印度學佛教學研究
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58 巻, 3 号
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  • 阪本(後藤) 純子
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1117-1125
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Rgvedaから古Upanisadに至る紀元前500年頃までのヴェーダ文献に残る暦は,太陽日,朔望月,太陽年の組み合わされた太陰太陽暦であるが,夜空に現れる月の形と位置とを基本とする.月の形態変化は朔望月と対応するが,月の位置は白道近辺の恒星との関係により測られ,恒星月と対応する.夜空の月と星が暦の目印であるから,本来は,夜の始まる日没から次の日没までが1暦日であったが,時代と共に日の出から始まる暦日に変化する.夜により,その夜とそれに続く昼を表現する例ならびに夜により暦日を数える例は,Brahmana,Srautasutraに数多く見られる,Agnihotraにおいて,常に日没のAgnihotraが日の出のAgnihotraに先行し,規範とされることは,古い暦日の反映であろう.さらには,新月満月祭が起源においては,朔ないし満月の日没に開始した可能性も否定できない.1暦月は,太陽との合により月が現れない朔の夜amavasya-から始まる.新月満月祭Darsapurnamasauにおいて新月祭が満月祭に優先することと対応する.月は朔から朔の間(1朔望月:約29.5日),白道近辺にほぼ等間隔に位置する恒星(群)に順次近づき,または重なり,朔には太陽と合一して姿を消す.これらの恒星(群)(太陽を含む)はnaksatra-「(月が)到達する所」と呼ばれ,RV以来知られる.Naksatraの数は,本来は朔望月に基づき28(ないし29)であったが,恒星と月との位置関係のずれが大きいことから,恒星月(約27.3日)に基づく27 Naksatra方式が(特に学術文献で)より好まれるようになったと推測される.男性神である月が夜毎に異なるNaksatra(女性神格)を訪れ宿泊するという観念が古くから見られる.Rgveda X 85は朔における月と太陽の合を,月である王Somaと太陽女神(Savitrの娘)の結婚として描写し,また朔におけるSoma献供が新月を増大させることを述べて新月祭の起源を暗示する.黒Yajurveda-Samhita散文ではPrajapatiの娘であるNaksatra達と月(王Soma)との結婚が月の朔望の起源とともに述べられる.Sathapatha-Brahmana I 6,4では新月祭の供物の根拠付けとして,月と太陽の運動が説明される:Indra(太陽と等値される)も月も朔の夜には大地に宿る;Indraないし神々の食物である月(Soma)が天地を循環する;朔には,月であるVrtraが太陽であるIndraに飲み込まれ吸い尽くされた後,吐き出されて,再び新月として出現し増大する.【暦年,Naksatra,新年,季節等は続編で扱う.】
  • ―― Kurmavibhagaを中心に――
    前島 美紀, 矢野 道雄
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1126-1133
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Atharvaveda-Parisista(abbr.AVPar)全72章の中には天文・占星に関する記述を含む章が存在する.その代表的なものは第1章Naksatrakalpaであるが,これはその重要性が指摘されていたにもかかわらず,テキスト確立の困難さから,内容の解明が進んでいなかった.AVParは内容的に大きく2つに分けることができ,50章から始まる後半部は主に前兆を主題としている.特に50〜57章においては占星術的要素が集められているが,Bisschop&Griffiths[2003]によりこれらの章についての研究が不十分であることが明らかとなった.著者らはすでにAVParにおけるnaksatraに関しての研究の一部を第14回World Sanskrit Conferenceにて口頭発表を行った.本論文においては特に50〜57章に見られる天文学的特徴を明らかにしたうえで,天上と地上の異変を亀の甲羅になぞらえて描く第56章Kurmavibhagaに関して翻訳と解説を行った.この章は,校訂者も述べているとおり,韻律の乱れが激しく,さらに文章表現上の明らかな特徴も見られる.また,亀の甲羅を九つの方角に区分して述べる地名については類似の描写がBrhatsamhitaやプラーナ文献などにも見られるものの,地名の配当の具体的な比較の結果,AVParにのみ明らかな系統の違いが見られた.
  • ―― Yogasutrabhasyaとの比較を通じて――
    近藤 隼人
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1134-1138
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    古典サーンキヤ体系における認識論,特に知覚(pratyaksa,drsta)に関する議論は,仏教論理学派などからの外圧を受けて整備されたことが知られている.同体系の綱要書であるイーシュヴァラクリシュナ作『サーンキヤカーリカー』(Samkhyakarika,SK,4-5世紀)では知覚の概要が示されているに過ぎないが,ディグナーガ(480-540年)以降,インド哲学諸派が急速にプラマーナ論を発達させてゆく思想史的状況を受けて,SKの注釈書である『ユクティディーピカー』(Yuktidipka,YD,680-720年?)では,古典サーンキヤ思想体系のもとで知覚論の哲学的基礎付けを強固にしようとする傾向が見受けられる.そこで本論文では,YDに特徴的な知覚論の特質を,サーンキヤ学派をその形而上的基盤とするヨーガ学派の教典『ヨーガスートラ』(Yogasutra,5-6世紀?)に対する注釈であるヴィヤーサの『ヨーガスートラバーシュヤ』(Yogasutrabhasya,YSBh,6世紀?)における知覚論との顕著な類似性に着目しつつ解明する.YDは知覚論に先立って,認識手段(pramana)・認識結果(pramanaphala)論を説くに際し,認識手段は統覚機能(buddhi)を拠り所とし,認識結果は精神原理(purusa)を拠り所とすると主張する.これと同様の見解は,YSBhにも認められる.すなわち,認識手段は心(citta)に属し,認識結果は精神原理に属している,とYSBhは見なしている.またYDは,「外界対象の形相をとる感官に対する統覚機能の決定(adhyavasaya)」を知覚と見なしており,感官を媒介とし,知覚は統覚機能の作用であることを示唆している.別の箇所でYDは,統覚機能を「対象を受け取った感官の作用に従う」ものとしており,対象が感官を通じて統覚機能に影響を与えていることが窺える.その一方でYSBhでは,対象が磁石に,心が鉄に喩えられており,心が対象によって影響を受ける様が見られると同時に,対象が知覚される際には心が対象の形相をとるとしている.このYSBhの知覚論は,上記YDの知覚論と軌を一にしているといえる.上述の認識手段・認識結果論,及び知覚の様相におけるYDとYSBhの相似に加えて,ヨーガ学派特有の術語である「精神性の能力」(cetanasakti,citisakti)という用語が,YDにも散見されるという事実も挙げられる.以上検討してきたように,両書には思想的に共通している部分があると指摘できよう.
