印度學佛教學研究
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60 巻, 3 号
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  • ――ヴェーダ祭式における自己の買い戻しの概念について――
    大島 智靖
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1125-1131
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ソーマ祭において潔斎(Diksa)を行った祭主は,象徴的に「胎児」となり,また「供物」となって神々に自身を捧げねばならない.捧げられた自身はその後の動物犠牲祭における犠牲獣を以て「買い戻」される(動詞nis-kray^i)という思想,即ち'atmaniskrayana'がブラーフマナ文献(br.)に見られることは従来言及されてきたが,br.全ての用例が総合・分析されたわけではない.本稿は,br.の全用例を基にして「買い戻し」の概念を考察したものである.その結果,この概念は'atmaniskrayana'のみならず様々な場面で適用され,一定の役割を果たしていたことが明らかになった.ソーマ祭の基本形となるAgnistomaでは,3つのタイプが観察された.(1)潔斎において捧げた自己の買い戻し(犠牲獣による),(2)Bahispavamanastotraにおける,象徴的天界上昇において振り落とした骨格の買い戻し((1)とは別の犠牲獣による),(3)祭官への報酬寄与における,一時的に祭官に預けた自己の身体部位や生体諸機能の買い戻し(実際の報酬品による)である.(1)(2)において,祭主は象徴的に天界に行く.人が天界に行くためには必ず何らかの犠牲つまり喪失があり,「買い戻し」はそれを取り戻す行為として必須のものであったと考えられる.これは祭主が最終的に天界へ行き(実際に死ぬ),天界で完全な状態になるために,現世でも完全な状態でなくてはならないということであろう.一々において律義に互譲がなされている点も注目すべきである.(3)の意義については更なる検討を要する.またKamyesti(Kamyapasuを含む)においても各々に応じた「買い戻し」があるが,そこにAgnistomaにおける「自己の買い戻し」と同様のタイプは,祭式の性格上見出し難い.しかしSatapatha-Brahmanaの新満月祭の補遺的解説にAgnistomaのそれと並行する部分があり,注目に値する.
  • 西村 直子
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1132-1137
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿は,Veda文献に見られる動詞ati-pav^i/puの語形,用例,分布の分析を通じて語義の展開を跡づけることを目的とする.本動詞は最古のRg-Vedaにおいて「(Somaが)(清めの道具などを)越えて清まる」の意で用いられていたが,ヤジュルヴェーダの散文以降は特定のIndra神話と結びつけられてSautramani祭を巡る議論に頻出する.その文脈では祭主の身体が清めの道具と見立てられ,「Somaが人を通過して清まる」,即ち飲んだSomaを下痢・嘔吐などで排出するという特定の身体症状を指す語として用いられる.動詞pav^i/puは,RV以来,現在直説法3人称単数pava-^<te>によって「清まる」を,またpuna-^<ti>及びpuni-^<te>によって「清める」をそれぞれ意味している.使役形にはpavaya-^<ti/te>の他にpavaya-^<ti/te>があり,揺れが見られる.動形容詞形は弱語幹から作られるputa-が正規形かつ一般的であるが,前綴りatiを伴った場合にのみ,ati-pavita-を伝える文献がある.(ati-)pavita-の由来は明らかにできないが,Brugmannの法則を前提に求められる本来の使役形pavaya-^<ti/te>を出発点とする可能性は排除できない.pav^i/puの使役形にatiを伴う例は,Maitrayaniya派を中心とするSrautasutraにatipavayatiが僅かに見られるのみであり,ati-pavita-は使役語幹pavaya-を伝えるTaittiriya派に影響されたものか,又は本来的な語幹の形が残ったものと推測される.atipavita-の初出はKathaka-Samhita(散文),正規形のatiputa-はsomatiputa-の形で,Satapatha-Brahmana以降に現れる.somatiputa-はsomatipavita-(SBK,JBなど)と同様「その人を通過して清まったSomaを持つ」という形容詞として用いられるが(Bahuvrihi),前者は特異な語形を含む後者をMadhyandina派が置き換えたものと考えられる.
  • 古伝承におけるスータ像の変遷
    石原 美里
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1138-1142
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    「スータ」という語はこれまで「御者」,「吟誦詩人」と訳されることが多かったが,多くのスータに関する叙述を収集・分析すると,その人物像は非常に曖昧で一貫性がなく,「御者」,「吟誦詩人」という一言では片付けられない複雑さを孕んでいる.本研究では,『マハーバーラタ』に登場するサンジャヤという王の側近であるスータが,ヴェーダ文献に見られるスータ像をある程度反映しているものと仮定して,そのスータ像の変遷を追った.このヴェーダ時代におけるスータ像は,『ヴィシュヌプラーナ』の中に収められているプリトゥ王神話におけるスータ起源譯にも反映されている.そこにおいてスータは,王のするべき行いを規定するような権力を有する王家の高官として描かれており,それを便宜的に「古型」と位置付けた.その後この「古型」は,バラモンらがスータを彼らの構想する4ヴァルナ社会に組み入れようとする際に,混合ヴァルナ身分としてのスータの裏付けとして様々に応用されたと考えられる.その一方で,スータが現実社会に存在しなくなった時代,『マハーバーラタ』の最終改編としてスータ・ウグラシュラヴァスの語りの枠が導入される.この際『マハーバーラタ』の編者らは,その語り手として「放浪の吟訥詩人」という新たなスータ像を創り上げたと推測される.その新しい語りの枠はいくつかのプラーナ文献にも採用され,その結果,放浪の吟誦詩人的スータ像と,古い伝承における王家の高官的スータ像が同文献内にも併存することになったと結論付けた.
