。転居等の事由により15通が未達であり,最終的には1,485通の有効配布数のうち,WTPおよび正常回答の判断に必要な質問に回答漏れの無かった536通を有効回答とした(有効回答回収率=36.1%)。アンケート調査は,Web調査を2007年2月8~13日,郵送調査を2007年3月30~5月11日に実施した。

    III 結果
    (1) データ収集方法と抵抗回答率との関係
     WTPを用いた分析では,しばしば有効回答から抵抗回答を除いた回答(正常)が用いられる。抵抗回答とは,歴史的景観復興に対する価値を認めてはいるが,シナリオに対する抵抗感から0円回答を選択した回答である。この抵抗回答は,シナリオを正確に把握していないという判断から,WTPの評価から除外される。つまり,抵抗回答率の違いを原因として,WTPに大きな変動が生まれる可能性がある。そこで,調査で得られた回答者の社会経済/居住地属性の違いを含めて,従属変数をProtestとする二項ロジスティック回帰分析を行なった。変数選択ではデータ収集方法を表すWeb,社会経済/居住地属性に関わる5変数,そしてこれら5変数とWebとの交互作用を考慮し,これらを掛け合わせた5変数を独立変数として投入した。そこでは,有意確率が0.050以上の変数の中から有意確率の高い変数から順番に削除していった。その結果,Webは有意な変数とはならず,AgeとIncomeがProtestに正の影響を与えていることが分かった。
    (2)データ収集方法とWTPとの関連性
     データ収集方法は抵抗回答率にとは統計的に有意な関連性が認められなかったため,以下の分析では329のWeb調査回答者のうち296の正常回答を,536の郵送調査回答者のうち465の正常回答を,それぞれ分析に利用することにした。そこで,回答者の社会経済/居住地属性の違いを含めて,WTPを従属変数とするグループデータ回帰モデルを検討した。変数選択の過程は,Protestの二項ロジスティック回帰分析と同様である。そこでは,有意確率が0.050以上の変数の中から有意確率の高い変数から順番に削除した。その結果,WTPに対してWebが負の影響を,Webと所得の交互作用項であるWeb×IncomeとWebと年齢の交互作用項であるWeb×Ageが正の影響を与えていることが分かった。つまり,(1)Web調査回答者のWTPに比較して郵送調査回答者のWTPが高いが,(2)Web調査回答者の方が所得や年齢によるWTPの違いが大きいことが分かった。また,都心4区居住者か否かを基準としたWTPの地域差が認められないことが明らかになった。
  • 奥井 正俊
    セッションID: 310
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
    会議録・要旨集 フリー
    乗用車保有率の地域差を説明するため、ローカル回帰モデルの推定を試みた。単位人口1,000当たり乗用車車両台数を基準変数とする地理的加重回帰モデル(GWR)と二つの種類のグローバル回帰モデルとを、日本全国の2,668市区町村ごとに収集した2005年のクロスセクションデータに対して当てはめた。二つの種類のグローバル回帰モデルとは通常OLS回帰モデルと空間回帰モデルSEMとである。説明変数としては世帯所得と人口密度の2変数を基本モデルにおいてとりあげた。また、これらに女性労働力率を追加した3変数を拡張モデルにおいてとりあげた。モデル推定の結果によれば、GWRはグローバル回帰モデルよりもはるかに高い適合度と信頼性を示していた。GWRで得られたローカル統計量の地理的分布を読みとることで、乗用車保有率の地域差に影響を与える空間的変動因、つまりは所得、人口疎密および女性の社会進出の各要因が空間的にどこまで変動しているかを考察した。
  • 豊田 哲也
    セッションID: 312
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
    会議録・要旨集 フリー
    1.問題の所在
