印度學佛教學研究
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65 巻, 3 号
選択された号の論文の42件中1~42を表示しています
  • ―― Maitrāyaṇī Sam̐hitā I 9(caturhotr̥章)――
    天野 恭子
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1039-1046
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    最古層の祭式文献の一つであるMaitrāyaṇī Sam̐hitā(MS)のI 9章は,caturhotr̥祭文についての章と言われている.そこでは,caturhotr̥ 祭文が主要なśrauta祭式において用いられることが述べられているが,caturhotr̥ 祭文はI 9章以外の祭式記述においては全く言及されない.おそらく主要なśrauta祭式が記述された時点ではcaturhotr̥ 祭文の使用は受け入れられていなかったと推察される.また,I 9章には,何の祭式か同定されてこなかった,未解明の儀礼行為が記されている.

    本稿では,I 9章に記される儀礼行為が,sattra,dvādaśāha,mahāvrataという一連の祭式に相当することを論じる.これらの祭式は,MSの主要部分が成立した段階では正統śrauta祭とは見なされていなかった,特殊な祭式である.MS I 9の記述と,主にKāṭhaka-Sam̐hitāのsattra章(KS 33–34)の記述を対照させて,対応関係を指摘する.

    この考察により,MS I 9がsattra,dvādaśāha,mahāvrataの儀礼を記すことは明らかであるが,MS I 9はこれらの祭式の名前を明かさない.それは,これらの祭式が正統śrautaとは違う異文化的背景を持つことに,起因すると考えられる.すなわち,非正統祭式を正統śrauta祭式記述という枠組みに嵌め込んで記述しようとしたことが,I 9章の記述の特殊性を生んだと考えられる.

  • 伊澤 敦子
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1047-1053
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    Agnicayanaはレンガを積んで祭壇を築くことを目的とする祭式であるが,それ以前に最重視されるのはukhā土器の作成である.祭火を入れて運ぶ土器を作るに当って,まず大切なのはその為の土を掘り出すことであり,その土は特別なものでなければならない.ここでAgniを探す行為と土を求め掘り出す行為が結びつくのだが,下敷きになっているのはAgniの逃走神話である.本論では,この神話がどう関わりアレンジされていくかを見ていく.

    まず,神話について概観すると,3人の兄達が供物を神々に運ぶ途中でいなくなってしまったのを見て,Agniが恐れをなし逃げてしまい,水や草木の中に隠れてしまうが,最終的に神々によって探し出される.隠れ場所は様々で,水,植物,石,暗闇等が挙げられる.

    次にukhā作成に関する部分について,1. Savitr̥への献供,2. 木製のくわについて,3. 馬とろばを連れて穴に向かう,4. 穴で馬に土を踏ませる,5. 穴の周囲に線を描く,6. 土を掘りだす,7. 穴に水を注ぐ,8. 土を集める,9. 土にヤギの毛などを混ぜる,10. ukhāの成型,11. ukhāを焼く,のうち,特に神話との関わりが明瞭な部分である1, 2, 3, 4, 6を検討する.

    神々のAgni探索に当てはまるのが,ukhā土器の為の土を求める行為であり,新たな点火に相当するのが,土を掘り出す作業である.但し,黒Yajurveda Saṁhitāによれば,Agniを見つけたのはPrajāpatiとなっている.また,Maitrāyaṇī SaṁhitāとKāṭhaka-Saṁhitāでは,掘り出した土を集める際に唱えられるマントラの中で最初に火を鑽出したとされるAtharvanがPrajāpatiと見なされる.しかし,祭壇をPrajāpatiと同一視するŚatapatha-Brāhmaṇaでは,Agni探索でPrajāpatiに言及されることはない.また,土を掘り出す行為主体は,神々とPrajāpatiに帰されるが,その行為は抽象化され,最初に火を鑽出したとされるAtharvan はprāṇaと置き換えられる.

    唱えられるマントラに関して,Savitr̥,Aśvin,Pūṣanという太陽との関わりが深い神々の名が挙げられる句が何度か唱えられる点や,Aṅgiras への言及が繰り返される事実に鑑みて,Vala神話の影響も考慮に入れる必要があろう.

  • 竹崎 隆太郎
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1054-1058
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    リグヴェーダ(R̥V)における心臓の主要機能には以下がある:(1)大工仕事としての讃歌形成,(2)ソーマの純化としての讃歌形成,(3)精神活動の座,(4)感情の座,(5)損傷されうる生命の核,(6)インドイラン時代に遡る定型句Skt. hr̥dā́ mánasāとその変形.このうち本稿では(1)を扱う.

    詩作を表現する際に,言葉・詩節・讃歌を√takṣ < 印欧祖語 *√tetḱ「(大工仕事によって)形作る」という語を用いる発想は,印欧語の古い詩の言葉(Indogermanische Dichtersprache)の伝統に遡り,ヴェーダ語のmántra- √takṣ はアヴェスター語にも,vácas- √takṣ はアヴェスター語と古代ギリシア語にも対応表現がある.しかしR̥Vでは上記mántra- とvácas- 以外にも「讃歌」を意味する多くの語が √‍takṣ の目的語として用いられており,R̥Vの時代においてもまだ生きた定型表現であった.R̥Vの詩人はこの定型表現に「心臓」という要素を付け加えた.定型句「讃歌を形作る(√takṣ)」が心臓(hā́rdi/hr̥d-)と共に用いられるR̥V中の五例,特にR̥V 3.39.1における詩人が自分自身の詩作活動を描写している部分から,(1)アイデアmatí- が(2)心臓によって 形作(√takṣ)られて(3)讃歌の言葉(stóma-, mántra-, havíṣ- など様々)に出来上がり,これが(4)心臓から駆け出して(5)称賛の対象たる神格へ向かう(R̥V中の他箇所より(6)神格の心臓に届く),というR̥V詩人の体験していた詩作過程が分かる.

  • ――ヴェーダ語用法に対するバーマハの考え――
    川村 悠人
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1059-1065
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    7世紀頃,カシミールで活躍したと目される詩学者バーマハは,Kāvyālaṅkāra第6章冒頭部で詩文(kāvya)制作におけるパーニニ文法学の知識の重要性を説いた後,同章第 23 詩節以降,詩人がなすべき言語使用となすべきでないそれについて多角的な議論を展開している.Kāvyālaṅkāra 6.27cd句では,詩文におけるヴェーダ語使用が禁止される.

    KA 6.27cd: chandovad iti cotsargān na cāpi cchāndasaṁ vadet |

    さらに,chandovat という一般原則に依拠してヴェーダ語を述べることも許されない.

    このchandovatの原則は,文法家パタンジャリが論及する次の二原則と関わる.

    1. chandovat sūtrāṇi bhavanti「諸スートラはヴェーダ語に準ずる」

    2. chandovat kavayaḥ kuruvanti「詩人達はヴェーダ語のような[言葉を]発する」

    バーマハの時代と地域における詩文と文法の連関を探る上で貴重な資料となるKāvyālaṅkāra第6章については,V. M. Kulkarni による有益かつ包括的な概説がある.しかし残念ながら,当該のchandovatの原則は詳論されておらず,バーマハがどのような思想的背景のもと上述の言をなすにいたったのかは明らかにされないまま現在に至る.この問題の考察が本稿の目的である.

    上記二原則が登場するBhāṣyaの分析から,バーマハの主張の背後にあるものを以下のように描くことができる.まずもって,パーニニのヴェーダ語規則によってのみ説明され得る語形を美文作品中で使用することは許容され得ない.それらの規則は美文作品の領域では適用不可だからである.この種の語形は,パーニニ文典中のどの規則もそれを説明できないという意味において,正しくないものと見られるべきである.原則1はこの種の語形を正当化するものではない.何故なら,この原則はパーニニのスートラ中での言葉遣いに対してのみ有効だからである.この原則が効力を発揮する場を美文学領域にまで拡張することは許されない.このことは,Aṣṭādhyāyī 1.1.1: vr̥ddhir ād aicにおける語形aicに対するパタンジャリの議論の文脈から明白である.他方,詩文作家の習性に触れる原則2もまた,言葉の正しさを保証するものとはなり得ない.パタンジャリが同原則を望ましくないもの(na hy eṣeṣṭiḥ)とし,ヴェーダ語の特徴を有する詩文作家の表現を文章の欠陥(doṣa)と見るからである.以上より,バーマハはパタンジャリの論説に忠実に従っていると言えよう.