  • ――プラーナ聖典に見る両性具有的創造者の神話――
    澤田 容子
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1143-1147
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ブラフマーによる創造神話の中に男女に分裂する創造者が登場する.それはシヴァの化身であるアルダナーリーシュヴァラの前身とされる.本稿は,プラーナ聖典に記述されている神話を取り上げ内容を精査することによって,男女に分裂する創造者の神話の発展過程を明らかにすることを目的とする.12のプラーナ聖典の中には,ブラフマーとルドラそれぞれが男女に分裂して創造を行なう神話が収められている.この2者の神話には,(1)創造者の登場する原因,(2)創造者が男女に分裂する描写,(3)マヌとシャタルーパーの系譜,という3つの一致した記述があり,同型の神話と考えることができる.さらに,マヌとシャタルーパーの系譜に関してルドラが男女に分裂する神話の内容に矛盾があること,及びブラフマーが男女に分裂する神話の中に女性半身が女神になる記述が見られないという点から,ブラフマーが男女に分裂する神話はルドラが男女に分裂する神話に先行して作られた可能性が高いということができる.このように,元来ブラフマーによってなされていた男女に分裂して創造を行なうという役割をルドラが引き受けたのち,分裂した女性半身が女神であるとする形態が登場したため,アルダナーリーシュヴァラはシヴァとその配偶神から成り立つ神という姿を持つことになったと考えられる.
  • 川村 悠人
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1148-1152
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    雨季の風情,とりわけ雨季における別離の心情の描写は古典サンスクリット文学において好題であり,カーリダーサ(Kalidasa,4世紀から5世紀)の代表作Meghaduta(『雲の使者』)もそれらを主題とした作品である.Meghadutaは,妻との別離に苦しむ主人公ヤクシャが雨季の到来を告げる雨雲を見て妻への想いを掻き立てられ,その雲に音信を依頼する,という構造を基本とする.Meghaduta前半部において,妻がいる都アラカーまでの旅路を雲に語る中で,ヤクシャは雲が旅路で出会うであろう河の種々の特徴を女性のそれに度々比喩している(Meghaduta 24, 28-29, 40-41).つまりこのことは,ヤクシャが頻繁に河を女性に見立てていることを意味し,必然的に,その河と関係を持つ雲を男性に見立てていることを意味する.ヤクシャは,Meghaduta前半部において雲と河を男女に見立て,雲と河の愛を語っているのである.このような事柄をヤクシャが雲に語ることについて,木村[1965]は,河という女性との旅路の恋を楽しむことをヤクシャが雲に勧めていると解釈する.しかし,Meghadutaの主題を考慮する時,木村氏の解釈は作者カーリダーサの真意を汲み取っているとは言えない.ヤクシャは雲と河に自分と妻を重ね合わせ,雲と河の愛を語ることで妻への情欲や切望を吐露している.言い換えれば,カーリダーサは雲と河の愛を描くことによって,別離に苦しむヤクシャの心情を巧みに表現しているのである.本稿では,河を妻に見立てることで別離する夫の心情を描くというカーリダーサの手法を明らかにする.
  • ―― 9世紀カシュミールの詩Kapphinabhyudaya研究――
    横地 優子
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1153-1160
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Kapphinabhyudayaは9世紀カシュミールの詩人Sivasvaminによって著された長編詩である.2007年に龍谷大学よりこの作品の新しい校訂版が出版され,その研究は新たな段階を迎えた.その第一歩として,本論文では,従来仏教詩であると考えられてきたこの作品は,そのような表面的な意味に加えて第2の意味レベルを備えており,そこでは仏教とシヴァ教の競合,最終的なシヴァ教の勝利が意図されていることを分析する.
  • ――予備報告――
    河崎 豊
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1161-1168
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ヴィーラバッダがSamvat 1078年に著したとされる『アーラーハナーパダーヤー』は,ジャイナ教の所謂「アーラーダナー文献」と呼ばれるジャンルに包摂される文献の一つだが,本文献に関する先行研究は,管見の限りでは皆無である.本稿は当該文献の本格的研究の為の予備調査として,主に以下の点を指摘した: (1)『アーラーハナーパダーヤー』全989詩節中,786詩節が空衣派代用聖典の『バガヴァティー・アーラーダナー』と対応し,構成そのものも『バガヴァティー・アーラーダナー』を完壁に踏襲していること (2)白衣派聖典との関係では特に『バッタパリンナー』との対応が顕著であること (3)『バガヴァティー・アーラーダナー』『バッタパリンナー』双方に対応関係が見られる場合,ヴィーラバッダは後者(に近い)読みを示すことが強いこと (4)『アーラーハナーパダーヤー』本文中に,『バガヴァティー・アーラーダナー』を明らかに指すと考えられる記述が登場することから,ヴィーラバッダは『バガヴァティー・アーラーダナー』について知っていた事は恐らく確実であり,そして『アーラーハナーパダーヤー』を作成するにあたって,『バガヴァティー・アーラーダナー』を大々的に利用した可能性もかなり高いと考えられること.以上を指摘した後,具体的に若干の対応事例を列挙し,そこに見られる種々の問題点を議論した.
  • 上田 真啓
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1169-1173
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ジャイナ教の聖典期には,聖典における単語のひとつひとつを正確に理解するための「解釈方法(anuyogadvara)」というものがある.どのような方法かというと,単語のもっているいくつかの性質を,解釈の可能性,すなわち選択肢として列挙し,それらの中から当該のコンテキストに見合った選択肢を選びとって,単語の意味を特定するという方法である.主にniryuktiなどの注釈文献において見られるその方法は,ひとつではなく,列挙される要素の組み合わせなどによっていくつかのパターンが存在した.そのなかでも特に重要視されたのが,「名称(nama)」「表象(sthapana)」「実体(dravya)」「状態(bhava)」という組み合わせのパターンであり,それは特に「ニヤーサ(nyasa)」,あるいは「ニクシェーパ(niksepa)」という名前で呼ばれた.そういった聖典解釈法のひとつとしてのニクシェーパが,のちにジャイナ教の認識論・論理学に関わるテキストにおいて,その体系の中に位置づけられ,場合によってはプラマーナ(pramana)とナヤ(naya)と並ぶ概念として取扱われるようになる.しかし,歴史的に見れば,それぞれの論書の著者によって,ニクシェーパの捉え方は様々であり,「いくつかの観点に基づいてひとつの単語をとらえる」という性質において類似性が認められるナヤとの関係上,ニクシェーパの存在意義そのものに関する議論も交わされることもある.また一方で,研究史に目を向けてみると,このニクシェーパという概念についての研究が,いわゆる聖典期から論理学期にかけて,通史的に詳しく研究され尽くしている,というわけでもない.これまであまり重視されてこなかったといっても過言ではない.そこで本稿では,このニクシェーパに関する主な先行研究を紹介し,論理学期における最も主要なテキストとも言うべきUmasvati/UmasvamiによるTattvarthadhigamasutraおよびそれに対する自注において,ニクシェーパがどのように定義されたのかを検討した.
