印度學佛教學研究
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  • 置田 清和
    2021 年 69 巻 3 号 p. 979-985
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    シュリーナータ・チャクラヴァルティーは15世紀ベンガル地方の出身であり,ヴィシュヌ教ベンガル派のカリスマ的創始者チャイタンニャ師(1486~1534年)と同時代の人である.彼の書いたチャイタンニャ・マタ・マンジュシャーは,ベンガル派によって創作された数々のバーガヴァタ・プラーナ註釈書の中で最も時期が早いものの一つである.

    この論文ではシュリーナータのバーガヴァタ・プラーナ1巻1章1節に対する註に焦点を当て,彼がśleṣaの技術を使うことで一つの節に対して三つの解釈を提供する課程を分析する.そしてこれらの解釈を14世紀にシュリーダラ・スワーミーによって叙述された,最も有名なバーガヴァタ註であるバーヴァールタ・ディーピカーと比較する.この比較によってシュリーナータのśleṣa読解術が単なる言葉遊びでなく,彼自身の神学的理解に基づいていることを指摘する.

  • 永井 悠斗
    2021 年 69 巻 3 号 p. 986-990
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    MBh VI. 12. 33–35はŚākadvīpaを構成する国土として,マガなどの四つの名前を挙げる.この節が,ViṣṇuPやSāmbaPなどのいくつかのプラーナ文献に引用されていることは既に多くの学者によって指摘されている.しかし,そこに見られるテキスト上の細かな違いと,それらが持つ重要性について,これまで看過されているように思われる.

    それらの違いの中には,確かに引用の際の単なる書写の誤りも見られるが,一方で,プラーナ文献の編纂者による意図的なテキストの改変を示唆する違いも見出される.本稿では,そのような違いとして,現れる格語尾の違い,太陽崇拝への言及の有無,マガなどを説明する記述量の多寡を指摘する.そして,これらの違いがテキスト上に生じた理由として,「マガ・ブラーフマナ」の社会的地位の変化を想定する.

    マガ・ブラーフマナ,あるいは単にマガとは,太陽崇拝を専門とするバラモンで,SāmbaPが語る伝説によれば,彼らはŚākadvīpaからクリシュナの息子サーンバによってインドへと連れて来られたとされる.先行研究は,このマガが古代イラン宗教に起源を持った,イランからインドへの移住者であったことを明らかにしている.こうした外国起源の集団が,インドにおいてバラモンとしての地位を獲得する過程には,何らかの土着化ないしインド文化の受容といった段階があったと想定される.本稿は,そうしたインド化の痕跡が上記の違いから窺えることを指摘し,マガがMBhを引用することによって,自らの権威付けを図り,バラモンとしての社会的地位を確保しようと試みた可能性について考察する.

  • 虫賀 幹華
    2021 年 69 巻 3 号 p. 991-994
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    北インドビハール州南部に位置するヒンドゥー教の聖地ガヤーは,祖先祭祀を行うのに良い聖地として有名である.現在ではViṣṇupada寺院が最も重要な場所とされているが,聖地としてのガヤーが文献に現れた最初期から言及され続けてきたのは「ガヤーの頭」である.本稿ではガヤーの頭と解釈できるgayaśiras, gayāśīrṣa, gayāśiras, gayāsīsaの記述をサンスクリット語およびパーリ語文献から拾い上げ,10~11世紀頃に成立したとみられるGayāmāhātmyaGM)前後の記述の相違に注意しながらその変遷を描く.GMとそれ以後の文献におけるガヤーの頭は,現在のViṣṇupada寺院周辺をその中心とする1 krośa(約3.22 km)の範囲である.これに対して,仏教文献のgayāsīsaは,Viṣṇupada寺院から南西約2 kmに位置するBrahmayoni山と同定できる.最も問題となるのが,ガヤーに関する最古の記述をもつとされてきたYāskaのNiruktaN)におけるgayaśirasの解釈である.Nはヴィシュヌ神が足を置いた3箇所をsamārohaṇa, viṣṇupada, gayaśirasとするAurṇavābhaの見解を記録する.この3箇所をガヤーに関連づけるか否かは先行研究でも意見が割れている.本稿は,DurgaによるNの注釈に従って,これらをガヤー内の特定の場所ではなく太陽の運行の描写と考える立場をとる一方で,Nの記述がMahābhārataおよびGMに引き継がれていると思われる箇所を紹介し,ガヤーの歴史を考察する上でNを考慮に入れる必要性を示す.

  • 近藤 隼人
    2021 年 69 巻 3 号 p. 995-1000
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    Yājñvalkyasmr̥tiは5–6世紀頃に最初に編纂され,9–10世紀頃に現行の「流布版」が再編集されたものと推定されている.両版テクストの差異は,ヴィシュヴァルーパ(Viśvarūpa, fl. 800–825)註Bālakrīḍāと,流布版に対するヴィジュニャーネーシュヴァラ(Vijñāneśvara,12世紀)註Mitākṣarāやアパラールカ(Aparārka,12世紀)註Yājñavalkyasmr̥tiṭīkā等との間に見て取れ,ヴィシュヴァルーパの伝えるテクスト(YSB)が原型に近いものと考えられている.しかしながら,その再編集がいかなる過程を経て行われたのかは不分明である.本稿においてはその一端を解明すべく,サーンキヤ的術語を用いつつ未顕現(avyakta)からの世界創造を説くYājñvalkyasmr̥ti第三巻の一節を対象として,その両版テクストの差異に焦点を当てる.

    Yājñvalkyasmr̥ti 3.180では未顕現から統覚(buddhi),統覚から自我意識(ahaṃkāra)が展開するとされるが,自我意識からの展開物についてYSBは五元素とする一方で,流布版はタンマートラ(音声・感触・色・味・匂い)とする.これに続く,その展開物の性質の逓増(3.180d),性質が音声などであるとする記述(3.181)を考慮すれば,流布版テクストは意味を成さず,YSBこそが正当なるテクストと判ぜられる.自我意識からの展開物をタンマートラとする見解は,Sāṃkhyakārikāに代表される古典サーンキヤ体系に属するものであるが,Yājñvalkyasmr̥tiの改変者は文脈を考慮せずに当初の編纂後に一般化した古典サーンキヤ体系を採用したという可能性が想定される.

    また,「未顕現」の指示内容について,Yājñvalkyasmr̥tiの想定する世界観は,Carakasaṃhitā第四篇Śārīrasthānaと基本的に合致するため,これはアートマンを指示するものとして解されうる.未顕現に関するこの用法はMahābhārata Mokṣadharma篇等によっても裏付けられるものであり,根本原因(pradhāna)と解する流布版諸註とは一線を画している.以上の点は,Yājñvalkyasmr̥ti当初の編纂に際して初期サーンキヤ思想が参考に供されていたという推測を根拠付けるものとなる.この点からは,Yājñvalkyasmr̥tiが最初に編纂された当時はSāṃkhyakārikāが存在していなかったか,あるいは存在していても大きな影響力を及ぼすほどではなかったという可能性が導き出される.