     「都市と地方の格差問題」は今日わが国における最も重要な政策テーマとなったが、その事実認識について論争はつきない。現象としての所得格差には2つの意味がある。一つは「都市-地方」という空間的な関係であり、もう一つは「富裕層-貧困層」という階層的な関係である。ところが多くの場合、前者の分析は1人あたり県民所得など平均値の差のみに注目し、格差の階層的構造についての視点を欠く。一方、後者の分析は所得再分配調査など全国一律のデータをもとにおこなわれ、地域間の比較については関心がない。しかし、地域と地域の間に格差があるのと同様、どの地域もその内部に階層的な格差を抱えていることは自明の事実である。例えば、高級マンションとホームレスが併存する大都市と、過疎化・高齢化が進む中山間地域を含む地方とでは、いずれの地域で格差がより大きいであろうか。また、地域間・地域内の格差はどの程度拡大しているのか。本研究では、世帯所得の地域格差を空間的・階層的かつ時系列的に分析し、こうした格差を生み出す要因として人口や雇用など地域の社会経済条件との関連を検討することを目的とする。
    2.所得の地域格差
     使用するデータは「住宅・土地統計調査(都道府県編)」である。「世帯の年間収入」の階級別世帯分布から、線形補完法でメジアン(中位値)、第1五分位値(下位値)、第4五分位値(上位値)を推定するとともに、ジニ係数を求める。なお、実質所得は世帯人員の規模の影響を受けるため、SQRT等価尺度を用いて調整を加えた。1998年から2003年にかけて、等価年間収入の中位値は全国平均で286万円から267万円に約9%低下している。都道県別に見ると、神奈川、東京、千葉など首都圏と愛知で高く、沖縄、鹿児島、宮崎、高知など九州・四国と青森など東北で低い(図1)。
     次に、年間収入の中位値を横軸に、ジニ係数を縦軸にとって各都道府県の散布図を描く(図2)。おおむね年間収入が高いほどジニ係数は低いという逆相関を示す。東京は両者とも高いのに対し、大阪や京都では所得水準が中程度でありながらジニ係数は高い。地方でジニ係数が目立って低いのは富山、新潟、長野、山形など北陸・信越地方で、高いのは徳島・高知など南四国と和歌山である。5年間の変化を見ると、縦軸方向で示される地域内格差はやや拡大しているが(ジニ係数の平均値:0.294→0.299)、横軸方向のばらつきで示される地域間格差は、予想に反してむしろ縮小していることがわかる(中位値の変動係数:0.126→0.109)。平均対数偏差(MLD)を用いた要因分解によっても、この結果は支持される。
    3.地域格差の要因
     空間的な地域間格差と階層的な地域内格差をもたらす要因を探るため、人口や雇用などの地域の変数と所得およびジニ係数との間で相関係数を算出した(表1)。人口構成に関しては、生産年齢人口が多く老年人口が少ない地域ほど所得水準は高い。一方、女性就業率の高さは地域内格差の縮小に貢献している。また、労働力需要が弱い高失業率地域では、所得の下位値が低下しジニ係数が高まる傾向にある。職業別就業構造との関係を見ると、農林漁業が多いほど所得水準は全般的に低く、事務職が多いほど所得水準は高いが、両者ともジニ係数への影響は中立的である。これに対し、専門技術職は上位値を引き上げ、サービス業は下位値を引き下げるよう作用し、両者が相まって格差を拡大する要因となっている。対照的に、ブルーカラー就業者の多い地域では格差が抑制されている。さらに、このような地域間の所得格差は人口移動と強い正の相関を示すことから、地方から都市への人口集中をより促進するよう作用していると考えられる。
    4.今後の課題
     世帯所得の格差に関する今回の分析から、問題は地域間格差の拡大ではなく、むしろ地域内格差の拡大にあると言える。結果についてさらに解釈を深めるには、推計方法や地域区分を再検討する余地がある。これ以外に都道府県別の世帯所得データが得られる「全国消費実態調査」や「就業構造基本調査」を用いた場合と、結果を比較検証する必要もあろう。今後、地域格差の要因を究明していくには、論理的な因果関係を組み込んだ説明モデルの構築が求めらる。
  • 西原 純
    セッションID: 313
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
    会議録・要旨集 フリー