  • 置田 清和
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1066-1072
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    サンスクリット詩学におけるラサ論は4世紀前後に書かれたとされる『ナーテ‍ィヤ・シャーストラ』によって初めて言及され,9世紀カシミールに登場したアビナヴァグプタによって思想的基盤が与えられた.従って,アビナヴァグプタ以降の詩論家達は彼の思想に言及せずにラサ論を語る事はできなかった.しかし,アビナヴァグプタ以降の詩論家達には独自の思想性がない,とするJeffrey Moussaieff MassonとMadhav Vasudev Patwardhan(1970)の見解には疑問を提示せざるを得ない.Venkataraman Raghavan(1978)やSheldon Pollock(1998, 2016)が指摘するように,パラマーラ王であったボージャ(11世紀)など,アビナヴァグプタ以降にも独自のラサ論を展開した詩論家が存在したからである.また,バクティ(信愛)の思想とラサ論を融合し,独自のバクティ・ラサ論を展開したジーヴァ・ゴースヴァーミー(16世紀)も注目に値する.この論文ではジーヴァの『プリーティサンダルバ』111章に焦点をあて,アビナヴァグプタ以降のラサ論の発展の一部を解明する.その過程でPollock(2016)におけるジーヴァのバクティ・ラサ論理解に対する修正も提示する.

  • ――方法論の観点から――
    和田 壽弘
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1073-1081
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    新ニヤーヤ学の研究方法として(1)哲学的方法と(2)歴史的方法が主に採られてきた.(1)は,新ニヤーヤ学の「古典テキスト」を,綱要書や限られた註釈書やインドの学術伝統の中で保持された見解を基に,合理的に解釈することを目指す.ダニエル・インガールズ以来,多くの研究者が採ってきており,哲学との比較研究へと向かうことが多く,さらには新ニヤーヤ学の哲学的特徴を探求する傾向が強い.この立場の問題点は,歴史的連続性を確保できない可能性や,離れた時代の主張を結びつけてしまう可能性があることである.

    一方(2)の立場を採る研究者は多くなく,エーリッヒ・フラウワルナーがその代表である.新ニヤーヤ学の体系を確立した14世紀のガンゲーシャの前後の歴史が明確でない段階では,歴史的研究を行うのは相当困難である.問題点は,歴史的連続性を重視するために,新ニヤーヤ学の特徴について沈黙してしまうことである.

    二つの方法を併せて採用したのは,ステファン・フィリップスである.彼は歴史的文脈の中で新ニヤーヤ学の発生を捉えようとした.歴史性を踏まえつつ,その哲学的特徴を考察したのである.

    我が国では,宇野惇,宮元啓一,石飛道子による綱要書研究が主流を占めた.新ニヤーヤ学の「古典テキスト」に研究段階を進めたのは,丸井浩,和田壽弘,工藤順之,山本和彦,岩崎陽一である.かれらの研究方法については,二つの方法の内どちらに力点を置くかが異なる.

    重要な点は,二つの方法はいずれかが正しいというものではなく,また,現実の論文においては互いに排除し合うものでもないということである.今後は研究が蓄積されるにつれて,二方法を共に採るようになると思われる.現時点では,(2)よりも(1)に重点が傾きがちであるが,哲学の研究者との連携が充分になされているとは言い難い.哲学研究者との連携あるいは哲学的知識の吸収が,新ニヤーヤ学の哲学的意義を探求する上で不可欠であろう.

  • ――ガンゲーシャの普通名詞意味論の検討――
    岩崎 陽一
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1082-1088
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    言葉が意味するもの,話し手がその言葉により意図するもの,聞き手が言葉から理解するもの――インドにおける古い時代の意味論では,これらは明確に区別されていなかった.しかし,ニヤーヤ学派とミーマーンサー学派プラバーカラ派の意味論論争においては,これらの差異が大きな意味をもつ.ニヤーヤ学派は,言葉から直接的に(推理を介さずに)理解されるものはその言葉の意味であるという前提に立つ.一方,プラバーカラ派は,言葉から直接的に理解されるからといって,それが言葉の意味であるとは限らないと主張する.本稿では,新ニヤーヤ学派のガンゲーシャ(14c)が『タットヴァ・チンターマニ』で展開する意味論論争の分析を通して,言葉の「意味」についての各学派の見解を検討する.

    そこで議論されるのは,普通名詞の意味は普遍か個物かという,古くから論じられてきた問題である.ガンゲーシャとプラバーカラ派のいずれも,普遍と個物は同時に,直接的に言葉から理解されると認める.(バッタ派はそれを認めない.)しかし,プラバーカラ派は,個物は言葉の意味ではないという.この立場においては,「言葉の意味とはその言葉から理解されるものである」という考えは支持されない.では,彼らにとって言葉の「意味」とは何なのか.ガンゲーシャのテキストにおいては,その明確な定義は与えられない.しかし,彼らは言葉の意味を,その言葉から理解されるべき,言葉がそれ自体で意味するものと捉えていたと考えると,彼らの議論をうまく説明できる.そしてこれは,ヴェーダの儀軌解釈を本務とするミーマーンサー学派に必要な意味論であるといえる.規則を述べる言葉は,それから実際に何が理解されるかに関わらず,そこから理解される「べき」意味を有していなければならない.そしてそれは,話し手の意図や聞き手の理解からは導出できない.

  • 斉藤 茜
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1089-1094
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    ミーマーンサー学派の文意論の大成者Kumārilabhaṭṭaは,著書Ślokavārttika Vākyādhikaraṇaにおいて,文意が語意から生じることを主張し,その過程をさまざまに検討し,それ以降の文意論の展開に大きな影響を与えた.その議論の途中 vv. 110–117において,「音素を文意理解の原因とする」説が登場し,簡潔に否定される.この音素→文意論は,ŚālikanāthaのPrakaraṇapañcikāにおいても,Prabhākara 派の立場から,(恐らくスポータ論者と一緒くたにして)「最終音素→文意」説ないし「文想起→文意」説として,批判される.Vācaspatimiśra著作Tattvabinduでは,このŚālikanāthaのテキストが多く使われており,例文も同じで,構成及び説の定義は多少異なれど,大筋は殆ど変らない.一方,Vācaspatiとの年代関係が議論されてきたJayantabhaṭṭaはNyāyamañjarī 6.2において,「音素を文意理解の原因とする」説に対して,更に詳細な検討を試みる.そして彼の「音素→文意」論では,ミーマーンサー系統の痕跡のない,Jayanta独自の議論が展開される.このように,スポータ理論を批判するという一点で共通するこれらの学匠は,文意の考え方の違いにより,音素に対して採った戦略が異なる.本稿では,KumārilaからVācaspatiへの議論の発展と,Jayantaが提供する資料から得られる議論を比較しながら,音素→単語と,単語(語意)→文意の狭間に位置する媒介としての音素→文意論の内容を考察する.

  • 日比 真由美
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1095-1100
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    古来インドでは主宰神に関する哲学的な議論が盛んに交わされてきた.なかでも,主宰神を奉ずるニヤーヤおよびヴァイシェーシカ学派と,無神論的立場にたつミーマーンサー学派や仏教徒との間で繰り広げられた主宰神の存在論証をめぐる論争は,激しい応酬を重ねることで各々の論理学や認識論に関する諸理論の展開にも大きく寄与する結果となった.本論文は,12世紀頃にヴァッラバが著した『ニヤーヤ・リーラーヴァティー』(= NL)における主宰神論証を分析することで,ウダヤナ以降,ガンゲーシャ以前に展開されたニヤーヤおよびヴァイシェーシカ学派の主宰神論の一端を明らかにする.

    ヴァッラバの提示する論証式は,大地などが結果であることにもとづいて,その作り手としての主宰神の存在を論証するものであり,ニヤーヤおよびヴァイシェーシカ学派による主宰神の存在論証の基本形といえる.そしてNLの主宰神論は,この論証式の妥当性をめぐる論理学的な議論に終始する.全知者性などの主宰神の諸属性についての神学的な議論はなされず,また,ウダヤナが力説した,ヴェーダ作者としての主宰神の存在論証が言及されることもない.

    ヴァッラバによる主宰神論証は,先行するニヤーヤおよびヴァイシェーシカ学派の思想家が扱った論点のなかから,「結果の作り手は身体を具えた者に限定されない」という主張に関わるものだけを集中的に取り上げ,コンパクトに整理したものといえる.また,仏教徒側の文献を読み込み,その内容を元に議論を洗練させた形跡が見られる.既出の論点を扱いながらも,その提示方法や応答の詳細には独自性が見出せ,新ニヤーヤ学派的な論議(vāda)上のテクニックも確認できる.

  • 張本 研吾
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1101-1108
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    『ヨーガスートラ』とその注釈『ヨーガバーシュヤ』(両者を一つとしてPātañjalayogaśāstra)に対するシャンカラに帰せられる復註Pātañjalayogaśā­stravivaraṇaは Pātañjalayogaśāstra 1.7に対する注釈において自身のpramāṇa論を展開する.本稿は,その中で『ヴィヴァラナ』の著者が pratyakṣa を論じる箇所を取り上げる.

