エチオピア北部ティグライ州西部地区では,近年の地方自治体主導による森林保全・放牧禁止地域の拡大や社会変化により,家畜を放牧する場所が縮小し,現地農民が所有する家畜頭数は減少傾向にある.家畜飼養頭数の減少が,現地農民の食料摂取を低減させていることが懸念されている.そこで本研究の目的は,エチオピア北部ティグライ州西部地区キリテ・アウラエロ郡において,1)ティグライ農耕民の現在の食料摂取量とその特徴を把握し,2)近年の地方自治体による政策や社会・経済状況の変化がティグライ農耕民の食料摂取や栄養状況にいかに影響を及ぼしているかについて考察するための予備的調査を実施することにある.2015年2月・3月,2019年9月にTigray農耕民3世帯に滞在し,合計10人に対して食料摂取量を実測した.また,1970年頃の食料摂取,家畜頭数と乳量,乳製品の食料摂取に占める割合,放牧地の状況を把握するために,49歳〜75歳の合計10人に対してインタビュー調査を実施した.調査をおこなったティグライ農耕民の食料摂取の特徴は,日常の食事においては大量のインジェラ(taita)とパン(gogo)を摂取し,マメ料理 (shiroとshumshimo)と赤トウガラシソース(silsi)を付け合わせて日常食とし,肉・内臓料理や乳・乳製品にはほとんど依存しておらず,エネルギー摂取量,タンパク質摂取量,脂質摂取量は不足傾向にあった.正月などの祭事や葬式などの法事の際に供される非日常の特別な食事で栄養分を補充していることが示唆された.人口増加,教育の普及,森林保全・禁止放牧地の増加の結果,家畜飼養頭数と乳・乳製品の生産量は減少し,乳・乳製品の摂取量が減少することとなり,ティグライ農耕民は栄養摂取不足に陥り,地域農民の健康に悪影響を及ぼしていることが示唆された.地方自治体は,単に地域の自然環境保全を考えた政策ではなく,そこに暮らす人々の生業や健康にも配慮した総合的な政策を講ずる必要がある.今後,結果の信頼性を増すために,より広域でより多数の事例を調査していくことが求められる.
抄録全体を表示