印度學佛教學研究
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63 巻 , 3 号
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  • 田中 ケネス
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1095-1105
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    欧米において,浄土教のイメージは「仰信的」(devotional)で,仏教としては異質であるという印象が強いのが現状である.更に,真宗教義の根幹を示す「信心」の英訳としてentrusting(委託)がもっとも多く採用されていて,その「委ねる」という意味が「仰信的」なイメージを一層強める結果となっている.本論では,"Shinshu Theology"という視座より,信心の智慧の側面をより明らかにすることに努めた.尚,本論での"Shinshu Theology"とは,一般に言われる「一神教の神に関する学問」を示すのではなく,「特定の宗教の伝統においての知性的熟考」を指すのである.従って本論では,伝統宗学的な範疇に拘らない視点を採用した.その例として,「信心」に関する説明を分類すると,1)「真実」であることの規範的叙述(normative statement)と,2)体験的叙述(experiential statement)と大きく二つに分けることができるが,本論では,"Shinshu Theology"の視座に立つことで,後者,体験的叙述・視点を重視することがより可能となった.この体験的視点から見れば,信心を,1)委託,2)歓喜,3)無疑,および4)智慧という四つの側面に分類することができた.そして,本論が主題とする「智慧」とは,知る,理解する,気づく,という幅広い意味が含まれると定義した.以上のような視点より親鸞の信心に関する主要な文章を考察した結果,智慧の側面が信心の重要な要素であることが明らかになった.もちろん,信心の委託の側面は否定できない.しかし,それは智慧や無疑の側面を否定するものでもなく離れたものでもない.本願や自分の凡夫性を知ることが伴って委託という行為が可能となるのである.以上のように,信心を体験的視点から見れば,智慧の側面がかなり濃厚であることが判明され,目下主流となっているentrusting(委託)よりも,realization(目覚め)の方がより妥当な英訳であると考える.只,このrealizationは自力的なものでなく,他力的な目覚めなのである.
  • 藤原 ワンドラ 睦
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1106-1110
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本論はこれまでの真宗教義における仏性義が宗教多元の文脈化において主体性と社会性を語るうえで,どのような課題を生じているかを考察する.12世紀に親鸞によって往生浄土教として開かれた真宗教義は,人間中心の救済論を説くキリスト教神学と異を呈する.『教行信証』に引用された「一切衆生悉有仏性」の仏性について,江戸時代から20世紀前半にかけて,様々な学派による仏性義が展開された.本論では,第一能化であった西吟をはじめとする江戸宗学派による仏性義を概観し,それらに対する現代真宗学者の批判的視点を取り上げ,また諸宗教からの仏性観を織り交ぜながら,仏性と他力の関係が如何に主体性と社会性に影響を及ぼすことになるかを考察する.現在の真宗教義では信心仏性説が一般理解となっているが,古来,江戸宗学派の間では衆生の仏種を肯定する本有仏性説と否定する本有否定説の二説がある.また,それら二説から派生した肯定折衷説である無自性仏性説,否定折衷説の遍満仏性説があり,信心仏性説は否定折衷説に入る.仏性肯定・否定の両思想は,究極的には一切衆生が如来の願力によって救済されることに疑問はないが,この肯・否の論点は衆生が如来廻向の名号を領受する可能性を肯定するか,あるいはその可能性さえも否定して,如来から他力廻向されるとすることにある.ここに,阿弥陀如来から他力廻向される本願力である名号を衆生が領受する可能性の有無が問題となる.宗教多元の文脈化において主体性や社会性を語るうえで,如何に仏性と他力の関係を再解釈すべきか,その示唆を親鸞の言葉に立ち戻りながら考察する.
  • 渡邊 寶陽
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1111-1117
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    日蓮(1222〜82)は『法華経』の教理の根本を,天台大師智顗538〜598)が『摩詞止観』第五巻に説く「一念三千」に求めた上で,「一念三千の観法」が末法に於いては,『妙法蓮華経』の首題「妙法五字」専唱として昇化されるという認識に立って,それを実践した.日蓮は伝教大師最澄(767〜822)の『法華経』崇敬を継承し,釈尊→天台→伝教の系譜を三国三師としたが,さらに日蓮がその系譜を継承するという自負と自覚に達して,三国四師を唱えた.反面,『守護国家論』などでは,『往生要集』で著名な慧心源信(942〜1017)が,実はその後,『一乗要決』を著したことを重視し,「受け難き人身」(『昭和定本日蓮聖人遺文』89頁)などの仏教理解を継承していると見られる.もとより,日蓮が『法華経』を末法の衆生に遺された《未来記》とする所見や,流謫の地=佐渡島で,『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』で述べる天台大師智顗の『摩詞止観』第五の「一念三千出処」の文により,「南無妙法蓮華経」の題目の五字・七字を受持することによる久遠の仏陀釈尊の仏果の自然譲与等が注目されねばならないことは言うまでもない.また日蓮の『法華経』色読(受難体験の昇華)が重視されねばならないが,初期の著述である『守護国家論』に見られる仏教理解の基本にも注意すべきではないかと考える.さらに釈尊御一代の説法を五時に位置づけた『一代五時図』『一代五時鶏図』等についても十分な考察が必要であろう.日蓮の『法華経』色読に基づく『法華経』負荷の背景にある仏教理解の基本を確認することによって,日蓮の仏教理解の普遍性を確かめる一助と出来ようか.
  • 関戸 堯海
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1118-1125
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    『立正安国論』の直接の執筆の理由は,正嘉元年(1257)から文応元年(1260)にかけて発生した天変地夭などの災害である.災難の興起の理由について日蓮は諸経典を紐解き検討した.災難の興起について論じた,これに先立つ著作として『災難興起由来』『災難対治鈔』『守護国家論』などがある.『立正安国論』は,文応元年(1260)七月十六日に,前執権北条時頼に奏進された諌暁の書である.時頼は仏教を篤く信仰していた.これが,日蓮が『立正安国論』を彼に奏進した理由の一つである.『立正安国論』では,法然の『選択本願念仏集』などの経論疏を抄録して,浄土教批判を展開し,他国侵逼難と自界叛逆難を予言して,『法華経』に帰依すべきことを勧めている.けれども,『法華経』の教義や理念については詳しく論じられていない.これは,日蓮が公場対決を期していたことに由来すると考えられている.なお,法然批判の先駆者として,園城寺の公胤,定照,華厳宗の高弁などがある.『立正安国論』は旅客(北条時頼)と僧房の主人(日蓮)との,「九問九答」と「客の領解」(十番問答)によって構成されている.それを序分・正宗分・流通分の三段に分けて考えてみると,第一問答から第八問答までが序分,第九問答が正宗分,第十段の客の領解が流通分となる.序分では「災難の由来と経証」「謗法の人と法」「災難対治」「謗法の禁断」などについて説かれ,念仏を禁断することによって国難を防ぐことを明らかにする「破邪」の段であるとされる.そして,第九問答が正宗分であり,他国侵逼難と自界叛逆難を予言し『法華経』に帰依すべきことを勧める「顕正」の段である.流通分は第十段の「客の領解」のみとなっている.考察の結果として,日蓮の法華最勝義については要略して述べるにとどまっていることがわかった.批判の主眼を法然『選択集』に絞り,北条時頼から召喚があった時には,日蓮の宗教観に関する詳細な面談を遂げようという『立正安国論』の趣旨が再確認できたと思われる.