  • 榊 和良
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1139-1143
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    『アムリタクンダ』は,既に明らかにしたように,カーマルーパの女神をめぐるマントラを伴う祈願法と,『シヴァスヴァローダヤ』に代表されるナータ派文献にも含まれる呼吸を観察することによる占術を含むタントラ・ヨーガ文献である.13世紀末から14世紀中頃にアラビア語・ペルシア語に訳され,16世紀中頃にはインドのシャッターリー教団のスーフィーの手でイスラーム色を濃くした形でペルシア語で重訳され,中央アジアからトルコ,西アジアからマグリブ世界まで広く伝搬した理由は,寓意文学やその解釈学を発展させたイスラームの伝統を受け継いだ枠物語にある.それは,『トマス行伝』に含まれる「真珠の歌」やイフワーヌッサファー(純粋なる心をもった兄弟)と呼ばれる学者集団による『百科全書』に示された小宇宙観などの影響のもとに,中世イランの哲学者イブン・スィーナーの系譜を継いだスフラワルディーによる『愛の真実に関する論攷』に含まれる「愛」の語る物語を模している.異邦の地への旅を経ての故郷への帰還と「生命の水」による新たな生まれ変わりを核とした寓意的物語を枠として,大宇宙と小宇宙の相即性から説き起こし,「息の学」を媒介として,浄化法やチャクラへの瞑想法をとりこみつつ,本来の自己の認識による救済をめざすありかたが示される.人間の肉体をひとつの町として描き出す枠物語の示す象徴世界は『ゴーラク語録』にも共通性が見出されるが,『ゴーラクシャシャタカ』大本のペルシア語訳にも示されるように,ナータ派文献に示されるヨーガは,霊智による救済を獲得する手段としてスーフィー道と共通性をもつものと理解され,『アムリタクンダ』の翻訳者は,グノーシス的枠物語によって有資格者のためのイニシエーションとして視覚化して見せてくれたのである.
  • 石原 美里
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1144-1148
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Mahabharata(Mbh)のプーナの批判校訂版(C.ed.)では,天女であるUrvasiとArjunaに関する一説話(U-A説話)が省略されている.本研究ではその説話成立の背景に関しさらに深い考察を加え,そこに浮かび上がる天女Urvasi像を解明することを主眼とする.まずC.ed.において,UrvasiはU-A説話以外に明確な人格を持った物語の主役としてMbhの表面に現れることはない.その点に関してだけでもU-A説話は特に独自性を持つ説話であると位置付けられる.また,Urvasi以外にも天女が登場する説話は数多く存在するが,それらは概ねステレオタイプ化された一定のモチーフの発展形と言える.ところが,U-A説話はそれらの天女関連説話とは大きく内容を異にする.主な相違点は二つ,Urvasiが自分の意志で積極的に相手を誘惑するという点と,誘惑を拒まれた為に激怒して相手を呪うという点である.唯一このモチーフと類似する説話がBrahmavaivarta Puranaに収められている.Brahmavaivarta Puranaは最新層に属するプラーナであり,そのモチーフの類似性からU-A説話の創作された時代が叙事詩時代よりも,プラーナ最新層時代により近いという可能性が指摘されうる.ゆえに,U-A説話に見られる天女Urvasi像は,古来の伝統的な天女像ではなく,非常に新しい時代における天女像を反映したものであると考える事が出来る.また,U-A説話が創作された時点ではすでに,ArjunaがUrvasiの夫,Pururavas王を祖先とする系譜に属するという暗黙の了解がなされている.しかしMbhが現在の形に整う以前の古い時代には,Pururavas王を祖先とするPaurava一族はKaurava一族とは全く別系統のものであった可能性がある.つまり,Pandava五王子の系譜の正統性を高めようと目論んだある人物が,ある時点においてPururavasをその祖先として位置付け,Paurava=Kauravaという構図をMbhの中に埋め込んだと推測できるのである.そのような側面からも,U-A説話はMbhがほぼ現在の形に整えられた後に付加された,かなり新しい時代の挿入部分であるということが言えよう.
  • 山崎 一穂
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1149-1153
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本論文では,クシェーメーンドラ(11世紀)の仏教説話集Bodhisattvavadanakalpalata第14章所収の説話「舎衛城神変説話」(Pratiharyasutra)を考察対象とし,Divyavadana,『根本説一切有部律』,パーリ聖典,漢訳経典中の並行話と比較することにより,クシェーメーンドラ本の源泉資料の解明を試みた.クシェーメーンドラ本には,有部系伝本,即ち『根本説一切有部律』,Divyavadanaの伝承する説話構成要素と共通する要素が多数見られる.また,クシェーメーンドラ本は有部系伝本に固有な要素も含んでおり,クシェーメーンドラが有部の伝承を基に,自身の「舎衛城神変説話」を著していたことが知られる.しかし他方では,クシェーメーンドラ本には,数こそ少ないものの,パーリ伝本を始めとする非有部系伝本に固有な要素も見られ,クシェーメーンドラの源泉資料が非有部系の伝承にも求められることが判明した.以上から,クシェーメーンドラは,その大部分で有部の伝承に依拠しながら,部分的に非有部系の伝承を取り入れ,自身の「舎衛城神変説話」を著していたと結論付けられる.
  • 小池 清廉
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1154-1158
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    サンガのビクが律に違反しても,狂羯磨により「狂者」(精神障害者)と認定されれば,違反は原則的に不犯(無罪)とされる.波羅夷罪のような最重罪でも,狂癡者,心亂者は不犯である.不犯と認定された「狂ビク」は,ビクの資格を剥奪される.後に「狂ビク」本人から復帰申請があり,不癡毘尼において不癡と裁定されれば,過去の違反行為は免罪され,ビクの資格を復権することができる.現代の刑法やリハビリテーション医学と類似の律の病者処遇システムが何故成立したのか.そのためにはサンガの精神障害者観を知る必要がある.共同体から排除されがちな「狂ビク」処遇の解明は,仏教の倫理思想の解明につながるであろう.初期仏典は何人ものわが子を亡くしたバラモン女性の重症精神病や,愛児と死別した資産家の悲嘆・うつ状態を記載した.世人の苦の典型・愛別離苦であり,これに仏教が対処した例としてである.律では「顛狂心亂多犯衆罪非沙門法言無齊限行來出入不順威儀」のビクを挙げる.『婆沙論』等アビダルマや律は狂の五因縁を挙げるが,それは心因,経済因,身体因,非人因(幻覚,憑依),業因(業病)に相当すると考えられる.あるビクの言動が逸脱して律に違反し,サンガの義務を果たさなければ,他ビクから非難が発せられる.不癡毘尼においては過去の違反が責められるが,数の多数決ではなく,少欲知足のビクの意見を尊重して最終決定がなされる.現代刑法における心神喪失者が無罪であることと,律の狂者不犯には一定の共通性があるが,律では過去の犯行を贖罪している点が異なる.何故に律は狂者不犯を認めたのか.サンガは精神医学及び法律上の知識を蓄積していたからであろう.縁起の理法や慈悲など仏教の基本思想は,狂者不犯の思想的基盤をなしていたといえる.
