日本看護科学会誌
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12 巻, 4 号
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  • 実在するものと知識の起源について
    野島 良子
    1992 年 12 巻 4 号 p. 1-8
    発行日: 1992/12/31
    公開日: 2012/10/29
    ジャーナル フリー
    本稿で著者が説明を試みたのは, 看護が学として成立するならば, その際知識の起源はどこに求められるかという問いである. 説明の最初の手がかりをNightingaleが定立した, 看護はartであり, そして (and), scienceであるという命題に求めた.「為すこと」としての看護がart (「作ること」) であり,「そして」(and) science (「観ること」) でもあるということは論理的には成り立たない. しかしNightingaleの命題を真と見徴すならば,「為すこと」に於てartとscienceとが相矛盾したもの同士として合一される, そのような学として, 看護学はreality (実在するもの) を観る主体の純粋経験の世界に求めなければならない. そしてそこに看護学は疑うにも疑いようのない知識の起源を求めることができる.
  • 小山 都余子, 前原 澄子
    1992 年 12 巻 4 号 p. 9-18
    発行日: 1992/12/31
    公開日: 2012/10/29
    ジャーナル フリー
    女性の身体的特性である性周期により保健行動を起こす要因となる, 感情, 認知的側面がどの様に影響され, それにより行動を規定していくのかを明らかにすることを目的に, 一つの保健行動モデルを使用し研究を行った.
    痩せるという保健行動を取る, 健康な女性18才~44才の22名を対象にBBT, BW, mood (STAI, MACL, MDQ), 認知力の測定を実施し, 各性周期時期における有意差検定を行った. その結果次のことが明らかになった.
    1)対象者の性周期に伴う特性として,MACLのpositive mood群の集中力群で,卵胞期が黄体期比べ有意に高く, negativemood群の疲労群では黄体期が卵胞期に比べ有意に高かった.
    性周期による認知スタイルの変動を認知taskを用いて測定したが有意差は明らかにされなかった.
    2) 保健行動との関連では感情反応変数と第一次保健結果との間に関連, さらに認知的評価変数 (現状の認識と知識) と第二次保健結果との間に関連が認められた.
    以上より性周期が行動に影響する一要因であることが明らかにされた. このことは女性の身体的特性である性周期について十分理解し, 保健行動を通して自己管理能力を身につけていくよう援助するための看護に役立つと考えられる.
  • 佐藤 栄子
    1992 年 12 巻 4 号 p. 19-35
    発行日: 1992/12/31
    公開日: 2012/10/29
    ジャーナル フリー
    糖尿病患者が, 食事療法を継続するストレスに対するコーピング行動の特徴について明らかにする目的で, Jalowiecらのコーピングスケールを用いて, 103名の糖尿病患者を対象に調査を行い以下の結果を得た.
    1) 糖尿病患者は, 食事療法の負担感より病気自身による人生への障害感が強かった.
    2) コーピング行動の因子分析の結果, 変化促進行動, あきらめ・逃避, 諦観, 空想的楽観, 期待的静観, 回避, 鎮静, 限定的実行, 責任転嫁, 不安・心配の10因子が抽出された.
    3) 糖尿病患者では, 病気によってもたらされる病態や症状の重症性, 治療のあり方に行動が規定されること, また指示カロリーの低さのような直接食行動に結び付く負担感に対しては, 限定的なセルフケアーを実施するなど, 現実的な対応をしているように思われる.
    4) そのため, ストレス認知の結果としてのコーピングと治療のあり方等に現実的に規定される行動とを区別して考える必要があり, 日本版糖尿病コーピングスケールを考えるに際しては, これらのことを考慮することが重要であると思われる.
  • 人格の発達を支えるという視点から
    吉田 滋子
    1992 年 12 巻 4 号 p. 36-48
    発行日: 1992/12/31
    公開日: 2012/10/29
    ジャーナル フリー
    入院中の児の人格の発達を支える日常の看護婦の言動のあり方について研究を行った. 成人小児混合病棟では, 小児の人格の発達を援助する特別にとりくみを行うことが難しく, 工夫を必要としている. 本研究では, ある成人小児混合病棟に於いて調査を行った. 質問紙による6つの仮定場面に対する看護婦の言動の調査から以下の知見を得た. 治療上の制限を患児が破った疑いがある場面・破ったところを見つけた場面では評価的な言動が多く, 受容的な言動が少ない傾向があり, 患児が欲求不満を表出している場面では, すぐに気をそらす言動が採られており, 児の欲求の表出や自覚が妨げられ, 自律と積極性の発達が妨げられていた可能性が考えられた. 看護婦の意識と実際の言動との間にはギャップがあることが明らかになった. 患児が持つイメージの調査では, 看護婦は親しみの薄い存在である可能性が示唆された.
    以上より, 評価的言動を避けて, 児の気持ちに耳を傾け受容しようとすることと,科学的な看護過程の遂行と患者の気持ちの受容を統合する教育が必要と考えられる.
  • 樋口 康子
    1992 年 12 巻 4 号 p. 49-58
    発行日: 1992/12/31
    公開日: 2012/10/29
    ジャーナル フリー
    ケアリングという人間の行為は, 人類始まって以来現在まで, 人と人の間に常に存在していた. しかし, ケアリングという現象は, 非常に密接な人間と人間の関係の中で起こり, 且つ主観的な表現現象であるため, その効果を測定することが難しい. そのため, これまであまり深く追及されてこなかった.