  • 師 茂樹
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1126-1132
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    雲英晃耀(きら・こうよう,1831-1910)は,幕末から明治時代にかけて活躍した浄土真宗大谷派の僧侶で,キリスト教を批判した『護法総論』(1869)の著者として,また因明の研究者・教育者として知られる.特にその因明学については,『因明入正理論疏方隅録』のような註釈書だけでなく,『因明初歩』『因明大意』などの入門書が知られているが,その内容についてはこれまでほとんど研究されてこなかった.雲英晃耀の因明学については,いくつかの特徴が見られる.一つは実践的,応用的な面である.雲英は国会開設の詔(1881)以来,因明の入門書等を多数出版しているが,そのなかで共和制(反天皇制)批判などの例をあげながら因明を解説している.また,議会や裁判所などで因明が活用できるという信念から因明学協会を設立し,政治家や法曹関係者への普及活動を積極的に行った.もう一つは,西洋の論理学(当時はJ. S. ミルの『論理学体系』)をふまえた因明の再解釈である.雲英は,演繹法・帰納法と因明とを比較しながら,西洋論理学には悟他がないこと,演繹法・帰納法は因明の一部にすぎないことなどを論じ,西洋論理学に比して因明がいかに勝れているかを繰り返し主張していた.そして,三段論法に合わせる形で三支作法の順序を変えるなどの提案(新々因明)を行った.この提案は西洋論理学の研究者である大西祝や,弟子の村上専精から批判されることになる.雲英による因明の普及は失敗したものの,因明を仏教から独立させようとした点,演繹法・帰納法との比較など,後の因明学・仏教論理学研究に大きな影響を与える部分もあったと考えられる.
  • 洪 鴻栄
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1133-1140
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    荒牧典俊は『出三蔵記集・法苑珠林』(大乗仏典中国・日本篇第3巻,中央公論社,1993年,p.226)の訳注研究に「敦煌写本S 4221が『小安般経』の残簡ではないか」と指摘していた.筆者が確認したところ,S 4221には,1999年に発見された金剛寺所蔵版『安般守意経』に関する「注釈テキスト」が保存されていると指摘したい.S 4221の題名は,「漏尽鈔」(擬為瑜伽論疏部)と書写されているが,尾題と考えられる漏尽鈔はS 4221の巻末ではなく,ほぼ巻中のことろに置かれている.これを尾題と考えれば,S 4221の内容を前半と後半とに分けることができる.その内容の前半は,ほぼ金剛寺所蔵版『安般守意経』のテキストの内容と一致し,そして多数の注釈も混在している.後半は前半の内容に関連する様々な「法数」が解釈されている.この注釈テキストは東晋・謝敷が著したもの,つまり,『安般守意経』(道安のいう『小安般経』)に対する「注」であった可能性はかなり高い.「安般守意経序」によれば,謝敷は『大安般(守意経)』『修行(道地経)』などの経典から『安般守意経』の内容と相応する文を引用し該当内容のところにあわせておいた(T 55, p.44b22-24).さらに,序文中の「其文雖約」(T 55, p.44b9-10)というキーワードから,彼の注釈した文献は,簡約なテキスト-つまり,短篇的な『安般守意経』であって,二巻本の『大安般守意経』とは異なったもの,と見られる.経録によれば,晋代において『安般守意経』と『大安般守意経』との二経は,かつて存在していた.前者は『道安録』でいう『小安般経』に該当する可能性が高い.謝敷は,この『小安般経』を注釈するため,『大安般守意経』の内容をも引用していた.
  • 伊藤 真
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1141-1147
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    法蔵の『華厳経伝記』には五台山に関する記述が数多く見られ,吉津宜英氏は同伝執筆の一つの「意図」になっていると指摘している.しかしみずからの教学とも師弟関係の上でもほとんど関連のない五台山をなぜ法蔵はそれほど強調したのか? 吉津氏は『華厳経伝記』の主たる特徴として,『華厳経』研究講説の専業とその祥瑞,そして則天武后への称賛をはじめ武后政権を意識した「公(おおやけ)」の性格などを指摘した.これらと法蔵の五台山への着目はどう関連しているのだろうか? 本論では唐代の五台山信仰隆盛の先鞭をつけたと評される会昌寺会賾(7世紀後半.会頤とも)による五台山踏査を手掛かりに,法蔵の意図を考えてみたい.会賾と極めて時代の近い資料である道宣『集神州三宝感通録』,慧祥『古清涼伝』では,会賾は複数回の「勅令」によって五台山へ赴いたとするが,王俊中氏はそれらが時の皇帝・高宗ではなく則天武后の意図によるものだと推察している.とすれば,吉津氏が指摘する『華厳経伝記』の「公」の性格からして,法蔵は武后の意図・関心を意識して同伝に五台山の事例を数多く取り上げたと考えられるのではないだろうか.法蔵は『華厳経伝記』に『三宝感通録』や『古清涼伝』には語られない会賾(会頤)による三度目の五台山行きを記し,初唐の五台山の名僧・解脱禅師が「後代我が名を顕彰する大人が現れる」との臨終の際に残した予言を成就するものだったと述べている.これは会賾を派遣した武后への賛辞でもあると言えるのではないだろうか.
  • 釋 覺瑋
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1148-1154
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ブッダの誕生記念祭は,多くの仏教的祝祭の中でも最重要の祝祭の一つである.本論文は,外来宗教としての仏教が中国に受容された後に,主要な祝祭である仏誕祭が,いかにして国家的な認知を得るに至ったかを,今からおよそ1500年前の北魏時代と現代台湾における事例を比較しながら考察する.記録によれば,後漢時代に仏教が中国に伝わってからおよそ500年,6世紀初めの北魏では,陰暦4月8日,皇帝や多くの市民が,それぞれに仏像を安置した1000台の車列をもって仏誕祭パレードを行ったという.一方,台湾において仏教が広く知られるようになるのは17世紀の清朝においてであり,さらにまた仏教が台湾に根づくのは,多くの僧侶や僧尼が中国の東海岸から移り住むようになる1945年以後のことである.21世紀の台湾では,大統領府の前で10万人規模の仏誕記念式典が開かれることにもなった.相互に1500年の隔たりをもちながらも,いずれの祝祭も外来宗教としての仏教を受容し,ブッダの誕生を公共の空間において祝う祭典として文化史的,社会的,および政治的に重要な意味をもつことを具体例に即して考察した.
  • 山田 智輝
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1155-1160
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    sindhu-はRgveda (RV)中に210回の用例(複合語を含む)を有するが,これは同文献に登場する河川に関わる語の中で,群を抜く数字である.当語は単数形で河川名「スィンドゥ」(恐らくインダス川に比定される)を意味する他,「河川」や「水流」の義の普通名詞としても,数を問わず広く用いられる.また,同文献において,河川に関連する語は主に女性形で語られるのに対し,sindhu-は男性形,女性形の双方が用いられる.しかしながら, -u-語幹の性質上,語形そのものから性を判断できない場合が多く,同語にかかる形容詞,代名詞及び関係代名詞が周囲に存在しない限り,性は確定できない.本稿では,はじめに,RVに言及される河川に関わる三種の語,sruti-「道」(<srav「流れる」),avani-「河床,河川」,nadi-「河川」を対象に分析し,各語がどのように流れる存在としてイメージされていたのか,並びに,それらが往時のインド・アーリヤ人達にとって,どのような生活上の意義を持っていたのかを考察する.次に,多種多様な文脈に言及されるsindhu-について,先に扱った各語との関係性にも着目しながら,その特徴を検証する.最終的に,同文献における河川観を総括する.