    まず,新たに作成中の批判校訂版に基づきVivaraṇaのpratyakṣa論の構造をアウトラインとして提示し,どのようにVivaraṇaの作者が自らの論を展開するために『バーシュヤ』のテキストを織り込んでいるかを見ていく.

    その中でさらに『ヴィヴァラナ』の作者が独自の哲学を展開している場面を観察する.その一つはyogipratyakṣaとmānasapratyakṣaとしてしばしば論じられる二つの知をヨーガ派のpramāṇa論に取り入れる努力を著者がする場面であり,もう一つは著者が究極にはpramāṇa は偽であると主張する場面である.

    最後に,『ヴィヴァラナ』作者のpramāṇaは最終的には偽であるという立場と『ブラフマスートラバーシュヤ』の作者であるシャンカラのpramāṇaに対する懐疑的な態度とを比較する.

  • 眞鍋 智裕
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1109-1114
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    マドゥスーダナ・サラスヴァティー(ca. 16th cent.)は,アドヴァイタ・ヴェーダーンタ学派の学匠であり,またヴィシュヌ神信仰者でもある.そのため,彼はアドヴァイタ教学とヴィシュヌ派教学とを統合しようとしている.

    彼は,その著作Paramahaṃsapriyā(PP)において,ヴィシュヌ派の一派であるパンチャラートラ派のvyūha説をアドヴァイタ教学によって基礎づけている.その際に,vyūha説で説かれるヴィシュヌ神の四つの姿のうち,ヴァースデーヴァ神をブラフマンに,サンカルシャナ神を,ブラフマンが制約された姿である主宰神に割り当てている.一方マドゥスーダナは,PPやBhagavadgītāgūḍhārtha­dīpikāでは,クリシュナ神をヴァースデーヴァ神の化身であると述べると同時に,クリシュナ神を主宰神であるとも述べている.

    ところで,サンカルシャナ神とクリシュナ神はともにヴァースデーヴァ神の変容であり,また主宰神であると説かれているが,両神は全く同じ神格なのであろうか.あるいは両神には何か違いがあるのであろうか.本稿では,マドゥスーダナのサンカルシャナ神理解とクリシュナ神理解を検討することにより,この両神の関係がどのようなものであるのか,ということを明らかにした.

    その結果,マドゥスーダナは同一の主宰神を,三神一体説における主宰神と化身としての主宰神とに区別し,その違いと役割に応じてサンカルシャナ神とクリシュナ神という別々の神格として説いている,ということが導き出された.

  • 赤松 明彦
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1115-1121
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    1965年春にパリのコレージュ・ド・フランスで行われたルートヴィヒ・アルスドルフの講義は,西欧のみならず日本のジャイナ教研究にとっても,転換点を画するものであった.それは,ジャイナ教研究を,仏教研究のための補助的学問の地位から,インド学において独自の広がりと価値をもった研究分野へと押し上げるものであった.この講義録は,「ジャイナ教研究――その現状と未来の課題」として直後に出版されたが,これに示唆を得てジャイナ教研究を進めることになった日本の研究者もいたのである.この講義録には,ジャイナ教研究に関わるおおよそ10項目の課題(主として,聖典類の文献学的研究,語義研究に関連する)が示されている.本稿では,ジャイナ教研究の分野で,1990年代以降に日本で公表された研究業績の中から,その10項目の課題のうちの6項目に対応するもので,特に日本語で書かれた優れた成果を紹介した.本稿が意図するところは,内容的には極めて価値のあるものでありながら,国際的に必ずしも十分には知られていない現代日本のジャイナ教研究の成果について,その一部にせよ広く世界の学界に知らせようとするものである.

  • 志賀 浄邦
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1122-1129
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    ジャイナ教徒サマンタバドラ(6世紀頃)によるĀptamīmāṃsā(以下ĀM)は,他学派(特に仏教徒)がジャイナ教徒の見解を紹介し批判する際に,頻繁に引用される作品である.仏教論書の他,他学派(例えばニヤーヤ学派)やジャイナ教徒自身による引用状況も考慮に入れると,第59偈が最もよく引用されていることがわかる.同偈は,ジャイナ教徒に特有の見解である多面的実在論(anekāntavāda)とその根拠を端的に示す内容となっている.

    仏教徒がĀM 59を引用する場合,多くの論書では「ジャイナ教徒」(digambara)の見解として引用されているが,例えばジターリのJātinirākr̥tiでは「ジャイナ教徒とミーマーンサー学派」が一まとめにされ,両派の説が混在する中でĀM 59の引用がなされている.またシャーンタラクシタ・カマラシーラはĀM 59自体を引用することはないものの,それとほぼ内容のŚlokavārttika(以下ŚV)(Vanavāda)21–22を「クマーリラ説」として引用している.カルナカゴーミン他がĀMの一連の偈を「ジャイナ教説」として紹介する際にŚV(Vanavāda)23を介在させているのは,ĀM 59の構造をより明確に提示し,その内容理解を補完するためであったと考えられる.

    ĀMとŚVに見られる類似の偈を比較した結果,クマーリラがĀMの記述を参照しアレンジを加え,当該の偈を著した可能性が高いことが判明した.少なくともジャイナ教徒ヴァーディラージャスーリの記述はこの可能性を支持する.サマンタバドラとクマーリラの前後関係は明らかではないものの,少なくとも両者は普遍と特殊に関する理論に関して共通した見解を保持していたといえよう.また仏教論書の記述に従えば,ジャイナ教徒とミーマーンサー学派によって主張された存在論(特に普遍と特殊の関係)はサーンキヤ学派のそれと類似の構造をもっていることがわかる.

  • ――注釈家マラヤギリと古注釈『チュールニ』の関係について――
    上田 真啓
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1130-1135
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    ジャイナ教出家者の滅罪儀礼や教団運営を規定するテキスト『ヴャヴァハーラ・スートラ』には,歴史的に古いものから順に,1)『ニリュクティ』(プラークリット語),2)『バーシュヤ』(プラークリット語),3)『チュールニ』(プラークリット語とサンスクリット語),4)『ティーカー』(サンスクリット語)の4つが存在している.上記の4つの注釈文献のうち,最初の2つは,注釈文献とは言いながらも実際には『スートラ』の補助文献的な役割を持っていたと考えられ,これらもまた,さらなる注釈を必要とするいわば『スートラ』に準ずるような性格をもったテキストと言える.『チュールニ』は,これら『スートラ』と『ニリュクティ・バーシュヤ』に対する注釈であり,プラークリット語とサンスクリット語が混在した散文から成る.最後の『ティーカー』もまた,『チュールニ』同様,『スートラ』『ニリュクティ・バーシュヤ』に対する注釈である.つまり,『スートラ』『ニリュクティ・バーシュヤ』に対する注釈文献には2種類のテキストが存在する訳であるが,分量的にはこの『ティーカー』の方が多く,整然とした議論が展開されているために『スートラ』と『ニリュクティ・バーシュヤ』の解読には,注釈としては一般的にはこれが使用される.これまでジャイナ教聖典研究においては,『スートラ』本文そのものの解読が第一の目的であったため,『スートラ』理解に対する有用性の観点から,『ティーカー』が重視されてきた.しかし,注釈文献の歴史的展開という観点からすれば,歴史的に先行する『チュールニ』の重要性は看過できない.本発表では,この観点から『チュールニ』を捉え,これが『ティーカー』のいわば原型のような存在であったということを,両者の比較を通じて示すことを目的とする.

  • ――コム文字とタム文字のディーガ・ニカーヤ貝葉写本解読法と転写法について――
    スチャーダー・シーセットタワォラクン
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1136-1142
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
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    貝葉写本は長い間パーリ語経典の内容を伝承する主な手段として使用されており,仏教研究にとって貴重な資料である.しかし,貝葉写本の多くはよく保存されず,しかも研究または取り扱いに実用的なフォーマットで記録されなかった.近代の学者たちによるパーリ語研究は長い歴史を持ちながらも,パーリ語経典の貝葉写本のデータベースの作成は,まだ体系的に行われることがなく,パーリ語と仏教学の分野では比較的新しいものである.

    この論文では,関連情報の収集に基づきデータベース開発から得られる知識に言及し,貝葉写本の曖昧な文字を解読と転写する方法に関連する課題を示す.タイに保存されるコム文字とタム文字貝葉写本を中心に,ディーガ・ニカーヤ写本の解読やそのデータ入力の解決策を提示する.