  • 斉藤 茜
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1174-1178
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    古代インドにおいて,語の本質を追求した結果,文法学派が到達したのはスポータという概念であった.彼らが語意表示者として提唱したスポータは,順序を持たないもの(akrama)として捉えられる.一方でヴェーダ聖典の教令の解釈に関連してことばに関する考察を発展させたミーマーンサー学派は,語意表示者として諸音素を上げ,さらにそれが意味理解の起因となるための必須条件のひとつとして「特定の順序」を提唱した.こうした2つの主張の食い違いは,二派の間に長くに亘る論争を齎すことになる.では文法学派のスポータ理論において,順序の概念はどのように取り除かれるのか.これを,文法学派に多くを依拠しつつも独自の議論を展開したMandanamisraの著作Sphotasiddhiを検討することで解明を試みる.本論文では先ず,当該文献の議論展開を追いながら,対論者として挙げられるミーマーンサー学派の音素論を,Mandanaがどのように斥けるかを検討し, 両者の立場が交わらない根本的な原因が,<順序>という属性の帰属先の違いであることを明らかにする.その後Mandanaが提示する意味理解のプロセス(=スポータ開顕のプロセス)を見た上で,それ以上分割できない単一の実体としての語=スポータの妥当性を検討する.
  • ―― BrhafiおよびNyayamanjariにおけるAstadhyayi批判の特徴――
    友成 有紀
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1179-1183
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    パーニニ文法学者は文典Astadhyayi (A)に何らかの技術的問題点が見つかった場合,常に詳細な説明(vyakhyana)を行いその排除に努めてきた.それらの問題は基本的にパーニニ文法学者の扱うべき課題であったが,Brhati (B)およびNyayamanjari (NM)という非文法学者による著作にそれらが批判されている箇所が存在する.前主張としてのヴェーダ批判の文脈に現れるこの批判は,内容としては大略パーニニ文法学者の著作,特にMahabhasyaの部分的な焼き直しに過ぎない.しかし,それらの議論がBおよびNMといった著作に取り上げられているという事実はなお一考の価値を有するものである.なぜなら,これらの議論の存在は,プラクリヤー文献と呼ばれるのAの注釈書群-これらはそれ以前の注釈書とは方法論的/性格的に一線を画する-が登場する舞台背景を我々に示し出す可能性を有しているからである.
  • ――初期仏典から――
    小池 清廉
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1184-1188
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    高齢化の今,終末期病人,認知症,重度の精神又は身体障碍者等の医療・介護の現場では,ケアする者も,病人自身も,その家族も,生き方死に方に関する倫理問題に直面している.ケアする者によるケアのあり方,自身が障碍者になった場合のケアのされ方について,律,阿含は,以下の指針を示す.ブッダは病人を見舞い,看病を賞賛した.自殺願望を抱く重患比丘には,長老比丘は生きよと励ました.看病を放棄されて独り大小便に浸かっていた重病比丘を,ブッダは自ら助け起こして看護し,看病は仏法に適うと説き,看病放棄は律違反とされた.律は,「いのちある限り看護すべきであり,治るまで待つべきである」と説く.病比丘看護は比丘の義務であるが,薬を準備できない,病状を理解できない,私欲のために看護する,慈悲心に欠ける,病者の出す汚物の除去を嫌う,法を説いて病人を喜ばせることができないのは,不適切な看病人とした.臨死状況では,見舞いにより終末期重病と知れば,病比丘の修行と教説理解を確認し,答えを得てから記別を与えている(臨死問答).病者に死を賛美し,自殺を勧めて死を招けば,僧伽追放の最重罪(波羅夷)である.重病比丘の自殺願望に応えて自殺を幇助する,死を依頼した病人を殺せば,波羅夷である.これは「自発的安楽死」の禁止に相当する.長らく看病して来たが,重病のため早晩死ぬだろうと考え看病を止めると,程なく病比丘は命終した.この看病比丘は波羅夷に次ぐ重罪(偸蘭遮)を科せられた.これは現代の「死ぬに任せる」ことと同等である.病人療養心得とは,お互いに会話ができ,看病人の言を聞き,病状を正しく告げ,食事療法を守り,薬を服用し,忍耐強く適切な療養ができ,終末期の苦痛に耐え,看病人に慈悲心で接する等である.これらに反する行為を示す病比丘の看護は困難であるとするのは,実態の反映であろう.上記指針は,現代のケア場面に通用する実践倫理といえる.