  • ――種子説と3つの譬喩――
    松島 央龍
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1159-1163
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    刹那滅である業が,いかにして果報をもたらすことができるのか.我々がなした善・不善の行為は,時を経て必ず好ましいか好ましくないかの報いを得る.では,どうして業と果のつながりは必然であるのだろうか.有部における業果をつなぐはたらきを,無表に帰する考えは古くからあった.1.業果の結合にとって種子と果実のたとえは譬喩師,衆賢両者が認めるものであった.ただし,その譬喩が有効であるためには確固たる因果の基盤,すなわち心相続のように断絶してしまうものではない,三世実有,得,効能という諸要素が必要である事を衆賢は指摘する.従って,この譬喩は譬喩師には無効となるのである.なお,無表についてであるが,この箇所では全く触れられておらず,業果の結びつきを説明するために衆賢は異熟因や得,功能によっている.この事からも,無表と種子を同一視するのは誤解であるといえるのではないだろうか.また,衆賢が因果の役割を特に重視したことは拙稿[2009]にも指摘したことであるが,今回扱った箇所でも,効能という概念によって因果効力は決して失われることは無いことを彼は強調している.2.業の作者の刹那滅である事を認めたとしても,それが「異作異受」という過失には陥らない事を衆賢は3つの譬喩で示した.第1の譬喩によって業の作者とは異なる別の享受者がいる事は無いということを示し,第2の譬喩によって業の作者は業をなした刹那とそれを享受する刹那で「異なる」と表現できても,必ず業の報いを受けるという事を示した.また,業は直後に結果をもたらすのではないから,その結びつきがどのようにして成立するかを第3の譬喩によって示したのである.
  • 松村 淳子
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1164-1172
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    餓えた牝虎に自分の身体を与えた物語(投身餓虎,捨身飼虎)は,法隆寺の玉虫厨子に描かれていることでも知られるように,仏教の伝わった地域では広く知られ,数多くの文献資料が遺されている.しかしながら,パーリ語のジャータカ物語にはこの話は含まれず,南方上座仏教国にこの物語が存在することはほとんど知られていなかった.この物語がスリランカにも知られていたことは,法顕の短い記述(『高僧法顯傳』)によりわかるが,そのほかの資料についてはこれまでほとんどわかっていない.ところが,スリランカ仏教徒はパーリ・ジャータカに含まれないジャータカのいくつかを伝承しており,それが近年でも寺院の壁などに描かれている.本論文では同本生話の諸伝承を整理し,それとスリランカで知られる伝承の証拠を絵画および文献資料に求め,それらと北伝伝承との関係を明らかにしようと努めた.なかでも大正No.172経はこれまで具体的に研究されていないが,有名な金光明経の物語より古い,ガンダーラの伝承であることは明らかで,その訳者である法盛も,法顯同様ほぼ同時代にスリランカに旅したであろうことは,南北仏教伝承の交流の具体的事例として,非常に注目すべきことを指摘した.
  • Pannaloka DENIYAYE
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1173-1177
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    大品系般若経典(十万頌,二万五千頌,一万八千頌)の経の序品の冒頭の場面の記述では声聞衆の後に菩薩衆が出てくるが,その菩薩衆の多くの名前に関して,梵・蔵・漢を比較してみると,かなりの相違が見られる.本稿では梵文として十万頌,二万五千頌を用い,漢訳は光讃経と放光般若と羅什訳大品と玄奘訳の初会・二会・三会を用い,蔵訳は二万五千頌の二本の異訳と十万頌とを用いて,比較を行った.菩薩の名前の列挙においては,十万頌のヴァージョンは最も詳細である.玄奘訳をみると,一万八千頌⇒二万五千頌⇒十万頌の順で,菩薩名の数が15⇒26⇒40と増えて詳細になってゆくことが確認される.ところがその一万八千頌・二万五千頌・十万頌の三ヴァージョンを蔵訳で見てみると,ほとんど数に差がない.蔵訳の一万八千頌は二万五千頌に極めて近いことがわかる.興味深いのは,蔵訳の二万五千頌の二本の異訳の相違である.大谷No.731の蔵訳では37名を出すが,大谷No.5188の蔵訳では24名である.後者は二万五千頌の梵本や漢訳の諸伝承と一致するが,前者はむしろ十万頌の伝承と一致するので,前者は十万頌からの影響を受けて書き直されていると思われる.梵文十万頌では賢守Bhadrapalaの菩薩名が二度出てくる.蔵訳を見るとその二度目の菩薩名はBhadrabalaになっている.また,或るヴァージョンでは重要な菩薩名が欠けている場合があり,例えば羅什訳大品と蔵訳(大谷No.5188)では,慈氏Maitreyaと善勇猛Suvkrantavikrrminが出てこない.序品で菩薩の名前の列挙の前にある,菩薩の性質・特性の記述についても,梵本と蔵訳を比較してみた(漢訳は参照しなかった).すると,十万頌が最も詳細であること,また蔵訳の二万五千頌の二本の異訳には相違があることがわかった.先の菩薩名の場合と同様に,一つの蔵訳(大谷No.731)は十万頌の影響を受けていることが確認された.
  • 鈴木 隆泰
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1178-1186
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    筆者はこれまで,『金光明経』(Suvarnaprabhasa)の制作意図に関して以下の<仮説>を提示してきた.・大乗仏教徒の生き残り策としての経典:『金光明経』に見られる,従来の仏典では余り一般的ではなかった諸特徴は,仏教に比べてヒンドゥーの勢力がますます強くなるグプタ期以降のインドの社会状況の中で,余所ですでに説かれている様々な教説を集め,仏教の価値や有用性や完備性をアピールすることで,インド宗教界に生き残ってブッダに由来する法を伝えながら自らの修行を続けていこうとした,大乗仏教徒の生き残り策のあらわれである.・一貫した編集意図,方針:『金光明経』の制作意図の一つが上記の「試み」にあるとするならば,多段階に渡る発展を通して『金光明経』制作者の意図は一貫していた.・蒐集の理由,意味:『金光明経』は様々な教義や儀礼の雑多な寄せ集めなどではなく,『金光明経』では様々な教義や儀礼に関する記述・情報を蒐集すること自体に意味があった.本稿では『金光明経』のうち「諸天薬叉護持品」(Yaksasraya-parivarta)に焦点を当て,引き続き<仮説>の検証を行った.その結果,「仏教の存続に危機意識を抱いた『金光明経』の制作者たちは,王族を民衆ともども仏教に誘引し,彼らから経済的支援を得てインド宗教界に踏みとどまるため,世間的利益の獲得を主題とする<五品>等を編纂していった.その際には従来の仏教では一般的ではなかった諸要素を次々と取り入れていったが,『金光明経』における衆生利益は,仏教の伝統に則り釈尊の成道・法身獲得と不可分に結びつけられていたため,従来の理解や文脈を破壊したり逸脱したりすることのないままに諸要素の導入に成功した.そこに,『金光明経』が編纂・増広過程や伝承過程を通じて,常に"仏典"であり続けることができた大きな要因の一つがあると考えられる.」という結論を得たことで,所期の目的を達成した.
