印度學佛教學研究
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  • 廣瀬 勤
    2024 年 72 巻 3 号 p. 969-972
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     Kāṭhaka-Sam̐hitā(KS)は,古代インドの祭式に関する最古の議論や記述を収める黒Yajurveda-Sam̐hitāの1つであり,ekādaśinīと呼ばれる儀礼の説明を含んでいる.ekādaśinī儀礼は,11匹の犠牲動物からなる動物犠牲祭の一種である.ekādaśinī(「11で構成される」)儀礼の記述は,KS 33–34,つまりsattra章の中の,1年間からなるsattraの締めくくりに行われるdvādaśāha(「12日間」)儀礼の記述の中に位置している.ekādaśinīは,KSのdvādaśāhaの最初の11日間に行われていた.その直後に,動物犠牲を行ったことに対する贖罪儀礼として,Tvaṣṭar神のための動物犠牲祭が述べられる.それはdvādaśāha儀礼の12日目にTvaṣṭar神のための動物犠牲祭が行われていたことを示している.その後に,食人行為や人間犠牲と思われる記述が続く.そして,これらの記述の解釈に資する記述がMaitrāyaṇī Sam̐hitā(MS)4.8.1 pātnīvata tvāṣṭra paśu(「妻を伴ったTvaṣṭarへの動物犠牲祭」)においてみられる.すなわち,祭式においてManuの妻が犠牲として捧げられる代わりに,Tvaṣṭar神への犠牲動物が捧げられる話が述べられている.このような,人間を犠牲として捧げる代わりにTvaṣṭr̥神に動物を犠牲として捧げるという観念が当該箇所にも適用されるならば,KSのsattra章においてTvaṣṭar神への動物犠牲は人間犠牲の代替行為であると推測される.

  • 髙橋 健二
    2024 年 72 巻 3 号 p. 973-978
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     古代インド叙事詩『マハーバーラタ』(紀元前2世紀半ばから紀元後4世紀頃成立)には,しばしば内容的重複が見られ,先行研究ではそのような重複は各部分が異なる成立段階において挿入されたものであることを示すものとして議論されてきた.

     クルクシェートラの戦いの後,第12巻において,ユディシュティラは親族たちを殺してしまったことを悲しむ.彼を慰めるためにヴィヤーサやビーシュマが様々な教説・古譚を語り,ユディシュティラは悲しみを克服する.しかし,第14巻において再び彼は親族殺しの罪を悲しみ,その罪に対する贖罪として馬祀祭を挙行する.徳永は,第12巻には,死者を弔い遺族の悲しみを取り除く水供養(udakakriyā)の構造が反映されていることを指摘し,第14巻については第12巻の後に挿入されたとしている.

     本研究では,(1)Spitzer写本(紀元後3世紀後半)に見られる現存最古の『マハーバーラタ』の目次には第12巻と第14巻がともに言及されていること,(2)第12巻は水供養によって悲しみを除去することがテーマになっているのに対して,第14巻は馬祀祭による親族殺しの罪禍を償うことに主眼があり,それぞれ目的が異なること,を考慮すると,現段階では第12巻と第14巻の前後関係を決定することは難しいことを指摘する.

  • 永井 悠斗
    2024 年 72 巻 3 号 p. 979-983
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     本論文はBhaviṣyapurāṇa(以下BhaviṣyaP)の第I巻(Brāhmaparvan)を対象として,刊本の問題点を指摘し,写本利用の必要性を提案する.このプラーナについて,従来の研究は19世紀末のボンベイ版に由来する刊本を用いてきたが,この刊本には写本の異読情報が欠けているという問題があるのみならず,テキストの誤りや詩節の欠落といった不備も知られていた.このため,写本を利用して刊本の不備を解消することが望まれるが,BhaviṣyPの写本に関する研究は未だ途上にあり,写本に関する詳細な調査が待たれているのが現状である.本論文の目的は,今回確認されたオンラインで利用可能な三つの写本について報告し,BhaviṣyaPの写本状況の一部を明らかにすることである.まず,本論文は,従来の研究では知られていなかったこれらの三つが,写本カタログが報告していた他の写本と近しい関係にあることを確認する.さらに,刊本におけるSauradharmaに関する章全体が上記の三つの写本には存在しないことを指摘する.従来,刊本と写本の違いとしては,章の数や構成が異なること,さらに,刊本がSaptamīkalpaに関する章で終わるのに対し,いくつかの写本はそれに続くAṣṭamīkalpaやNavamīkalpaに関する章を有している,ということが知られていた.しかし,本論文は新たな事実として,上記の内の二つ写本において,そうした章が,刊本の最後にあたる第216章に続く形で加えられているのではなく,Saptamīkalpaに関する章の中でもとくにSauradharmaを扱う箇所としてまとめられる第151–216章と入れ替わる形になっている,ということを明らかにする.最後に,今回写本から確認された重要な異読として,先行研究において解釈困難とされていたBhaviṣyaP I.139.46abにおけるpatitaḥ syātという刊本の読みに対するpitā tasyāという異読,そして先行研究がゾロアスター教の開祖との関連性を指摘しているBhaviṣyaP I.139.43cに現れる人名に対する異読の二つを紹介する.

  • 小川 英世
    2024 年 72 巻 3 号 p. 984-991
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     仏教論理学者は,証因(liṅga, hetu)の有すべき主題所属性・肯定的必然性・否定的必然性という三条件(trīṇi rūpāṇi)を総称して「三相」(trairūpya)と呼ぶ.Sanderson博士は,“The meaning of the term trairūpyam in the Buddhist pramāṇa literature”と題する論考において,同用語の伝統的な解釈に異を唱えて新解釈を提示した.

    (1)伝統的解釈

     trirūpaは,「3」を意味する数詞triと「相,条件」を意味するrūpaから構成される,証因を指示する属格bahuvrīhi(trīṇi rūpāṇi yasya)である.この属格bahuvrīhiとしてのtrirūpaに属性接辞ṢyaÑがʻtasya bhāvaḥ’の意味で導入され,trairūpyaが派生される(trirūpasya bhāvas trairūpyam).証因の限定者としの「三相」を表示する.

    (2)Sanderson解釈

     trirūpaは,triとrūpaから構成される「三つの相,条件」を意味するkarmadhārayaである.このkarmadhārayaとしてのtrirūpaに意味ゼロのṢyaÑが自己が導入される基体(prakr̥ti)の意味(svārtha)で導入され,trairūpyaが派生される.基体の意味である「三相」を表示する.traikālyaが過去・現在・未来の「三時」を意味するのと同様である.

     対象Xに対して語Yが適用されるときのXの限定要素(viśeṣaṇa)が〈属性〉(bhāva)である.tadvattvaṃ tad eva(x + vat + tva = x)と定式化される属性接辞の意味論は,上記の伝統敵解釈を支持すると言える.

