わが国における針刺しの報告率について実態を把握する目的で,2006~2015年に国内外で発行された論文について文献レビューを行った。針刺しの報告率の調査方法は,「針刺し経験者のうち報告した人の割合」を調査する方法と「発生した針刺しのうち報告された件数の割合」を調査する方法の2種類に分類され,前者を調査した論文のほうが多かった。いずれの方法によっても報告率が50%以下とする結果が多くみられた。報告しなかった主な理由は,使用前の鋭利器材であった,患者の感染症が陰性であった,忙しかった,などであった。医療従事者に対して,使用前の鋭利器材による針刺しを含めたすべての針刺し経験を必ず報告するように啓発する必要があると考えられる。(表1)
1895(明治28)年,「所謂脳膜炎」と仮称される乳幼児の疾病が伊東祐彦らによって報告された。その後,約30年にわたる研究を経て,1923(大正12)年,平井毓太郎によって,その主たる原因が母親の用いる白粉中の鉛白による中毒であることが究明された。著者らは年代を追って,「児科雑誌」により,該疾患に対する研究の足跡を論考してきた。今回は,1930(昭和5)年,鉛白使用化粧品に対する規制が明文化されて以降,1931(昭和6)年から上記規則が実施に移された1935(昭和10)までの5年間に発表された関連文献のうち,臨床,病理,検査(このうち生体試料及び白粉・膏薬中の鉛測定)を取り上げて論考した。(写真1)