  • 天野 恭子
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1161-1167
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    黒ヤジュルヴェーダ・サンヒター(マイトラーヤニー・サンヒター[MS],カータカ・サンヒター,タイッティリーヤ・サンヒター)の散文部分は,ヴェーダ祭式についての最も古い説明書である.筆者による最近の研究は,MSの各章がそれぞれに示す言語的特徴を明らかにし,同文献において複数の言語層が存在するという可能性を示唆した.これは,MS成立の解明に向かう新たな視点と言える.本研究では,各章の言語や記述意図・記述スタイルの違いを浮き彫りにする数例の言語現象を取り上げる.MSにおける散文章すべてについて考察を行うが,特にIII巻1-5のAgniciti章のMSにおける位置づけに焦点を当てて考察する.その結果,マントラのみを,付随する祭式行為への言及なしに引用する用法,マントラをhi文で説明する用法,そしてyad aha...iti文でマントラを引用する用法が,III巻以降に顕著に頻繁になることが明らかになった.III巻以降,マントラの引用と説明に重点を置く傾向が強くなったと理解される.そして,これらの用法が,I巻4-5に共通して現れることも分かった.しかし,atha+esa-/eta- による祭式説明の導入の用法を見ると,III巻1-5とI巻10-11に共通していることが分かった.III巻以降の章は,I巻に見られるスタイルを選択的に踏襲しており,特にI巻4-5の影響が強く,I巻10-11も影響していることを,本考察の結論として述べた.
  • 伊澤 敦子
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1168-1173
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    upa-sthaという動詞は,黒Yajurveda-Samhitaの散文においては,(1)礼拝する,(2)仕える,そばにつき従う,という2つの意味に限定して用いられる.これらのうちで,具格を伴う例が約3分の1を占める(288例中91例).本稿ではこの用法について考察した.まず,具格を伴うupa-sthaは,全て(1)の意味で使用されており,Agnyupasthana(祭火の礼拝)の部分に57例,Agnicayana(祭火壇構築祭)の部分に27例,その他の部分に7例見出される.また,具格で示される対象を7種類((1)唱える詩節の数,(2)代名詞,(3)韻律又は韻律名,(4)唱えられるマントラが捧げられる神格やそのマントラに含まれる語,(5)マントラの名前,(6)Saman名,(7)その他(2例))に分けて調査した結果,(6)までは具格によってマントラが示されていると断定できるが,以下の(7)の2例に関しては更なる検討を要することがわかった.第1例: Kathaka-Samhita 20.5 (23,11-12) sarpasirsair upatisthate 第2例: Kathaka-Samhita 35.17 (62,18-63,1) manasopatistheta 特に前者のsarpasirsaniが何を意味するかは不明である.ただしMaitrayani Samhita 3.2.6 (23,16-18)の中のこの語に対応すると見られるsarpanamaniは特定のマントラを指すということが,Srautasutraによって知られている.これらの点を踏まえて,以下の結論を導き出した.Rgvedaなどそれ以前の文献では,upa-sthaと具格の結びつきは強くなく,また,具格によって示される語の意味が限定されることはなかった.しかし,黒Yajurveda-Samhitaの散文においては,upa-sthaが具格を伴う場合は,必ず「礼拝する」という意味で用いられ,その具格は,不明の1例((7)の第1例-sarpasirsani)を除いて全てマントラを示すことが明らかになった.従って,この例もマントラの呼称である蓋然性が高く,sarpasirsaniとsarpanamaniが同一のマントラを指す可能性も否定できない.マントラが具格によって示されるのは珍しくはないが,upa-sthaの場合,具格がそれ以外の意味で使われることがないということ,更に,Agnyupasthanaの次にAgnicayanaの部分にこの用法が多く見られるという点に注意すべきであろう.
  • 高橋 孝信
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1174-1182
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    インド最南端のタミル地域に,「サンガム伝説」とよばれるものがある.それによると,古代パーンディア王朝にはその庇護を受けたアカデミー(サンガム)があり,詩人たちはそこで文法や詩論を学び詩作をしたという.この伝説には今日われわれの知るタミル古代の文法書と文学作品が列挙されていることから,それが単なる空想の産物ではなく,少なくとも部分的には史実を含んでいるという点では研究者の見解は一致しており,そのためタミル古代文学はサンガム文学と呼ばれるようになった.サンガムには「はじめ」,「中間」,「最後」という3つがあるのだが,このうち史実に近いのは「最後のサンガム」の記述である.そこには,今日でも最も権威ある文法書・詩論であるTolkaappiyam(古文典)や,タミル古代文学として知られる二大詞華集-Ettuttokai(八詞華集)とPattuppattu(十の長詩)-のうち,「八詞華集」の全作品名と内容未詳とされる4つの作品名(Kuttu, Vari, Cirricai, Pericai)が出ている.他方,これまで「十の長詩」は伝説には言及されていないと考えられてきた.筆者もそのように考えていたのだが,ここ数年「十の長詩」を読んできて,その年代確定のために再度「サンガム伝説」を読んでみると,これまで内容未詳とされてきた4作品が「十の長詩」に含まれる4つの「案内文学(arruppatai)」と呼ばれる作品であることが分かった.本稿では,100年におよぶ「サンガム伝説」研究で分からなかった,それら4作品の同定をし,あわせてこれまでそれらを同定できなかった理由を示した.
  • 森口 眞衣
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1183-1190
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ギリシア医学にルーツを持つ西洋医学では,細胞病理学が発展した16世紀までの長い間,血液の異常を病気の原因とする体液学説が病因論の主流を占めてきた.インド医学に対してもギリシア医学と同じように体液学説が病因論の基盤であるとされ,医学書も基本的にその中核となるtri-dosa説をベースに記述されているとみなされてきた.しかしSusrutasamhita(以下SS)ネパール写本のUttara-tantra(以下Ut)においては現行の刊本と異なりtri-dosa説による疾病の説明が欠落し,またセクション配置にも違いがあることが張本研吾氏によって指摘されている.本稿はSS全体におけるtri-dosa説の位置づけを概観するとともに,Utの構成と疾病概念の関係を考察した.Sutrasthana (Ss)およびNidanasthana (Ns)では疾病の分類に対する下位区分としてtri-dosa説による名称が用いられていた.ある疾病をtri-dosa説のみで説明しようとする箇所はほとんどなく,病因論の根底を担うという扱いではない可能性が想定された.Utは前半(パターンA: 6.1-6.37)と後半(パターンB: 6.39-6.66)とで各セクションの内容構成に差異がみられる.前半においてある疾病の病理と治療法はそれぞれ別々のセクションで記載され,後半ではひとつのセクションの前半で病理,後半で治療法を記載するという形を取る.前半部に収録された眼病の一部にtri-dosa説に基づいた記載がまとまった形で存在するものの,全体を通してはSsやNsと同じように疾病の下位分類名としての位置づけが基本となっていた.Utにおける現行刊本とネパール写本の差異にはSSの医学書としての構成特徴や疾病部位との関連がみられる.眼病の治療法における一部の手技が刊本では独立のセクションとして記載され,鼻カタルを扱うセクションがネパール写本では呼吸器系の疾病のひとつとしての配置,刊本では鼻病の治療法から独立したセクションとしての配置であった.セクション配置に変化が生じた背景には治療法の発達や編集上の意図などが想定される.
