印度學佛教學研究
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59 巻, 3 号
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  • ――ヴェーダ暦と祭式・儀礼――
    阪本(後藤) 純子
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1075-1083
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ヴェーダ文献(紀元前1200-500年頃)に残る太陰太陽暦では,月の形態および月と白道近辺の恒星の位置関係により月日が決定される.祭式の日時を決定するために月の朔望と運動が注意深く観察され,naksatra-「月宿」の概念が成立する.月は朔から朔の間(1朔望月:約29.53日),白道近辺にほぼ等間隔に位置する恒星(群)に順次近づき,朔の夜(amavasya-)には太陽と合一して姿を消す.これらの恒星(群)(RVでは太陽を含む)はnaksatra-「(月が)到達する所」「月宿」と呼ばれ,月と恒星との位置関係を示す指標となる.krttikas(Pleiades昴)を起点とするこれらの恒星(群)は,ヨーロッパ青銅器時代の考古学遺品(Nebra Sky Disk)が示唆するように,ヴェーダ期を遙かに遡る古代に起源を持つ可能性がある.Naksatra崇拝や婚姻・戦闘等のために吉祥なNaksatraを選ぶ風習は,光(太陽・火)を崇め闇・夜を避ける傾向の強いヴェーダ祭式よりも,むしろ民間儀礼において発達し,部分的にシュラウタ祭式に取り入れられた形跡が伺える.Naksatraの列挙はAtharvaveda XIX 7,Yajurveda-Samhitaマントラ(Agnicayana火壇第五層のNaksatra煉瓦:Maitrayani Samhita II 13,20,Kathaka-Samhita XXXIX 13,Taittiriya-Samhita IV 4,10),Taittiriya-Brahmanaマントラ(15,1:Naksatra祭?),マントラと散文(III 1:Naksatra献供)に見られ,さらに部分的にTB散文(I 5,2-3:Naksatra解説)にも残るが,いずれも後代の補遺部分とみなされる.これらのNaksatraの列挙は,朔望月に基づく28 Naksatra方式と恒星月に基づく27 Naksatra方式に分類されるが,前者は月と恒星の位置を正確に反映せず,後者は朔望月の日付と対応しない.この矛盾を解決するために,上記Agnicayanaのマントラおよびシュラウタ・スートラでは,本来は次元の異なる概念である満月・朔の夜を27 Naksatraに付け加えるなどの工夫が試みられる.より平易な28方式は一般大衆の民間儀礼に好まれ,より正確な27方式は祭官学者間に普及したことが上記文献から推測される.(後者はJyotisa以降の天文学において黄道の均等な27区分に変質する.)
  • ――古代インドの発酵乳加工――
    西村 直子
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1084-1090
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Veda文献に見られる乳製品の多くは,発酵乳dadhiを基に加工される.祭式の供物としては,samnayya,amiksa,payasyaが代表的発酵乳製品であり,何れもdadhiと加熱乳分srtaとを混ぜて作られる.BOHTLINGK-ROTH,RENOUなどはこれら(特にamiksaとpayasya)を同義語とするが,その根拠は明らかではない.本稿は祭式文献に基づき,これらの異同の解明を試みる.(1)samnayyaは新月祭においてIndraに捧げられる.準備日(upavasatha)の晩に搾乳・加熱・凝固剤atancana添加によって作られるdadhiと,翌朝の本祭日に搾乳・加熱したsrtaとを,献供の直前に混ぜる.混ぜた直後に献供する為,乳酸菌の作用は目視可能な程度ではなかったと考えられる.(2)amiksaはCaturmasya祭等で用いられる,samnayyaと同様に用意されたdadhiを,加熱中のsrtaに混ぜる.この時,酸と熱とによってタンパク質が凝固し,水分が分離する.カテージチーズのような凝固物がamiksaである.(3)payasyaはamiksaと同じ搾乳や調理法で得られる.また,Yajurveda の brahmanaには,両者を一つの議論の中で同義語のように言い換える例が見られる.また,同じ祭式の同じ神格に対する供物を黒Yajurveda学派はamiksaとし,白Yajurveda学派はpayasyaとする.両者が異なる乳製品をそれぞれ供物として用いていたとは考えにくい.従って,payasyaはamiksaと同じ,カテージチーズのようなものであると考えられる.(4)Veda文献全体の用例分布から,古い時代にはamiksa-が用いられ,次第にpayasya-の用例が多くなるという傾向が見られる.一つの乳製品がamiksaとpayasyaという2つの名称で呼ばれていた背景には,祭式文献の成立史と祭式の整備化または発展段階が影響した可能性がある.
  • 笠松 直
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1091-1096
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    svarga-は,本来「太陽光(svar-)に到る」を意味する形容詞と考えられる.ヴェーダ文献では専らloka-,m.「世界」に係る形容詞として用いられ,二語併せて「天界」が意図される.RgVeda X 95,18d svarga u tvam api madayase「そして君もsvarga-で酔う」をはじめ,単独の男性実体詞と化しているかのような用例も最初期から見られるが,これはsvarga-(loka-)の語法を予定した省略表現に由来すると考えるべきである.本論文はヴェーダ期を通じたsvarga-(乃至その派生語)の用例を精査して語史の解明を試み,ヴェーダ文献編集過程に一視点を提供するものである.AtharvaVeda,AV-Paippaladaをはじめとするmantra段階の言語では,svarga-は形容詞として生産的である(例えばodana-,m.「粥」を予定するAVS IV 34,8;AVP V 14,8やkurma-,m.「陸亀」を予定するMS II 7,16など).形容詞として用いられる例はMS散文にも在証する:MS I 5,5:72,3f.^p yasya va agnihotre stomo yujyate svargam asmai bhavati「もしその者のアグニホートラに詠唱(stoma-)が繋がれるなら,天界に赴く[agnihotra-,n.]がその者(祭主)に生じるのだ」;MS I 5,5:73,7^p<agnir murdhe->-ti.svarga tena「<Agniは頭頂だ>と[唱える].それによって,[この讃歌は]天界に赴く[讃歌]である」.こうした用法はマントラ時代の用法の遺存形であり,MS散文の古風を示す一例である.他方KS,KpS,TS散文では,形容詞として,svarga-,m.を前提とするs_u vargya-が用いられる.svarga-の形容詞としての用法を残すMS散文に比して,より新しい言語段階にあるものと理解される.
  • 熊谷 孝司
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1097-1102
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    古代インドの文献には,多岐に亘って「予兆」「前兆」に関する言及が見られ,その理解は,当時の世界観を理解するのに重要な意義を持っている.しかし,予兆集成文献群のうち著者,年代が明らかにされ文献史上に位置づけられているものは,公刊されている文献ですらまだまだ少なく,さらに,その重要性にもかかわらず写本の状態にと留まっている文献も多数存在する.papa-は,これまで刊行されてきた文献には,多くは現れないが,予兆が生じる原因となる重要な概念である.また,同様の概念に,apacara-があるが,papa-はapacara-とともに使用されることが多く,両者は密接に関係すると思われる.本研究では,一部が公刊されているのみのGargasamhita写本の研究成果をも踏まえつつ,これまで重要視されてきた主たる予兆集成文献郡であるAtharvavedaparisista 70b,70c及びBrhatsamhita 45,Matsyapurana 228-237.Gargasamhita 39を中心に比較検討し,予兆を生じる原因であるpapa-およびapacara-の概念を再考することにより,代表的予兆集成文献のそれぞれの立場を明らかにした.また,Gargasamhitaの校訂時には,Adbhutasagara,Adbhutadarapanaに引用されているGargaの説を,写本を補足するものとして使用した.その結果,Atharvavedaparisistaは,祭官の教科書としての立場,Brhatsamhita,Matsyapuranaの二者は,王権と関わる世俗的立場,Gargasamhitaは,王と対等の立場であることが明らかとなった.また,Gargasamhita 39の本文の一部を資料として提示した.