  • 須藤 龍真
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1001-1006
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    本稿はニヤーヤ学派における「敗北の根拠」(nigrahasthāna)の適用範囲に関する思想史的変遷を,論議における適用範囲の制限の点に着目して論じたものである.論議における敗北の根拠の適用制限に関する問題意識はSolomon 1976,岡崎2005,小野2017等にも共有されるものであるが,本稿ではニヤーヤ学派内における当該問題に関する思想潮流を制限・拡大・体系化の段階に分類し論じた.すなわち,論議における敗北の根拠を三種あるいは八種に限定する古典的解釈に対して,バッタジャヤンタやバーサルヴァジュニャ等によって,スートラ解釈に必ずしも依拠しない適用範囲の拡大化が為された.この背景には論理学の精緻化にともなうダルマキールティ等からの「敗北の根拠」批判への応答という要素も大いに伺われる.この傾向性に反して,ウダヤナは22種全ての敗北の根拠を論議の文脈における独自の4区分の中に配分し,あらゆる敗北の根拠の位置付けを試みていることを明らかにした.さらに,以上の分類と密接に関わる問題として,「余分なもの」(adhika)などの特定の敗北の根拠を巡る適用判断基準の変遷について論じた.すなわち,規則依存性の高い敗北の根拠に関して,1)ヴァーツヤーヤナに起因し,ダルマキールティを経て,バッタジャヤンタやバーサルヴァジュニャによって提示されることとなる「拡張的な議論」(prapañcakathā)及び「取り決めのある議論」(niyamakathā)という二種の新規議論形態を認める見解と,2)ウッディヨータカラによる「余分なもの」の常在的過失性の強調を継承するヴァーチャスパティミシュラやウダヤナによる,敗北の根拠の妥当する前提の新規解釈を企図する見解との両者が存在していたことを明らかにした.とりわけ前者については,著作が散逸しているヴィシュヴァルーパの所説との関連性という点からも更なる検討を要する箇所であろう.

  • 斉藤 茜
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1007-1012
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    マンダナミシュラ(7~8世紀)は,ミーマーンサーの伝統を重んじながらも,ウパニシャッドの価値を積極的に肯定することで彼に先行するミーマーンサー学者たちから距離を置いた.彼にとって伝統的なミーマーンサーの教義がどのような価値を持っていたかは,未だ解明の余地を多く残す.本稿では,彼の著作であるVidhiviveka (VV)において一度,Brahmasiddhi (BS)において三度,合計四度引用されるMīmāṃsāsūtra (MS) 1.2.40が,マンダナによってどのように理解され,そしてどのように彼の議論に応用されたのかを検討する.MS 1.2.40は,MS 1.2.31–1.2.39で列挙される「マントラは無意味である」とする反対意見とその根拠に対する応答である.この応答,つまり「マントラは有意味である」という見解を,マンダナが大いに自説の拠り所にしたと考えられるシャバラ註の説明に従いながら俯瞰し,その上でVV, BSでの応用の仕方を探る.いずれの場合でもマンダナは,この議論をウパニシャッドに応用していくが,その際「自派ヴェーダ学習命令」(svādhyāyādhyayanavidhi)の役割をどう理解し,そしてどのように正当化するのかという問題が,隠れたもう一つの主題となる.二つの問題の関係性を明らかにすることを,本稿のもうひとつの目的とする.

  • 眞鍋 智裕
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1013-1018
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    アドヴァイタ・ヴェーダーンタ学派の学匠マドゥスーダナ・サラスヴァティー(ca. 16th–17th C. CE)は,アドヴァイタ教学に基づいてバクティ思想の救済理論を本格的に確立した人物とされている.彼は,聖典Bhāgavatapurāṇa(BhP)に依拠して,Bhaktirasāyana(BhR)とその自註Bhaktirasāyanaṭīkā(BhRṬ)やBhPの冒頭三詩節に対する註釈*Śrīmadbhāgavataprathamaskandhādyapadyatrayavyā­khyā(ŚBhPĀTV)を著し,また聖典Bhagavadgītā(BhG)に対して浩瀚な註釈Bhagavadgītāgūḍhārthadīpikā(BhGGAD)を著している.彼はこれらの著作において彼のバクティ論を展開しているが,BhR(Ṭ)とŚBhPĀTVにおける彼のバクティ論とBhGGADにおけるバクティ論には以下のような違いが見られる.即ち,BhPに依拠するBhR(Ṭ)とŚBhPĀTVにおける彼のバクティ論では,バクティは独立の救済手段であり,またその有資格者は全ての生類とされている.一方BhGに依拠するBhGGADでは,バクティは知に従属するものであって独立した救済手段と見做されていない.また,その有資格者は実質遊行者であるバラモンに限定されている.このように,BhR(Ṭ),ŚBhPĀTVとBhGGADにおいては,マドゥスーダナのバクティへの態度に違いが見られる.彼のこのバクティへの態度の違いは,śraddhā(信頼)の理解の違いにも関係していると考えられる.そこで本稿では,BhR(Ṭ)とBhGGADにおいてśraddhāがどのように異なっているのかを確認し,その違いがBhR(Ṭ)とBhGGADにおける彼のバクティへの態度の違いに結びついていることを明らかにした.BhGGADにおけるśra­ddhāの対象は,解脱の手段である梵我一如の知が説かれているヴェーダーンタの文であるため,バクティはその知に従属していると理解される.一方,BhR(Ṭ)ではバクティそのものが目的とされているため,その手段であり,śraddhāの対象でもあるバーガヴァタの諸規範の遂行というバクティは,知に従属しない独立したものであると理解される.このように,両著作におけるマドゥスーダナのśraddhā理解の相違は,両著作における彼のバクティへの態度の違いと密接に結びついている.

  • 藤本 晃
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1019-1026
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    仏教の見方では,「我」は永遠不滅の実体ではなく自分の心身を「私」とか「私がいる」などと執着することから生じる誤解にすぎない.それゆえ,仏教では無我という.

    無我は,執着も無明も全て滅した最後の第四の悟り・阿羅漢果で完全に証得される.

    しかし,悟りに四段階があるように,無我の証得にも段階があるのではないだろうか.三通りに言い換えられる無我の定型句「これは私のものではない.これは私ではない.これは私の我ではない」が,無我の段階を示すと予想し,検討する.

    「私のもの」という執着は,悟りの第三段階・不還果で滅し,「私」という執着は,最後の完全なる悟り・阿羅漢果で滅する.

    では,最後の「これは私の我ではない」は何を意味するのだろうか.筆者は,「悟りもまた我ではない」と了知した解脱智見・滅尽智という正見を意味すると考える.「諸行無常」,「一切行苦」に対して「諸法無我」といわれるのは,有為法のみならず無為法たる解脱・滅を含めた「すべての法が我ではない」のである.

