戦後における室町幕府研究は、佐藤進一が基本的な枠組みを作った。佐藤は、初期室町幕府の体制を、初代将軍足利尊氏と弟直義が権限を分割して統治する二頭政治であるとした。また、尊氏の行使した恩賞充行権と軍事指揮権を「主従制的支配権」、直義の所領安堵権や所務沙汰権などを「統治権的支配権」と定義し、多角的に論じた。
佐藤以降、室町幕府訴訟制度史研究は、直義が管轄した所務沙汰研究を中心に発展し、足利義詮の親裁権強化の過程などが解明された。だが、所務沙汰研究は二一世紀に入ってからは停滞している印象を受ける。その最大の理由は、所務沙汰研究が「手段」ではなく「目的」と化したからだと考える。
一方、将軍権力二元論そのものについても、幕府の諸権限のほぼすべてが主従制的支配権と統治権的支配権の両方の要素を併せ持つなど、少なくとも実証的にはほとんど成立しないことが明らかとなっている。しかし実証的な矛盾点を指摘した研究者自身が、なぜか二元論を強力に支持する奇妙なねじれ現象が起こっている。
右に述べた逼塞状況を打開するために、統治権的支配権よりも下位に位置し、統治権的支配権によって克服されるべき存在と決めつけられて軽視されてきた主従制的支配権、中でも恩賞充行を検討することを筆者は提言した。筆者の執事(管領)施行状研究は、右の問題意識から行われた研究である。本稿ではその概要を紹介し、その結論も踏まえて初期室町幕府の“権限分割”および足利義詮の親裁権強化の問題を改めて考察した。
初期室町幕府の体制は、足利直義が事実上の最高権力者「三条殿」として統治する体制であった。尊氏がわずかに保持した恩賞充行権等は、既存の所領秩序を変更し、新しい秩序を「創造」する機能であった。直義の権限は、既存の秩序を維持する、言わば「保全」の権能である。初期室町幕府は、南北朝期特有の状況によって、政治権力の創造と保全の機能が比較的明瞭に分離した政体だったのである。
足利義詮の将軍親裁権強化については、室町幕府の諸政策のほぼすべてが恩賞化した現象であったと考える。観応の擾乱以降の幕府の危機に直面し、直義の地位を継承していた義詮は、恩賞充行を強力に推進するとともに、他の諸政策も可能な限り恩賞化することで支持の回復に努めた。御前沙汰による寺社本所領保護政策も、その一環に位置づけることができる。
最後に、将軍権力二元論を生み出した佐藤の着想の由来について簡単に考察した。マックス・ヴェーバーの支配原理の三元論が、この学説に大きな影響を与えたことは疑いない。また「主従制的支配権しか保有していない未熟で原始的な権力が、先行国家から統治権的支配権を授与されることで一人前となる」とする国家観については、戦前の中田薫と牧健二の論争の影響が大きいと考えられる。ヴェーバーから何らかの示唆を受けて草創期室町幕府の支配原理に関する理論を完成させた佐藤が、それを草創期鎌倉幕府に遡及させ、理論的説明を試みた様相が浮かび上がるのである。
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