  • 熊谷 孝司
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1191-1196
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    古代インドの文献には,多岐に亘って「予兆」「前兆」に関する言及が見られ,その理解は,当時の世界観を理解するのに重要な意義を持つ.予兆集成文献群のうち,特にGargasamhitaは,それらの文献群に共通して現れる賢者Gargaの説の基となっている可能性を指摘されつつも,そのほとんどが写本の状態に留まっている.本研究では,一部が公刊されているのみのGargasamhita写本の研究成果を中心に,Gargasamhita 39, Brhatsamhita 45, Atharvavedaparisista 70b, 70c, Matsyapurana 228-237を比較検討し,Gargasamhita 39を文献史上に位置付けることを試みた.特に,今回,新たに発見されたGargasamhita 39第12項目とMatsyapurana 237とのパラレル箇所の比較を中心とした.また,Gargasamhitaの校訂時には,Adbhutasagara, Adbhutadarapanaに引用されているGargaの説も,写本を補足するものとして使用した.その結果,Gargasamhita 39は,Matsyapurana 228-237以前に成立した可能性が高く,これまで明らかになっている,Brhatsamhita, Matsyapuranaの二者は王権と関わる世俗的立場,Gargasamhitaは王と対等の立場であることを考え合わせると,本研究で扱ったGargasamhita写本の第39章は前掲の代表的予兆文献よりもより原型に近い説である可能性も示唆された.また,Gargasamhita 39の本文の一部を資料として提示した.
  • 友成 有紀
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1197-1203
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ミーマーンサー学派のクマーリラは,『タントラヴァールッティカ』で,パーニニ文法学の「権威(pramana)」である三聖,すなわちパーニニ,カーティヤーヤナ,パタンジャリの作品から「言い間違い(apasabdana)」としていくつかの語形を列挙して批判する.クマーリラの批判の主眼は,ひとえにそれらの語形が非パーニニ文法的である,という点にある.後代の文法学者はこれらをパーニニ文法の枠内で説明しようと「既成形(nipatana)」や「アークリティ・ガナ(akrti-gana)」といった道具立てをも用いて論じるが,これらの道具立てにはミーマーンサー学者からの更なる批判が向けられていた.一連の議論を総合すると,文法学という学問に対して文法学者自身が抱いていたイメージと,ミーマーンサー学者が期待していたそのあるべき姿との差異が浮き彫りになる.
  • 川村 悠人
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1204-1208
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    バッティは,Bhattikavya(以下BhK)主題の部に属するBhK 9.8-11において,sICとparasmaipadaの後続を根拠とする,angaに対するvrddhi代置操作を規定するAstadhyayi(以下A)7.2.2-7を例証する.それらの規則にはA 7.2.1 sici vrddhih parasmaipadesuからsici, vrddhih, parasmaipadesuの三項目が継起する(A 1.3.11 svaritenadhikarah). A 7.2.2-7が属する主題(adhikara)は注釈家達によりsicivrddhyadhikaraと呼ばれる.BhK 9.8-11において使用されるアオリスト形とそれをもって例証される規則の対応は以下の通りである.[1] A 7.2.2 ato lrantasya→BhK 9.8ab: aksarisuh(ksar「注ぐ」3rd pl. aorist P.); ahvalit(hval「動揺する」3rd sg. aorist P.).[2] A 7.2.3 vadavrajahalantasyacah→BhK 9.8b: avrajit (vraj「流浪する,赴く」3rd sg. aorist P.); BhK 9.9a: avadit(vad「音を立てる」3rd sg. aorist P.).[3] A 7.2.4 neti→BhK 9.9b: pradevit(pra-div「打つ」3rd sg. aorist P.).[4] A 7.2.5 hmyantakSapasvasajagrnisvyeditam→BhK 9.9d: agrahit(grah「つかむ」3rd sg. aorist P.); BhK 9.10a: avamisuh(vam「放出する」3rd pl. aorist P.).[5] A 7.2.6 urnoter vibhasa→BhK 9.10b: praurnavisuh(pra-urnu「覆う」3rd pl. aorist P.); BhK 9.10c: praurnavisuh(pra-urnu「覆う」3rd pl. aorist P.) [6] A 7.2.7 ato halader laghoh→BhK 9.11a: arasisuh(ras「叫ぶ」3rd pl. aorist P.); BhK 9.11c: atrasisuh(tras「恐怖する」3rd pl. aorist P.)重要なのは,BhK 9.8-11の直前にあるBhK 9.1-7(prakirnakasloka)においても5つのアオリスト形が使用されており,そのうちの一つのアオリスト形(BhK 9.1c: akarsuh[kr「なす」3rd pl. aorist P.])によってA 7.2.1が例証されていることである.A 7.2.1は支配規則(adhikarasutra)ではなく操作規則(vidhisutra)である.しかし,バッティはA 7.2.1とA 7.2.2-7を明確に区別する.A 7.2.1は操作規則であると同時に,sici, vrddhih, parasmaipadesuという規則中の全項目が後続規則に継起するという点で支配規則としての機能も有しているからである.それは,例えばA 3.2.16 cares tahからはTahのみが後続規則(A 3.2.17-23)に継起するのと対照的である.なお,BhK 9.8-11(sicivrddhyadhikara)において使用されるアオリスト形の提示順序が,例証される規則が定式化されている順序と一致しているという事実を指摘できる.
  • 岡崎 康浩
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1209-1215
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ウッドヨータカラのアポーハ批判は今まで幾人もの学者によって研究されて来たが,ここでは,『ニヤーヤヴァールティカ』のThakurテキスト,pindの『集量論』第5章の研究を前提に再考してみる.その結果ウッドヨータカラのアポーハ批判は,pindの述べるように『集量論』だけでなく,彼の他の失われた作品からの引用を行っており,しかも,ウッドヨータカラは彼の論点に合わせてかなり自由な引用を行っていることが明らかになった.ただ,ウッドヨータカラの論点は,あくまで普遍や個体を語の指示対象と認めないというディグナーガの実念論者に対する批判への再批判が主となっており,アポーハという概念そのものに対しては,それがどの程度まで実念論学派の普遍と類似性があるか,普遍として扱うにはどういった問題があるかという論点に止まっており,ディグナーガの説明にしたがって丁寧に論破するという姿勢にはなっていない.これも,言葉の指示対象の多様性を認めるニヤーヤの立場をディグナーガの批判から擁護するというウッドヨータカラの主目的から考えれば当然であるようにも思われる.
  • 志田 泰盛
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1216-1222
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Saptapadarthi (SapP)などの著者として知られるSivadityaの年代については,Bhattacharya [1958]が提示した12世紀中葉説が広く受け入れられている.その下限となるBhatta Vadindraの年代についてはIsaacson [1995]により具体的な年代根拠が与えられており,一方で上限基準についてはUdayana(11世紀頃)とされていた.本稿はまずSivadityaの著作や年代に関する先行研究を整理した上で,SapPに簡潔に提示される有神論的知覚定義に焦点を当てる.特にUdayanaの後継者と目され,かつUdayanaとの間に一定の時間的距離が推定されるVaradaraja(ニャーヤ学派)との思想的影響の方向を検討することで,Sivadityaの上限年代を検討する.しかし簡潔な知覚定義の比較だけからは,両者いずれかの先行性あるいは相互不参照という3つの可能性はいずれも消去できず,「SapPの非常に簡潔な内容からSivadityaの年代を論じるのは不可能」というGhate [1909][1914]の指摘を覆すには至らない.ただし知覚定義の箇所におけるこのSapPの簡潔性を根拠としてVaradarajaがSivadityaに先行するシナリオが最も蓋然的と考えられ,その場合Sivadityaの年代は12世紀中頃から後半と推定される.
