印度學佛教學研究
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70 巻, 3 号
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  • 天野 恭子
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1039-1044
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     ヴェーダの宗教において広く崇拝されているインドラ神は,最古の祭式解釈の書である黒ヤジュルヴェーダ・サンヒターにおいて,ヴリトラ退治を行う戦いの神とされる一方で,太陽としての表象も併せ持つ.しかしインドラと太陽の同置は用例が少なく,一般化していたとも言えない.本稿ではインドラが太陽との関連の中で述べられる用例を,黒ヤジュルヴェーダ・サンヒター(マイトラーヤニー・サンヒター,カータカ・サンヒター,タイッティリーヤ・サンヒター)の祭式解釈や神話から拾い集めて考察した.

     その結果,太陽を「21番目のもの」であるとする表象が,インドラと太陽を繋いでいることが見えてくる.そして「21番目の太陽」が登場する文脈を考察すると,長期間の修行的祭式によっていくつもの世界を越えて最高天に昇ることを目指すサットラの思想が背景にあることがわかる.より古いアタルヴァヴェーダには,サットラによって到達する最高の境地を,インドラが象徴していることを示す讃歌が見られる.ある意味異端的とされ正統的バラモン文化に覆い隠されていたヴラーティア/サットラ文化の脈流が,アタルヴァヴェーダから黒ヤジュルヴェーダに受け継がれていたことが理解される.

  • 田中 純也
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1045-1048
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     Kauṣītaki-Upaniṣad 1.1に見られる物語は,パラレルとしてBṛhadāraṇyaka-Upaniṣad 6.2.1ff.とChāndogya-Upaniṣad 5.3.1ff.にも描かれている.しかし,Kauṣītaki-Upaniṣad 1.1中のsadasy eva vayaṃ svādhyāyam adhītya harāmahe yan naḥ pare dadatiは,未だに不明確な記述として理解されている.この記述には主にsadassvādhyāyaの関係が明らかでないという問題があり,先行研究の多くはsadasをソーマ祭と関わりのないものとして理解してきた.しかし,パラレルと異なり,Kauṣītaki-Upaniṣad 1.1の冒頭には祭式を暗示する記述も見られることから,Kauṣītakinに特有の,ソーマ祭における17番目のSadasya祭官に着目した.そして,Kauṣītaki-Brāhmaṇa 26.3-6; 27.1に基づき,sadas小屋とsvādhyāyaの関係を再検討した結果,「他ならぬsadas小屋において,我々は[Sadasya祭官として]svādhyāyaを学習して(prāyaścittaを行い),他の者たちが我々に与えるものを受け取るのである」という従来とは異なる解釈を提示した.

  • 大木 舞
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1049-1052
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     本稿は,叙事詩とプラーナ文献において,ヒンドゥー教の一神格であるヴィシュヌの顕現・化身(prādurbhāva-, avatāra-)の組み合わせ,すなわち列挙された顕現・化身の変遷を追うことを目的とする.先行研究では,叙事詩ではHarivaṃśaRāmāyaṇaが重点的に取り扱われ,プラーナ文献ではVāyupurāṇa等とBhāgavatapurāṇaが少々取り上げられたのみであった.そこで,叙事詩Mahābhārataを含め,初期の化身の列挙の形成過程を追い直すと共に,Vāyupurāṇa等に加えてプラーナ文献の中で古層に属すMārkandeyapurāṇaViṣṇupurāṇaなどを扱い,ヴィシュヌの化身の列挙がどのように発展していったかという点に焦点を当て検討を行った.元来Padmanābhaや猪や人獅子や小人などを神であるViṣṇuの過去の諸行為として言及するのみであったが,Kr̥ṣṇaに対する信仰を通じた化身思想の萌芽という思想的転換点を経て,神的なものに限らず,人間をもViṣṇuの化身として列挙するようになった.二世紀から三世紀頃にかけて叙事詩文献において,猪,人獅子,AditiとKaśyapaの息子,Paraśurāma,Rāma,Kr̥ṣṇaなどを含んでいた化身の列挙は,四世紀から六世紀頃にかけてプラーナ文献においても引き続きParaśurāmaやRāmaといった人間の化身を多く列挙し,遂には仏教の尊格であるBuddhaをも含むに至った.

  • 趙 世弘
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1053-1056
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     12世紀後半にカシミール地方で活躍した修辞学者ショーバーカラミトラは,自身の著作である『修辞の宝蔵』(アランカーラ・ラトナーカラ)において,修辞手法の共存という文脈でアランカーラとサンスリシュティとサンカラと三つの項目の関係に注目した.彼によると,一文における主たる修辞手法はアランカーラと名付けられ,補助にあたる他の修辞手法はサンカラと名付けられる.一方,彼はサンスリシュティを修辞手法と認めない.彼によると,実際のところ,全ての修辞手法は他の修辞手法と結合して例文に現れ,単一で使われることはない.上述の観点は彼の学術的な対論者であるルッヤカ(12世紀前半)の観点とは鋭く対立している.

     アランカーラという名称については,例文に存在するだけでアランカーラと呼ばれる場合と,別種の輝き(vicchittyantara)に見えても主たる修辞手法の地位が損なわれない場合がある.第二の場合は,他の修辞手法の影が主たるものと混合する場合(chāyāsaṃkara)と,別種の表現法となる場合(bhaṅgyantarābhidhāna)との,二種の状況が存在する.最後にショーバーカラミトラは,アランカーラという術語は修飾されるもの,つまりラサ(rasa)を想定しているが,チトラはそれを想定しないとして,チトラとアランカーラとの区別を提示する.

  • 近藤 隼人
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1057-1062
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     古典サーンキヤ体系においてはプルシャ(puruṣa)とプラクリティ(prakr̥ti)との峻別を金科玉条としつつも,とりわけ享受者としてのプルシャを理窟付けるために,プルシャや統覚(buddhi)を鏡面や水晶に喩えるなど,「映像説」として一括されうる説明がなされてきた.中でも統覚を両面鏡(ubhayamukhadarpaṇa)に喩える映像説は解釈の余地が複数認められる上,現存サーンキヤ文献には見受けられず,専ら他学派文献に登場するという特殊性を帯びている.本稿においては,両面鏡比喩の頻出するチベット撰述学説綱要書(grub mtha’)の中でもニンマ派学匠ロンチェンラプジャン(Klong chen rab ’byams, 1308-1364,「ロンチェンパ」と略記)著Grub mtha’ mdzodGDz)ならびにYid bzhin mdzod ’grelYDzG)を対象としつつ,その用法の異質性を明らかにするとともに,思想的背景にも迫ることとする.

     GDzサーンキヤ・セクションにおいては統覚が両面鏡(me long ngos gnyis pa)に喩えられるが,その外側には対象を映しつつ,内側には「楽・苦・無関心という認知(rig pa)の側面を伴う」とされている.通例「楽・苦・無関心」が統覚を成す三グナ(guṇa)を指すことを考慮すれば,他の学説綱要書に登場する両面鏡比喩とは著しく異なり,この構造にはプルシャの姿がみられない.しかしながら,後続の鏡を用いた享受の記述,および両面鏡と同じ役割を果たす水晶宮(shel gyi khang pa)を用いたYDzGの記述では通例と同じく外側に対象,内側にプルシャを映すとされ,GDzの両面鏡比喩の特異性が浮き彫りとなる.

