生命倫理
Online ISSN : 2189-695X
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17 巻, 1 号
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  • 原稿種別: 表紙
    2007 年 17 巻 1 号 p. Cover1-
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2007 年 17 巻 1 号 p. App1-
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 目次
    2007 年 17 巻 1 号 p. Toc1-
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 目次
    2007 年 17 巻 1 号 p. Toc2-
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 加茂 直樹
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 3-
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 坂本 百大
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 4-10
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2007 年 17 巻 1 号 p. 11-
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 加藤 尚武
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 12-17
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    宗教は現代では戦争を引き起こす大きな要因である。ある宗教集団が、他の宗教集団と共存可能であるということは、共存する二つの集団が、それぞれ他の集団への寛容を持つということである。西欧型寛容論の典型を示すピエール・ベール(1686-87)は「宗教を吹き込む唯一正当な方法は、明らかに、神に関する一定の判断と一定の意志の動きを心の中に生じさせることである」と述べて、宗教は内面的な真理であり、軍事力・法的強制力・世俗的な影響力などの外面的な強制は、宗教の本質に一致しないと主張した。この寛容概念は聖俗二元論に依拠している。その二元論を否定するのがイスラム教の特色である。「イスラームは、存在の全体をそっくりそのまま宗教的世界と見る。イスラームの見る世界は、聖なるものによって一切が浸透された、あるいは浸透されなければならぬ世界として描写される。」(井筒俊彦)現在、対立しあっている宗教は、一見するとまったく共通の原理を持たないように見える。しかし、それぞれの教義の原典そのものが、排他的であるかどうかは、別問題である。われわれは、教義の原典の核心をつかみ、すべての宗教の外皮を剥がして、その根源の教義が相互に両立不可能であるかどうか、吟味しなければならない。
  • 佐倉 統, 福士 珠美
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 18-27
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    近年、脳神経科学における高次脳機能画像の研究や脳-機械インターフェイス(BMI,BCI)などが普及することにより、極端に言えば「誰でも脳を研究できる」ようになった。その結果、非医療系研究者のおこなう実験において、脳に器質的な疾患が偶発的に発見される可能性が高まっている。医療行為に従事する資格を持たない研究者が直面するかもしれないそのような事態に備えて、非医療系基礎研究に関する倫理体制の整備が必要である。また、脳の情報はゲノム情報やその他の生理学的情報に比べると、一個人の精神活動に直接関係する度合いが高いという特徴をもつ。すなわち、社会においては脳といえば意識や自我、人格などと密接な関係にあるものとして位置づけられている。しかしこれらのトピックについて、そのような社会からのニーズに明解に応えるほどには科学的な解明は進んでいない。このような科学と社会の「はざま」に付け込むようにして、科学的に不正確な一般向け通俗脳科学書が氾濫している。マスメディアと科学の関係も含め、科学と社会の接点領域をデザインする展望が必要である。また、これらの諸課題に適切に対応するためには、省庁や学会の縦割り構造を超えて横断的に対応できる組織と指針の整備が必要である。
  • 金森 修
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 32-37
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    ケレーニイが提出した古代ギリシャの二つの生命概念、ビオスとゾーエーに注目しながら、特にそのビオス概念がもつ含意を集中的に掘り下げる。それは自己という概念と相即的に成立し、自伝の対象になるような生の形を表現している。ビオスが自己の活動を内省し始めるとき、それは描写的ではなく評価的になる。極めて一般的な意味において、QOLはビオスの存在様式にとって本質的な重要性を帯びている。人間は、本来脆弱な存在として外界に立ち向かうとき、不快を我慢するのではなく、それを技術的に克服するという手法を採用してきた。その過程でビオスは知識や技術を身にまとい、自己装甲をし続けてきた。現在観察される多様な強化・増進技術の数々も、ビオスの生命的根拠との連続性の中にそれらを位置づけるなら、それらが与える奇矯さの印象は減殺される可能性が高い。本論は、増進の本源性を認知すると同時に、リベラリズムという政治哲学的立場を生命論的根拠で補強する試みとしても形容することができる。
  • 倉持 武
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 38-41
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    In this short paper I will consider the transformation of enhancement in modern society which requires each person to be as autonomous, subjective, creative, and self -responsible as possible. In other words, I will consider the way human beings are going to be enhanced by biotechnology in such a society.