  • 山崎 一穂
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1027-1032
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    Avadānakalpalatā (Av-klp)はカシミールの詩人Kṣemendra (西暦990–1066年頃)によって書かれた108章からなる仏教説話集成である.同作品の第31章第32詩節には「心」(manas)を「恩知らずな者」(akṛtajñaḥ)に喩える〈直喩〉(upamā)の用例が見られる.古典詩論家達は〈直喩〉が成立する条件の一つに喩えるものと喩えられるものの文法上の性と数,格の一致を挙げる.問題の〈直喩〉ではそれぞれ,喩えるものと喩えられるものである「心」と「恩知らずな者」という語が文法上の性を異にする.本論文はKṣemendraがなぜ詩論家達の規定に抵触する〈直喩〉をここで用いたのかという問題の解明を試みるものである.

    喩えるものと喩えられるものの文法上の一致が成立しない〈直喩〉の用例は劇作家Bhavabhūti (西暦8世紀)の戯曲作品Mālatīmādhava第9幕第10詩節に見られる.註釈者Jagaddhara (西暦13–14世紀頃)は,問題の詩節では〈情〉(rasa)が示唆されているので,〈直喩〉の文法上の不一致が許されると説明する.このことから,西暦8世紀頃には,詩論家達の規定の枠内で〈直喩〉を組み立てることよりも,〈情〉を示唆することを重要視する文学的慣習が戯曲詩人達の間に存在したことが推定される.

    演劇論家Dhanaṃjaya (西暦10世紀後半)は,Bharataの演劇論を体系化し,演劇論書Daśarūpaを著している.同書の第4章では八種類の〈情〉が定義されている.Av-klp第31章第32詩節に先行する第27詩節と第28詩節にはそれぞれ,abhilāṣa「欲求」,vīṇā「ヴィーナー〔の音〕」という語が見られる.Dhanaṃjayaによれば,前者は運命やその他の理由で一緒になることができない男女に生じる〈恋〉(śṛṅgāra)の〈情〉が成熟していく最初の段階を,後者は〈恋〉の〈喚起条件〉を言葉で表現するのに用いられる語とされる.このことはAv-klp第31章第32詩節で〈恋〉の〈情〉が示唆されていることを意味する.

    以上の点を考慮すると,Av-klp第31章第32詩節に見られる〈直喩〉の喩えるものと喩えられるものの文法上の不一致は,Kṣemendraが詩論家の規則を満たすことができなかったことを意味するものではなく,彼が〈情〉を示唆することを,詩論家の規則に従って〈直喩〉を組み立てることよりも重視したことによる結果であると解釈できる.

  • 徐 美徳
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1033-1037
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    本稿は,十二支分中の四支分,並びにそれらの緊密な相互関係を,インド原典と漢訳に基づきつつ論じる.導入部で十二支分と三蔵の関係について論ずる.大乗阿毘達磨集論,声聞地経などの諸節によると,四支分は三蔵の律に属するものである.本稿の最初に,三種のニダーナ,すなわち経のニダーナ,偈のニダーナ,律のニダーナの各々に焦点をあてる.ニダーナとアヴァダーナの関係について,この両支分は古い区分すなわち九支分には含まれていない.律のニダーナは体系的に,別解脱経の経分別に保持されている.教団規則の背景を構成する現在事はニダーナと呼ばれ,現在事の背景を構成する過去事はアヴァダーナと呼ばれていた.本稿第二部では,イティヴリッティカの語源を論じる.これに関しては二つの理論がある:Ityuktaka, chn. rushiyu如是語,そしてItivṛttaka, chn. benshi本事である.第三部は,アヴァダーナ,ジャータカそしてイティヴリッティカの関係に関するものである.ここでの分析は,瑜伽師地論,大乗阿毘達磨集論そして成実論に基づいている.言及すべきは,岩本裕によるイティヴリッティカの系図で,そこではニダーナとアヴァダーナはイティヴリッティカから派生している.本稿最終部はアヴァダーナと律の関係を,十地経論,大智度論及びマハーヴァストゥ中の記述の検証を通じて分析しつつ,論じる.平川彰の仮説,すなわち大衆部律の原型は経分別と犍度部にアヴァダーナとジャータカを含んでいたという説を証明することが重要であるが,それらの資料は後代に改訂されたものであり,別にマハーヴァスツーアヴァダーナ(アヴァダーナとジャータカ),そして大衆部律(律の核心的資料)という形で伝承された.

  • 張本 研吾
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1038-1044
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    Nattier 1992は『般若心経』は中国撰述であり,サンスクリット版はそれからの訳であると提唱した.その議論の強みは以下の点にある.漢訳を見ると『心経』は『大品般若経』の一部を使っているように見える.しかし梵語で見るとその両者は著しく異なる.特に,梵語『心経』の簡潔さは,その点で羅什訳『摩訶般若波羅蜜經』と同じである.そこでNattier 1992が提唱するのが『心経』はまず漢訳が先にあるというものである.

    羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』を,当該箇所に関し,それに先立つ二漢訳と比べてみると,どれも同じレベルの簡潔さを示す.さらに,後続する訳が先行する訳を参照しているようには見えず,どれも独立して訳していると思われる.つまり,『心経』の簡潔さに関し,羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』の介在を想定する必要はなかろうということになる.『心経』の「核」となる部分は直接インド語の『大品般若経』から持ってこられたのであろう.さらに細部を見てみると,梵文『心経』にはそもそもガーンダーリーのような中期インド語であったテキストを言語的のみならず哲学的にも向上させようとした跡が窺われる.これが段階的に行われたというよりは『心経』は,その成立時に梵語として発生したと考えるのが良いように思われる.

  • 西 康友
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1045-1053
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    梵文法華経(SP)は初期大乗仏教経典の古層とされ,この漢訳『妙法蓮華経』は東アジアにおいて多くの経典・思想・文化の形成・発展に大きな影響を与えてきた重要経典の一つである.この原典とされるSPは,仏教混淆梵語(BHS)の代表経典の一つであり,本文には中期インド・アーリヤ(MIA)語的表現が多く見られる.すべての現存SP写本は,中央アジア(CA)伝本とギルギット・ネパール(G-N)伝本の2つに大別されることが知られている.

    初期のSPはMIAで編纂され,時代とともに伝承されるにしたがって梵語化された(Kern 1912, Edgerton 1953,辻1970の一部,辛嶋1992–2006)と考えられているが,反論(Brough 1954など)も多く,統一的な見解に至っていないのが現状である.この仮説を検証した結果,以前の発表者の研究で,この仮説を支持する3例証を見出した:(1)異読(写本ごとに異なる読み)2語BHS krīḍāpanaka- / Skt. krīḍanaka-; (2)異読3語BHS sāntika- / MIA santika-=Pāli / Skt. antika-; (3)異読3語BHS acintika- / MIA acintiya- =Pāli / Skt. acintya-.(1)–(3)は現存SP写本の出現箇所分布について特徴的な偏りが存在する:①MIAがCA偈文・散文とG-N偈文に多く出現し,Skt.はほぼ出現しない;②Skt.がG-N散文に多く出現するが,CA偈文に出現しない.

