比較文学
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21 巻
選択された号の論文の23件中1~23を表示しています
論文
  • -『永遠の兄の目』翻訳の意味-
    早川 正信
    1978 年 21 巻 p. 1-10
    発行日: 1978/12/25
    公開日: 2017/06/17
    ジャーナル フリー

     This paper is concerned with the investigation into the reason why the translation of Stefan Zweig’s ‘Die Augen des ewigen Bruders’ was performed in 1927 by Yūzō Yamamoto.

     The reason why the significance of this translation has not received attention for so long is due to the fact that Yūzō was too prosperous in his literary activities to absorb some materials from foreign writers during the year 1925 to 1929.

     It is said, however, that Yūzō viewed this work of Zweig’s with deep interest when its translation was shown by Mr. Kenji Takahashi in 1927. Following that, he attempted to translate it himself. This fact means there must have been some common interests between them.

     A thorough study of Zweig’s work reveals that the experience of ‘self-contemplation’ of Virata, the main character in the original, in the dark dungeon seems to have had much in common with each other in the paradoxical idea which Yūzō has already declared in his essay ‘Suwari’(「坐り」)in 1926. Yūzō’s accidental encounter with this work seems to have led him to reconfirm both his idea of the arts and his way of life and to amplify this idea in his later works.

     Here this translation proves to be a mirror in which his literary mind in his prosperous days is clearly reflected.

  • 鈴木 善三
    1978 年 21 巻 p. 11-21
    発行日: 1978/12/25
    公開日: 2017/06/17
    ジャーナル フリー

     In his essay on Pope Natsume Soseki repeatedly indicts him for his pride, irritability, dishonesty, parsimony and chicanery. Soseki derives such a hostile and sarcastically fault-finding image of Pope from his distorted reading of Dr. Johnson’s Life of Pope,which is evidenced by marginal notes written in the pages of Soseki’s own copy. Although Soseki is decidedly repulsed by Pope’s personal qualities, he none the less applies this somewhat biased image of Pope to the interpretation of the so-called Popean lyrics like Elegy to the Memory of an Unfortunate Lady. In Soseki’s opinion, Pope was by nature a poet of romantic sensibility,as shown for example in his feminine and nervous character,but the cold intellectual climate of the eighteenth century had so great an influence on Pope as to freeze his natural propensity to romantic expression of emotion.

     This method of biographical inquiry also leads Soseki to a quite erroneous conclusion that An Essay on Man reflects not his own personality but the spirit of the age of reason. Soseki unwarily falls into what modern critics call the intentional fallacy.

  • 佐藤 清郎
    1978 年 21 巻 p. 23-30
    発行日: 1978/12/25
    公開日: 2017/06/17
    ジャーナル フリー
  • 山根 和代
    1978 年 21 巻 p. 148-125
    発行日: 1978/12/25
    公開日: 2017/06/17
    ジャーナル フリー

     日系アメリカ文学は一般的に無視されている。これは他のアジア系アメリカ文学、例えば中国系アメリカ文学についても同様な事が言える。たとえ無視されなくてもそれは文学としてではなく、ドキュメンタリーとして考えられがちだ。それは日系アメリカ人のイメージと密接に関連している。

     日系アメリカ人は戦前は「ジャップ」として排斥され強制収容所に入れられた。しかし、戦後は市民権を渡得し「少数民族の模範」とされている。最初に移民者がアメリカの土を踏んで以来約百年が過ぎたものの、日系人の歴史や西部開拓への貢献は長い間十分評価されていない。日系人そのものの評価が不十分な中で、日系アメリカ文学も一般的に文学的価値に乏しいという評価しかなされていない。しかしそういう状況に対してアジア系アメリカ文学の選集である「アイー!」が出版された。それは叫びというよりも、むしろアジア系アメリカ人もアングロアメリカ人と同様にアメリカ人であるという人種的平等の主張であり、又アジア系アメリカ文学の存在の主張でもある。

     日系アメリカ文学を定義するとすれば、それは日本文学でもなく、又アングロアメリカ文学でもなく、文字通り日系アメリカ文学であると言えよう。その日系アメリカ文学は、日本人でもなく、又アングロアメリカ人でもない日系アメリカ人によって創造されたが、その文学を理解するには、日系アメリカ人そのものを彼らの生きてきた時代背景を通して理解する事が重要である。

     日系アメリカ人の歴史は排日との闘いの歴史であり、社会的には人種差別問題が彼らの生活に大きくかかわっている。

     戦前においては経済不況の責任を日系人に転嫁し排日運動が起こった。一九二四年には排日法が通過し、排日運動が盛んになった。第二次大戦に入ると強制収容所に抑留されたが、その際アメリカに忠誠だった二世も含まれていた。しかし多くの二世はアメリカへの忠誠を証明するために自主的にヨーロッパで戦った。戦後収容所から出され、一九五二年についに市民権を獲得した。以後黒人等の少数民族と比べ、「よく働き教育水準が高く、おとなしい」等の理由で「少数民族の模範」とされている。一九七四年にはアジア系アメリカ文学選集が出版され、一九七七年にはアジア系アメリカ人作家の会議が初めてワシントン大学で開かれた。

     次に主な作家と作品にふれてみよう。一九一〇年から一九二〇年の間はアメリカにおける日本文学の黄金時代と言われている。その代表的作家として翁六溪があげられる。一世の作品の特徴は実生活を題材としていることだ。主題は実に様々であり、例えばアメリカへの夢、排日、幻滅、西部開拓の誇り、望郷等である。中でも望郷のテーマは代表的と言えよう。今日、あまり日本語の分からない二世や三世の世代に移っている中で、まだ地下室に一世の作品が眠っていると言われている。