  • 篠原 駿一郎
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 42-46
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 伊吹 友秀, 児玉 聡
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 47-55
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    昨今、デザイナー・ベビーやスポーツにおけるドーピングなど、医科学技術のエンハンスメント的な使用に対する倫理的な懸念が高まっている。だが、「エンハンスメントとはそもそも何なのか」という議論が十分になされているとはいいがたい。そこで、本研究では、1)「エンハンスメント」という語の用いられ方を系統的な文献調査によって明らかにし、これを基に、2)「エンハンスメント」という語の整合的な定義はどのようなものか、3)その様に定義された場合に、エンハンスメントに対するさまざまな懸念に対してどのような含意があるのかということを考察した。その結果、エンハンスメントとは治療の対概念と定義されることが多く、治療との区別の仕方には、a)医学的な区別、b)政治哲学的な区別、c)社会学的な区別の三種類があることが明らかになった。しかし、そのいずれも欠点を抱えており、治療とエンハンスメントを判然と区別するには至らないことを示した。他方、治療とエンハンスメントの区別を重要視しない立場には、保守的なものとラディカルなものに分類されることを示したが、これらはいずれも直観との不整合が見られた。これらの結果より、エンハンスメントと治療は概念的な連続性があること、そして、エンハンスメントは、「医科学的介入のうち、医療の目的にあまり強く合致しない改善目的の介入」と定義すると整合的であることを示唆した。その上で、エンハンスメントに対して向けられている懸念は、医科学技術全般に対して当てはまる懸念であり、本来は治療にも当てはまる懸念であるが、治療は医療の目的をより強く満たしているためにその懸念が相殺されていると論じた。
  • 樫 則章
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 56-59
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 木村 利人
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 60-64
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    「戦争とテロ」の問題は、バイオエシックス研究者が取組むべき最も緊急な課題の一つである。本稿では、正に「戦争とテロ」の時代であった1970年代のベトナムでの筆者の体験が、学会のシンポジウムで使用されたビデオの映像を手がかりにNarrativeの手法により展開される。筆者がベトナム戦争の時期のサイゴン大学で教鞭をとっていた時に知りあった一人の学生から広範な地域にわたる先天性奇形児の出生、死産や自然流産をもたらしている「枯葉作戦」の実態を告げられて衝撃を受けた。これを契機として、ベトナム民族皆殺しのGenocideを目的とする生物化学兵器の使用・悪用を排除し、いのちと自然、環境を守り、育てる新しい「いのち」と「倫理」に焦点を合わせた新しい学問としての「超学際的・バイオエシックス」の構想をするに至った。その後、人間生命と人権を基盤にして、学問の領域を越えた相互協力関係の中から、グローバルな人権運動を基盤にしつつ欧米やアジアなど世界の各地で、同僚たちとともに、筆者の構想による「超学際的・バイオエシックス」を展開していくことになった。バイオエシックスを臨床医療における応用倫理学の分野へと矮小化してはならない。21世紀のいのちの未来展望は、超学際的バイオエシックスよって新地平を切り開かれることになる。真の平和をもたらすための第一歩は「戦争とテロ」に抗するバイオエシックスを国際的視野において真摯に展開することから始まるであろう。
  • 額賀 淑郎, 金一 裕之, 赤林 朗
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 65-73
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    本研究の目的は、日本の生命倫理政策の歴史において、代表的な生命倫理委員会がどのような審議体制を築き、その審議の合意形成を行ったのかを分析することである。本研究の方法は、歴史的文献調査及び有識者への半構造的聞き取り調査を行った。また、M.ベンジャミンの合意形成の四類型(完全な合意・重複的合意・妥協・多数決原理)に基づき、委員会審議の内容分析を行った。結果として、日本の生命倫理委員会は、非公開の特別委員会方式から公開の常設委員会方式へ変遷し、生命倫理の原則問題よりも先端技術の個別問題に対応する傾向にあることが判明した。生命倫理委員会における合意形成は、多様な専門分野の委員を含むため完全な合意はほとんどないが、個別問題に応じて、多数決原理、妥協、重複的合意、という合意形成が考察された。
  • 小西 恵美子, 八尋 道子, 小野 美喜, 中嶋 尚子
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 74-81