    本稿は上記の研究を推進させることにより,SP梵語化の仮説について,以下の異読を具体的に精査し,この仮説の論証の可能性を見出すことを目的とする:SPの一般的な校訂本『ケルン・南條本』序文にあるCA伝本カシュガル本OとN写本の対応箇所語彙の90異読における分析を行う.なお,本稿ではSP2伝本のうち書写年代が顕著に異なる主要な19 SP写本とSP初の写本混淆校訂本『ケルン・南條本』(SP研究における基準テキスト)を取り扱う.

    以上の一連の研究を拡張し,展開することによって,法華経成立・伝承過程の解明に向けての新しい視座を獲得できる可能性を提示する.

  • 葉 少勇
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1054-1059
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    『大哀経』(Tathāgatamahākaruṇānirdeśa)は重要な初期大乗仏典であり,『陀羅尼自在王経』(Dhāraṇīśvararāja)としても知られている.その仏典のチベット訳が現存し,また竺法護と曇無讖による漢訳がある(『大哀経』T 398,『大集経』の第1–2品T 397).従来,『究竟一乗宝性論』(Ratnagotravibhāga Mahāyānottaratantra)と『入中論注』(Madhyamakāvatārabhāṣya)において引用文が回収されたが,それ以外にはこの経のサンスクリット文は発見されていない.本稿で報告する写本は,北京の中国民族図書館に保管されている貝葉写本の束の第59番である.大量のサンスクリット写本が元々チベットで伝承されていたが,それが北京に移送されたのち1993年にチベットに返還される際に,中国民族図書館にそのうちの三部の写本が寄託された.本稿で報告する写本は,中国民族図書館に寄託されたその写本のうちの一つである.

    同写本は12葉(Folio. Nos. 1–23;ただし,3, 4, 11及び13−20が失われている)が現存し,経の冒頭部分を含んでいる.書体はプロトナーガリー(Proto-Nāgarī)である.古文書学の特徴から判断すれば,この写本は8–9世紀前後に書写されたものであると推定される.さらに,本稿では,第1–2葉のローマ字転写テキストも提示している.

  • 堀内 俊郎
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1060-1065
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    Arthaviniścayasūtranibandhana(『決定義経注』)とは,『決定義経』という経典に対する注釈書であり,8世紀ころのナーランダの学匠ヴィールヤシュリーダッタの著作である.梵本にのみ残る同論に対しては,校訂本(Samtani 1971),和訳,英訳,諸研究が存する.校訂本に対してはいくつかの訂正案が提示されてきたが,写本に基づくさらなる読み直しが期待されている.今回筆者は従来の校訂本では使用されていなかった1本を含め,4本の写本を閲覧することができた.諸写本を見直すことによって,従来Samtani氏によって存在しないとされていたG写本の数フォリオが,実際は見いだされることが分かった.また,写本の読み直し,関連文献との対照,チベット語訳としてのみ残る注釈書の参照などの作業によって,従来の校訂本に対して大幅な改訂を加えうることも分かった.

    本稿では,“失われた”G写本の数フォリオの発見の報告とともに,4写本の系統について知見を提示し,その後,数箇所に関するテクスト再校訂と読み直しを提示したい.

  • 中山 慧輝
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1066-1071
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    「摂異門分」は,瑜伽行派の基本典籍である『瑜伽師地論』に含まれ,『雑阿含経』を中心とする阿含経典によく現れる同義異語や関連語,定型表現などを集めて,それらの語の意味の違いや区別を説明したものであり,同派が典拠とする経典を探る上でも重要な史料である.一方で,それらの解説はあまりにも簡潔で,経典の比定は難しく,研究はあまり進んでいない.先行研究に拠れば,「摂異門分」は,綱領偈(uddāna)によって計60項目の解説内容を示し,それらを大きく聞思修の三慧の順に列挙する.しかし,隣り合う項目同士のつながりは,その綱領偈だけでは理解することが難しく,それぞれが独立してみえる箇所も少なくない.そこで本稿では,その全体の構成から,具体的な解説内容に視点を移し,解説の典拠となる経典を特定し,その内容を分析することで,個々の項目間の順序にも意図がある可能性を示す.具体的には,「無常・聚沫」の隣り合う二項目の箇所を扱う.「聚沫」の項目は,『泡沫経』を典拠としていることがすでに先行研究によって明らかにされているが,「無常」の項目の末尾で解説する用語も『泡沫経』に見られるものであること,さらに,その解説内容が「無常」と関連することを指摘して,両項目の密接な関係を示すことで,「摂異門分」が綱領偈に示される個々の項目も意図を持って並べている可能性を指摘する.

  • 上野 牧生
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1072-1078
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    世親作『釈軌論』(Vyākhyāyukti)の掉尾を飾る第5章では,説法者(dhārmakathika)の予備軍に向けて,説法の見本が示される.特にその第3節では,奇譚・漫談・厭世譚の実例が紹介される.それぞれ,聴き手を驚かせる・笑わせる・〔輪廻や欲望や怠惰を〕厭わせることを目的とする小話である(この3点が布教の契機として重視される).それらはいずれも簡潔で短く,任意の引用,そして説法での実用に適する.おそらくは説法の前に,あるいはその合間に,説法者の声に耳を傾けない相手に向けて語られるものであろう.本稿はそのなか,居眠りする聴衆を笑わせ,眠りを醒ます目的で語られる漫談の全話を紹介する.例えば,次のような小話である.「ある外教徒がマハーバーラタを読んで泣いていると,ある人から「なぜ泣いているのですか?」と聞かれた.「シーターがどれほどの苦しみを味わったかご覧になりましたか」と答えると,「それはマハーバーラタですよ,ラーマーヤナではありませんよ」と言われた.外教徒は「私が泣いたのは無意味でしたね」と虚しく語った.これと同じように,説法者の語る佛陀のことばも,注意して聴かなければ無意味なのです」と.

    往時の説法者は,こうした漫談で聴衆の笑いをとり,あるいは,話を滑らせ失笑を買ったであろうか.『釈軌論』から推測する限り,少なくとも世親自身が説法者であった,とはいえそうである.とはいえ,世親が居眠りする者にまで気を配る様は驚きでもある.あまつさえ,喜劇的な話や下世話な話,自虐までを漫談に織り込み,時には聴き手に合いの手を求めている.そうまでして世親が人々を佛教の聴聞に導こうとするのは,そこまで考慮しなければ,人々が佛教に耳を傾けなくなった当時・当地の時代状況を反映しているのかもしれない.

    いずれにせよ,『釈軌論』第5章の記述は,5世紀前後の説一切有部圏域における説法者の実態の,その一端を記したものとして注目に値する.

