日本の畜産農家は大変苦しい状況にある.昨年の飼料価格の急激な上昇はおさまったが,以前の価格にまでは下落していない.配合飼料の主原料はトウモロコシであり,米国が,トウモロコシを燃料用エタノールの生産に使うという政策を打ち出したために,トウモロコシの需要が増えて,価格が高いままである.飼料用トウモロコシの輸入依存率はほぼ100%であり,その94%が米国からの輸入であるから,米国の施策が配合飼料の価格に直接ひびく.
こんな状況の中で,畜産の臭気対策となると,コストがかかるものは,実現性が乏しい.さらに難題としては,硝酸汚染の問題がある.畜産臭気の大半はアンモニアであり,これを除去するには,アンモニア態のままか,または硝酸などに形を変えて気体から取り除くことになる.問題はその先である.除去したアンモニアを肥料として畑などに利用できれば問題はないが,窒素成分の全部を受け入れるだけの田畑がない場所ではどうするか.これを環境中に放置すれば地下水の硝酸汚染につながる.
乳児が硝酸濃度の高い水を飲み続けると,酸素不足に陥ることがある(メトヘモグロビン血症).日本では過去に1例だけ報告がある.気になるのは,日本の地下水の硝酸濃度がだんだんと上昇していることである.「日本の名水」の中には硝酸濃度が水道基準を超えてしまい,「この水は飲めません」というところが出てきている.畜産だけに原因があるわけではない.食料自給率が40%という現状では,輸入食料品に由来する窒素化合物が国内に蓄積するだけでなく,自動車排ガスなどのNOxも加わる.脱窒処理を行って,硝酸を窒素ガスに変えてしまえば一件落着であるが,それには,無酸素条件で脱窒微生物に有機物を与えるという工程が必要であり,大きな費用がかかる.また,自然界では,脱窒が起こる場面が少なくて,硝酸濃度が簡単には低下しない.
話を臭気に戻そう.畜産現場や畜糞堆肥化処理場ではアンモニアが高い濃度で検出されるが,アンモニアは空気よりも軽いので(重さは空気の0.6倍),拡散につれて上空へ飛んでいく.空気の重さを1.0とすると,硫化水素は1.2,メチルメルカプタンは1.7,酪酸は3.0,吉草酸は3.5であり,これらは空気よりも重い.臭気の強さにしても,三点比較式におい袋法で測定された検知閾値は,アンモニアが1500ppbであるのに対し,硫化水素は0.41ppb, メチルメルカプタンは0.070ppb, n-酪酸は0.19ppb, n-吉草酸は0.037ppbであるから,これらは低濃度でも臭いが強い.したがって,現場の遠くから苦情が来た時は,これらの臭気物質への対策を要すると思われる.現在のように清潔志向が強くなってくると,わずかの臭気も苦情の原因になりそうである.しかし,資源問題,エネルギー問題,地球環境問題を考えれば,生物資源の有効利用が重要な課題であり,利用過程での臭気は,ある程度までは受容してもらわないといけない難しい問題である.単に臭気だけを考えるのではなくて,食糧の確保,地域の経済,地域の環境問題,地球規模の資源問題と環境問題など,多面的に考えないと解決策が出てこない問題を含んでいる.
この特集では,畜産農家が置かれている経済的な状況に鑑みて,できるだけコストがかからない有効な臭気対策を紹介するため,独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 畜産草地研究所の羽賀清典氏にご尽力をいただき,全体の構成を作り上げた.おかげで,第一線で活躍しておられる方々にご執筆いただき,臭気対策の現状を特集することができた.羽賀清典氏およびご執筆いただいた方々に深く感謝申し上げる.
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