  • ―― RV VII 95,96を中心に――
    山田 智輝
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1103-1108
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    sdrasvati-は文字通りには「池/湖を持つ」を意味する.Arachosia(現在のカンダハール地方に相当)のイラン名,古ペルシア語Harauvatis,新アヴェスタ語harax^va^i ti-は同語と共通の起源に遡る.Sarasvati川は今日のガッガル・ハークラー川(前者はインド側,後者はパキスタン側の呼称)に比定される.Rgveda(RV)には,VI 61,VII 95,96の三篇のSarasvati讃歌が伝承されているが,VII巻の両讃歌はSarasvantというSarasvatiの男性形対応神格に対しても捧げられている.本稿はこのVII 95及び96を中心に扱い,RVにおけるSarasvatiのイメージを把握することを目的とする.両讃歌中で,Sarasvatiは最上の河川として賞讃され,「豊かさ」や「ミルク」などに関わる様々な恩恵をもたらす存在として語られる.このような描写は,人が生活を営む際に必要不可欠な水や,家畜を養うための貴重な草地を提供するという,河川の特性を踏まえたものであると考えられる.またSarasvatiはMarut神群とも関連付けられるが,両者の関係は「降雨に伴う河川の増水」という自然現象によって説明される.さらにSarasvatiはvajinivati-「勝利する力を持つ女」という語でもしばしば形容される.SarasvantはSarasvatiのみならず,Apam Napat(「水たちの孫」の意)さらには水たち(apas)とも少なからず関連性を有している.しかしながらその全貌を審らかにするにはさらなる考察を要する.
  • 河崎 豊
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1109-1115
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿では,空衣派代用聖典の一つであり,比較的初期の文献と見られる『バガヴァティー・アーラーダナー』(1〜2世紀頃成立)の1021-1029詩節において見られる解剖学的知識を取り上げ,以下の点について議論した.(1)当該経典において解剖学的知識は身体の不浄性を強調する目的で説かれる.一方かかる身体を不浄と観ずること自体は,五大誓戒の一つである性的禁欲と密接に結び付けられ,女性(の身体)の不浄性に基づいて性欲を制御することが強調される.(2)1021-1029詩節の内容をリスト化し,問題を残す若干の表現について議論した.(3)当該経典が述べる解剖学的知識のリストを,白衣派聖典『タンドゥラヴェーヤーリヤ』,古典インド医学文献『チャラカサンヒター』『スシュルタサンヒター』,法典文献『ヤージュニャヴァルキヤスムリティ』,仏典『ヴィスッディマッガ』,ウパニシャッド『ガルバ・ウパニシャッド』における同様のリストと比較し,一覧として提示した.その比較より,(a)『タンドゥラヴェーヤーリヤ』との数値上の一致は寧ろ部分的であり,一方が他方の唯一のソースであるとは言えないこと.(b)身体諸部分の数に関する限り,『チャラカサンヒター』よりも『スシュルタサンヒター』の伝統に,より近いこと,(c)尿や便等の量に関するリストについては,文献間の相違が大きく,『バガヴァティー・アーラーダナー』の著者は我々には未知のソースを知っていた可能性があること,等を指摘した.
  • 藤本 有美
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1116-1121
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Vyavaharabhasya第一章には三種類のalocanaが取りあげられ,その中,upasampadalocanaは同章(通し番号)244-302に説明されている.uvasampayaは,1.入門に来た僧の告白(alocana)と先生の質問,出発と到着に関して問題点がないかどうかの確認,2.三日間の観察,3.入門の成立,からなる.(1)入門に来た僧は,過失がなければ到着したその日に,過失があれば数日以内に詳細に告白を行う.告白は,mulaguna(5つの基本的徳目)とuttaraguna(10の補足的徳目)についてである.先生も,彼に問いかけをし,弟子として受け入れる.その際,前のガナの不満を言う等の問題点がある場合には,受け入れられない.(2)受け入れの後,三日間,先生と受け入れられた僧とは互いを,日常儀礼(avasyaka)などや食事,言動などの点から観察する.もし弟子に不適切な振る舞いが見られたら,先生はその弟子を注意し,促す.彼がきちんと振舞う場合に,入門が成立する.(3)入門し,受け入れられた後の告白も,同様に,mulagunaとuttaragunaについて行われる.弟子は先生に告白した後,自分を注意し,守り,促すように求める.先生も彼にそのようにするという宣言をする.この他,問題点のある僧を阻むための方法,入門の目的と期間についても説明されている.
  • ――古代インドの物質概念の一考察――
    三浦 宏文
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1122-1126
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿では,インド思想史上実在論学派とされているヴァイシェーシカ学派(Vaisesika)の<色(rupa)>と<有形性(murtatva)>という概念を中心に,同学派の物質概念を検討した.<色>は,実体に属する属性であり,目による認識を可能にさせる概念である.この説は,『ヴァイシェーシカ・スートラ』と『勝宗十句義論』に共通しており,後代のニヤーヤ・ヴァイシェーシカ融合学派にも受け継がれた.しかし,『ヴァイシェーシカ・スートラ』までは運動の認識を可能にさせる<色>の記述があったが,『勝宗十句義論』以降その記述は無くなってしまった.その一方で,<有形性>は『ヴァイシェーシカ・スートラ』には全く出てこなかったが,『勝宗十句義論』や『プラシャスタパーダ・バーシュヤ』で重要な運動の要因として使用されるようになってきた.では,なぜこのような運動に関する<色>の記述がなくなり,色のみの意味で使用されるようになったのだろうか.それは,風と意識の運動の問題があると考えられる.風は,色を持たないので色の運動は目で見ることが出来ない.意識は微細なため,やはり目で見ることが出来ない.したがって,風と意識の共通の運動の要因が必要とされ,それが<有形性>だったのである.以上のことから,運動に関連して<色>の概念の変化が,新しい概念である<有形性>の登場と同時に起こってきたということが結論づけられる.
  • 近藤 隼人
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1127-1131
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Isvarakrsna(4-5世紀)の著した古典サーンキヤ体系綱要書Samkhyakarika(SK)では知覚(drsta)が"prativisayadhyavasaya"(SK5a)と定義されており,この知覚定義の解釈をめぐってSKに対する注釈書であるYuktidipika(ca.680-720,YD)とVacaspatimisra(10世紀)のSamkhyatattvakaumudi(STK)は多くの点で共通した見解を示している.両書とも"prativisayadhyavasaya"を"visayam visayam prati vartate"(各々の対象ごとに作用する)と解釈して「感覚器官」(indriya)と同置し,さらにまた翳質(tamas)が制圧されて純質(sattva)が優勢であるときに知覚が起こるとする点も共通している.そして,知覚定義における各語の存在意義に関しても同様の見解を示している.すなわち,"prati"は感覚器官と対象との接触(sannikarsa)を意味するため,"(prati)visaya"は疑惑知(sandeha/samsaya)を知覚から排除するため,"visaya"は非存在のものを知覚対象から排除するために用いられているとYDとSTKは見なしている.これらの点に加えて,認識結果(pramana-phala)を「認識手段(pramana)による<精神性たる能力>に対する裨益」(cetanasakter anugrahah)と見なしている点も共通している.しかし,ヨーガ行者の認識に関しては.YDが半ば強引な形で知覚に含めるのに対し,STKはその存在を認めつつもプラマーナの文脈で考察することを意図的に避けている.以上の点に加え,如上の見解が,現存する他のサーンキヤ文献に見受けられないという事実も勘案すれば,STKはYDの所説に単に追従するだけではなく,それを批判的に扱った上で発展的に継承していったのではないかという可能性が指摘されうる.
