パキスタン北部地域ゴジャール地区に居住するワヒ民族のフセイニ村は,グルキン氷河の形成したモレーン堆積物上に立地し,麦類や豆類などを輪作する灌漑農業と羊や山羊を中心に移牧する牧畜を,伝統的生業にして自給自足の生活を維持してきた。
ところが,1986年に開通したカラコラム・ハイウエー(KKH)は,ゴジャール地区に近代化と商品・貨幣経済を浸透させ,ワヒ民族の伝統的生業と自給自足の生活は一変することになった。このインパクトは,ゴジャール地区の多くの村々で,麦類や豆類などの灌漑農業から,換金作物となるジャガイモ栽培の灌漑農業へと変化させたが,山岳乾燥地域のフセイニ村におけるこの面積の拡大は,地域課題として灌漑用水問題を発生させることになった。
フセイニ村では,従来からモレーン堆積物の下にある氷河から溶け出す水を取水し,5本の用水路で村まで運び,村独自の分配方法で農作物を灌漑してきた。もちろん,この栽培でも,村は慢性的な用水不足に直面していたが,自給自足の生活では地域課題として浮上することはなかった。しかし,市場販売を目的としたジャガイモ栽培面積の拡大と,量や質の維持には,安定した用水量は不可欠であったが,モレーン堆積物の下の氷河から溶け出す用水量では,年ごとの気候条件に影響を受けた氷河の動向に左右されるため,極めて不安定で不足しがちであった。村はこの面積の拡大で深刻な灌漑用水不足に陥った。
フセイニ村では,解決に試行錯誤を繰り返しながら,グルキン氷河末端から流れ出すグルキン川左岸から取水し,これを村まで運ぶという計画を立案した。しかし,この実現には,村まで約1㎞の距離をいかなる方法を採用すれば可能なのかが問題となったが,解決策に導水路となる鉄パイプを設置することを決定し,この購入費用をパキスタン政府に申請した。2003年にこの申請が認可されたため,村は2004年にこの設置工事を実施した。設置の終了後,村は2005年に取水を開始し2007年まで3本の鉄パイプで大量の用水を,3本の既存の用水路に流し込むことに成功した。村はひとまず灌漑用水不足を解決することになったが,固定できない取水口の不安定さ,地表に剥き出しの鉄パイプに落石による破損の危険性,漏水の著しい既存の用水路の利用など,今後解決すべき課題も多く存在している。
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