  • ――大乗経典の「密教化」の一例として――
    日野 慧運
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1187-1191
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    『金光明経』(Suvarna(pra)bhasottamasutra=Suv)は,懺悔滅罪を教理的核としつつ,『般若経』『法華経』の影響を強く受けた中期大乗経典である.一方で,その呪句・儀軌の詳細・豊富さから,チベットにおいては密教経典として分類されてきた.大乗仏教と密教の要素を併せ持つこのSuvを,増広発展にともなって密教的色彩が漸次濃くなってゆく形成史上の性格も考えあわせて,筆者は大乗仏教から密教へというインド仏教思想史上の過渡期を体現する経典と位置づけるのが適当と考える.このような視座に立ちつつ,本稿ではSuv中の「四天王品」において説かれる説法師供養のための「法の聴聞のための供養儀礼」を検証する.この「供養儀礼」は初期大乗に一般的な供養法の要素を具えると同時に,一尊格を礼拝の対象とし,行法の果報として勧請・成就・除災等の現世的利益を期するという点において,いわゆる雑密経典における儀礼に共通する性格を持つ.「供養儀礼」のこのような性格を明らかにしたうえで,この「供養儀礼」と,Suv中の「弁才天女品」(Sarasvati-parivarta)に表れる「呪薬洗浴法」(snanakarman),および「四天王品」の増広部分(義浄訳『金光明最勝王経』のみ)に表れる「多聞天勧請儀礼」という密教儀礼を比較し,両者が「供養儀礼」に牽引されて導入されている構造を明らかにする.さらにそこから,説法師(dharmabhanaka)がその導入に関わった可能性について考察する.
  • 宮崎 展昌
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1192-1197
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    高崎[1988]は,『宝性論』にみられる「非如理作意を因とする煩悩生起説」が『陀羅尼自在王経』(DhR)『虚空蔵所問経』『無尽意経』『智光明荘厳経』『菩薩蔵経』などの大乗経典に典拠を求めうること明らかにした.さらに,佐々木[1991]は『宝性論』の煩悩生起説を2種類に大別し,それぞれの起源が説一切有部の論書とアーガマにまでさかのぼるものであることを明らかにした.本稿では,上記の先行研究にもとづいて調査した結果,同様の説が従来指摘されていない大乗経典に確認できたことを報告する.また,既に先行研究で扱われた典籍も含めて,各典籍で諸訳対照をなして,大乗経典にあらわれる同説の来歴を探りつつ,佐々木[1991]で残された問題である,説一切有部などの諸論書と大乗経典との関連・関係を解明の一助となることを目指す.「非如理作意を因とする煩悩生起説」を含む新出資料として,『梵天所問經』(VbrahP)『出世間品』(Lp)『宝筐経』(Rk)『阿闍世王経』(AjKV)および菩提流支訳『大薩遮尼乾子所説經』,曼陀羅仙・僧伽婆羅訳『大乘賓雲經』が挙げられるが,いずれもこれまでに如来蔵思想との関わりが指摘されてこなかった.また,以上のうち,VbrahP,Rk,AjKVが「文殊系経典」に分類されることは注目に値する.一方,AjKVの支婁迦讖訳およびDhR,Lp,Rkの竺法護訳といった古訳経典に同説が確認できたことから,同説は比較的早い段階に大乗経典に導入された可能性が高く,また,説一切有部所伝のものとは異なる独自性の高い説がAjKVに見られたので,同説については,説一切有部から大乗経典への影響関係のみならず,大乗経典相互の影響関係を考慮する必要があるだろう.
  • ―― 21の無漏の徳性の解釈を中心に――
    中村 法道
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1198-1202
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Abhisamayalamkaraは般若経を修道論の観点から要約したものと言われ,Maitreyaに帰される.第8章では仏身論が説かれ,三身説・四身説として解釈されてきた.この仏身論は天野宏英氏・佐久間秀範氏・John J.Makransky氏等によって研究されたが,現存最古の注釈書を著したArya-Vimuktisenaをs,或いは三身説を正面から取り上げた研究は少ない.本研究の目的はAbhisamayalamkaraの仏身論の分類を探ることである.三身説・四身説という相違は,第8章第2-6偈の21の無漏(nirasrava)の徳性(dharma),及び第8章第6偈のdharmakayaの語の扱い方に起因する.第8章第1偈(自性身の定義)では無漏の徳性の本質を備えているのが自性身と定義される一方で,第8章第6偈(21の無漏の徳性)では無漏の徳性の集まりが法身(自性身)と定義され,矛盾が生じている.Arya-VimuktisenaはAbhisamayalamkaraが意図する通り三身説を採用し,dharmakayaの語を法性身,即ち自性身としている.以上の点で彼の解釈は偈頌に忠実であると考えられるが,後世の注釈家には継承されていない.Haribhadraは四身説を採用し,dharmakayaを新たに設定した仏陀の身体としている.Ratnakarasanti(Suddhamafi,Sarottama),Abhayakaraguptaは三身説を採用するが,dharmakayaの語を徳性の集まりと解釈し,Arya-Vimuktisenaの説を斥ける.Ratnakarasanti(Suddhamati),Abhayakaraguptaは自性身をdharmakayaの本質とし,Ratnakarasanti(Sarottama)は,21の無漏の徳性を受用身のものとしている.三身説・四身説という2項目の枠組みの中で先行研究が行われてきたが,三身説の中で(1)Arya-Vimuktisena,(2)Ratnakarasanti(Suddhamati)とAbhayakaragupta,(3)Ratnakarasanti(Sarottama)の少なくとも3つの分類があることが明かになった.第8章第6偈のdharmakayaの解釈の1つの形態として四身説があり,3種類の三身説があるのである.
  • 五島 清隆
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1203-1211
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    龍樹の思想を理解するには,その縁起観の解明が欠かせない.というのも,彼自身はブッダ(釈尊)が説いた縁起を空性と捉えており,一方で,現代の研究者の多くは龍樹の縁起を「相互依存(相依性)の縁起」と捉えているからである.私の研究によれば,『中論頌』における「縁起」の根底にあるのは仏説としての「十二支縁起」であり,邪見・顛倒の断滅による涅槃を目的とした十二支縁起(とくに還滅分)を,戯論の寂滅・分別の滅によって解脱に至る吉祥なる教え(つまり空性の縁起)として捉え直したものである.また,「相互依存の縁起」という捉え方は,まず『空七十論』において強調され,『無畏論』や『青目註』において発展的に継承されていき,一方では『ヴァイダルヤ論』において概念間の関係として展開していき,最終的には,月称によって確立されたものである.つまり,龍樹作とされる文献群やその註釈書においてその縁起観は変化・展開しているのである.その際,注目すべきは,各文献に見られる仏陀観である.龍樹作とされる文献群には「単数形のブッダ」と「複数形のブッダ」の対比が見られるが,『中論頌』では,前者が釈尊を指し,後者は龍樹の思想的支援者(あるいは「大乗のブッダ」)を指している.ところが『六十頌如理論』では逆に,「単数形のブッダ」が「不生不滅」の縁起を説くブッダであり,「複数形のブッダ」は伝統的教理の説者となっている.これが『宝行王正論』になると,「複数形のブッダ」は伝統的な教理も大乗の教理も説く,いわば普遍的な存在と捉えられている.この仏陀観の違いは,各文献の著者が異なることを示している.同様に,龍樹文献群における縁起観の変遷も単に龍樹個人の思想的な発展・深化ではなく,著者そのものの違いを示唆していると考えられる.