  • 渡邉 要一郎
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1143-1146
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    12世紀に学僧Aggavaṃsaによって著述されたパーリ文法学文献Saddanītiでは,自動詞語根にbhāva(動作)のみを意味すべきときに導入される接辞yaとparassapada/attanopada を付与して作られた語(例えばbhūyateなど)がbhāvapadaと称されている.Aggavaṃsaは幾つかのパーリ文献のなかでは,このbhāvapadaとともに,行為主体を表す要素として第一格語尾をとる語が見られうると指摘する.すなわちtena bhūyateというような構文だけではなくso bhūyateというような文章が存在すると考えられている.また,Saddanīti §594では行為主体を表示すべき場合に,行為主体が動詞によって既に表示されている場合には,第一格語尾が導入され,動詞・kita(Skt. kṛt)接辞によって未だに表示されていない場合には,第三格語尾が導入されると規定される.この点はPāṇini文法学の体系とは異なるものである.従ってso bhūyateという構文では,一見すると動詞によってbhāvaのみが動詞によって表されているのに,行為主体を意味する第一格語尾が導入されているかのような矛盾した状態が見られることになる.Aggavaṃsaは,bhāvapadaというものは第一義的には行為主体を示すものであり,間接的にbhāvaが意味されるという解釈を示す.それはあたかも,行為にとっての拠り所である人間を保持しているに過ぎない蓆が,間接的に「動作の保持者」と呼ばれているが如くである.これによって,§594の規定との矛盾が解消されうる.

  • ――日蓮と常不軽菩薩――
    鈴木 隆泰
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1147-1155
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    『法華経』の「常不軽菩薩品」に登場する常不軽という名の出家菩薩は,増上慢の四衆にひたすら成仏の授記をし続け,そのことで彼らから誹謗,迫害を受けた.増上慢の四衆は常不軽を誹謗・迫害した罪で死後無間地獄に堕ちたが,自ら罪を畢え已わった後に常不軽と再会し,彼から『法華経』を教示され(=成仏の授記を受け),無上菩提へ向かう者となったとされる.ところが羅什訳の『妙法華』のみ,死時に臨んで常不軽が「其の罪,畢え已わって」(其罪畢已)としている.しかし,なぜ彼に罪があるのか,あるとすれば何の罪なのかが解明されないまま,今日に至っていた.

    従来看過されていた事実として,Suzuki Takayasuは「常不軽菩薩品」に二種類の誹謗者が表されていることを明らかにした.二種類とは “『法華経』に出会う前の,『法華経』という仏語なしに無効な授記をしていた常不軽”(常不軽 ①)を誹謗した者たち(誹謗者 ①)と,“『法華経』に出会った後の,『法華経』という仏語をもって有効な授記をしていた常不軽”(常不軽 ②)を誹謗した者たち(誹謗者 ②)であり,後者の誹謗者 ② のみが,『法華経』説示者を誹謗した罪で堕地獄する.ところが『妙法華』のみ,常不軽 ② が『法華経』を説示していたという記述を欠いており,常不軽 ①と常不軽 ② との差違が判別しがたくなっている.

    『法華経』の主張(『法華経』抜きに如来滅後に一切皆成の授記はできない.だからこそ,如来滅後にはこの『法華経』を説いて如来の名代として授記をせよ.如来のハタラキを肩代わりせよ)から判断して,常不軽 ① と常不軽 ② の差違は『法華経』にとって本質的であり,原典レベルで「其罪畢已」に相当する記述があったとは考えられない.羅什の参照した「亀茲(クチャ)の文」が特殊であったため,常不軽 ① と常不軽 ② との差違が判別しがたく,誹謗者 ① と誹謗者 ② を分ける必要が,漢訳段階で生じたものと考えるのが妥当である.しかし,そのために「其罪畢已」という文章を編み出したのは,羅什が『妙法華』訳出以前に『金剛般若経』を知っていたためと考えられる.

    この「其罪畢已」という一節が,日本の日蓮に絶大な影響を与えた.日蓮宗の開祖である日蓮は,以前に念仏者・真言者であったため,「其罪畢已」の「罪」を過去の謗法罪と理解した上で,自らを常不軽と重ね合わせ,〈法華経の行者〉としての自覚を確立し,深めていった.

    もし『妙法華』に「其罪畢已」の一節がなかったとしたら,日蓮は〈法華経の行者〉としての自覚を確立できず,その結果,『法華経』に向き合う姿勢を変えた可能性が高い.あるいは『法華経』信仰を捨てていた可能性まで考えられる.『開目抄』に見られる,「なぜ自分には諸天善神の加護がないのか」「自分は〈法華経の行者〉ではないのか」の解答の源は,「其罪畢已」以外には見出せないからである.

    もし『妙法華』に「其罪畢已」の一節がなかったとしたら,中世以降今日に至る日本仏教は,現在とは大きく違った姿をしていたであろう.まさに,「大乗経典が外的世界を創出」(下田正弘)した好例である.『妙法華』に存するたった一個のフレーズ「其罪畢已」が,今日の日本の宗教界のみならず,社会の一側面を創出したのである.

  • 笠松 直
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1156-1163
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    Veda語ではRV以来,動詞sthāのアオリストは語根アオリストで作る(asthāt).パーリ語の偈文部分にも,歴史的な語根アオリストaṭṭhāが散見される(Sn 429; Jātaka I 188,12等).他方,パーリ語散文では一般にs- アオリスト形aṭṭhāsiを示し,その用例数は圧倒的である.

    プラークリットでは一般に,過去形としてアオリスト形を用いる.sthāの場合,s-アオリスト形が担ったものであろう.Mahāvastuは偈文でも散文でもs- アオリスト形asthāsiを示す.『法華経』偈文にもこの語形が散見される.

    散文部分で,『法華経』Kern-Nanjio 校訂本(KN)ないしWogihara-Tsuchida校訂本(WT)が一貫して “歴史的な” 語根アオリスト形を示す一方,中央アジア伝本がs-アオリスト形asthāsītを示すことは示唆的である.この一貫性が崩れるのは,Kashgar写本253b5 asthāt(= KN 263,15; WT 226,13)のみである.この箇所は提婆達多品に属する.この事象は,提婆達多品が他の箇所と言語層を異にし,新層に属することを傍証するものと考えることができる

    恐らく原『法華経』はsthās- アオリストを用いる言語環境にあり,偈文においては韻律の制約もあって,各伝本共通に古風な語形を残したものであろう.中央アジア伝本が散文においてもs- アオリスト語形を維持した一方,ネパール系伝本はパーニニ(II 4,77)が教える古典サンスクリット的なアオリスト=語根アオリストで置き換えたものと解釈できる.

    仏教梵語文献におけるアオリストについては,従来,語根アオリストとs- アオリストとの差異について注目されることは少なかったように思われる.この様な調査を個々の語に即して行えば,『法華経』成立史に係る知見を新たにする事例が見出される可能性があろう.

  • 山崎 一穂
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1164-1170
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    Saptakumārikāvadāna(SKA)は西暦5世紀から8世紀の間に活動した仏教詩人Gopadattaによって著された,クリキン王の七人の娘の物語を扱った美文作品である.GopadattaはSKAを著すにあたり,大衆部系説出世部の律蔵に伝わる並行話を題材としたと考えられるが,作品中で様々な文体の飾り(alaṃkāra)を用いている.本論は音の飾り(śabdālaṃkāra),特に同音節群の反復技法に注目し,SKAがどのような文学作品の影響のもとで著されたかという問題を考察するものである.

    SKAは130詩節からなる.うち同音節群の反復技法が用いられている詩節は八詩節ある.これら8つの用例は(a)yamaka,(b)lāṭānuprāsa,(c)pseudo-yamaka,(d)(a)と(b)の融合形に分類され,それぞれを分析すると,次のような特徴が明らかになる.(1) lāṭānuprāsaの用例がyamakaの用例に比べ多い,(2)この両者は厳密に区別されていない.(3)両者の融合形の用例には正確な同音反復がなされていないものがある.

    以上の事実を踏まえると,Gopadattaが詩論家達によってyamakaに関する厳密な定義が与えられる前にSKAを著した可能性が考えられる.しかしSKAの文体の特徴及び韻律の用例から判断しこの可能性は排除される.興味深いことに,SKAに見られる同音節群の反復技法の用例は戯曲作品,特にBhavabhūti(8世紀)のUttararāmacaritaに見られる用例と類似する.同作品に見られる20例の同音節群の反復技巧のうち,僅か5例がyamakaに分類されるのに対し,残る用例は全てlāṭānuprāsa或いはpseudo-yamakaに分類される.以上から,Gopadattaは7–8世紀頃の戯曲詩人達の作品を知っており,彼等が用いた技法をSKAに取り入れた可能性が考えられる.