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    目的:日本人の伝統的価値観の一つとされる「和」の意味を明らかにし日本の看護倫理への意義を述べる。背景:看護師が習う西洋の倫理と日本の価値観との乖離、および日本の文化に根ざす倫理的価値の明確化の必要性が指摘されている。方法:「和」を概念分析し、我々の研究データから、日本の看護師が捉える「和」を探索した。結果・考察:儒教を源とする「和」は、各人の個性を活かしそれらを調和して共同体全体の善と成長をめざす、という意味をもつ。儒教は「和」と「同」との混同を戒める。「同」とは、個性のない者が何者にも賛否を同じくすることをいう。「同」と混同され易い「職場の和」は、一部看護師の倫理的意思決定を脅かしていた。他の看護師は、患者のために「和」を用いて行動していた。落着き、温かみ、節度、主体性等を備えたその行為は、「勇気」を強調する欧米の「アドボカシー」概念よりも「和」によく合致した。他の価値観も明らかにし、それらを生かした日本の看護倫理教育を検討していく必要がある。
  • 新山 喜嗣
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 82-92
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    カプグラ症候群では、身近な人物における属性とは無縁な「このもの性」としての<私>が、自分の眼前から消失するという、言わば「純粋の死」を体験することになる。われわれにとっての死も、その核心がこのような<私>の消失を意味するとすれば、そのような死は善きことか悪しきことか、それとも、そのどちらとも言えないことなのであろうか。20世紀の分析哲学は、不在の対象について善い悪いといった何らかの言及をすることが困難であることを教える。このことからすれば、この世にすでに不在となっている死した人物についても、その死が善きことか悪しきことかを語ることができないことになる。今や、自分の死についても、また、他者の死についても、その死の意味の収斂先を失うのである。それでもなお死の意味を求めようとすれば、死を<私>の完全な消滅としてではなく、カプグラ症候群のように<私>の変更として捉える道があるかもしれない。しかし、属性を伴わない<私>の変更は、<私>にとって気づきうることでもなければ、<私>にとって何らかの関係を持ちうることでもない。もはや残された死の意味は、隣の<私>の消失としての他者の死と、将来における自分の<私>の消失としての自分の死という、虚空だけとなる。
  • 宮坂 道夫
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 93-99
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    ハンセン病問題が、なぜ日本の生命倫理学の対象となってこなかったのかについて、方法論の観点から考察する。「感染症医療の倫理」を位置づける「場所」は、米国の生命倫理学には存在してきた。米国の生命倫理学は、事例研究から一般的な概念や倫理原則を抽出するという方法論を採用することで、体系性と網羅性を獲得したが、日本ではこのような方法論が不十分であった。その一方で、「パターナリズムを批判して患者の権利の確立を求める」という、米国の生命倫理学の典型的ともいえる論点は、日本のハンセン病問題を分析する際に避け得ないものであり、「内発」的な論点でもあった。感染を防ぐための隔離が、どのような場合に正当化できるのかは、「自律尊重原則」「無危害原則」という二つの倫理原則について検討すれば事足りる。このような論理は、国家賠償訴訟・熊本地裁判決の基盤をなしている。日本の生命倫理学がハンセン病問題に積極的に関与してはこなかった一つの理由は、方法論と社会的役割に関連があるように思える。
  • 齊田 菜穂子
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 100-109
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    学生とその親の脳死や臓器移植に対する考えを明らかにすることを目的として調査を行った。内容は、対象者の属性、脳死・臓器移植の賛否、脳死・臓器移植に関する知識、死生観の項目である。有効回答は学生と親がペアになる274名(137組)で、脳死を人の死と容認する学生は93名で、親は81名だった。自分がドナーになる希望は189名(69.0%)で、家族をドナーにする希望は79名(28.8%)であった。学生と親のペアでは、学生も親も自分自身はドナーを希望するが、家族がドナーの場合はどちらも望まない意見が有意に高かった(p<0.001、p<0.001)。家族がレシピエントになることは学生も親も望んでいるが、自分の場合では親の希望は低かった。そして、臓器移植の賛否には、年齢、宗教、医療者への信頼、脳死の考え、死生観と関連がみられた。移植医療に関わる看護師は、本人と家族の間で臓器移植に関する考えのずれが約半数あることを考慮し援助していくことが必要である。
  • 横尾 美智代, 佐藤 ひかり, 福地 範恵, 早島 理
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 110-119
