現代社会学研究
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4 巻
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  • 分節型社縁社会からクロスオーバー型趣味縁社会へ
    藤田 英典
    1991 年 4 巻 p. 1-33
    発行日: 1991/05/01
    公開日: 2010/07/27
    ジャーナル フリー
    「学校の荒廃」「教育の病理」が言われるようになって一五年ほどになる。この間、さまざまの診断がくだされ、処方箋が提示され、改革の努力がなされてきた。しかし、問題状況は依然として続いている。〈問題〉は解消されるのでなく、むしろ〈問題〉に対処するための制度づくり・組織づくりがなされている。なぜか。それは〈問題〉が構造的基盤をもっているからであろう。本稿では、その構造的特質について、〈分節型社会〉〈学校化社会〉〈情報化社会〉〈クロスオーバー型趣味縁社会〉と言った観点から社会学的に考察する。
  • 中井 美樹
    1991 年 4 巻 p. 34-57
    発行日: 1991/05/01
    公開日: 2009/11/16
    ジャーナル フリー
    本稿は、親として子供に望む価値期待が家族の社会階層にいかに影響され形成されるのか、またそれらは母親自身のパーソナリティの反映であるのか、といった、従来の地位達成過程や価値の伝達の研究で見逃されてきた親の価値期待の形成過程を、実証により明ちかにする。まず三二四人の女性データによって、階層的要因と親としての価値との関連を示す。さらに、子供のいる母親一七七人を対象として、家族の階層が子供に望む価値期待に影響するメカニズムを、LISRELの構造方程式モデルを用いて解明する。主な仮説は、第一に、母親のパーソナリティが家族の階層に影響されるだろう。第二に、親としての価値観は、母親自身の自立的パーソナリティを介して、家族の階層の影響を受けるのではないか。第三に、家族の階層は子供への達成期待にも効果をもつだろう。第四に、母親のパーソナリティや親としての価値観が子供への達成期待に影響するだろう。分析の結果、親としての価値観と女性自身の教育や職業の間に関連がみられること、家族の階層は子供に望む価値に影響することが明らかになった。興味深い知見は、家族の階層から親としての価値への効果が、主に母親の自立性を通じての効果であること、子供に自立を望むほど母親自身は逆に同調的になること、同調志向の母親ほど子供に高い地位達成期待を抱くこと、である。子供に対して抱く価値観や期待達成レベルには、母親自身の自立性が強く反映される。
  • 覇権国、非覇権国でのメカニズムの違い
    八尋 隆蔵
    1991 年 4 巻 p. 58-80
    発行日: 1991/05/01
    公開日: 2010/07/27
    ジャーナル フリー
    本研究は、近代世界システムのイギリス覇権期における、イギリス、フランスの植民地獲得行動を分析し、両国でのメカニズムの違いを明らかにする。
    従来の研究は、全中心国の植民地獲得行動のメカニズムは同一だとしてきた。その主な仮説は次の通りである。(1)経済縮小期に植民地数は増加し、拡大期は減少する。(2)覇権国が存在する期間、植民地数は減少する。(3)中心国間戦争、および中心国における市民戦争の発生は、植民地数を減少させる。
    しかし、イギリス覇権期には(2)の仮説は当てはまらない。また、覇権国イギリスと非覇権国フランスでは、その経済力、社会構造、貿易政策などにきわだった相違がある。このため、両国の植民地獲得行動のメカニズムは異なるものとなる。
    ここで提示する仮説は次の通りである。(1)覇権国イギリスの場合、経済縮小期に植民地数が増加し、拡大期は減少する。(2)フランスの場合、経済拡大期に植民地数が増加し、縮小期は減少する。(3)中心国間戦争、および中心国における市民戦争の発生は、植民地数を減少させる。
    仮説(1)、(2)は、多変量ARIMAモデルである伝達関数モデルによって実証される。
  • 三重野 卓
    1991 年 4 巻 p. 81-102
    発行日: 1991/05/01
    公開日: 2009/11/16
    ジャーナル フリー
    現在、「生活の質」の在り方が問われているが、そのための生活様式は、断片化されている。ここでは、「生活」を総体として把握するために、その生活空間を「日常性空間」、「非日常性空間」として把握し、その相互浸透の状態を論理的に定式化することにしたい。
    もちろん、日常性空間とは、「生活の場」、「労働の場」をいみし、個人の生活経験、生活史の集積した「場」である。それに対して、非日常性空間は、様々に考えられるが、「遊びの場」とすると、自由、解放の機能を担うものである。そして、両空間を明らかにするためには、人びとの演技、リズム、表現、さらには、共感、共振、共生、共鳴などの「共」現象、想像力の在り方が問題になる。
    確かに、近代社会は、非日常性を軽視することによって成り立っているとしても、実際には、日常性と非日常性の交差するところに、個人の復活の可能性があろう。労働も遊戯も、リズム性、社会的欲求、それによる共同性という点では、共通している。また、日常性空間に氾濫する情報は、日常性をパッケージしているが、それととともに、その意味作用は、われわれを非日常性へと誘う。このように「共」現象というとき、情報と人間の共生、情報の意味との共振も必要になる。さらに、個々人、日常性空間の深層―表層という視点も望まれ、その間の循環、深層と非日常性の関係の把握は、「生活の質」のために不可欠になろう。
  • 小林 甫
    1991 年 4 巻 p. 103-105
    発行日: 1991/05/01
    公開日: 2009/11/16
    ジャーナル フリー
  • 内田 司
    1991 年 4 巻 p. 105-107
    発行日: 1991/05/01
    公開日: 2009/11/16
    ジャーナル フリー
  • 笹谷 春美
    1991 年 4 巻 p. 107-109
    発行日: 1991/05/01
    公開日: 2009/11/16
    ジャーナル フリー
  • 田中 昇平
    1991 年 4 巻 p. 109-111
    発行日: 1991/05/01
    公開日: 2009/11/16
    ジャーナル フリー
  • 米本 秀仁
    1991 年 4 巻 p. 111-113
    発行日: 1991/05/01
    公開日: 2009/11/16
    ジャーナル フリー
  • 都築 一治
    1991 年 4 巻 p. 113-115
    発行日: 1991/05/01
    公開日: 2009/11/16
    ジャーナル フリー
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