     この比喩に解明の光を投じるものが,GDz唯識セクションに登場する両面鏡比喩である.そこで両面鏡比喩は自己認識(rang rig, *svasaṃvedana)の文脈の中で登場しているが,GDzの同比喩も構造としては自己認識に類するといえる.この点は,当初の同比喩導入に際してみられた「知は光照および認知(gsal zhing rig pa)を本体とする」という言明が自己認識論証の一環として用いられることからも裏付けられる.ここでさらに考慮すべきは,同じく自己認識を説くシヴァ教再認識派との親和性である.ロンチェンパはサーンキヤのアートマンを記述する際,それを「知」(shes pa)および唯一と評するが,“jñāna” を統覚の属性とし,多数のプルシャを説く古典サーンキヤ体系とはいずれの点も合致しない.これらに加えてYDzGではアートマンが「補助因に応じて状態が楽などとして変異する」とされるが,この記述はプルシャの不変性を強調する古典サーンキヤ体系にはそぐわないばかりか,アートマンに楽・苦・無関心が属するとみなす一元論的トリカ説の発想へと接近しつつある.さらに,「澄明にして輝き出る知」としてのアートマンも,光照機能を純質(sattva)に帰す古典サーンキヤ体系とは対照的である.これらの点を考慮すれば,GDzの同比喩はシャイヴァの教義を借用しつつ再解釈されたサーンキヤ説とも評されよう.以上の点からは,ロンチェンパの時代にはシャイヴァの教義が部分的に混入したサーンキヤ説が流布していた,あるいは「サーンキヤ」の名のもとにシャイヴァ説が語られていた可能性などを想定することが可能であろう.

  • 山口 しのぶ
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1063-1070
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     インドネシア,バリ島にはインドおよびジャワから伝わったヒンドゥー教の伝統が残っており,ヒンドゥー寺院や信者の家庭では頻繁に儀礼が行われる.そこにおいて,しばしばサンスクリットで記された儀軌が使用されるが,それらの儀軌のうちVedaparikrama(略号 VP)は聖水の制作,およびシヴァ神をはじめとするヒンドゥー神への礼拝を述べた儀軌である.VPは1.浄化の次第,2.供物と身体の浄化,3.儀礼用の聖水の準備,4.調息,5.シヴァを瞑想により生み出す行為(śivīkaraṇa),6.シヴァ神の確立,7.灰と装飾品を身に着けること,の7つの次第からなる.本稿で中心的に取り上げた5の次第では,瞑想によりシヴァ神を生み出す行為が述べられる.ここでは僧は瞑想により,自身の心臓にあるシヴァのアートマンを身体の外に導く.その後僧は,シヴァ神の本質としての甘露が,僧自身の喉を通って体内に流れ込むのを瞑想し,シヴァ神と一体化を試みる.さらに僧は自身の心臓に八葉蓮華を瞑想し,そこにサンスクリットの母音,子音,九曜などの種子をその蓮華に布置する.5では,最後にシヴァのアートマンを僧の心臓に戻す行為が述べられる.現代のバリ・ヒンドゥー儀礼では,VPは専ら聖水制作のため用いられるが,儀軌にはシヴァ神との一体化を含む瞑想がのべられ,またその瞑想には種子の布置などタントリックな要素が多分に見られるのである.

  • 斉藤 茜
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1071-1076
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     マンダナミシュラ(7-8世紀)の『バーヴァナーの分析』(Bhāvanāviveka)の冒頭は文法家によるsāmānādhikaraṇya批判によって幕を開ける.元はパタンジャリが動詞語根が行為を表示することの証左として用いた議論で,クマーリラはこれをバーヴァナー論証に読み替えて,行為を表示するのは語根ではなく寧ろ人称語尾であると主張してパタンジャリに反旗を翻した.マンダナは文法家の仮面を被って,クマーリラのsāmānādhikaraṇya議論の不備を指摘する.但しその目的はバーヴァナーの存在の否定ではなく,より隙のない理論によってクマーリラのバーヴァナー理論を補強し改善するという意味合いが強い.本稿では,クマーリラのsāmānādhikaraṇya議論の何が問題であったのかを先ず見極めた上で,マンダナが提示した解決策を検討する.具体的にはパタンジャリが既に指摘していた〈普遍と特殊の関係〉がより厳密に考察されていることを示すのを本稿の目的とする.

  • 渡邉 眞儀
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1077-1081
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     ヴァイシェーシカ学派において,時間(kāla)は方位(diś)などと同様に,常住で遍在する実体の1種として定義されている.そしてPadārthadharmasaṃgraha(以下PDhS)の著者プラシャスタパーダによれば,時間は直接知覚によっては認識されず,その存在は推論によって論証される必要がある.

     彼は時間の存在を示す証因として,かなた・こなたの交替の認識というものを提示している.これは,観察者から見て老人が近くに,若者が遠くにいる場合,両者に対する空間的な遠近の認識と,時間的な遠近(すなわち老若)の認識が逆転するという現象を指している.PDhSはこの現象を説明するためにかなた性(paratva)・こなた性(aparatva)という性質(guṇa)を導入し,老若の認識の元となる時間的なかなた性・こなた性は,時間によって生み出されると主張した.

     一方でニヤーヤ学派のバーサルヴァジュニャはNyāyabhūṣaṇaにおいてPDhSの見解を批判する.彼によると,単一な実体としての時間とかなた性(およびこなた性)というのはいずれも存在しない.そして老若の認識は,太陽の回転運動という物理的に測定可能な量を根拠とする,その人物の誕生から現在までの日数を元にして生じるに過ぎない.

     PDhSの注釈者シュリーダラはNyāyakandalīにおいてこれと類似の見解を紹介しつつごく簡潔に反論した.別の注釈者ウダヤナはKiraṇāvalīにてその議論を引き継ぎ,かなた性の存在を擁護しつつ,それが生じるためには時間が必要不可欠であることを示そうとする.彼によると,太陽の回転運動と老人との間には本来関係が存在しないが,時間は両者を接近させる能力を持つため,それによって老人にかなた性が生じる.この能力というのは,時間が場所によらず等しく流れるという,等時性と呼ばれる特性に基くと考えられる.

  • 須藤 龍真
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1082-1086
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     ヴェーダーンタ学派(不二一元論)のシュリーハルシャ(ca. 12c)は,『カンダナカンダカーディヤ』(Khaṇḍanakhaṇḍakhādya)第2章〈敗北の根拠〉(nigrahasthāna)批判部分において,ニヤーヤ学派が認める22種の敗北の根拠の定義が過大適用(ativyāpti)や過小適用(avyāpti)などの誤謬をはらんでいることを〈論破の道理〉(khaṇḍanayukti)を用いて実証する.本稿では,まずシュリーハルシャによるニヤーヤ議論学説批判が展開される文脈を確認し,そこで批判対象とされる諸定義の帰属先を推定した.シュリーハルシャが批判対象として言及する定義は『ニヤーヤスートラ』にみられる古典的な定義ではない.むしろ,ダルマキールティなどによる批判を念頭に置きつつ,ウダヤナが自著において再定義したものとの顕著な一致がみられた.ただし,一部には発展的な議論が前提とされていると思われる定義もみられる.この点については,シュリーハルシャによるウダヤナ定義の再構築,あるいは別の資料からの引用という可能性が指摘できるであろう.また,直接的な批判が展開される(1)提題の破棄(pratijñāhāni),(2)別の提題(pratijñāntara),(3)提題の矛盾(pratijñāvirodha),(4)定説逸脱(apasiddhānta)という4種の敗北の根拠のうち,(1)提題の破棄の定義に関するシュリーハルシャの批判を取り上げ,彼の〈論破の道理〉の構造を分析した.すなわち,彼は「承認し,述べたものの棄却」(svīkṛtoktatyāga)という提題の破棄の定義に含まれる「承認したもの」「述べたもの」「棄却」という語の意味内容を吟味し,どのような組み合わせであっても過大適用あるいは過小適用となることを指摘していた.シュリーハルシャによれば,そこで取り上げられないものを含む22種の敗北の根拠すべてに同様の〈論破の道理〉が適用されるようである.本稿では扱わなかった(2)~(4)の定義に対する批判の具体的構造や諸注釈中における発展的な議論,あるいはニヤーヤ学派側からの応答の解明が今後の課題である.