     平成の大合併で誕生した新自治体557を対象に庁舎の方式から、全国的動向を分析した。明治の大合併、昭和の大合併と比較して、今回の大合併の特徴は、1)3つの庁舎の方式が採用されたこと、2)面積が1000平方キロメートルを超える新自治体が誕生したこと、である。  本庁方式、総合支所方式、分庁方式がほぼ三分の一づつをしめていた。庁舎の方式ごとに新自治体の特徴をみると、「合併の形」「合併市町村の地域型」「人口」「面積」と選択された庁舎の方式で強い関連があり、これらの要因で庁舎の方式が選択されていたと言える。  静岡県の合併時期、背景をほぼ同一にする3つの新しい自治体を選び、職員・住民代表にインタビュー調査を実施した。その結果、合併直後の組織配置、その後の再編成、住民の地域アイデンティティの点で、選択された庁舎の方式は一長一短あること、支所地域住民により大きな影響を与えていることが明らかとなった。
第4会場
  • 藤塚 吉浩
    セッションID: 403
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
    会議録・要旨集 フリー
     1990年代初頭には景気後退もあり、ジェントリフィケーションは終わるとした論者(Bourne, 1993)もあったが、1990年代においても世界各地でジェントリフィケーションがみられる(Atkinson and Bridge, 2005)。ニューヨーク市では、1990年代もジェントリフィケーションはみられる(藤塚,2007)が、1980年代に比べて性質は変化した。
     まず、エスニシティの変化があげられる。マンハッタン(Manhattan)北部のハーレム(Harlem)は黒人の多い住宅地であるが、ジェントリフィケーションの進行とともに、都市更新事業が行われ、白人の来住もみられるようになった。
     次に、ジェントリフィケーションを惹起させる公共事業の存在である。ロウアーイーストサイド(Lower East Side)では、少数民族の居住者が多いが,1980年代からジェントリフィケーションが進行した。地区内の中心にあるトンプキンスクエア(Tompkin Square)公園では,ここで寝泊まりするホームレスの人たちも多かったが,彼らの居場所は強制的に撤去された。公園の周囲にはフェンスが設けられ,中では親子の憩う姿がみられるようになった(Smith, 1996)。高学歴者の増加にみられるように、ジェントリフィケーションが進行している。公共が関わって、より大規模にジェントリフィケーションが起こっており、反対されることは少なくなってきている(Hackworth, 2002)。
     さらに、ジェントリフィケーションの発現する場所も変化した。早くにジェントリフィケーションの発現した地区はマンハッタンに多かったが、イーストリバー(East River)の対岸のブルックリン(Brooklyn)においても、ジェントリフィケーションがみられるようになった。ソーホー(SoHo)やロウアーイーストサイドに多い芸術家のなかには、賃料の上昇により当地を離れた者もある。ブルックリンのウィリアムズバーグ(Williamsburg)では、工場跡がアトリエなどに再利用され、多くの芸術家が居住するようになった。
     そして、世界都市化に関連した企業エリートの増加によるものである。ブルックリンハイツ(Brooklyn Heights)では,かつてジェントリフィケーションにより再生された近隣に,より裕福なジェントリファイアーが来住しており,Lees(2003)はこれをスーパージェントリフィケーションとして示した。世界的な金融市場や多国籍企業に勤める裕福な居住者が集中した結果,平均所得が高くなったのである。ブルックリンハイツは歴史的建築物の保存地区であるが,その周辺で不動産業者と開発業者は,贅沢な高層住宅の建設を進める一方で,歴史的な特性と近隣の低層の雰囲気が弱まることへの関心をそらすのに熱心であった。スーパージェントリファイアーは、歴史的価値の共有には無関心で、近隣関係にも参加せず、コミュニティが希薄になった。
第5会場
  • 宮本 真二, 安藤 和雄
    セッションID: 509
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
    会議録・要旨集 フリー
    バングラデシュ中央部における氾濫原に立地する土地開発過程の解明を行い,約1万年前以降,生産域の展開とともに,居住域も洪水に適応しながら開始したことを明らかにした.
