モンゴル国では広域的な地形の複雑さや,狭い範囲の中での微地形の違い,南北方向での乾燥度の変化に応じて,植物群落の分布パターンが地域によって大きく異なっている.植生の複雑さに対応して,遊牧民たちの遊牧パターンも地域ごとに特徴的である.これらの遊牧パターンの多様性と植生との対応について理解を深めることは重要な課題である.本研究ではモンゴル国最西部に位置し,県の大部分が山岳地帯であるバヤンウルギー県で生活する遊牧民世帯が,各季節の宿営地としてどのような植生が広がる立地を重視しているのか,またどのような植物種を日帰り放牧における採食植物として重視しているのかを明らかにすることを目的とした.調査対象地域はトルボ郡,アルタイ郡,アルタンツゥグツ郡,サグサイ郡の4郡とした.2018年の7月下旬から8月上旬にかけて,各郡で生活する遊牧民世帯に聞き取りを実施した.それとともに実際に各季節宿営地を訪問し,周辺に分布する植物群落に関する情報と各植物群落において優占度の高い植物種を記録した.トルボ郡およびアルタイ郡に宿営する遊牧民世帯は,夏季の間は高標高域で宿営し,秋季および冬季に夏営地よりも低標高域で宿営していた.このような遊牧パターンは既存研究で報告されているアルタイ山中の基本的な遊牧パターンであると言える.一方で,アルタンツゥグツ郡の世帯では年間を通してほぼ同程度の標高で宿営しており,これはカヤツリグサ科スゲ属のCarex duriusculaが豊富に分布する放牧地を夏営地として利用することを重視していることによると考えられた.サグサイ郡で生活する遊牧民世帯は郡中心の近くで宿営しており,観光業を重視していることによると考えられた.本研究では様々な宿営地移動パターンが見られたが,共通していたのは,スゲ属植物をはじめとしたカヤツリグサ科の植物の優占する場所を夏営地としている点,干草の備蓄に力を入れている点,遊牧パターンの中に年ごとの状況を見て変えられる部分がある点であった.
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