  • 岩崎 陽一
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1132-1136
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ミーマーンサー学派の文意認識理論では,文は,その構成要素が期待(akanksa),近接(sannidhi),適合性(yogyata)という3要素を有してはじめて聞き手に文意認識をもたらすとされる.一方,後代の新ニヤーヤ学派の一派は,文意認識の成立には,これら3要素に<話し手の意図(tatparya)>を加えた4要素を聞き手が認識する必要があるとする.この4要素説の支持者のひとりとしてガンゲーシャの名が挙げられることがあるが,その根拠は充分に検討されていない.本稿はガングーシャの言語理論におけるtatparyaの位置づけを検討するひとつの手がかりとして,Tattvacintamani(TC)第4巻のTatparyavada章をいかなる文脈において解釈すべきかという問題を論じる.同章の内容を精査すると,Nyayakusumanjali(NKus)におけるウダヤナのtatparya論との強い類似性を確認できる.すなわち,ガングゲーシャの議論にはNKusの議論の借用と考えられる箇所が多く見られ,またtatparya論の結論によってヴェーダが作者を有することを論証するという点もNKusの議論と一致している.この類似性はTatacharya氏によって既に指摘されているが,本稿ではそれを文献に基づいて裏付けると共に,ガンゲーシャがウダヤナと異なる結論を採用していることを指摘し,またその差異は両者の見解の本質的な相違を意味するものではないと論じた.TCのTatparyavada章は文意認識成立に関する上述の3要素を検討する章の直後に置かれているが,上記の類似性に着目すれば,同章を文意認識理論の文脈においてではなく,或いは文意認識理論の文脈に加え,NKusのtatparya論と同様,聖典論の文脈において理解することも正当性を持ってくるだろう.ただし,ガンゲーシャの理論体系におけるtatparyaの位置付けを明らかにするには,彼がtatparyaを体系的に論じるもうひとつの箇所,TC第4巻Sabdapramanya章の記述を併せて検討する必要がある.この箇所にはTCの他の論述と矛盾する点が見られ,より緻密な分析が求められるため,この検討は今後の課題とした.
  • ――分類の試み――
    松村 淳子
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1137-1146
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    燃燈仏授記物語は,釈迦仏が過去世において仏陀になりたいと誓願を発し,燃燈仏からその成就を予言される物語で,初期仏教の悟りの理想から大乗仏教的な菩薩行重視への転換点を画する重要な物語である.筆者は,すでにパーリ仏教文献中の燃燈仏授記物語(スメーダ・カター)を総括し,Apadanaには明らかに北伝文献とのつながりが見られることを指摘したが,北伝仏教資料では伝承数が多く,物語のプロットも様々で複雑であり,これらを整理する試みは成功しているとは言い難い.本論文では,北伝資料中,物語の基本的プロットを含んでいるものを改めて列挙し,それらを菩薩の名前(名前がないもの,Meghaとするもの,Sumatiとするもの)によって3種類に分類し,さらにプロットの最初の要素である,燃燈仏の出生・成道・王都の訪問の部分を比較した.結果として,菩薩の名前の違う伝承では,プロットの内容もそれぞれ異なって対応していることが確認できた.また,これまでの研究で見過ごされていた『大寶積經』中の「菩薩蔵會」の燃燈仏物語を取り上げ,玄奘訳と宋の法護訳,ならびにチベット語訳を比較し,チベット語訳が法護訳に近いが,法護が原文をどのように誤解して訳したかについても解明した.
  • ――商人航海譚・燃燈仏授記を中心に――
    山崎 一穂
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1147-1152
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本論文では,クシェーメーンドラの仏教説話集Bodhisattvavadanakalpalata第89章所収の説話Dharmarucyavadanaを取り上げ,Divyavadana(Divy),Mahavastu(Mvu)等に存する並行話と内容比較することにより,その源泉資料の解明を試みた.尚,当該章の後半部をなす「三無間業物語」についてはSilk[2008]による研究があり,該当部はDivyの伝承を基に著されたことが明らかにされている.従って本論文では考察対象を前半部の「商人航海譚」「燃燈仏授記」に限定して論考を進めた.クシェーメーンドラ本は細部にわたってDivyの所伝と合致し,クシェーメーンドラの用いた種本が現行のDivyの所伝とほぼ同形のものであったことが推定される.これに対しクシェーメーンドラが物語を著すに当たり,Mvu等に見られる並行伝本を参照していた,或いは彼の用いた種本にそれらの要素が含まれていた可能性は低い.無論クシェーメーンドラ本とDivy本との間に相違点も見られるが,これは太陽の数の相違や固有名詞の付加といったものにほぼ限定されている.以上から,クシェーメーンドラは当該章で種本の物語を忠実に伝える一方,太陽の数の改変によりヒンドゥー教の一般読者層を意識し,人物名を与えることで登場人物の性格や特徴を間接的に示すなど,細かい点で物語の完成度を高めようとしていたことが指摘され得る.
  • ――ガンダーラ有部の研究を通して――
    石田 一裕
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1153-1157
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    経量部についての研究はこれまで順調に進み,近年は初期瑜伽行派と経量部の関係が論じられるに至っているが,未だその全貌が明確になったとは言い難い状況である.そこで筆者は,本稿において経量部について従来とは異なる視点を提供することを目指した.経量部は,称友疏によって「経を量とし論を量としない人々,これが経量部である」と定義されるが,これは『倶舎論』世品の「我々は経を量とし,論を量とするものではない」という一文を起源とするものと考えられている.またこの一文がシュリータータに帰されるべきものであることもこれまでの研究で明らかにされた.しかし,経量部の定義の祖形ともいうべき後者の一文と類似する文言が,『倶舎論』智品に見出されることはそれほど注意が向けられていない.この一文は「たとえ論に違背しても経に違背しない方が優るのである」というものであり,論書よりも経典を重要視しているという点において,世品の記述と同じ思想背景を有していると考えられるのである.実は,この一文はガンダーラ有部の立場を示したものであり,『大毘婆沙論』から『倶舎論』に引き継がれたカシミール有部とガンダーラ有部との論争に現れるものである.それゆえガンダーラ有部と経量部は同一の思想背景をもつと考えられ,筆者はさらに経量部をガンダーラ有部の一派だと推測している.そしてこの視点を確保することで,これまで進められてきた経量部の起源に関する研究に新たな視座が開けると考えられるのだ.すなわち経量部の起源の候補である譬喩師や初期瑜伽行派がガンダーラという地に展開した学派であり,経量部は時にそれらの諸学派から学説を吸収し,また時にオリジナルの学説を生み出したのではなかろうか,というような推測が成立するのである.つまりこのように考えることで,経量部説のすべてを譬喩師や初期瑜伽行派にのみ帰する必要がなくなり,より建設的な議論が可能になるのである.本稿ではその第一歩として,経量部とガンダーラ有部の経重視の姿勢を考察し,経量部の定義およびその祖形と,ガンダーラ有部の立場との類似が見逃せないものであることを指摘した.