  • ―― 『中論』から『菩薩地』へ――
    斎藤 明
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1212-1218
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ナーガールジュナが初期瑜伽行派の思想形成に何らかの影響を与えたことを否定する研究者は少ない.瑜伽行派は,『般若経』に対して独自の視点から解釈をくわえ,有部アビダルマとも相互に影響関係を保持し,『解深密経』や『大乗阿毘達磨経』等の独自の論的な経典を創出した.しかしながら,従来の研究に多少なりとも欠落していたのは,同派の思想形成において,『中論』の著者としてのナーガールジュナが果たした役割という視点である.本稿では,tattvaの意味づけ、durgrhita-sunyataとsugrhita-sunyataとの対比,勝義(=涅槃)を獲得するためのvyavaharaないしabhilapaの役割,煩悩の根元としてのvikalpaあるいはprapancaの位置づけという視点を設定する.その上で,『中論』と『菩薩地』(とくに第4「真実の意味」Tattvartha章)の比較考察を通して,『菩薩地』がいかに『中論』を踏まえ,その教理を批判的に継承し,掘り下げ,独白の教理体系を構築するに至ったのかを考証する.
  • 常盤 義伸
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1219-1223
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    南条校訂梵本をグナバドラ漢訳四巻本によって再構成した私家版(2003年,100部発行,贈呈了)による.1.法顕訳六巻本の大乗涅槃経は,涅槃を歴史上追憶されるべき過去の出来事とする理解から踏み出し,歴史自体の根源的な目覚めの各人における現成とする方向を示し,楞伽経はこれを思想建立の立脚点とした.2.楞伽経は,無著・世親の唯識思想の「五法,三性,八識,二無我」を総括するために「自心現」「自心現量」などの語を用いた.中辺分別論釈と関連する表現も用いられた.唯識三十頌の第二〇・二八偈を楞伽経が仏説として取り上げ論ずるうち第二八偈では,「知が依存すべき対象を見出さない」のは,その知が無知のためか他の障碍があるからではないか,として質問者が『サーンキャ・カーリカー』第七偈を思わせる用語を並べる.仏陀の答えは,果から因を類推するサーンキャ派の考えとの違いを浮き彫りにする.華厳経入法界品の解脱長者は自心(自分の心)を仏陀の力で輝かすべきだとするが,楞伽経では自心(自己である心)とはアーラヤ識を指す.自心現量とは,外の存在と見られるものは自己である心の対象化に他ならず,外の現れも自心も自性がなく空だ,ということ.楞伽経は,人々にこの理解を自ら会得し他の人々にも根のない迷妄から離れてもらうことを願うべきだと説く.3.楞伽経の如来蔵・アーラヤ識は,サーンキャ派のプルシャ・プラクリティ二元論を批判して佛教の立場を表明するために構想された概念だが,従来,如来蔵をプルシャと同視しアーラヤ識の闇に隠れた如来の胎児と解する擬似サーンキャ説が見られる.楞伽経はこの解釈を斥ける.如来蔵とは如来たちの源,如,を意味し,如来蔵・アーラヤ識とは目覚めていない如であるアーラヤ識ということ.目覚めた如は,三性の第三,真実の現成,如来蔵の本質現前,とされる.
  • ――外界対象と分別――
    田村 昌己
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1224-1228
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本論文の目的は,『中観心論』(Madhyamakahrdayakarika)第5章第51偈から第56偈に基づいて,バーヴィヴェーカ(Bhaviveka,ca.490-570)の世俗観の一端を明らかにすることである.バーヴィヴェーカは同箇所において瑜伽行派の主張する入無相方便(asallaksananupravesopaya)及び遍計所執性(parikalpitasvabhava)について批判している.瑜伽行派の見解によれば,我々の経験世界は所取・能取の世界である.そして,所取・能取は構想されたものに過ぎず実在しないものであり,所取・能取に対する分別・執着は唯識の認識即ち外界対象の否定によって滅せられる.これに対してバーヴィヴェーカは,分別・執着の滅は自性の非認識の修習に基づくと考える.彼によれば,経験される色等の事物は世俗のレベルでは自性を有するものであるが,勝義のレベルでは自性を有さないものである.そのような事物に対する分別・執着は事物の自性を否定することによって滅する.分別・執着の滅に対して外界対象の否定はそれをもたらす手段とはならない.色等の外界対象に対して分別が生じる.分別には妥当な分別とそうでない分別(錯誤知)とがある.『思択炎』(Tarkajvala)によれば,分別の対象にはあるがままの部分(yang dag pa ji 1ta ba bzhin nyid kyi cha,*yathabhutamsa)と誤った部分('khrul pa'i cha,*bhrantamsa)とがあり,それに対応して分別がそれぞれ生じる.バーヴィヴェーカは外界対象に対して妥当な分別が生じうると考えている.ただし,分別の妥当性はあくまで世俗のレベルで認められるに過ぎないということに注意しなければならない.外界に存在する縄に対して起こる「これは縄である」という分別が世俗のレベルで妥当な知であるとしても,それは縄を有自性なるものとして捉える知なのである.
  • 那須 円照
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1229-1234
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本論攷では,『唯識二十論』の護法の註釈である『成唯識宝生論』における,法無自性(=法無我)についての,護法(唯識論者)とアビダルマを代表とする実在論者や中観論者との対論を検討して,有の立場と空の立場の中道としての唯識無境という唯識学派の立場を護法が宣揚したことを明らかにする.この法無自性の議論の要点はいくつかある.まず,十二処を実在として人無我の立場のみを主張する実在論者に対して,それらの要素は識所変であると護法は主張する.また,一切法皆空を主張する中観派に対して,護法は,執着の対象(遍計所執性)としての心・心所や見られる対象は実在しないが依他起性としては縁生有であるという立場である.そして,護法は,外界の法は内的アーラヤ識の所変と解し,外界の対象には自性はなく,唯識無境であると説明する.『成唯識論』における伝統的に解される立場と同じく,護法が識体というものの実在性を認めていることが,『成唯識宝生論』でも明らかである.護法は境識倶泯の立場ではない.また,仏陀の認識対象も問題となるが,仏陀は不共法である清浄な自心を認識対象とするが,執着はないのである.仏陀以外の者は,自心を認識対象としても,その自心(A)をまた別の自心(B)が執着の対象とするから,唯識が成り立たなくなってしまうのである.以上,『成唯識宝生論』は『唯識二十論』の論旨に沿って註釈しているが,逐語的な註釈でなく,達意的に,実在論者(アビダルマや勝論派)や中観論者の説を詳しく挙げつつ,適宜論駁していくのである.その結果,対象も識もあるという立場と,対象も識もないという立場を離れた,対象はないが識はあるという護法の立場が明らかにされるのである.今回は,以上の議論の前半の部分を検討した.
