植生史研究
Online ISSN : 2435-9238
Print ISSN : 0915-003X
7 巻, 2 号
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  • 吉川 昌伸
    1999 年 7 巻 2 号 p. 47-58
    発行日: 1999年
    公開日: 2021/06/16
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    武蔵野台地東部の溜池遺跡において,花粉化石群を中心に植物化石群の研究結果をまとめ,Pollen influx を検討し,約6000 年前以降の武蔵野台地東部の植生変遷と人間活動について議論した。過去6000 年間に7 つの植生期が区分された。約6000年前以降には溺れ谷が形成され,コナラ亜属を主とする落葉広葉樹林が成立していた。約4000年前以降にクリ林が拡大し,低地では湿地林が形成された。約3200年前以降ではアカガシ亜属を主とする照葉樹林が形成され,約2600 年以降に生業活動による森林の減少が示唆された。弥生時代ないし古墳時代以降に森林は衰退し,約1000年前頃には疎林に変化した。それ以降に森林植生の回復がみられたが14世紀頃以降には再び疎林になり,マツ林が拡大した。近世の溜池は徐々に水質の悪化と埋積が進行し,溜池端は18 世紀初頭には生活ゴミにより急速に埋積された。
  • 松葉 礼子
    1999 年 7 巻 2 号 p. 59-70
    発行日: 1999年
    公開日: 2021/06/16
    ジャーナル オープンアクセス
    近世江戸城周辺の木材消費の実態を明らかにするために,東京都にある溜池遺跡,汐留遺跡,横川一丁目遺跡,江東橋二丁目遺跡,錦糸町駅北口遺跡IIから出土した木製品の樹種同定結果を比較検討した。これらの遺跡は,藩邸,社家,旗本屋敷地など,立地も出土遺物も多様であるにもかかわらず,多量の木製品の出土,ヒノキ科の樹種の優占,建築材や下駄に利用されている樹種や製作技法の近似などの共通の特徴が確認された。とくにヒノキ科の樹種の大量出土は,林業史などから指摘されている木材資源枯渇の状況に反している。しかし,ヒノキは中世に多く利用されていたスギの代替材であり,出材・運材技術の向上がそれを下支えしている。当時関東周辺に多く分布していたと考えられるマツ属は,樹脂分の多い材質から曲物等の製品や水を入れる製品には適していないため,建築材などでは多く確認されるが,桶などの製品には利用できなかったと考えられる。遺跡間での樹種構成の近似は,入手できる木材に制限があったのではないかと推察する。比較的材質に制限のない下駄や建築材などの製品でこれらの傾向は顕著であるが,出現する樹種にはあまり変化がないことから,選択可能な木材自体それほど無かったものと考えられる。これらの結果から,近世の江戸城周辺域では入手可能な木材が大きな制限要因になっていたものと考えられる。少なくとも消費段階では材質の選択性は高くないと考えられる。
  • 那須 浩郎, 百原 新, 沖津 進
    1999 年 7 巻 2 号 p. 71-80
    発行日: 1999年
    公開日: 2021/06/16
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    最終氷期の日本列島に広く分布していたトウヒ属バラモミ節の多い針葉樹林の分布立地を解明するために,南軽井沢において晩氷期(13,320 ± 130~13,710 ± 130 yr B.P.)に板鼻黄色軽石層(As-YP)によって埋積された埋没林から蘚類を含む大型植物化石を採取し,それをもとに当時の古植生と林床植生を復元した。その結果,南軽井沢の当時の古植生は,トウヒ属バラモミ節とハイマツの混生した針葉樹林であり,林床植生は,ホソバミズゴケやタチハイゴケなどの森林性蘚類からなるコケ型林床であった。森林性蘚類の微地形分布に着目すると,現在の日本の亜高山帯針葉樹林林床で優占するタチハイゴケは凸部と斜面部に限って優占し,現在凹部にしか見られないホソバミズゴケは凹部だけでなく平坦部でも広く優占していた。このようにトウヒ属バラモミ節とハイマツが混生する針葉樹林の林床に,ホソバミズゴケが広く優占するコケ型林床をもつような植生は,現在,北海道の大雪山系沼の原湿原に分布するアカエゾマツ―ハイマツ林でみられる。したがって,晩氷期の南軽井沢の針葉樹林は,湿原のような多湿な立地に分布していたと考えられた。
  • 能城 修一, 鈴木 三男, 高橋 敦
    1999 年 7 巻 2 号 p. 81-83
    発行日: 1999年
    公開日: 2021/06/16
    ジャーナル オープンアクセス
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