  • 張本 研吾
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1223-1229
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    過去の南アジア文明を学ぶために,我々はより信頼の置けるテキストを望む.そしてそのために我々は原典批判の手法を用いる.マンダナ・ミシュラ作『スポータ・シッディ』に対するパラメーシュヴァラIII世の著した註釈『ゴーパーリカー』には原典批判の手法を採用したと見られる記述が多く見られる.パラメーシュヴァラはマンダナが引用するテキストの異読を,それらのテキストのソースに基づき紹介し,『スポータ・シッディ』そのものについては,その複数の写本あるいはより古い註釈を比較しつつ異読を丹念に検討する.場合によっては,彼のいう異読は彼が考案したものである.また,テキストの読みが写本では不確かである場合には複数の可能性を考察する.本稿ではそれぞれのパターンに関して実例を挙げつつ紹介する.彼の手法やテキストに対する態度は現代の我々の考える文献学に通じる.彼はテキストが流動的であること,テキストには複数の可能性があることを熟知していた.しかし,彼は現代の文献学者のようにどの読みを積極的に支持するかは提示しない.これは個々の読者に任されている.
  • 池端 惟人
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1230-1235
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Vedanta学派の根本聖典,Brahmasutraは,他学派批判を目的とする第2篇第2章中,スートラ18-32を仏教説批判に当てる.同箇所については,Ramanuja (1017-1137)のSribhasyaにおける仏教理解の不備がすでに指摘されている.これと同じような不十分な仏教理解が,Madhva (1238-1317)の註釈,およびJayatirtha (1365-88)の複註Tattvaprakasikaにも見られる.もし時代が下ることにこの傾向が顕著になるとすれば,その原因をインドにおける仏教衰退と考えることもできよう.それを検証すべく,本稿では,過去のBrahmasutra研究において十分考慮されてこなかった,Madhva派の仏教説批判部における言明を再検討する.Madhva派の説明は,説一切有部の十二因縁・四縁,三無為法,唯識派の薫習などといった重要な仏教術語への言及を欠く.また,中盤でSunyavadaとして挙げられる説も,中観派の空思想と何の関係もない.以上を見ただけでは,Madhva派にも仏教知識の乏しさを指摘し得る.しかし,同箇所のJayatirthaの言明をより精査していくと,そこには先行註釈が触れない引用がいくつも見出される.その多くが,実際の仏教著作(例えば『唯識三十論』『知識論決択』『不二一滴論』),あるいは仏教徒と見なされる言明を典拠としている.独自に仏教文献に接触する機会がJayatirthaにあったことは間違いない.また,仏教術語の一々について説明を欠くのは,世界原因をめぐる議論という同章の主文脈に合わせた割愛とも考えられる.Madhva派が少なからず仏教説の知識を持ち合わせている以上,その説明に不十分さが見られたとしても,その原因をただ仏教の衰退にのみ求めることは早計である.
  • 山中 行雄
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1236-1242
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    著者は,現在ドイツ・ゲッティンゲン大学で,ドイツ学術振興会(Deutsche Forschungsgemeinschaft, DFG)から助成を受け,『パーリ聖典の動詞形』(Die Verbalformen des Pali Kanon)という研究プロジェクトに従事している.このプロジェクトについて,著者は前年度にその概要を説明し,プロジェクトの必要性を述べた(『印度学仏教学研究』62(1), 313-308).本プロジェクトの進行とともに,パーリ語動詞の語形・音韻論のみならず統語論上の諸問題が顕在化しつつある.前年度の論文では,願望法と命令法の混成という問題について論じたが,本年度はパーリ語における未来形の特徴について論じたい.特に,時制上は過去の文脈であるにもかかわらず,未来形が使用される用例に注目する.この用例は,現在まで十分に分析されたとはいえず,新しい視点から検証されることが望まれている.著者は,この過去の文脈で使用される未来形が時制ではなく,modality(法性・様相性)を表現しているという視点から再検討する.本発表を通じて,著者のプロジェクトが,パーリ語を含む中期インド語動詞の形態論的研究のみならず,意味論および統語論的研究の基礎となりうることを示す.
  • 清水 俊史
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1243-1249
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿は,仏滅後200余年後に著述された阿毘達磨論書『論事』に対して,上座部がどのような理論をもって「仏説」としての権威を附託し,それを三蔵に加えているのかという点を考察した.結論として,ブッダゴーサ著『法集論註』に説かれる記述によれば,上座部において「仏弟子の言葉」が「仏説」としての権威を得るためには,(1)仏陀が論母を置いていること,(2)その論母の分別が一切智性智に適っていること,(3)分別の後に仏陀が「随喜」することで事後承認を得ること,の三点が重要であることが明らかとなった.またこの場合,仏滅後の著作である『論事』は,条件(3)を満たすことが出来ないという問題が生じているが,これに対して註釈家アーナンダは,『法集論復註』において,「随喜によって仏説化した」というプロセスを「仏説化したことに随喜した」と再解釈することによって必須条件から外している点が注目される.
  • 青野 道彦
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1250-1255
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    部派仏教教団において異見はどの様な扱いを受けるのか,本論文はこの問題について検討した.この問題については,佐々木閑氏がcakrabheda(破法輪)とkarmabheda(破羯磨)という律専門用語を分析し,李慈郎氏がnanasamvasakaという律専門用語を分析し,何れも異説共存の可能性を提示している.本論文では,これを踏まえ,ukkhepaniyakamma(挙罪羯磨)という別の律専門用語に注目して,部派仏教教団における異見の位置付けについて再検討した.具体的には,以下の様な作業を行なった.先ず,ukkhepaniyakammaの意味を検討し,それが比丘・比丘尼の共同行為から執行対象者を「排除するための法律的行為」であることを示した.次に,ukkhepaniyakammaの目的について検討し,それが律規定に関する異見及び教説に関する特定の異見を取り締まる制度であることを示した.続いて,ukkhepaniyakammaの執行判断について検討し,それが比丘サンガ又は比丘尼サンガの総意に基づき執行されるもので,一人でも執行対象者を支持するならば,執行できないことを示した.最後に,ukkhepaniyakammaを科された比丘への追従行為に関する律規定を検討し,比丘尼はukkhepaniyakammaを科された比丘に追従することが禁じられるが,比丘はそれが許容され,更には,ukkhepaniyakammaの執行主体とは別の比丘サンガを新たに組織することが許されることを示した.そして,これらを考え合わせ,律規定に関する異見及び教理に関するある種の異見が必ずしもサンガから排除されず,たとい排除されたとしても,比丘達により合法的に受容される余地のあることを指摘した.