  • 米澤 嘉康
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1171-1178
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    『根本説一切有部律』は,「律(経)分別」(Vinaya-vibhaṅga),「律事」(Vinaya-vastu),「律雑事」(Vinaya-kṣudraka),「ウッタラグランタ」(Uttaragrantha)という4部構成であることが知られている.本稿は,徳光(Guṇaprabha)著とされる『律経』(Vinayasūtra)に対する『律経自註』(Vinayasūtravṛtty-abhidhāna-svavyā­khyāna)において,『根本説一切有部律』の構成について言及している箇所,すなわち,第1章「出家事」第98経の註釈を取り上げ,「律事」ならびに「ウッタラグランタ」の構成についての記述を紹介するものである.なお,当該箇所は『律経』「出家事」研究会によってテキストならびに和訳が出版されているが,近年の研究成果における指摘にしたがい,本稿では一部訂正を施している.

  • 井上 綾瀬
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1179-1184
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    漢訳律文献では,砂糖を表す際に「石蜜」という翻訳がしばしば使われる.しかし,紀元前後のインドには,サトウキビの絞汁を1/4に煮詰めた糖液(phāṇita/phāṇita),含蜜糖(黒糖,guḍa/gauḍa/guḷa),粗糖の結晶が浮いた廃糖蜜(khaṇḍa/khaṇḍa),廃糖蜜(matsyaṇḍikā/*macchaṇḍikā),薄い色の粗糖(śarkarā/sakkharā,さらに薄い色vimala/vimala)などが存在し,「砂糖」は複数存在した.サンスクリット語やパーリ語で残る律文献には,phāṇita,guḍa,śarkarā,vimalaが砂糖として示され,仏教教団にも複数の砂糖が知られていた確認ができる.しかし,教団内では砂糖は全て「薬」として使用された為,厳密な砂糖の種類を言及する必要はそもそもなかった.そのため,漢訳律文献において複数の砂糖をひとつの「石蜜」という単語に訳しても「砂糖=薬」の原則故に問題が無かった.そのため,漢訳律文献中の「石蜜」という訳語が示す砂糖は複数ある.漢訳律文献中の「石蜜」が,どの砂糖にあたるかは文脈や規則の内容から総合的に判断しなければならない.

  • 熊谷 誠慈
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1185-1192
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    チベットには古来よりボン教なる宗教が存在していたが,元来,高度な哲学を持っていなかったボン教は,7世紀に伝来した仏教から思想的影響を強く受けた.ボン教に対する仏教思想の影響のうち,密教的側面については,すでにサムテン・カルメイ氏などが,チベット仏教ニンマ派からの影響について指摘をしている.また,御牧克己氏によるボン教学説綱要書研究などとともに,顕教的な側面についても研究が開始されている.

    ボン教のアビダルマについては,ダン・マーティン氏が概要を紹介している.筆者は五蘊説に着目し,ボン教の五蘊説がヴァスバンドゥ著『五蘊論』の影響を非常に強く受けていることを特定した(Kumagai Seiji, “Bonpo Abhidharma Theory of Five Aggregates”『印度学仏教学研究』64, no. 3 (2016): 150–157).ただし,『五蘊論』の五蘊説をボン教がそのまま踏襲したわけではなく,『俱舎論』や『阿毘達磨集論』などの影響も受けながら,ボン教独自の五蘊説を構築していったとことが判明した.

    本稿では,五蘊説の中でも「想蘊」の概念に注目し,インド仏教からの影響という側面に焦点を当てた上で,ボン教における「想蘊」の概念の独自性ならびに仏教思想との共通性について検証した.ボン教は三種の想(小想・大想・無量想)を設定し,それを三界(欲界・色界・無色界)に対応させているが,この対応関係は,仏教の『大般涅槃経』や『入阿毘達磨論』などにも確認される.他方,「一切知者の想」を「無量想」に加える点などは,仏教文献には確認できず,ボン教独自の可能性が高い.さらに,ボン教の内部でも,無量想の扱いには若干の相異があることも判明した.すなわち,ボン教は仏教と類似する想蘊説を提示しながらも,ボン教独自の側面も持ち,さらにボン教内部においても時代によって異なる説を生み出していったという事実が本稿で明らかにされた.

  • 清水 尚史
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1193-1197
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    2013年にJowita Kramer博士によってサンスクリット語の校訂テキストが出版された『五蘊論釈』(Pañcaskandhakavibhāṣā)は,アーラヤ識の注釈箇所において説一切有部の三世実有説の批判を展開する.本稿では主に『俱舎論』(Abhidharma­kośabhāṣya)と比較することで,作用説の観点から両議論の違いを明確にする.

    『俱舎論註』(Abhidharmakośavyākhyā)に従うと,説一切有部は『俱舎論』において,作用(kāritra)をkarmanとは解せず,与果・取果という原因としての作用を立てた.スティラマティの『五蘊論釈』において有部は,従来の作用の定義である与果・取果に変更を加え,作用を取果のみとする.それによって,『俱舎論』などにおいて指摘されていた過去の作用が存在してしまうという不合理を乗り越える作用説となっている.

    『五蘊論釈』の中で論及されている有部の作用説は変更が加えられたことにより,問題の焦点は作用と法との関係性となる.過去の作用が存在しない以上,「同じもの」とも言えなければ,時間設定の根拠となる作用と法とを「異なるもの」とも言えず,「異ならないもの」という曖昧な表現をすることになる.そして,作用と法自性との関係性から同一であるとか別異であるという点から作用と法との関係性は示されないことを主張するが,無自性となってしまう矛盾をスティラマティが指摘することになる.

    眼が暗闇の中で作用を為しているかどうかというような作用説の問題は,睡眠から覚醒する時や滅尽定から出る際の問題にも繫がる議論である.一見,アーラヤ識の存在論証において三世実有説批判が展開されるのは不思議ではあるが,その背景思想には作用説の問題があった可能性もあると考える.

  • 新作 慶明
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1198-1204
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    チャンドラキールティ(Candrakīrti)作『プラサンナパダー』(Prasannapadā, PsP)は,今日唯一完本の形でサンスクリット原典の参照が可能なナーガールジュナ作『中論頌』(Mūlamadhyamakakārikā, MMK)に対する注釈である.MMK の偈頌のみのサンスクリットテキストの存在は,近年まで知られておらず,La Vallée Poussin(LVP)によるPsP 校訂テキストに引用されるMMK が,MMK のテキストとして使用されていた.しかし,近年,葉少勇によってMMK の写本が同定され,同校訂テキストが出版された.一方,PsP に関しては,今日でも多くの研究者の間でLVP 校訂本が用いられているが,近年では,LVPのテキストを見直す研究の存在が知られるようになっている.筆者もその1 人であり,第18 章の校訂テキストを作成し‍た.

    先行研究で指摘されている通り,偈頌のみのテキストにおけるMMK 18.2 とPsP に引用されるMMK 18.2では,「我所」に相当する語について,前者では “ātmanīya” と,後者では “ātmanīna” とテキストが異なることが報告されている.また,同じく,先行研究では,当該偈を注釈するPsP についての言及もなされているが,依然として考察の余地があるように思われる.本稿では,筆者がPsP第18章の校訂テキスト作成過程で明らかとなったMMK 18.2とそれに対するPsPの注釈について考察する.

  • 安井 光洋
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1205-1209
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    Akutobhayā(ABh)と青目釈『中論』(青目註)はいずれもMūlamadhyamaka­kārikā(MMK)の注釈書であり,MMK注釈書の中でも最古層のものとされている.ABhはチベット語訳のみが現存しており,青目註は鳩摩羅什による漢訳のみが存在する.この両注釈書はチベット語訳と漢訳という言語上の相違がありながらも,その内容に多くの共通点が見られる.

    また,ABhと共通した記述が見られるのは青目註だけではなく,Buddhapālitaの注釈(BP),Prajñāpradīpa(PP),Prasannapadā(PSP)においてもABhが広く引用されている.さらに,そのようなABhの引用パターンを類型化するとBP,PP,PSPに共通してABhと同様の記述が認められ,漢訳である青目註にのみ相違が見られるという例が少なからず見受けられる.

    そのような青目註の独自性については同書の序文において,羅什が青目註を漢訳する際,その内容に加筆,修正を施したと僧叡によって記されている.そのため,青目註に見られる独自の解釈については,訳者である羅什の意図が反映されている可能性も考えられる.

    よって,今回は上記の類型に該当する例としてMMK第18章第6偈とその注釈を挙げ,考察を試みた.この偈頌に対する注釈ではBP,PP,PSPがABhの解釈を援用している.このことからABhは中観派においてMMKを注釈する際の伝統的解釈の典拠として扱われていたという結論に至った.

    他方,青目註のみがABhとは異なった独自の解釈を示している.これについては偈頌の漢訳に明らかな意訳が認められることから,その注釈部分についても訳者である羅什によって書き換えられているという可能性を検討した.