  • 斉藤 茜
    2024 年 72 巻 3 号 p. 992-997
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     パーニニによる動詞語根の定義を出発点として,文法家は〈成立の過程にあるもの〉(sādhya)と定義された行為(kriyā)を巡る議論を高度に洗練させていった.彼らの行為論とは先ず第一に動詞論であるが,行為の概念は動詞語根についての考察だけに収まるものではない.一般的な文法学の知識からも行為を成立させる要素,即ちカーラカ(kāraka = sādhana)の働きが行為の概念と切り離せない関係にあるのは明らかである.そして文法家と同様言語哲学の観点から,にも拘らず文法家のそれとは対極にあるバーヴァナー理論として行為論を発展させたミーマーンサー学派にとっても,彼らがパーニニ文法学を遵守する以上カーラカは等しく重要な意味を持つ.ではバーヴァナー理論に則り,行為を表示するのが動詞語根ではなく人称語尾(tiṄ)であるとした場合,カーラカと行為との結びつきはどのように理論化され,また文法家のカーラカ理論についてどのような不備が指摘されるのか.このようなカーラカへの注目及び文法学説との差別化が意識的になされるのは,シャバラ・クマーリラではなくマンダナミシュラ(660–720?)の『バーヴァナーの分析』(Bhāvanāviveka 以下 BhV)を待たねばならない.マンダナはバルトリハリ・クマ―リラ・プラバーカラ各人の行為論及び命令論を批判しながら,バーヴァナー理論で核となる行為主体(kartṛ)・行為対象(karman)・作具(karaṇa)の再定義を試みている.本稿ではその内特に「行為の統轄者」とされる行為主体を取り上げ,マンダナがまさにこの議論において〈行為主体の働き〉(kartṛvyāpāra)と呼ぶようになるバーヴァナー即ち〈行為〉が,行為主体とどのように関連づけられるのかを検討する.

  • 須藤 龍真
    2024 年 72 巻 3 号 p. 998-1003
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     インド哲学において,議論を構成する推論に関する精緻な考察がみられるのに比して,実際の議論の運用方法に言及する文献は乏しい.本稿では,その貴重な例として,ニヤーヤ学派のウダヤナ(Udayana, ca. 1050–1100)が提唱した議論学の枠組みを確認し,彼の説を継承する新ニヤーヤ学派の学匠シャンカラミシュラ(Śaṅkaramiśra, ca. 15c)が著した議論学書Vādivinodaに焦点を当て,ニヤーヤ学派における哲学的議論の組み立てを分析する.同派において議論の構造化への口火を切ったのはウダヤナであると思われる.ウダヤナはNyāyapariśiṣṭaにおいて「時宜を得ないもの」(aprāptakāla)という敗北の根拠(nigrahasthāna)を説明する中で,議論の段階(pāda),段階の部分,支分(avayava),支分の部分という四つの議論の要素に言及し,その順序の必然性を説く.また,Nyāyavārttikatātparyapariśuddhiでは,論諍展開次第(jalpapravṛttikrama)として同様の順序に言及しつつ,敗北の根拠を指摘のタイミングに依拠して三つに分類した(Cf. 小野2017, 43ff.).彼の議論展開に関する構想は新規性・独自性に富むものであったが,分類や両著作間の対応関係の曖昧さは拭えない.この点は,論諍展開次第について,マニカンタミシュラ(Maṇikaṇṭhamiśra, ca. 13c)がウダヤナ説に近い見解を批判していることからも推察される.シャンカラミシュラにウダヤナ説擁護の意図がどれほどあったかは不明であるが,少なくとも彼はウダヤナ,ヴァラダラージャ,マニカンタミシュラ,ヴァルダマーナらによる議論学の系譜を的確に捉え,ウダヤナの構想する哲学的議論の枠組みを実際の運用に耐えうるものとして組み上げた.すなわち,ステージ(kakṣā)や返上(pratīkāra)という概念を用いて,実際の哲学的議論の展開を例示しつつ,22種すべての敗北の根拠について,ウダヤナの三分類との対応を根拠付けた.とりわけ,文意理解の三要素説との関連で,マニカンタミシュラとシャンカラミシュラとの間に分類上の見解の相違があることを指摘した.

  • 眞鍋 智裕
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1004-1010
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     アドヴァイタ・ヴェーダーンタ学派の学匠マドゥスーダナ・サラスヴァティー(ca. 16th–17th CE)は,主に聖典Bhāgavatapurāṇaに依拠し,彼のBhaktirasāyanaṭīkā) (BhR(Ṭ)) においてアドヴァイタ教学の一元論と齟齬をきたさないように,人格的な最高神に対して専一に帰依するバクティ理論を形成した.彼はBhR(Ṭ) において,ブラフマンの明知の獲得によって解脱を得ることを目的とする「知のヨーガ」と「バクティ・ヨーガ」を厳格に区別し,BhR(Ṭ) においてはバクティ・ヨーガの方がより優れていると主張している.しかしその一方でマドゥスーダナは,聖典Bhagavadgītāに対する彼の註釈Gūḍhārthadīpikā (GAD) においては,BhR(Ṭ) と同様に最高神に対するバクティによって解脱が可能としながらも,知のヨーガをバクティ・ヨーガよりも優れたものと見做している.いったいマドゥスーダナは,これら二つの立場のうち,どちらを最終的な立場と考えていたのであろうか.本稿では,以下の操作によってこの問題に対する答えを導出した.

     マドゥスーダナは,BhG第12章に対するGADにおいて,無属性ブラフマンへの念想(nirguṇopāsana)と有属性ブラフマンへの念想(saguṇopāsana)とのどちらが優れているのかを論じている.本稿では,BhG第12章に対するGADを分析することによって,先ずnirguṇopāsanaが知のヨーガに属していることと,saguṇopāsanaにはBhR(Ṭ) に説かれているバクティが含まれていることを明らかにした.さらに,マドゥスーダナはGADにおいて,知のヨーガに属すnirguṇopāsanaがバクティ・ヨーガを含むsaguṇopāsanaよりも優れていると主張している.GADにおけるバクティ論は,BhR(Ṭ) に見られるバクティ論に全面的に依拠している点,またGADにおいて駆使されている「非難」(nindā)に関する解釈規則(nyāya)の点を考慮すると,マドゥスーダナはnirguṇopāsanaのsaguṇopāsanaに対する優位性を主張することで,知のヨーガがバクティ・ヨーガよりも優れていると考えていたことが理解され,またこの立場が彼自身の最終的な立場であると考えられる.

  • 川尻 洋平
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1011-1017
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     本稿は,南インドの学匠がどのようにシヴァ教文献を受容し,伝承したのかを明らかにするための材料として,南インドで著された作者不詳の註釈『主宰神の再認識反省的考察注』に対する註釈について報告する.