  • 八尾 史
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1189-1193
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    チベット語訳『根本説一切有部律』「薬事」において,諸写本・版本の比較の結果,トクパレス写本は他の六種の写本・版本(デルゲ版,北京版,ナルタン版,ロンドン写本,東京写本,プダク写本)との間に大きな構造上の相違を有することがあきらかになった.相違は四点である.1.他本にある,過去仏の名を列挙した部分がトクパレス写本には存在しない.2.トクパレス写本には他本にないウッダーナ(目次)が一箇所存在する.3.「薬事」中の「アナヴァタプタ・ガーター」とよばれる偈部分には四つのウッダーナが置かれているが,その位置がトクパレス写本のみ異なる.4.仏の前生譯であるヴィシュヴァンタラ王子の物語が,他本では二回,多少形を変えてたてつづけに語られるのに対し,トクパレス写本では一話のみしか語られない.それは他本における二番目の物語に,一番目の物語の記述が二箇所入りこんだ形であり,単純な筆写上の過誤ではありえず,意図的なテクストの改編の結果であると考えられる.これらの相違がどの時点で,どのような原因で生じたものかはいまだ不明であるものの,トクパレス写本もしくはそれを遡るいづれかの写本の段階において,意図的に,かつ大幅に「薬事」のテクストを改編しようとするこころみがあったと考えられる.このようなこころみは『根本有部律』全体にわたる可能性がある.チベット語訳『根本有部律』を扱ううえで,トクパレス写本がきわめて注意を要するヴァージョンであることはたしかである.
  • ――優婆塞となるための要件から――
    石田 一裕
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1194-1199
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本論文は,カシミール有部とガンダーラ有部の傾向について,優婆塞となるための要件の相違から考察を試みたものである.カシミール有部とガンダーラ有部を比較した場合,前者が保守的で,後者が進歩的と指摘されることがあった.この指摘の一因となっているのが,両有部における優婆塞となるための要件の相違である.両者の間にどのような相違があるかというと,カシミール有部は三帰と五戒によって優婆塞となることができると主張するのに対し,ガンダーラ有部は三帰のみで優婆塞になれると主張する.従来この相違については,カシミール有部の厳格な要件が,ガンダーラ有部の要件に緩和されたと理解され,それを根拠としてカシミール有部が保守的な傾向を,ガンダーラ有部が進歩的な傾向を,それぞれ有すると考えられていた.本論文は,しかし,それが誤解に基づくものであることを『大毘婆沙論』の当該箇所の考察を通して示すものである.『大毘婆沙論』の考察から導かれるのは,優婆塞となる用件が「三帰と五戒の厳格な要件」が「三帰のみの緩和された要件」に移行したということではなく,要件の相違は経典の理解に基づいて生じたものだということである.優婆塞となる要件の相違が,経典の理解と密接に結びついていることは『倶舎論』によっても確認でき,両テキストの考察から導かれるのは,ガンダーラ有部が経典を重視した保守的な主張をしており,それと比較するとカシミール有部は進歩的な主張をしているということである.筆者の導いた両有部の傾向は,これまでの指摘と相違するものかもしれないが,少なくとも優婆塞となるための要件の相違は,カシミール有部が進歩的な傾向を,ガンダーラ有部が保守的な傾向を持つことを示している.
  • チュ(崔) ジンギョ(珍景)
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1200-1203
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    1990年代の中頃,パキスタンのギルギットから〔根本〕説一切有部教団が伝承した梵文『長阿含経』の樺皮写本が発見された.写本は完全な形で残っていたなら454葉よりなる巨大写本であったが,前半部は痛みが激しく,回収されたのは後半部約250葉と多数の断片であった.写本の予備的な分析の結果,〔根本〕説一切有部教団の『長阿含経』が,第1編「六経品」全6経,第2編「双品」9組のペアー経典よりなる全18経,第3編「戒蘊品」全23経の,3編47経から構成されることが判明した.この中,私は,第3篇「戒蘊品」に含まれる第25経,さらに第27経と第28経の計三経典について,ミュンヘン大学のイェンス=ウヴェ・ハルトマンと佛教大学の松田和信の指導を受けながら,ミュンヘン大学に提出予定の学位請求論文の一部として,それら三経典の解読研究を行っている.その中,第27経と第28経は写本に現れるウッダーナ(項目,目次)から判断して,両方ともLohitya-sutraの同一タイトルで呼ばれていたことが知られる.パーリ長部の第12経(Lohicca-sutta)は,これら二経典の第28経の方に対応し,第27経はパーリ三蔵にも漢訳『長阿含経』にも対応経典の存しない〔根本〕説一切有部独自の経典である.今回の発表では,二つのLohitya-sutraの内容と解読研究の現状を報告し,なぜ同名の二つの経典が同じ『長阿含経』中に存在するのかを考察した.
  • ―― 『聖燃燈授記大乗経』と他の諸伝承との関係――
    松村 淳子
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1204-1213
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    燃燈佛授記物語の単独經典があったことは,『佛本行集經』の記述からも想像できるが,現存しているのはチベット語聖典カンジュルの中にある『聖燃燈授記大乗経』だけのようである.かつて,Leon Feerがフランス語訳を出したが,ほとんど注目されていなかった.筆者は『国際仏教学大学院大学研究紀要』15号(2011,5), 81-141で,チベット文と英訳を出版し,その中で,まず燃燈佛の誕生・成道・教化の物語部分の比較を行い,『印度学仏教学研究』59巻3号で論じた菩薩の名前による,諸本の伝承の分類が内容においても対応していること,特にチベット語単独經典は,もっとも発展して整った形を示しており,『佛本行集經』ならびに『四分律』と非常に近いことを論証したが,本論文ではさらに,授記物語部分の比較を行い,同様の結果が得られた.特に注目されるのは,ガンダーラ美術の蓮華の描写と分類した諸本の関係が明らかになったこと,釈迦牟尼の妻の名前も,3分類に対応していること,また布髪について,通説となっているような泥地を覆うというエピソードが存在しない文献もあり,むしろ布髪は燃燈佛の足を泥に汚れないようにするためではなく,菩薩の発心の堅いことを表現するためのものであることを論じた.
