動物の感覚器の一部が損傷を受けると,その感覚に依存する発現行動が不正確になる。しかしながら,神経ネットワークの再構築により,残された感覚器からのみの情報を用いて従来の行動を取り戻すことができる場合がある。このような神経系ならびに発現行動において見られる補償的な回復は,ヒトを含む多くの動物で見られるが,このような現象の基盤となるのは神経系のもつ可塑的性質であることは言うまでもない。しかしながら,そのような性質の発現がどのような要因によってコントロールされているのか等についての研究はあまり行われてこなかった。本稿では,空気流刺激に対する逃避行動の補償的回復について,我々がこれまでフタホシコオロギ(Gryllus bimaculatus)を用いて行ってきた研究を例に紹介する。
脳は視覚や聴覚といった感覚信号を処理し,適切な行動を出力する。これまで多くの研究で脳の感覚中枢がどのように感覚信号を処理しているのか詳細に調べられてきた。 しかし,実際の脳の中で起こっていることはもっと複雑である。それは,私たちは普段そういった感覚情報を実験動物のように麻酔下で静的に処理しているのではなく,運動中にリアルタイムでかつダイナミックに処理しているからである。そのような複雑な脳の機構を調べるために,特にここ10年の間,運動中のげっ歯類の感覚野から神経活動が計測され,実際にはるかにダイナミックな信号処理が明らかにされてきた。興味深いことに,このような複雑な処理はげっ歯類よりもはるかに小さい脳をもつ昆虫類でも明らかになった。脳は状況に応じて,動物自身の運動が生み出す感覚刺激を抑制したり,あるいは増幅する。また,運動に伴う覚醒状態の変化によっても神経活動が変化する。本総説では,昆虫類のハエの視覚情報処理がハエ自身の歩行によりどのように変化するかという筆者自身の研究をベースに,近年のげっ歯類と昆虫類におけるいくつかの研究を振り返ってみたい。