  • 澤 宗則
    セッションID: 510
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
    会議録・要旨集 フリー
    インドは1990年代以降の新経済政策以降、急激な経済成長を経験している。しかしその反面、貧富の格差の拡大や都市と農村間など多くの地域間格差が生じ、急進的なナショナリズムやコミュナリズムによる宗教対立、地域対立など、社会統合に大きな軋みを生じてきた。このように、経済的側面からみれば総体としてのインドは経済成長により経済状態が改善されたと評価できるかもしれないが、社会階層、地域により分節化すれば、その評価は多様なものとなる。従来より人文地理学的研究においては、地域差、地域格差には敏感であり続けた。農村研究においても、住民の多様性には配慮がなされてきた。しかしながら、それを研究者として評価する際には、工業化や都市化などの外的要因にうまく対応できているのかなど、経済的状況に基づき一面的に評価してきたのではないだろうか?伝統と近代が混在した開発途上国の農村において、経済的上昇のみが住民の唯一の価値基準であるのだろうか?そこには多様な主体による多様な価値基準が存在するのではないだろうか?そして、その多様性を研究者はどのように総括すればよいのだろうか?  本研究では、工業団地に近接し、工業化の影響を受けているインド農村において、工業団地開発が農村住民によりどのように評価されているのか、その多様性を明らかにしたい。事例農村は、MP(Madhya Pradesh)州のピータンプル工業成長センターに近接するC村であり、1996年に全世帯の調査を行った村である。2007年2月に第1回目の追跡調査を行い、1996年調査により抽出したサンプル世帯の10年間の変化を調査した。なお、2007年10月に第2回目の追跡調査(全世帯調査)を行う予定であり、発表当日は価値基準の多様性を含めその結果をあわせて発表する予定である。
  • 高原 浩子
    セッションID: 511
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
    会議録・要旨集 フリー
     本報告はモンゴルの物資流通において近年、重要な位置を占めるようになった商社に注目し、その活動の中でも特に卸売業部門の動きを取り上げてその展開と市場(しじょう)への影響について示そうとするものである。  かつてモンゴルの物資流通においては、中間に他者を介さず商業者が商品の仕入れから販売までを一手に引き受ける商業のありかたが主流であった。日用消費物資を輸入に頼る傾向の強いモンゴルでは、商品の調達はすなわち外国への仕入れを意味することが多く、あらゆる商業者がロシアや中国に出向いていた。やがて効率化の意識が浸透すると、物資流通の分業化、専門化が進み、商社によって大規模な輸入、卸売が始まって、効率的、経済的な商品調達が実現された。もちろんこれまでも卸売商業者は存在し、現在も存続しているが、その役割も商社の展開によって変容してきているといえるだろう。これまで卸売業を中心的に担ってきた市場(いちば)は小売へと中心的役割を移行する、あるいは、商社を利用しない小規模商業者や地方の商業者へ取引対象を限定するということになりつつあるようである。  現在首都にはいくつもの商社が展開しているが、その市場をめぐっては、それぞれ品質やサービスの競争をはじめ、取扱商品の「住み分け」など戦略的に取引を確保している。今日のモンゴルの物資流通構造に大きく影響する動力である商社の展開は、卸売業と小売業の連関も含め今後ともさらなる省察が必要である。
ポスター研究発表
  • 村田 陽平, 埴淵 知哉
    セッションID: P01
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
    会議録・要旨集 フリー