  • 谷口 力光
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1087-1090
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     Haradatta(ca. 1100-1300)作Ujjvalāは唯一現存するĀpastambadharmasūtra註であり,後代の伝統はこれをdharmanibandha(法理論書)と見做している.

     既存諸版におけるテクストには遺産相続資格を寡婦に与えるか否かについて相容れない記述が併存しており,それらはいずれもHaradattaの意見として示されていると解釈できる.これらの記述はUjjvalāの成立年代,Haradattaの活動年代を決定するための内部的証拠として利用されてきた.

     本論文では,Ujjvalāが知らせる相続論題全体の理路や既存諸版が報告する写本情報などから遺産相続肯定論が比較的後代に挿入された記述であることを示す.それによって従来の年代論が修正される.同時に,その肯定論の記述の一部がHaradattamitākṣarāGautamadharmasūtra註; 同一のHaradatta作とされる)に論調を合わせるようにして挿入されたことも示す.この知見は先行研究が文体の相違から予測していたUjjvalāHaradattamitākṣarāの異著者性に対して,内容的側面から裏付けを行うことに寄与する.

  • 小南 薫
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1091-1094
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     根本説一切有部律「破僧事」(Saṅghabhedavastu)にはデーヴァダッタの五法が二種類登場する.2018年のJens Wilhelm Borglandの研究により,「破僧事」に登場する一方の五法の特殊な文脈,すなわち「破僧事」におけるデーヴァダッタの五法をめぐるストーリーは他部派の律文献のものとは全く異なることが解明された.具体的には,パーリ律などで,破僧(saṅghabheda, 僧団分裂)を契機として五法が説かれるのに対し,「破僧事」では,破僧が失敗に終わり,外道であるプーラナ・カーシュヤパと出会った直後に五法が説かれ,物語が改変されたと指摘する.しかし,依然として二種の五法が混在していた可能性は残ってしまう.

     本稿では,五法に関する「破僧事」の三つの場面について,先行研究に基づきながら梵文・蔵訳・漢訳の間における問題点を整理してまとめるとともに,「破僧事」と同型の五法を有する文献を比較対象として考察し,「破僧事」に登場する五法がどのように伝承されていたかを検討する.「破僧事」に見られたデーヴァダッタの五法と同型のものは,『阿毘達磨順正理論』やKarmaśatakaといった他の文献に確認できる.しかし,それらはいずれも破僧の契機としてデーヴァダッタの五法を記述しており,Borglandが指摘した「破僧事」の特殊な文脈とは全く逆の文脈で描かれている.「破僧事」が積極的に物語を改変したもののあまり普及はせず,結局,デーヴァダッタの五法という象徴的な要素は,破僧と結びつけて語られることが好まれたのだろう.なぜこのような五法の伝承が起こったのかについては今後の課題となる.

  • 笠松 直
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1095-1101
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     梵文『法華経』VII章に以下の如くある:KN 188,2 bhavanto bhaiṣṭa mā nivartadhvam 「諸君,[君たちは]恐れてはいけない.引き返してはいけない(= WT 166,16-17)」.ここでKN本はbhay / bhīにアオリスト語幹による禁止法を用いている.他方,カシュガル本並行箇所182a2は bhavantaḥ satvā bhāyatha ...と読み,現在語幹から作る.この際,いずれの読みが好ましいであろうか.

     ヴェーダ期には語根アオリストに基づく2 sg. inj. bhaisのほか,sアオリストに基づく2 sg. bhaiṣīsがあり.その2 pl. に相当するmā bhaiṣṭaはMahāBhārataにも存する.永く用いられた正統的な語形である.しかし仏教混交梵語文献がこの活用形を用いていたとは考え難い.

     パーリ文献に見られるアオリスト語形2 sg. bhāyi, 2 pl. bhāyitthaは現在形bhāya-tiから二次的に形成されたものであろう.Mahāvastuでもこのbhāya-ti活用が一般的で,禁止法には現在語幹のmā bhāyatha等を用いる.恐らく原『法華経』も同様の言語状況にあり,韻文部分(Saddhp I 82c及びVII 99b)のみならず散文部分でも一貫してmā ... bhāyathaと読んだものであろう.こうした読みを保持する中央アジア写本群の資料的価値は大きい.

     一部写本が示す異読も上述の結論を支持すると考えられる.例えばギルギットA本91,25 bhaiṣṭaに対する河口慧海将来貝葉写本73a3 kāyadhvaṃは明らかに現在語幹の+bhāyadhvamを示唆する.中動相へ改変されているものの,この読みはより原型に近い,中期インド語的語形を伝えるものと見做せるであろう.

  • 王 俊淇
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1102-1108
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     『大日経』は,密教の基礎となる経典である.現代の研究者の間では,『大日経』は7世紀半ばに成立したとする説が一般的であり,『金剛頂経』とともに密教の正式な成立を示すものとされている.しかし,インド密教の急速な発展に伴い,『大日経』は『金剛頂経』ほど注目されなくなり,前者は後世の分類では下位の段階,つまり「行」の段階とみなされるようになったのである.注目されていないテキストほど,サンスクリット語の写本が残っている可能性は低く,『大日経』のサンスクリット語写本が近年まで発見されなかったのもそのためであろう.2020年に中国人民大学の張美芳氏が行った西蔵自治区での写本調査では,『大日経』のサンスクリット語写本のフォリオが1枚だけ確認された.本論文は,このフォリオについての予備的な研究を発表することを目的としており,その中には『大日経』の文字表や,サンスクリット語転写とチベット語翻訳との比較が含まれている.

  • 堀内 俊郎
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1109-1114
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     馬鳴(Aśvaghoṣa)の著作群は従来考えられてきたよりも大きな影響を後代の作品に及ぼしていたことが近年明らかにされている.ところで,世親作の経典解釈方法論でありチベット語訳としてのみ残る『釈軌論』のうちの第5章では,仏法を敬意をもって聴くべきことを示す話や偈頌,すなわち法話の例が,様々に提示され,解説されている.筆者は今回,同章が馬鳴の『ブッダチャリタ』から1偈を引用し,注釈していることを発見した.これは世親論書における同論の引用が指摘された初めての例であろう.他方でまた,同章末尾には『スートラ・アランカーラ(『荘厳経論』)』という著作から2偈が引用されていることが知られていたが,その出典や詳細は不明であった.今回,そのうちの2番目の偈は,『大乗荘厳経論』12.6偈と完全には一致しないものの,多分に類似することが見出された.この事実に対してはいくつかの解釈の可能性が考えられるが,もっとも高い可能性は,『釈軌論』同箇所は馬鳴の『荘厳経論』からの引用であり,一方,『大乗荘厳経論』当該偈は,馬鳴の同論の偈頌を素材にして作成されたものだということである.タイトルの類似から両『スートラ・アランカーラ』の関連は推測されてはいた.すなわち,『大乗荘厳経論』は馬鳴の『スートラ・アランカーラ』の大乗版(大乗・荘厳経論)であるという可能性が.しかし,後者は後代の文献での断片的な引用などによってしか知られておらず(いうまでもなく,漢訳の『大荘厳論経』(T no.201)は全くの別文献である),前者との具体的な関連は不明であった.今回のこの発見は,馬鳴の『荘厳経論』と無著の『大乗荘厳経論』の関連を初めて実証的に裏付けたものとなろう.