  • 米澤 嘉康
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1079-1086
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    『入中論』(Madhyamakāvatāra,以下MA)と『プラサンナパダー』(Prasannapadā,以下Pras)とは,ともに中観派を自認するチャンドラキールティ(Candrakīrti月称)による中観論書である.本論文では,MAにおける最後の5偈とPrasの帰敬偈とを比較し,両書の関係を明らかにするものである.まず,MAの章構成について確認した.その結果,MAで取り扱われている13のトピックそれぞれが,章を構成しているかどうかは検討の余地があることを指摘した.次に,MAにおける最後の5偈とPrasの帰敬偈とを比較した.いずれも「龍樹の讃嘆」という内容であり,共通の語がいくつか用いられていることから,MAとPrasとは緊密な関係にあると結論づけた.ただし,MAに用いられている「学説(prakriyā)」という語がPrasの本文に用いられていないことから,MAとPrasとでは,対象とする読者が異なっていると想定した.このことはMadhyamakaśāstrastutiにおける用例からも支持されるであろう.

  • 王 俊淇
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1087-1092
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    『プラサンナパダー』(PsP)第1章は,著者チャンドラキールティがブッダパーリタの帰謬論法を正当化することと,バーヴィヴェーカの自立的論証式に対する厳しい批判で有名である.その章は,Louis de La Vallée Poussin(LVP)による校訂本(PsPL, 1903–1913)の出版以来,繰り返して研究されてきたが,LVPがテキスト作成当時に参照した3本の紙写本はいずれも書写年代が新しく,欠損や転写過誤が多くあるため,章の内容の読みについて紛議を起こした.2015年にAnna MacDonaldが出版したPsP第1章の新校訂本(PsPM)は,詳細な校訂情報と訳注が充実していることで,高く評価されてきたが,まだ訂正の作業が残っている.そこで,本発表は,バーヴィヴェーカ批判の中核である§27および§28に対するいくつかの可能な訂正を試みるものである.

    PsPMの§27および§28の読みは次の通り.

    §27, p. 148: ko ’yaṃ pratijñārthaḥ | kiṃ kāryātmakaḥ svata uta kāraṇātmaka iti | kiṃ cātaḥ | kāryātmakaś cet siddhasādhanam | kāraṇātmakaś ced viruddhārthatā . . .

    §28, pp. 151–152: sa cāyaṃ paraṃ prati hetudṛṣṭāsaṃbhavāt svapra­tijñāmātrasāratayaiva kevalaṃ svapratijñātārthasādhanam upādatta iti . . .

    §27の-ātmakaの読みに関して,本発表は,ms Pの-ātmakaの異読が信頼できず,ms Qの-ātmana(s/ḥ)の読みを取るべきであると主張したい.

    §28について,MacDonaldは「否定辞naは文脈で意味が通じない」という理由で写本に見られるnaをsaに,svapratijñātārthamātramをsvapratijñātārthasādhanamに修正したが,saとsvapratijñātārthasādhanamの読みは実は16本のサンスクリット語写本に支持されていない.また,MacDonaldの議論を吟味すると,氏が文脈としての三比量説を誤解していたことがわかる.他比量を能破として用いたのはバーヴィヴェーカではなく,チャンドラキールティである.そこで,本発表はPsPの文脈を分析する上で,§28において否定辞naとsvapratijñātārthamātramが必要であることを証明しようとする.

  • 横山 剛
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1093-1098
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    チベット語訳でのみ現存する『中観五蘊論』は,初学者が無我を理解するための入り口として説一切有部の法体系を中観派の立場から概説する小型の論書である.同論には多数の経典引用が確認されるが,その多くが,中観派的な色彩が強く,同論の約二割の分量を占める慧の心所に集中する.そして,これらの引用と共通する引用がチャンドラキールティの他の著作に確認される.一部の研究は,同論師が慧の心所のみを著したという部分著作説を主張するが,これらの引用はその根拠の一つとされる.

    一方で,数は限られるが,慧の心所以外においても経典からの引用が確認される.本稿では,これらの引用に注目し,対応する経典資料,引用の目的,慧の心所における引用との性格の違いを明らかにするとともに,これらの引用についても共通する引用がチャンドラキールティの他の著作にみられることを指摘することで,論全体が同論師に帰される新たな根拠を提示する.

    まず,冒頭において,慧の心所も含めて同論全体の経典引用を整理する.続いて,慧の心所以外における引用として,(I)所触,(II)尋伺,(III)軽安不軽安,(IV)慚愧の定義における引用について検討する.翻訳ならびに対応する経典資料を示した上で,それらの引用が法と法との関係の教証としての役割を担っていることを指摘し,無我の教証である慧の心所における引用とは役割が異なることを明らかにする.そして,同論全体をチャンドラキールティに帰す新たな根拠として,(III)と(IV)の引用と共通する引用が,それぞれ『六十頌如理論注』と『明句論』に確認されることを指摘する.その際には,これらの論書間で,引用がなされる文脈が異なる点に注目し,特に(IV)の引用を未了義であるとする『明句論』の見解が,有部の法体系に対する同論師の理解を反映している可能性を指摘する.

  • 秦野 貴生
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1099-1104
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    アポーハ論(anyāpoha)は仏教論理学を確立したディグナーガにより提唱された理論である.しかし,ディグナーガの思想を継承しているダルマキールティが,主著『プラマーナ・ヴァールッティカ』の第1章,およびそれに対する自注でのアポーハ論箇所で,apohaという語を用いる頻度は少なく,bhedaやvyāvṛttiといった語を代わりに用いていると考えられる.諸先行研究では,当該箇所でダルマキールティがapohaという語を用いるのは,主にディグナーガの主張に言及する場合に限られるということや,その際のapohaに「内的形象」(ākāra, pratibhāsa)との関連性がないことが示されているが,『プラマーナ・ヴァールッティカ』の他の章や,注釈者シャーキャブッディによる復注(自注への注)ではapohaと内的形象との関連が見られることもまた示されている.

    本稿では,ダルマキールティの著作のうちアポーハ論箇所以外でのapohaが,ダルマキールティの見解に直接関連するかどうかについて整理し,そして,アポーハ論箇所でダルマキールティがapohaの代わりに用いている語の用例を検討することにより,ダルマキールティ自身のアポーハ論と「内的形象」との関連性について明らかにした.

    アポーハ論箇所以外では,apohaと内的形象との関わりはディグナーガやシャーキャブッディの説を通じて見られ,ダルマキールティは「ディグナーガのアポーハは内的形象と密接である」と捉え,シャーキャブッディは「ダルマキールティのアポーハが内的形象である」と捉えている.アポーハ論箇所において,apohaの言い換えとして用いられているvyāvṛttiの用例では,vyāvṛttiは分別知上に現れている対象を通じて普遍や同一基体性などの言語表現が成り立つ根拠であり,vyāvṛtti自体が内的形象とは解釈されなかった.