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    「仏教と生命倫理」を受講した学生を対象に、生命倫理について関心の方向性や講義の理解の深度を探るための調査を実施した。学生の自由な意見を大切にするために、自由記述形式で意見を収集し、KJ法を用いて分析した。139名から得られた記述表現から200の「意味のあるまとまり」が見出された。さらに「意味のあるまとまり」の帰納的集約を行なった結果、『遺伝子診断・遺伝子研究』、『医学の発展・進歩』、『臓器移植・臓器売買』など9項目に分類された。記述は各項目への賛否が中心であった。「わからない」などの判断困難、意見保留の意見の多くは、思考放棄ではなく充分な思考過程を経た後の結論であることが示唆された。回答者の3割は仏教学科の学生であったが、『宗教』への言及は多くなかった。1年生がほとんどであったため、専攻の専門性に関連した記述は少なかったが、下級生であっても生命倫理のトピックスに対する自己の考えや意見は明確であることが示唆された。
  • 服部 健司
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 120-127
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    現場で日常的にさまざまな倫理問題に直面することになる医療者を養成する教育機関では、医療倫理学の授業の中に原理的な諸問題や、先端技術の応用をめぐる各論的諸問題の考察にとどまらず、ケーススタディを組み込む必要がある。より具体的、実践的なケーススタディには、教員が説く一方向的な講義スタイルでは得られない大きな教育効果があることはいうまでもない。けれども、こうしたケーススタディに方法論上の制約がつきまとうこともまた事実である。ケーススタディというものは所詮つくりものであり、ケースに出てくる人物たちの本当の心は描かれることなく、描かれる人物自身が交換可能な抽象的で非現実的な存在だという批判がある。また従来型のケーススタディでは、学生の図式的解析力ばかりが刺激され、想像力はなおざりにされ、結果として、ケースそのものがふくみもつ問題性が結局のところ抽象的な問題に還元され矮小化されがちである。こうした従来型のケーススタディがもつさまざまな方法論上の欠点を回避し、しかも同時にその効果をより大きなものにするために、筆者はケーススタディの仕組みそのものを逆転させて、学生の小グループ毎に仮想ケースを作り上げるという実習を課し、これを「ケース構成法」と名づけている。本稿ではその狙いと、2学年度にわたって実際に行った方法と、学生の反応を示す。ケース構成法は効果も大きいが負荷も大きい。それゆえさしあたり医療系学生に限って行われるべきケーススタディの一方法だと考えられる。そのばあいでも練り上げられた完成度の高いケースを用いたケーススタディで従来型の予備的ドリルを十分に積んだ後に、続けてケース構成法を行うのが望ましい。
  • 松井 美帆
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 128-134
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    医療に対する自律性について、日米の高齢者を対象に自記式質問紙調査を実施し、比較検討を行った。対象者は国内の地域高齢者125人と米国ハワイ州ホノルル市における日系高齢者94人であった。医療に対する自律性に関連する要因として両群ともに、意思決定とかかりつけ医との関係が認められた。また、家族機能との関連では、国内高齢者では意思決定と家族の凝集性、適応性が正の相関、日系高齢者では情報希求との間に共に負の相関が認められた。また、国内高齢者では検査の目的や薬の副作用などに関する情報希求が日系高齢者に比較して高く、終末期ケアの意向についても意思決定と療養場所の希望、延命治療の意向との間に関連が認められた。以上のことから、高齢者において医療に対する自律性と医療従事者、家族関係は重要と考えられ、国内高齢者に対する支援として、医療に関する情報提供、さらに終末期ケアも含めた意向に関する理解が求められることが示唆された。
  • 足立 智孝
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 135-142
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    近年、日本の医療者教育において、倫理的事例として文学作品を活用する動きが多く見られる。一方、米国の医療者教育における文学教育では、「医療倫理学」や「看護倫理学」における倫理的事例として文学作品を活用することに加え、医療者にとって不可欠な臨床能力(clinical competence)を向上させる方法として、文学の方法論を用いた教育が展開されていることが特徴の一つとして挙げられる。本稿では、米国の医療者教育における文学教育の歴史、目的、方法論を概観する。さらに文学教育で用いられている具体的な文学作品を示し、倫理事例以外の議論の題材として活用できることを紹介する。米国の文学教育の実践を学ぶことを通して、わが国でも医療者教育における基礎教養科目が臨床教育でも有益であることを示す。
  • 天野 拓
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 152-159
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    アメリカでは、国民皆保険が存在せず、歴史的に民間中心の医療保険制度が発展してきた。重要なのは、こうした制度のもとでは、現在約4600万人以上の無保険者が存在する点、さらにその数が近年急速に増加している点である。無保険者は、医療へのアクセスという面で深刻な制約を受けるとともに、その増加は、本人の健康状態のみならず、社会全体に広範な影響を及ぼす。しかし、リベラリズムが衰退し、保守主義が台頭する現在の政治状況のもと、政府による無保険者対策はなかなか進展していない。こうしたアメリカの無保険者問題の現状は、「医療は権利か否か」、「医療へのアクセスの保障は、個人の自己責任か、政府の公的責任か」という根源的な問い(対立)を提起する点で重要である。現在無保険者問題がさらに深刻化するなか、全ての人間に適正な水準の医療を受ける権利を保障する、セーフティー・ネットの構築を行う必要性は、ますます高まりつつある。