  • 小川 英世
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1115-1122
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     バーヴィヴェーカ(Bhāviveka, ca. 490-570)作Madhyamakahṛdayakārikā(MHK)のmadhyamakaについて,注釈Tarkajvālā(TJ)が派生説明を与えていることは,Eckel (2008, 65), 斎藤明(2000; 2012)を通じてよく知られている.残念ながら,TJのサンスクリット原典は発見されておらず,チベット語訳を通じた派生説明は,非サンスクリット的であり,正確な理解は困難を極める.しかしながら,その派生説明を,パーニニ文法学体系に位置付け検討するならば,合理的に解釈可能である.TJの派生は,パーニニ文法学の視点から以下のように説明できる.

     (1) madhyaは,実名詞madhya(「中」)にtaddhita接辞aが導入された語形であり(A 4.3.9),「〈中〉に位置し,適切と評価されるX」を意味する.例madhyaṃ kāṣṭham(「程よい薪」「長すぎず短すぎない薪」).

     (2) madhyamaは上記madhyaに意味ゼロ(svārthika)のtaddhita接辞maが導入された語形である(A 4.3.8).上記のXを意味する.Xを「〈中なるもの〉」と呼ぶことにしよう(一般中性・単数形madhyamam).

     (3) upapada複合語

     madhyamakaは,madhyama(「中なるもの」)と/k/音で始まる,説示・宣布行為を表示する動詞語根(kath, kṝt等)にkṛt接辞Ḍa(〈行為主体〉表示)が導入された語形(kṛdanta)kaから構成されたupapada複合語である.適用規則は,A 3.2.101 anyeṣv api dṛśyateである.派生形madhyamakaは,非名称語と名称語の両様に解釈可能である.「〈中なるもの〉を説示・宣布するX」,「『〈中なるもの〉を説示・宣布するもの』という名称を有するX」を意味する.Xはśāstra(論書・学説体系)である.

     (4) 名称形成taddhita接辞ka

     madhyamakaは,madhyamaに名称形成のためのtaddhita接辞kaが導入された語形である.適用規則はgaṇasūtra to A 5.4.3 saṃjñāyāmである.この場合語基のmadhyamaは語形を表示する.名称madhyamakaはsiddhānta(定説)を指示する.śāstraとsiddhāntaはA 5.2.36のtaddhita接辞itaCで関係する.madhyamakaśāstraが論ずる主題の決定(śāstritārthaniścaya)がmadhyamakaと呼ばれるsiddhāntaである.

     MHKにおいてmadhyamakaśāstraがSāṃkhya,Vaiśeṣika,Vedāntaなどの他のśāstraと対照をなしている点を看過してはならない.〈中なるもの〉を論ずる学が真の「仏教学」であるとの主張を窺うことができよう.

  • 横山 剛
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1123-1128
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     チベット語訳のみが現存する『中観五蘊論』は,伝統的にチャンドラキールティに帰されてきたが,一部の研究は慧の解説のみが同論師に帰される可能性を指摘する.筆者はこれまでに発表した論文において,これらの研究の指摘を批判的に検討した上で,いくつかの根拠を提示して,論全体が同論師に帰される可能性が高いことを示した.本稿では,同論における九十八随眠の解説に注目し,チャンドラキールティの真作を支持するさらなる根拠を提示する.また『中観五蘊論』の著者性や性格を考慮した上で,上記の点をさらに掘り下げて,二諦説との関係から有部教学に対する同論師の理解を考察する.

     はじめに『中観五蘊論』における随眠の解説の構成を示した後に,九十八随眠の解説の内容を確認し,随眠が忍と智による断惑の理論と合わせて説かれるという特徴を指摘する.次にそれを『入阿毘達磨論』における九十八随眠の解説を比較し,有部の伝統的な解説との相違点を指摘する.また,四向四果が説かれる位置からも,『中観五蘊論』において九十八随眠の解説が断惑の理論と合わせて理解されていることを指摘する.

     続いて,これと同じ特徴を有する,随眠説を含む断惑理論の解説が『明句論』第24章の第3-5ab偈の注に見られることを指摘する.慧の解説以外において,チャンドラキールティの他の著作と類似する解説が見られる点は,『中観五蘊論』全体を同論師に帰す根拠となる.

     さらに本稿では『明句論』の同じ章の第8-10偈に説かれる二諦説に注目する.筆者がこれまでに明らかにした『中観五蘊論』の著者性,ならびに初学者が無我を理解するための基礎として有部の法体系を中観派の視点から略説するという同論の性格を考慮に入れて,チャンドラキールティが,その実在論的な側面を否定しながらも,有部の教学を世俗諦の一部として認めている可能性を指摘する.

  • 中山 慧輝
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1129-1134
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     仏教は,諸行無常を根本教義のひとつとするが,特にアビダルマの時代になると,無常を時間の最小単位にまで分析し,無常性を成立させる基底として,瞬間的に生じて滅するという刹那滅の概念を生み出した.ただし,刹那滅をどのような仕組みで理解するかは学派によって異なり,例えば,説一切有部は,生・住・異・滅という四つの有為相が実体として働き,一瞬間のあいだにものを生じさせ,とどまらせ,変化させ,消滅させることによって,ものが瞬間的に生滅すると理解する.一方,瑜伽行派の根本典籍『瑜伽師地論』は,「菩薩地」において菩薩の無常観察を扱うなかで,説一切有部と同様に四つの有為相を用いた刹那滅説を展開するが,それら有為相を作用ある実体と見ることを否定する.さらに,先行研究に拠れば,「菩薩地」は,一瞬間目にものが生じ,とどまり,変化し,二瞬間目に消滅する,つまり二瞬間毎の生滅を説いているとされる.ただし,もし「菩薩地」の刹那滅説がこのようであるとすると,一瞬間毎の生滅を想定する『瑜伽師地論』の他の箇所と相違し,「菩薩地」に限って一瞬間毎の生滅を認めていないことになる.そこで,本稿では「菩薩地」全体に対する唯一の注釈書である海雲著『菩薩地解説』を扱い,『菩薩地解説』は「菩薩地」の刹那滅説を二瞬間に亘るものではなく,一瞬間毎に起こるものと理解していることを示し,その見解の妥当性を検証することを通して先行研究の理解を再考した.その結果,『菩薩地解説』が世親著『阿毘達磨倶舎論』に説かれる有為相の議論を参照していた可能性のあること,そして,先行研究とは異なり,少なくともインドの伝統においては,「菩薩地」の刹那滅説が内容的に異質なものとしては理解されていなかったことが明らかとなった.

  • 三輪 悟士
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1135-1138
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     ヴァスバンドゥ(Vasubandhu, 5世紀頃)著作『唯識二十頌』(Viṃśikā)および自注『唯識二十論』(Viṃśikāvṛtti)の第1偈および冒頭部分では,三界唯識が説かれることで知られる.しかしながら,『唯識二十頌』のサンスクリット写本およびチベット訳では第1偈が存在する一方,『唯識二十論』のチベット訳では第1偈が存在せず,類似した文言が散文として提示されている.漢訳についても,般若流支訳『唯識論』および真諦訳『大乗唯識論』では第1偈が存在する一方,玄奘訳『唯識二十論』では第1偈が存在せず,体裁をはじめとして軌を一にしない.