    したがって,ダルマキールティ自身の主張において「apohaが内的形象である」という内容は確認されず,両概念は互いに区別して使用されていた.

  • 小林 久泰
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1105-1111
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    仏教論理学派がジャイナ教論師を名指しで批判を行う例は極めて少ない.それにもかかわらず,カマラシーラは『タットヴァ・サングラハ・パンジカー』の中で9回にわたり,ジャイナ教徒スマティの名前に言及し,彼の学説を批判している.スマティ自身の著作がすでに散逸していたということもあり,ジャイナ教の伝統の中でも,スマティが言及されることはほぼないに等しい.それにもかかわらず,何故カマラシーラはこれほどスマティを批判の対象としたのか.このような問題意識に立ちつつ,本稿では,そもそもスマティとはどのような人物かということをインドの碑文をもとに考察した.

    結論として,MalvaniaやMahendra Kumar Jainなどがスマティを論じる際に用いたグジャラートの碑文に登場するスマティ(セーナ・サンガ所属)と南インド・カルナータカに残される碑文群に登場するスマティ(ドラミラ〔ドラヴィダとも言う〕・サンガ所属)は全くの別人である可能性が高いことを明らかにした.その上で,同じくカマラシーラの批判の対象となっている他のジャイナ教論師サマンタバドラやパートラケーサリンが同じドラミラ・サンガに所属していることを考えると,後者のスマティがおそらくカマラシーラの論争相手であると考えるのが自然であるということを指摘した.

  • 園田 沙弥佳
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1112-1117
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    五護陀羅尼Pañcarakṣā(PR)のうち『大寒林陀羅尼』Mahāśītavatī(ŚV)の経題を持つチベット語訳の内容は,サンスクリット・テキストや漢訳に説かれている内容と一致しないことが先行研究で指摘されている.サンスクリット・テキストでは『大寒林(陀羅尼)』Mahāśītavatī,漢訳では『大寒林聖難拏陀羅尼経』とある一方,チベット語訳では『聖持大杖陀羅尼』’Phags pa be con chen po zhes bya ba’i gzungsという名で収録されている.テキストによって経題に複数のバリエーションがあるものの,これら3つの経典の内容はおおむね共通しており,いずれもŚVと見なされている(以下,ŚV-A本と称する).一方で,チベット語訳系統においてŚVの名を持つ経典は『大寒林経』bSil ba’i tshal chen po’i mdoであり,ŚV-A本の内容とは大きく異なる(以下,ŚV-B本と称する).そのため,2種のPRの系統を区別するうえでŚVは重要な経典の1つであるといえる.

    本論文ではPRの構成や経題に見られる問題点,カルマヴァジュラKarmavajraによって著されたŚVの注釈書『明呪大妃大寒林経十萬註』Mahāśītavatīvidyārājñī-sūtra-śatasahasraṭīkā-nāma(ŚVŚS)を取り上げた.前述のとおり,ŚVと見なされる経典は2種の存在が確認されているものの,ŚVŚSでは両経典が併せて注釈されていることが明らかになった.

    チベット大蔵経において別名で収録されているŚV-A本がŚVSSに含まれた経緯については未だ明確ではないが,当時ŚVと見なされていた両テキストを注釈者が意図的に合体させて注釈を行った,もしくは,注釈者がŚV-A本とŚV-B本の内容が元々一つとなっているテキストを使用したことが推察される.後者の場合,これまで確認されているŚV-A本とŚV-B本以外にも第3のŚV文献が存在したことになるが,その可能性については今後の写本研究を進める上で検討していきたい.

  • 藤井 明
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1118-1123
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    密教経軌中には,末世の行者,衆生を形容する種々の記述が認められる.しかしながら,これまでの密教研究においては,密教経軌中の末世観について扱っているものは少なく,各密教経軌中における末世に対する密教行者の思想と,末世への対応がいかになされてきたかを知ることが出来ない.本論文では,Mañjuśriyamūlakalpa (MMK)やAmoghapāśakalparāja (APK)あるいは仏教版Bhūtaḍāmaratantra (BBT)を始めとする,サンスクリットが現存する密教経軌を主たる典拠として,密教経軌中に見ることの出来る「末世」「末法」「仏滅後」という記述を提示し,密教行者たちの末世観と,その思想に対する態度を明らかにした.

    用例の分析をした結果,いくつかの密教経軌中には末世における密教行者の成就に対する渇望が明確に見て取れた.また,これらの記述は未来世にあっても成就があることを示し,儀軌あるいはマンダラやマントラなどが如来の代わりとなるという,言わば悪世における解決策を示している.これは,種々の未来世の記述が,密教経軌の力や有用性を示すための要素として機能しているとも言い得るであろう.密教経軌中の末世観に関わる記述においては,密教的なマンダラや陀羅尼,成就法の力を主張することに力点が置かれていると言える.本論文で挙げた記述には,未来世に対する言い知れぬ不安を読み取ることが可能であり,またこれらの記述は未来世における不安感を払拭する機能を持っている,と言えるだろう.

  • 望月 海慧
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1124-1132
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    筆者は,本誌の前号において,「Dīpaṃkaraśrījñānaの13のマントラの流儀」として編纂された儀軌文献のうち,最初の導入に続く,灌頂,三昧耶,マンダラ,水供養,護摩,天供養の6つの文献について報告した.本稿では,すでに発表済みの最後の小像作成の儀軌を除く後半の5つの文献について報告する.

    最初のĀyūḥsādana (P. no. 4863)は,金剛の寿命を成就する方法としての儀軌をまとめたものである.Mṛtyuvañcana (P. no. 4864)は,死兆の解説とそれを欺く儀軌からなり,死兆は外と内に分けられ,前者はさらに夢と視覚されるものに分けて解説されている.Mumūrṣuśāstra (P. no. 4865)は,菩提心を浄化する儀軌の解説であり,輪廻を排除する10想と,解脱を望む7念と,菩提心をとどめる儀軌からなる.Śmahoma (P. no. 4866)は,寿命を移す者の業障を浄化する儀軌を偈頌によりまとめたものである.Saptaparvavidhi (P. no. 4867)は,転生者が善趣を獲得するために49日の間行う儀軌からなる.以上の5つに小像作成の儀軌を加えた後半の6つは,「13のマントラの流儀」のうち死と転生のための儀軌となる.

    これらの6つの儀軌のうち,最初の3つは儀軌の行為者が自らのために行うものであり,後半の3つは行為者が死者のために行うものとなっている.これらの13文献は,その著作スタイルの異同からも,編纂者がDīpaṃkaraśrījñānaの著作とされるものから死と再生に関する儀軌文献を選択して編集したものと考えられる.