  • 渡辺 俊和
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1235-1240
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本論文では,ダルマキールティのjati(誤った論難)説が,ディグナーガ説を継承しながらウッディヨータカラによる批判に対抗するものとして形成されたものであることを明らかにした.ダルマキールティはPramanaviniscaya 3.85で,jatiに関する彼の見解をまとめている.彼によれば,jatiの数はいくらでも考えだすことが可能であるので,個別に論じられる必要はない.これは,部分的にはディグナーガの説を継承しながらも,ウッディヨータカラによる,仏教徒の主張する14種へのjatiの分類に対する批判に応じるものである.このような基本的立場に反し,ダルマキールティはPVin 3.72(=PV 2.14)でkaryasamaというjatiを定義している.彼の定義はディグナーガの説に従うものであるが,それを改めて定義しなければならなかったのは,ウッディヨータカラによるディグナーガへの批判に対抗するためであった.ディグナーガは,samsayasamaによって対論者が誤った論難をなす際には,主張命題あるいは証因の意味が別様に仮構されることによって疑惑が生じると説明している.しかしウッディヨータカラは,これと類似した「証因の意味が別様に付託されることによって誤った論難が起こる」という特徴を,karyasamaの特徴であると主張し,ディグナーガ説は二つのjatiを混同しているとして批判する.これにより,彼以前にはkaryasamaについては大きな差が見いだされなかった仏教徒とニヤーヤ学派との間に明確な差が生じた.ダルマキールティはこれに対抗する必要から,ディグナーガ説でのkaryasamaの特徴である,「paksadharminとdrstantadharminとの差に基づいて証因に意味の違いを考える」という点を再度強調しているのである.
  • 酒井 真道
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1241-1245
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ダルマキールティによって体系化された,刹那滅論証の新たな論証形式がその後の刹那滅論証の方向性を決定付けたのは言を俟たない.この論証では存在するものが効果的作用能力を持つものとして規定され,刹那滅でないものが継時的にも同時的にも効果的作用を為すことが出来ないことを根拠に,刹那滅でないものの存在性が否定される.一方,この新論証の登場により,滅無因説を核心とする伝統的論証は刹那滅論証の主流から外れることになった.論理学的な観点から言えば,新論証の登場は伝統的論証の存在価値を完全に奪い去ってしまったと言っても過言ではないが,実際のインド仏教史において伝統的論証は最後まで姿を消すことはなかった.その一因として,伝統的論証に対するダルマキールティ後継者たちの取り組みが挙げられる.本論で注目するダルモーッタラは,伝統的論証の核心である滅無因説を新論証の枠内に取り込み,その枠内で滅無因説に新たな機能を与えることに従事している.彼の著作Ksanabhangasiddhiには,刹那滅でないものでも共働因に依存すれば継時的に効果的作用を為すことが可能であると主張し,そのような共働因の喩例としてハンマー等の消滅原因を挙げる対論者が登場する.彼らはこの説によって,新論証における論証因「存在性」が不定であるとするが,ダルモッータラは,共働因の喩例として挙げられる消滅原因を否定することにより,論証因「存在性」が確定因であることを立証する.すなわち,共働因の喩例としての消滅原因は不成立であるから,喩例によって説明された事柄である「刹那滅でないものでも共働因に依存すれば継時的に効果的作用を為すことが出来る」という説も不成立となり,論証因は確定因となる.このようにダルモーッタラは,滅無因説を新論証の枠組みの中に組み込み,それに新たな機能を与えているのである.
  • ――外界なしに推理は可能か――
    小林 久泰
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1246-1251
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    仏教論理学派によって提示される認識論の最大の特徴は,認識の基盤を認識外部に設定する経量部的性格とそのような外在的基盤を認めない唯識的性格という二面性を併せ持つ点にある.しかし,もし後者の立場にたった場合,推理はどのように成立し得るのだろうか.PV III 392-396に対する注釈の中で,プラジュニャーカラグプタは,認識外部に認識の基盤を設定せずとも,推理は説明可能であることを証明するとともに,経量部説においても,認識に顕現するもの以外,いかなる効用も果たさない以上,推理されるものは外界の事物ではなく,認識に顕現するものでなければならないことを証明している.本稿では,プラジュニャーカラグプタの論述を検討することを通じて,特に以下の三点を明らかにした.まず第一に,プラジュニャーカラグプタが,煙に基づく火の推理を,外界を想定しなくとも,認識と潜在印象との因果関係だけで説明が付くとしていることを明らかにした.第二に,その推理の構造をプラジュニャーカラグプタはダルマキールティがPVSVにおいて味から色を推理する場合に用いた「同じ原因総体に依存すること」(ekasamagryadhinatva)という概念をもとに分析していることを指摘した.第三に,上述の議論を進めていく中でプラジュニャーカラグプタが,実際に目的実現をなすもの(arthakriyakarin)は何かという観点から,プラマーナの対象はその認識が認識している時点のものではなく,それよりも未来のものに他ならず,さらに認識に顕現するものでなければならないということを明示していることを指摘した.
  • 望月 海慧
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1252-1259
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    チベット仏教のチョナン派のTaranatha Kun dga'snying po(1575-1634)は,Dol po pa Shes rab rgyal mtshan(1292-1361)の大中観・他空説を展開したとされる.彼にはTheg mchog shin tu rgyas pa'i dbu ma chen po rnam par nges paというテキストがあり,「大中観」思想が論じられている.同論は,全8章からなる偈頌で書かれたテキストであり,彼の著作集には,弟子であるmKhas dbang ye shes rgya mtshoによる詳細な注釈書も収められている.その第1章は「中の自性の認識」と言うタイトルであり,そこではテキスト全体の概要と「中」の異門が説かれている.その特徴的内容をあげると次のようになる:1.Taranathaにとって中観とは大中観である.2.本論は根本・道・結果により構成されている.3.大中観の同義語として,真如・如来蔵・最高我・無変化などの語が並べられる.4.中の略説は,考察されるべき勝義の中と考察する者が領受する五道の中である.5.中の異門として三性説による解釈が見られる.以上のことから,Taranathaの解釈する「中の自性」には,NagarjunaのMadhyamakakarikaに見られる二極の否定による解釈も見られるものの,瑜伽行唯識派による三性説による解釈や,如蔵思想のタームの使用も見られる.すなわち彼は中観,唯識,如来蔵の思想を融合して「中の自性」を解析しており,この思想はDol po paの大中観思想を継承するものである.