     新たに発見された『主宰神の再認識反省的考察注』に対する註釈について,再認識派文献を理解する上では特に重要性があるとはいえない.しかし,南インドの学匠の中に,再認識派文献を学ぼうとする動機を持つものがいたことは確かである.この註釈もまた,14世紀以降の南インドのシヴァ教文化の実態を理解する手掛かりの一つとなる.

     引用文献を検討する限り,当該註釈の作者は『タントラヴァタダーニカー』『パリアンタパンチャーシカー』『ラハスヤパンチャダシカー』『シャーストラパラーマルシャ』『パラープラーヴェーシカー』に関しては,『主宰神の再認識反省的考察注』とは別に独自の情報源を持っていたと考えられる.また言及される文献群の作者に関しては,必ずしも正確に伝承しているわけではない.今後,クリシュナダーサの『パラートリンシカー・ラグヴリッティ・ヴィマルシニー』や『パラープラーヴェーシカー』に対する註釈群との関係についても検討されるべきである.

  • 禹 鍾仁
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1018-1021
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     本論文は経量部の論師である上座シュリーラータの八心現観説を扱う.伝統的に説一切有部は見道の修行段階において,四聖諦を十六刹那で観察する十六心現観説を主張する.しかし,『阿毘達磨順正理論』で上座は八心現観説を主張する.その内容は次の通りである.第一に,彼は世第一法と苦法智の間に諦順忍という別の段階を設定し,この段階で隨信行と隨法行を区分する.第二に,現観第一刹那の苦法智で預流果が成就される.第三に,預流果が成就すると,三結の旧随界が一気に断たれる.第四に,現観は八刹那の道類智で完全に成就する.従って,彼は毘婆沙師が道類智の十六刹那が修道に属することを否定していると思われる.そして,このような上座シュリラータの八心現観説が,自らの煩悩理論を旧随界を根拠に把握したことに起因すると論じる.

  • 横山 剛
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1022-1027
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     ダシャバラシュリーミトラ著『有為無為決択』は,インド仏教における主要学派の教理の大要を伝える学説誌的な文献である.その第二章から第十二章は有部説に充てられ,第九章では法体系が説かれる.そこでは有部の伝統的な十智ではなく,如説智(*yathāruta-jñāna)と修智(*parijaya-jñāna)を加えた十二智が説かれる.本稿ではこの十二智の成立背景について検討する.

     はじめに,筆者がこれまでの研究で明らかにしたチャンドラキールティ著『中観五蘊論』→アバヤーカラグプタ著『牟尼意趣荘厳』→『有為無為決択』という法体系の系譜,ならびに『牟尼意趣荘厳』が説く十二智から,『有為無為決択』の十二智の直接的な典拠が『牟尼意趣荘厳』であると考えられることを指摘する.その上で『牟尼意趣荘厳』の十二智へと考察を進める.

     ここではまず,如説智と修智が『二万五千頌般若経』が挙げる十一智の中に見られることを指摘する.般若経では智の要素として十一を挙げるが,『二万五千頌般若経』の説はこれと部分的に異なる.本稿では,般若経の十一智の特徴と『二万五千頌般若経』が説く十一智の特異点を示す.続いて,各智の定義を比較することで,『牟尼意趣荘厳』と『二万五千頌般若経』の智の定義が有部説とは異なり,いくつかの智については両論に逐語的な一致が見られることを指摘する.

     以上の考察から『有為無為決択』の十二智について,次の成立過程が想定される.まず,大乗仏教の影響下にあったアバヤーカラグプタが『牟尼意趣荘厳』において,般若経の伝統と有部説を折衷して,十二智を説いた.現存の般若経では『二万五千頌般若経』に最も顕著な類似性が見られる.ダシャバラシュリーミトラはこの十二智を引き継ぎながらも,有部の伝統に合わせて,その順序を入れ替えた.このように本稿では,有部の十智に基づいて形成された般若経の十一智が後に有部説と合わさり十二智が成立するという,有部と大乗仏教の間の双方向的な影響関係が示される.

  • 伊藤 有佑
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1028-1031
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     八セット四十一法――四念処,四正勤/断,四神足,四禅,五根,五力,七覚支,八聖道――の研究は,これまでほとんど行われることがなく,八セット四十一法が言及されたとしても法蔵部に帰属するか否かを巡る議論に終始してきた.八セット四十一法という定型句は,仏教文献に広く見られる七セット三十七法/三十七菩提分法に比例するものであり,明らかに異なる伝承に属していたものである.したがって,八セット四十一法を詳しく分析することは,古代インド仏教の伝承史の解明に大きく貢献することが予想される.

     そこで,本稿はこれまで指摘されたことのなかった――同時に,これを加えて八セットの用例が網羅されたことになる――二つの用例を提示し,分析を加える.この二つの用例は,『佛説菩薩行方便境界神通変化経』と『大威德陀羅尼経』であり,いわゆる「大乗」経典に属する経典である.この両用例は特異な伝承状況を示している.前者は異訳間で八セットなのか七セットなのかが異なっており,伝承の相違が見出せる.そして,後者は八セットと七セット/三十七菩提分法とが並列して現れる.こうした例はこれまで指摘されたことがほとんどなく,インド仏教の研究に新たな展望をもたらすものである.

  • Le Huu Phuoc
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1032-1035
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     大乗経典において,善巧方便(Skt. upāya-kauśalya, Tib. thabs la mkhas pa)という概念は,『八千頌般若経』に初めて登場する.善巧方便は『八千頌般若経』の中で大きな影響力を持っており,空思想と密接に結びついている.マックイーン・ダグラス(Macqueen Douglas)によれば,菩薩によって体現される善巧方便は,空と比較すれば,菩薩道としてのより信頼できる指針であるという.西康友氏は,『法華経』に説かれる「善巧方便」は,仏陀が教えをより効果的に伝えるために隨宜説法(saṃdhābhāya)を用いることに含まれると指摘している.それに対して,『八千頌般若経』に説かれる善巧方便は,智慧と同様に重要視され,全知全能の菩薩道を完成するため習得しなければならないことが強調されると提示しておきたい.

     マイケル・パイ (Michael Pye)とマックイーン・ダグラス(Macqueen Douglas)は,『八千頌般若経』における善巧方便と智慧を研究する先駆的な学者であるが,彼らの焦点は一般論にとどまっており,ある特定の章に説かれる比喩としての善巧方便に対して具体的な分析と詳細な解明までは行われこなかった.本稿は,第XIV章「譬喩」と「第XX章「善巧方便の考察」の章を対象とし,次の二つの焦点にあてる.(その一)善巧方便と智慧の関係,(その二)善巧方便と三解脱門(trivimokṣamukha)との相互作用についてである.善巧方便を習得できない菩薩は,声聞(śrāvaka)や縁覚(pratyekabuddha)の境地まで退転する可能性があると結論づけている.さらに,善巧方便を習得する菩薩は空・無相・無願の三解脱門に到達するといえる.そして,三解脱門の境地に到達すれば,退転することもないため,善巧方便は菩薩道を守るという役割を果たしているといってよい.