  • 下村 英視
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 160-167
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    自分らしい死を自らに取り戻すこと、言い換えれば、自己決定権に基づく権利として尊厳死をとらえることの大切さが語られる今日、このことが重度の障害者や老人を脅かすことになるのではないかと危惧される。社会に役立つ人間としてあらねばならないという強迫観念が人々の間にあることが、その原因として考えられる。本稿において、筆者は、このような意識の在り方が近代思想の特徴であることを明らかにしようとする。そこでは、意志の力によって生産性を無限に高めることに価値が見いだされる社会において、健康もまた財として扱われていることが説かれる。強い者にとっての豊かな社会の実現は、弱い者にとって、たとえ豊かさの分け前は与えられるとしても、無慈悲な社会社となりうる可能性がある。そのような社会からの脱却を展望するためにも、死の学びは、私たちにとって不可欠なのである。私たちの際限のない欲望を制するため、そして、私たち人間はこの現実世界に住まわせてもらっている存在者であることの認識を共有するために。
  • 葛生 栄二郎
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 168-175
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    法的概念としてのインフォームド・コンセント(IC)に比べ、倫理的概念としてのICは、なお十分に吟味されていない。合理的ライフプランの設計者としてのリベラルな個という、架空の想定に立脚したIC概念は、共同体主義、ケア倫理など、様々な観点から批判されているのみならず、文化多元主義的な視点からも、その問題点を指摘することができる。文脈離在性や徳倫理の喪失などの問題点は東アジアの儒教的価値観からも同様に指摘しうるものであり、より普遍的なICモデルを模索するためには、Rights-basedな議論からVirtue-basedな議論への転換が必要であろうと考える。具体的には、医師-患者間の相互交渉を重視する、コミュニカティヴ・コンセントへの転換を提唱する。
  • 佐藤 雄一郎
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 176-182
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    研究データの捏造などのミスコンダクトは世の東西を問わず発生している。しかしわが国においては、ミスコンダクトに対する本格的な対応は始まったばかりであり、捏造の直接の証拠はないとされたにも拘らず対象とされた研究者を懲戒解雇するなど、調査における手続的な配慮が十分尽くされているとはいえない現状にある。アメリカ合衆国においては、連邦政府内に独立の機関が設置され、調査を行う。この制度は20年の歴史を有し、そのため、調査に関わる法的な問題も行政不服審査や裁判においてすでに判断がなされている。このようなアメリカ合衆国の制度は、今後わが国において整備されるべき制度構築に関して大いに参考になるものと考えられる。
  • 児玉 聡
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 183-189
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    デッド・ドナー・ルール(以下DDR)とは、「臓器を得るためにドナーが殺されてはならないことを要求する倫理的・法的規則」のことであり、1988年に法学者のJohn Robertsonが、それまで不文律であった規則を定式化したものとされている。この規則によれば、心臓や肺など、vital organ(生死に関わる臓器)を生体から摘出することは、たとえドナー本人の自発的な同意があっても許されない。本論文では主に英米圏の文献の調査に基づき、DDR見直しをめぐる議論の論点を、DDR例外許容論、DDR堅持論(死の定義の変更あり)、DDR堅持論(死の定義の変更なし)の三つの立場に分けて整理した。また、この議論が、脳死臓器移植をめぐる日本の議論にどのような示唆を与えることができるのかについて考察し、DDR例外許容論と違法性阻却論の類似性を指摘し、この立場を改めて議論すべき必要性を示唆した。
  • 土屋 敦
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 190-197
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    本稿の目的は、1960年代半ばから1970年代初頭にかけて全国地方自治体で展開された「不幸な子どもの生まれない運動」の内実及び、この「障害児」の出生抑制政策がこの時期興隆した社会構造的要因を明らかにすることを通じて、そこにこの時期日本社会における優生政策の再興隆の契機が存在したこと、そしてこの運動が日本の優生政策上の一つの転換点を画する運動として存在した事実を跡付けることを目的とする。また、同時期に、この政策が導入された社会的土壌及び「障害児」の出生抑制が「必要」とされた同時期の社会構造的要因を明らかにすることにある。