    過去30年来, 医学の領域は, 急速な科学・技術の進歩に大きな影響を受けた. 医療機器の発達, 倹査方法の進歩など医学がもつ方法論は, 人間を生命あるものとしてではなく, むしろ単なる物体として, 機械の部品の集合体として扱う傾向を強めた. このような傾向の中で, 看護学はようやく医学とは異なる自己の独自性に目醒め, ますます人体の機械論や還元論の方向へ発展していく医学に逆らって, 生命をもつ人間そのものの独自性や人間性を求める傾向を強化しはじめた. 従来看護学が言葉にしていた「ケアリング」について探求しはじめたのである.
    M. Mayaloffは,「ケアリング」の対象には, 人間ばかりでなく, 生物, 環境, 理念, 美術などがある.「ケアリング」とは, それらに対する人間の関与の仕方であり, 対象となるものが発展成長していくように関与することであると述べている. ところで,「ヒューマンケアリング」という用語は,「ケアリング」の対象を人間に限定していうものである. 医師, 心理学者, 法律家, ナースなど多くの専門家は, 人間を対象に「ケアリング」する役割をもっている. では, 看護専門家は, 他の専門家とはどのように異なる「ヒューマンケアリング」を行うのであろうか. 看護専門家の独自な役割は何か. そして, 看護専門家は, どのようにしてその役割を果たしていくのであろうか.
    医師は, 医学の知識をもとにして, 心理学者は心理学の知識をもとにして, 法律家は法律の知識をもとにして, それぞれの役割を果たしている. 同様に, 看護専門家は, 看護学の知識をもとにして「ヒューマンケアリング」するわけである. M. E. Rogersは, 彼女の著書「Theoretical Basis of Nursing」にあるものが看護の知識でありそれをもとにして「ヒューマンケアリング」することであると述べている.
    看護が負う「ヒューマンケアリング」とは何か. そのもとになる看護学の知識とは何か. その原則となる哲学的な側面を日本人である著者が追及し考察を加える.
  • アン・J・ ディビス
    1992 年 12 巻 4 号 p. 59-70
    発行日: 1992/12/31
    公開日: 2012/10/29
    ジャーナル フリー
    倫理, または道徳哲学は, そもそも, 1) 人が高徳であるためにはどのような人でなくてはならないのかと, 2) 倫理的ジレンマや葛藤に出会ったとき, 私は何をすべきかというふたつの基本的な課題に答えようとするものであり, いつれも哲学的な基盤に拠る. この講演では, 北アメリカの看護における倫理とケアリングに関する問題と, 国際看護における倫理とケアリソグの普遍的な本質に関する問題の二つに焦点をあてる.
  • ペギー・L・ チン
    1992 年 12 巻 4 号 p. 71-79
    発行日: 1992/12/31
    公開日: 2012/10/29
    ジャーナル フリー
    世界のどこでも, 看護婦や女性は一般に政治力になり得ないとみられている. 広義に定義すれば「政治」は最も基本的な感覚において「その世界はいかなる価値観に基づいて行動されるかを定める力」と言えよう. 本講演においては,「私的側面が政治である」ことをフェミニストの視点で描きながら, ヒューマン・ケアリングが女性や看護婦の仕事であるがゆえに統治する人々からどのように搾取されてきたかを探ってみよう. 搾取は, 公的側面と私的側面が分離した二面として異った倫理や異なった人間関係に支配されているという錯覚によって助長されてきた.
    私的側面における配慮の中心におかれるのは女性, こども, 地球である. そこには, 各々の人々の経験を大切にすること, 地球の完全さを大切にすること, 各々のこどもの健康, 教育および1日24時間の安寧への配慮, 病人や傷害をもつ人や老齢者の1日24時間にわたるニーズに対する配慮, 人間間の論争の和解, 人間の間のニーズの対立の調停のための配慮が存在する. 簡潔に云えば, 政治の統治から取り残された配慮がケアリングの政治である.
    ケアリングの政治には二つの側面がある. 他者のためのケアリングの政治, および自分自身のたのケアリングの政治である. 他者のためのケアリングの政治は社会的, 文化的“義務的ケア業務, duty”として歴史的に形づけられてきた. すなわち社会的, 政治的に由来する価値が看護婦や女性の経験を形成する上に大きな影響を与えてきた. それは同時に, ケアリングを文化的に低く価値づける傾向を生んできた. こどもや病人, 死にゆく人々のための最も基本的な身体的ニーズのためのケアリングは, 十分に支払われることなく, 価値を認められず, その間にこの遂行すべき業務(duty)は, これらの仕事が遂行されることを保証するように法律や社会的構造の面で組織的に強化されたのである. 看護婦と看護は, ヒューマン・ケアリングのための新しい倫理や綱領がそれを基礎としてその上に新しい未来を創造することができるように定義される事を追い求めている.
    自分自身のためのケアリングの政治は, 世界において行動するために必要とされる成長の保証, 自信, 知識へと踏み出すことである. 知ることおよびわれわれ自身のためのケアにおいて, われわれは最良のセンスにおいて全く政治的である世界にかかわり合う方向へ向かわなければならない. われわれは, われわれがこの世界において完全に行動しようとすることを組織的に抑止したり, 変化のための行動を怠ろうとしたりするものに気付きはじめなければならない. われわれは, われわれの内なる声, 洞察, 熱情に気付き, 価値づけをはじめよう. われわれは政治的になろう
  • 日本看護科学学会看護倫理検討委員会の見解
    片田 範子, 井部 俊子, 佐藤 蓉子, 志自岐 康子, 中西 睦子, 藤枝 知子, 見藤 隆子, 南 裕子, 山崎 慶子, 横尾 京子, ...
    1992 年 12 巻 4 号 p. 84-87
    発行日: 1992/12/31
    公開日: 2012/10/29
    ジャーナル フリー
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