     したがって本稿では『唯識二十頌』・『唯識二十論』のテキストおよび上述の諸訳,および複注などの記述を精査した.まず,玄奘訳『唯識二十論』やヴィニータデーヴァ(Vinītadeva)による複注(*Prakaraṇaviṃśikāṭīkā)では,体裁の違いや韻文の有無などから,両者が『唯識二十頌』を参照していない可能性が高い.次に窺基の著作『唯識二十論述記』では,すでに先行研究で指摘されていることであるが,般若流支および真諦訳を批判する箇所があり,ヴァイローチャナラクシタ(Vairocanarakṣita)の複注(Viṃśikāṭīkāvivṛti)では『唯識二十頌』第1偈の著者問題に関する記述がある.これらの記述から『唯識二十頌』は特定の地域,ナーランダーに伝播しなかった可能性が高いと結論付けた.

  • 中須賀 美幸
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1139-1144
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     ダルマキールティ(ca. 600-660)以降の仏教瑜伽行派の思想家たちは,認識の形象の実在性を認めるか否かという観点から,形象真実論者と形象虚偽論者とに分けられる.この思想的対立は,ジュニャーナシュリーミトラ(ca. 980-1040)とラトナーカラシャーンティ(ca. 970-1030)の間において顕著にみられ,先行研究でも何度も取り上げられてきた.しかし,彼らに先行するダルモーッタラ(ca. 740-800)に関しては,従来の研究ではチベット撰述にみられる唯識思想の分類に基づき彼を「形象虚偽論有垢説」を標榜する唯識思想家として分類するだけにとどまり,その思想の内実は明らかにされてこなかった.チベット撰述での唯識思想の分類は,ジターリによる五分類に基づいていたものであるが,ジターリの議論を正しく反映したものとは言い難い.一方,ジターリ(ca. 960-1040)は,ダルモーッタラの思想を正確に読み込んだ上でその要点を抽出している.

     本稿は,ジターリによるダルモーッタラの唯識思想の理解と,その典拠となっているダルモーッタラの言明を提示することで,唯識思想史におけるダルモーッタラの位置づけに関する一資料を提供する.

  • 佐藤 智岳
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1145-1150
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     Pramānasamuccaya冒頭帰敬偈で示された,“jagaddhitaiṣin”と“śāstṛ”というブッダの徳号に対するダルマキールティの後継者達の理解と,ダルマキールティの後継者の一人とされるカマラシーラが『修習次第』第一篇で提示する2種類の菩提心との関係を検討した.

     従来の研究によると,『修習次第』第一篇の2種の菩提心は,シャーンティデーヴァによるものを踏襲したとされている.

     デーヴェーンドラブッディ,ジネーンドラブッディそしておそらくダルマキールティも,慈悲の修習によって,慈悲を体得した菩薩を“jagaddhitaiṣin”に位置づけている.そして菩薩のその際の心的状態は,『修習次第』第一篇で提示された誓願心(praṇidhicitta)に該当すると考えられる.

     そして,衆生利益のために,つまりブッダとなって教示するために,菩薩が“śāstṛ”として修習に発動開始する際の心(あるいは,“jagaddhitaiṣin”としての最後の心)を発趣心(prasthānacitta)として言い表すことはできると考える.

     また,『修習次第』第一篇の2種の菩提心は誓願心が起きて,その後発趣心が起こるという段階性を持っている.これは,“jagaddhitaiṣin”の次に“śāstṛ”という構造とも共通性を持つ.

     しかしながら,そもそもダルマキールティ達は,誓願心や発趣心という言葉を用いていない.たしかに“jagaddhitaiṣin”や“śāstṛ”に関する記述に,誓願心や発趣心に関する記述との対応点は確認できるものの,彼らが,誓願心や発趣心の2種の菩提心という概念を念頭に置いていたか否かは,不明である.今後,より広範囲な資料分析を行う必要がある.

  • 児玉 瑛子
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1151-1155
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     Nyāyabindu(NB)第三章の冒頭では,他者のための推論(parārthānumāna)の定義と論証式の大分類が説かれ,NB 3.33に至るまでprayogaセクションが展開される.このうち,本稿が取り扱うのはNB 3.1-7における他者のための推理の定義セクションである.これまで,ダルマキールティの論証式そのものを主題とする研究はほとんど行われなかったが,稲見2018によって,ディグナーガからの変遷をも含むダルマキールティの論証式の特徴が明らかにされた.その一方で,NB 3.8-25で例示される論証式の下位分類について,詳細な研究はまだ行われていない.本稿では,論証式に関する基礎的な語としてā-khyā (= pra-kāś), abhidheya, gamyamānaという三つの語に着目する.ダルモーッタラのNyāyabinduṭīkā,ドゥルヴェーカミシュラのDharmottarapradīpaにもとづき,それぞれの語の意味を明らかにすることによって,論証式の構成要素やそれに関わる下位概念の理解に繋げることを目指す.

     他者のための推論の定義(NB 3.1: trirūpaliṅgākhyānaṃ parārtham anumānam)で用いられる「表示する」(ā-khyā)という動詞は,ダルモーッタラによって「顕示する」(pra-kāś)と言い換えられる.ドゥルヴェーカミシュラによれば,論証式によって顕示されるもの(prakāśya)には,直接的に表示されるもの(abhidheya)とgamyamāna(間接的に理解されるもの)とが含まれる.まず,直接的に表示されるものは,論証式の大分類に応じて二種ある.すなわち,〈同じ属性をもつこと〉を有する論証式(sādharmyavat)では肯定的随伴(anvaya)と主題所属性(pakṣadharmatā)が,〈異なる属性をもつこと〉を有する論証式(vaidharmyavat)では否定的随伴(vyatireka)と主題所属性がそれぞれ直接的に表示される.そして,前者では否定的随伴,後者では肯定的随伴が間接的に理解される.

     一方,顕示されるものはいずれの論証式においても同一であり,それは三つの特質をもつ論証因にほかならない.この顕示されるものをめぐる議論の中で,ダルモーッタラは顕示されるもの(prakāśya)とgamyamānaとを同義語とみなし,gamyamānaの中に直接的に表示されるものとsāmarthyagamya(間接的に理解されるもの)を含めた.前述のように,ドゥルヴェーカミシュラはgamyamānaについて間接的理解を意味する語として解釈していたが,ダルモーッタラの理解を承け,直接的に表示されるものとsāmarthyaprakāśya(間接的に顕示されるもの)をまとめた概念としてgamyamānaを解釈しなおした.

  • 秦野 貴生
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1156-1162
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     仏教論理学を確立したディグナーガ(480-540)により言語理論,通称アポーハ論(apoha)は提唱された.そして,仏教論理学を大成したダルマキールティ(600-660)の孫弟子にあたるシャーキャブッディ(660-720)は,ダルマキールティ著『プラマーナ・ヴァールッティカ』(以下,PV)に対する注釈の中でアポーハを3分類している.より後代に活動したシャーンタラクシタ(725-788)もまた,自身の著作『タットヴァサングラハ』においてアポーハの3分類について言及している.しかし,このアポーハの3分類の起源は未だ明確ではない.

     ゲルク派のチベット人注釈家であるタルマリンチェン(1364-1432)は,ディグナーガ著『プラマーナ・サムッチャヤ』(以下,PS)およびダルマキールティ著PVに対し注釈を書いており,両注釈においてアポーハの3分類に言及している.

     本稿では,このPSとPVに対するタルマリンチェン注を参照することで,ディグナーガとダルマキールティの二者と,アポーハの3分類との関係について検討し,アポーハの3分類の起源を明らかにする手がかりとした.