    回想法(reminiscence, life review)とは,1963年にアメリカの精神科医ロバート・バトラー(Butler,R.N)が提唱した,高齢者を対象とする心理療法の一つである。回想法の目的は,高齢者が専門家とともに,過去の記憶を辿り,今までの人生を振り返りながら,これからの自己の「生」に対する肯定感の獲得を目指すものである。回想法の実施により,自尊感情の高まりなど個人の内面への効果や,生活の活性化や対人関係の進展など社会面への効果等が指摘されており,バトラーの提唱以降,アメリカ,カナダ,イギリスなど欧米を中心に取り組まれてきた。日本でも少なからず研究や実践が進められてきたが,近年では,認知症や閉じこもり等,介護予防の一環として高齢者のQOL(生活の質)の向上に期待できるものとして注目を集めている。この動きの中で,従来は病院や介護施設(特別養護老人ホーム,老人保健施設)など限定された場所で行われてきた回想法を,「地域」の活動としてまちづくりの核に位置づける自治体がみられるようになってきている。そこで,本発表では,回想法を取り入れた2つの地域事例(北名古屋市「回想法センター」・恵那市「明智回想法センター・想い出学校」)の紹介を通じて,回想法と今後の地域づくりとの関係性を考える契機としたい。
  • 横町 美沙, 香川 雄一
    セッションID: P02
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
    会議録・要旨集 フリー
    1.背景・論点 生活水準の向上に伴い人々の居住環境への関心が物的充足から精神的満足へと変容しつつあり,環境の質が求められてきている。こういった背景から,今日アメニティという言葉が注目されている。アメニティは,音環境やバリアフリーなど多様な局面で活用されているが,その中でも,特に地域独特の自然環境を利用したアメニティ形成が注目され,『環境白書』でもその重要性が述べられている。 都市開発により居住地に対する愛着意識が異なる新来の移住者が多い地域では,共通のアメニティ形成は難しく,重大な課題である。よって,新来・旧来住民の両者にとってのアメニティとして存在しうるような,自然環境の保全方法が必要とされ,またそのことが地域社会の持続的発展につながると考えられる。  地域独特の自然環境とは,重要文化的景観に指定された滋賀県近江八幡市の水郷景観や,岩手県一関市の農村景観,または森林や河川などさまざまである。こういった自然環境の保全については多方面で研究が進められており,広く認知されている。しかし,農業地でもあり,林業地でもある竹林に関しての保全方法の研究は少なく,まだまだ不十分であるのが現状である。 2.研究方法 2-1 調査方法 まず,時期別に都市開発や竹林保全の方法を文献・ヒアリングによって調査する。次に新来住民と旧来住民のアメニティ意識,竹林に関する意識の違いをアンケートにより探り,比較検討する。そのアンケートの結果を元に竹林保全活動を通しての新旧住民のアメニティ形成方法を考察し,これからの持続的な竹林保全のあり方を提言したい。 2-2 調査対象地域 調査対象地域は京都府長岡京市とする。本市では高度経済成長期から現在にかけて飛躍的に都市化が進んだ地域であり,現在でも都市開発は進んでいる。 また,長岡京市は昔から竹林の名所として著名な地域であるが,現在では都市開発や竹材の需要の減少,後継者不足により荒廃がすすんでいる。その一方で、市民の多くが市の緑のイメージとして「竹」を掲げており,市民による環境保全ボランティア活動も盛んな地域である。また,まだ初期段階ではあるが,企業・市民・行政・学術研究機関による竹林保全を行うための体制が整っているという理由から,先進的な竹林保全地域として調査対象事例を選定した。 3.アンケート調査 本研究では,旧来住民と新来住民の竹林価値意識の比較,アメニティ意識の比較を行うためのアンケート調査を行った。調査票の全返信数は197通,回収率24.6%となり,地域ごとの回収率は南西部が28.4%で最も高く,西部28.1%,北西部25%,南中部24.7%,北中部21.9%,東部が18.2%という結果になった。これにより,市街地に近い地域ほど竹林調査への関心が低かったと言える。 3-1竹林に関する質問 竹林知識を問う質問では回答者の97%が長岡京市は竹林で著名だということを知っていた。しかし,放置竹林などの問題に関しては,「知っている」が19.46%,「知っているが詳しくは知らない」が48.11%,「知らない」が35.16%であった。またボランティア活動に関しては「知っているが詳しくは知らない」が42.93%,「知らない」が46.74%,西山森林協議会の活動に関しては「知っているが詳しくは知らない」が27.17%,「知らない」が65.76%となり,長岡京市の実際の竹林の現状を知る人が少ないと言える。 