  • 斎藤 明
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1256-1262
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    『維摩経』のサンスクリット本は全体で12章からなる.その中でも第4「病気の慰問」章は,智慧を特性とする菩薩マンジュシュリーがヴィマラキールティの病気の慰問に出かけ,空(sunya[ta])の意味をめぐって興味ぶかい議論を展開する.本稿は,チベット語訳と漢訳(三本)によってきた従来の研究では明らかにされず,また2006年に公刊されたサンスクリット本に基づく近年の複数の訳注研究によっても解明されていない,『維摩経』における空の意味を,サンスクリット本の批判的考察をもとに再考した.具格形を求めるsunyaの一般的な語法,第4章の文脈,ならびに空をふくむ諸法はそもそも表現されえないという初期大乗経典に通底する<空>思想,という3つの観点から考察を加えた.その結果,同章の中で2箇所に用いられるkenaの共通した用法に着目し,それが従来の多くの解釈が示すような,空である理由やあり方をたずねる用法でなく,主語となる事物に欠いているものをたずねる用法に他ならないことを結論づけた.
  • 鈴木 隆泰
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1263-1270
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    『法華経』の「法華七喩」の中に,有名な長者窮子喩がある.一方,『法華経』や『涅槃経』等の影響下に作成された,如来蔵系経典である『大法鼓経』にも長者窮子喩が説かれている.両者には共通点も多い反面,最大の相違点として,『法華経』の長者窮子喩では,貧者は長者の家で仕事をしつつも財産を望まず,長者から真実を告げられ,思いもかけずに相続者となるのに対し,『大法鼓経』では,長者から真実を聞かされる前であったにもかかわらず,貧者は自発的に財産の相続者となることを望み,そして長者から真実を告げられ,望み通りに相続者となる,という点が挙げられる.この『大法鼓経』の長者窮子喩は,実子で〔あると〕は〔まだ知らされてい〕ない者が相続者になりたいと自ら望むという点において,血統・家柄を重んじるインド社会の価値観から見て非常に不自然であるとの指摘もなされてきた.本研究では長者窮子喩のみに限らず,両経典の一乗や解脱を巡る教説を辿ることによって,両者の異同の理由を探った.以下に結論を提示する.『法華経』は,一乗・一切皆成の根拠を衆生の外側(諸仏の誓願)に見出している.そのため衆生は,一切皆成であると「諸仏に教えてもらわなければならない」.これが,貧者が長者から教えられて,自分が息子・財産の継承者であったことがはじめて分かるという構図に連なっている.なお,一乗を主張するためには,すでに解脱を得ている阿羅漢の成仏も保証しなければならない.そのため『法華経』は,"解脱した者はもう二度と解脱できない"という従来の理解に挑戦することとなり,結果,それまでの「常識,前提」を覆し,「輪廻からの離脱は真の解脱ではない」「三界を離脱しても不死ではなく再生する」という驚くべき説を提唱するに至った.一方の『大法鼓経』は,『法華経』の提唱した「成仏するまでは複数回解脱できる」という説を継承しながらも,一乗・一切皆成の根拠については『法華経』とは異なり,「衆生の内側に実在する如来蔵・仏性」に見出している.そのため,「教えられずとも衆生(貧者)の側から成仏(財産)を求める」という構図を描くことが可能となった.さらには,如来蔵・仏性思想の一大特徴として,そもそもこの思想自体が「如来目線の教え」であることも関係していると思われる.如来であれば,他より教えられずとも一切皆成を最初から知っているからである.『法華経』とは異なり,『大法鼓経』の長者窮子喩が仏弟子ではなく釈尊の所説となっていることも,この仮説を支えるものと判断される.たしかに『大法鼓経』の長者窮子喩には,血統主義に立脚するインド社会・世間的価値からは「非常識」とも見なされる面がある.しかしインド仏教には,「如来=父,仏弟子=実子」という,世俗の親子関係を超えた「出世間の親子関係」という考え方が伝統的に存在していた.この伝統に照らし合わせるとき,『法華経』よりもむしろ『大法鼓経』の長者窮子喩の方が,出家主義・行為主義を標榜するインド仏教の文脈により沿うものといえる.
  • 日野 慧運
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1271-1275
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    古代インド医学の解明において,アーユルヴェーダと総称される体系が確立される以前の姿を伝えるものとして,仏教典籍における医療の描写が重要であることは,夙に指摘されてきたところである.本研究では,仏教思想史上に中期大乗経典と位置づけられる『金光明経』「除病品」に見られる医学的記述を取り上げ,アーユルヴェーダ文献との比較を試みる.『金光明経』における医学的記述は,季節(rtu)の定義,季節毎の病素(dosa)の異常,それに対するラサ(rasa)や療法を説いており,『チャラカ本集』『スシュルタ本集』などをはじめとするアーユルヴェーダ文献に共有された季節養生法の一節と対応している.しかし委細に比較すると,季節,病素,ラサの観念はアーユルヴェーダのそれと合致せず,むしろ仏教固有の季節観,身体観を反映したものであることが判明する.本研究は上の検討を通して,『金光明経』の医学的記述が,正統派アーユルヴェーダ文献とは別系統の医学伝承に属するものか,あるいはその季節養生法の形式のみを模倣しつつ仏教教義をベースに編纂されたものである可能性を指摘する.
  • 山崎 一穂
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1276-1281
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Ksemendraの仏教説話集Bodhisattvavadanakalpalata (Av-klp)第59, 69-74章はアショーカ王に関する伝説の叙述にあてられている.うち第73章はアショーカ王による龍調伏伝説を主題とする.この伝説を伝える並行資料はチベット大蔵経テンギュル書翰部所収Asokamukhanagavinayapariccheda (AsM),漢訳『天尊説阿育王譬喩経』(T no. 2044, vol. 50),『雑譬喩経』(T no. 205, vol. 4)及び17世紀のチベット僧ターラナータが著した史書に存する.これらのうちターラナータの史書はAv-klpとAsMに依拠したことを第六章末で明らかにしている.本論はターラナータの史書を除く四伝本とAv-klp所収話が伝える内容を比較し,Av-klp所収話の材源を明らかにすることを目的とする.Av-klpは漢訳二本に欠損,もしくは両者と食い違う物語要素をAsMと共有しており,両者の間には複数の字句の一致が確認され得る.従ってKsemendraが材源とした「龍への伝令物語」がAsMのそれに最も近いものであったことが推定される.しかしAv-klpにはAsMに対応部分を持たない物語要素が二箇所存在する.うち「アショーカ王による仏陀への帰依文」(第16-17詩節)はその文体的特徴から判断してKsemendra独自の創作と考えられる.これに対し「ウパグプタの招来」(第25-27詩節)は文脈,文体上彼の創作とは見倣し難い.この物語要素については(1)Ksemendraが何らかの材源からこれを知り得て自らの「龍への伝令物語」に挿入した,或いは(2)彼が自身の材源とした「龍への伝令物語」に既に挿入されていたという二つの可能性が考えられる.
  • 石田 一裕
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1282-1288
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    仏教学において,ある仏典に古層と新層が存在すると考えることは一般的なことである.この考え方は,古層に新層が付加されて現存の仏典が成立したというものであり,これまでの研究により,経・律・論のそれぞれにおいてより古い部分が明らかにされ,仏典の成立史が明らかにされてきた.それでは,ある仏典はいつまでも書き換え続けられるのであろうか,もしそうでなければそのような書き換えはいつ終わるのであろうか.本論文は『大毘婆沙論』における「有別意趣」という表現の考察を通して,この問題に一つの回答を与えようと試みるものである.本論文では,『大毘婆沙論』が,『品類足論』の後世への流伝に与えた影響と,『発智論』に潜む矛盾をどのように解釈したかを明らかにし,たとえ教理上の間違いがあったとしても,聖典としての仏典が容易に書き換えられない場合があることを明らかにした.