  • ――チャンドラキールティの理解を中心として――
    小坂 有弘
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1210-1214
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    「顚倒の考察」(Viparyāsaparīkṣā,Phyin ci log brtag pa,観顚倒品)という章題で知られる『中論』第23章では冒頭の第一偈を含む,三つの偈でśubha(浄)とaśubha(不浄)とviparyāsaḥ(顚倒)の三つの単語からなるśubhāśubhaviparyāsāḥという複合語が確認されるが,この語に関する情報は非常に限られ,この語の語義の決定を困難にしている.『無畏論』,『仏護註』,『般若灯論』において,この語はśubhaとaśubhaとのviparyāsaḥ (sdug dang mi sdug pa’i phyin ci log),と解釈されているが,『プラサンナパダー』ではśubhaとaśubhaとviparyāsaという並列複合語として解釈されており,諸註釈者とチャンドラキールティには解釈に異同が確認される.本稿ではチャンドラキールティの複合語解釈とそれを前提にした彼の第23章理解を考察する.

    チャンドラキールティは第23章の主題を「煩悩」とし,第23章は「原因に縁って生じる煩悩の無自性性」(1,2偈),「煩悩が帰属する拠り所の否定」(3,4偈),「煩悩と心の同時生起の否定」(5偈),「煩悩の原因の否定」(6偈〜22偈),「煩悩を滅する方法の否定」(23,24偈)の5つの視点から煩悩の存在を否定する章としてこの章を理解する.6偈から23偈を「煩悩の原因の否定」として解釈する際に前提となっているのが彼の複合語解釈であり,śubhaṃとaśubhaṃとviparyāsāḥそれぞれを一偈に説かれる貪欲(rāga)・瞋恚(moha)・愚痴(dveṣa)の原因として対応させている.

    彼の複合語解釈は他の『中論』註釈者と異なるものであり,彼の第23章理解に示される「煩悩」という第23章の主題も「顚倒の考察」という章題の示す主題と異なるものである.しかし,彼のśubhāśubhaviparyāsāḥ解釈を前提とした第23章理解には章全体を統一的に理解しようとする意図があると考えられ,そこからは伝統的に伝えられてきた章題や先行する註釈者たちの理解にかならずしも左右されない彼の註釈態度がうかがわれる.

  • 横山 剛
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1215-1220
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    月称の『中観五蘊論』は中観派の論書でありながら諸法の体系を解説することを趣旨とする特異な小論であり,アビダルマに対する中観派の理解を伝える貴重な資料である.同論の中で行蘊の解説は大きな分量を占め,法体系の特徴が顕著に表れる箇所である.心相応行については『入阿毘達磨論』との構成の類似が指摘され,先行研究において注目を集めてきた.一方,心不相応行については未だ本格的な研究がみられない.そこで本論文では『中観五蘊論』に説かれる心不相応行について考察し,同論に説かれる十九法の中から有部が説く心不相応行として一般的な十四法以外の五法に注目して,同論がこれらの法を説く理由を明らかにする.

    まずは『中観五蘊論』に説かれる十九法を示し,十四法以外の五法が依得,事得,処得の三得と縁和合と縁不和合の対概念という二種類の教理からなることを紹介する.続いて,衆賢の『順正理論』における心不相応行の解説に注目し,衆賢が和合を実体として心不相応行に含め,さらに蘊得など施設の法も心不相応行に含めていることを指摘する.そして『中観五蘊論』における三得については,このような有部の後期論書の教理を踏襲して心不相応行として説かれた可能性を指摘する.続いて縁和合と縁不和合については,有部の心不相応行における和合や不和合が僧団の和合や分裂の原因を意味する法であることを指摘し,『中観五蘊論』に説かれる因縁の集合の意味する縁和合が『順正理論』に説かれる和合とは異なる概念であると考えられることを指摘する.そして『中観五蘊論』の縁和合と縁不和合が,有部の和合と不和合よりも,瑜伽行派の法体系における和合と不和合に近い概念であることを指摘し,この二法に関しては『中観五蘊論』が瑜伽行派の法体系から影響を受けている可能性を指摘する.

  • 崔 珍景
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1221-1228
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    『瑜伽師地論』を構成する5つのセクションのうち,唯識思想史を解明する上で,内容的に重要な「摂決択分」(Viniścayasaṃgrahaṇī)に関連する梵文貝葉写本の断簡3葉がラサに保存されている.3葉はかつてチベットのシャル寺所蔵の写本であったが,北京大学所蔵の写本写真を調査した葉少勇(Ye Shaoyong)教授によって発見,同定されたもので,そのうち2葉は摂決択分自体の写本であるが,残る1葉は摂決択分に対する未知の注釈書の断簡である.筆者は葉少勇教授より資料の提供を受け,これら3葉の解読研究を行っている.本稿では,3葉の中から未知の注釈書断簡を取り上げ,断簡全体の概要を紹介するとともに,特にア‍ーラヤ識と転識をめぐる四句分別について注釈する部分に焦点を当てて,その解読結果を報告した.この1葉がカヴァーする摂決択分の本文は摂決択分冒頭部のアーラヤ識に詳細な定義を与える箇所であり,袴谷憲昭教授の論文「Viniśca­yasaṃgrahaṇīにおけるアーラヤ識の規定」の中で示されたテキストの末尾部分,およびそれに続く「識身遍知」の冒頭部に対応するが,ここに引かれる本文によ‍って,袴谷憲昭教授による和訳および梵文単語の想定も一部修正することができる.この注釈書が誰によって著されたかは現時点では全く不明であるが,写本の書写に用いられた文字はグプタ書体の名残を留めた,8–9世紀に遡るブラーフミー文字であり,この写本に書かれた注釈書が唯識思想家の活躍した時代に遡る注釈書であることを示唆している.

  • 阿部 貴子
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1229-1235
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    『瑜伽師地論』の『思所成地』Cintāmayībhūmiには,体義伽陀Śarīrārthagāthāといわれる41の偈頌の集成とその註釈部分を含んだ章がある.この偈頌部分に関してはすでに梵本校訂と出典に関する研究が為されているが,註釈部分の校訂は未だ公表されておらず,梵本に基づく思想研究も行われていない.

    体義伽陀の註釈部分に見られる大きな特徴は,止観による三毒の滅を広説する点と,修習により清浄なる識を獲得し,さらに識と身体的存在ātmabhāvaを完全に断ずることを説く点である.本稿では特に止観に関わる第3,4,15,36項――テキスト校訂は別稿に譲る――を考察しその所説を『声聞地』と比較した.その結果,以下の点を指摘する.

    体義伽陀の止観に関する項には,『声聞地』に基づく箇所が見られる.しかし厳密に『声聞地』に従っているとは思えない.なぜなら(1)体義伽陀は,『声聞地』に見られない説明,すなわち纒と随煩悩を滅して軽安を得ること,麁重と身体的存在の関係,慈心に基づく止を示す.(2)一方『声聞地』が詳述する内容,すなわち五停心観,名称に過ぎないという観想方法,止観による転依āśrayaparivṛttiの獲得は一切言及していない.(3)また『声聞地』と同じ偈頌を引用するが,尽所有性・如性有性といった同じ言葉を用いつつも異なった解釈を付している.

    したがって体義伽陀は,基本的な表現を『声聞地』と共有しながらも,『声聞地』に特有の思想――比較的新しい層もある――に言及せず,身体的存在と識の関係に一層の関心を向けていると推測できる.

  • 高橋 晃一
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1236-1242
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    瑜伽行派は唯識思想を主張し,外界の認識対象の実在性を否定したことはよく知られている.当然のことながら,その外界の中には他の衆生の存在も含まれる.しかし,大乗仏教は衆生救済を標榜しているので,唯識という立場に立ち,他者の存在を自己の認識の所産と見なすことは,大乗の基本的な理念と抵触するように思われる.

    これに対して,唯識への悟入は瑜伽行派の思想において到達点ではなく,衆生の教導という目的に到達するための過程に過ぎないとする見解がある.これを踏まえて唯識文献を見なおすと,例えば『成唯識論』では,資糧位・加行位・通達位・修道位・究竟位の修行の階梯のうち,第二番目の加行位で所取・能取を離れた唯識性を了解し,通達位以降でさらなる真理へと昇華させると同時に,衆生を唯識性の理解に導くことが説かれている.また,『摂大乗論』も加行道において唯識へ悟入した後,菩薩の十地の初地にあたる歓喜地に入り,六波羅蜜に集約される菩薩行の実践が行われることになると説いている.このように瑜伽行派の思想において,唯識性は修行の完成の境地ではなく,菩薩行の入り口である.そして,その菩薩行においては,教導されるべき他者との関わりが重要な意味を持っている.

    瑜伽行者の修行の完成と他の衆生の存在の関わりについて,最も端的に述べているのは『摂大乗論』であろう.それによれば,一人の修行者が唯識性を証得したとしても,他の人々の判断(分別)がはたらいている限り,外界に相当する器世間が消滅することはないという.その背景に『瑜伽師地論』「摂決択分」があることはすでに指摘されているが,「摂決択分」でも,他の衆生の存在によって器世間が意味づけられている.唯識思想を研究する上で,他者の存在に着目することは重要な意義があると考える.