  • ――経文改変とその意図――
    庄司 史生
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1158-1163
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    『八千頌般若経』(以下『八千頌』)には梵・蔵・漢にわたる文献が多数現存している.なかでもそのチベット語訳には全く同じ経題をもちながら,二種類の系統が現存しており,これは大乗経典編纂の過程を探るためにも貴重な資料となるものといえる.二種の系統の中,より古形を保持しているものがロンドン写本,東京写本,プダク写本三本中の一つ,そして東洋文庫所蔵・河口慧海請来の蔵外文献に属する紺紙金泥写本(Recension A=ASPA)である.この他の北京,チョネ,ナルタン,デルゲ,ラサ版,そしてトクパレス写本,残りのプダク写本二本(Recension B=ASPB)はその内容に『現観荘厳論』(以下『現観』)からの影響がみられ,また現存ネパール系の梵語写本と近似している.本稿では『八千頌』において「大乗」が説示される箇所に関して,二系統のチベット語訳『八千頌』による比較,また注釈者の解釈を参照することで同箇所における経文の改変と,その経緯を明らかにすることを目的とし,このことは大乗経典編纂の一事例を提供することも視野に入れるものである.二系統間における「大乗」の説示の異同調査の結果を踏まえてHaribhadra(D3791;P5189),Ratnakarasanti(D3803;P5200),Abhayakaragupta(D3805;P5202)の注釈を参照すると,三者ともASPBに依拠し,また同箇所の解釈についてArya-Vimuktisena(D3787;P5185)の注釈を基本としている.またBhagavatyamnayanusarini(D3811;P5209)は経文改変とその意図について言及している.つまり,より新形のASPBには『現観』との結びつきを意図して経文が付加されていることを記している.
  • Pannaloka DENIYAYE
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1164-1168
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    2009年に北京大学の梵文写本仏教文献研究所(Research Institute of Sanskrit Manuscripts and Buddhist Literature)から「十万頌般若経」写本(「ラサ写本」と略記)がインターネットで公開された.この「ラサ写本」と九州大学にある「九大写本」が現存する「十万頌般若経」第二部(dvitiyakhanda)の貝葉写本である.現在,梵文「十万頌般若経」校訂版としては,2009年から出版されている木村高尉校訂版(Satasahasrika Prajnaparamita II-1,II-2,II-3)は主に十九世紀以降のネパールの紙写本に基づいているように見られる.上記の二つの貝葉写本を比較して見るとラサ写本は短いが正確で読み易い写本である.ラサ写本は「十万頌般若経」の第十二章から第十六章の途中までに相当する.それは「十万頌般若経」第二部の3分の1ぐらいの長さである.「須菩提品」や「天王品」が含むこの巻は玄奘訳般若波羅蜜多経初会の「無所得品」(T5,305b)から「求般若品」(521a)の部分に一致すると見られる.九大写本では貝葉が欠けている部分が多くあり,ラサ写本では葉の順序の間違いが少しある.ラサ写本の文字は紀元11世紀から13世紀頃のProto-Bengali-cum-Proto-Maithili文字に近い.写本冒頭の礼拝文である「namah sri candamaharosanaya」は初期大乗経典の写本には珍しく,ラサ写本が作成された時代を探る大きな手掛かりとなろう.本文の中で幾つかの具体例を挙げて説明しているように,ラサ写本と九大写本をネパール紙写本と比較して見ると貝葉写本二本は正しい読みを保ち漢訳やチベット訳とも良く合っている.ラサ写本には九大写本よりも正しい読みがを示すことがあり後者の欠けている貝葉も全て残されている.ラサ写本は今後の「十万頌般若経」の文献学的研究において今まで発見された写本の中でも特に優れた役割を果たすであろうと考えられる.
  • 望月 海慧
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1169-1177
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    法華経は,東アジア仏教において最もよく読まれ経典の一つであるのに対して,インド仏教思想史における法華経の位置づけは十分に解明されていない.そこでインド仏教の諸論書における法華経の引用と同経に対する言及を分析すると,次のようにまとめることができる.インド仏教において最古の法華経への言及はNagarjunaの『菩提資糧論』における声聞授記のコンテキストに見られる.また同じ著者に帰されるSutrasamuccayaにおいても一乗を説く経典として法華経が引用されている.この認識がインド仏教思想史における法華経に対する最初のメルクマールとなった.続くBhavya,Candrakirti,Jnanagarbha,Kamalasilaらの中観派文献においてもこの認識に基づいて,法華経が言及されている.特にKamalasilaは一乗真実説に基づいて瑜伽行派の三乗真実説を批判する.ただしSantidevaのSiksasamuccayaは一乗思想に限定せずに同経を引用し,それは同じアンソロジー文献であるDipamkarasrijnanaのMahasutrasamuccayaにおいても踏襲される.瑜伽行唯識派文献では,MahayanasamgrahaやMahayanasutralamkaraにおいて一乗思想に関する言及を見ることができるものの,三乗真実説のコンテキストにおいて言及されるものである.すなわち同経は意趣をもつものと理解されており,Sthiramatiに至るまで,同派においては法華経を含めた一乗思想は積極的に受け入れられるものではなかったと言える.ただしRatnagotravibhagaにおいては,異なるコンテキストでの言及である.アビサマヤ文献では,法華経に対する態度は一様ではない.Arya-Vimuktisena,Haribhadra,Abhayakaraguptaなどの中観系の注釈書においては,声聞授記・一乗のコンテキストにおいて言及される.特にHarubhadraは,Kamalasilaと同様に,瑜伽行派の三乗真実説に対する批判として法華経に言及している.その一方で,Dharmamitraは法華経を引用するものの,一乗や声聞授記に対する言及はない.このようにアビサマヤ文献においては,その注釈者の思想的位置により異なる読み方がなされている.