  • 趙 文
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1036-1039
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     「一行三昧」(eka-vyūha-samādhi)は東アジア仏教のさまざまな伝統で重要視されているが,通常,この三昧の異なる側面が強調されている.この「一行三昧」の本来の意味を明確にするために,サンスクリットの原典の定義を検討し,異なる中国語訳と比較する必要がある.この論文は,このような比較を通じて,《七百頌般若経》での「一行三昧」の定義の2つの主要な側面(基本的な実践と哲学的な解釈)を説明する.最初に,「一行三昧」の基本的な実践は,念仏(buddhānusmṛti)に焦点を当てる.観想念仏と名号念仏の要素は含まれている可能性があるが,後者が強調されている.また,「一行三昧」の定義には,「法界」の哲学的理解も含まれている.初期の大乗仏典において,念仏のプロセスは通常,一仏に焦点を当て,すべての仏を見ることを目指すものである.したがって,《華厳経》の「法界」の「一即一切,一切即一」が,念仏の実践における基本的な実践と最終的な目標との関連性を説明するために適用されている.

  • 笠松 直
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1040-1046
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     動詞grah「つかむ」の現在語幹は第IX類による.梵文『法華経』校訂本によれば,散文部分では第IX類語形で一貫する.韻文部分にもSaddhp II 62d gr̥hṇīyuの如く第IX類語形が見られるが,幹母音幹(°)gr̥hṇ-a-による語形が多数存する:Saddhp III 91d parigr̥hṇathā,VII 56d pratigr̥hṇa.二つの現在語幹の関係は如何に説明されようか.

     古写本に徴すれば,Kashg XIX: 359b7m gr̥hṇatiやSaddhp III 106c pratigr̥hyaに対するGilg B: 218,27 parigr̥hṇiのように,韻文部分では幹母音幹活用がより普遍的であったと考えられる.散文部分でもKashg VII: 169b2p pratigr̥hṇatuに見るように,本来は同様であったものと考えられる.この状況はKashg XXV: 427b7p pratigr̥hṇa(⇔KN XXIV: 446,4 pratigr̥hāṇa)のように,以降の諸章でも同様であったと思しい.

     KN p.487, n.7所引の語形Kashg XXVIII: 458b2 udgr̥hṇaは,第XXVII章散文の増広部分でもなお幹母音幹活用が機能していた事を示す.他方カシュガル写本は,羅什訳に対応のない第V章後半部分で韻文・散文双方で古典文法的な第IX類活用を示す:Kashg 132b5–6p gr̥hṇīyād;137b1m gr̥hṇāti

     即ち原『法華経』段階では,第XXVII章の増広部分に至るまで言語的な一貫性が維持され,grahの幹母音幹活用は一貫して生産的であったこと,第V章後半の増広は恐らく一段,言語層を異にした時期によるものであろうことが推定される.

  • 西 康友
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1047-1052
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     梵文法華経(SP: Saddharmapuṇḍarīka)写本初の校訂本『ケルン・南條本』の編纂者の一人であるケルン(Johan Hendrik Caspar Kern)と,仏教混淆梵語の命名者であるエジャートン(Franklin Edgerton)はSP写本間において,本来同じ語があるはずの箇所に,異なる読みの語(異読)が存在していることを見出した.この異読の存在から,ケルンは初期のSPが中期インド・アーリヤ語的言語状況下で編纂されたことを示唆し,さらにリューダース(Heinrich Lüders)やエジャートンはSPが伝承・書写される過程で梵語化した(梵語化仮説)と提唱した.

     しかし,この仮説にはブラフ(John Brough)など写本研究者たちの反論も少なくない.この仮説の是非を検証するため,発表者はSP写本に数多く存在する異読に着目して,これを精査してきた.現時点では未だ梵語化仮説を覆す例証は見つからず,この仮説を支持する多くの結果を得ている.

     本発表は上記の梵語化仮説の検証をさらに進めたものである.evam eva(「まさにその通りに」,「ちょうどそのように」の意)とその異読em evaに着目し,書写年代に大きな開きのある複数のSP写本においてこの異読を検証した.evam evaが含まれ,韻律の崩れている偈文句については,そのevam evaを異読em evaに置き換えると,韻律に合う偈文句となった.このことから,em evaであった箇所が何らかの理由でevam evaに置き換えられたと推定される.em evaは,古くはアショーカ王碑文にも見られるアルダマガディー語の語句であり,パーリ語や古典梵語には存在しないことから,初期のSPはアルダマガディー語によっても編纂された可能性がある.また,このことはSP写本における梵語化仮説を支持する例証の一つを示すものである.

  • 堀内 俊郎
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1053-1060
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     本稿では『楞伽経』第一章「羅婆那王勧請品」の一節(32–44偈,南条校訂本8頁2行–9頁10行)を取り上げ,新たなサンスクリット校訂テクストを提示する.『楞伽経』についてはサンスクリット写本や諸版(漢訳,チベット語訳や,チベット語として残る注釈書)を参照した抜本的な校訂テクストの作成が必要となるのだが,『楞伽経』の写本としては30ほどが発見されており,それらをすべて扱うのは容易ではない.しかも,写本の多くは19世紀や20世紀の,新しい写本である.それについて,近年,Schmithausen 2020が,第8章を校訂するなか,古く重要な写本を提示した.筆者も別の章について諸写本を検討したところ,同じような結論を得た(Horiuchi 2020).むろん,校訂本としては現存するすべての資料を網羅することが理想であるが,ひとまず5つの写本(略号N4, N8, N14, N16, Ry)に基づき,蔵・漢訳も参照しつつ,上記の第一章の一節について校訂テクストを作成した.結果,南条校訂本の15箇所に対する改訂ができた.そのうち12の箇所はこれまで提示されていない全く新たな読みであり,いくつかは思想的に重要な改訂を含む.

  • Amina Sabyr
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1061-1065
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     相(nimitta),名(nāman),分別(vikalpa),真如(tathatā),正智(samyagjñāna)よりなる五法または五事(pañcavastu)の理論は,大乗経典に三性説と共に現れ,後に瑜伽行派の代表的な理論となった.この二つの理論はいずれも世俗または勝義の諸法(dharma)を説明する点で等しい.歴史的にいずれの理論が先に現れたかは明確ではない.舟橋(1972)は三性説が五事説よりも先に現れたと主張するが,高橋(2005)は五事説が『解深密経』三性説の形成の基盤となったと主張している.後者によれば最初の最も包括的な五事説の説明は,アサンガによる『摂決択分』で行われ,それが後代の学者達により再解釈されたという.