  • 川島 孝一郎, 伊藤 道哉
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 198-206
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    身体の存在形式を集合体としてみた場合と、単なる集合体とは異なる一つの全体的な統合体(ゲシュタルト)としてみた場合では、生命維持治療の差し控えと中止は異なる。本人の意思と状況との関係性に着目し、本人が状況を受容した場合には、因果的過程とともに歩むことを意味する差し控えがある。そして中止は意図されない。本人が状況を受容しない場合には、因果的過程の短縮を意図する手段として差し控えと中止がある。本人が状況を受容した場合の差し控えと、受容しない場合の差し控えは同一な事象ではなく、内容に明らかな違いがある。本人が状況を受容した場合の差し控えと、受容しない場合の中止は異なる。
  • 小椋 宗一郎
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 207-215
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    ドイツでは、医学的に適応がある場合等を除き、中絶手術の少なくとも3日以前に「妊娠葛藤相談」を受けることが法的に義務付けられている。この相談に関しては少なくとも二つの問題が指摘されている。第一に、自発的対話を旨とする相談が法的に義務付けられているという問題がある(「強制としての相談」)。第二に、同相談は「〔胎児の〕生命保護」を目的とすると同時に、「〔相談後に女性たちが出産か中絶かの決断をすることについて〕結果を問わない」ものでなければならないとされる点について議論がある。本論文は、相談の現場に即してこれらの問題について考察する。ドイツのカウンセラーたちによると、実際、これらの問題は実務上の困難をもたらしている。しかしその困難は、カウンセラーと来談者による「率直さ」へ向けた努力によって乗り越えられうる。われわれはこの相談を、生命保護と同時に妊娠した女性たちの援助へ向けたドイツの人々による長期的な努力として理解することができる。
  • 柳原 良江
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 223-232
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    欧米諸外国では1980年代より同性愛カップルが養子縁組をしたり、人工授精を経て妊娠・出産して得た子を育てる場合がみられており、近年わが国でも同様の事例が見られるようになってきた。本研究では、当事者への聞き取り調査を通じて、わが国での現状を把握するとともに、一般化する生殖医療がもたらす課題について検討する。調査協力者は子育てをしている女性同性愛者カップル2組であり、ともに人工授精を試み、1例は妊娠・出産したが、もう1例は妊娠には至らず、米国人のパートナーへ国際養子縁組を迎えている。彼女たちの子育ては、親族や地域の人々の支援を得ながら行われているが、それはわが国では、協力者たちが例外的存在として捉えられているためであり、同性愛者の子育ては、未だ不可視的な状態だと考えられる。本調査の結果は、わが国でも今後は、生殖と個人の性的状況との関わりを問うことの重要性を示すものとなった。
  • 岩江 荘介
    原稿種別: 本文
    2007 年 17 巻 1 号 p. 241-251
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    遺伝医療の発展と共に、遺伝子診断など遺伝子情報の用途は拡大の一途をたどっている。これまで遺伝子情報に関する生命倫理研究では、「遺伝子情報は、他の医療情報と明確に区別しなければならない程の特殊な性質を持っているか?」という「遺伝子例外主義」の是非を巡って盛んに議論されてきた。一方で、わが国では、遺伝医療の急速な発展に対応するためのルール整備が非常に遅れている、と指摘されている。そこで、わが国の生命倫理研究においても、遺伝子情報の性質や社会に与える影響を冷静に考察しながら、具体的な問題解決を目指した政策的な議論へと重点を移すべき時期にあると考える。本稿では、政策的な議論をする上で有益な示唆を与えてくれるRothsteinの論文について紹介する。そして、わが国の医療情報の取り扱いに関する規制状況を概観し、その問題点を指摘する。
  • 原稿種別: 付録等
    2007 年 17 巻 1 号 p. 253-256
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2007 年 17 巻 1 号 p. 257-
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2007 年 17 巻 1 号 p. App2-
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 付録等
    2007 年 17 巻 1 号 p. App3-
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
  • 原稿種別: 表紙
    2007 年 17 巻 1 号 p. Cover2-
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
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