  • カマリド ドラテ
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1133-1137
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    本論文は,パツァプ・ニマタク(1055–1145 (?))の注釈における『根本中論』Mūlamadhyamakakārikāの引用方法をめぐって,第1「縁の考察」章を中心に分析を加え,その特色を考察することを目的とする.考察の対象とするニマタク注は,ラサにあるぺルツェク古代チベット写本研究所から出版されたカダム文集(第11巻)に含まれる.その題名は『『根本中・般若[論]』に対する注釈『灯明論』』dBu ma rtsa ba’i shes rab kyi ti ka / bstan bcos sGron ma gsal bar byed pa zhes bya baである(1a–52bR11).本論文は,ニマタク注の序論と第1章を直接の考察対象とし,彼が『根本中論』の各偈頌のどの部分を,いかなる翻訳文により,いかに引用するかを分析する.

    ニマタク注は,彼が11世紀の終わりにカシミールにおよそ20年間滞在し,仏教思想とサンスクリット語を複数のインド人パンディットから学んで得た多くの研究成果を反映している.後伝期のチベットにおいて,チャンドラキールティの中観思想を本格的に導入するにいたった最大の功労者がニマタクであることはよく知られている.その勝れた翻訳の背後で,彼はカシミール留学中に,仏教思想に関するいかなる知識を得て,いかなるテキストを読み翻訳したのか.また,彼の翻訳はいかにしてチャンドラキールティの中観思想をチベットに根づかせる契機となったのかを解明する上でも,本注釈のもつ意義はきわめて大きい.本稿はこの点を念頭に置きながら,ニマタク注に引用される『根本中論』の内容と翻訳文に分析を加え,いくつかの新知見を得た.

  • 青原 彰子
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1138-1142
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    ジャムヤンシェーパ・ガワンツォンドゥ(’Jam dbyangs bzhad pa Ngag dbang brtson ’grus: 1648–1721)著『静慮無色定大論』(bSam gzugs chen mo, SZCM)「止観節」はツォンカパ・ロサンタクパ(Tsong kha pa Blo bzang grags pa: 1357–1419)著『道次第大論』(Lam rim chen mo, LRCM),『道次第小論』(Lam rim chung ba, LRCB)の難所の解説であり(SZCM 113b1),止観による修習次第の全体をLRCM, LRCBに基づいて説示するものである.本稿は,SZCM「止観節」の説示する止観による修習次第の全体を見通しつつ,特に止の完成後に修習される無我を所縁とする伺察修について考察する.

    初学者はその者の性質に応じた所縁もしくは如来の御姿に依拠して九種心住の段階を進んで止を完成する.止を完成した瑜伽行者は了相作意,四念住,人無我およびそれに続く法無我の修習などを行うことが説かれている.了相作意には世間道と出世間道があるが,LRCMによれば,そのうち出世間道の四諦十六行相の修習に該当する.四念住は『倶舎論』に説かれるとおり,止の完成以後に行われる修習である.止の完成後に無我を所縁とする観が修習されるとも説かれており,この「観」は正規の観を完成する以前の未完成の観であり,伺察修である.唯識派と中観派の学説によれば,人無我の修習を先にして,法無我の修習を後にする.これらの修習は一見異なった修習と思われるが,主として無我を所縁とする伺察修である点で等しい.瑜伽行者は止の完成後の段階において,LRCM,LRCBの「観」の節に説かれる中観の哲学に従って無我を所縁とする伺察修を行なう.瑜伽行者はこの伺察修を完成することによって観を完成し止観双運を獲得する.

  • 岡野 潔
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1143-1151
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    ネパール撰述の梵文avadānamālā文献,Subhāṣitamahāratnāvadānamālā (略号SMRAM)の第20章Mālikāvadāna(略号MA)の中に,Śaṅkarasvāmin作のDevātiśayastotra (略号DS)のテクストが,連続的にそのままの順序で借用されていることがわかった.MAの第148~167詩節において,そのDSの全部で21詩節から成るテクストのうちの,最後の第21詩節を除く第1~20詩節が利用されている.このようにDSの梵文詩節を借用したテクストがMAの中に見つかったことは,DSのMichael Hahn (2000)校訂本の改善に役立つものである.ただしMAにおけるDSの梵文詩節の借用においては,局所的に意図的な文の変更(改竄)が見られるので,DSの再校定にあたってその点に注意が必要である.

    なおSMRAMの第21章Pāñcālarājāvadānaの中にはṢaḍgatikārikāの第1~104偈が借用されている.このような,SMRAMの第20章と第21章という連続する章の中にアヴァダーナとは全く異質な古いテクストをほぼ丸ごと組み込む編集・製作の仕方は,それらの章の作者がインドの古い梵語の仏教文学作品のネパールにおける保存と普及,教育的な活用に関心があったらしいことを示している.発表者はSMRAMやそれに類する梵文説話集が編集された時代と場所を,17世紀中頃のネパールのPatanと推測する.SMRAMの写本を含めて,ネパール撰述のavadānamālāの諸文献において最も信頼できる梵文の諸写本を筆写した者はJayamuniというVajrācāryaであるが,この筆写師は,ネパールが17世紀に「本格的な紙写本の時代」を迎えた時期において,梵語仏教文学のジャンルにおいて幾つもの重要な紙写本を作成しつつ,「古い仏教説話文学の復興と写本伝承の確立」を推し進めた中心人物であり,「Avadānaśatakaを再話するavadānamālā諸文献」と「インドの梵文仏伝を再話するavadānamālā諸文献」の両方のジャンルの成立にも恐らく密接に関わった,紙写本に依るavadānamālā諸文献の成立運動を解明するための鍵となる人物であると考えられる.

  • 辻本 臣哉
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1152-1155
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    本稿では,シンガポールにおける仏教の現況について報告する.シンガポールでの仏教は,様々な国の仏教が混じり合っているため,ユニークであると言える.シンガポールの仏教の特徴は,上部構造と下部構造に分けることができる.

    下部構造は,中国文化に関係している.多くのシンガポールの仏教徒は,中国仏教の伝統を維持する中国系シンガポール人である.例えば,天福宮という中国系寺院では,媽祖という海の女神が本尊として,菩薩や関帝といっしょに祀られており,大乗仏教,儒教,道教が混在している.そして,中国系シンガポール人は,こうした寺院を通じて,中国人としてのアイデンティティを共有している.すなわち,寺院がコミュニティとしての役割を担っているのである.ただし,この下部構造は,世代交代と共に,中国系というアイデンティティからシンガポール人というアイデンティティに移行しているため,徐々に弱まってきている.

    一方,上部構造は,法に関係している.シンガポールにはサンガがほとんどないため,近隣国から僧が来て,スリランカ,タイ,ミャンマー,カンボジアの上座仏教がシンガポールに紹介されている.興味深いのは,中国仏教のバックラウンドを持つ中国系シンガポール人が,上座仏教の教義を矛盾なく受け入れていることである.これまで分裂してきた歴史を持つ仏教が,シンガポールおいて融合される可能性が指摘できる.