  • Sudan SHAKYA
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1260-1266
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    八世紀に成立したとされている仏教タントラ『ナーマサンギーティ』(Namasamgiti)は,「本初仏」(adibuddha)を含む八百に上る文殊智慧薩を称讃する様々な名号を説く.このタントラには異なった立場(瑜伽タントラ系・無上瑜伽タントラ系・Kalacakratantra系)から著された複数の註釈書があるが,本論ではVilasavajra,Advayavajra,Ravisrijnanaなどの学僧たちによる十二の註釈を用いて,それらにおいて[本初仏]という言葉がどのように解釈されているかを考察した.そして以下のような点が明らかになった.先ず,諸註釈の中でとくに瑜伽・無上瑜伽タントラ系の文献では「本初仏」を法身として解釈し,まさに最初から悟ったものであると理解している.そしてVilasavajra(Toh2533;Ota3356)やCandrabhadrakirti(Toh2535;Ota3358)の註釈で示すようにその仏はビルシャナ仏をはじめとする五仏の五智を自性とするものであり,さらに観想の対象ともしている.一方,Narendrakirti(Toh1397;Ota2113)やPundarika(Toh1398;Ota2114)のKalacakratantra系の註釈においては「本初仏」は自らが存在するもの(svayambhu)で,始めも終わりもない者(anadinidhana,無始無終)として明確に解釈している.svayambhuとanadinidhanaはいずれも『ナーマサンギーティ』において文殊智慧薩を称賛する名号として登場し,後の文献では「本初仏」の同義語として広く扱われるようになっている.つまり,これらの註釈から判断すると,『ナーマサンギーティ』における「本初仏」は「一切仏を生み出すもの(NS-60b)」,「一切仏の自性を持するもの(NS-141d)」のような名号を持つ文殊の一つの名号以上の意味は持たされていないと考えられる.
  • ――聖救度佛母二十一種禮讃經について――
    山口 周子
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1267-1271
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿は,アルジャイ石窟寺院内の第32号窟に描かれた二十一多羅佛母の尊像と,それらに添えられた多羅佛母讃のテキストに関する比較研究,および報告を目的とする.アルジャイ石窟寺院は,中国内モンゴル自治区西部に広がるオルドス高原に位置し,北魏時代から明代にかけて増築・造営を繰り返されたものと見られている.また,モンゴルでは珍しく,カギュ派の寺院である.本稿で扱う二十一多羅佛母讃は,第32号窟の壁画として描かれた各多羅佛母図の上下左右に添付されている.梵語,蔵語,モンゴル語の3種の言語による多言語(polyglot)テキストである.この3言語の内,梵語と蔵語は各尊像図に対応しているが,モンゴル語は主尊および第1尊讃の代わりに,尊格を儀礼の場に招聘する句を置いているため,図像と讃の間には2つずつの齟齬が生じている事が,今回確認された.さらに,同じく多言語テキスト(梵,蔵,モンゴル,漢語)の形式を持つ多羅佛母讃の木版テキスト(明代)と対応させた結果,壁画テキストとは概ね一致していた.特に,モンゴル語の部分は,清代印行とされるカンギュル(ガンジョール)に含まれる多羅佛母讃よりも,明代の木版の方に類似していることが分かった.また,第9尊尊像図にも問題が見られた.壁画では,青色の立像,憤怒尊の姿で描かれている.しかし,上記の木版版や大正大蔵経,西蔵大蔵経ではいずれも,赤色(padmaraga)の座像で描かれることが示されている.上記のような問題が生じた原因については,未だ不明である.従って,今回はあくまで指摘,報告するに留めておきたい.また,壁画上の全テキストと尊像図との対応を公開する事も,今後の課題である.
  • 洪 鴻栄
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1272-1278
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    「四無碍解」(または「四無碍辯」)とは法無碍解,義無碍解,詞無碍解及び辯無碍解のことで,その典拠に関して第一類・法→義→詞→辯の順番と第二類・義→法→詞→辯の順番との二種類がある.前者は毘曇(論)に属する類であり,後者は経に属する類である.しかし,南伝・パーリ語系の経・論には殆どは,第二類の類に属するものである.いっぽう,北伝・漢訳語系の経には前述した二種類とも見られるが,論には殆どは第一類・法→義→詞→辯という順番を取るものである.『新出安般経』の「四解依」(すなわち四無碍解)とは,法解→利解→分別投解→辯才博解のことで,その用語と順番から,北伝の論典,すなわち阿毘達磨に属するものと判断できる.『佛説大安般守意経』における「四依解」の文は,断片的で難解なものでありながらも,幾つかのキーワードによって『新出安般経』の「四解依」の文と対照して新たに考察することができる.その結果,この段の文は『新出安般経』の「四解依」を解釈したものであると推定できる.結論として,この二つの経は大・小安般経の関係をもつ証拠にもなる.『新出安般経』における「四解依」の文は,次のごとくである.「彼如應有諦.從世間法行有亦法世間著.是色陰種…得明慧不漏.是名爲辯才博解.道依如是.是四解依.是時行倶行」『金剛寺一切経の基礎的研究と新出仏典の研究』p.191,line230-p.192,line242『佛説大安般守意経』における「四解依」の文を次に示す.「從諦念法意著法中.從諦念法意著所念.…見陰受者為受五陰.有入者為入五陰中.因有生死陰者為受正.正者道白正.但営為自正心耳.」(T15,no.602,p.169,a9-b3)
  • ――二種十玄説を中心に――
    中西 俊英
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1279-1283
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    静法寺慧苑(673?-743?)は,中国華厳宗第三祖とされる法蔵(643-712)の弟子のひとりであるが,その著書『續華嚴略疏刊定記』において法蔵と異なる学説を立て,第4祖澄観(738-839)から厳しく批判され,中国華厳宗の系譜から除かれた人物である.本稿では,慧苑独自の学説のうち,特に二種十玄説を中心にとりあげた.慧苑の教学は,四種教判に端的に現れているように,法蔵の思想的変遷を踏まえて如来蔵思想と華厳教学との緊密性が非常に高く,その傾向は二種十玄説にも現れていた.そして,その二種十玄説は,法蔵の十玄門を大枠では踏襲しつつ,『大乘起信論』や法蔵の『大乘起信論義記』の影響を受けて,慧苑が生み出したものであると指摘した.具体的には,まず,「体事」「徳相」「業用」という形而上的な概念を三層に分けるという二種十玄の枠組みは,『大乘起信論』の体・相・用の三大思想を淵源とすると考えられる.また,その内容のうち,「徳相」の十玄は,法蔵の十玄門と同様,無盡縁起とも称される『華嚴経』の世界観を表現したものであり,もう一方の「業用」の十玄は,仏の利他のはたらきである.特に後者は,法蔵の『義記』における用大解釈を踏襲しつつ,慧苑が新たに創出したもので,ここにも彼の思想の独自性の一端が見出された.