  • ――マーラ調伏譯を中心に――
    山崎 一穂
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1214-1219
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本論文ではアショーカ王伝説の一部をなすウパグプタ伝説所収の一挿話マーラ調伏譯を取り上げ,11世紀にクシェーメーンドラによって著された仏教説話集Avadanakalpalata (Av-klp),12世紀にビルマで編纂された宇宙論文献Lokapannatti (Loka-p)所収本の源泉資料解明を試みた.比較対照に供したのはDivyavadana (Divy),漢訳『阿育王伝』,『阿育王経』,『大荘厳論経』,『賢愚経』,『注維摩詰経』,チベット僧ターラナータの『仏教史』所収の七つの並行話である.マーラ調伏譯はLODERS [1926]の先行研究に基づくと概ね二系統に分類することが可能である.すなわち『大荘厳論経』の梵本であるKumaralata(二世紀後半)のKalpanamanditikaを大幅に借用して著されたDivy,漢訳『阿育王伝』,『阿育王経』の三本と『大荘厳論経』に代表されるDivy系統伝本,それ以外の非Divy系統伝本である.Av-klpはDivy系統に属する.尤もAv-klpにはDivy系統伝本の伝える内容の欠落や相違を示す場合もあるが,いずれもクシェーメーンドラの省略或いは彼による物語の肉付けと見なし得るものである.これに対しLoka-pの所伝は犬の屍に関する記述が非Divy系統のものと一致することから,非Divy系統の伝本に親近性を示す.Loka-pにはマーラとウパグプタの神通力競争に関する記述が存するが,これには『賢愚経』,『根本説一切有部律破僧事』における外道と舎利弗の神通力競争モチーフに並行個所が見られる.従ってLoka-pの編者がこのモチーフに着想を得て,類似のモチーフをマーラ調伏譯に挿入した可能性が考えられる.
  • ――懺悔するのは誰か――
    鈴木 隆泰
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1220-1228
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    筆者はこれまで,『金光明経(Suvarna[-pra-]bhasottamasutrendraraja)』の制作意図に関して以下の<仮説>を提示してきた.・大乗仏教徒の生き残り策としての経典:『金光明経』に見られる,従来の仏典では余り一般的ではなかった諸特徴は,仏教に比べてヒンドゥーの勢力がますます強くなるグプタ期以降のインドの社会状況の中で,余所ですでに説かれている様々な教説を集め,仏教の価値や有用性や完備性をアピールすることで,インド宗教界に生き残ってブッダに由来する法を伝えながら自らの修行を続けていこうとした,(大乗)仏教徒の生き残り策のあらわれである.・一貫した編集意図,方針:『金光明経』の制作意図の一つが上記の「試み」にあるとするならば,多段階に渡る発展を通して『金光明経』制作者の意図は一貫していた.・蒐集の理由,意味:『金光明経』は様々な教義や儀礼の雑多な寄せ集めなどではなく,『金光明経』では様々な教義や儀礼に関する記述・情報を蒐集すること自体に意味があった.本稿では『金光明経』の中核をなす章であると見なされてきた第3章「懺悔品(Desana-parivarta)」に焦点を当て,「懺悔品」における懺悔の重要性や,懺悔の実践者は誰なのか,そして増広部の増広理由を探ることを通して,<仮説>の検証を続けた.その結果,「仏教が斜陽となる中,仏教の存続に危機感を抱いた一部の出家者たちは,在家者から経済的支援を得てインド宗教界に踏みとどまり,仏教の伝承と実践という義務を果たすため,『金光明経』を制作した.彼らは『金光明経』の価値や有用性や完備性をアピールするため,適宜『金光明経』を増広発展させていったが,「価値や有用性のアピール」という彼らの制作意図は,『金光明経』経題の由来となり『金光明経』制作の中核をなすと考えられてきた「懺悔品」(増広前の第一部・第二部.その主題は懺悔の実践ではなく,『金光明経』聞法の勧奨)においても明確に読み取ることができた.そして「懺悔品」の増広(第三部)に際しては,「『金光明経』の完備性のアピール」のため「仏説たる経典として,より体裁を整える」ことに主眼が置かれた.」という結論を得たことで,所期の目的を達成した.
  • 赤羽 律
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1229-1236
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    中観派という呼称は仏教を少しでも齧ったことのある人ならば誰でも知っているといってよいほど広く知られた名称である.しかし,元々サンスクリット語でMadhyamikaと呼ばれ,直訳としては「中」という意味にしかならない名称が,何故「観」の字を加えられた「中観」という呼称として翻訳されたのかについては定かではない.本稿で明らかにしようと試みたのは,まさにこの点である.中観という呼称を学派名称として初めて用いたのは義浄であるとこれまで考えられてきた.しかしこの呼称そのものは決して義浄が独自に生み出したものではない.義浄以前に,中国における中観派系統の学派である三論宗の実質的な開祖である吉蔵が,Nagarjunaの『中論』を註釈した際に,そのタイトルを『中観論疏』とし,『中論』を『中観論』と呼んだことに由来すると考えられる.この『中観論』という呼称が7世紀半以降,中国を中心に広く知られていたことは明らかであり,インドに渡る以前の義浄が知っていたと十分に考えられる.それ故に,インドにおいてNagarjunaの思想に基づく学派としてMadhyamikaという呼称を耳にした義浄の脳裏に,Nagarjunaの最も重要な論書である『中論』即ち『中観論』という名称が浮かび,それを学派名称に転用したとしても何ら不思議はないであろう.また「観」の字を加えた理由は定かではないが,吉蔵の『中観論』という名称に関する注釈に従うならば,『中論』の各章に「観」の字が付けられていることに基づいたためではないかと推察される.何れにせよ,義浄以前の7世紀に活躍し,インドの仏教事情に詳しい玄奘や,630年代初頭に『般若灯論』の翻訳を行ったインド人Prabhakaramitraといった著名な仏教僧たちが何れも,中観派という呼称を用いていないことから,恐らくこの用語を学派名称として初めて用いた人物が義浄であると想定するのが現段階では妥当であろう.
