植生史研究
Online ISSN : 2435-9238
Print ISSN : 0915-003X
8 巻, 1 号
選択された号の論文の4件中1~4を表示しています
  • 故鈴木敬治,故相馬寛吉両先生の業績をもとにして
    竹内 貞子
    2000 年 8 巻 1 号 p. 3-13
    発行日: 2000年
    公開日: 2021/06/16
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    会津盆地に分布する上部新生界山都層群は中新統の最上部から中部更新統までを含み,下位より藤峠層,和泉層,七折坂層,塔寺層に分けられ,各層はそれぞれ3 帯,2 帯,5 帯,6 帯の植物化石群集帯に分けられる。上部更新統は主に段丘堆積物で,4化石群集帯に分けられる。中新世末の白子,州谷帯はわずかに亜熱帯性要素を伴う温帯性要素で特徴づけられる。漸移期である夏井帯の後,前期鮮新世の小柳津帯は,温帯性要素で特徴づけられる。地磁気極性年代尺度のガウス期と松山期の境を中心にした小柳津帯から袋原帯にかけての時期に,会津盆地からの分類群の消滅や,新たな分類群の出現がみられる。植生の最も大きな変化は,ハラミロ・サブクロンから松山期とブルン期の境界にかけての大沢帯から塔寺IV帯にかけての時期に生じ,第三紀型の分類群や外地生の分類群が次々と消滅し,代りに日本列島固有種や亜寒帯性の分類群が出現している。Metasequoia は,鮮新世末のオルドヴァイ・サブクロンの時期以後,大型遺体は産出しなくなり,花粉化石のみの産出となるが,やはり松山期の終りに消滅する。ハラミロ・サブクロンの後,気候の温暖化と寒冷化の周期的な変動がよりはっきりする中で,植生も温帯性落葉広葉樹林と亜寒帯性針葉樹林とがくり返しながら,現植生に近づいていった。
  • 宮地 直道, 大井 信夫, 能城 修一, 藤根 久, 神山 和則, 粕渕 辰昭, 柳谷 修自
    2000 年 8 巻 1 号 p. 15-31
    発行日: 2000年
    公開日: 2021/06/16
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    石狩泥炭地中部の美唄泥炭地の形成過程と完新世の植生変遷史を地質調査,堆積物の理化学性分析,珪藻・花粉・木材化石分析により復元した。美唄泥炭地は約8000~7500年前に縄文海進に伴い段丘面が湿地化して形成され始めた。約7500~5000 年前になると,前半にはハンノキ属・トネリコ属などの湿地林が形成され,後半にはやや中間~高位泥炭的な要素を持った低位泥炭層が形成された。約5000~3500 年前は河川活動が活発化して中~下流性河川堆積物起源の珪藻を含む青灰色粘土を主体とした泥質堆積物が形成された。この時期にはわずかながらハンノキ林が形成されたものの頻繁に河川が氾濫する不安定な環境であった。約3500~2200 年前には河川活動は比較的鎮静化して,ハンノキ節やトネリコ属の湿地林が成立した。湿地林の水平分布を比較すると,河川に近い地点ではトネリコ属が優勢で,河川から離れた地点ではハンノキ節が優勢となる。約2200年前以降,本地域一帯は安定した後背湿地となり,泥炭地の中央部では泥を含まない低位,中間,高位泥炭層が順に形成された。堆積環境の安定化に伴い泥炭は次第に未分解となり,珪藻化石では沼沢湿地付着生種群やより乾陸下で認められる陸生指標種群が確認されるようになった。一方,花粉化石群では,中間泥炭層でカヤツリグサ科・ヤマモモ属が,高位泥炭層でミズゴケが主要な構成種となった。
  • 山川 千代美
    2000 年 8 巻 1 号 p. 33-38
    発行日: 2000年
    公開日: 2021/06/16
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  • 高橋 利彦, 佐瀬 隆, 細野 衛, 奥野 充, 中村 俊夫
    2000 年 8 巻 1 号 p. 39-43
    発行日: 2000年
    公開日: 2021/06/16
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