     タルマリンチェンは,PSおよびPVへの注釈において,アポーハの3分類を「他の排除の定義が分類されたもの」と捉え,その概念を重要視していた.PSへの注釈では,3分類されたアポーハをディグナーガのアポーハの概要と位置付けていたが,具体的なPSのテキストとの関連は示していなかった.一方,PVへの注釈では,ダルマキールティのPV 1.169の語釈からアポーハの3分類が導かれると捉えており,これはシャーキャブッディのPVへの注釈には見られない捉え方である.タルマリンチェンはアポーハの3分類とダルマキールティのPVとの関係性を強調することで,アポーハの3分類が注釈者シャーキャブッディではなくダルマキールティ自身により提唱されているということを強調していると考えられた.

  • 藤井 明
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1163-1168
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     密教経軌,特に儀礼の作法を説く儀軌中には,「宝物」などの漢訳で示されるsiddhadravyaについての記述が散見される.本論文では,このsiddhadravyaが具体的にどのような物を指しているかを,いくつかの用例を提示しながら明らかにすることを目的としている.これまでこの術語に関して明確に示された論述は見られず,またMonierには“any magical object”という意味が挙げられているのみであったが,いくかの密教経軌の用例から判断すればsiddhadravyaの定義としては大まかに以下の二つの分類が提示され得ることが明らかとなった.

     (1)修法の過程,あるいは結果としてナーガ,ウマー,アプサラスやヤクシニーなどから受け取る物を指す.このsiddhadravyarasarasāyanaと並列して挙げられることがあり,雄黄(ldong ros)がsiddhadravyaの一つとして言及される.(2)修法の結果,修法の対象から生じる物,あるいは修法の対象が変容して得られる物を指す.修法の対象(死体)の口から得られた雄黄(ldong ros)はsiddhadravyaとして言及され,また修法の対象(死体の舌)が剣(ral gri)に変容した場合には剣がsiddhadravyaと呼ばれる.siddhadravyaが分割可能な物か否かで修法の内容が異なることも説かれる.また,このsiddhadravyaによって「空を飛ぶ」といった力を得ることも説かれる.

     以上が現時点で可能なsiddhadravyaの定義である.以降の研究において,新しいsiddhadravyaの記述が認められた際には,この定義を修正する必要があるが,現在の所はこの定義を当てはめ得るであろう.

  • 福島 マシュー
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1169-1172
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     本論文はガンターパ著作のŚrīcakrasaṃvarasādhana(『吉祥なるチャクラサンヴァラの成就法』)の構造と特色を明らかにすることを目的とする.本テキストはサンスクリット写本が見つかっておらず,チベット語訳しか現存しない.Śrīcakra­saṃvara­sādhanaの重要性にかかわらず,これまで研究が少ない.ガンターパの成就法はチャクラサンヴァラの生起次第を修習する修行者向けのテキストである.成就法では,修行者が自身の身体の粗大な部分を所依曼荼羅として観想し,身体の微細な要素に37尊の能依曼荼羅を布置する.他流派と比較し,ガンターパは身体曼荼羅を重要視する傾向がある.また,修行者が自身の身体を所依曼荼羅として観想する方法はガンターパ独自の方法であると言える.テキストは非常に短く難読であり,修習するには註釈書が必要であろう.本成就法に描かれる観想法は今日でもチベット仏教の修行者の間で使われていることが,チベット仏教におけるこの成就法の重要性を表している.

  • 望月 海慧
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1173-1180
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     チベット大蔵経には,Dīpaṃkaraśrījñānaに帰せられる33の成就法文献が収められている.その中にはHayagrīva を対象とする2つの成就法がある.すなわち,散文で書かれたĀryahayagrīvasādhana (D. no. 3057, P. no. 3881) と,韻文で書かれたŚrīhayagrīvasādhana (D. no. 3058, P. no. 3082) とであり,いずれも短い著作である.彼の他の著作におけるHayagrīva への言及は,Guhyasamājalokeśvarasādhana (D. no. 1892, Pi 229a, P. 2756, Thi 273a6)に一箇所見られるだけなので,彼自身にとってHayagrīva はそれほど重要な尊格ではなかったと言える.しかしながら,彼の名前が添えられたHayagrīva の図像が複数報告されていることから,彼の伝統に帰せられるHayagrīvaの図像がチベットにおいて広く伝えられていたことも確認できる.

     2つの成就法については,その構成は概ね成就法の基本的構成に基づいている.ただし,散文のものは,成就法の目的となる具体的効果について,複数のヴァリエーションを列挙していることから,単純なマニュアルではなく,解説的内容も伴うものである.また,Hayagrīva の身体的特徴については,着衣や飾りの共通点はあるものの,散文では三面六臂,偈文では三面四臂とことなっている.このことは彼自身がHayagrīva に対して確定したイメージを持っていなかったことと,両者が著された時期が異なることを示している.

  • 玉井 達士
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1181-1184
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     私の研究ではトハラ仏教は6世紀を境に前記・後期に別れる.後期は衰退期とも言うもので大唐大慈恩寺三藏法師傳(T2053.50.227a1-3)にQuzhiの大徳僧・木叉毱多(Mokṣagupta)と玄奘(Xuanzang)の問答が挙げられる.

     衰退期の僧侶や書者は教典の内容や用語の意味が分からなくなっている事が有り,それを現代のトハラ学者や読み手が間違って解釈する事も見受けられる.仏教文献学に資する為に,例を挙げて写本学の重要性を示したい.

  • 米澤 嘉康
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1185-1192
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     『律経(Vinayasūtra)』ならびに『律経自註(Vinayasūtravṛttiabhidhānasvavyākhyāna/ Māthurī Vinayasūtravṛtti)』は,カシミール出身のアランカーラデーヴァ(Alaṅkāradeva)とともに,ツルティム・チュンネー(Tshul khrims ’byung gnas/ インド名:シーラーカーラ Śīlākāra)によってチベット語に翻訳された.このチベット人翻訳者は,インド滞在中に,サンスクリット語写本の収集に努めたばかりでなく,チベット・ウメ字で『律経』写本の行間の注記や『律経自註』抄本を書写したようである.これらのウメ字写本資料から得られる情報と,チベット語訳『律経自註』奥書の記述にもとづき,本論文ではその翻訳事情の一端について考察を提示している.

  • 園田 沙弥佳
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1193-1198
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     インド密教における五護陀羅尼とは,『大護明陀羅尼』を含む5種の初期密教経典の集成である.本論文ではチベット大蔵経に含まれる『大護明陀羅尼』の注釈書『大秘密真言随持経十萬註』の内容構成を中心に取り上げ,サンスクリット系統とチベット語訳系統の『大護明陀羅尼』,および,ヴァイシャーリー疫病消除説話(『根本説一切有部律』「薬事」,『ヴァイシャーリー・プラヴェーシャ』)を相互に比較検討した.『大護明陀羅尼』の注釈書は9つの章に分かれており,そのうち2つの章題には『ヴァイシャーリー・プラヴェーシャ』の経題が含まれている.注釈書の内容と各経典を比較した際の主な相違点に関しては,世尊がヴァイシャーリーに向かう直前に滞在していた場所があげられる.注釈書では,「薬事」と『ヴァイシャーリー・プラヴェーシャ』の記述と同様,「ナーディカーのクンジカ堂」が示されている一方,サンスクリット系統の『大護明陀羅尼』ではラージャグリハに住していたと記されており,チベット語訳系統の『大護明陀羅尼』よりもむしろ「薬事」や『ヴァイシャーリー・プラヴェーシャ』の記述と近しい例が見られた.注釈書が制作された頃の『大護明陀羅尼』の内容は,『根本説一切有部律』や『ヴァイシャーリー・プラヴェーシャ』の影響を受けていたことが推察される.