  • Elizabeth N. TINSLEY
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1284-1287
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    この論文において,『遍明院大師明神御託宣記』(以下『託宣記』と称す)の制作過程を検討する.同テキストは,建長3年(1251年)にあった託宣の記録として,高野山中院流道範(1184年-1252年)によって記されたと伝えられる.道範は1249年に配所から帰山した.現存する写本には,託宣自体とともに仁治3年(1242年)に起きた金剛峯寺と大伝法院の間の紛争と,仁治4年(1243年)にあった道範を含めて金剛峯寺僧侶の配流についての叙述の部分もある.『託宣記』が作成された時期は,仁治3年の紛争の時期に近く,事件についての情報源も詳しく,貴重な史料であるにもかかわらず,この事件に関する先行研究では『託宣記』との関係については,ほとんど無視されていた.道範が高野山へ帰山が許されたのは1249年であり,大伝法院の再建を条件とするものであったと史料上に示唆されている.しかしながら,『託宣記』には,大伝法院の再建・僧侶の帰山にたいする記述が見られない.それどころか,配流のすぐ後に著されたテキストのように見える.高野山中院流学侶宥快(1345-1416)の著書(『阿互川草薬中記』(1413頃著)など)によると,この託宣自体は,配流以前に下されたものとして理解されている.この宥快による理解は,従来考えられていた『託宣記』の作成時期,作成背景,構造と著者について再考を提示するものであり,テキストの解釈を見直す必要があると思われる.
  • ――思想的特徴及び人物像――
    古瀬 珠水
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1288-1292
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿は,翻刻はされているものの,長い間詳細な研究はなされてこなかった神奈川県立金沢文庫図書館蔵『見性成佛論』における「答者」の思想的特徴及び人物像を明らかにする.『見性成佛論』は「序」を除き44の問答からなる間答集である.特に第4番目の問答は『見性成佛論』の思想内容の中核を示す部分である.問者の「教内教外の理を説きたまへ」の問いに対し,「教」と「襌」の違いを対比しながら説明する.答者はまず「教」での長い学問的修学の必要性,諸仏や念仏に菩提を求める方法を批判的に説明する.次に「襌」(仏心宗)の頓悟について説明し,特に唐代南禅宗馬祖系の人物の言葉を引用し(『景徳傳燈録』からか?)己の心が仏であることを説く.答者は「襌」が伝統的学問的修学仏教とは異なることを主張する.次に,問いに対する拒否の姿勢に関し,『聖光上人傳』では大日禅師が最後は口を閉じて答えなかった(「襌師閉口結舌.不答而讃曰.汝是文殊師利菩薩.為訓我而來歟云々.」)とあるが,『見性成佛論』においても後半の問答(12番目から44番目)では,言葉に終始する問者に対し,問いをそのまま繰り返したり,所謂,禅問答のような答者に問いかけるような回答をしている.このような態度は『聖光上人傳』の問答の答者,大日襌師を彷彿とさせ,まさに,『見性成佛論』の答者が大日房能忍その人である可能性を示す一つの資料と考えられる.
  • ―― 『簠簋内伝』を中心に――
    Athanasios DRAKAKIS
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1293-1298
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿では,中世日本陰陽道の重要な資料である『簠簋内伝』における神仏習合の融合的なパターンを分析する.このパターンは主に仏教の神々ではない垂迹と仏教関係の本地を結びつく本字垂迹説に従う.しかし,『簠簋内伝』における神仏習合は神道と仏教の神々を結びつくだけではなく,十二支や十干などの陰陽道的な概念も取り込む.したがって,『簠簋内伝』における融合的なパターンは元来の神仏習合思想を拡大し,複雑な融合のパターンを発生する.『簠簋内伝』では神道神話・儒教・陰陽道の要素は仏教要素と融合し,本来違う思想体系からの要素は一つの習合的な思想体系に取り込んでいる.このシンクレティズムは中世日本思想の重要な特徴であり,中世日本哲学と神学を理解するためにそれを無視してはいけない.
  • ――佛教とゲーテ-ブルーノ・ペッツオルトと富永半次郎による比較文化研究-(II) ――
    小谷 幸雄
    原稿種別: 本文
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1299-1305
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    「東西の邂逅」(I)では兩人の研究面に重點を置いたが,(II)では俗界との關連にも着目し,兩人の比較文化的業績の特色・位置づけを試みたい.B.ペッツオルトは哲學・心理學・經濟學を專攻,十年間ドイツ國内外の新聞特派員生活の後中國へ派遣され,先に東京音樂學校に着任した聲樂家の妻・ハンカの後1910年に來日,第一次大戰で報道業務を中止し,一高教授(ドイツ語)に就任.比叡山參詣を機に佛教に關心を抱き,四十歳を過ぎて體系的に天台學を習得して行った.ゲーテ流の<對立物の統一>は相對的で,天台の<空><假><中>やシェリングの三勢力と統一概念の絶對的同一性の前段階だとする.其の學風は「象牙の塔」式でなく,<統一>が二つの世界大戰中のこととてナチスに徹底的に反對しながら,人類の平和を目指し,「東西の思想の架橋たらんとした人道的動機」(V.ツォッツ)に基いたことも見逃せない.富永半次郎は脱亞入歐型の東大を中退,統一人格の發揮を期して和漢洋の書を渉獵し,梵・巴語を獨學.震災後文部省内・古社寺保存委員會委員,續いて社會教育會主幹として「アカツキ」誌の編集,自ら「ハダカの修養」・「アソカ王の法詰摘要」などを執筆,原典『法華經』からゲーテ形態學の發想を以て有機的筋をもっ「根本法華」を摘出.月刊講義録『一』誌には「法華」「論語」「鎌倉時代の佛教」「一_レ徳の方法として己心中所行ヴァヤダンマー・サンカーラーの吟味」などが連載.この釋尊の遺言を自らの實習の糧とした.釋迦が「思想の源泉」を「全人格を賭けて」追求したと論じた戰後の『私の人生觀』(小林秀雄)と同じ頃富永が執筆した『正覺に就いて』ではガヤー正覺を,自ら發見・追體得したチャーパーラ正覺の境地から批判的に吟味した.最晩年ゲーテの轉換した心境とその成果・新案『ファウスト』に言及した『釋迦佛陀本紀余論』など戰後の業績は次の最終囘に譲りたい.
  • 原稿種別: 文献目録等
    2010 年 58 巻 3 号 p. 1307-1439
    発行日: 2010/03/25
    公開日: 2017/10/31
    ジャーナル フリー
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