  • 那須 円照
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1289-1294
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本論では,一般には世親は『唯識二十論』において,外界非実在論としての唯心論を確立したと考えられていることに対して,実は,世親は意識していなかったかも知れないが,初期の世親の著作である『倶舎論』において,唯心論を確立する思想的根拠が理論的に完成していたということを論証する.世親の『唯識二十論』の極微論批判における唯識無境の論証は,空間における極微の分析を徹底することによるが,極微を無限に小さく分けていくと,ある時点から個々に見えなくなるが,それは,認識できないから極微の存在はわれわれにとって保証されないが,必ずしも,極微がないとは言えなくて,どこまでも分析されるものとして存在し続けるとも言える.これは,空間的分析による唯心論の時間的限界を示している.さて,これに対して,既に『倶舎論』においては,「根品」の四相の中の老相の実在性の否定の論証のところと,「業品」の徹底的な刹那滅論の論証のところにおいて,唯心論を確立する思想的基盤が見られる.まず,「根品」の老相の否定によって,ものはある瞬間と次の瞬間との間で,変化するということは厳密には認められず,全く同一であるか,全く別異であると考えられる.ここで,論理的必然的に,同一であると考える場合でも,前後のものの間に,前のもの・後のものという属性の違いがあるから,前のものと後のものが全くちがうことが帰結する.さらに,「業品」では,刹那滅論が経量部的に徹底され,生じる瞬間と滅する瞬間が同一であるとされる.そうなると,ものは一瞬も存在すると言うことができず,空間的分析を待たずに,時間空間を超越する.よって,唯心論が確立される.最後に,以上の唯心論が,浄土教的な思想の理論的背景になりうることを註記して,結びとする.
  • 赤羽 律
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1295-1301
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Bhaviveka (490/500-570)のPrajnapradipaは,インドの仏教僧プラバーカラミトラによって,630-632年にかけて漢訳されたことが知られているが,このプラバーカラミトラという名前に関して,一般的にその異名として知られるプラバーミトラという名前が本来の名前ではないかという見解が存在する.本稿では,このプラバーカラミトラが行った三つの翻訳の訳場全てに参加し,筆受として重要な役割を果たした法琳という人物の『弁正論』の中に,プラバーカラミトラという名称が記載されていることを指摘し,プラバーカラミトラの名前の妥当性を再確認した.また,2011年より行ってきたPrajnapradipaの漢訳とチベット語訳の比較に基づく研究プロジェクトの最終報告の要約として,Prajnapradipaの漢訳の特徴を大きく三つに分類した.それらは,(1)漢訳の元になったサンスクリット原典に存在したものの,漢訳において省略された可能性がある例,(2)元々のサンスクリット原典に存在しなかった可能性がある例,(3)訳出において生じた差異,という三つであり,それぞれに対して実例を挙げて示した.
  • 横山 剛
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1302-1306
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    蔵訳でのみ現存する月称の『中観五蘊論』は,アビダルマ範疇論を解説する特異な中観論書であり,中観派における範疇論理解を伝える貴重な資料である.先行研究は,蔵訳が冒頭部で示すPancaskandhaprakaranaを書名として採用するが,蔵訳が伝える書名を直ちに原題と見なすことに問題はないのであろうか.本稿では,有部の範疇論を簡潔に説示する同論の性格に注目しつつ,その原題について考察する.池田練太郎「Candrakirti『五蘊論』における諸問題」(『駒澤大學佛教學部論集』16(1985), pp.588-566)は,後代に書名に「中観」という語が付加された点を指摘するが,本稿では書名中の"prakarana"という語に注目して考察を進めたい.まずは同論の奥書や後代の論書が同論に言及する際の書名などから,原題がPancaskandhakaであり,prakaranaの語がチベットにおいて付加された可能性を示す.次に蔵訳の示す書名が同論と一致する世親の『五蘊論』に注目し,『中観五蘊論』の書名と同一の状況が『五蘊論』の書名にも確認されることを指摘する.そしてこれを『中観五蘊論』の原題を議論するための傍証としたい.また両論の混同を避けるために,月称の著作を「中観」の語を付した「中観五蘊論」という書名でよぶことを提案したい.さらに本稿では,インド仏教において教理を簡潔に説示する小型の論書の意味でprakaranaの語を用いる傾向が確認されることを指摘し,そして安慧の『五蘊論注』の記述に基づき,『五蘊論』が既にインドにおいてそのような「小論」として捉えられていたことを示す.その後に『中観五蘊論』の序偈・結偈に述べられる範疇論を簡潔に解説するという著作目的を確認し,同論の「小論」としての位置づけを書名に反映させるために,チベットにおいてprakaranaの語が付加された可能性を指摘したい.
  • 望月 海慧
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1307-1314
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    チベット大蔵経のテンギュル「中観部」にはDipamkarasrijnanaの小論が多く収録されており,Ekasmrtyupadesaもその一つである.ただし,彼のSatyadvayavataraと大小のMadhyamakopadesaとともに他の小論に先行して収録されている.その内容は,中観の教義を論じるものではなく,大灌頂を受けていない者に般若と方便の所作を示すものである.この小論ではNagarjunaのBodhicittavivaranaとKudrstinirghatanaが引用される.これらの引用は,彼のRatnakarandoghataにも見られ,テンギュル内の配置も含め,両者に関係があったことがわかる.Kudrstinirghatanaは,彼と同時代のAdvayavajraの著作としても知られているが,Mulapattisamgrahaと同じく,彼はAdvayavajraの著作と認識していない.Bodhicittavivaranaは,彼の著作において最も頻繁に言及されるNagarjunaの著書である.Mulamadhyamakakarikaよりも多く依拠するのは,彼の大著であるBodhimargadipapanjikaやRatnakarandoghataにおいて菩提心が論じられているからである.それだけではなく,RatnakarandoghataにおけるNagarjunaの著書分類に見られるように,彼の認識するNagarjunaは無自性論者としてのものだけではなく,菩提心論者あるいは密教論者にも及ぶものである.