  • ――はじまりのはなし――
    鈴木 隆泰
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1178-1186
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    筆者はこれまで,『金光明経(Suvarna[-pra-]bhasottamasutrendraraja)』の制作意図に関して以下の<仮説>を提示してきた.・大乗仏教徒の生き残り策としての経典:『金光明経』に見られる,従来の仏典では余り一般的ではなかった諸特徴は,仏教に比べてヒンドゥーの勢力がますます強くなるグプタ期以降のインドの社会状況の中で,余所ですでに説かれている様々な教説を集め,仏教の価値や有用性や完備性をアピールすることで,インド宗教界に生き残ってブッダに由来する法を伝えながら自らの修行を続けていこうとした,大乗仏教徒の生き残り策のあらわれである.・一貫した編集意図,方針:『金光明経』の制作意図の一つが上記の「試み」にあるとするならば,多段階に渡る発展を通して『金光明経』制作者の意図は一貫していた.・蒐集の理由,意味:『金光明経』は様々な教義や儀礼の雑多な寄せ集めなどではなく,『金光明経』では様々な教義や儀礼に関する記述・情報を蒐集すること自体に意味があった.本稿では『金光明経』全体の「発端」である第1章「序品(Nidana-parivarta)」に焦点を当て,『金光明経』の持つ諸特徴がすでに「序品」から表れていることの確認と考察を通じて<仮説>の検証を続けた.また,曇無讖訳(Suv_<C1>)・現行梵本(Suv_s)・チベット訳1(Suv_<T1>)に比べ,チベット訳2(Suv_<T2>)・義浄訳(Suv_<C3>)は大幅な増広を受けており,分量が倍増している.本研究は増広箇所の出典の特定と,増広理由についても探った.その結果,「仏教が斜陽となる中,仏教の存続に危機感を抱いた一部の出家者たちは,在家者から経済的支援を得てインド宗教界に踏みとどまり,仏教の伝承と実践という義務を果たすため,『金光明経』を制作した.彼らは『金光明経』の価値や有用性や完備性をアピールするため,適宜『金光明経』を増広発展させていったが,彼らの制作意図は,経典の冒頭に増広以前より配置された「序品第一」に明示されていた.そして「序品第一」の増広に際しては,「『金光明経』の完備性のアピール」のため「経典として,より体裁を整える」ことに主眼が置かれた.その出典・題材は,後続する「如来寿量品第二」の増広の際にも参照した『大雲経』であった」という結論を得たことで,所期の目的を達成した.
  • 熊谷 誠慈
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1187-1191
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    勝義諦と世俗諦からなる二諦説は仏教では大変重要視された.中観派においては,バーヴイヴェーカあたりの時代から精密な分析が行われ,二諦の細分化が行われ始めた.従来の研究においては,無戯論たる"一義的勝義"と有戯論たる"二義的勝義"という二種の勝義を設定し,バーヴイヴェーカ勝義説を二元的に理解する傾向があった.確かに後代のインドでは,無戯論たる"非異門勝義"(aparyaya-paramartha)と有戯論たる"異門勝義"(paryaya-paramartha)という二種に勝義を区分するようになる.さらに,この二元的な勝義区分はチベット仏教やボン教にまで流入し,影響を与えていった.しかし,バーヴイヅェーカの勝義区分は,無戯論・有戯論という二元的な区分だけでは説明が不十分であると思われる.そこで,本稿ではバーヴイヴェーカの勝義区分を再整理する.バーヴィヴェーカはTJの中で,以下の勝義区分を行い,3つのレベルの勝義を設定する.なお,無戯論・有戯論の勝義区分はbahuvrihiの勝義についてなされるにすぎない.[table]バーヴィヴェーカはPPrにおいても3つのレベルの勝義を列挙しており,アヴァローキタヴラタによる注釈PPTも,TJと同じ構造で勝義区分を行っている.前述の通り,後代のインド中観派は無戯論・有戯論での勝義区分を重視した.現代の学者もそれに従い,バーヴィヴェーカの勝義区分までも二義的な観点から解釈しようとする傾向があるが,バーヴイヴェーカ自身は全体的には三義の勝義を提示しているという事実を抑えておく必要がある.
  • 田村 昌己
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1192-1197
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿は,中観派の学匠バーヴイヴェーカ(ca.490-570)の主著『中観心論』第5章第60偈から第68偈に見られる瑜伽行派のアポーハ論批判を考察するものである.『中観心論』第5章は,瑜伽行派の空性理解即ち「所取・能取は実在しない」(二取空)という空性理解を批判するための章である.瑜伽行派によれば,所取・能取といった形で我々に経験される事物は言葉や概念を通じて構想されたものに他ならず,ただ名のみのもの(abhilapamatra)に過ぎない.それ故に,彼らは「諸法は言語表現されうる本質を欠く」(abhilapyatmasunyatva)という意味でも空性を理解する.バーヴイヴェーカは,アポーハ論を「諸法は言語表現されうる本質を欠く」という空性理解を説明するための瑜伽行派の言語理論と見なしている.彼はanyapohaを一種の普遍(samanya)として捉えた上で,瑜伽行派の主張を「anyapohaという普遍が言葉の対象(abhilapya)である」という形で提示し批判する.彼は批判に際して次のような自身の見解を前提としている.すなわち,言葉の対象は普遍に限定された事物(samanyavad vastu)であり,その普遍とは<異種のものではないこと>(vijatiyenasunyatva)である.さらに,その普遍とそれを有する事物は存在論的に不異である(na prthak)から,その普遍もまた言葉の対象と見なしうる.そして,普遍に限定された事物とその普遍は世俗のレベルで実在するものである.このような前提に基づき,バーヴイヴェーカは以下の点を指摘してanyapohaが言葉の対象ではあり得ないことを示す.(1)特殊(visesa)と同様,牛xを限定するanyapoha1と牛yを限定するanyapoha2は異なる.それ故に,anyapohaは普遍ではありえない.(2)anyapohaは非存在(abhava)即ち他者の非存在,他者との差異である.非存在は自性を持たないが故に非実在である.その場合,喉袋を限定するanyapoha1と尾を限定するanyapoha2は実在せず区別し得ないから,喉袋と尾が同一のものと見なされてしまう.(3)anyapohaはそれが限定する事物と別個であるが故に言葉の対象ではあり得ない.バーヴイヴェーカは瑜伽行派のアポーハ論を批判することを通じて彼らの空性理解を批判する.彼にとって,言葉の世界は世俗的な実在性を持たなければならないのである.
  • 本村 耐樹
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1198-1204
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    筆者はこれまでに『大乗荘厳経論』(Mahayanasutralamkara)「述求品」(Dharmaparyestyadhikara)の一部が『瑜伽師地論』(Yogacarabhumi)の『菩薩地』(Bodhisattvabhumi)「真実義品」(Tattvarthapatala)の構成と類似していることを指摘した.今回はそれら両論の類似性を手がかりに,『大乗荘厳経論』に説かれる意言(manojalpa)について考察する.意言についての記述は『摂大乗論』(Mahayanasamgraha)においても見られる.そこでの意言は悟りを得るための基盤・手段として重要な役割を与えられ,それは仏陀や大乗の教えを聞くことによる熏習を原因として生じるものとされている.一方,『大乗荘厳経論』の意言は,不浄観というヨーガの実践の文脈において説かれているようである.すなわち,意言は不浄観における骨や皮等として顕現するイメージの原因とされている.この『大乗荘厳経論』に説かれる意言の概念を『菩薩地』「真実義品」に見られるvastuの理論と関連させるとき,意言はvastuのような外界対象に関する理論とヨーガの実践理論を媒介させる重要な位置付けにあることが明らかとなる.そしてこの意言の概念がさらに展開し,虚妄分別やアーラヤ識の理論が形成されていったとも考えられるのである.本稿では『大乗荘厳経論』に見られる意言が瑜伽行派の思想史において重要な役割を果たしていることを明らかにする.