     二世の作品の主題で重要なのは、「日本人かそれともアメリカ人かというアイデンティティの探究」である。その背景には、アメリカで生まれ育ったにもかかわらず、戦時中収容所に入れられた状況がある。代表的作品としては、ジョン・オカダの「ノーノーボーイ」という小説がある。それは二世の内面的葛藤を見事に表現している。この作品は英語で書かれているが、この作品のように二世の内面を日本語で描いている作品として阿部芳雄氏の「二重国籍者」がある。短編小説ではトシオ・モリの「ヨコハマ・カリフォルニア」がよく知られている。彼の作品は、一九三〇年から一九四〇年の頃の一世や二世の生活や感情を見事に描いている。一九七五年には二世の作家によるシンポジウムがサンフランシスコで開かれた。やっと日系アメリカ人自身により日系アメリ力文学の存在が問われ始めたと言えよう。

     三世による作品のテーマで重要なのは、「日系アメリカ人としてのアイデンティティの探究」である。代表的作品として、ローソン・フサオ・イナダの「戦前」という詩集がある。彼は、“Black is beautiful”に代表される黒人解放運動に影響されて、“Yellow is beautiful”という考えを詩の中に表現している。又彼の英語は黒人英語の影響が見られるが、内容的には日系アメリカ人の声を表現している。その他の詩人として、ジャニス・ミリキタニがあげられる。彼女の詩は収容所における体験を基に創造されたものが多い。おもしろいのは作品の中に日本語が意識的に使われていることだ。そうすることにより、日系アメリカ人としてのアイデンティティを表現しようとしているようだ。

     劇にはモモコ・イコの「金の時計」がある。これは貧しいながらも幸せに生きる日系人の家族を描いているが、テレビでも放映された。又、一九七七年に第一回アジア系アメリカ人作家会議が開かれた時、“Nisei Bar Grill”という劇が上演された。

     最近の三世の作品は“Amerasia Journal”に発表されている。

     ところで日系アメリカ文学の特徴の一つとして、それがアングロアメリカ文学と対比されて創造されたという点があげられる。それは日系アメリカ人が自分のアイデンティティを、アングロアメリカ人と比べる中で考えてきたからである。テーマに関して言えば、テーマそのものが日系アメリカ人の歩みをアングロアメリ力社会と対比させる中で物語っている。一世の望郷のテ—マの背景には、アングロアメリカ社会における排日がある。二世の「自分は日本人か、それともアメリカ人か、というアイデンティティの探究」のテーマは、アングロアメリカ社会においてアメリカ人でもなく日本人でもないという二世の中途半端な立場を表わしている。三世になってやっと自分を日系アメリカ人として位置付けようとしているが、文学においても同様だ。日系アメリカ文学はアングロアメリカ文学と対比される中で創造されていると言っても過言ではなかろう。従って日系アメリカ文学を評価する際、アングロアメリカ文学における価値基準で評価するのは疑問だ。

     形式面においては、使われている言葉に特徴がある。一世は当然日本語で書いたが、二世は英語で書いている。その英語もアングロアメリカ人の使う英語ではなく、日系アメリカ人が使う英語で書かれている。三世になるとたとえ間違っていても日本語を意識的に使っておもしろい。

     日系アメリカ文学は、少数民族の一つである日系アメリカ人の視点から見たアメリカを表現している。それは日本人であれアメリカ人であれ自分のアイデンティティを考える場合何かを考えさせてくれる。現在は日系アメリカ文学のルネッサンスと言えるかもしれない。

研究ノート
  • 北垣 篤
    1978 年 21 巻 p. 35-44
    発行日: 1978/03/31
    公開日: 2017/06/17
    ジャーナル フリー

     “Lo conto de li cunti”―Der Pentamerone von Giambattista Basile ist hier als Märchenbuch des 17. Jahrhunderts in Neapel bekannt, obgleich der Dichter ihn für die Erwachsenen bestimmt hatte. M. Yamazaki übersetzte ihn 1925, jedoch der Urtext war uns viele Jahre unbekannt. Prof. T. Itȏ erwähnet, daß Yamazaki den Pentamerone von Paul Heichen ins Japanische übersetzte. Es gibt auch die Übersetzung (nur 12 Märchen) von T. Kashiwaguma, der “La fiaba delle fiabe di B. Croce” als Text benutzt. Seine Erklärungen, im Nachwort sind zum Teil nicht ganz eindeutig. S. Nogami übersetzte nur “le tre fate”, aber in seiner Erläuterung äußert er ein großes Mißverständnis, daß die Brüder Grimm den Pentamerone in Deutschland als Titel “Kinder-und Hausmärchen” eingeführt hätten. K. Yanagida, Volkskundler, vergleicht “Peruonto” mit den japanischen Sagen. Im Nachwort der Übersetzung “des Märchens von Gockel” Clemens Brentanos erklärt Prof. T. Itȏ die exakte und ausführliche Synopse von “Lo cunto de li cunti.” Prof. H. Aizawa vergleicht Grimms “Rapunzel” mit “Petrosinella”. H. Sugita erörtert Basiles “la fiaba del orco” im Barockstil im Vergleich mit Grimms “Tischchen, deck dich!”. In der Abhandlung “der Humanismus-Studien” schreibt A. Kitagaki, wie der Pentamerone entstanden ist. Auch im Büchlein “Jidȏ-Bungaku ” (Kinder- und Jugendliteratur) its der Pentamerone als ein Werk für Erwachsene behandelt.

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