  • 静 春樹
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1315-1321
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿はマイトリパのヴィクラマシーラ僧院追放とアティシャの関与の問題を検討し,僧院における声聞乗の律と金剛乗の三昧耶の対立を述べる.マイトリパ(別名アドヴァヤヴァジラ)は有名な学匠でありタントラの実践者でもあった.マイトリパの生涯とその事績について論じた羽田野伯猷は,アティシャに十九年間師事したナクツォ訳経師からの口承に基づくとされる『アティシャ伝』に大きな信頼を置いてマイトリパの追放事件に言及している.Mark Tatzはこの問題を再検討しチベット人歴史家の方法論自体に疑問を挟み,羽田野論文に批判的な見解を提出している.本稿では最初にチベット人の歴史書を引用する.つぎにTatz論文の要点を紹介する.そこで筆者は,僧院規律に違犯して追放された出家者が,僧院の外部に何らかの活動拠点をつくり,それが金剛乗の信解者たちの交流の場となる可能性を指摘する.玄奘を始めとする中国人巡礼僧の報告によれば,インドの仏教僧院は「大小共住」であった.こうした状況下で,タントラ行の目的で酒を備えもち瑜伽女と目される女性と飲むことが僧院追放となるのであれば,ガナチャクラや「行の誓戒」「明の誓戒」などの金剛乗の信解者に義務づけられている行の実践はおよそ不可能となる.それらのタントラ的実践は単なる創作だったのであろうか.もし実際になされていたとすれば,問題はどこで実行されていたかである.ひとつ明確なことは,誰が僧院から追放されたとしても,その金剛乗の比丘は「ヴァーギーシュヴァラ準則」(bhiksum vajradharam kuryat)によって持金剛者のアイデンティティをもっていることである.僧院に属する金剛乗の比丘と僧院外部の在俗瑜伽行者が金剛乗の仲間内にだけ開かれた何らかの宗教施設でタントラ的行を実践することは可能だったはずである.金剛乗の世界が僧院以外の施設を建立し運営していたことは典籍に窺える.金剛乗の比丘たちはそのような施設を訪れタントラ的実践を行っていたと筆者は問題提起する.
  • 堀 伸一郎
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1322-1328
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    識語に15世紀の日付を明記する古ベンガル文字仏教写本が複数存在する.本稿では,ケンブリッジ大学図書館所蔵Kalacakratantra貝葉写本(Add. 1364)の識語について,実見調査に基づく解読結果を提示した上で日付・地名・人名・肩書等を検討する.同写本は1870年代に外科医Daniel Wrightがカトマンドゥ盆地で収集したものである.Kalacakratantra校訂本(Raghu Vira and Lokesh Chandra 1966およびBanerjee 1985)では本写本が使用された.2枚の夾板の両面に細密画が描かれているため,Pratapaditya Palをはじめ多くの美術史研究者の注目を集めた.従来の研究では写本の年代を1446年とするが,識語の日付に曜日が含まれているため,インドの暦法に基づいて日付を西暦に換算し確定することが可能である.「ヴィクラマ暦1503年Bhadrapada月黒分13日水曜日」という日付が,満年数・Karttika月始まり・満月終わりで記述されているものとすれば,Suryasiddhantaに基づくソフトウェアpancangaによって,西暦1447年8月9日水曜日に確定する.寄進者は,sakyabhiksuの肩書を持つJnanasriである.筆写者はJayaramadattaであり,sasanikakaranakayastha(行政書士)という肩書を持っていた.筆写者の居住地と考えられるKerakiという村名は,データベースIndia Place Finderで検索すると,ビハール州ガヤー県Kerki村,ジャールカンド州パラームー県Kerki村という二つの比定候補が見出される.識語の最後に書かれる1詩節は,Ratnavadanatattvaの最終詩節と一致する.Kalacakratantra写本の他,コルカタ・アジア協会所蔵Bodhicaryavatara写本(G. 8067)の識語に記される日付は,西暦1436年2月21日火曜日に確定し,ムンバイ・個人所蔵Karandavyuha写本の日付は,西暦1456年10月27日水曜日に確定する.東インドでは,ヴィクラマシーラ等の大規模仏教寺院が13世紀初頭までにテュルク系ムスリム軍の軍事攻撃で破壊された後,仏教が滅亡したというのが従来の通説であった.しかし本稿で扱う写本識語は,15世紀中葉の東インド村落地域にサンスクリット仏教文献を伝承する仏教徒が存在したことを明確に示しており,通説に再考を促すものとなろう.
  • 崔 境眞
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1329-1332
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ダルマキールティの著作,特にPramanaviniscaya(以下PVin)における刹那滅論証には,従来vinasitvanumanaと呼ばれてきたいわゆる「無因消滅論」と,「拒斥論証」(sadhyaviparyaye badhakapramana)とが使われている.この2つの論証の関係については,その後の註釈者や現代の研究者が様々な解釈を提起しているが,いまだ十分には考察されていないように思われる.そこで本論文では,チベット人による註釈書のうち,カダム派のサンプ(gsang phu)僧院出身と知られるポドン・ジャムペーヤン・ショレワ(Bo dong 'Jam pa'i dbyangs Sho re ba, 13c.,以下「ショレワ」)によるPVinの註釈書に基づき,2つの論証法の関係に対する彼の理解を明らかにした.ショレワによると,「無因消滅論」は,事物が他の原因に依存して消滅すると主張する者に対して用いられ,「拒斥論証」は,事物が消滅しないと主張する者に対して用いられているという.ショレワの註釈に関して注意したいのは,サキャ派の著名な学僧であり且つ,しばしばカダム派の論理学的理解を否定していたサキャパンディタ・クンガーギェルツェン(Sa skya pandita Kun dga' rgyal mtshan, 1192-1251,以下「サパン」)の見解を積極的に受け入れ,それに従っていることである.また本論文では最後に,「無因消滅論」と「拒斥論証」の関係についてショレワが採用しているサパンの理解は,ゴク・ロデンシェーラブを代表とするカダム派の理解と相矛盾するものではないことを指摘した.
  • 伊藤 奈保子
    原稿種別: 本文
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1333-1340
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Jambi州立博物館に所蔵されている金銅四臂観音菩薩立像(No. 04.093)は,シュリーヴィジャヤ様式の重要な作品と考えられるが,管見のかぎり先行研究が乏しく,今回その形状を紹介することとした.この像は1991年2月3日に,インドネシア,南スマトラのJambiにて農民により発見された.博物館では制作推定年代を10〜11世紀においている.四角状の顔面に厚い唇,三道を有して肩幅が広く,腰がくびれ,ほぼまっすぐに立つ細い足等からシュリーヴィジャヤの様式を呈していると考えられる.像高は39.4cm,金銅製の一鋳で,いたるところが欠損し,緑色のさびが見える.四臂のうち,右手の第一手(与願印)のみが残存し,それ以外は肘から先,及び両足のつま先が欠損する.左腰をひねり,全身でゆるいS字を描く体形を成し,額から顎までを一単位とすると,全身を10に分けることができ,また肩から肘,肘から手先がほぼ同サイズなことから,像が綿密に計算されて制作されていることがわかる.足下を調整すると現状でも立つことも可能な事から,非常にバランスのとれた良い作りと考えられる.こうした精巧な作り,精緻な顔面の表現に対し,装飾は胸飾・腕釧ほどで華美ではないこと,また腰に虎皮を巻いていることも特徴といえよう.四臂の持物については,中部ジャワのボロブドゥールやプラオサン寺院のレリーフに彫刻された像,及び鋳造の四臂観音菩薩立像27躯,坐像20躯を検討した結果,右手第一,第二手,左手第一,第二手が,与願印,数珠,蓮華,梵夾であった可能性が高いことが導き出せた.また,蕨手の垂髪はナーランダ朝,パーラ朝,及びベトナムの海岸沿い等にみられるが,関連性は今回確認できず.顔の様式の源流は,インドのパーラ朝がスマトラに流入される直前,マレー半島のドバラバティ様式である可能性が考えられる.体長,様式等から,ジャワ島出土の鋳造像,またスマトラ出土の他の鋳造像とは異なる系統にあることが窺われる.
  • 原稿種別: 文献目録等
    2015 年 63 巻 3 号 p. 1341-1478
    発行日: 2015/03/25
    公開日: 2017/10/31
    ジャーナル フリー
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