3-2アメニティに関する質問  アメニティ意識を問う質問に関して,質問1)の都市・生活環境の快適さや安らぎのアメニティ要素を問う質問では「近隣に自然が多い」が最も多く,質問2)の近隣の教育・文化・趣味に関連した施設・サービスの充実度では,「近くに自然と触れ合える場所がある」が最も多かった。両質問とも「自然」というアメニティ要素が最も重要であるという結果となった。また,質問4)のアメニティ項目の質問では,旧来住民ほど「自然環境の安らぎや潤い」への関心が高かった。また,「生活における交通の利便性」において新来住民の関心が最も高いという結果になった。 4.まとめ  長岡京市の竹林保全は筍生産の伝統やボランティア活動の積極性などからアメニティ意識の形成において,先進的な事例であるといえる。しかし居住歴や居住環境への関心の違いから,必ずしも多くの居住者にとって満足できるような竹林保全方法が整備されているわけではない。今後はアンケート調査でも用いたCVMによるWTPを問うことによって,居住者の環境への価値意識を確かめ,環境保全政策の指針とすることが必要となるであろう。長岡京市は郊外住宅地であり工業地域や農地・山地も含まれるため,今回の調査からは他地域においても参照可能な多くの知見が得られたと考えられる。
  • 谷 謙二
    セッションID: P03
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
    会議録・要旨集 フリー
    1.はじめに
     本研究では,詳細な統計データファイルと地図データを無償で提供しており,また需要も多いと考えられる,アメリカ合衆国の2000年センサスから,ユーザーの必要なデータを抽出するツールを開発し,筆者が開発しているGISのMANDARAを使って地図化する。

    2.2000年合衆国センサスとCTPP2000
     合衆国センサスでは,short formと呼ばれる全数調査と,long formと呼ばれる1/6サンプルの調査が行われている。short formでは性別,年齢,人種,世帯・家族・住宅所有など8項目を尋ねているだけで,かなりシンプルである。long formでは,short formの項目に加え,学歴,職業,通勤,年収,住宅の築年など,53項目にわたる詳細な内容を尋ねている(ただし,2010年センサスではlong formの調査は行われない予定である)。
     このデータは多様な空間単位で集計されている。国-州-カウンティ-センサストラクト-ブロックグループ-プロックという系統が中心にあり,それ以外にもCity, Town,都市圏など多数の集計単位が存在する。
     データの閲覧には,合衆国センサス局のホームページ(http://www.census.gov/)からAmerican FactFinderを使うことができ,WebGISの機能も有していて地図化することも可能である。しかしながら,センサス局のホームページからは元のデータファイル自体をダウンロードすることができる。このデータファイルを直接操作することで,任意の集計単位で広範囲のデータを抽出することができる。データファイルはSummary Filesと呼ばれる次の4つに分けられる。
    Summary File 1: short formに関係する286の表が含まれている。
    Summary File 2: 249の人口集団ごとにshort form に関係する47の表が含まれている。
    Summary File 3: long formに関係する813の表が含まれている。
    Summary File 4: 336の人口集団ごとに,long formに関係する323の表が含まれている。
     それぞれのSummary File には,大量のデータが含まれていることから,ダウンロードするファイルは単一ではなく複数に分割されている。しかし必要なデータがどのファイルに含まれているかを知ることはかなり手間のかかる作業である。また,一つのファイルには一つの州内のあらゆる集計単位のデータが含まれている。さらにその集計単位は州ごと・Summary Fileごとに論理番号で管理され,論理番号に対応する実体は別にGeographical Headerファイルで管理されている。
     このような複雑なデータファイルから,必要なデータを必要な集計単位で抽出することは,表計算ソフトの機能だけでは困難なので,データベースソフトを用いる必要がある。しかしより簡便な抽出ツールを開発することで,多くの人がデータを利用できるようになるだろう。