     五護陀羅尼経典の一つである『大寒林陀羅尼』もまた2つの系統が存在し,その注釈書も2系統の経典の内容が含まれている.この点は今回取り上げた『大護明陀羅尼』の注釈書と同様である.五護陀羅尼に関連する2つの経典は,チベット大蔵経で個別に収録されているにもかかわらず,1つの注釈書の中で解説されている.

  • 朴 煕彦
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1199-1202
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     チベット語 thun mong ba / thun mong ma yin paは一般にサンスクリット語sādhārana / asādhāranaの訳語とされ,現代語では「共通」と「非共通」などと訳される.アティシャ(Atiśa, 982-1054)は複数の著作でこれら二つの用語を頻繁に使うが,その際にいかなる基準を設けて両者を分けているかについて説明しておらず,まるで一種の術語のように使っている.そこで本稿ではアティシャの著作『見修広説』(Lta sgom chen mo)と『根本過犯広疏』(Mūlāpattiṭīka)に現れる二語の用例を分析してそれらの意味を明らかにし,アティシャが二語を用いて説いた修行次第の一端の究明を目指す.

     結論として,まず,アティシャはこの二語により修行次第の段階を峻別している点を確認する.その上で,アティシャの修行次第の特徴として,波羅蜜乗よりは真言乗に,真言乗の中でも破戒を伴う儀礼と修行に優れた結果を配置することで至高の価値を与えるという意図を明らかにする.

  • 小谷 昂久
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1203-1206
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     bDe bar gshegs pa dang phyi rol pa’i gzhung rnam par ’byed pa(『チャパ宗義書』)はチャパ・チューキセンゲ(Phya pa Chos kyi seng ge, 1109-1169)によって著された後伝期最古の学説綱要書の一つである.『チャパ宗義書』では四学派(毘婆沙師,経量部,唯識派,中観派)の学説が五基体(shes bya’i gzhi lnga ba)に基づいて説かれる.この五基体とは色(gzugs),心(sems),心所(sems las byung ba),心不相応行(mi ldan pa’i ’du byed),無為(’du ma byas)である.本稿ではこの中の心不相応行を考察する.

     毘婆沙師章の中で23種の心不相応行が列挙され,その他の章でも全てが列挙はされないものの心不相応行の総数が23種であることは承認されている.この23種の心不相応行は唯識派章では二つに分類され,末尾の9種は副次要素(cha ’thun dgu)と呼ばれる.

     チャパはこの心不相応行の分類方法の典拠に言及していないが,類似した分類がペルツェク(dPal brtsegs, 9世紀)等によって編纂された仏教語釈集Chos kyi rnam grangs kyi brjed byang(『法門備忘録』)の中に見られる.『法門備忘録』は『チャパ宗義書』で「副次要素」として位置づけられた9つの心不相応行を「de lta bu’i cha dang mthun pa」と呼び,『チャパ宗義書』と同様に心不相応行を二種に分類する.確かにPañcaskandhaka(『五蘊論』)も同様に心不相応行を二種に分類するが,副次要素に含まれる法の数は『五蘊論』の諸注釈の中で一定していない.したがって,心不相応行を二種に分類し,且つ副次要素を9つと数える考え方は『法門備忘録』が初出であり,『法門備忘録』が『チャパ宗義書』における心不相応行の分類に影響を与えている可能性を指摘できる.

  • 伊藤 奈保子
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1207-1214
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     インドネシアで確認できる般若波羅蜜多菩薩坐像(Prajñāpāramitā)について転法輪印(説法印)の像を中心に取り上げた.現段階では鋳造像が2軀,鋳造像で智拳印を結ぶ大日如来と対をなす像が2組,石造像が3軀である.

     鋳造像は20㎝以下であり,中部ジャワ地域と東部ジャワ地域で出土し,時代は8-11世紀に亘る.石造像は約1mを基準に巨大で東部ジャワ地域・スマトラの11-13世紀に確認できる.いずれも数は少ない.特徴としては,材質に関わらず女尊で,一面二臂の坐像であり,高髻を結って宝冠(髪髻冠)を戴き,三面頭飾をつけ垂髪を垂らしている.耳飾・胸飾・臂釧・腕釧・足釧など 華美な装飾品で身を飾り,聖紐を左肩から右脇にかけ,左手の甲を下にした転法輪印を乳房の前で結んでいる.文様の入った裙を着け,その上から膝にかかる帯をつけ,それが大きなリボン状に体の左右後方で結ばれ,帯の端は台座へ垂れる場合が多い.左の台座から伸びる蓮茎を左の肘のあたりで内側から外側へ絡め,完品の作例では左肩の位置で蓮華上(開敷蓮華,または未開敷蓮華)に経典が置かれている.形式は単独では石造像が巨大且つ優品で高貴な人物の説もあり,鋳造像では智拳印を結んだ大日如来像の左隣に坐した一式が確認できることから,インドネシアでは転法輪印(説法印)の般若波羅蜜多菩薩坐像は「妃」的な意味合いがあった可能性が推察される.

  • 李 子捷
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1215-1219
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     仏陀跋陀羅訳『大方等如来蔵経』は,成仏の可能性または素質を意味する上で「仏性」という漢訳語を使用する初期漢訳仏教経論の一つである.しかし,同経の不空訳とチベット訳には,この訳語は見当たらない.同じような意味で「仏性」と訳した曇無讖訳『大般涅槃経』もこの漢訳語を使用する初期漢訳経論の一つであるが,その現存梵本に明確に対応する原語を見出すのは難しいことである.梵本と漢訳との相違点が明確である部分は曇無讖が漢語にまだ馴染んでいなかった時期に訳出されたものである.この「仏性」という訳語とその中国風な説明は地論宗を含む後世の中国仏教および東アジア仏教に最も重要な影響を与えた.

  • 李 四龍
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1220-1227
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     中国南北朝時代における仏教「解経」文献の名称は複雑であり,玄義・玄論・義疏・義章などがある.これらの「解経」文献には,インド仏教の論義の伝統を受け継ぐものがあり,中国の伝統文体に関連するものもある.本論において,これら文献を義・疏・論三種の基本的な形式に整理している.

     (1)「義」は春秋時代の儒教の「微言大義」の伝統に関連している.二種類がある.一つは,仏教の通論としての「義章」であり,例えば慧遠の『大乗義章』である.もう一つは特定の仏教の総論であり,智顗の『法華玄義』である.

     (2)「論」はインド仏教のアビダルマ,ウパデーシャ(upadeśa)あるいは「釈経論」に遡る.通論のものもあり(吉蔵の『大乗玄論』など),釈論もある(吉蔵の『法華玄義』など).

     (3)「疏」は中国の注釈の伝統に関連し,「注」を整理するものおよび解釈である.しかし,当時あった「義疏」という文体では,経文の整理と記録としての「義」の意味と思われる.例えば慧遠の『起信論義疏』.また「義記」「集解」「文句」なども類似する名称である.

     「義」「論」は同様な文体であるが,「義疏」という文体をもつ文献の数は多く,状況が複雑である.唐代に入ると,これらの「解経」文献は統一され「章疏」と呼ばれ,インド仏教の論義の影響が薄くなった.これをきっかけに,中国仏教の経典観の中心にも,印度仏典から中国宗派典籍への変化が現れてきたと思われる.