  • 早島 慧
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1243-1249
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    瑜伽行派の中心思想であるアーラヤ識は,ダルマキールティの登場以降,インド撰述文献史上極端に言及されることがなくなる.本稿は,そのアーラヤ識がラトナーカラシャーンティの主著Prajñāpāramitopadeśa(PPU)において,どのように解釈され,如何なる役割を担うかを明らかにするものである.

    PPUにおけるアーラヤ識解釈は伝統的な瑜伽行派の文献に依拠するものである.特に『唯識三十論』等にみられる「一切の習気・種子を保持するもの」としてのアーラヤ識解釈を重要視し,そのアーラヤ識を根底におきながら悟りへの階梯を示す.ただし,『唯識三十頌』第5偈a句 “tasya vyāvṛttir arhatve” という転依の解釈については,PPUは『唯識三十論』と異なる解釈を行う.この相違は,「一切の習気・種子を保持するもの」としてのアーラヤ識を重要視するラトナーカラシャ‍ーンティの立場を反映したものと考えられる.

    PPUにおいてアーラヤ識は「一切の習気・種子を保持するもの」として論じられ,その種子の消滅システムによる転換,つまり転依が,ラトナーカラシャーンティの悟りへの階梯として示される.そして,これがPPUの『唯識三十頌』第5偈a句解釈にも反映されているものと理解され,さらに中観派に対する批判の重要な役割をなすのである.

  • VO Thi Van Anh
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1250-1255
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    大乗仏教の修行階位は,従来,基本的に『十地経』に説かれる十階位であると理解されている.しかし,初期瑜伽行派の修道階位は,特に『菩薩地』の段階ではそのように断言できない.その根拠は,同文献における修行階位に「住品」の階位と「地品」の階位の二種類があるからである.

    さらにまた,周知のように,修行階位の内どれが重要な階位かという点に関して,瑜伽行派は初地を重要とするが,『十地経』が重要とするのは初地ではない.なぜ瑜伽行派が初地を重要な階位・聖位とするのかという疑問を解明するには,『菩薩地』の修行階位を考察すべきである.本稿で考察した結果,同文献における階位説について,「住品」と「地品」との二者の内,「地品」の七地説が主流であると言える.またその七地説の内,初地に対応する浄勝意楽地(śuddhādhyāśaya-bhūmi)という階位の位置づけに注目し,凡夫から聖者になるという意味を有する浄勝意楽地の特異性から,修行者にとって,初地,すなわち聖者になる最初の階位が重要視されるものであると知られる.これによって,なぜ瑜伽行派は初地を重要とするのかが理解でき,初期同学派の修行階位の確立の一背景を明示でき‍た.

  • ―― Pramāṇasamuccaya 1.9bに対するダルマキールティの解釈――
    三代 舞
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1256-1262
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    niścayaの語は通例「確定」「決定」等と訳され,分別との密接な関わりを有する.したがって,無分別なるものとして知覚を定義付けている以上,ダルマキールティにとって知覚がniścayaの機能をもつとは考えにくい.しかしながら,彼の著作Pramāṇavārttika(PV)の第3章において,知覚の作用を意味すると思しき(vi)niścayaの用例が見られ,それはディグナーガのPramāṇasamucaya(PS)1.9bに由来するものである.本研究では,PS 1.9bに対するダルマキールティの解釈について,PVと後の著作Pramāṇaviniścaya(PVin)とを比較しながら検討した.

    その結果,少なくともPV 3.339においては,自己認識と同じものを指すことから,対象の確定(arthaviniścaya)が知覚の作用と見なされていることが確認され,PV 3.341および345で用いられる (vi)niścayaについても同様の可能性が考えられる.しかし,PVinにおいては,これらの用例は全てpratipatti,pratīti,vyavasthitiといった,知覚の認識作用を指すものとしてより穏当な語に置き換えられている.さらに,PV 3.347では,明らかに知覚の後に生じる確定知の作用を指すものとしてniścayaの語が用いられているが,PVinにおいて該当部分は省略されている.以上のことから,ダルマキールティはPVinにおいて,問題となるniścayaの用例を取り除き,確定知が関わらない形で議論を整理したと言うことができよう.

    その一方で,PV 3.349に該当するPVinにおいて新たに加えられたkāryatas(結果から)という文言は,このような筆者の予想を妨げる可能性がある.確かに,これまで広く参照されてきたダルモーッタラやデーヴェーンドラブッディの解釈によれば,この句は,知覚とその結果である確定知との因果関係に基づいて理解されることになる.しかし,ジュニャーナシュリーバドラが示すように外的対象と知覚との因果関係によって解釈すれば,確定知との関わりは排除される.

  • 望月 海慧
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1263-1270
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    世親(Vasubandhu)の『法華論』は,二つの漢訳が現存するのみであり,その原典は現存せず,インド資料からその痕跡を確認することはできない.また,そのチベット語訳については,現存しないものの,目録にはその記録が残されている.すなわち,『デンカルマ目録』にはないものの,『パンタンマ目録』と後伝記の bCom ldan ral gri(1227–1305)による目録に記録されている.ただし,Bu ston(1290–1364)の目録では,同論は「探されるべきもの」の項目に収められており,13世紀中頃には失われていたことを示している.また,中国でまとめられた『至元録』には,二つの漢訳とともにチベット語訳が存在したことを示している.これらの根拠は単一の情報に由来するものであろうが,『法華論』のチベット語訳がかつて存在したことを示している.ただし,それは必ずしもインドで書かれた原典の存在までを示唆するものではないが,チベット人は世親の『法華論』の存在を認識していたことは明らかである.

    また,テンギュルの経疏部に漢文からのチベット語訳として収録されている基の『法華玄賛』のチベット語訳からも『法華論』のチベット語訳断片を収集することができる.基は法相宗の立場から『法華経』を解説しており,そこに世親の『法華論』が言及されることは当然である.その一方で,抄訳であるチベット語訳は,引用に対する翻訳を省略する傾向にある.その中で,チベット語訳における「論云」(’grel pa las)の50例をすべて確認してみた.その最初の用例において,著者名が言及されない「准論」を,チベット語訳者は「ヴァスバンドゥにより」と翻訳している.このことから,チベット語訳者は「論」を『法華論』と認識していたことがわかる.また,その41例を『法華論』に確認することができ,これらの言及は,漢訳からではあるものの,『法華論』のチベット語訳断片となる.

  • 井内 真帆
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1271-1276
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    大英図書館所蔵のスタインコレクションに所収されるカラホト出土チベット語文献の目録(Tsuguhito Takeuchi and Maho Iuchi, Tibetan Texts from Khara-khoto in the Stein Collection of the British Library, Studia Tibetica, no. 48 [Tokyo: Toyo Bunko, 2016])の出版により,カラホト出土のチベット語文献についてその全容が明らかになりつつある.カラホトは西夏王国(1038–1227)の要塞であり,チベット語の他に漢語や西夏語の写本や出土品が出土している.著者は目録の出版に携わる中でカラホト出土のチベット語文献についていち早く研究する機会を得た.その中でカダム派関係の写本の存在を明らかにし,これまで明らかではなかったカダム派と西夏の関係について明らかにした.さらにこの度,上記の目録の出版にあたり,カラホト出土のチベット語文献の中にカギュ派に関するいくつかの蔵外文献,ミラレパ(Mi la ras pa, 1028/1040–1111/1123)の伝記(カタログナンバー229)とジクテンゴンポ(’Jig rten mgon po Rin chen dpal, 1143–1217)の著作(カタログナンバー232, 270, 274)の写本を見出すことができた.本論文はこれらの新たに比定されたカラホト出土のカギュ派関係の写本について紹介するものである.

  • 岸野 亮示
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1277-1283
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    いわゆる『仏教史』の著者として名高いチベットの大学匠プトン(1290–1364)が,仏典に関する膨大な知識を有していたことはよく知られている.その知識は,経典や論術書だけでなく,チベットに伝わった律である「根本説一切有部律」(MSV)にも及んでいたようである.例えば,既出の彼の著作集にはMSVやその関連文献について論じた著作が,少なくとも八つ収録されている.『律の総説』(東北no. 5185)は,その一つである.この著作には,そのタイトルが示唆する通り,プトンが見聞きしたMSVおよびその関連文献一つ一つに対する,彼の短い概説が連続的に含まれているのだが,中でも,ヴィシェーシャミトラ著の『律摂』(D no. 4105; T no. 1458)についての概説は興味深い.というのも,そこでプトンは,『律摂』が,MSVおよびグナプラバ著の『律経』(D no. 4117)には見られない記述を少なくとも五つ含んでいることを指摘し,その五つを具体的に挙げ,最終的には「『律摂』には,信を置くべきではない」と,そのテキストの正統性を明確に否定しているからである.プトンのこの見解は,チベットの仏教伝承においては,いつの頃からか『律経』が―― MSV以上に――偏重される一方で『律摂』が顧みられた形跡は殆ど確認されない,という事実を勘案すると,非常に興味深い.また更に興味深いことに,その五つの記述の有無を現存する『律摂』の中に探ってみると,そのうちの二つは,少なくともプトンが指摘するような文章では存在しないことが分かる.つまり,プトンが問題視している『律摂』中の記述は,現在我々が目にする『律摂』には確認し難いのである.本稿は,プトンの『律摂』に対する概説の全文・全訳を提示するとともに,当該の二つの記述に焦点をあて,その二つに関するプトンの記述と現存する『律摂』中の記述の相違を具体的に示し,かつその相違の由来を考察するものである.