     本論文は『摂決択分』,『入楞伽経』,『中辺分別論』およびその諸註釈などの瑜伽行派文献に見られる五事説の解釈の違いを示すものである.これらの文献は五事説を完全な形で体系的に示す点で重要であるが,三性説との対応関係については相互に異なった見解を提示するものである.本論文では,五事説に関する多様な解釈に関して基礎的な考察を与える.特に相(nimitta)の概念の多義性(「特徴」「根拠」)に注目し,それを遍計所執性(parikalpitasvabhāva)と依他起性(paratantrasvabhāva)のいずれに含めるかをめぐって文献ごとに異なった解釈が生まれたことについて合理的な説明を試みる.

  • Achim Bayer
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1066-1069
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     本論文では,玄奘,真諦,プトンの著書における無著と世親が大乗仏教へ迴信した伝説を分析した結果,玄奘の『大唐西域記』によると,無著も世親も大乗ではない宗派で出家し,後に大乗へ「迴信」した.世親が無著の所在地,アヨーディヤー(阿踰陀國)へ移動する途中の寺院で滞在したとき,夜間に無着の弟子が『十地経』を誦えて,世親は「初發大乘心」した,とある.更に,世親が『俱舎論』を執筆した動機について玄奘は「世親菩薩 一心玄道 求解言外」と述べている.「玄道」とは第三転法輪を示唆すると考えられる.『婆藪槃豆法師傳』は「眞諦譯」といわれるが,真諦の弟子が筆記したのかもしれない.同書によると,世親は阿緰闍國に大乘寺を開基した,とある.その後,『俱舎論』を執筆し,僧伽紱陀羅との討論を高齢の理由に拒んだ.そして,無着が病気を装い,大乗を否定する世親を呼び説得した結果,世親は大乗の論者となった,とある.歴史的順序からみると,「不信大乘」の段階で大乘寺を開基するのは疑問で,『俱舎論』の執筆と大乗への回心との前後について再考察が必要である.プトンの『仏教史』によると,世親が無著に説得された以降,弥勒の教えを学び,達成してから『俱舎論』を執筆し,その後,サンガバドラの対論要求を断り,ネパールに移住した,とある.

  • 王 俊淇
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1070-1076
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     近年,西蔵自治区に保存されているPrajñākaramati(紀元10–11世紀頃)のBodhica­­ryāvatārapañjikāの貝葉写本(ZX0617–ZB20)の利用が世界中の学者に可能となった.それ以来,この新たに発見された貝葉写本は注目を浴びているが,未解明の点が今なお残されている.たとえば,写本の通常とは異なるページネーション,写本内におけるサンガータースートラ一葉の任意の挿入などが考慮されている.また,この写本の筆写が一人の手によって行われたのではなく,さまざまな筆写者によって行われたようである.本論文は後者の問題に焦点を当て,写本の古筆学的な特徴に注目し,筆跡のさまざまな特徴を検証することにより,写本筆写のプロセスに関する新たな結論を導き出すことを試みる.

  • 高 婷
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1077-1080
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     ダルマキールティのSambandhaparīkṣāは,関係(sambandha)の実在性を否定する一般的な批判と個別な批判から構成される.一般的な批判(vv.1–6)において,ダルマキールティが挙げる第四の観点(v.4)で言及されたekābhisambandha(単一の〔もの〕との関係を指す)という概念は,関係が実在であるという反論者の主張の根拠になっている.先行研究では,前半の対論者の主張について異なる解釈があり,これは主にekābhisambandhaという語句の理解の違いによるものである.この問題に焦点を当て,本稿では,まず対論者の主張に対する諸注釈であるSamba­ndha­pa­rīkṣāvṛtti(SPV)とSambandhaparīkṣāṭīkā(SPṬ)とSambandhaparīkṣānusāriṇī(SPA)の理解を検討する.ekābhisambandhaについては,SPV・SPṬは具格の格限定複合語として解釈する.ekaを三つに場合分けして説明し,abhisambandhaを実在する関係を指すのではなく,二つの関係項と単一のもの(eka)とが関係する状態を指すと解釈する.それに対して,SPAはekābhisambandhaという複合語を同格限定複合語と具格の格限定複合語として両義的に理解する解釈を提示している.この単一の実在としての関係が内属を指すことは明らかである.次にダルマキールティの批判内容に関する諸注釈の異なる解釈の比較を通じて,第四偈の意味を解明する.対論者の主張への批判としては,SPV・SPṬは,関係と関係項とが同一・別異・一異不可説という三つの選言の想定と,無限遡及の過失,という二つの側面から単一で実在する関係を批判するのに対し,SPAは単一で実在する関係を明確に内属と解釈した上で,その内属を存在論的および認識論的視点から否定している.

  • 木村 和樹
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1081-1084
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     本稿は,ŚākyabuddhiのPramāṇavārttikaṭīkāにおける,語の対象と分別知の形象との関係を明らかにすることを目的とする.仏教論理学・認識論の言語理論であるアポーハ論では,他者の排除 anyāpoha が語の対象とされる.Śākyabuddhiは,Pra­mā­ṇavārttika 1章のアポーハ・セクションに対する注釈で,他者の排除を3つに分類したことで知られている.この分類において,彼は分別知の顕現 vikalpa­bu­ddhi­pratibhāsa を語の対象 śabdārtha に設定した.しかし,Pramāṇavārttika 3章のアポーハ・セクションに対する注釈では,形象 ākāra(あるいは顕現 pratibhāsa,影像 pratibimba)が語の対象であることを否定している.顕現は自己認識(sva-saṃ-√vid)されるときは実在物と見なされるからである.Dharmakīrtiとは対照的に,ここでŚākyabuddhiは顕現の実在性を問題にしている.さらに,外界実在物や実在論者が想定する実在する共通性を潜在的な候補として検討した後,それらをすべて否定し,究極的な意味では paramārthatas 語の対象は何もないと明言する.

  • 横山 啓人
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1085-1089
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     ニヤーヤ学派やヴァイシェーシカ学派は,全体(avayavin)は部分(avayava)とは別の実体(dravya)だと考える.一方,仏教徒はこれを認めず,全体は単なる部分の集まりに他ならないとして,様々な観点から批判を行う.その一つが,全体の重さ(gurutva)に対する批判である.ディグナーガは「『全体は諸部分とは別のものである』ということはない.天秤の傾きの差異が把握されないからである」と論じる.すなわち,もし全体が実在するならば,例えば多数の糸を量るときに比べてそれらで織った布を量るときでは,新たに造られた全体の分だけ天秤の傾きに差が生じるはずである.しかし,実際にはそうしたことはない.ディグナーガがこの基本的な指摘を行うのみであるのに対して,ダルマキールティは全体の重さについてPramāṇavārttika第4章において詳論する.そして同書の注釈者たちもそれを踏襲するが,特にプラジュニャーカラグプタはPramāṇavārttikālaṅkāra(PVA)において彼独自の議論を付加している.本稿では彼の議論に焦点を当てて検討する.