  • 李 乃琦
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1228-1233
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     一切経音義は現存する最古の仏典音義であり,唐代の僧侶である玄応が660年頃に編纂したものである.500部弱の経典が収録されており,当時の経典の実態を知る重要な資料とも言える.一切経音義は漢訳仏典とともに,日本に伝来し,盛んに書写されている.日本で書写された最古の記録は729年であり,現在10種類以上の日本古写本が残されている.

     一切経音義は書写の時代・地域によって,書写形式も異なっている.大きく2種類に分けられる.即ち一行の大文字で書写されたものと,二行に分けて小文字で書写されたものである.しかしながら,筆者の調査によると,一切経音義日本古写本の中に,一つの項目の前半部は大文字で書写されているが,後半部は二行に分けて小文字で書かれている特殊の書式が存する.通常,写本の書写時に,空白スペースが足りない場合,二行の小文字を使うのは少なくない.但し,一切経音義の場合は,スペースが十分あるのに,小文字に変更された.本論文では,一切経音義で一つの項目の前半部は大文字で,後半部は二行の小文字で書写されたものを研究対象とする.これらの内容を「小字双行」と呼ぶ.

     現時点で,10種類の一切経音義日本古写本と版本の高麗本を調べた結果,「小字双行」は一切経音義で複数例が見出される.本論文では,これらの項目について,各写本を「大文字/小文字」,「空白スペースの有無」,「小文字の内容」の三つの要素を精査した.その結果に基づき,各写本の特徴,関係,伝播の経緯を検討した.さらに,それらの例が生じた理由を解明するために,さまざまな可能性を検討し,考察した.写本の伝播と書写は宗派の知識集団との関わりもあることが見て取れた.

  • ヨン スンエン
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1234-1237
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     義淨(635-713)訳『觀所緣論釋』(GSYLS)および『成唯識寶生論』(BSL)は,ダルマパーラ(Dharmapāla, 護法, 6c)の思想および,それがインドや中国の唯識仏教の発展へ与えた影響を理解するために重要な文献である.GSYLSは,ディグナーガ(Dignāga, 陳那, ca. 480-540)著ĀlambanaparīkṣāVṛttiに関する注釈書であり,BSLは,ヴァスバンドゥ(Vasubandhu, 世親, 4-5c)著Viṃśikā(またはViṃśatikā)とVṛttiに関する注釈書である.

     しかし,GSYLSとBSLには義淨の漢訳しか現存しないため,ここからダルマパーラの思想を解明しようとする場合,意味が曖昧な点が多く解読は困難である.したがって,GSYLSとBSLに描かれているさまざまな認識に関する複雑な議論を詳細に分析するためには,義淨訳の表現特性や特別な用語などについて理解することが不可欠である.

     本論文は義淨訳において特定の意味がある用語表現に焦点を当てるものである.まず,その特別な用語表現に基づいて,対論者の異議(pūrvapakṣa)とそれに対する解答(uttarapakṣa)について説明する.さらに,義淨訳の解読を難しくしている特徴について二点挙げておく.一つは,同一サンスクリット語に対して複数の漢訳を当てていること,もう一つは,サンスクリット語の漢字音写をそのまま使用していることである.

  • 唐 秀連
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1238-1243
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     膨大な数の仏教の経典の中で,自殺をテーマにしたものは一つもない.さらに,仏典に記録されている自殺事例の特徴についても,包括的な検討はなされていない.本論文では,中国の大乗仏教の経典を調査対象とし,自殺の動機や原因を分類することで,大乗仏教の経典に記録されている自殺現象の全体的な特徴を明らかにした.大乗仏教の経典に登場する自殺事例は,大きく3つのカテゴリーに分けられる.すなわち,「宗教的自殺」,「利他的自殺」,「自在的捨身」である.最後の「自在的捨身」は,悟りを開いた者が行う独特の自殺とされる.中国の大乗仏教の教義では,この3種類の自殺はいずれも一般的に受け入れられており,時には奨励されることさえある.

  • 三輪 是法
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1244-1250
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     天台大師智顗(538-597)が『摩訶止観』で説く「一念三千」は,不可思議なる対象として人間の心を表した言葉で,三千という数字は法華経の十如是と地獄界から仏界までの十界,そして五蘊世間・衆生世間・国土世間の三種世間の乗数によって導かれている.『摩訶止観』巻五上では,止観という修行による対境として最初に陰入界境を説明する.陰入界は実体をもたない人間存在を表し,まず迷いの原因である識陰の心を観察する必要があるという.その観察法として十種の方法をあげ,その第一番目が観不思議境である.五陰,十法界,十如是,三種世間の関係を詳述した後,心の様相として「一念三千」が説かれる.すなわち,我々の心は十種の人格的要因(十界)と現象の構成要素(十如是),さらに環境的外部要因を含めた関係性(三種世間)によって成り立っているということで,換言すると,心は他者によって形成されているといえるであろう.

     そこで現代における心の研究分野である精神分析の理論に基づいて考察すると,そもそも精神分析は,正常な人間は存在しないという立場に立っており,悩める主体である「分析主体」自身が自らの問題を主体的に解決していく営みであるということを知る.精神分析では,自我という自己像は他者との関係を通して作りあげられた虚構であり,また,主体というものは存在せず,意識と無意識との関係性において,一瞬,無意識の主体が出現するとしている.すなわち,『摩訶止観』で観察対象となる陰入界が他者によって形成された自我であり,観察結果として得られる一念三千という心が無意識の主体であると考えられる.換言すると,悩める分析主体が一念三千という境地に至ることによって,生き方を自ら選択できる可能性が生まれるということであり,ここに仏教と精神分析との類似性が確認できる.

  • 亀山 隆彦
    2022 年 70 巻 3 号 p. 1251-1256
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
    ジャーナル フリー

     本稿では,覚鑁『五輪九字明秘密釈』第一章「択法権実同趣門」で展開される真如論を検討し,同書第二章「正入秘密真言門」に記載される五蔵曼荼羅の教理背景を新たな視座から考察する.

     最初に五蔵曼荼羅について概説すると,中国古代の医学,科学,哲学,および密教のそれぞれで使用される「五部法門」(五仏,五智,五輪,五行,五臓等)の水平的結合と総括される.同五蔵曼荼羅の教理背景としては,これまで即身成仏からの影響が強調されてきた.事実「正入秘密真言門」では,空海が,五蔵曼荼羅を観想することで現身に五智を顕現したという説話が紹介され,本瞑想は,即座に三摩地を現前させる優れた実践と主張される.

     このように五蔵曼荼羅と即身成仏の関連は間違いないが,覚鑁の主張を詳細に見ると,それ以外にも同曼荼羅の背景と思われる教説が確認される.それが真如論である.先ず「正入秘密真言門」では,五大(=五輪),五智,五臓が相互に結びつく基盤として,色,心,空の不二相即関係が紹介される.実は,これと類似の議論が「択法権実同趣門」の中で,真如論として展開されるのである.

     覚鑁の主張を総合すると,以下の通りである.そもそも顕教では,唯一の理と無数の事が対立的に捉えられるが,密教は,両者を別であり不二とも理解する.同じく顕教では,唯一の理が無数の色の根源と捉えられるが,密教は,それら色がそのまま理と把握する.従って,顕教は無量の真如(=理)を認めず,唯一の真如だけを主張する.一方,密教は,無数の色と相即する重々無量の真如を認め,その証得を主張する.

     結論として,これら真如に関する密教の議論も,五蔵曼荼羅が組織される際の重要な背景であったと考えられる.

  • 2022 年 70 巻 3 号 p. 1259-1388
    発行日: 2022/03/25
    公開日: 2022/09/09
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