  • 四龍 李
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1156-1164
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    新羅時期の高僧元暁は多種の仏典「宗要」を著作している.現存する五種の「宗要」の解経体例は二つのパータンに整理できる.一つは六つの部分に分かれるパータン,即ち「六門分別」である.もう一つは三つの部分に纏めるパータンである.即ち述大意・釈経宗致・重要な議題を料簡することである.

    彼の著作『法華宗要』の構成は「六門分別」であり,三論宗の吉藏の『法華玄義』と近いが,内容からみると,その中に「消文義」が含まれてなく,五門になっている,そして,「判教」が独立の一門として論述されている.これは智顗の『法華玄義』と類似する.

    元暁は吉藏の『法華遊意』にある「三種の法輪」を引用したが,『解深密経』の立場からこれに対して,疑問を呈している.また,『法華経』は了義経であるが,中に不了義語も存在すると説かれている.元暁の「別通分満」という四教判の思想は智顗の「蔵通別円」とも通じる.よって,元暁にとって,吉藏より,智顗の影響が大きいであろう.

    元暁は「一乗実相」によって『法華経』の宗要を解釈している.智顗・吉藏が「実相」によって,『法華経』を解釈する方法と一致する.また,「一乗法」を一乗理・一乗教・一乗因・一乗果と説明するのは,彼の華厳宗の立場を現し,唯識思想との関係も近い.『法華経』の「経体」と「経宗」を区別する際に,元暁は「経」と「体」を区別せず「体用合挙」という解釈手段を使っている.これはまた智顗と異なり,吉藏の「宗体無異」という主張と類似する.

  • 宮崎 展昌
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1165-1172
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    本稿では,竺法護訳『普超三昧経』における異読の共有状況にもとづいて,日本古写一切経諸本の相互関係を探ることを試みた.本稿で主たる検討対象としたのは,聖語蔵経巻(唐経),中尊寺経,石山寺一切経,興聖寺一切経,七寺一切経の五種の日本古写一切経である.加えて,比較のために,参照可能な版本大蔵経諸本も用いた(略号一覧参照).

    まず,異読の共有状況から,上記の五種の日本古写一切経がひとつのグループを形成していることが確かめられた.さらに,それらの間での近接関係については,異読の共有状況からは,中尊寺経と七寺一切経との間に近接関係があったと見ることができる.ただし,七寺本については,後世の手によって,別本を参照して修正された痕跡が確かめられた.一方,石山寺本については,版本大蔵経を参照した痕跡が見られ,同本が書写された年代も考慮し,また,その異読から類推すると,当時参照可能であったと考えられる開宝蔵を参照したものと推測できる.

    以上の検討結果をもとに,『普超三昧経』に関して,日本古写一切経諸本に焦点を当てた大蔵経諸本の系統図についても掲げた.

  • 李 子捷
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1173-1177
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    『法苑義鏡』において,善珠(723–797)は基本的に玄奘(602–664)とその門下の学説に従っている.善珠は玄奘伝来の唯識学にとどまらず,それ以前の南北朝の各学派の学説にも通じる.言うまでもなく,地論教学もその中に含まれている.

    善珠は様々な場合で真如に言及しており,その立場は玄奘と唐代唯識学派の解釈を土台にしている.真如と仏性との関係を解釈するにあたって,善珠は『大般涅槃経』・『究竟一乗宝性論』のタイトルにあまり言及していないにもかかわらず,これらの諸経論から確かに影響を受けた.これより見れば,奈良時代の日本法相宗の学僧として,善珠の真如理解は玄奘とその門下の学説の枠を超えたと言えよう.

  • 亀山 隆彦
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1178-1183
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    近年,真言密教における「正統」と「異端」の境界は,各地の寺院から発見された資料により大きく揺らいでいる.例えば「赤白二渧」のような真言宗に流布する胎生学的教説は,すべて空海以来の即身成仏の教えを曲解した「邪見」,異端の説と評されてきたが,寺院資料を見ると,本来「正統」に分類されるはずの真言僧も,その事教二相の解釈内で頻繁に胎生的教説に言及し,それこそ,彼らにとってもっとも重要な秘説であったとも考えられる.

    こういった調査の進展を受け,前述の邪義を信奉し,真言密教の異端と呼ばれてきた「立川流」のカテゴリーも再考が促される.最近の研究では,立川流という名の法流が,前近代の真言宗に複数存在し,そのすべてが,必ずしも胎生学的教説を信奉していたわけではないと指摘される.一方,その立川流に向けられた批判自体が,イデオロギー性を帯びているとも主張される.

    つまり,実在の法流である立川流も真言僧が語る立川流も,共に複数の存在であり,これまで考えられてきたような,胎生学的教説,「邪義」「邪見」の評価,そして立川流という法流の間の垂直的繋がりはそもそも成立しえない.本稿でも,同様の視点から,真言宗における胎生学的教説の意義,および正統と異端の境界を分析する.具体的には,一六世紀の教雅が著した『根吼抄』を検討し,中世末から近世の真言宗に,異端=立川流と正統=宥快『宝鏡抄』を共に批判する,第三の立場がありえた可能性を考察する.

  • 三輪 是法
    2021 年 69 巻 3 号 p. 1184-1190
    発行日: 2021/03/25
    公開日: 2021/09/06
    ジャーナル フリー

    この研究は,日蓮仏教が信仰者に与える心理的影響を考察するために,近代日本における日蓮仏教の信仰者一人一人にスポットを当て,調査考察を試みようとするものである.今回は,京都駅前に建つビジネスホテル・法華クラブの創業者である小島愛之助を取り上げた.彼は法華倶楽部を創業する以前,「宇都宮太郎」という芸名で,日蓮の生涯を庶民に広めるための「統一節」なる講談を全国各地で興行していた.本稿では,小島の生涯において,大正年間の日記に確認できる,入門・巡行の生活,玉雄との結婚,長男の誕生,次男の早世,という4つの出来事に焦点を当て,彼の信仰の特質について考察した.

    小島愛之助は明治17年(1884)兵庫県に生まれ,大正元年(1912)に統一節と出会う.統一節とは日蓮の生涯を節とともに読み上げていく講談で,講談師「宇都宮主計之助」,本名妹尾朔によって創作された.小島は妹尾を師とし,宇都宮太郎の名前で布教の日々を送る.妹尾について巡講の旅に出るようになると,小島の日蓮信仰が深まりを見せる.当初は統一節という芸能に魅了されていたが,日蓮遺文に触れて日蓮への理解が深まると,日蓮仏教の布教のため,その責務を果たすべく行動するようになっていく.

    小島は,常に使命感に基づいて行動していたと考えられる.それは,日蓮仏教を広宣流布するための統一節であり,法華倶楽部創業であり,立正活映株式会社の設立であった.その使命感を強化するもの,換言すれば小島を信仰へ導くものとして,妹尾朔によって執筆された日蓮伝があり,日蓮の生き方が規範となって,彼を突き動かしたといえるであろう.

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