     2000年センサスデータのうち,通勤流動および就業地ベースのデータは,合衆国運輸省においてCTPP(Census Transportation Planning Package)2000として整備され,運輸統計局のホームページ(http://www.bts.gov/)からダウンロードできる。このデータは州単位で集計単位を指定してダウンロードできるので,ダウンロード後の操作は比較的容易だが,地域間のODデータに関しては指定した州にかかわる全ての流動が出力されるので,必要なパターンを抽出するためのツールが必要である。

    3.データ抽出ツールの開発とMANDARAでの地図化
     上記のようなSummary FileとCTPPのODデータから必要なデータを抽出するツールを開発した。開発言語はVisual Basic 2005で,ツールを使用するためには,NET Framework 2.0がインストールされたWindowsパソコンが必要である。ツールは筆者のホームページ(http://www5f.biglobe.ne.jp/~ktani/)からダウンロードできる。
     統計データを抽出しただけでは地図化することはできないが,センサス局ホームページからはカウンティやセンサストラクトといった各種集計単位に対応した境界データをダウンロードすることができる。データはExport(.e00) 形式とShape形式の両方が用意されている。
     これらの地図データは筆者の開発しているGISのMANDARAで取り込むことができ,それぞれのオブジェクトには該当するコード番号がオブジェクト名として設定される。このコード番号は,州: 2桁,カウンティ: 3桁,センサストラクト: 4桁(2桁の拡張子を持つセンサストラクトもある)などと決められている。一方,データ抽出ツールを使って出力されるデータにも集計単位に応じたコードが付けられているので,これをキーとしてMANDARA上で両者を結合させる。
  • 兼子 純
    セッションID: P05
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
    会議録・要旨集 フリー
    1 はじめに
     ジャスト・イン・タイム(JIT)については,1990年代の欧米の経済地理学において多大な関心を集め,フレキシブルな生産システムやポスト・フォーディズムに関連して多くの議論がなされた。
     JITについては,生産現場におけるいわゆるトヨタ生産方式,多能工化・現場労働者のチームによる品質管理や改善運動への参加といった生産システムの問題と(大野 1978),部品の在庫を持たず,「必要なときに,必要なものを,必要な量だけ配送する」という効率的な物流システムという2つの側面からなる。
     第1の生産システムの観点からすれば,より低廉で柔軟な労働力を求めて,部品工場の立地は農村地帯に広く分散すると考えられる。一方,第2の物流システムの観点からすれば,輸送費用や取引費用の増加を防ぐために,部品工場は完成車工場に近接して立地することが望ましい。これらの両者の見方について,欧米の経済地理学の研究では議論が分かれていた。そこで本研究では,JIT発祥の地である日本において,自動車部品のJIT方式による物流の空間構造を解明することを目的とする。

    2 自動車部品の物流システム
     日本の専門的な有力部品サプライヤーの場合,各メーカーの多品種少量生産への要求に対応して,同じ生産ラインでコンピュター管理を徹底して,各社向けの多種類の部品を製造するフレキシブルな生産ラインの導入が行われ,範囲の経済と同時に規模の経済の追求が行われる。そのため,工場立地を集約化し,そこから各地の完成車工場に中・長距離の物流が行われることが多くなっている。これらの中・長距離物流については,部品サプライヤーの資本系列の運輸企業が担当する場合(兼子・藤原 2006)と,完成車メーカーが指定したサードパーティーロジスティックス(3PL)の物流企業に委託する場合がある。今回の発表は,後者の中で,日本全国の各自動車メーカーの工場に近接して物流基地を設けている3PL企業の事例を中心に報告する。

    3 完成車工場への定時多回納入