  • 朴 賢珍
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1284-1288
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    Newark Museum所蔵のBathang写本カンギュルは,ツェルパ系にもテンパンマ系にも属されない地方カンギュルの一つで,16世紀あるいは15–16世紀に筆写されたと推定されている.同カンギュルのvol. 7(nga)と vol. 8(a)にチベット語訳華厳経(全体45章)の第44「離世間品」と第45「茎荘厳品」の二章が収録されている.近年,Helmut Eimer による同カンギュルのカタログが出版されており,同経についてもデルゲ版と比較対照する形で基礎調査が行われた.本稿ではその成果を踏まえながら,巻の構成,経名,訳語について,他の諸本と比較対照し,Bathang写本 の特徴を明らかにした.調査結果をまとめると,以下のとおりである.

    1. Bathang写本は,巻の構成において,第44章はプダク写本・ツェルパ系に一致し,第45章は独自の形を持つが,全般的にテンパンマ系に近い.

    2. Bathang写本は,章末や各巻のはじめにおいて,Sangs rgyas phal po cheより古い経名 Sangs rgyas rmad ga cad を用いる.この題名は,テンパンマ系には見出されない.

    3. *pratisaṃvid の訳語について,Bathang写本は第44章ではプダク写本・テンパンマ系に一致する.一方,第45章では全20例中,最初の2例はプダク写本・テンパンマ系に,残りの18例はツェルパ系に一致する.

    4. *citta/*cetasに対する訳語について,Bathang写本は第44章ではプダク写本・テンパンマ系に,第45章ではツェルパ系に一致する.

    5. Bathang写本は,第44章における *buddhāvataṃsakaの訳語として,sangs rgyas rmad ga cadを用いる.一方,他の諸本は『翻訳名義大集』に規定されているsangs rgyas phal po che を用いる.

  • 崔 境眞
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1289-1294
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    「不依存の論証因」(ltos med kyi rtags)と「拒斥する論証因」(gnod pa can gyi rtags)は,諸法の刹那滅性を論証するために,Pramāṇaviniścayaやその他の自著の中でダルマキールティが展開した論証内容に由来する術語である.インド仏教論理学ではそれぞれ,「不依存性」(nirapekṣatva)と「反所証拒斥論証」(sādhyaviparyaye bādhakapramāṇam)という術語で知られている.この二つの論証法の関係とそれぞれの役割をめぐってチベット人学僧たちの間で少なからず異論が見られており,カダム派からゲルク派の時代に至るまでの間に思想史的な展開が見受けられる.

    本論文で取り上げるチョムデンリクレル(bCom ldan rig pa’i ral gri Dar ma rgyal mtshan, 1227–1305)は,カダム派末期からゲルク派初期までの間に活躍した学僧であるが,彼が著したPramāṇaviniścayaに対する註釈が現存している.チョムデンリクレルはその註釈で大方は既存の註釈の解釈に従いながらも,「拒斥する論証因」についてそれまでにはなかった新たな視点を提示しており,彼以降に著されたチベット撰述の論理学書では彼の影響とみられる解釈が主流となっていく.本論文では,当該の二つの論証法に対する彼の理解を提示し,それが後代に,すなわちゲルク派にいくらかの影響を及ぼした可能性があることを指摘した.

  • 師 茂樹
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1295-1301
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    基『因明大疏』によれば,玄奘はインド滞在中,戒日王の無遮大会において「唯識比量」(唯識の証明)とよばれるものを発表したとされる.この記事についてはこれまで疑われたことがなかったが,近年,日本古写経に基づく玄奘伝の再検討にともなって,唯識比量の作者についての疑義が提出されている.本稿では,『因明大疏』よりも先に成立したと考えられる文軌『因明入正理論疏』(文軌疏)において,唯識比量がどのように扱われているかを検討することで,唯識比量の作者の問題について考えたい.

    新羅人である可能性が指摘されている文軌は,文軌疏において玄奘から直接因明を学んだと述べる一方,基やその後継者から強く批判されたことで知られる.文軌疏は,完本としては残っていないものの,趙城金蔵や敦煌文書などで断片が発見されたことにより,大部分が復元されるなど,研究が進んでいる.

    文軌疏には,唯識比量やそれに類する論理式(以下,唯識比量等)が見られるが,玄奘の名前は出されず,いずれの場合も誤りを含む例として言及される.基は世間相違の説明のなかで唯識比量に言及するが,文軌は極成・所依不成・同法相似・無異相似などの説明において唯識比量等をとりあげ,世間相違においては言及しない.また,唯識比量等に対する文軌の解釈は,後に元暁の『判比量論』や玄応,順憬らの名前で引かれる解釈と共通している.

    以上のことから,唯識比量は,玄奘が文軌らに対して過失の例として紹介したものが,後に基によって玄奘の作とされ,誤りのないものとして紹介されるようになった,と予想される.これまでは唯識比量を世間相違の範囲で議論することが一般的であったが,今後はより広い文脈,特に基がとりあつかわない過類のなかで唯識比量が議論されていることの意義を考える必要があるだろう.

  • 金 鍾旭
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1302-1309
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    ニーチェ(Nietzsche)以降の現代哲学は,不変の本体から変化する過程を “関係性” の文脈から探求し,伝統的な哲学において実体として認められていた事柄を事件として看做し,同一性より差異という概念に注目している. こうした傾向はつまるところ,“関係性の中から固有性を求める” ことに帰せられる.なお,元暁の思想では,縁起性の中から性自神解的な本性を求めることにこうした傾向が表れている.具体的に言えば,元暁は縁起的な関係性を代謝と決定性として理解し,それを心性論化して,人間の本性を一心の性自神解から求めている.なお,元暁以降に縁起的な関係に基づいて人間本来の固有性を探し求める試みは,韓国仏教の展開過程において華厳と禅の調和に継承されている.

  • ――杲宝を中心に――
    亀山 隆彦
    2017 年 65 巻 3 号 p. 1310-1315
    発行日: 2017/03/25
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー

    中国における仏典翻訳事業は,9世紀半ばに一度途絶するが,それからおよそ160年後,当時中国を治めていた宋の皇帝,太祖,太宗,あるいは真宗の手厚い援助により再興する.彼らは,当時の都に訳経院と呼ばれる施設を作り,そこに数多の梵文仏典を集積し,法天(Dharmadeva),天息災(Devaśāntika),施護(Dānapāla)といった僧をして,その翻訳にあたらせた.法天らは,11世紀半ばまでに263部573巻の仏典を翻訳したと伝えられるが,武内孝善氏によると,その47パーセント,123部は密教関連の経典ないし儀軌であった.また,それら翻訳された密教経軌の中には,『ヘーヴァジュラタントラ』や『秘密集会タントラ』といった,いわゆる後期密教に属するものも少なからず含まれていた.

    先行研究でも指摘されるように,非常に多くの,極めてバラエティに富む密教経軌が,10世紀から11世紀にかけて一時に漢訳された.それらは中国のみならず,韓国や日本の仏教者にもひろく閲読されたと思われるが,本論では,これら宋代に翻訳された密教経軌の日本における受容について考察する.特に,真言密教僧がそれら経軌をどのように読み,また,いかなる影響を被ったか考えてみたい.

    真言僧が,宋代翻訳経軌をいかに受容したかという問題については,既に千葉正氏が論考を試みている.千葉氏は,鎌倉・室町時代を代表する東寺の学僧,杲宝の『アキシャ鈔』『秘蔵要文集』といった著作を検討し,それら文献中の教学議論において,施護あるいは天息災訳の密教経軌が,極めて重要な役割を担っていることを指摘する.筆者も,このような千葉氏の方法論にならい,杲宝の主要著作の一つである『大日経疏演奥鈔』に確認される宋代翻訳経軌の引用および解釈を検討し,上述の問題について考察を試みる.

  • 2017 年 65 巻 3 号 p. 1317-1452
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/03/24
    ジャーナル フリー
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