  • 西山 亮
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1237-1241
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    釈尊もしくは初期の仏教は,インド社会を現代にいたるまで特徴づけている階級差別を批判し,バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラという四姓が平等であることを主張したと伝えられている.その平等論は多くの研究者によって紹介され,そして仏教思想の優れた点として人々に賞賛されてきた.しかし,J. W. de Jong氏("Buddhism and the Equality of the Four Castes," 1988)やDonald S. Lopez Jr.氏(Buddhism & Science, 2008)などの幾人かの研究者によって,八世紀前半に活躍したと考えられている中観派の学匠アヴァローキタヴラタの著書Prajnapradapa-takaの中に,釈尊が説いた四姓の平等に反するような記述がみられることが指摘されている.実際そのテキストにおいて異教徒の典籍であるManusmrtiの一節が引用され,その内容はシュードラに対する差別であることが確認できる.これまでの研究者はみな一様に,このようなManusmrtiの一節をアヴァローキタヴラタが自説の教証として肯定的に引用し,そして四姓の差別を容認していると考えているのである.しかし,当該箇所をよく吟味すると,かれはむしろ伝統にのっとり四姓の差別を批判しているように読みとることができるのである.テキストを読み解く際の鍵となるのは「dbri bkol」というあまり用例の見られないチベットのことばである.
  • 松岡 寛子
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1242-1247
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    『タットヴァ・サングラハ』「外界対象の検討」章では,外界対象の存在が不合理であることと,認識が所取・能取という二相を欠いていることを根拠として唯識説が確立されることが説示される.シャーンタラクシタはv.118(TS_B 2082)において次のように述べる.能力が直前の認識にあるとき,所取分に関して〔認識〕対象が確立される(ab).〔しかしながら,所取分に関する認識対象の確立を〕我々は真実のものとしては認めない.したがって〔我々は〕それ(認識対象の確立)を支持しない(cd).認識の一部分に認識対象を設定するというab句の見解が『観所縁論』におけるディグナーガの主張に一致することは『パンジカー』に『観所縁論』を引用するカマラシーラによって指示される.両師弟はこのディグナーガ説をいかなるものとして言及しているのか.西沢史仁氏は,師弟がディグナーガの唯識説をそれとは異系統の唯識説を奉じる立場から批判しているとみなしている(「カマラシーラのディグナーガ批判」『インド哲学仏教学研究』3(1995):21).しかし,師弟は認識対象の設定を全面的には否定しておらず,ましてや唯識論師ディグナーガを批判していない.『パンジカー』,及び『観所縁論釈』等によれば,ディグナーガが『観所縁論』において認識の所取分に認識対象を設定したのは世俗的真理の観点からであって究極的真理の観点からではない.そしてこの所取分に認識対象を設定すること,認識に所取・能取という二相を設けることこそが唯識説における「垢」である.この「垢」が真実の観点から除去されることにより,最終的に唯識説は「無垢」(119b': vimala)となる.シャーンタラクシタの見解において,唯識説はこのように認識の無二性に帰着するのである.
  • 小林 久泰
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1248-1253
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    正しい認識手段のひとつ,知覚を定義する際に,ダルマキールティが『プラマーナ・ヴィニシュチャヤ』と『ニヤーヤ・ビンドゥ』の中で「非錯誤」(abhranta)という概念に言及したことは周知の通りである.これはディグナーガの知覚の定義にはない新たな概念であった.ヴィニータデーヴァは,ダルマキールティの知覚の定義の中のこの「錯誤していない」という語をプラマーナの定義「斉合性を持つこと」(avisamvada)に相当するものとして理解する.これに対してダルモーッタラはこのようなヴィニータデーヴァ流の理解を同義語反復となるとして否定する.しかし,問題はダルモーッタラが言うほど単純なものではない.まず,このような彼の批判の前提には,知覚は正しい認識であるので「斉合性を持つ」という性質を既に備えているという考えがある.しかし『ニヤーヤ・ビンドゥ』の簡潔極まりない表現から,知覚の定義の中の「知覚」という語が「斉合性を持つこと」を含意していると考えるのは極めて困難である.また,『ニヤーヤ・ビンドゥ』がそれ自体で完結しているひとつの独立作品であることを考えると,その中に正しい認識の定義が提示されていない以上,知覚の定義で提示される「錯誤していない」という表現が単なる知覚の定義以上の意味を持つ可能性も十分考えられる.さらに,ダルマキールティ自体,「錯誤していないこと」と「斉合性を持つこと」を同列に扱っている箇所がある.従って,ダルモーッタラの批判をそのまま受け入れるには注意が必要である.
  • ――ダルマキールティにおけるviparyaye badhakapramanaの展開――
    酒井 真道
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1254-1263
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    諸事物の刹那滅性を証明する推理形式の一つsattvanumana (SA)は刹那滅論証をめぐる以降の思想史に強い影響を与えた.このSAを確立するにあたりダルマキールティは,所証属性の対概念の領域に論証因が起こることを否定する正しい認識吻viparyaye badhakapramana (V-Bp)を用いて,論証因と所証との問の遍充関係を確定している.このSAの登場により,論証因を「所作性」とし,消滅することに関する無依存性(vinasam praty anapeksatva;以下「無依存性」)を用いて刹那滅性を証明する伝統的な推理形式krtakatvanumana (KA)は影を潜めたかに見えるが,8世紀以降,KAの解釈に関して思想史は新たな展開を見せる.すなわち,アルチャタはKAの推論式を先師に帰されるV-Bpと見倣し,それまでのダルマキールティ註釈者には見られない解釈を提示する.このアルチャタの解釈を継承する形でダルモーッタラとドゥルヴェーカミシュラはKAにおける遍充関係確定の方法を論じる.彼らの解釈に従えば,ダルマキールティは,KAにおいて,所証「刹那滅性」の対概念の領域,すなわち,非刹那滅なものの領域に,「無依存性」の対概念,すなわち,「依存性」が起こることを指摘することで,「所作性」と「刹那滅性」との間の遍充関係を確定している.ダルマキールティはVadanyayaにおいて,所証属性の対概念の領域に論証因の対概念(hetuviparyaya)が存在することを論証する正しい認識がV-Bpであると述べている.つまり,ダルマキールティは既にKAを論じる段階で,実質的にはV-Bpの方法を用いて遍充関係の確定を企てていたと言える.
