高齢化の今,終末期病人,認知症,重度の精神又は身体障碍者等の医療・介護の現場では,ケアする者も,病人自身も,その家族も,生き方死に方に関する倫理問題に直面している.ケアする者によるケアのあり方,自身が障碍者になった場合のケアのされ方について,律,阿含は,以下の指針を示す.ブッダは病人を見舞い,看病を賞賛した.自殺願望を抱く重患比丘には,長老比丘は生きよと励ました.看病を放棄されて独り大小便に浸かっていた重病比丘を,ブッダは自ら助け起こして看護し,看病は仏法に適うと説き,看病放棄は律違反とされた.律は,「いのちある限り看護すべきであり,治るまで待つべきである」と説く.病比丘看護は比丘の義務であるが,薬を準備できない,病状を理解できない,私欲のために看護する,慈悲心に欠ける,病者の出す汚物の除去を嫌う,法を説いて病人を喜ばせることができないのは,不適切な看病人とした.臨死状況では,見舞いにより終末期重病と知れば,病比丘の修行と教説理解を確認し,答えを得てから記別を与えている(臨死問答).病者に死を賛美し,自殺を勧めて死を招けば,僧伽追放の最重罪(波羅夷)である.重病比丘の自殺願望に応えて自殺を幇助する,死を依頼した病人を殺せば,波羅夷である.これは「自発的安楽死」の禁止に相当する.長らく看病して来たが,重病のため早晩死ぬだろうと考え看病を止めると,程なく病比丘は命終した.この看病比丘は波羅夷に次ぐ重罪(偸蘭遮)を科せられた.これは現代の「死ぬに任せる」ことと同等である.病人療養心得とは,お互いに会話ができ,看病人の言を聞き,病状を正しく告げ,食事療法を守り,薬を服用し,忍耐強く適切な療養ができ,終末期の苦痛に耐え,看病人に慈悲心で接する等である.これらに反する行為を示す病比丘の看護は困難であるとするのは,実態の反映であろう.上記指針は,現代のケア場面に通用する実践倫理といえる.
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