     全体の重さをめぐるプラジュニャーカラグプタの議論は,対論者の「全体の重さは軽すぎるため量れない」という見解と,「最後の全体の重さ以外は消滅する」という見解に対する批判に大別される.彼は,前者の対論者説に対しては,「気づかれないような重さが存在することを認める理由はない」という観点から批判を行う.そして,その批判はウッディヨータカラのNyāyavārttika(NV)などに確認される見解へ向けられたものであると考えられる.また,後者の見解に対しては,それが原子の消滅という帰結を生じ,対論者自身の学説と矛盾するという点などをプラジュニャーカラグプタは指摘する.NVにおいてウッディヨータカラは全体の重さについて自身が採用しない二つの異説を紹介しており,そのうちの一つは,重要な相違点はあるものの,PVAにおける後者の見解と発想の点では類似性が認められる.

  • 繆 寿楽
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1090-1094
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     認識の真・偽を決定するという問題は,宇野1996, 340が指摘したように,一般にprā­mā­ṇyavāda(真理論)という名称で呼ばれ,インド認識論における最重要な話題の一つである.ダルモーッタラ(Dharmottara, ca. 740–800)はインドにおける真理論の歴史的展開において重要な役割を演じて,彼の真理論がKrasser 1995によって解明された.ダルモーッタラは『正理一滴論注』(Nyāyabinduṭī­­)などにおいて,正しい認識(=正しい認識手段)を,「行動させる認識」(pravartaka)と「目的実現の顕現を有する認識」(arthakriyā­nirbhāsa=arthakriyājñā­na[目的実現の認識])とに分けるのだが,彼の関心はもっぱら前者にあった.同様に,カマラシーラ(Kamalaśīla, ca. 740–795)などの思想家も前者を重視して,積極的に検討を行なっている.これまで,前者に対するダルモーッタラの理解が注目を集め,多くの論考が蓄積されることになった.それに対して,後者に対する彼の考えはこれまで学界で重視されておらず,彼自身もそれを論述書の中で付随的に考察するものとし,詳しい説明を与えていない.しかし,後者がダルモーッタラの真理論において決して無意味なものではないことは,ドゥルヴェーカ・ミシュラ(Durveka Miśra, ca. 1000–1099)の注釈から明らかになる.ドゥルヴェーカは『正理一滴論注』を注釈する際に,基本は『量決択注』(Pramā­­ṇaviniścayaṭīkā)におけるダルモーッタラの理解を踏襲しているが,arthakriyā­nirbhāsaをめぐって一連の議論を展開した上で,おそらくプラジュニャーカラグプタ(Prajñākaragupta, ca. 750–810)などの思想家の影響を受け,満足(saṃtoṣa)という概念を導入した.インドの思想家たちの真理論に関して,これまで多くの研究(片岡2021,稲見2022など)がなされてきたものの,真の自律・他律問題などをめぐるドゥルヴェーカの真理論に注目したものはない.本研究は『法上灯』(Dharmottarapradīpa)での彼の議論を対象として,彼の思想体系におけるarthakriyā­nirbhāsaの性格および満足が導入される理由を明らかにするものである.

  • 佐々木 悠理
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1095-1098
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     本論文は,唯識派の学匠ジュニャーナシュリーミトラ(Jñānaśrīmitra,11世紀頃)の『不二一滴論Advaita­­­­binduprakaraṇa(以下,ABP)』において展開されている「不二」の理論を考察するものである.彼は,ただ顕現しているという事実だけに基づいて,三界が唯識であることを確立するためにABPを著し,冒頭において,外界対象は直接知覚されるが故にその実在は確立されるとする外界実在論者(経量部)の論証式を提示し,それを批判する形で,唯識を確立しようと試みる.その中でジュニャーナシュリーミトラは,異類例として黄疸を病んだ者や眼病者の存在を指摘することで,その対論者の論証式の過失を指摘し,また知覚(非概念知)における拒斥者(bādhaka)の存在を否定することによって,その黄疸を病んだ者や眼病者の認識が錯誤であるかは知覚された時点においては判断されないとして,唯識を主張する.

     この場合,ジュニャーナシュリーミトラにとって,拒斥者とは認識内形象を区別し,判断するための判断知であり,確定知であると考えられる.そして,拒斥者は認識における異論(疑い)を排除するために必要不可欠であることから,彼は世俗においてはプラマーナとして認めるが,勝義(非概念知)においては錯誤知として否定する.そしてジュニャーナシュリーミトラは夢を喩例に用いた論証式を唯識の立場から示す.ここで夢が喩例として用いられるのは,知覚に拒斥者が存在しないために,知覚された時点では,その認識が夢であるのかは判断されないからである.

  • 望月 海慧
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1099-1106
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     Dīpaṃkaraśrījñāna はさまざまな尊格に対する成就法を著しており,その中にAcalaに対する成就法,Krodharājācalaādhana(P. no. 4892)がある.彼は,Acala に対する二つの讃歌,Acalakrodharājastotra I(D. no. 3060, P. no. 3884)と,同名のAcalakro­­dha­­rā­­ja­­stotra II(D. no. 3061, P. no. 3885)も著している.また,Acala は,Mahāroṣaṇaとしても知られており,彼はその成就法であるCaṇḍamahā­­roṣa­­ṇasā­­dha­­na­­paramārtha(P. no. 4896)も著している.さらに,彼は,師であるDharmakīrti(gSer gling pa)のAcalasādhana(D. no. 3059, P. no. 3883)をチベット語に翻訳しており,彼によるAcala関係の著作は5書となる.

     これらの著作において描写されるAcalaの図像的特徴は,ほぼ一致しており,彼はAcalaに対する複数の図像的解釈の伝承を継承していなかったことがわかる.二つの讃歌のうち,IはAcalaの図像的特徴を視覚的に説明するのに対し,IIは比喩で説明し,さらにgSer gling pa による成就法で言及されるAcalaの十変化身を引用する.このことから,先にIが著され,それと差別化してIIが後に著されたと推定できる.また,二つの成就法についても,最初のAcala成就法は,オーソドックスなスタイルで説明するのに対して,Mahāroṣaṇa成就法は「誰に対しても説かれるべきものではない」と述べ,性瑜伽を用いた成就法を解説している.後者においも,尊格はAcalaと呼ばれており,その成就法のスタイルが全く異なるために異なるタイトルが付された可能性がある.