  • 菊谷 竜太
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1264-1270
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ジュニャーナパーダ(Jnanapada, ca. 750-800)は,『秘密集会タントラ』ジュニャーナパーダ流の祖として知られる一方で「生起・究寛」の二次第及び「瓶・秘密・般若智」三灌頂次第の体系化にも大きな役割を果たしたと考えられる.彼の生起次第に関する著作としてチベット大蔵経には『普賢成就法』(東北1855)と『四支成就法普賢母』(東北1856)両書が収録される.サンクリット原典は現在断片が回収されるに留まっている.前者はリンチェンサンポ(Rin chen bzan po, 958-1054),後者はスムリティジュニャーナキールティ(Smrtijnanakirti)によって訳出された.このうち『四支成就法普賢母』は偈の順序が著しく混乱し,ところどころ欠損部分も見出される.そのため内容的に極めて類似する両書を同一原典からの異訳と看倣すかどうかはチベットで古来より議論されてきた.大蔵経には『普賢成就法』・『四支成就法普賢母』両書に対してあわせて4種類の注釈が残されている.筆者の調査によれば,ヴィタパーダ(Vitapada ca. 920-970 C.E.)の『四支成就法普賢母注』(東北1872)中に『四支成就法普賢母』スムリティ訳のほぼ全文が収録されていることが明らかになった.したがってヴィタパーダ注より『四支成就法普賢母』における偈の再配列および欠損部分を補うことが可能である.さらに上記の注釈文献を用いて『普賢成就法』・『四支成就法普賢母』両書を対照したところ,伝達者の系統にあわせていくつかの異読が見出された.すなわち『普賢成就法』はタガナ・ラトナーカラシャーンティを経てリンチェンサンポに続く系統であり,一方『四支成就法普賢母』はヴィタパーダを経てツァラナ・イェーシェーゲンツェン(Tsalana Ye ses rgyal mtshan)に続く系統だということが出来る.
  • ―― Samvarodayatantraの註釈書Sadamnayanusarini ――
    倉西 憲一
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1271-1274
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿は,まずNepal National Archivesに保管されているサンスクリット写本NAK 3/716(=NGMPP A48/11)に見られる興味深い事柄について考察した.この三四葉から構成されている写本には三種類の文献の写本断片が含まれる.Sadamnayanusarini (SAA)が三二葉,Samvarodaytantra (SUT)が一葉,そして医学書であるSusrutasamhita (SSS)が一葉(表のみ)である.SAA写本の特筆すべき特徴を二点挙げ,考察し,さらにSAAの根本タントラであるSUTおよびSSSの写本断片が混在したのかについて推論した.続いて,SAAについて特徴や内容を紹介した.写本の写真が不明瞭であったために仮題であったSAAの文献名がその冒頭偈に記されていることをつきとめた.さらにSAAと文章構造が似ているRatnaraksitaのPadminiとの関係がそれら類似性だけでなく,SAAがPadminiの縮約であると言う可能性について例文を挙げて提示した.最後に数多くの顕密両文献を駆使してSUTの解説をするSAAが引用する顕教文献・中観派AryadevaのCatuhsataka第12章第18偈を挙げた.本偈はこれまでサンスクリット原文が回収されていなかったが,この発見によって一偈追加されたことになる.
  • 望月 海慧
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1275-1282
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    チベット仏教のチョナン派のTaranatha Kun dga' snying po (1575-1635)によるTheg mchog shin tu rgyas pa'i dbu ma chen po rnam par nges pa (dBu ma theg mchog)の第7章は,「二諦の決択」というタイトルで二諦説が論じられている.本章の特徴をまとめると,次のようになる.1.Taranathaの二諦説は,MaitreyaのMahayanasutralamkaraとMadhyantavibhaga,そしてNagarjunaのMulamadhyamakakarikaを引用して議論がなされている.ただし,その度合いはMaitreyaのテキストが中心となっている.2.二諦説は三性説に基づいて解釈されており,円成実性である勝義諦は法界・真如・如来蔵などの語により説明されている.これらのことから,彼の立場は同じチョナン派のDol po pa Shes rab rgyal mtshan (1292-1361)の他空説の立場を継承するものである.3.TaranathaのテキストにはDol po paへの直接の言及は見られないものの,その注釈書には彼のbDen gnyis gsal ba'i nyi maの引用も見られ,同論と重なる記述を多数見ることができる.Vasubandhuに帰される『般若経注』も同じように引用されることからも,本章は同論に基づいて著された可能性がある.
  • 庄司 史生
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1283-1288
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿は,2009年に立正大学図書館から新たに発見された河口慧海旧蔵文献の紹介を目的とする.特に梵巴蔵にわたる将来文献の一覧と,Samvarodaya-tantraの翻刻を掲載する.彼の旧蔵文献には梵文写本2点,巴利語写本3点,西蔵文献約30点から成る将来文献の他に,洋装本,和装本の類も含まれている.それら文献資料に関する調査報告の結果は2012年に公表される予定である.ところで,立正大学に河口慧海旧蔵文献が所蔵されていたことは,従来見過ごされてきたといえる.実際には,彼の甥である河口正によって1961年に春秋社より出版された『河口慧海』の中に,河口慧海の旧蔵書の所蔵先として,同大学の名が挙げられていた.筆者は偶然にも,同大学図書館未整理資料の調査途中に河口旧蔵文献を見出すこととなった.その中には,本稿にて翻刻を示したSamvarodaya-tantra(1葉のみ)とGanda-vyuha(完本)の二種の梵文写本が含まれていた.本稿では特に取り上げていないが,Ganda-vyuhaは1934年から泉芳環と鈴木大拙によって出版される同梵本校訂本の底本となった写本そのものであることが判明している.校訂本では同写本が東京大学所蔵と説明されているものの,実際には所在不明となっていたものである.立正大学に所蔵されていた河口旧蔵文献は彼の死後,同大学内に一括譲渡されたものである.つまり,それら旧蔵文献は最後まで彼の手元にあった資料ということになる.河口旧蔵文献が立正大学へ譲渡されるに至る経緯の詳細は不明な点が多い.ただし,当時同大学学長であった石橋湛山,同教授三枝博音,同J.R.ブリンクリーらがそこに関わっていたことが調査の結果明らかとなっている.本稿では,河口慧海旧蔵文献の全体像を示したにすぎない.各資料に対する研究は今後の課題である.