  • ―― Mahayanasutralamkarabhasya ad Mahayanasutralamkara XVIII 92-95を中心として――
    岸 清香
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1205-1211
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    『大乗荘厳経論』世親釈(Mahayanasutralamkarabhasya,MSABh)の多くの章は,論じられる項目ごとに,『瑜伽師地論』本地分「菩薩地」(Bodhisattvabhumi,BBh)と対応することが知られる.それゆえ,MSAは基本的に,BBhに依拠して作成されたと考えられる.しかし,MSA XVIII 82-103の所説は,BBh XVIIに対応する箇所が見あたらない.なお内容面についても,岩本[1997][2000]は瑜伽行派特有のものではなく,アビダルマ的であると指摘する.しかし近年,Kritzer[2005]等の研究から,『阿毘達磨倶舎論』(Abhidharmakosabhasya,AKBh)の所説が,『瑜伽師地論』(Yogacarabhumi,YBh)本地分中の内容と類似するものであることが明らかにされた.またMSABh ad MSA XVIII92-103に見られる経典引用のいくつかは,同様のものがAKBh IX「破我品」や,YBh本地分中にも引用されており,従ってYBh本地分からMSABh,AKBhの所説への影響関係が予想される.本論文は,先行研究の成果を踏まえ,MSABh ad MSA XVIII 92-95に展開されるプドガラ論者批判の内容分析,並びにAKBh IX「破我品」犢子部説批判,及びYBh本地分「計我論」との比較検討を行う.これら諸論書の内容の親近性を考究することで,MSABh ad MSA XVIII 92-95において批判対象とされるプドガラ論者が何者であるのかを明らかにすることを目的とする.MSABh ad MSA XVIII 92-93では以下の三点が論じられる.1)「プドガラは五蘊にのみ仮設される」という立論者の見解,2)プドガラと五蘊の関係,3)プドガラの実在性批判,である.これらは,AKBhやYBhにおいても論じられる項目である.従って,諸論書間の思想的共通性と.YBh本地分からMSABh,AKBhへの思想展開が想定されうる.しかし,MSABh ad MSA XVIII 94-95は,火と薪の喩えを用いてプドガラと五蘊の関係を論じる対論者を批判対象とするが,これと同様の議論は,AKBhIX「破我品」の方にのみ見られる.これはMSABhとAKBhとの親近性を示す証左といえる.このように,AKBh IX「破我品」犢子部説批判の議論展開や思想内容との共通性から,MSABh ad MSA XVIII 92-95におけるプドガラ論者とは,犢子部であると考えられる.
  • 松田 訓典
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1212-1218
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    周知のように,parikalpa(遍計,能遍計)は瑜伽行派の思想体系において,parikalpita,abhutaparikalpaに代表されるように,非常に重要な役割を果たす概念である.しかしながら,parikalpa自体の内容や瑜伽行派の教理体系における位置づけ,vikalpaとの関係等々,個々の文献に跡付けられた形で明確にされているとはいいがたいように思われる.もちろん一般的にいってしまえば,例えばparikalpaはほとんどの場合存在しない対象を想定することを指し,実際そのように解釈することで問題が起こるようなことはまずないであろうが,やはり文献的に跡付け,改めてそれが果たす意味を個々に確定していく作業は重要であろうと思われる.本論文では,その手始めとして,このparikalpaについて,Mahayanasamgraha(MS)およびその注釈であるMahayanasamgrahopanibandhana(MSU),特にII.16の記述を手がかりとし,以下の点を指摘した.MSは^*parikalpaを意識と位置づけているが,これは当該部分とパラレルであると見なしうるMS II.2において提示されたアーラヤ識と表識のそもそもの関係に根ざしたものであると考えられる.そしてその根拠として<分別(^*vikalpa)をもっていること>を挙げているが,これはアビダルマにおける分別と意識の関係を踏まえた上で,特に表識の中でも概念的機能を担いうる意識に対応づけようとしたことが窺える.
  • ――世親にとっての経量部の一考察――
    堀内 俊郎
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1219-1225
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    世親にとっての経量部を考える際,注釈者や衆賢の記述に頼るのではなく,世親自身が経量部説と明示している説に焦点を絞ることも,一つの穏当な方法であろう.その場合,『倶舎論』に登場する十七(あるいは十六)の経量部説のうち,およそ十までが有部の実有説に対する批判であることが注目される.その実有説批判,特に,命根と衆同分か実有であることの批判は,アーラヤ識の存在論証において重要な意味を持つことが,『成業論』『縁起経釈論』の記述により,知られる.更に言えば,後代のアビダルマ文献は,アーラヤ識の存在論証に用いられるのと類似の論法も用いて,命根と衆同分の実有を主張している.また,『倶舎論』以降で世親が経量部の名を出すのは『成業論』においてのみであるが,周知のように,その文脈は,アーラヤ識を導入するというものである.以上のことからすれば,世親にとっての経量部説は,実有説批判を介して,アーラヤ識の導入へ導くという意義を持ったのではないかと考えられる.
  • 金菱 哲宏
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1226-1230
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿では『唯識三十論』にみられるvasanaの分析を行い,Sthiramatiがこの概念をどのように用いているのか,その用語法を整理した.このテキストには主に三箇所,vasanaが主体的に言及されていた.それをまとめると以下のようになる.1)TrBh 19:業のvasanaはアーラヤ識を生み出すというのがその働きであったが,それ自身ではその働きを発揮することはなく,認識に関わるものである二取のvasanaの助力を得てはじめてアーラヤ識を生み出すことになるのである.2)TrBh 1:異熟のvasanaは,アーラヤ識を生み出すという点で,TrBh19での業のvasanaと同じ働きをしている.等流のvasanaは染汚意と転識を生み出す素材となるという実体的な側面を担いつつも,そこから生じた染汚意・転識が異熟のvasana・等流のvasanaをさらに生み出すことで次なる識転変を起こすことにつながるという点では,二取のvasanaのように動因としての働きを持っている.3)TrBh 3ab:「構想された自性に対する執着」のvasana,そして「自我などの分別」,「色などの諸法の分別」のvasanaが執受と言われている.このvasanaはそこから新たな識が生まれるという働きをもつというようには説明されておらず,純粋に認識に関わるものとして記述されている.以上に確認してきたTrBhにおけるvasana群は二つのタイプに分類することができる.すなわち(1)仮説や認識の起こる場としてのアーラヤ識・染汚意・転識を生み出す(素材となる)働きを持つvasana,(2)自己や世界に対して誤った認識をし,そしてその誤った認識に執着することから生じるvasanaの二つである.
  • 松岡 寛子
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1231-1236
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    シャーンタラクシタは『タットヴァ・サングラハ』「外界対象の検討」章kk.66-67(TS_B 2029-2030)において無形象知識論を批判する際,ダルマキールティが認識対象とその認識との不異性(abheda)を証明するために用いた「必ず一緒に認識されること」(sahopalambhaniyama,PVin I.54ab)を証因とする論証を援引する.当該偈頌の解釈に際し,MATSUMOTO 1980はk.66dの接続詞vaはabhedaの二種の否定,即ち名辞の否定(paryudasa)と命題の否定(prasajyapratisedha)がシャーンタラクシタによって意図されており,それぞれ同一性,単なる差異の否定を示すとする.のみならず,前者を第一の喩例「青の知自身の本質〔と青の知〕のように」,後者を第二の喩例「第二の月〔と第一の月〕のように」に対応するものと解釈する.このような解釈は,PVin I.54abのabhedaがいずれの否定として解されるのかという点に議論の関心を寄せるダルモーツッラや後代の注釈家らの傾向に影響を受けている.しかし,シャーンタラクシタの意図を最も汲むべきは,彼らではなく,直弟たるカマラシーラであろう.本論考は,カマラシーラが同偈頌をどのように理解したのか,その解釈を新たな校訂テクストに基づいて検討することを目的とする.結果,カマラシーラによれば,接続詞vaは二種の否定を意図するためではなく,認識されるべき二者間の双方向的な(paraspara)無区別性即ち同一性を示すために用いられていることが明らかになった.また,第二の喩例に関して,カマラシーラは,錯誤知に顕現する二つの月,即ち第一の月の形象と第一の月の形象とが相互に異ならないことの根拠を,形象が知から区別されないことに求める.この第二の喩例におけるabhedaは名辞の否定に分類されることになるため,名辞の否定が第一の喩例に,命題の否定が第二の喩例にそれぞれ対応するという解釈が成立しないこともまた明らかである.