  • 矢ノ下 智也
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1107-1111
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     仏教において,殺生は十不善業の一つとして規定されている.当然のことながら,殺生は悪趣への転生をもたらすため,避けるべきものである.しかし,仏教文献の中には,ある特定の状況下での殺生を許容する例が確認される.アサンガは,『菩薩地』において,「菩薩が悲(karuṇā)に動機づけられて,五無間業を実行しようとしている悪人を殺害しても,その菩薩が違犯者(anāpattika)となることはなく,むしろ福徳(puṇya)が増大する」と述べる.この考えは,他の大乗仏教論書にも確認され,大乗仏教における定説となる.後代のゲルク派の学僧ガワンタシは,『縁起大論』において悲を動機とする殺生に関する問答を展開する.彼は,『阿毘達磨集論』における黒白業の理論を応用し,「菩薩の悲を動機とする殺生は,意思(bsam pa, *āśaya)が白く,白い異熟をもたらすため善業である」と述べる.さらに,ガワンタシは,誤認殺生についても問答を展開し,デーヴァダッタ殺害意思を持ったある人が,誤ってヤジュニャダッタを殺害した場合,彼には罪となる不善業道(mi dge ba’i las lam, *akuśalakarmapatha)は発生しないが,不善業(mi dge ba’i las, *akuśalakarman)は発生するという見解を提示する.本論文では,悲を動機とする殺生と誤認殺生の二つを,『縁起大論』の問答を通して考察することで,殺生業をめぐるガワンタシの見解を明らかにする.

  • 朴 熙彦
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1112-1116
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     アティシャ(Atiśa, 982–1054)の主著『菩提道灯論』の教説のうち,最も重要で議論を招いてきたものは,性瑜伽を伴う秘密・般若智灌頂の禁止であろう.アティシャは『菩提道灯論』で,梵行の重要性と『本初仏大タントラ』(*Paramādibuddhatantra, Dang po sangs rgyas rgyud chen)の教説を挙げ,秘密・般若智灌頂を禁止しているが,『本初仏大タントラ』について詳しい説明を行っていない.題名の類似性から,アティシャがいう『本性仏大タントラ』とは一般に『カーラチャクラタントラ』であると見なされるが,『カーラチャクラタントラ』の如何なる記述が二つの灌頂を禁じるかについては不明であり,研究者が様々に推測してきた.本稿は『カーラチャクラタントラ』とその注釈書『ヴィマラプラバー』の本文を取り上げ,秘密・般若智灌頂の禁止が実際に『カーラチャクラタントラ』によって裏付けられているかを,先行研究の解釈を吟味しながら再検討する.結論として,秘密・般若智灌頂の禁止は『カーラチャクラタントラ』で説かれていないことを明らかにし,アティシャが二つの灌頂を禁止するにあたって根拠とする典籍についていまだ確認できないことを指摘したい.

  • 崔 境眞
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1117-1122
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     チベット仏教論理学における「関係」(’brel ba)は,その由来はsvabhāvapratibandhaとするが,チベットにおいて独自の議論を展開してきた概念である.本論文では,関係の定義をめぐる議論を取り上げ,その発端を示したチャパ・チューキセンゲによる定義を探った.その結果,チャパ・チューキセンゲの論理学書に関係の「定義」としてあげられるものは見当たらず,しかし関係に関するある一文が,後代の人々によって関係の定義文として捉えられ,伝承されたことを確認した.

  • ロブサン・ツルティム・ グェナ
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1123-1126
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     止(Skt. śamatha; Tib. zhi gnas)とは,一点集中という高次の精神集中​​であり,これに関してチベットの論師によって多様な文献が著された.そのひとつが,18 世紀にイェシェー・ギェルツェンによって著された手引書である.ダライ・ラマ8世作の長篇のイェシェー・ギェルツェン伝によれば,イェシェー・ギェルツェンはゲルク派で学び,チベット・ツァン地方のタシルンポ寺でカチェン(dka’ chen)という最高の学位を授与され,後に10年以上瞑想生活を送る.69歳から80歳で亡くなるまではダライ・ラマ8世の教師(yongs ’dzin)を務めた.イェシェー・ギェルツェンはゲルク派におけるマハームドラーの論師としても知られている.2011年にsKrun sku bod rig pa dpe skrun khangから出版された短篇の伝記の9ページには,イェシェー・ギェルツェンが仏教の200以上の論題に関して著作を著したことが記されており,その全集は木版で25巻にもなる.

     止に関する他の文献とは異なり,イェシェー・ギェルツェンの著作で中心となるのは,心の本質という,形而上学的な注意の対象の瞑想を修習することである.本論文では,イェシェー・ギェルツェンが,止の対象である心の本質を瞑想する方法をどのように解説するのかを検討する.そして,その心の本質に対して心の安定(心住)を修養する方法についてのイェシェー・ギェルツェンの教説を考察するとともに,心の安定に関するツォンカパの見解を取り上げ,イェシェー・ギェルツェンや別のゲルク派のマハームドラー論師であるパンチェン・ロサン・チョーキ・ギェルツェンの同様のアプローチと比較する.さらに,イェシェー・ギェルツェンの説く,止を達成するための四つの特徴的な方法も提示する.

  • 肖 越
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1127-1132
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     本論では,〈無量寿経〉の最古訳である『大阿弥陀経』と,現存の梵本における法蔵説話段との対応関係を中心に探求した.以下は主なポイントである.

     1.法蔵説話段は誓願文の一部として包括的に検討する必要があり,Gómezの梵本における偈文の分類を基に,〈無量寿経〉諸本に異なる誓願文が存在することを指摘した.特に,『大阿弥陀経』においては,誓願文と成就文の間に独自の二重対応関係が存在することが指摘した.

     2.『大阿弥陀経』において,具体的な用例を挙げつつ,法蔵の前世の身分が,国王であるか,比丘であるかを究明した.その結果として,『大阿弥陀経』においては,国王や家族を捨てて沙門となり菩薩行を修行することが,最高の修行者として意図的に強調されていることが明らかになった.

     3.核となる129文字の誓願が,梵本の三つの偈文に見られる誓願文と密接に対応していることを明らかにした.

     4.『大阿弥陀経』を含む漢訳三本にのみ見られる法蔵菩薩の修行を激励する説話が,梵本の歎仏偈の第3句に対応することを明らかにした.

     5.梵本における『大阿弥陀経』の誓願文直前の段落(一部)によく一致する文がみられるが,漢訳者が一部しか翻訳していなかったこと,その後半の部分が代わりに129文字の成就文として意図的に組み込まれたことを指摘した.

     以上の物理的な事実があって,次の結論を結ぶ.