     自動車部品物流のJITの実施にあたっては,完成車工場周辺に指定納入業者の物流デポや3PLの物流基地(cross-dock)を設け,各種部品を集荷・仕分けし,そこから一括して,完成車メーカーの指定時刻に指定数量を,指定工程の作業場所に対して納入する方式が,大幅なコスト削減を可能にする。この方式は「定時多回納入方式」と呼ばれる。物流デポでは,完成車メーカーからの端末情報をもとに,指定時刻・指定納入場所・指定数量ごとに必要な部品を仕分けし,納品車に積み替える作業を行う。このように納入業者を一本化することによって,完成車メーカーがより完全に物流コストを把握し,情報化をより推進するなど,一括して部品調達コストを管理できるようになる。
     このような多種多様な自動車部品の物流にあたっては,部品の生産地にミルクラン方式での集荷基地(vendors consolidation)が,完成車工場の近くには多頻度小口配送に対応する物流基地が,3PLによって設けられる。このような集荷基地と配送基地の間は,大型車で幹線集約輸送がなされる。また,これらの物流基地には,情報ネットワークで在庫管理された必要最小限の部品の在庫が保管されている。このような物流のしくみが,JITを実施する上で,必ずしも空間的近接性をともなわないこと,部品工場が完成車工場から離れて立地することを可能にしている。
     近年の自動車業界の構造再編は自動車部品の物流にも大きな影響を与えている。日産は国内の系列関係を解消し,欧米からも標準的な部品を調達するようになった。トヨタと本田技研の競争の熾烈化は,部品メーカーを一層その系列下に囲い込み,従来見られた両者の系列相互間の部品取引を解消するようになった。三菱・マツダも欧米からの輸入部品の調達を増加させている。このような技術とコスト本位のグローバルな調達は,いっそう3PLの役割を重要にするとともに,JITによる物流の空間的形態をさらに多様なものにしている。
  • 山近 博義
    セッションID: P07
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
    会議録・要旨集 フリー
     本発表では、刊行京都図の二大版元の一つである竹原好兵衛版大型京都図を取り上げ、その特徴と変化について、他の大型京都図との比較を通して考察したい。そして、このことを通して、竹原好兵衛版大型京都図の作成過程の一端に触れることも目的としたい。
     大塚隆の目録によれば、竹原好兵衛版京都図は、天明3(1783)年から慶応4(1868)年までの間に、約40点が確認できる。もっとも、オリジナルな図の出版は天保年間以降のことで、その画期の一つが、大型図「改正京町絵図細見大成」(天保2(1831)年刊)であったと考えられる。大型図には、このほか、「改正京町御絵図細見大成」(慶応4(1868)年刊)が知られており、これら両図を考察対象としたい。
     まず、天保図の特徴を他の大型京都図との比較を通して検討することにしたい。天保図は、市街地部分の描写にゆがみが少ない点が特徴となっている。この描写された市街地の形態に関しては、既に湯口誠一により、中井家旧蔵の手書き大型図との関係が指摘されている。天保図と時期的に近い天明6(1786)年頃作成とされる図と重ね合わせると、御土居の内側の街区の形態や「畑」などの土地利用表記が一致しているなど、両図には類似箇所が多い。
     また、天保図には、林吉永版大型図よりは少ないが、寺社関連の情報を中心に、多数の文字記載がみられる。これらの文字記載について、天保図の一段階前の代表的大型図である林吉永版寛保元年図と比較すると、両図には共通する記載が多いことがわかる。
     以上の点から、天保図は、先行する他の京都図、あるいはそれらに関連する地誌類を参照しつつ編集された図である可能性が高いといえよう。
     つぎに、天保図と慶応図には、どのような変化がみられるであろうか。両図には、ともに凡例が明示されるなど、前段階までの刊行図と比べて、地図としての充実がみられる。しかし、彩色刷りの場合、慶応図では、周囲の町屋とは別の彩色を施して、各藩の京屋敷がより明瞭に識別できるように変更されている。また、描写される市街地の形態にも変化がみられ、慶応図の方が東西方向に拡大されている。これらの変化は、幕末期に増加した各藩の京屋敷を図中の重要な要素とすることに対応したものと考えられる。これは、版元が、対象となる都市の変化や利用者のニーズに対応して、修正を加えた結果ともいえよう。
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