  • 桂 紹隆
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1237-1244
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本報告において,以下の3点を報告した.(1)今日までのジネードラブッディの『集量論複注』梵語写本研究成果の紹介.特に,オーストリア科学アカデミーのチームが第一章を既に校訂出版したこと,第二章の校訂を終えて,出版間近であること,第五章の校訂にもっか取り組んでいることを述べた.桂を中心とする日本チームは第三章の校訂をもう少しで終え,その後は第四章,第六章の校訂に進むことを述べた.(2)第三章の『集量論偈』の梵語校訂テキストは2008年北京蔵学研究中心で開催された学会のプロシーディングスに第1偈から第31偈までを公表しているので,第32偈から第43偈まで,『論軌』・ニヤーヤ・ヴァイシェーシカの「証因」論批判部分の梵語校訂テキストを提示した.約80パーセントの原文が回収できた.(3)上記の箇所に見出される『論軌』・ニヤーヤ・ヴァイシェーシカのテキスト断片を紹介し,その問題点を論じた.
  • 野武 美弥子
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1245-1250
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    DharmakirtiはPramanavarttika第3章冒頭の63偈において,対象が2種であるがゆえに認識手段は2種である,というDignagaの宣言を取り上げ,自身の解釈を示している.彼はその中,初めの54偈を費やし,独自相(svalaksana)と一般相(samanyalaksana)の区別について論じる.彼はまず,両対象を区別する4種の基準を論の冒頭に掲げる.そしてその後,一般相の非実在性を第11偈から50偈にわたって論じ,最後に,独自相のみが唯一の存在であると結論づける.本稿は,この中,一般相を議論する第11偈から第50偈を取り上げ,2種の対象の区別を論じる文脈における,その意義を考察する.まずは,一般相の諸性質の中,特にどの点をDharmakirtiは問題とし論じようとしたのか,ということを見極めるために,議論の構成を検討する.そして結論として,この議論は,2種の対象を区別する4つの基準に沿って進められていることを示す.その上で,一般相の議論は同時に,普遍(samanya)実在論に対する批判でもあるという点に注目し,普遍実在論批判という視点から,第11偈から50偈の議論を検討する.この考察を通し,最後に,この箇所における一般相の議論は,2種の対象の区別に関する論を補強し,より明確にするという役割を担っていると考えることができることを指摘する.
  • ――ディグナーガとダルマキールティの相違点――
    三代 舞
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1251-1255
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿は,仏教論理学派の論師であるディグナーガ(Dignaga)とダルマキールティ(Dharmakirti)の両者が唯識的立場から主張する,認識根拠(pramana)としての能取形相(grahakakara)に関する考察である.両者の間には,能取形相の理解に相違があり,その違いは,認識結果(pramanaphala)である自己認識(svasamvedana)をどのようなものとして捉えるかということと関わっている.まず,ディグナーガは,識が自己顕現(svabhasa)と対象顕現(visayabhasa)という二つの顕現をもって生じること(=識の二相性)に基づいて自己認識を説明し,その一方である自己顕現すなわち能取形相を認識根拠と見なす.一方ダルマキールティは,そのような識の二相性を前提とするのではなく,「自ら顕照する」という新しい形で自己認識を規定している.日常的な知覚に即した形で説明する場合には,ディグナーガと類似する対象形相と対比的に扱われるような能取形相の理解が示されるが,「自ら顕照する」という認識の本性に即した形で説明する場合には,能取形相は識別を本性とすること(paricchedatmata),さらに,自己認識の能力をもつこと(svatmasamvidi yogya[ta]]と言い換えられ,対象形相との対比的関係が解消される.
  • 小林 久泰
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1256-1261
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ダルマキールティが提示するプラマーナ論の特徴は,認識の妥当性をその後に起こる行為の成否によって判断している点にある.しかし仏教の刹那滅理論に従えば,現在時の認識の対象は,その認識によって引き起こされた行動の対象とは異なるはずである.では何故,対象間に時間的ギャップがあるにもかかわらず,ある認識の妥当性をその認識の後に起こる対象獲得経験によって確定することができるのか.この時間的ギャップの問題に対して,ダルモーッタラとプラジュニャーカラグプタは全く異なる解決策を提示している.ダルモーッタラは,正しい認識の対象を直接的認識対象(grahya)と間接的認識対象(adhyavaseya)とに分け,認識の対象と行動の対象をそれぞれ別個なものとみなす.これに対して,プラジュニャーカラグプタは,認識の対象と行動の対象を全く同一なものと考え,現時点で存在する対象を捉えると考えられている認識を誤ったものとみなすことで問題の解決を図っている.プラジュニャーカラグプタによれば,知覚も推理も,未来時に存在する行動の対象をその通りに捉えていない点で,錯誤知に他ならない.しかし,それらの認識の妥当性は,対象獲得に関して我々の期待を裏切らないことによって保証されるのである.彼のこのような考え方は,推理の妥当性を保証するためにダルマキールティが述べた論理を正しい認識一般に拡大させたものである.
  • ―― Damstrasenaに帰せられる『般若経』註釈と関連して――
    中村 法道
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1262-1266
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Abhisamayalamkaraは,『般若経』の意味内容を修道論の立場から要約した論書であるとされる.インド撰述の現存する21の注釈書に加え,Abhisamayalamkaraに対する注釈書としてAsafigaはTattvaviniscayaをVasubandhuはPaddhatiを著したとHaribhadra著Abhisamayalamkaralokaに伝承されるが,大蔵経の中には確認出来ない.2つのBrhattika(^*Satasahasrikaprajnaparamitabrhattikaと^*Aryasatasahasrikapancavimsatisahasrikastadasasahasrikaprajnaparamitabrhattika)は,3つの教門と11の教説を通して註解する別形式の『般若経』注釈書である.チベット撰述の資料ではBrhattikaがVasubandhu著Paddhatiに相当するという説が存在する.E.Obermiller氏・磯田煕文氏・谷口富士夫氏により,Brhattikaの著者性に関してTshong kha pa Blo bzang grags pa等による議論が触れられているが,インド撰述の資料からの検証は殆ど試みられていない.また,どちらのBrhattikaをVasubandhu作或いはDamstrasena作としているのかが明確にされていない.本研究の目的は,Tattvaviniscaya・Paddhati・2つのBrhattikaに関して,dKar chag IDan dkar ma・dKar chag 'Phang thang ma・Ar Byang chub ye shes・bCom ldan rig ral・Bu ston Rin chen grub・Tshong kha pa Bio bzang grags paによる記述を纏め,BrhattikaがPaddhatiに相当しないというTshong kha paの論証をインド撰述の資料から検証することである.どちらかのBrhattikaをVasubanbhu或いはDamstrasenaに直接帰する伝承は,インド撰述の資料には見られず,チベット撰述の資料で初めて見受けられる.Tshong kha paの論証は,その根拠をインド撰述の資料から確認出来ず,不確実な印象を抱かせる.