     『大阿弥陀経』の法蔵段が,現存の梵本における歎仏偈,重誓偈,東方偈に含まれる重要な詩句とよく対応していることが確認された.このような独自な形式は,原典からの翻訳ではなく,漢訳によって意図的に修訂されたものであると考えられる.『大阿弥陀経』の漢訳者は,「自省利他・往生阿弥陀仏国土」のために菩薩道の修行と阿弥陀仏の国土への往生を巧に統合した.すなわち,まだ「浄土」という用語が確立していなかった3世紀に,漢訳者は外来宗教としての阿弥陀信仰を「自省利他・往生阿弥陀仏国土」という主旨で構築した.この独自の実践と修行体系は,後の中国及び日本の浄土教に直接または間接的に大きな影響を与えた.そのため,『大阿弥陀経』は,自然災害,疫病,戦争,食料危機,アンチエイジングなどの現代社会の課題においても重要な意味を持ち続けている.文献学にとどまらず,現代社会においてどのように応用できるのかを考察する研究に今後取り組みたい.

  • 孫 眞(政完)
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1133-1139
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     東アジアの伝統的な文化や近世以前の社会において,女性の読み書きや教育は年齢や地域に関係なく明確に軽蔑され,女性の教育について否定的な風潮であった.他の社会と同様に,東アジアの伝統的な社会においても,女性は教育の面で不利な立場に立たされていた.これは個々の女性の問題にかぎらず,女性の思考や歴史との関係にも影響を与えた.長い間,特定の階級のごく少数の女性のみが教育を受ける機会を得た.才能のある多くの女性は,自分自身や他人に自分に思考能力があることを証明するために努力を重ねなければならなかった.東アジア仏教の伝統的な社会における女性の生活と教育の特徴は,歴史的文献やその他の文献から見られる女性に関連する情報と時代によって異る.伝統的な社会においての女性の生活の特徴を考慮すると,寶唱によって記録された『比丘尼伝』は以下の点を示唆する.まず,313年から516年にかけて活躍した社会的エリート出身の仏教尼僧の65名の伝記で示されるように,中国の仏教尼僧の台頭は初期段階では主に社会的な指導階級であった.第二に,宗教的実践者として必要な教育や活動は,理論的には初期の中国仏教の尼僧たちにも開かれていた.当時の彼女たちの識字能力に基づいて,尼僧が仏教の儀式や実践から排除されることはなかったとみられる.第三に,『比丘尼伝』に収められた仏教尼僧のうち80%以上が識字能力を活用できた事実は,初期の中国仏教だけでなく当時の中国社会においても,尼僧が自らの才能を開発し活用する自由と機会を享受されていたことを示す.従って,家庭内での非公式な教育に加え,仏教寺院も女性の教育が行われた「場所」と考えられる.

  • 李 燦
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1140-1143
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     疑偽経は,通常,翻訳仏教経典の対極に位置し,翻訳史研究の分野ではほとんど注目されていなかった.本論では,南京博物館の所蔵品である『佛說卅七品經』の「繒喩物語」を例として取り上げ,疑偽経がその性質にかかわらず,中に現存史料では言及されていない翻訳史に関する真の情報を秘めていることを示す.これらの文献は,仏教経典の翻訳史研究ための新領域と新史料になる可能性がある.また,本文では,異なる言語の平行テキスト比較を疑偽経研究に取り入れ,経典目録,写本学,文体分析などの研究方法と組み合わせて,疑偽経および仏教経典翻訳史研究の視野と方法を拡張しようと試みている.これに基づいて,本稿では,『佛說卅七品經』の「繒喩物語」が,失われた阿含経典に遡ることを発見し,この印度のソーステキストが未知の宗派に属する『増一阿含』である可能性を提示している.また,その翻訳の源流は安世高派またはその後継者に訳された『增一阿含百六十章』(または『百六十品經』とも呼ばれる)である可能性も考えられる.この発見は安世高の研究及び漢魏時代の仏典翻訳史に新しい資料を提供し,中国への仏教の導入の初期段階に関するより包括的な歴史的視点を示すものである.

  • 佐久間 祐惟
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1144-1148
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー

     本稿は,虎関師錬(1278–1346)が著わした『四巻楞伽』に対する注釈書『仏語心論』の検討を通して,師錬が『楞伽経』という経典,特にその「宗旨」(中心的教説)をいかなるものと理解していたかを明らかにする.師錬は,『楞伽経』の「宗旨」について「証の宗旨」「修の宗旨」の二つの観点より説明し,一貫して当該経典が「妄即真」「真妄不二」を中心的教説としていると主張する.さらに,かかる「宗旨」論にもとづき,師錬は,『楞伽経』が八識説を採用し第九識・第十識を立てない経典であると繰り返し強調する.師錬の理解において,九識・十識説は機根の低い者向けの教説であり,「根熟の者」が集った『楞伽経』では「妄即真」を示し八識説を説けば十分であった,と解釈されるのである.また,師錬がこのような主張を強調する背景として,『四巻楞伽』の同本異訳にあたる『十巻楞伽』の記述を念頭に置いた可能性,あるいは九識説や十識説を採る天台・真言教学と『楞伽経』の教説(およびこれに基づく自らの思想)との峻別を図った可能性を想定することができる.

  • 亀山 隆彦
    2024 年 72 巻 3 号 p. 1149-1154
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
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     今日,日本の禅宗というと栄西が伝えた臨済宗,あるいは,道元が持ち帰った曹洞宗が想起される.これら研究する側の意識を根拠の一つに,栄西と道元各々の禅理解,さらにその後を受けて展開される臨済・曹洞両宗の思想について,多数の研究成果が蓄積されてきた.

     一方,現存史料に基づけば,禅が本格的に導入された中世日本仏教で大きな社会・思想的影響力を有した禅宗は,前述の臨済・曹洞の何れでもない.栄西の流れと近い系統にあるが,円爾に端を発するとされる臨済宗聖一派が,所謂「中世禅」の中核的位置を占めていたと推定される.この円爾を筆頭とする聖一派の僧が,どのような禅理解に基づき,いかなる思想言説を展開したか.末木文美士氏を中心に重要な研究成果がいくつか発表される.しかし,全容の解明にはほど遠い状況である.

     本論では,これら先行研究の課題を踏まえ,聖一派の僧が主張する禅説の系譜について考察を進める.すなわち,聖一派に分類される円爾や癡兀大慧等の教説が,いかなる思想背景の上に組織・体系化されたかを,彼らの著述の緻密な分析に基づき明らかにする.

     先行研究によると,聖一派の禅思想は,東台両密教と深く結びついている.筆者も,癡兀大慧『灌頂秘口決』や『菩提心論随文正決』を検討し,本書の禅理解が空海の十住心教判,および安然『教時問答』の心識説等を前提にしていることを解明した.本論では,この研究をさらに発展させる.すなわち,癡兀大慧の著作に見られた密教との関わり,特に安然教学との関連が同僧個人のものではなく,聖一派全体の特質である可能性を考える.具体的には,円爾の諸著作を検討し,その中の安然教学の受容姿勢について考察を試みる.

  • 2024 年 72 巻 3 号 p. 1157-1279
    発行日: 2024/03/25
    公開日: 2024/09/06
    ジャーナル フリー
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