  • ――バルア仏教徒の婚姻儀礼――
    Titu Kumar BARUA
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1289-1293
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Tel-lonaniはバングラデシュのバルア仏教徒が結婚式当日に式前に家庭で行なう儀礼で,「頭に油を注ぐこと」を意味するチッタゴン方言に由来する.本論では,この儀礼の次第と,儀礼の随所に込められた象徴的な意味を取り上げた.まず僧侶に日取りを相談するのだが,バルアにとっては川の満潮時がめでたい時である.儀礼に際してはドゥルヴァ草やグアヴァなどを準備するが,それらには,「成就」や「繁栄」などの意味が込められている.Tel-lonani儀礼は新郎新婦それぞれの家で一連の儀式を5回行う.竹と布で仕切られた空間にカップルが座り,列席者が一人ずつ5回ドゥルヴァ草で二人の額に触れる.その後全員の手を添えて同じことをする.これらには,「一人から結び合いへ」,「調和」の意味があるとされる.二人が座る敷物は,一回の儀式が終わるごとに剥がして揺すられるが,浄化儀礼で二人の体から落ちた穢れがついたために敷物をきれいにすることを含意している.儀礼の終盤には,母親と親戚の女性が二人の頬と額にターメリックをつけ,それを自分のサリーの端で拭う.これには,子供に別れを告げることが象徴されている.そして最後には,マスタードの種と油が清水とともに二人の頭頂に塗られる.バルア仏教徒はマスタードは風邪の予防,清水は浄化と長寿をもたらすと信じている.このように,Tel-lonani礼は,主たる結婚式に臨む前に新郎新婦の心身を浄化するために行なわれるが,そこで用いられる物や種々の所作には,長寿,繁栄など,二人の新生活への願いが込められている.また,この儀礼には僧侶は参加せず家族や親族が関わるのだが,親子としての別れの後に,新たな家庭を築く二人を親族が今後も支えていくという,通過儀礼としての特徴が色濃く映し出されている.
  • 洪 鴻栄
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1294-1299
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    金剛寺の書写文献・安世高訳『仏説十二門経』『仏説解十二門経』は,1999年に発見されて以来ようやく十年を経た.その内容に対する研究は,いままで,イタリアの学者Stefano ZACCHETTIの幾つかの論文しかないのが現状である.ZACCHETTI氏は,この二つの写本について,安世高の著作としてはっきりと断定はできないが,ほぼ彼に属するものであると位置づけた.また,それに関して,なお幾つかの問題が残るものの,安世高以外の著者のものとして考えるのが難しい点が多いとも指摘している.氏の論証では,これらの写本は『仏説十二門経』『仏説解十二門経』,そして『仏説十二門経』に対する「解説」との三つの部分に分けられ,さらに『仏説十二門経』『仏説解十二門経』のそれぞれは,道安のいう『大十二門経』『小十二門経』に相当するという結論に至った.本稿では,氏の論証は新たな困難を引き起こすのではないかと指摘し,そして写本における氏の三つの分け方を検討した結果,『仏説十二門経』『仏説解十二門経』との二つの区分において十分あり得るため,新たに『仏説十二門経』に対する「解説」という第三区分を設定する必要はない.また,『仏説十二門経』は『大十二門経』に,『仏説解十二門経』は『小十二門経』に対応するのではなく,その反対,『仏説十二門経』は『小十二門経』に,『仏説解十二門経』は『大十二門経』に対応するという方が,正確なのではないかと筆者は指摘したい.
  • ――信証を中心に――
    橋本 文子
    原稿種別: 本文
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1300-1304
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    真言宗開祖である空海(774-835)によって大成された十住心思想とは,『大日経』「住心品」の心続生段を根拠に,菩提心の展開の階梯を十箇の教判論として整備された思想体系であり,真言教学の根幹をなすものである.この思想の中で第八住心に配釈された天台宗側からの反論が提示された.特に台密の大成者とされる安然(841-889?)の『真言宗教時義』が痛烈な論駁を行っている.この論書により,空海の十住心思想を建立する際,いくつかの経論解釈には不明瞭な点があることを如実に浮き上がらせた.本稿は十住心批判の論駁書『十住遮難抄』の後半部で取り上げられている『秘蔵宝禴』の経論解釈の根底に,空海が『釈摩訶衍論』を援用していることに『教時問答』が着眼し批判したことへの論駁を問題提起の基点とする.信証と時を同じく光明山寺の実範(?-1144)『大経要義鈔』がこの問題について論駁を施しているが,『釈論』が如何に東密側でより具体的に論理面で受容されるに至ったか,西院流の祖である仁和寺の信証(1086-1142)が『大毘盧遮那経住心鈔』の中で論駁を施している.『大日経疏』を基底にした彼の論及を概観しつつ,実範の論駁と対比して試論を述べたい.
  • 原稿種別: 文献目録等
    2012 年 60 巻 3 号 p. 1305-1433
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2017/10/31
    ジャーナル フリー
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