  • ―― 『仏説大安般守意経』を例として――
    洪 鴻榮
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1267-1271
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    『大二日本校訂縮刷大蔵経』(以下『縮刷蔵』,1885年)は,『高麗大蔵経』(以下『高麗蔵』)テキストを底本に,『思渓資福蔵』(宋本),『普寧蔵』(元本),『北蔵』(明本)等のテキストとの異同の校訂情報を載せたものである.一方『大正新脩大蔵経』(以下『大正蔵』)は,同じように『高麗蔵』テキストを底本に,宋本・元本・明本(黄檗蔵)との校勘を引き継ぎ,それに『宮内省図書寮本』(宮本)や『聖語蔵』などのテキストとの校勘を付加したものである.本稿は,『大正蔵』所収『仏説大安般守意経』巻上・巻下(T602)の校訂200箇所と,『縮刷蔵』の同経校訂箇所を対照し,『大正蔵』における校勘の問題点について研究した報告である.『縮刷蔵』から引き継がれた校訂の内容を『大正蔵』が再校訂しなかったことによるとみられる9箇所の錯誤が発見された.一方で,再校訂をしている所もあり,『縮刷蔵』の8箇所の錯誤が訂正されている.この「再校訂をしなかった9箇所」と「再訂正をした8箇所」は,「9対8」というほぼ「1対1」の比率になる.ここから,『縮刷蔵』の校訂成果を借用し校閲を進めた『大正蔵』は,疑問や不明なところについて,全て確かめるのではなく,五分の抜き取りという形で校勘を仕上げたと推察できるのである.更に,『縮刷蔵』の底本は同じ『高麗蔵』であるものの,『大正蔵』の底本とは異なり,すでに一部の内容が校訂された『高麗蔵』だと推察できる.
  • A. Charles MULLER
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1272-1280
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    唯識思想における本質(bimba)および影像(pratibimba)という概念は,最初に,その一組の形で『解深密経』に登場し,奢摩他・毘婆舎那に関する教説の中に使用されている.ただ,影像が詳細に説かれるのに比して,本質についてはかなり不明瞭である.東アジアの唯識教学をみると,『成唯識論』の登場ののち,これら二概念の意味と関係が,主に窺基や他の唯識学僧の解釈を通じて,一層詳細に論じられるようになる.窺基は,冥想における役割というよりも,むしろ目覚めているときの日常意識における役割という観点から本質・影像を解釈しているが,こうした窺基の提出したもの以外に,他の学僧による詳細な解釈を殆ど見出しにくい.ただ例外的に注目に値するものとして,圓測(613-696)の『解深密経疏』にみえる本質・影像の議論をあげることができる.圓測は,『解深密経疏』における二箇所で,この一組の概念について解釈を展開する.一つは,『解深密経』の冥想に関する箇所で本質と影像との様相について論じており,もう一つは玄談にみえ,そこでは本質と影像との観点から「宗体」が分析されている.この一組の概念を用いた手法は他論師の資料にはみえず,全く新しい取り組みといえる.本論文では,まず唯識文献にみえるこれら二概念の使用法の概要について述べ,そして後半で「宗体」の分析にみえる圓測独特の学説に焦点を合わせていくこととしたい.
  • ――佛教とゲーテ(最終回) ――
    小谷 幸雄
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1281-1284
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    標記の題目で,一昨年度・昨年度と廿世紀の二十〜五十年代に東京およびその周邊で従事した兩人物の比較文化研究を紹介・論述した.一方はドイツ観念論哲學を重んじる天台宗の僧侶として忠實に傅統解釋を祖述する立場で,他方は一介の粋人・求道者として自由に釋尊の五蘊正觀を奉じる立場から,共に印度・シナ・日本三國の佛教とゲーテの全生涯に及ぶ種々のテーマとの比較-但しゲーテ自身は歴史上の佛教には言及がなく,専ら兩者の精神内容の比較-を試みた.前者が「説一切有部」の無明-行と「初めにロゴスありき」のファウストの盲目意志,大乗佛教とゲーテを結ぶ萬有内在神論に着目しながら,ゲーテの相對的一元性はヘーゲル,シェリング,さらには空假中の天台の絶對一元論の前段階とする高昇至上的な形而上學を堅持する.他方,富永はゲーテの形態學的発生史の発想で梵本原典から「根本法華(甲斐蓮華展方・梵和對譯)」を取り出しながら,昭和十二年初夏より釋尊末語のvayadhamma samkharaを念稱,其のあって,戦後『正覺に就いて』でガヤー正覺の,『釋迦佛陀本紀』で最晩年のチャーパーラー正覺の心理過程を文學的に創作した.ゲーテ最晩年の一年半の不安と『ファウスト第二部』の行詰りを「ある神秘的な心理學的轉換」で打開,その経緯を『釋迦佛陀本紀余論』に記す.それこそ最高度の佛陀現象で,釋迦のayu-samkharo ossattho(永壽追求の我執が既喝した)がメフィストフェレスの「この馬鹿さは容易なもンぢゃない」に比定される下りで,この詩人ゲーテ最深の心境は,アリストテレス如き散文的徒輩なら「狂気の沙汰」と見做すだらうと,自らW.v.フムボルトに書き送った底のものである.
  • ―― 『立正安国論』から『開目抄』へ――
    渡邊 寶陽
    原稿種別: 本文
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1285-1292
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    日蓮(1222-82)が最明寺入道時頼に奏進した『立正安国論』は,一般に破邪の論として注目されるが,その背後に,精神文化論と,それに基づく仏教受容がある.『立正安国論』執筆の十一年後に執筆された『開目抄』は,「儒道・外道・内道」の三道が精神文化として共有されるものとし,その基本に「主徳・師徳・親徳」の三徳が横たわっていると説く.その究極こそが久遠仏陀釈尊であり,日蓮は釈尊の誓願を末代に実現するために「我日本の柱・眼目・大船とならむ」という「三大誓願」を明らかにする.言うまでもなく『開目抄』は,日蓮が釈尊より付託された「仏教の予言者」であることを「法華経の行者自覚」として表明した書で,「人開顕の書」とされる.が,日蓮はまず精神文化についての確認を最初に掲げ,それを踏まえて宗教的自覚の世界を表明しているのである.『立正安国論』における現状社会批判と同時的な仏教批判とは,その後の四大法難を経て,『開目抄』における精神文化論の表白と末法の法華経行者の自覚に連続するのである.周知の通り『立正安国論』は危機の時代様相への激しい危惧の名文から展開する.そして,優れた為政者が優れた精神文化の担い手の深い哲学に基づく社会の回復をひたすら願う趣旨からの批判が展開する.その面の印象が強いため,「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」という日蓮の明快な指針の趣旨をめぐる論議が発生しがちである.日蓮は『一代五時図』『一代五時鶏図』と名づける仏教の総合的把握の図示を十数点遺している.そうした仏教の総合的把握の上に,前記の『開目抄』の「三大誓願」がある.その点から照射するとき,『立正安国論』が上記の精神文化論と深い関わりを持つことが理解できると考えられる.
  • 原稿種別: 文献目録等
    2011 年 59 巻 3 号 p. 1293-1422
    発行日: 2011/03/25
    公開日: 2017/10/31
    ジャーナル フリー
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